東京都議会予算特別委員会速記録第四号

○和田副委員長 田代ひろし委員の発言を許します。
   〔和田副委員長退席、宮崎副委員長着席〕

○田代委員 まず、国家犯罪であります北朝鮮による拉致事件を、教育現場でどのように取り上げるのかということについて質問させていただきたいと思います。
 本年一月に開催されました日教組の教研集会において、今後、拉致事件を教育現場で積極的に取り上げるべきだと発言したところの琉球大学の高嶋教授は、一方で、拉致問題は日本が北朝鮮を敵対関係に追い込んだことが原因と、日本が悪いように発言していることからもわかりますように、日教組は、この拉致問題を、本質をそらして、我が国への断罪教育に利用しようとしているのです。
 世界の中で尊敬する人はだれかと問われて、金日成キム・イルソン主席であると答えた委員長に率いられた日教組という団体が教育現場を支配していることが戦後教育の悲劇の根本であると思いますが、教研集会でこうした発表が行われていることから、今後、教育現場において、拉致問題をねじ曲げ、それを利用して、自虐史観の宣伝を行うのではないかという強い懸念を抱くものであります。
 そこで、まず知事に伺いますが、知事は早い時期から積極的発言をされてきた数少ない政治家であり、十八日、都庁で開催されました、拉致議員の会の主催、北朝鮮に拉致された日本人を奪還するぞ都民集会に出席した横田めぐみさんのお父さんや、蓮池透さんにお会いになり、被害者の会の人たちがしてほしいことがあったらメモにして渡してください、実現のため全力で努力しますと発言されました。
 私は、今後、拉致事件を人権問題として教育現場でも正しく取り上げるべきと考えますが、ご所見を伺わせていただきたいと思います。

○石原知事 お答えする前に、日本の日教組の委員長が、尊敬する人物は金日成キム・イルソンだといったんですか。

○田代委員 槇枝元委員長がおっしゃいました。

○石原知事 そういえば、日本の著名な作家でも、防衛大学の学生に未来はないと、本当に未来を託せる青年は、北朝鮮の青年たちだなんていった人いましたですね。
 これは、日朝合併という歴史的な推移はありましたけど、それとは実は直接関係なしに、あくまでも戦後できた、醜悪というか奇妙な非人間的な政権というものが自発的にもたらした国家犯罪でありまして、まさにそれによって日本人の生命が損なわれ、安全も損なわれたわけであります。
 これを事実として現代史の中でどうとらえるかということは、教育者のそれぞれの判断によるでしょうけど、しかし、やはりこれは冷厳な事実として、私はやはり人権に関する問題、国家が国民の人権を守る、生命、財産を守るという大眼目の責任があるわけですけど、それにかかわって、当然教育の場でも教えられるべき問題だと思います。

○田代委員 教育の現場で教えられるものとして人権問題を取り上げるに当たって、まず教員に対して、その研修の中で取り上げるのが適当であり、生徒に対しては、その切り口によっては、国語の時間でも、社会の時間でも、あるいは道徳の時間でも、また、総合学習の中でも可能ではないかと考えますが、ご所見を伺います。

○横山教育長 拉致問題は、我が国の憲法に保障されました基本的人権の侵害はもとより、我が国の主権を侵害する極めて重大な問題であると認識いたしております。教員が、専門的知識はもとより、広く社会に生起するさまざまな事象について関心や正しい認識を持つことは、教師としての必要な素養の一つであると考えております。そうした観点から、拉致問題についても教員研修で取り上げてまいります。
 また、学校教育におきましても、拉致問題について、社会科、公民科、道徳などの学習の中で、基本的人権の侵害や国家間相互の主権の尊重などの学習として、学習指導要領に基づき、適切に取り上げるよう指導してまいります。

○田代委員 拉致問題は、また教科書問題とも大変深いかかわりがありまして、扶桑社の「新しい公民教科書」には、北朝鮮による日本人拉致問題というコラムがつくられ、日本の主権が侵され、日本人の人権がじゅうりんされた出来事として扱っております。拉致問題を教科書に記述したのは、この扶桑社の教科書ただ一つでした。
 今後、教育委員会は、歴史教科書の採択問題とともに、公民教科書についても、人権問題である拉致事件の取り扱いについて、採択に対しての姿勢を明らかにすることを迫られることになったわけですけれども、知事のご所見をお伺いしたいと思います。

○石原知事 従来、規則としては、教科書の選択というのは教育委員会が行うことになっております。それが非常に阻害された形で、一部の教職員あるいは圧力団体で一方的に決められた。つまり、密室的な状況の中で採択されていたということは、もう周知のことでありまして、ということを私指摘しましたら、共同通信の記者が、意図的か、それとも幼稚な間違いか知りませんが、勘違いしまして、扶桑社ですか、その問題になっておりました教科書が採択されたのは、密室の中で行われたと、ばかな書き方をしましたが、後で謝罪文もとりましたけれども。
 やっとこれが軌道に戻ってきたという感じでありまして、東京でも、タフな教育長が指導しましてそういう路線をきちっと走りつつありますが、今後やっぱり、なお世間もこれに注目して、今日の日本の教育の現況に国民、都民が不安を持ち、疑義を持つならば、基本的な要件の一つであります教科書の採択は、東京においてもどこの自治体においても、果たして規則どおり行われるかどうかということを、国民として、都民として、父兄として、きちっと見届けていただきたいと熱願する次第であります。

○田代委員 次に、拉致と人権という問題についてご質問いたしますが、大阪府の八尾市で、拉致と人権に問題を提起する市の主催の講座が開かれました。講師には、私たちとともに拉致問題に取り組んでいる佐藤勝巳拉致問題全国協議会の会長ですとか、拉致被害者家族の増元照明さんが招かれました。
 一方、東京都にも教育庁主催の人権公開講座がありますが、産経新聞出版の雑誌「正論」で、土屋たかゆき都議がこの人権公開講座を取り上げております。この論文の中には、教育庁主催の講座に招かれた講師が講演の中で、天皇が死んだら祝杯を上げようと発言したと書かれております。
 そこでまず、この教育庁主催の人権公開講座の趣旨、目的などをお答えいただくとともに、前述のような発言が確かに行われたのかどうか、また、その発言によって都側がどのように対応されたかを伺いたいと思います。

○横山教育長 人権公開講座は、社会教育関係団体指導者及び都民を対象にしまして、人権問題にかかわる差別意識の解消を図るために、年三回開催しているものでございますが、ご指摘の発言は、昨年六月の第一回人権公開講座においてなされたものでございます。
 講座終了後、都民の方並びに都議会議員からのご指摘を受けまして、調査し、事実を確認しますとともに、講師に不適切な発言である旨、伝えたとの報告を受けております。

○田代委員 この人権講座における講師の発言そのものにも驚愕を覚えますけれども、その発言を講座当日聞いていながら、土屋議員に指摘されるまで、何の処置も講じず放置していたという都教育庁の無責任さにも、怒りを覚えるものであります。
 土屋議員が講座における発言を指摘する過程の中で、教育庁の講座担当者に対して、都の人権公開講座においても拉致問題を取り上げるように要請しましたが、担当者からは都では取り上げることができないとの回答を受けたと聞いております。
 そこで、なぜこの都の人権公開講座では拉致問題を取り上げることができないのでしょうか。また、取り上げることができないというその当時の担当者の判断に対して、現在も都の認識に変更はないのか、改めて教育長に伺います。

○横山教育長 お話しの、拉致問題は取り上げないという発言は、昨年七月の時点で、既に拉致問題について一部の検定済み教科書にも記述されていることを考えれば、不適切な判断であったと思います。
 こうしたことから、今後、拉致問題についても、基本的人権を理解するための人権問題の一つとして、人権公開講座の中で取り上げてまいります。

○田代委員 お答えを伺って安心いたしました。
 しかしながら、今後は、テーマの選択、また講師の人選には公正、中立を期していただきたいと思いますが、東京都のお考えを伺うとともに、具体的にどのようにしてその姿勢を担保していくのかをお尋ねし、次の質問に移りたいと思います。

○横山教育長 事業の実施に当たりましては、今後ともより一層公平、中立な立場で運営していかなければならないと考えております。
 このため、人権公開講座の内容、講師等の選定につきましては、昨年、事件がございました六月以降、人権公開講座に設置しました講師等選定委員会で選考、決定し、特定の考え方に偏ったものとならないようにしてまいります。

○田代委員 平和教育に名をかりた逸脱した授業が後を絶たないことは、日教組の教研集会における授業の実践報告により明らかですが、この中で、主人公、ある教材の主人公に天皇のばかやろうと呼ばせる漫画をその教材の中に入れたことを自慢げに報告している教員もいるわけですが、時間の都合もありますので、この場で一々ほかの例示はいたしませんけど、授業は学習指導要領の範囲内で行われなければならないことは、今さらいうまでもないわけですが、そこで、もちろん、授業に使用される補助教材、また、教員の手づくりの新聞、雑誌の切り抜きなどを使った資料などの内容も、学習指導要領の範囲内でなくてはならないと考えておりますが、そうした資料が学習指導要領に合致していることを、一体、現場でだれがどのようにして確認をしているのでしょうか。また、十分な確認はなされているのでしょうか、伺います。

○横山教育長 学校において使用します補助教材を使用する場合は、学習指導要領に準拠しまして、内容が正確、中正であることが法令上明記をされております。
 副読本等の補助教材は、校長の権限と責任のもとにおいて選定しまして、教育委員会に届け出ることになっております。
 また、新聞、雑誌のコピー、手づくり資料などの日常的に使用します補助教材につきましては、教師から相談を受け、校長が判断をいたしております。

○田代委員 校長のチェックを拒否する教員がいるようなことをよく聞きますけれども、こういう教育現場で、ただ校長にだけ責任を持たせても、授業を勝手に行う教員を排除することは大変困難だと思うんですね。このことは、先日の一般質問で、我が党の古賀議員が指摘しましたように、性教育に関しても不適正な教材が使用されたことからも明らかであるわけです。
 そこで、学校教育の基本であります授業についても、提出される授業計画に対して、都も十分な関心を寄せていただき、年間授業計画や週案などを確実にチェックできるよう、根本的かつ具体的な改革案を含めて検討すべきだと考えますが、ご所見を伺わせてください。

○横山教育長 年間指導計画や週案につきましては、教員が学習指導要領に基づき作成し、最終的には校長がチェックすることになっておりますが、週案につきましては、お話のように、教員が提出を拒否したり、校長のチェックが十分でない実態がございます。
 学校における教育は、教育課程を管理をする校長の指導のもとに、組織的、計画的に実施されるべきものでありまして、ご指摘の点を踏まえまして、今後、適正な教育課程の実施に向けて、年間授業計画や週案のチェックなどを重点事項として取り上げ、指導してまいります。

○田代委員 しっかりとチェックをしていただきたいと思います。
 昨年の四月、文部科学省は高校教科書の検定結果を発表いたしました。私は、特に今回の検定において、高校日本史の教科書の記述がいかに変化したかということに注目しております。
 と申しますのは、一年前に既に検定の結果が発表されました中学の歴史教科書では、事実誤認が立証されました従軍慰安婦に関する記述がほとんど姿を消したのに対しまして、このたびの高校の歴史教科書の記述では、中学校の検定ではほとんど姿を消したこの従軍慰安婦という言葉がそのまま残されるなど、全く改善がなされておりません。
 中でも、特に世論からの厳しい指摘がなされたのは、山川出版社の「詳説日本史」の南京事件犠牲者四十万人説であります。この山川出版というのは、ご存じのとおり、五〇%以上の、二校に一校以上が使っているという大変シェアの大きな出版社なんですが、本年度までに使用されてきました同じ山川出版社の教科書では、証明された、今までしっかりと証明されている、裏づけのある事実に基づいた記述がなされていましたんですが、今回検定を通過した見本本には、以下のように記述されております。
 占領から一カ月余りの間、日本軍は南京市内で略奪、暴行を繰り返した上、多数の中国一般住民及び捕虜を殺害した。犠牲者の数については、数万人から四十万人に及ぶ説がある。こう書いてあるわけですね。
 この著者は、南京事件の全体像というのをまるで理解していないということが、この短い記述でもすぐわかるわけです。というのは、まず、多数殺害された中国人のほとんどは戦闘員であることがわかっております。そして、その正確な人数ははっきりしておりませんけれども、埋葬された数から計算しても、最大でも一万数千人の規模といわれております。
 また、当時、南京には二十万人の市民が住んでいたことが報告されており、民間人が大量に計画的に殺害された事実を証明する資料は全くないわけです。
 そして、最近の研究では、いわゆる南京事件を世界に報道したティンパーリというイギリスのジャーナリストが、実は中国国民党に雇われていたエージェトであったことが明らかになりました。しかも、当時、彼が報告したのは、四万人という人数です。
 四十万人という説があるという教科書の記述に対しては、何々の説があるということを根拠に教科書に記載することが許されるのであれば、そう考えるのであれば、理科の教科書に、月にウサギがいるという説もあると書くことも許されるであろうと、識者が皮肉っております。
 読売新聞などの社説にも取り上げられるなど、各方面から痛烈な批判が上がってまいりまして、この結果、山川出版社は四十万人説の記述の削除を文部科学省に申請いたしました。
 しかしながら、今回の事件は、戦後の日教組の偏向教育によって感化された世代が、教科書の執筆者になる、そういう時期を迎えたことによって、教科書の記述が自虐的な内容に退化したものと受けとめております。何の実証的な根拠もない荒唐無稽な説を、一部の若い歴史学者が教科書に書くという事実は、見過ごすことができません。
 また、この執筆者の世代交代により、今回、五百六十三カ所もの記述に間違いが生じ、同出版社は、あわせて文部科学省に自主訂正をしたとも聞いております。
 知事は、教科書のこうした状況について、どのようなお考えを持たれているか。また、さきに申し上げました従軍慰安婦に関する記述問題とあわせて、ご意見をお聞かせいただきたいと思います。

○石原知事 教科書は教科書でありますから、ましてそれが歴史に関するものならば、事実の堆積としての歴史を正確に伝えることが、何より肝要だと思います。
 私、先般、シンガポールのIT教育を視察しましたときに、たまたま有名な女子の高等学校と大学で歴史の時間を見ました。あそこは非常に中国人の多い国家ですけれども、その子弟に毛沢東の文化大革命についての授業をしておりまして、ITを使って、スクリーンの中の一種のそっくりさんがやる歴史のプロセスでありましたけど、要するに、最後は、それをもってどう判断するかということを、全部、事実を映像化して伝えることで、あとは生徒に任せている。それは非常に大事な姿勢であるなと感心いたしました。
 日本の歴史の教科書は、物によりまして首をかしげるものが多々ございますけれども、今回は、そのご指摘の出版社が、みずから恥じて、それを訂正したというのは当然のことだと思いますが、従軍慰安婦の問題も、検証されることで、全く事実と違うということがわかってきて、淘汰されつつありますが、南京虐殺の問題もそうでありまして、これは、東京裁判といういわば正当性を持ち得ない裁判の冒頭に、イギリス人とオーストラリア人の、弁護士の資格を持つ日本側の弁護人が、この裁判の正当性に疑義があると。これは、ジュネーブ協定による非人道的な行為を裁く裁判であるならば、我々に果たしてそれを裁く資格があるだろうかということで、原爆などを持ち出しまして、これは原爆がここでフォーカスを浴びますと、非常にアメリカは厄介なことになりまして、その一つの、何というんでしょうか、コンペンセーションといいましょうか、相殺する条件として、実は原爆で亡くなった方と同数の人が南京で殺されたという、全く前代未聞の、聞いたことがない話が突然登場したわけであります。
 私はたまたま世の中へ早く出ましたものですから、文壇のつき合いの中で、石川達三さんと大宅壮一さんと林芙美子さんとも知己を得ました、林さんとは余り深くありませんでしたが。このお三人は、南京陥落五日後に、従軍報道班員としてあそこに入っているんです。
 私はこのことについて大宅さんに聞きましたら、それは君、そんなことはあり得ないよ、そんなものは見なかったと。石川さんは、むしろ非常に反権威的な人物で、「生きてゐる兵隊」を書いたことで、軍からも疎外されたような人でありますが、彼もまた、死体は随分あったけれども、あの日本軍の装備で、そんなべらぼうな数は殺せるわけないということをいっております。
 私は、この日本の代表的な、良識を持った知識人のいうことを信じますし、なお、十年ほど前ですか、ダーディンさんという、あのとき南京にいましたニューヨークタイムズの記者が、サンティアゴでまだお元気だということで、産経の古森君がインタビューをしました。その詳しい資料も私いただいていますが、そもそも蒋介石が八路軍を、やたらに同胞である中国人を殺したと。それに脅えて南京在住の中国人は、みんな逃亡していたけれども、日本軍が占領したということで、続々人が帰ってきた。私が知る限りで、二十万人ほどの人口になりつつあったが、その二十万人の人口を、何で四十万殺したになるか、非常に私には理解できないと、皮肉に笑っておりました。
 やっぱりそういった一級の資料というものがあるわけです、これは現代史でありますから。私は、それを日本と中国の政府が、しかるべき委員会をつくって検証したらよろしい。あそこで四十万の人間を六週間で組織的に殺すような能力もなかったし、そういう事実もなかったわけでありましてですね。
 私はかつて、ある反米的といわれた本を書いて、アメリカにそのキャンペーンにも行きました。そのときに、向こうから特別のインタビューを受けて、月刊のプレイボーイで非常に長いスペースのインタビューを受けました。それでこの問題が出ましたときに、私は、それは事実ではない、数は非常に大きな誤謬があるということをいいまして、在米の中国人から非常に抗議を受けましたが、私は彼らに向かっていったのは、あなた方も本国の政府を説得なさい、私は国会で説得しますから、両国がお金を出し合って、お互いの現代史だから、日中友好のためにも、一体日本人は何人殺したか。私は日本人は一人も殺さなかったとはいいません。非常にゲリラに手を焼いた日本軍が、行き過ぎた行為があって、何とかという司令官が非常に強い命令を出したという事実もございます。そういうものを含めて、一級の要するに資料が残っているんだから、合同委員会で、日本人がどれだけのことをしたかということを検証したらどうだということを三度ほど申しましたが、一向に返事が来ませんですな。

○田代委員 大変ありがとうございました。
 本来、歴史教科書の目的というのは、自国の伝統と文化を正しく次の世代に伝えていく。母国の歴史に誇りを持てるような子どもを育てるということにあるんですが、この点から、昨年の暮れに、小学生に武士道を教えるという試みがなされ、小学生が強い興味と関心を示したとの報告があります。
 武士道とは、徳川時代の武士の行動規範であり、個人の自立性を基本として公の観念を中核に内在させた、意外にも合理的で、しかも近代的な道徳規範としての側面を強く持っていたということが最近の研究によって明らかにされておりますけれども、ことしは江戸開府四百年ですけれども、開府百年後に赤穂浪士の討ち入りがございました。この討ち入りから三百年たった昨年の十二月に、都内のある小学校で、昔の東映時代劇の忠臣蔵のダイジェスト版を子どもたちに見せた後、武士道特有の忠義に関して、次のように問いかけるということをいたしました。
 武士道とは死ぬことと見つけたりの葉隠れの一節を教えまして、単純にこれは死を美化したものではなくて、死ぬ覚悟を持って主君によく仕えて、職務を全うして生き抜くことを求めたものであるという解釈を教えた上で、第一問として、もし主君の命令が間違ったもので、自分の信念に照らして納得のいかないものであったらどうしますかという問いを小学生にいたしました。
 これは、一番に、主君の命令であるので、どんな納得のいかないものであっても、自分を抑えていうとおりに行動すべきである。二番は、たとえ主君の命令であっても、間違っていると思ったときには、どこまでも間違いを正すべきであるという、この二つの選択肢を設けました。どちらが忠義の道にかなうか、どう思うかという問いを出したわけです。
 子どもたちの考え方は分かれましたが、葉隠れでは、どこまでも間違いを正すことが忠義の道であると説かれているということを教えました。そして、このように主君の間違いを正そうとして意見をいう行為が、諫言という言葉で呼ばれていることを教えます。
 その上で、二問目では、幾ら諫言しても殿様が行いを改めないとき、あなたがその藩の家老ならどうするかということを尋ねました。一番は、黙って従う。二番は、どこまでも諫言する。三番は、幕府にいいつける。四番は、牢屋に閉じ込めるの四つの選択肢を設けました。
 子どもたちの答えは、どこまでも諫言するというのと幕府にいいつけるというのが多数でしたが、実は江戸時代には、主君押し込めといって、悪政を行う主君を座敷牢に閉じ込めることも慣行として行われておりました。
 このように、忠義とは、主君の恣意に単純に従うことではなく、それを超えて藩やお国の存続のために尽くすことであり、忠義の概念にこうした公への広がりがあったからこそ、幕末の国家的な危機の際には、武士たちが藩の枠を超えて日本の存続のために結束できたのではないでしょうか。
 授業の最後では、このことを藩主の立場から述べた、上杉鷹山の、国家は藩主の私有物ではないという言葉を教えました。
 今述べましたような授業というのは、日本的なものをすべて否定してきた従来の歴史教科書からは生まれてこない発想なんですけれども、そこで、このような教育の試みについて、知事のご所見、ご感想をお聞かせいただきたいと思います。

○石原知事 武士道を教育にどう取り込むかという問題ですが、その前に、武士道そのものは、決して忠義だけを価値観としてうたっているものではなくて、いわば人間としての志、気概の問題だと思います。つまり、これはいいかえれば、かつての古きよき日本人を象徴した武士というものの、生活の中におけるたしなみのあり方だと思いますが、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の中に、名もなき一兵卒が、捕虜にしたロシアの兵隊に対する扱い方が非常に優しいといいましょうか、紳士的なので、感心した上官がそのことを申しますと、その兵隊は東北の農村の出身の、位も低い兵隊でありましたけれども、私は農村の出身で、出は百姓でありますが、しかし、兵隊になった限り、武士のつもりでおりますといって、あの時代における武士というものについての一般の日本人の価値観のようなものが端的に示されております。
 ルース・ベネディクトの「菊と刀」は有名な日本人研究でありますけれども、あそこの中に出ている日本刀の切れ味といいましょうか、それを使って場合によっては自刃もする。女性もそうでありました。それから、日本といえば桜でありましょうが、実はそうでなくて、日本人を象徴する花は、秋に香る、あの非常に清楚な、香りの高い菊の花だということを、ベネディクトは武士道をしきりに引いていっております。
 私は、何も外国人にそういう評価をいただく前に、日本人自身がそういう評価というのを取り戻して、あなたが武士道について話をしている間、随分冷笑していらっしゃる委員もおられましたけれども、私は、それは自分の歴史というものを冷静に認識し直して、よきものはとって残して、子孫に伝えるために、武士道もまた一つ非常に大事な教育のメタファーだと思います。

○田代委員 次に、教科書の採択についてお尋ねいたしますけど、本来、教科書の採択権というのは各教育委員会にあることは自明の理でございます。しかし、この権限が空洞化しており、教科書の採択権は、事実上いまだに一部の現場教師に握られている、これが現実なんですね。彼らが教科書採択を左右するという慣行、こういう支配されている教科書市場のメカニズム、これに問題があるわけですけれども、これが教科書採択の正常化に厚い壁となっているわけです。
 この改善に向けて、知事並びに東京都の教育委員会が敢然として立ち上がって、都全体で教育委員が初めて実質的な教科書採択の作業に取り組むこととなったことは大変高く評価されるものでありますが、しかしながら、現実の問題として、教科書採択に関する教育委員会の権限が頻繁に侵害されるケースも多いと聞いております。
 そこで、知事のお言葉をおかりするならば、大政奉還、つまり、教科書採択事務の改善がどこまで進んでいるのかを伺わせていただきたいと思いますし、また、あわせて、教育庁指導部が平成十三年十二月に文教委員会に提出した資料の中で、教科書採択に関して、いわゆる絞り込みと呼ばれるような内容は基本的には見られなかったが、一部で誤解されるような内容の規定が見られたと報告された件で、具体的な地区名と要綱の内容について明らかにしていただきたいと思います。

○石原知事 私は、平成十三年四月の都内の全教育委員を対象とした教育施策連絡会におきまして、教科書採択に関しては次のように述べました。
 今日の日本の教育の荒廃は、我々大人が、社会の先輩として、あるいは子どもたちの親として、その責任を痛感する必要がある。教育委員として一番大事な職務は、自分の目で見届け、自分の頭で考え、自分の良識で教科書を人に任せずに採択することである。この国を思い、自分の子弟を思い、一人の常識人として、一人の国民として、子どもの将来に責任を持って教育委員としての職務を履行していただきたい。
 その後の教科書採択の状況を見ますと、教育委員の教科書採択の重要性に対する認識は、以前よりはやや高まったと思いますが、大事なことは、教育委員の任命--都の教育委員の任命は知事であります。知事は、選挙で選ばれた都民の代表であります。都民の代表が都民の子弟のために教科書を選ぶのでありまして、教員は決して都民の代表ではありません。

○横山教育長 一昨年の教科書採択時に、墨田区、中野区、西東京市の要綱等におきまして、教科書選定委員会等がすべての教科書を調査研究し、その結果を教育委員会に報告することになっておりますが、その際に、二種また三種の教科書を推薦することとなっておりました。
 また、小笠原村において、教科用図書選定審議会がすべての教科書を調査研究し、規約上の規定はございませんが、実態として、そのうち数種に限定して教育委員会に答申している点を指摘したものでございます。

○田代委員 これは、特定の教科書を採択させないように動員をかけて、集団で審議に暴力的に圧力をかけるような事例があるということを考慮すれば、教科書採択を審議する教育委員会の会議を公開することは、現状では大変大きな問題があるのかなと考えます。
 教育委員会の教科書採択に関する審議の公正さを担保するためには、審議を非公開にするとともに、現行のように採択日をばらばらに指定するのではなくて、集団による不当な圧力を排除するという目的から、統一地方選挙のように同一日とすると、改善されるのではないかと考えるのですが、知事のお考えがあれば教えていただきたいと思います。

○石原知事 公開、非公開というのは、また一つの判断の基準にもなると思いますけれども、いずれにしろ、いかなる外圧も教科書の選択に当たって教育委員会に加えられてはならないと思います。それを排するために万全の手を尽くすのが、区市町村、都も含めてでございますけれども、自治体の責任だと思います。

○田代委員 次に、都立の新設の中高一貫教育校における教科書採択の方法について伺いたいと思いますが、既に全国各地で中高一貫校の教科書の採択が行われております。
 昨年八月に行われました愛媛県では、県教育委員会のもとで調査委員会が組織されて、その調査資料を参考にしながら、六人の教育委員が独自の審議と判断で教科書を採択いたしました。
 ところが、昨年十一月に採択が行われました滋賀県では、新設される三校それぞれの学校に調査選定委員会なるものが設置されたために、採択権者たる県教育委員会の採択に先立って、その学校ごとの調査選定委員会が、採択すべき教科書をあらかじめ決定してしまいました。その結果、県教育委員会は、何の権限も持っていないこの調査選定委員会の決定を単に追認するということだけになりました。これは、教科書の採択権が現場教師に丸投げされたといっても過言ではなく、事実上、下部機関による一種類の教科書への絞り込みを意味するものであります。
 そこで、東京都は、中高一貫校の教科書の採択に当たっては、各校に設置する選定委員会に対する丸投げ方式ではなく、東京都の教育委員会が責任を持って採択すべきと考えますが、知事のご所見を伺わせていただきたいと思います。

○石原知事 都立の中高一貫教育校の教科書採択は、法に基づいて都の教育委員会がその責任において行うものと私は理解しております。
 都の教育委員会は、その見識と責任において、万全を期して採択を行うものと確信しております。

○田代委員 ぜひともその採択の姿勢をしっかりと貫いていただいて、東京都の中で健全な教育行政が行われるように、よろしくお願い申し上げたいと思います。
 次に、現在の日本における医療が抱えている問題、幾つか取り上げて、東京都の中の医療行政の改革に向けて質問させていただきたいと思います。
 現在の日本における医療が抱えている問題点の一つというのは、実際に提供される医療の質よりも、どれだけ薬を処方し、どれだけ検査をしたかというような、医療の量によって、病院の収入が左右されることであるとよくいわれています。
 あるいは、病気を診て、病人を診ない。病気のことは一生懸命診るけれど、その患者さん自身を診ない。そういう医療がある。あるいは、医学と医療とそれから患者さんの生きがいというもの、こういうものの融合が非常にまだなされていない。
 特に介護医療のところではそういう現場がよく見られますし、このたび新聞に出ております肺がんの治療薬の使用法についても、幾つか問題が指摘されているわけですが、逆に日本では、患者さんがいつでも医師に自由にかかれるフリーアクセスというのが一般的でありまして、これは大変世界的に見てすぐれた医療制度でもあります。
 英国に比較しますと、約数十分の一の時間で、専門医のもとで診療を受けることが日本では可能なわけですけれども、しかし逆にいうと、良質な、高度な技術を持った一般医というものが、まだまだ日本には足りないといわれておるわけですけれども、この世界的に見てすぐれた医療保険制度もあるわけですから、私は、行政がもっと日本の医療の制度の本質というものを国民に詳しく示す、そして、この医療が置かれている位置やまたその役割、まただれのために提供されているのかなどを明確に説明しなければならないと考えております。
 その結果、国民それぞれが、日本あるいはこのアジア全体における理想的な医療とはどのようなもので、その実現のために自分たちが何をなさなければならないかなど、真剣に考えることになるだろうと思っております。
 医療保険制度を維持していかなくてはならない国と、医療提供者、我々なり医師が十分な説明責任を果たしていないこの現在の状況の中で、都立病院改革実行プログラムというものがあるわけですけれど、都立病院こそ日本の医療を根本的に変革する担い手になる可能性を秘めていると、私は期待しているわけです。
 なぜならば、現在の都立病院は、医療の質はいうまでもなく病院経営あるいは人材育成、患者サービスなどのすべてにわたって、医療の理想像を実現する潜在的な能力を有していると考えるからであります。
 経済的な効率に余りとらわれず、ある部分の不採算性が高まったとしても、理想的な医療を提供するためのさまざまな試みをこの都立病院の中で実践して、あらゆる医療機関のモデルとなるという方向性をきちんと都民の皆さん方に説明したときに、確実にその都民の皆さん方の理解を得られると確信しております。
 東京都は、現在、電子都庁の実現を目指して、電子調達を初めとするあらゆる分野において、IT化を加速度的に進めておりますけれども、やはりこの医療の分野においても、パソコンを使っての診療の予約ですとか、電子カルテのことも当然ですけれども、あるいは一人の患者さんと複数の医師が、ネット上でいろいろ、その患者さんの困っている状況に対して相談に乗ったり、あるいはその医師同士で相談が瞬時にできるような、その患者さんにとっても多くの情報が入手でき、また医師にとっても同じように多くの情報を共有できる、こういう近未来のユビキタス社会における新しい形の医療が模索されるべきであろうと考えております。
 私は、先ほども申し上げましたとおり、都立病院こそ、この新しい時代の要請にこたえる理想的な医療を提供するモデル足り得る唯一の医療資源であると確信しております。ですから、今後、都は理想的な病院モデルをゼロからつくり上げ、いたずらに時間を浪費するよりも、現行ありますこの医療資源である都立病院を最大限に活用すべきと考えているわけです。
 このような可能性を秘めているにもかかわらず、東京都が単に財政難だけを理由に病院を統廃合し、その結果、医療サービスの水準が大幅に低下するのではないかと、都民は憂えているところがございます。これは説明不足というところもあるんでしょうけれども、そういうことを払拭していただくためにも、都民にいろいろ多くの情報を出していただきたいと思っております。
 そして、都立病院が理想的な医療を提供していくためには、まず優秀なスタッフの確保、育成が絶対条件です。都立病院の人材確保、育成について、知事は、先日の我が党のいなば議員の一般質問に対して、臨床研究制度の充実などにより医師の確保、育成に積極的に取り組むという力強い答弁をなさいました。
 しかし、有名な民間病院と比較して、都立病院では、まだ東京ERやがん治療など新しい取り組みはありますけれども、まだまだ医師にとって魅力ある職場とはいえないとの印象があります。
 そこで私は、業績評価と、業績を上げた医師に報いるための仕組みを通じて、そのインセンティブを高める工夫と、また同時に、医師が都立病院で仕事をしたいと思うような人事制度を構築すべきと思っております。
 先進的な医療体制が都全体に広がるためには、都立病院で学び、研さんした医師が、さらにほかの病院でそのノウハウと理想を広めることができるように、良質な医師を数多く輩出する機関として、都立病院が機能することが必要であろうと考えております。
 その意味で、私は、医師が都立病院にだけとどまっているのではなくて、必要に応じて他の医療機関と交流できるような採用制度を理想と考えております。このことで、医師の意識も高まり、常に組織が活性化することが可能となると思っております。そこで、将来的には、都も医師の採用については、終身雇用ではなく一定期間の任期制も考慮されるべきだと考えております。
 また、現在、都立病院で働くすべての医師に対して、技術や専門性を高めるために、短期の国内外の留学や、あるいは医学会への参加を可能にして、医学研究がしやすい環境を醸成するなど、体制づくりが必要だと考えております。
 そうすれば、都立病院で確立された良質な医療のノウハウが、他の民間病院などに提供されて、結果として、都全体に質的な格差のない医療のネットワークが構築され、これこそ医療のユビキタス社会が実現して、このとき初めて、知事がおっしゃるところの三百六十五日二十四時間安心の医療というのが実現すると思っております。
 私の理想の一端を申し上げましたけれど、現在のところは、さまざまな媒体を通じて、各都立病院が持っている医療技術や知識を広く一般に公開し、共有していくことが大切だと思います。
 そこで最後に伺いますが、今回の都立病院改革はそれとして、将来的に良質な医療を提供するために、都立病院が果たすべき役割とは何なのか、知事の理想像をお教えいただきたいと思います。

○石原知事 いずれにしても、東京は日本の首都でありますから、都立病院を核にして、都立病院に限りませんけれど、有名な大学の病院もございますが、医療に関して、東京がやはり最大の情報を持ち、最高の技術とサービスを行い得るような、そういう医療の体制というものを、東京発医療改革として、都立病院を強力な媒体にして展開していきたいと思っております。

○田代委員 終わります。(拍手)

○宮崎副委員長 以上で田代ひろし委員の発言は終わりました。

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