平成二十八年東京都議会会議録第九号

○議長(川井しげお君) 七十六番島田幸成君。
   〔七十六番島田幸成君登壇〕
   〔議長退席、副議長着席〕

○七十六番(島田幸成君) 冒頭に、今回の熊本、そして大分で発生した地震で亡くなられた方々に対してご冥福を申し上げます。そして、被災者の方々には心からお見舞いを申し上げます。
 知事に質問させていただきますけれども、本日も淡々とお答えされていますけれども、しっかりと知事の言葉でお答えをいただきたいというふうに思っております。
 さて、知事は、この写真の光景、さきにもありましたけれども、この光景をよく覚えているというふうに思います。これは、知事がワシントンを訪問した際、四月十六日の桜祭りのイベント写真です。知事は真っ赤なオープンカーに乗り、笑顔で観衆に手を振っていますが、私は大変残念でした。そして、多くの方々も残念に思っていると思います。知事の出身地である九州で甚大な地震が発生した直後、死亡者が報告され、不明者の安否がわからず、不安な状況に日本中が包まれている中、どうして首都東京の知事にこのようなことができるのでしょうか。
 今回の出張は、スイートルームやファーストクラスの利用、多くの随行員を伴う豪華出張であるという批判がある中で行われました。しかも、大地震が発生し、都庁では知事の指示により地震対策の本部が設置され、被災地支援の準備も進んでいました。天皇皇后両陛下におかれましても、行事をキャンセルされたと聞いております。
 こうした状況を考えれば、知事は、このイベントには出席せず、すぐに日本に帰り、一刻も早く被災者支援に尽力すべきだったと思います。見解をお伺いいたします。
 被災地に行くどころか、週末には湯河原の別荘で休んでいるようでは、被災地支援について首都東京の知事としてのリーダーシップが全く発揮されません。知事は、ご自身の出身地九州で起きた災害支援にどれだけ汗をかいたのでしょうか。そして、どのように陣頭指揮をとっているのでしょうか。知事の被災地支援に対する基本認識についてお伺いいたします。
 私は、残念ながら、知事の危機管理意識が希薄なのではと思っています。定例記者会見で、知事が湯河原に頻繁に帰っていることを質問されたときに、知事は、アメリカにいるとか、東京にいるか、周辺にいるか、どこにいるかは、危機管理上は連絡体制が整っていれば問題ないと豪語しておりましたが、果たしてそうなのでしょうか。
 万が一、知事が外国出張の際、東京で大地震が発生した場合、情報収集を初め一刻も早い対応が必要なはずです。都庁には全ての情報が集約される防災センターもあります。現場にいれば対応も早くできます。
 大島で発生した土砂崩れの際には、町長が出張のため不在で避難指示がおくれたのではないかともいわれました。
 私は、ずっと東京にとどまれといっているわけでありません。宿泊を伴う出張もあるでしょう。ただ、頻繁な海外出張、一年間で四十八回にも及ぶ湯河原での滞在など、都民から多くの疑問が湧いております。知事の危機管理に対する基本認識をお伺いいたします。
 私が特に憤慨しているのは、湯河原滞在の是非に対する四月二十八日の記者会見での知事の発言です。知事は、私の選挙区である奥多摩や檜原を例に挙げ、時間や距離的にいうと湯河原の方が早いといい放っているのです。何で知事は、湯河原の滞在を正当化するために、奥多摩や檜原を例に挙げたのでしょうか。
 年間四十八回も行っているのですから、湯河原が大好きなのはわかります。そして、神奈川県の知事でしたらわからなくもない発言です。しかし、東京都の知事が、奥多摩、檜原を湯河原と比較し、あたかも奥多摩が遠くて、湯河原が近いところであるかのようにいうのは信じがたいことです。私は、その知事の姿勢に怒っています。実際、都庁から奥多摩、檜原へは、湯河原より時間的にも距離的にも近いことはいうまでもありません。そして、奥多摩、檜原は豊かな自然が残る風光明媚なすばらしいところなんです。
 知事は、湯河原や都心の美術館へはよくいらっしゃるようですが、西多摩地域、奥多摩、檜原へ視察でいらしたことはあるのでしょうか、お答えください。
 奥多摩や檜原の皆さんは過疎化で悩み、観光振興を初め地域活性化のために力を注いでいます。私も議会で西多摩地域振興の質問をたびたびしていますが、地域を何とか盛り上げていきたいという思いがあるからです。
 西多摩地域や島しょ地域を見下げるような知事の発言には、地域の方々も深い失望と強い怒りを感じています。ここ数日、総会シーズンで西多摩の方々に会いましたが、その怒りは頂点に達しています。
 知事のこの発言に対しては、西多摩選出の都議会議員として断固抗議するとともに、発言の撤回と謝罪を求めます。
 また、知事は、本年二月二十日土曜日に、神奈川県湯河原町合併六十周年の式典に公務として訪れています。来賓として挨拶されていますが、どんなことを述べられたのでしょうか、お答えください。
 知事は就任以来、東京都市町村の周年行事に全く出席されていないと聞いています。東京都の周年行事に出席しない知事が、どうして他県自治体の周年行事に参加するのでしょうか。知事の私邸が湯河原にあるというのは、あくまでも私的なことです。
 知事の公私混同が大問題になっていますが、公務として出席する理由が不明確です。湯河原町の六十周年式典に出席した理由をお聞かせください。
 また、先日、湯河原町に確認したところ、町としては東京都知事ではなく、地域の著名人として、舛添研究所に招待状を出したということです。これが事実だとしたら、私的な依頼に公用車を利用するという公用車の利用規定違反に当たる可能性があるのではないかと考えます。知事の不透明な公用車利用については、今議会でたびたび指摘されていますが、湯河原町六十周年式典における公用車利用の是非について見解をお伺いいたします。
 知事は都知事になった最初の施政方針演説で、多摩の発展は東京を世界一への都市へと押し上げるために必要不可欠であると述べ、多摩振興を重要施策に位置づけられています。就任直後は多摩へ視察に訪れていますが、昨年度は一度も多摩地域に視察に来られていません。
 先日六月三日の会見で、多摩を視察できない理由に手術による長時間の車の利用に制約があることを挙げられていますが、海外出張や湯河原には行けるのに、どうして多摩地域には来れないのでしょうか。就任時は多摩地域の専管副知事を置くという話もあったようですが、どうなったのでしょうか。知事は本当に多摩地域を発展させるつもりがあるのでしょうか。
 多摩地域の多くの都民からそのような疑念が持たれていますが、視察を含め、知事の多摩振興に関する基本姿勢について明確な答弁を求めます。
 知事は、東京世界一実行宣言、選挙公約において、都庁一丸となった行政の無駄排除や政治と金の問題に直視し、金のかからない政治の実現に全力を挙げますと記しています。しかし、実際はどうでしょうか。選挙公約とは真逆の、金のかかる無駄だらけの政治が行われているといわれてもしようがありません。
 先日来日した、世界で最も貧しい大統領といわれるウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏は、私は国民から離れることができませんし、離れようともしません、壁をつくることで、国民は政治から離れていきます、最もよくないことは、国民から政治が嫌われること、そうなると政治は失敗に終わりますといっています。
 残念ながら、都民の知事への信頼は全くありません。都民の支持を得られなければ都政が停滞し、都政運営は失敗に終わります。
 私は、昨日からの議会の答弁を聞いても、残念ながら、このまま、知事、都政運営することは極めて困難と考えています。知事は身の処し方を決断すべきと考えますが、どうでしょうか、知事。
 以上で質問を終わります。(拍手)
   〔知事舛添要一君登壇〕

○知事(舛添要一君) 島田幸成議員の一般質問にお答えいたします。
 海外出張についてでございます。
 熊本地震で亡くなられた皆様に深い哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
 熊本地方で震度七の地震が発生したことは、発生直後に事実を把握いたしまして、出張中は都庁からメール、電話などにより逐次報告を受けまして、宿泊部屋や移動の車中などでも協議を行いまして、対応について指示をいたしました。
 都庁におきましては、休日も含め副知事以下を参集させ、情報の共有と速やかな対応を徹底したところでございます。このような対応を行った上で、当初の出張目的もしっかりと果たすべきであるという判断をみずから下したものでございますが、ご指摘のとおり、予定を切り上げることももっと検討すべきであったと考えております。
 また、桜祭りのパレードの映像が放送されたことを不快に感じた方が多くいたという声につきましては、真摯に受けとめたいと思っております。
 次に、熊本地震への支援に対する認識でございますけれども、私は熊本地震の発生を受けまして、首都直下型地震がいつ起こってもおかしくないという認識のもと、被災地に対して積極的に支援するように指示をいたしました。
 都といたしましては、本震が発生した四月十六日、直ちに熊本地震情報連絡会議を設置しまして、全庁的な情報共有と被災地への人的、物的支援を迅速かつ継続的に実施できる体制を構築しまして、被災地の立場に立って必要な支援を積極的に進めてまいりました。
 具体的には、救出、救助、災害復旧支援などの人的支援はこれまで延べ一千三百人を超えまして、また毛布や給水袋等支援物資を迅速に搬送するなど、全庁挙げた幅広い支援を行っております。
 今後も引き続き、現地のニーズを的確に把握して、関係機関とも連絡を図りながら、必要な支援を遅滞なく行っていくことにしてございます。
 危機管理についてご質問がございました。危機管理の重要性は十分に認識しているつもりでありましたが、危機管理意識が希薄であるという厳しいご批判は真摯に受けとめたいと思います。
 湯河原の事務所は売却いたします。
 海外出張の必要性自体についても厳しく精査をしたいと思います。
 私の行動が、都民、国民の皆様の目にどう映るのか、このことにもっと思いをいたし、私の危機管理意識への疑念を払拭していきたいと考えております。
 西多摩地域、奥多摩、檜原への視察の有無についてでございますが、私は知事就任以来、公約として多摩・島しょ地域の振興を図るため、伝統野菜であります東京ウドの生産農家、医療施設、保育園など、多摩地域の視察を行ってまいりました。
 奥多摩町及び檜原村につきましても、平成二十六年七月に視察を予定していましたが、当日、残念ながら天候不良によりヘリコプターの運航が不可能となり、中止となってしまいました。そこで、同地域につきましては、また十月にも再度視察の準備をしたところでございますが、現地への台風の接近に伴い、再び視察を断念せざるを得ず、その後、視察を果たせず、現在に至っているものであります。
 視察については、今後、今般の皆様からの批判や第三者の弁護士による調査報告書の内容も十分踏まえまして、視察対象のバランスにも配慮するとともに、多摩・島しょ地域など、東京全体の地域性も考えながら、視察のスケジュールを組み立てていきたいと考えております。
 西多摩地域や島しょ地域に関する私の発言について厳しいご指摘がございました。四月二十八日の会見で、私が、奥多摩や島しょ地域よりも湯河原の方が時間、距離的に都庁から近いという趣旨の発言をいたしましたことで、奥多摩や島しょ地域の方々に大変不快な思いをさせてしまいましたことを深く反省して、おわびを申し上げたいと思います。
 湯河原町の合併六十周年記念式典の挨拶でございますが、私は、二月二十日の湯河原町合併六十周年記念式典に出席し祝辞を述べました。湯河原町が昭和の大合併によって現在の姿になってから六十周年を迎えたことをお祝い申し上げるとともに、オリンピック・パラリンピックが開催される二〇二〇年に向け、今後の町の発展を祈念するという内容の挨拶を行ったと記憶しております。
 この出席した理由についてご質問がございましたけれども、これは町からの式典への公式の招待を受け、祝辞を依頼されたものであります。式典当時が出席可能な日程であったことからお受けをいたしました。
 湯河原町六十周年記念式典における公用車利用についてご指摘がございましたが、私としては、東京都知事として出席したと認識しておりまして、公用車利用のルールに抵触するものではないと考えております。
 次に、多摩振興に対する私の基本姿勢についてご質問をいただきました。
 多摩地域は、豊かな自然と東京の三分の一に相当する四百万人もの人口を擁し、また多くの大学や研究機関が集積するなど、多様な可能性を持つ地域でございます。こうした多摩地域の発展は、東京を世界一の都市に押し上げるために必要不可欠であるというのが私の知事としての基本姿勢でございます。
 このため、私は知事就任直後に、多摩・島しょ地域の担当副知事を任命するとともに、地域の実情把握に努め、多摩の振興に力を入れて取り組んでまいりました。昨年度は結果として視察できなかったことは、今後は、私は、多摩振興に対するこの思いに疑念を持たれることのないように、多くの現場に足を運び、地域の課題や強みをこの目で確認しながら、多摩の発展に尽力してまいりたいと考えております。
 最後に、私の出処進退についてご指摘がございました。都政を前に進めるためには、都議会の皆様との真摯な議論や都民の皆様からの信頼が不可欠でございます。これらを欠けば都政は停滞するという厳しいご指摘のとおりでございます。
 今の私は、多くの都民の皆様からのご批判を受けておりまして、そのことは大変重く受けとめております。まずは、一昨日公表いたしました調査結果をもとにしまして、反省の気持ちをしっかりと胸に刻み、地道に都民の皆様、都議会の皆様のご理解を得ていきたいと考えている次第でございます。

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