平成二十三年東京都議会会議録第十三号

〇副議長(鈴木貫太郎君) 二十三番早坂義弘君。
   〔二十三番早坂義弘君登壇〕

〇二十三番(早坂義弘君) 余命半年。ある日、末期がんだと告知され、残りの人生が六カ月だとわかったら、その半年間をどう過ごすでしょうか。私なら、告知を受けた直後はショックでしばらく寝込むかもしれません。しかし、すぐに思い返して、海外旅行に行き、おいしいものを食べ、最期は愛する家族に囲まれながら、ありがとうといって、がくっと絶命する。そんなふうにして過ごしたいと思います。
 しかし、先日お会いした東邦大学大森病院の大津秀一先生からは、早坂さんが思う最期はまるでテレビドラマのようですが、そのような死に方をする人は一人もいませんといわれました。現実には、抗がん剤の副作用で食欲が低下し、何を食べても砂をかむように感じる。せん妄という精神的混乱状態が発生し、大声で家族に暴言を吐く。そんな姿を見るのはつらいから、見舞いに来る家族の足が遠のく。延命のために人工呼吸器などの機械や管がどんどん体に取りつけられていく。私の理想からはかけ離れた、こういう状態で死に行く人が多いそうです。思い返してみると、私自身、ご遺体と対面したことなら何度もありますが、人がまさに死に行く姿を、実は一度として見たことがありませんでした。
 がんは痛いといいます。それについても尋ねました。大津先生は、適切なケアを受ければ、がんの苦痛は劇的に違ってくるし、早坂さんの理想の終末期に近づけることもできると断言しました。これが緩和医療と呼ばれるものです。
 緩和医療は、がんを治す治療ではありません。患者の苦痛を軽減させるための医療です。
 しかしながら、今日、我が国でこの緩和医療が十分に提供されているとはいえません。緩和医療に不可欠の医療用麻薬の、国民一人、一日当たりの使用量がアメリカの二十分の一だということを見てもわかります。ちなみに、麻薬というと注射のイメージがありますが、今日では錠剤が主流で、中には張り薬もあるそうです。
 我が国で緩和医療の提供が十分ではない理由は二つです。
 一つ目は、患者や家族の緩和医療に対する誤解です。苦痛を軽減させる緩和医療とがんを治す治療とは併用可能であって、決してどちらか一つしか選択できないものではありません。しかしながら、緩和医療といわれたら、あとは死ぬだけという間違った思い込みから、緩和医療を拒否する患者すらいると聞きます。モルヒネは終末期患者の頭をおかしくせず、命も縮めず、痛みだけを取るという、すばらしい効果を発揮します。緩和医療とはどういうものか、都民に対して、正しい理解を促していく必要があります。
 緩和医療の提供が十分でない理由の二つ目は、緩和医療の臨床に秀でた医師、看護師の不足です。昨年、都内で亡くなったがん患者は三万二千人。これに対し、緩和医療専門医は、二年間で全国二十四人しか生まれていません。若手の医師、看護師に緩和医療を教育できるスタッフが、そもそも少ないのです。
 余命半年と宣告された後、どんなに病気が苦しくても少しでも長く生きたいか、あるいは苦痛を伴う延命治療を拒否するか。このリビングウィルに関して、日本尊厳死協会が、みずからの意思を示すためのマニュアルを公開しています。しかし、それが現実に一〇〇%尊重されるかといえば、それは甚だ微妙です。
 というのも、特に延命拒否の意思は、生命の長さが最優先という医療現場の常識があるゆえに尊重されにくいからです。家族からすれば、やはり長く生きてほしいと思うでしょうし、医療者の立場からすれば、裁判ざたになることに対しての備えという側面もあります。その意味で、延命拒否の意思を持つならば、これに対する事前の十分な意思疎通が患者、家族、医療者の間で必要です。
 家族に迷惑をかけないならば、みずからに残された最後の時間は、病院ではなく住みなれた自宅で過ごしたいと思います。そのことを先ほどの大津先生に伺いましたら、患者が自宅に戻りたいのなら、在宅で緩和医療を受けるのがいいし、それは可能だとおっしゃいました。そもそも緩和医療とは、単に肉体的な苦痛に限らず、広く精神的なものまで含んだものであります。実際、自宅に帰りたいという希望をかなえるだけで、苦痛のある部分が軽減され、モルヒネの投薬量が減るケースがほとんどだそうです。人生は長ければ長いほどいいか、短くとも充実を求めるか、人生いろいろだと思います。しかし、そのどちらであっても、緩和医療は、人生最期のときを満ち足りたものにする手助けになります。
 そこで、がん終末期患者のクオリティー・オブ・ライフと緩和医療に対する知事のご見解を伺います。
 次に、都民の防災、危機意識の喚起について伺います。
 東日本大震災では、二万人もの死者、行方不明者が発生しました。心からお見舞いを申し上げます。
 この間、何よりも私の心に残ったのは、釜石の奇跡、すなわち、岩手県釜石市での死者、行方不明者、一千二百人のうち、小中学生はわずか五人だったという事例です。
 ある中学生たちは、避難の途中、幼稚園や小学校の子どもたちに遭遇しました。そこで、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児の乗るベビーカーを押して走りました。指定の避難場所に到着したものの、そこも危険だと自分たちで判断し、さらに高台に避難したおかげで、間一髪、一人の犠牲者も生まずに済んだという事例がありました。これは、津波から絶対に命を守るという強い危機感のもとで行われた防災教育の大いなる成果であります。
 釜石の中学生たちは、単に助けてもらうだけの存在ではなく、みずから率先して避難し、さらに自分より弱い立場にある人たちを助ける側に回りました。これを見れば、釜石の防災教育が、実は人間教育ともいえるものであり、見事なまでの成果に私は強い感銘を受けるのです。
 では、東京においてはどうでしょうか。東日本大震災は津波という水の被害でしたが、私たちが備えるべき首都直下地震では、火災による被害が想定されています。関東大震災や東京大空襲など、大火災によって何万人もの犠牲者が生まれた歴史を二度と繰り返してはなりません。逃げ場を失った人々が阿鼻叫喚をきわめて焼け死んでいったのです。
 そこで、今求められるのは、木造住宅密集地域の解消や緊急輸送道路沿道建築物の耐震化です。しかしながら、そのための施策がほとんど進んでいないことは、緊急輸送道路沿道建築物の耐震化がいい例です。昨年、内容が強化され、耐震診断に係る補助率は十分の十に引き上げられましたが、実はそれ以前も、五分の四という高いものでした。加えて、沿道建築物の所有者に対し、都庁職員が戸別訪問をして意識啓発を図ってきました。しかし、対象一万二千軒、うち四千軒は戸別訪問までして、耐震診断に結びついたのはわずか三十九軒、〇・三%にすぎなかったのです。
 そこで、あめとむち。すなわち、あめの方は、究極ともいえる補助率十分の十。むちの方は、義務に反して診断を受けなかった場合、その事実の公表という手段で、今度こそ耐震化を進めようとしています。
 つまり、行政がどんなに働きかけても、肝心の都民自身が、みずからの私有財産の耐震化、不燃化を進めない限り、防災まちづくりは進みません。切迫する首都直下地震、あるいは東海、東南海、南海の三連動地震から、私たち都民の生命と財産を守るために、最も必要なのは都民自身の強い危機感です。
 そこで、都民の防災、危機意識の喚起について、知事のご見解を伺います。
 危機意識の喚起という観点から三つ提案があります。
 一つ目の提案は、都内すべての中学生に、三時間の普通救命講習を、そして、高校生に八時間の上級救命講習を受けてもらうことです。助けてもらう側から助ける側へ、卒業証書と一緒に救命講習の認定証をつけて渡せば、自分は助ける側にいるのだという意識啓発にもなるでしょう。だれかが倒れたら、すっと近くの若者が駆け寄る、オリンピックを迎える二〇二〇年には、そんな社会を実現させようではありませんか。
 二つ目は、防災都市計画博物館の設立です。二〇一六年東京オリンピック招致の際、森ビルの協力で一千分の一スケールの都市模型をつくりました。北京、上海、ソウルの各都市では、この都市模型が都市計画博物館に設置され、現在、過去、未来の都市の発展について、市民自身が学べる仕組みになっています。しかし、東京には都市計画博物館そのものがありません。
 木造住宅密集地域に火災が発生したら、どのように延焼するか。海抜ゼロメートル地帯はどこまで広がっているか。どれだけの大雨に、河川と下水道は耐えられるか。富士山が噴火したら、東京に火山灰がどれだけ降り積もるか。環状道路の渋滞緩和効果はどれくらいあるか。そういった東京という都市の魅力、特徴、弱点を都民自身が理解し、危機感と将来の夢を腹の底から感じられる仕組みをぜひつくりたいと思います。
 三つ目は、備蓄についてです。職域における備蓄は、これまで会社や学校という組織が、みずからの構成員のためにまとめて倉庫に用意しておくという考え方が主流でした。しかし、個人でできることは、最低限、自分自身で頑張ってもらうというように考え方を変えてはどうでしょうか。手始めに、ペットボトルの水は倉庫にではなく、自分自身のロッカーに自分で用意する。だれかのためにもう一本プラス用意できればなおいい。東京じゅうの職場でそれが実行できれば、たった水一本だけのことで、防災への認識が、がらっと変わります。
 つまり、防災とは、だれかに助けてもらうことではなく、自分自身の努力なのだという意識革命を、具体的な行動を提示することで促すべきです。東京都が着手した防災隣組は、自助と共助を進める仕組みだと考えます。
 そこで、この防災隣組をどう進めていくのか伺います。
 最後に、緊急豪雨対策について伺います。
 今月の台風十二号、十五号は、各地で歴史的被害をもたらしました。また、多発するゲリラ豪雨対策も急がれるところです。東京都は昨年、建設局、都市整備局、下水道局の三局連携で、緊急豪雨対策を策定し、浸水危険地域の重点整備と、そのスピードアップをうたっています。
 このうち、下水道事業の取り組み状況について伺います。
 私の住む杉並区、JR阿佐ケ谷駅周辺は、これまで残念ながら浸水被害の常襲地となっていました。
 そこで、東京都は、雨水貯留管の整備を進めています。その進捗状況について伺います。
 ありがとうございました。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

〇知事(石原慎太郎君) 早坂義弘議員の一般質問にお答えいたします。
 まず、がんの終末期患者の緩和医療についてでありますが、医学が進歩した現代にあっても、人は必ず老い、そして、やがては死んでいくものであります。ソルボンヌ大学の哲学の主任教授のジャンケレヴィッチの死に関する非常に興味深い分析の本がありますが、その中にも、死は人間にとって最後の未来であると書いてありますけれども、しかし、それが未来であるがゆえに、この自分が必ず死ぬということを信じている人間は余りいないわけであります。
 がんによる余命宣告は、こうした自分の死といや応なく向き合うことを強いるわけでありまして、また、がんの進行は痛みを伴い、気力や体力を徐々に奪うものでしょう。終末期患者の緩和医療は、死の恐怖がもたらす心理的な苦痛や痛みからくる身体の苦痛をできるだけ取り除く医療であり、死と向き合うことを支援する医療でもあります。
 しかしこれが、ご指摘のように、専門家が少ないゆえに、余り日本の社会で敷衍していない。そういうことで、例えば私の知己でもありました、すぐれた作家の吉村昭君は、何度目かのがんの末期にたまりかねて、もういいということで、自分で自分の延命装置を引きちぎって外して、自分で死を選びましたが、そういう悲劇というのでしょうか、そういう無残な出来事も、数を減らすことにつながると思います。
 死をいかに迎えるか、これを受け入れるかは、個々の人の人生観にもよるものでありますが、緩和医療は最期までその人らしい人生を全うするための手だてになるに違いないと私も思います。
 次いで、都民の危機意識の喚起についてでありますが、都から被災地に職員を派遣しておりまして、その報告の中にもありましたが、都会に生まれて、都会で育った若手の職員にとって、地域のつながりや被災をしながらも社会のために尽くす人々の姿に、非常に強い鮮烈な印象を受けたようであります。
 例えば、比較的若い世代といいますか、五十代の被災者が、みずから重くたくさんの食料を台車に積んで、坂道の住宅街を上って、高齢の被災者に届けていたそうでありますが、そういった姿は、人々の連帯によってこそ成り立つ人間社会の本来の姿を、都の職員たちにも、若い職員にも気づかせてくれたと、非常に人生にとって得がたい体験をさせてくれたものだと思います。
 私のような世代は、隣近所のきずなの中で育ってきましたから、戦後、義務や責任がないがしろにされて、また、自分を産んで育ててくれた両親と住みたくないという若いカップルは家族を核家族化しまして、地域のつながりもなくなり、家の中でも、家族の中でも連帯が薄れていくという、そういう世代がふえる中で、今回の大震災は、我々がみずからを省みる重要な機会としなくてはならないと思っております。ゆえにも、今日の東京の実情や特性を踏まえ、防災隣組を構築していくつもりであります。
 これを発表しましたときに、ばかなメディアが幾ら予算をつけるのかといいましたが、私は一笑に付しましたけれども、これはあくまで心と心のつながりの問題でありまして、そんなもの幾ら高い金を積んでもできるものじゃありません。
 そうした状況の中で、震災に直面した方々の生の声や専門家の知見、震災の実際の映像によって、必ずやってくるであろう地震の怖さを都民にわかりやすく伝えて、危機意識の喚起をしながら、都民一人一人が地震を我がこととしてとらえて、防災の担い手であるという自覚を高めていってもらいたいものと思っております。
 他については、関係局長から答弁します。
   〔総務局長笠井謙一君登壇〕

〇総務局長(笠井謙一君) 防災隣組の取り組みについてでございますが、都民一人一人が震災に対し危機感を持ち、自身が防災の担い手であるという意識を持ち行動することは、地域の防災力を向上していくために大変重要でございます。
 このため、都民の自助、共助を強める取り組みであります防災隣組の構築に着手をいたしました。地域のきずなが希薄となった東京におきましても、木造住宅密集地域における区民レスキュー隊、都心部の企業による企業防災隣組など、共助の取り組みが行われております。
 そこで、区市町村とも連携いたしまして、こうしたさまざまな取り組みを発掘、後押しすることで、新たな活動を誘発し、より多くの都民の参加を促していきたいと思っております。
   〔下水道局長松田二郎君登壇〕

〇下水道局長(松田二郎君) 二件のご質問にお答えをいたします。
 まず、緊急豪雨対策における下水道事業の取り組みについてでございます。
 局所的豪雨が頻発する一方で、東京では地下街利用の高度化による浸水リスクが増大をしております。そこで、大規模地下街などの周辺では、一時間七五ミリの降雨に対応できる貯留施設などの整備を進めております。これまでに整備した新宿駅周辺などの四地区に加え、新たに渋谷駅東口周辺や東京駅丸の内口周辺など五地区を追加することとし、このうち渋谷駅東口周辺については、街区基盤整備事業の中で貯留施設の整備を行うもので、今年度中に工事に着手をいたします。
 また、神田川、石神井川、白子川の三河川流域において、下水道施設を前倒しで整備することといたしました。このうち、杉並区などの雨水を集める神田川流域においては、桃園川幹線流域で新たな幹線を整備するため、調査設計に着手をいたしました。
 次に、JR阿佐ケ谷駅周辺における雨水貯留管整備の現在の進捗状況についてでございます。
 駅周辺はくぼ地であり雨水が集まりやすいという地形的な特徴があることから、過去に繰り返し浸水被害が発生をしており、特に平成十七年九月の集中豪雨では、駅前一帯が浸水する被害となりました。被害の早期軽減に向け、阿佐谷南地区を対策促進地区として重点化し、阿佐ケ谷駅の東側を南北に通る都道中杉通りの道路下に、内径二・八メートル、延長約四百五十メートル、貯留量約二千四百立方メートルの貯留管を整備することといたしました。
 駅前ロータリー内に工事の作業基地を設置するに当たり、区と連携して関係機関との調整を進め、工事に着手することができました。また、地元の皆様のご協力をいただくことで、工事を円滑に進めることができております。
 その結果、当初、平成二十四年度中の完成の予定でございましたが、平成二十三年度末には完成できる見込みとなっており、早期の浸水被害の軽減に向けまして、引き続き、全力で工事を進めてまいります。

〇副議長(鈴木貫太郎君) この際、議事の都合により、おおむね十五分間休憩いたします。
   午後三時九分休憩

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