平成十九年東京都議会会議録第十八号

○副議長(石井義修君) 九十四番古賀俊昭君。
   〔九十四番古賀俊昭君登壇〕
   〔副議長退席、議長着席〕

○九十四番(古賀俊昭君) まず、祖国未曾有の国難に際し、とうとい命をささげられた沖縄県民戦没者並びに戦陣に散華された英霊への畏敬と慰霊の心をもって、沖縄決戦と教科書検定についての質問を行います。
 ことし三月、文部科学省は、平成二十年度から使用する高校歴史教科書の検定結果を公表し、沖縄集団自決について、日本軍に強制された旨の記述がある七冊の教科書に対して、誤解するおそれのある表現との検定意見をつけ、修正が行われました。
 これまで、沖縄タイムス社編「鉄の暴風」等の著作物では、昭和二十年三月、慶良間列島にある渡嘉敷島、座間味島への米軍上陸の際に、駐屯部隊の隊長が島民に自決を命じたと記述されてきました。だが、これを原資料とする教科書記述は不適切とするものであります。この検定意見に対して、沖縄の報道機関や新旧左翼勢力は執拗に、もとに戻せと要求を繰り返し、歴史の虚説に事寄せて、日本軍は県民を守らなかった、日本軍に殺されたとの表現を貫く目的の政治運動を扇動しています。
 実際には、沖縄を守るために多くの特攻隊員が散華し、また、戦艦「大和」などの沖縄を守る作戦も展開されたことは皆さんもご承知のとおりです。可能な限りの策を実行しています。「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と有名な決別電報を打った大田實少将など、牛島司令官も沖縄県民への心からの献身への感謝を述べて自決をしています。
 本来、検定終了後の教科書は、誤字、脱字等のほかは訂正申請は認められていません。にもかかわらず、文科省は、いわゆる十一万人集会、引き続く検定意見撤回を求める政治的圧力に押されて、学習上の支障なるこじつけの専門用語を持ち出して訂正申請を誘導したのです。学問的根拠のないうそに迎合することは、検定制度の崩壊にもつながる暴挙であり、決して許されるものではありません。
 そもそも今回の検定意見でも、悲惨な集団自決は従前どおり記述されています。沖縄の報道機関等は、集団自決の史実が削除されたかのごとく伝えていますが、誤解を県民に拡大させるだけで、正しい報道とはいえません。検定意見は、隊長からの自決命令、隊長からの強制によって自決が行われたとの記述のみを是正したのであります。
 自決を決定したのは村の幹部であることは、沖縄県史に、村長、前村長、現学校長等々で決めましたとの証言があり、沖縄県警察史でも、渡嘉敷村駐在の調査記録にも同じような表現があります。住民を避難させたところ、巡査が自決をやめるよう指示したが、聞き入れられなかった、そういう状態であったと伝えています。死におくれた村民が武器を求めて軍部隊に押し寄せたために、軍はそのとき初めて自決の事実をつかんだのです。県史には、このとき隊長は、早まったことをしたなと述べたことも書かれています。
 座間味村史の軍命ありが沖縄県史に転載されていますが、軍命令ありとしなければ、戦傷者戦没者遺族援護法で補償金が交付されないため、軍命ありと記載したとする情報提供者からの修正申し出が出され、その後、軍命令はなかったと訂正されています。
 沖縄県集団自決の軍命令説は、昭和四十八年に曽野綾子さんの「ある神話の背景」が出版されたことを機に、ほとんどの文献が訂正、削除または絶版をいたしました。その中で唯一残っているのが、大江健三郎氏の「沖縄ノート」と沖縄タイムスの「鉄の暴風」であります。これは米軍の占領政策の影響を受けたと考えられます。米軍は、沖縄侵攻作戦に先立つ昭和十九年、「琉球列島の沖縄人」と題する心理作戦計画案をまとめていますが、これを見ると、沖縄人と他の日本人との亀裂を利用すると書かれています。真実の歴史を歪曲してでも軍命令ありとしなければ納得しない勢力の存在は、この巧妙な、また悪らつな占領政策を抜きには考えることはできません。
 ここで、十一万人と発表された宜野湾集会の実際の人数をテイケイ株式会社が科学的な検証を行っておりますので、ご紹介いたします。
 そもそも琉球新報で会場の全景写真が出ています。スポーツ新聞のような見出しが躍っています。(写真を示す)この写真は非常に精密であり、何人いたかというのは数えればわかるわけです。実際にこの升目を、百四の升目に区切って、一つ一つシールを張って人数を数えた結果、果たして、いた会場の人員は何名なのか。目で見ることが確認できた者は一万八千百七十九人であります。
 この面積は、公園の面積として、花壇や樹木等が省かれている面積の中にこれだけの人がいたということになれば、恐らく実際の人数は、他の見えない人も含めて二万人を超えることは絶対なかったということであります。東京ドームの面積、観客席も三万三千平方メートル、目いっぱい観客が入っても五万五千人、それより狭い場所に十一万人が入るはずは到底あり得ないのです。
 そこで質問をいたします。
 集団自決に軍の命令、強制、関与がなかったことは実証された史実でありますが、知事の所見を伺います。
 政府・文部科学大臣は、いわゆる十一万人集会が報じられるや、方針転換を示唆して、政治介入に屈する発言を行いましたが、知事の教科書検定制度とこの虚報十一万人集会報道についての所見をお聞かせください。
 次に、仮称海の森について質問を行います。
 私は五年前、平成十四年の予算特別委員会において、中央防波堤埋立地八十八ヘクタールに計画されている海上公園、海の森構想を取り上げ、インドのタゴールの日本精神への期待や、ペリーが称賛したかつての東京湾の美しさを紹介しながら、日本人の自然観、精神文化に基づく平成の森づくりを提言いたしました。石原知事は、うっそうとした森づくりのために、一握の土、一本の苗木の持ち寄りを全国の皆さんにお願いすると答弁されました。
 続いて、平成十六年六月議会では、南方熊楠の自然と人間観を紹介して、森の名称を平成鎮守の森を提案し、石原知事は、明治神宮の森の例を挙げ、子孫への大切な贈り物として全力で実現すると明言されました。
 本年七月、いよいよ石原知事も出席して植樹式にこぎつけ、あわせて、苗木の費用に充てる海の森募金も始まりました。
 我々人間は、他の動物とは比較にならないすぐれた頭脳を駆使して、生活に便利なもの、快適にしようとするものを数々文明の利器として生み出しました。しかし、同時にそれは、環境を破壊し、人間の精神までむしばんでいます。この物質科学文明の暴走を象徴するのが、まさに東京湾のごみの島であります。
 「歴史の研究」を著したアーノルド・トインビーは、我々が選んだ人類の名称はホモファベル、工作人ではなく、ホモサピエンス、賢い人であると、著書「未来を生きる」の中で述べ、現代文明の危うさを突いています。
 物質文明のツケは、人類の賢さで克服するほかありません。その賢さは、自然との和解、共生を超えた畏敬の念という心の姿勢であり、日本の伝統文化の観点からすれば、鎮守の森の考え方ではないでしょうか。つまり仮称海の森構想は、日本人の自然観、宗教観に基づく森づくりでなければならないのです。
 知事もご承知のとおり、あの土地には、平成八年に天皇皇后両陛下が全国植樹祭で植樹され、御製の碑が建てられています。また、都にドングリを贈り続けている全国氏子青年協議会を通じて、三笠宮寛仁親王殿下から来年八月に苗木を贈りたいとのご意向も仄聞しています。皇室や多くの国民から寄せられるこうした気持ちは、日本人の自然観を象徴するものであります。
 かかる伝統的価値観あってこそ、日本の地球環境問題解決への提言を世界に向けて訴えることができ、また、私ども日本人が失った日本の心を取り戻すことができるのではないでしょうか。この日本の姿こそ、オリンピック日本招致にも大きな誘引力となるはずであります。動き出したこの大事業の意義について、知事の認識を改めてお聞かせください。
 去る十月二十二日の会合で、安藤忠雄氏は、明治天皇が崩御して明治神宮の森がつくられた、だから、またあのような森ができるのではないかと述べました。明治神宮の森には、当時の国家、国民の心が宿っており、今に継承されています。つまり神が宿る森となったということです。
 ごみの島を単に埋立公園にすることは、物理的にはだれでもできることでありますが、そこにいかなる精神を込めるかが森づくりの大きな岐路となるのです。そのためには、海の森という名称は余りにも平板で味気がなく、文学的でもありません。
 平成の日本人が、そして東京が、科学的技術文明による危機感から、世界に向けて、神々の宿る森を後世への貴重な財産として創成した、平成鎮守の森の言霊を配した名称、例えば平成海の森にすれば、その知恵は次代へと継承されます。改めて名称の検討を求め、見解を伺います。
 加えて、将来的にはこの場所を、中央防波堤内側に限らず、外側、そして新海面処分場も取り込んだ大森林構想を検討されるべきだと考えます。現在の海の森の整備状況と今後の計画を伺います。
 また、平成八年度に行われた全国植樹祭の跡地でもわかるように、植樹の後の管理が大事です。今後、清掃や除草等の協力を申し出る団体が予想されますが、こうした希望にはどのように対応されるのか伺います。
 次に、公園整備について伺います。
 都は、平成十九年六月に策定した緑の東京十年プロジェクト基本方針において、都市公園をこれから整備することを数値を挙げて掲げています。その目標の達成のために、都と市区町それぞれが公園整備に積極的に取り組むべきと考えますが、まず、都はどのような取り組みを行うのか伺います。
 ところで、私の地元、日野市程久保三丁目においても、長年にわたり地元自治会や住民が市や都に対して公園緑地にしてほしいという、約三千三百平方メートル、千坪の場所があります。
 当該地は、今日まで十年間、民間業者が宅地や宗教施設等の種々の開発計画を示すたびに、地域住民に不安をもたらした、いわくつきのところであります。
 この土地は、多摩丘陵北部近郊緑地保全区域等の区域内にあって、明星大学があることから明星団地と一般に呼ばれている、約八百世帯のまとまった住宅地であるにもかかわらず、公園、広場がないのです。ゆえに、同地の公園等の整備を長年の課題として、住民は、当該民有地の公有化を市や都に求めてまいりました。しかし、この土地が都市計画公園・緑地の位置づけがないことから、今日まで未解決のままとなっているのです。
 本件土地には都有地が隣接しており、一部は都から無償で借用した遊び場、ほどくぼ地区広場と接しており、市の公園となることはごく自然なことであり、大きな意義があります。
 そこで、市町村が公園整備する際に都はいかなる支援ができるのか伺い、私の一般質問を終わります。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 古賀俊昭議員の一般質問にお答えいたします。
 まず、集団自決と日本軍の命令についてでありますが、沖縄戦の混乱の中で集団自決が行われ、多くのとうとい命が失われたことは、私たち日本人としても忘れてはならないことと思います。
 しかし、集団自決が日本軍の命令であったかについては賛否両論ありまして、曽野綾子さんの「ある神話の背景」はもとより、最近になって軍命令説をはっきり否定する新たな証言も出ております。軍命令説に基づく「沖縄ノート」の著者大江健三郎氏と岩波書店に対して、出版を差しとめる、損害賠償を求める訴訟が行われておりまして、先日、その大江氏の証言の一部でしたが新聞に載っておりましたが、それを読む限り、私には非常にたどたどしい印象にしか見えませんでした。あの人の政治性は、かつて防衛大学の学生を非難して、本当の青年の将来は北朝鮮にしかないという発言がありまして、これはどこかへいっちゃいましたが、谷沢永一氏が非常に鋭く指摘しておりましたけれども、いずれにしろ、軍命令説を断定的に記述する状況にはないと思われます。
 よって、先般の教科書検定制度と十一万人集会の報道についてでありますが、私は沖縄の方々がこれに反発する気持ちはわからないではありませんけれども、あの写真を見まして、集まった人の数が十一万というのはちょっと大げさだなと。ちらっと見ても、あの地域にそれだけの人が集まるスペースはとてもないと思いますし、丁寧な方が一つ一つ数えたそうでありますけれども、大体ああいう集会や労働組合のデモを見ましても、主催者と警察側の発表は大分食い違っていまして、せいぜいあれの四分の一、三分の一が妥当なところじゃないかと思いますが、いずれにしろ、検定意見の撤回を求める沖縄県民の集会のあの写真の印象に左右されて、政府の対応が揺らぐ、教科書検定が左右されるというのは、非常に思わしくないと思います。
 公教育における歴史教科書は、事実の堆積としての歴史を正確に伝えることが必要でありまして、政治的な思惑で歴史事実を書きかえることは許されてはならないと思います。
 海の森事業の意義についてでありますが、都は「十年後の東京」で、水と緑の回廊に包まれた美しいまち東京を復活させることを第一の目標としておりますけれども、海の森の整備はその第一歩となるものであります。
 ごみと残土の埋立地を緑の島に生まれ変わらせ、東京湾から都心に向かう風の道をつくり出していくこの事業は、地球環境問題への取り組みとなる、世界でもかなりユニークなプロジェクトであると自負しております。東京湾に創造される緑あふれる島は、日本人が持っている豊かな自然観を次世代に伝える贈り物となると考えております。
 他の質問については、関係局長から答弁いたします。
   〔港湾局長斉藤一美君登壇〕

○港湾局長(斉藤一美君) 海の森に関します三点のご質問にお答え申し上げます。
 まず初めに、海の森の名称についてでございますが、都は、平成十七年二月に港湾審議会から海の森基本構想の答申を受けまして、本年二月、海上公園計画に海の森を位置づけ、整備に着手したところでございます。
 今後、都民の協力を得ながら着実に整備を進めてまいりますが、開園に向けました名称につきましては、この事業がごみと残土の埋立地を緑あふれる大きな森とする歴史的な事業であることや、募金、苗木づくりなどの先行事業の中で海の森という名称を使用し、都民に一定程度定着していることを考慮に入れながら検討してまいります。
 次に、海の森整備の現状と今後の計画についてでございますが、都はこれまで、海の森の整備に向けた準備といたしまして、小学生による苗木づくりや街路樹の剪定枝葉等を活用した堆肥生産を行ってまいりました。本年七月には、広く都民の参加を呼びかける海の森募金キックオフイベントを開催し、海の森予定地でこの間育成してきた苗木による記念植樹を行いました。
 来年度からは、幅広い都民参加による植樹を本格的に開始することとしておりまして、今後三年間は、潮風の影響を緩和するために、南側斜面を中心として森づくりを進め、十年程度で海の森を概成させる予定でございます。
 最後に、海の森への協力を申し出る団体への対応についてでございますが、海の森は、苗木づくりから植樹、森の管理まで、森づくりの各段階で広範な都民の参加を得て進めていく事業でございます。このため、植樹の進展に伴って清掃や除草等の森の管理が重要な課題となってまいります。
 したがいまして、今後、森の管理につきましても、個人や団体の参加を積極的に受け入れる必要がございまして、公募方法や参加受け入れの仕組みを早急に検討してまいります。都民の協力を積極的に受け入れることによりまして、都民がみずからの手でつくり、育てる森と実感できる海の森をつくってまいります。
   〔建設局長道家孝行君登壇〕

○建設局長(道家孝行君) 二点のご質問にお答えいたします。
 まず、緑の東京十年プロジェクト基本方針に掲げる目標達成に向けた公園整備の取り組みについてでありますが、緑の東京十年プロジェクト基本方針において、緑の拠点となる都市公園の整備は、水と緑の回廊で包まれた美しいまち東京の復活や、既存の緑のネットワーク化などを進めていく上で、重要な取り組みの一つに位置づけております。
 このうち、都立公園の整備に当たりましては、道路や河川と一体的に緑の軸を形成する公園、防災の拠点となる公園、里山の自然環境を保全する丘陵地の公園などを積極的に整備してまいります。
 このため、整備に必要な用地については、一団のまとまりのある大規模な用地や、既に開園している地区に近接する用地など、整備効果の高い用地を戦略的かつ着実に取得するとともに、丘陵地の公園などでは借地公園制度を活用してまいります。
 次に、市町村が公園を整備する際の都の支援についてでありますが、都立公園整備とともに、市町村が行う公園整備は緑の拠点づくりとして重要であります。
 このため、都は、市町村への支援として、技術面においては、市町村が緑地保全や緑化の推進の目標などを定める緑の基本計画の策定に際して助言を行うとともに、防災公園やバリアフリー化などの整備計画や内容について指導を行っております。
 また、財政面においては、市町村土木補助により支援を行うとともに、国庫補助金を市町村が受けられるよう国に対して強く働きかけております。
 今後とも、都立公園の整備を積極的に進めていくとともに、市町村による公園整備の促進を図り、緑の東京十年プロジェクト基本方針に掲げる目標の達成に向けて取り組んでまいります。