平成十六年東京都議会会議録第九号

○議長(内田茂君) 六番鳩山太郎君。
   〔六番鳩山太郎君登壇〕

○六番(鳩山太郎君) 私は、自分が生まれ育ったふるさと文京の魅力を守ることを出発点として、この東京全体のあるべき姿を提言していきたいという思いから東京都議会議員になり、本日、第二回定例会の本会議の場で、初めて一般質問をさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 この東京を、安全・安心、快適で夢や希望にあふれる日本を代表する都市とすることが、この日本を、次世代の若者たちが夢を失わない魅力的な国とし、愛することのできる国にすることにつながると信じています。この点で、知事が東京から日本を変えるという強い信念のもとに、常に日本全体の変革を視野に入れた取り組みに尽力されていることに深く共鳴するものであります。
 しかし、地方分権の時代とはいいながら、いまだ中央集権が色濃く残る我が国で、一自治体にすぎない都が独自の取り組みを実現していくことは、決して容易ではありません。立ちはだかるさまざまな困難を前に、知事が、国の政治家や官僚の危機意識の欠如、対応の遅さに業を煮やしつつも、果敢にこれに挑戦し、国に先駆けた斬新な施策を次々に実行に移され、政治の閉塞状況に突破口を切り開いてこられたことは敬服の念にたえません。
 そこで思い起こされますのは、かつて知事が、平成七年に国会議員在職二十五年を迎え、永年在職表彰を受けられた際に、国会の場で発言された言葉であります。石原議員は、当時の政治状況について、すべての政党、ほとんどの政治家は、最も利己的で卑しい保身のためにしか働いておらず、このことに国民がもはや軽べつを通り越してただ無関心に過ぎており、これは政治の本質的危機というしかないとの認識を示されました。また、新しい歴史のうねりの中で、日本が国家としての意思表示すらできない宦官のような国家に成り果てているとし、これを官僚による政治支配のせいであるというなら、その責任は、それを放置しているすべての政治家にこそあると断じられました。そして、ご自身も政治家の一人として恥じ入り、ざんきするのみであるとのまことに痛切な言葉を残して、惜しまれつつも国政の場を去られたのでありました。
 知事の永年在職表彰の演説を議場で聞いていて、本日、私の一般質問を傍聴に来てくれている父、鳩山邦夫も、身も震えんばかりの感激と共感を得たと私に熱く語ってくれたことを思い出します。
 それからはや九年がたちました。一たび国政から身を引かれた石原氏も、新しい政治のありようを首都東京からつくり上げていきたい、発信していきたいとの熱意から都知事となられ、先ほども申し上げたとおり、先駆的な取り組みを通じて、自治の現場から国政を動かすという目覚ましい実績を重ねておられるところであります。
 そこでお伺いいたしますが、地方自治のリーダーともいえる首都東京の知事の立場から、改めて現在の我が国の政治のありようをどのように感じておられるのか、知事のご所見をお聞かせいただきたいと思います。
 次に、自然との共生についてお伺いします。
 私は、今日の地球環境問題の現状を見るにつけ、次の世代、百年後の世界人類や日本人にどうすれば豊かな地球環境を引き継ぐことができるのか、私たちは何をなすべきか、今こそ真剣に考えなければ取り返しのつかないことになるという、地球環境問題に対する熱き思いから政治の道を目指しました。
 地球の歴史は四十六億年といわれていますが、巨大恐竜たちが数千万年から一億年近く繁栄を続けたのに対し、我が人類は、わずか数万年の間にその繁栄が極めて危うくなってきております。
 地球温暖化の影響により、昨年夏にはヨーロッパで約二万人が死亡するような熱波が発生したり、冷夏、豪雨や干ばつなど、一度に多数の死者を出すような異常気象が増加しております。また、熱帯雨林の破壊、砂漠化、オゾンホールなどの問題もますます深刻化してきております。
 私は、こうした状況をもたらした原因は、自然との共生を考えないで、人間がその欲望の赴くままに資源やエネルギーを浪費し、地球環境を回復できないような状況まで悪化させたことにあると考えています。
 一九七二年にローマクラブは、百年以内に地球上の成長は限界に達すると警告する「成長の限界」という報告書を著し、一大センセーションを巻き起こしました。この報告書の基本的な視点は、石油などのエネルギー資源やレアメタルなどの鉱物資源が枯渇するという危機感に立つものでした。しかし、今日では、エネルギー資源が枯渇することが問題ではなく、石油などを消費してエントロピーが増大することが問題となっています。
 日本の江戸時代は、大変高度なリサイクル社会であったといわれています。例えば、明かりとして菜種の油を燃やすけれども、その翌年には再び菜種が生産できる。それに対して、産業革命以降は、石油、石炭など地球がストックとして持っていたものを奪い、取り入れ、使うようになってきました。
 ストックに手を出していくと、産業や経済は右肩上がりに発展を続けます。ところが、一方的に奪い続けることは共生の原則の放棄につながり、地球システム全体から反作用を受けるようになる。それが地球環境問題の本質であり、その典型例が、石油を消費することで地中に固定化されていた炭素がCO2として大気中に放出される温暖化問題なのであります。
 東大の松井孝典教授は、地球のストックを食いつぶすのはもうやめて、人間を取り巻く環境の中で、物質やエネルギーのフローの部分、つまり循環と再生の可能な部分だけを使っていくべきだと指摘しています。
 産業革命からわずか二百五十年、人類はこのわずかな間に、地球のストックを使い続け、地球の環境を破壊し、生態系を狂わしてきました。私は、今さら、人類が産業革命以前の生活に戻れるとは考えていませんが、今こそ私たちは、リサイクルや自然エネルギーなどを積極的に活用し、ストックの食いつぶしを減らすフロー社会の文明を目指すべきと考えます。地球環境問題の克服、そして人類の運命は、自然と共生しようとする強固な意志を私たちが持つことができるか否かにかかっていると考えるのであります。
 この点について私は、石原知事の「日本よ」の中で、みずから開発してきた文明が生存にかかわる環境破壊を続けているのに、それを抑制できないというのは、自分で自分の首を絞めているということである、この地球が有限であり、その認識を踏まえた真にグローバルな新しい価値観が求められているとの文章に出会い、私の思いと相通じるものとして、大変感銘を受けました。
 こうした明確なビジョンをお持ちの知事だからこそ、対応の遅い国に先駆け、ディーゼル車規制の困難な課題に正面から立ち向かい、強力なリーダーシップのもと、東京の大気汚染の改善に大きな成果を上げられたと高く評価するものであります。
 地球環境問題は、文明のあり方そのものが問われる問題であり、人類の存続にかかわる問題として、ますます重要性を増しております。知事におかれましては、対応の遅い国を動かすような積極的な取り組みを進められることを強く期待するものであります。
 そこでお伺いしますが、地球環境問題に対する取り組みを進めるに当たって、知事はどのような基本認識をお持ちなのか、文明論的、哲学的な視点からご所見をお聞かせください。
 最後に、東京ドームの競輪についてお伺いします。
 平成十五年第二回定例会において、知事が東京ドームの施設を活用した競輪を開始したい旨を表明されて以来、私の地元文京区では、区民などで組織された後楽園競輪再開反対文京区民連合、そして、煙山区長を本部長とする後楽園競輪再開反対本部が区議会とともに大規模な反対運動を行っています。
 これらは昨年九月に合同の総決起集会を開催し、反対連合会長、文京区長、文京区議会議長名で後楽園競輪再開に反対する要請書が知事、議長あてに提出されました。
 そして、その後も活発な活動を展開しており、署名や募金活動などを、成人式やさくらまつりなど区の行事を初め、ありとあらゆる場面で行っており、私も区内のさまざまな行事に出席するたびに、その勢いをひしひしと感じているところです。区内には独自に活動している団体もあり、これらを合わせると、後楽園競輪反対運動に参加している区民は延べ二千人を超えているといわれ、署名も三万人を超え四万人にも達するのではないかと聞いており、競輪再開反対の輪は確実に広がっているように感じます。
 私自身も生まれ育った文京区は、十一万平方キロメートルに百二十五もの教育機関が集積しており、生徒、学生の昼間人口になると、約八万人にも及ぶ文化の香り高い「文の京」です。多くの文京区民の皆さんが、競輪は「文の京」にはふさわしくないと考え、これ以上のギャンブル施設は断固拒否するといっており、知事の撤回宣言があるまで反対運動は続くものと思われます。
 私は、後楽園競輪再開については、文京区民の多くの方が関心を持たれ、文京区のまちづくりの将来にかかわることから、文京区並びに東京都の関係者がそれぞれの立場から広範な協議を十分に行われることを望むものであります。
 知事はこれまでの都議会での答弁において、競輪再開に当たっては地元文京区並びに文京区民、また広く都民の理解が必要であるとして、その認識は変わらないといっておられますが、一方で、競輪について都市型の新たな娯楽として、若者や女性にも楽しめる現代的でスマートなイメージ、かけごとという古いイメージを打破することについて、内部で検討するともいっています。
 そこでお尋ねいたします。
 昨年、第二回定例会での表明以来、内部ではどのような具体的検討がなされてきたのでしょうか。また、それらを受け、今後どのように進めるお考えなのか、お伺いをいたしまして、私の一般質問を終わらせていただきます。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 鳩山太郎議員の一般質問にお答えいたします。
 まず、我が国の今日の政治のありようをどうとらえるかということでありますが、せっかく私の永年勤続の表彰のときに、あれを節目に引退しましたが、そのときの演説を引用していただきましたので、あれに尽きているわけでありまして、あれから日本の政治は本質的に全然変わっていないと思います。
 やっぱりいってみると、役人の決めたルーチンにおぼれてしまって、実にむだなことをだらだらだらだらしてという印象は否めない。結局、それはそれぞれの保身にしかつながっていない感じがいたします。一人でも二人でも時代、世代、立場を超えた垂直な価値観を持ち、国家に対する垂直な愛情というものを持った政治家が、ぴりっとした方がいてくれれば国民も救われるのでしょうが、残念ながら、何かこう荒涼とした砂漠を見るような感じが否めません。
 私自身がそういう状況に対して責任を負わなくちゃいけないキャリアがあるわけでありますから、もうこれ以上のことを申しませんが、何とか国民が納得する、つまり先ほど申しましたように、正当な歴史観にのっとった、鋭い正確な現実把握というものを政治全体が持って、そして的確な政策というものを討論の材料として国民の前に提供してもらいたいなと思っております。
 次いで、地球環境に取り組むに当たっての基本認識でありますが、図らずもあなたも松井孝典さんの言葉を引用されましたが、私も彼と何度か対談して、非常にインスパイアされましたが、やっぱり彼のいうとおり、私たち人間が文明というものをつくって、この地球の循環というのを狂わせてしまった。
 だから、よくこのごろ、しきりに何かにかにいわれます、地球に優しい、何々に優しいと商品の宣伝に使われている言葉ですが、全く人間の僣越といいましょうか、ふざけた話でありまして、私たち、やっぱり自分の存在の背景、後背、舞台であるこの地球はそれほど長くないという認識をそろそろ持たないと、あっという間に我々の存在の舞台というのは舞台として消滅する。あとカラスやゴキブリが生き残っていても、人間以外の動物というのは存在というものを認識できないわけでありますから、つまり、自分の存在というのを意識しない動物が幾らばっこしても、実質的にこの地球というものは存在しないということになるわけで、そういう点で来るところまで来たという感じがいたします。ローマクラブのまさに予見が当たってきた。
 実は二年ほど前に、私も含めて二千人ほどの内外の専門家に、ある出版社がアンケートをしまして、この地球があとどれぐらいもつかという簡単な質問がありました。私は七、八十年だろうと答えたら、圧倒的にそれが多うございましたが、それが良識のある人間の正当な危機感であると私は思います。
 しかし、これもこの答弁の中で何度もいってきましたが、やはりそれを何とか食いとめる志というものを持つことを努力することが必要でありまして、京都の議定書が相変わらずああいう形でほったらかしにされている。あるいは、南アフリカで久しぶりに環境サミットが行われても、結局物事がまとまらない。しかし、なお日本は日本で、私たちは東京は東京で食いとめる努力をしませんと、自分たちの子孫に顔向けがならないと私は思います。
 すぐれた作家であった開高健が、これは彼の言葉じゃなしに、ゲオルグというヨーロッパの詩人の言葉だったようですが、よく色紙に書いておりました。繰り返して申しますけど、あした地球が滅びるとも、君はきょうリンゴの木を植える、その姿勢というものが私は今こそ必要じゃないかと思います。
 他の質問については、都の幹部から返答させます。
   〔財務局長櫻井巖君登壇〕

○財務局長(櫻井巖君) 競輪についての検討状況についてお答えいたします。
 これまで競輪につきましては、知事からお話ししてまいりましたように、かけごとという古いイメージを打ち破りまして、若者や女性にも楽しめる斬新でスマートな競輪のあり方について、現在、内部において調査検討を行っている段階であります。
 今後の進め方でありますが、都市型の新しいエンターテインメントの試みとしまして実施するには、地元文京区及び文京区民、並びに広く都民の方々の理解が必要であると考えておりまして、今後とも関係者の理解が得られますよう、先生にもご参加いただきまして、さらに検討を進めてまいりたい、このように考えております。

○議長(内田茂君) 以上をもって質問は終わりました。

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