平成十六年東京都議会会議録第三号

○議長(内田茂君) 七十五番相川博君。
   〔七十五番相川博君登壇〕
   〔議長退席、副議長着席〕

○七十五番(相川博君) 東京を含む南関東地域の直下型大地震はいつ発生しても不思議ではない時期になっており、東京圏の危機克服のための防災都市づくりを強力に進めることは喫緊の政策課題の一つであります。
 都は、昨年九月、防災都市づくり推進計画の基本計画を改定いたしました。しかし、リダンダンシーの確保、あるいはセキュリティーとアメニティーの結合といった防災都市づくりを進める上での重要な視点に照らすと、都の改定基本計画は、行政プランとしては評価されても、残念ながらセキュリティーに傾斜し過ぎていると指摘せざるを得ません。
 整備プログラムの策定が迫った今、セキュリティーを偏重した都市づくりは、結果として都市を無味乾燥なものにしてしまうという前提に立って、空、山、川、まちという四つの言葉をキーワードとした都市計画の可能性について問題を提起させていただきたいと思います。
 まず一つは、空の都市計画であります。
 河川は都市空間の中で貴重な連続的開放空間であり、都民に眺望やレクリエーションの場を提供しています。非常時においては、水運を利用した防災活動軸として活用することが検討されてきておりますし、また、ヘリコプターによる緊急救援活動のルートとしても非常に重要な空間であります。
 しかしながら、河川空域にはところどころに電線などの架線が設けられており、河川上空に障害物がないわけではありません。こうした障害物を除去し、河川上空での連続的な空の空間を確保する都市計画を確立する必要があります。
 また、東京圏内に立地する飛行場においては、当然のことながら航空管制が設けられていますが、非常時においては、航空管制の枠組みを超えた緊急飛行活動が必要なことが十分に想定されるにもかかわらず、その時点で個別に調整することになっており、この非常時の空域活用についてのルールを定めることも重要な課題の一つであります。
 河川上空域、飛行場の周辺空域を含めた整合性のとれた一体的な空域の平時及び非常時のコントロールシステムを確立することが必要であり、それは、まさに空の都市計画ではないかと思うのであります。この空の都市計画は、都市の景観上も極めて有効な機能を持ちます。
 かつて江戸の都市設計は、富士山、筑波山の眺望を都市の街路に取り込めるように街路の軸線が設定をされていました。広重、北斎の江戸風景画の中に富士山が描かれたものが数多くありますが、それはこの都市設計の所産であったということができます。
 今、東京の富士見と名のつく場所のほとんどで、地上から富士山が見られなくなってしまいましたが、富士山に向けて五百メートルの直線道路を確保できれば、地上からの風景に富士山を取り込めることがよく知られています。こうした障害物のない軸線を都市に生み出すことも、空の都市計画のテーマの一つであります。
 パリを初め、多くのヨーロッパの都市で実施されているビスタラインの保持という都市の景観コントロールに、この空の都市計画はつながるものということができます。
 地上を対象とした都市の土地利用計画が表の都市計画とするならば、この空の都市計画は都市の空域を対象とした裏の都市計画であるともいえ、この表裏の都市計画の実現によって、日本独自の都市計画技法を樹立することになるものと期待を持つものであります。
 次に、山の都市計画についてであります。
 都立武蔵野公園の一角に、地元の人たちがくじら山と呼んでいる小さな頂があります。このくじら山は、公園の近くで学校を建設する際発生した残土を、処理に困った市が都と相談して、とりあえず暫定的に公園の一角に仮置きしたものであります。それがいつの間にか忘れ去られ、残土の小山には草が茂り、樹木が育ちました。現在は緑に包まれたくじら山が優美に横たわっており、犬を連れた散歩の人々の出会いと憩いの場になっています。
 北京の故宮の裏側に、景山という高さが四十三メートルの小山があります。この景山は、故宮の堀をつくったときの残土を盛って造成した人工の小山であります。今は景山公園として、また、故宮全体を見渡すことができる高台として多くの市民に親しまれています。
 東京の戦災復興計画の陣頭指揮をとった元東京市技監の石川栄耀氏は、見晴らしの民主化という言葉を残しています。氏は、戦災復興事業のささやかな成果の一つとして、武蔵野台地と下町低地の境界線上の崖線の上端にところどころで小公園を配置し、下町低地の町並みを見渡すことができる眺望スポットをつくりました。
 さて、東京に展開する連たん市街地は、古い建造物を新しくする更新が継続され続けて今日に至っています。今後においても連綿と続いていく更新は、古い建造物を除却することで廃材が発生し、地下をつくり、あるいは基礎をより掘り下げることによって残土を排出することになるわけであります。
 都市の成長は、こうした建設残土を大量に生み出しながら続けていくことが宿命づけられているわけであります。都市発展に伴う残土の大量発生の処理は、日本列島の東京以外での埋め立てニーズにこたえるものとして、従来その多くが活用されてきました。
 しかしながら、環境問題への国民の関心の高まりを思えば、そのような処理方式もいずれ限界が来て、東京以外に持ち出すことが難しくなることは明らかであります。
 大規模な既設の公園、緑地あるいは空地、低未利用地といった場所を慎重に見きわめながら確保し、そこに残土を盛ることで、くじら山のごとく、景山のごとく、見晴らしを楽しめる眺望公園として整備することを提案させていただきたいと考えます。この眺望公園は、当然有事の際の避難場所として有効に機能することになるはずであります。
 次に、川の都市計画についてであります。
 一九三二年、昭和七年に設置された東京緑地計画協議会は、当時の内務次官を会長とし、内務省、都市計画東京地方委員会、東京市、警視庁、東京府、神奈川県、埼玉県、千葉県などの関係官公庁によって構成され、七年間にわたって調査、立案活動を行いました。
 東京緑地計画の計画区域は、東京五十キロメートル圏、九十六万二千五十九ヘクタールに及びました。協議会が計画対象とした緑地は、環状緑地帯や大公園に始まり、公園道路、墓苑、市民農園、史跡名勝、風致林、自然公園、景園地までも含む極めて広い概念であったということであります。東京緑地計画は、日本の都市計画及び公園史上初めての大規模かつ具体的なマスタープランとされています。
 この計画の行楽道路とくさび状緑地の計画を具体化するために、新しい概念の都市計画道路、すなわち保健道路と称されているものが計画をされました。これは、大規模な緑道公園、親水公園のネットワークであり、河川沿いに幅三十五メートルから五十メートルの歩行者専用道、乗馬道を整備しようとするスケールの大きな緑のプロムナード計画でありました。
 それを具体化するために、一九四〇年から四三年にかけて、玉川上水、千川上水、石神井川などの八路線の都市計画決定が行われました。この都市計画決定は、現行の都市計画の河川沿いに指定されている都市計画緑地に受け継がれていますが、その実現ははかばかしく進んでおりません。
 東京圏には、大小の河川が多く分布しており、その河川網を保健道路の精神を生かしてネットワークとして整備することは、東京圏全体の防災軸形成のために極めて重要であり、東京圏のアメニティー軸としても大きな役割を果たすものといえるでしょう。
 また、水という切り口から考えると、湧水や井戸の保全も、災害時の緊急的飲料水として確保するという観点から、非常に重要なことであると考えます。
 最後に、街の都市計画についてであります。
 都市再生法の都市再生特別地区に指定されると、既存の用途地域に基づく規制がすべて適用除外とされた上で、自由度の高い計画が定められる特別の都市計画が実施できるとされています。これは、低迷の続く我が国経済の浮揚策として発案され、具体化が進められているわけであります。
 この特別地区の規制緩和によって、良好な都市のストック形成が図れるという期待がある一方で、都市空間全体から見れば、その地区に限定したメリットを特定の関係者が享受できるにすぎないものということもできるわけであります。
 都の防災都市づくり推進計画では、木造住宅密集地域などの中から十一地域、約二千四百ヘクタールを重点整備地域に指定し、各種事業を重層化、集中化して活用し、整備の推進を図るものとしています。
 しかし、現実には、都や区の財政逼迫状況から十分な資金を準備できないこともあって、その整備は遅々として進んでいません。都市再生特別地区と重点地域の整備を連結して進めるという発想が必要ではないでしょうか。
 ちなみに、アメリカのピッツバーグでは、市の中心部に当たるダウンタウンをゴールデントライアングルと呼び、その地区内では思い切った容積緩和を実施しています。その容積緩和による開発利益の一定額を市が吸収する仕組みをつくり、その吸収した利益をブライテッドエリア化が進んだ低所得者層の住む住宅街の環境改善に充てるというリンケージプログラムをつくり出し、複眼的な施策を推進しています。
 東京においても、都市再生特別資金が生み出す開発利益を公的機関が吸収し、その果実を木密市街地解消に投入するリンケージプログラムを樹立すること、そして、そのプログラムの中に都が震災復興グランドデザインで提案している緑の回廊構想も位置づけること、このことが、ここでいうまちの都市計画であります。
 以上、問題提起をさせていただきましたが、知事並びに関係局長がどのようにお受けとめになられたか、率直なお答えをお聞かせいただくことをご期待申し上げ、質問を終わります。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 相川博議員の一般質問にお答えいたします。
 空、まあ空間、山、川、まちの都市計画についての問題提起でありますが、非常に多くの啓示、暗示に満ちた質問だったと思います。
 都市計画もベクトルを変えて、セキュリティーということだけではなくて、機能面だけではなくて、東京の都市空間の特質に着目し、風景や水、緑といったアメニティーの視点を重視すべきだという問題提起と理解いたしました。
 まことに同感であります。ただ、いささか東京は混乱し過ぎて、もう追いつかないんじゃないかという気が慨嘆として感じられますが、かつての江戸やヨーロッパでは、眺望のための軸線が都市に設定されるなど、都市計画として、デザインの持続性を維持していく施策がとられておりました。
 しかし、敗戦の後の焦土と化した東京の立て直しのときに、余りに焦り過ぎたか、ともかく都市計画局なるものが東京にもありましたが、ほとんど無計画に復興が行われて、あるものにも書きましたけれども、私の執務室の前に、寛永年間に撮られた愛宕山からの江戸のパノラマ写真があります。それともう片方には、都庁の屋上から撮った三六〇度のパノラマティックなカラーの写真がありますが、この二つの写真の美醜のコントラストというのは無残なほどのものでありまして、ご指摘の川にしましても、かつて日本の初代の商工会議所の会頭でありました渋沢栄一さんは、日本は、東京はベニスのような町だ、この芳醇な江戸時代につくった水路というものを活用して、アジアのベニスにしたいということをいったそうでありますが、結局、国がやったことは、すべての河川を、運河も含めて三枚ばりにしまして、その水路をたどっていっても、どこでも陸に上がることのできない、川に面した建物は全部、川に背中を向けて、裏口も川に向かっていない、こういうていたらくの町になってしまいました。
 極めて残念な結果でありますが、いずれにしろ、これから先、どれだけ可能性としてのキャパシティーがあるかわかりませんけれども、都市計画を初め各施策を講じる際には、もう少し複合的、重層的な分析も重ね、その方向性を定むべきと考えておりまして、その意味で、ご提案のような視点を十分に参考にしながら、できる限り東京の魅力向上に努めていきたいと思っております。
 他の質問については、都市計画局長が答弁いたします。
   〔都市計画局長勝田三良君登壇〕

○都市計画局長(勝田三良君) 空、山、川、まちをキーワードとした都市計画の可能性についてでございますが、セキュリティーとアメニティーを結合させた防災都市づくりにつきまして、大変幅広い視点から具体的な課題の提示やご提案をいただきました。
 新たな発想で、わかりやすさやアメニティーといった面を重視すべきとの問題提起でございまして、参考とさせていただきたい点が多く含まれていると受けとめさせていただきました。
 ご提案のうち、例えば空の都市計画について、富士山や筑波山についてのお話がございましたが、東京には、東京駅や国会議事堂など歴史性と象徴性をあわせ持ったビスタ景観や、皇居周辺や臨海部など空に開放された眺望景観を初めとするすぐれた景観資源がございます。これらの貴重な景観資源を生かし、首都東京の景観づくりを進めていくことが、ご指摘のような空の都市計画と考えられます。
 山の都市計画につきましては、見晴らしといった要素を取り入れた起伏のある公園の整備に関するご提案で、建設発生土の活用も含め、地域によっては有益なものであると考えます。
 川の都市計画につきましては、ご指摘のように、東京緑地計画を受け継ぐものといたしまして、善福寺川緑地などにおいて事業を進めてきた経緯があり、今後とも計画実現に向けて検討を進めていきたいと考えています。
 あわせて、河川に隣接する民間の開発計画に対して、親水性の高いオープンスペースの確保などを誘導し、河川の空間を活用した水と緑のネットワークの形成に努めていきたいと思います。
 まちの都市計画については、ご指摘のように、木造住宅密集地域の整備を単独で考えるよりも、他の事業と連携させることが有効でございまして、例えば、都においても、都市計画道路の整備や、都有地を活用した先行まちづくりプロジェクトなどと連携する方策について検討しております。
 このほかにもいろいろご提案をいただいておりますが、これらについて、都市計画の制度として取り込んでいくことが困難な場合もあろうかと思いますが、可能な点について は、ご提案の趣旨を参考としながら、防災を初めとした都市づくりに取り組んでいきたいと考えております。

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