平成十五年東京都議会会議録第三号

○議長(三田敏哉君) 百二番小林正則君。
   〔百二番小林正則君登壇〕
   〔議長退席、副議長着席〕

○百二番(小林正則君) 私は、玉川上水の史跡指定、それから知事の考える国の形、そして区市町村の合併の三点についてお伺いをいたします。
 これらの質問は、この四年間に何度か質問したわけですが、宿題になっていたもの、あるいは検討課題になっていたものなどであります。そこで、知事の任期がちょうど終了するこの機会に合わせて、できるだけ知事自身の口から答弁願います。
 それでは、玉川上水の文化財保護法による史跡指定について伺います。
 この問題は、私が初当選以来何度となく質問してまいりました。鈴木俊一知事、青島幸男知事、そして平成十三年の予算特別委員会での石原知事であります。石原知事は、私が質問をしたときに、国との間で地権の所在をはっきりさせ、文化財として保護したいと答弁をされました。この間、スーザン・ハンレーという方が書かれた「江戸の遺産」というものを読みました。その中で、神田上水や玉川上水などの記載があり、日本がかなり進んだ文明国家であるということが記されておりました。
 玉川上水を守る会の人たちや、この玉川上水を世界の遺産にしようと活動している人たちと、史跡指定の話題は尽きませんでした。そんな矢先に、新聞で、史跡指定に申請すると大きく報道されました。歓迎するとともに、不安も出てまいりました。
 そこで伺いますが、史跡指定に向けた今後のスケジュールはどうなっていくのでしょうか、お答えを願います。
 さて、この間、都庁内では、この玉川上水の史跡指定に向けた動きとして、保全協議会をつくり、知事本部を調整役に、水道局と教育庁、環境局、それから建設局、都市計画局と、実に多くの局がかかわってまいりました。これが、玉川上水の問題がなかなか前進しなかった原因ではないかと考えております。それは、どこの局も責任をとることなく、かかわりを避けていたわけであります。そのことが、今後の史跡指定の後の管理や運営に影響が出ないのかと心配でなりません。
 今回の史跡指定の中身は、三百五十年前、江戸に飲み水を運ぶ用水路の土木技術の掘り割りが対象であります。従来の史跡指定の多くは建築物で、金閣寺や銀閣寺のように、管理や保全については大体理解できますが、今回のように土木技術の水路が指定されたことは、極めて珍しいからであります。その意味からも、さまざまな課題は、すべてこれから手探りでやっていくとのことであります。
 そこで伺いますが、指定の後の維持管理に向けた東京都庁の中の体制はどのようになっていくのか、所見をお伺いいたします。
 くれぐれも、お互いに権利が複雑に絡み合っていますので、形はできたがだれも責任を負わないようなものだけはやめてほしい、責任を明確にした体制をぜひとっていただきたいと要望いたしておきます。
 さて、この玉川上水が四十三キロにわたり都市の開発から守られてきたことは、奇跡に近いといわれております。多摩川から放流がとめられ、空堀となり、その後、不法投棄が相次ぎ、ふたかけや埋め戻し一歩手前まで進んでいたということであります。それを地元の人たちが清流復活事業を通して守り続けてきたのであります。
 そこで、提案と要望ですが、史跡指定の後の維持管理、そして活用などについては、市民の皆さんにも積極的に参加してもらうべきと思いますが、これは要望にしておきます。
 さて、次に、この玉川上水からさらに分水している野火止用水に関して質問をいたします。
 野火止用水も玉川上水同様、三百五十年の歴史を持っております。現状の野火止用水を見ると、管理に一体性がなく、管理手法に温度差があります。例えば用水の中心に境界がある場合、片側が鉄さくで反対側が偽木であったりします。野火止用水も、玉川上水に劣らない貴重な水路の財産であります。周囲の景観に配慮した一体感のある管理が必要と考えますが、所見をお伺いいたします。
 次に、国の形についてであります。
 一昨年三月、予算委員会でのやりとりで、知事は、東京都知事だから選挙に出たと話され、また、平成十一年の十二月の私の一般質問で、国の行政権に地方自治体は拘束されないとされる、内閣法制局長官の憲法六十五条に関する解釈について質問したわけですが、知事はそれに対して、法制局の解釈は妥当と認識を示されました。
 また、外交についても、私が、自治体外交は国の外交に拘束されないということをいいましたが、知事は、国の外交とはもともと本質的に違うものであるから、結論は出せない、難しい問題であるというふうにいわれました。
 さらに、知事は口ぐせのように、東京から国を変えるといっております。最近では、北川三重県知事らも、変化に対応できない国、指導力のない国に失望し、自分たちが変わることで国に変化を促すというふうにいっております。
 国政復帰への待望論が今も残っております。石原知事はどのような国を目指しておられるのか、所見をお伺いいたします。
 また、知事は、地方分権や地方主権について、真の自治を確立するには、自治体みずからがその特性、個性を踏まえた行政運営の目標や理念を掲げ、それを実現するために新しい発想による有効な施策を提示し、勇気を持ってそれを実現していくことだと述べております。それは自治体が自立し、国と対等な地方政府となったときに、国と都道府県がどのように役割を分担し、協働していくのか、明らかにしていかなければならないと考えております。
 一方、区市町村から見ると東京都は国と同じように大きな地方政府だと、区市町村の職員がいっているわけであります。都の仕事のかなりの部分が区市町村への補助事業であり、各種団体や機関への許認可事業であります。
 そこで伺いますが、知事は、国と都道府県との関係についてどのようにイメージをされ、また区市町村を束ねる都道府県の長として、区市町村との関係についてどのようにイメージをされているのか、あわせてお伺いをいたします。
 さて、続きまして、自治体憲法といわれる自治基本条例について質問いたします。
 都道府県も市町村も、地方主権を目指し、自主・自立的な行財政運営を目指すのであれば、国が憲法を持つように、地方自治体も独自の施策や組織、運営の基本方針を定めた自治基本条例を制定する必要があるのではないかと考えます。
 二年前の予算特別委員会の私の質問の際に、知事は、首都圏に対する文明論的な基本認識の重要性に触れて、自治基本条例の意義について、ある意味、大切なことだと思うと発言されました。
 そこで伺いますが、二年たった今、国と対等な関係になった地方政府の意思の骨格をなすものとして、自治基本条例が必要と考えますが、知事の見解を再度伺います。
 次に、合併についてであります。
 市町村合併は、今後直面する人口減少と高齢化を抜きには語れません。人口の減少は財政力を弱め、さらに、高齢化は税金を負担する人が減る構造になります。それは、福祉や医療など高度化する社会福祉サービスを提供できなくなることであります。
 現在の市町村の姿は昭和の大合併で成立をし、五十年間そのまま維持されているわけです。当時は車や電話もない時代で、隣接する自治体との時間的な、空間的な距離も遠かったのであります。しかし、今はモータリゼーションの進展で、市民の生活圏や行政圏は大きく広がり、情報ネットワークも張りめぐらされているのです。拡大した生活圏、行政圏に市町村の行政の区域を合わせ、より広域的な視点でまちづくりを進めることは、時代の要請だと考えます。
 これに反対する意見の多くは、地域の伝統や文化が損なわれる、人の顔が見えなくなる、意見が通りにくくなるとのことです。それでは、今のままにしておいたら、地域の文化や伝統が守られ、人の顔も見られるのでしょうか。既に文化や伝統は壊れ始めているのです。原因は、時代の変化に人と地域がついていけないのです。一番罪なのは、何もしないで今のままでいいといっている、既得権にしがみついている人たちであります。
 こんなことから、市民の直接行動として住民投票が今、各地で実施されているのです。新聞各紙も、昨年暮れから地方分権、合併について、おおむね推進の立場で連日報道しています。明治の大合併は、小学校の設置、管理ができる範囲の基準であります。そして昭和の大合併では、中学校の運営が可能な範囲の人口八千人を標準規模として、現在の三千五百になっています。今回の平成の大合併は、これを三分の一にする案であります。しかし、従来の合併のように明確な基準がないため、知事の熱意や市町村長の取り組み姿勢で大きく分かれてしまいます。知事も、私の質問に、何らかの働きかけをしなくては動かないだろうなと答えております。
 ことし一月一日現在、合併に向けて法定協議会または任意の協議会参加は、市町村は千六百十八で、全国のほぼ半分に達しています。
 東京都が検討方針を策定してから既に二年が経過しておりますが、合併に向けての協議会は、法定、任意とも設置されていません。大関前総務局長は答弁で、合併しても、都内の市町村は合併特例法のメリットが余りないと、乗り気ではありませんでした。それでは都内の市町村は財政的に豊かかといえば、決してそのようなことはないのです。ここ数年大丈夫なだけなんです。
 しかし、合併が単なる財政論だけの損得勘定ではなく、将来のビジョンについて市民を巻き込んだ熱い議論を闘わせる、数少ないチャンスと見てとるべきであります。この最大のチャンスに首長や議会関係者が熱くならなくて、だれが熱くなるのでしょうか。二十一世紀を迎えて八方ふさがりの中で、平成の大改革、合併について知事はどのように考えておられるのか、所見をお伺いいたします。
 さて、都内区市町村は戦後急速に都市化が進み、町並みがつくられました。特に、多摩ニュータウンを初めとする多摩地域は、昭和三十年から四十年にかけて急速に人口がふえました。人口予測では、五十年後は生産年齢人口が半分になります。百年後は、人口そのものが半減するといわれております。恐ろしいことであります。今のままでいけば、将来、自治体経営が破綻することは目に見えて明らかです。その意味では、広域自治体としての都の責任は重いといえます。
 そこで伺いますが、時代に敏感な若者、例えば青年会議所の人たち、商工会議所、そして将来を憂えている市民に今後の人口予測や財政予測など積極的に公開し、市民意識を喚起させるべきであります。
 合併は、カキが熟して落ちるような形が理想といわれております。それは、市民の共通の目標と感動が不可欠だからであります。今後、市町村の将来のあり方を含めて、市町村合併に関する真剣な議論が巻き起こるよう、東京都としてどのように取り組んでいくのか、所見をお伺いいたします。
 外国の例では、積極的に合併を進めてきたスウェーデンやイギリスなどは、市町村に権限を持たせるために合併を勧めてまいりました。そのため、大きくなった自治体の補完機能として小さな地区委員会をつくり、福祉や教育などの身近な行政サービスを補強しております。必ず活路はあるはずです。知事の前向きな答弁を期待して、質問を終わります。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 小林正則議員の一般質問にお答えいたします。
 まず、どのような国を目指しているかという質問ですけれども、これは、国というものを想定するベクトルの問題によって随分違ってくると思いますが、東京を預かる知事として、地方自治体の長として国に望むという視点で申しますれば、やはり自分の持っている力、国の持っている可能性あるいは欠陥というものを、総体的に冷静に認識して、それで足りないものを補う、あるいは持てる力というものを十全に発揮するという戦略、戦術を国家の意志として積極的に表現していく、そのために物事を自主的に決めて、果断に決めて実現していく、そういう国家というものが私は望ましいと思います。
 前にも引用して申し上げたかもしれませんけれども、トインビーの「歴史の研究」という本の中で、いかなる大きな国も必ず衰弱するし、滅亡もする。ただ、国家衰弱の原因というのは、不可逆的なものは一つもないが、中でも一番厄介なものは、自己決定ができなくなる国家というものは非常に危険だと、ローマを例に挙げていっておりましたが、あの国は奢侈に走り、自分の国民の生命、財産を守る防衛という仕事を外人の将軍、外人の傭兵に頼んだために、ほとんど瞬間的につぶれましたが、日本の今日の国家の姿というのは、いささかそれに似ているのじゃないかという気がしないでもありません。
 いずれにしろ、国が国としての自己主張を、世界が狭くなった、国際関係がふくそうし、日本独自の存在だけでは国家が国家として立っていかない、こういう時期に、いろいろな国際関係が重層的に日本にかかっているわけですけれども、その中で、やはり国家が国民の意志というものを体現して、代表して、的確な自己主張を行っていく、そういう国家を私は望んでおります。
 次いで、国と東京、あるいは東京と東京の抱えている区市町村との関係についてでありますが、これはやはり、東京は国に比べれば一地方であります。同時に、東京の中にも幾つかの区市町村があります。それぞれその地域性というものを持ち、つまりその地域の個性を持っているわけでありまして、国と東京のかかわり、あるいは東京と区市町村のかかわりも、互いに持っているその個性というものを容認し合って、それを十全に発揮していくような行政を互いに許容し合い、支え合うという関係が望ましいと私は思います。
 次いで、自治基本条例なるものについてでありますが、まだ私にはよくあなたのおっしゃるコンセプトがつかみ切れないのです。ただ、基本条例という言葉は、なかなか重いと思います。これが基本であるという条例を仮につくったとして、それが時代の激しい変化に対応できずに、それが逆に行政というものを拘束するようになっては困ると思いますし、そういう意味で、今日、日本の国政というものが、だれがつくったかわからない、歴史的に正当性のない憲法のがんじがらめになって、とにかくいろいろな拘束の中に、国家が健全に運営されてないというようなうらみがありますが、そういうものになってはまずい。
 しかし、国対地方自治の関係というのは、非常に微妙に変化してきております。本当の地方分権というのは歴史的な必然、蓋然でありますけれども、それを十全に生かし切るものなら結構でありますが、逆に、そのかかわりの中での試みというものを拘束するようなものになってはならぬのじゃないかという気がいたします。
 そして、市町村合併についてでありますけれども、先般、今度は退任されるようですが、これは半分冗談にいわれたと思いますけれども、隣の神奈川県の岡崎知事が、神奈川県の相模原市は非常に進歩している。同時に、こちら側に東京の町田市があって、町田と相模原の自主的な交流というのは非常に緊密になってきて、石原さん、相模原に町田をくださいよというから、それは差し上げてもいいし、そちらからいただいてもいいのだけれども、ただ、この二つが合併して大きな自治体をつくるということには、明らかに東京都と神奈川県の県境があって、こういう既存の行政区分というのは、非常にバリアになっているということは否めないと思います。
 どこかでは、県境を越えて町と町の合併というのが云々されているようですけれども、むしろそういう地域地域のニーズというものを国がしんしゃくできずに、依然として太政官制度以来の行政区分に拘束されているところに、日本の悲劇といいましょうか、問題があると思います。
 そういう意味で、もしどこかでいわれているように、県境を越えた町なり村との合併というのが行われるならば、これはある意味では、国家に対する強烈な面当てというのでしょうか、私は非常に大事な意味合いを持つ合併だと思いますし、あくまでも県境なるものを無視して、地方自治体というものは住民の意思を反映して行う限り、私は、それはむしろ今日の日本の中での歴史的な正当性を持つものになり得ると思っております。
 他の質問については、教育長及び関係局長から答弁します。
   〔教育長横山洋吉君登壇〕

○教育長(横山洋吉君) 玉川上水の史跡指定までのスケジュールについてでございますが、去る一月三十日に都知事名で文部科学大臣あて、玉川上水の史跡指定申請が出されまして、都教育委員会としましては、同三十一日付で、史跡名勝天然記念物としての指定基準に該当する旨の意見を付しまして、文化庁に提出をいたしました。
 日時は未確定でございますが、今後、本年上半期に開催が予定されております、国の文化審議会に文部科学大臣が諮問し、その答申に基づいて指定がなされるものと考えております。
   〔水道局長飯嶋宣雄君登壇〕

○水道局長(飯嶋宣雄君) 玉川上水の史跡指定につきましては、これまでご指摘のとおり大変な時間を要しましたが、これにつきましては、国との間で所有権の確定に手間取ったためにおくれてきたものでございまして、昨年末、国との間で都に所有権が帰属するということが確定いたしました。直ちに庁内で整理をいたしまして、申請の運びになったものでございます。
 玉川上水の史跡指定後の維持管理に向けた庁内体制についてでございますが、玉川上水は文化財としての側面を有するとともに、水道施設を初め緑道や公園、清流の復活事業など、さまざまな形で利用並びに活用されておりまして、その保全には関係局が協力して取り組む必要がございます。
 そこで、史跡指定後における管理のあり方や各局の役割などにつきまして、関係六局から成る玉川上水保全協議会において早急に協議、検討してまいります。
   〔環境局長小池正臣君登壇〕

○環境局長(小池正臣君) 野火止用水の管理についてお答えいたします。
 野火止用水は、東京における自然の保護と回復に関する条例の保全地域第一号として、昭和四十九年に歴史環境保全地域に指定し、昭和五十九年には清流復活による通水を開始いたしました。
 この野火止用水の管理につきましては、ご指摘のように、都と地元自治体が、保護さくの改修や日常的な管理をそれぞれ個別に実施してきた面がございます。今後、地元自治体との協議の場を設け、補修の時期をとらえて景観に配慮した保護さくを設置するなど、一体感のある管理を進めるよう連携を強めてまいります。
   〔総務局長赤星經昭君登壇〕

○総務局長(赤星經昭君) 市町村合併に対します今後の取り組みについての質問にお答え申し上げます。
 私の前任者が市町村合併に否定的だというお話がございましたけれども、そういうことではなくて、恐らくそのときの発言は、非常に難しい、なかなか簡単にはいきませんよという趣旨の答弁をしたのだと思います。
 都は、これまでも都民や市町村の間で合併に関します議論が積極的になされるよう、パンフレットの作成、シンポジウムの開催などを実施してまいりました。また、青年会議所など民間団体や市町村の求めに応じまして、職員を市町村合併アドバイザーとして派遣するなど、情報提供や技術的助言を行ってまいりました。現在、こうした取り組みを踏まえまして、都としての可能な支援策を検討中でございます。
 今後とも、市町村合併に関します市町村の自主的、主体的な取り組みを積極的に支援してまいります。

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