平成十三年東京都議会会議録第十七号

○議長(三田敏哉君) 五十一番相川博君。
   〔五十一番相川博君登壇〕
   〔議長退席、副議長着席〕

○五十一番(相川博君) あらかじめ、前置きが長いことをお許しいただきたいと思います。
 まず、多摩の森林再生についてご質問させていただきます。
 去る十一月の終わりに発表されました東京都の平成十四年度の重要施策に、東京の森再生プロジェクトが掲げられています。荒廃した多摩の森林の再生を目的とする施策であり、私は大きな関心と期待を持っているところでございます。
 多摩地域の森林は、その昔は広葉樹が中心の明るい森林だったそうであります。先人たちは、杉やヒノキといった針葉樹を植林する場合も、山の尾根筋や上部には手をつけなかったと聞いております。その結果、山全体が腐葉土による豊かな土壌に覆われていたということであります。このような先人たちの自然の摂理にかなった知恵で、多摩地域の森林が守られていたわけであります。
 ところが、昭和三十年代から、木材需要の増大と燃料転換による薪炭需要の激減に伴い、広葉樹から杉、ヒノキ等への拡大造林が推進され、今では山の六割が杉やヒノキの森になってしまいました。針葉樹の森も、間伐や枝打ちなどが適切に行われていれば、日光が十分に届き、林床が草や低木で覆われ、土壌がはぐくまれます。しかし、安価な外材が大量に輸入され、それに押されて林業が衰退すると、植林された森がそのまま放置されるようになってしまいました。
 多摩地域の山を歩いてみますと、植林された後、人手が入らずに、放置されたままの森があちこちにあります。このような森では、幹の細い杉やヒノキが密生して、枝が互いに絡み合っています。森の中は昼間でも薄暗く、土壌はやせ、やせた土壌は雨によってさらに失われていきます。土壌が失われると、保水力がなくなるため、土砂崩れの危険が増大します。また、急斜面では、森林自体の崩壊のおそれも出ています。地元の市町村あるいは林業関係者も、このままでは森林が崩壊すると、強い危惧を抱いています。
 森林は、土砂崩壊の防止といった国土保全、あるいは酸素の供給、地球温暖化の防止、水源の涵養、レクリエーションの場としての利用といった公益的な機能を有しています。昨年、林野庁が公表した森林の公益的機能の評価額によると、東京の森林の効用は、毎年約二千億円あるとされています。
 林業が産業として成り立っていた時代には、林業経営の結果として、副次的に森林の公益的な機能が保たれていました。しかし、現在では、生産コストの上昇と木材価格の低迷などによる林業経営の行き詰まりと、林業従事者の高齢化、後継者不足の結果、放置され荒廃する森林がふえているのであります。
 東京都においても、これまで林業振興の観点から、さまざまな補助策が講じられてきましたが、なかなか効果があらわれていないのが実態であると思います。
 国においては、本年六月、林業基本法を抜本的に改正し、森林・林業基本法を制定いたしました。新しい法律では、これまでの木材生産を主体とした政策から、森林を生態系としてとらえ、森林の持つ多面的な機能の持続的な発揮を図るための政策への転換がうたわれています。
 私は、多摩の森林を守るためには、これまでのような林業に頼った手法だけでなく、環境の視点に立ち、森林所有者の手が入らず、放置され、荒れた森林にこそ優先的に、またストレートに手をつけていくべきだと考えます。
 知事は、本定例会の所信表明で、荒廃している多摩の森林を効果的に再生するため、新しい発想に立って事業を進めるといっておられますが、具体的にはどのような視点を重視した再生をしようとしているのか、海と山の違いはあれ、ナチュラリストとしての知事のご所見を伺いたいと思います。
 次に、自然環境の再生は人づくりという視点から、子どもたちへの環境学習の重要性について伺いたいと思います。
 二十世紀、私たちは、経済成長に最大の価値を置き、物質的な豊かさを享受する一方で、さまざまな環境問題を引き起こしてきました。大気汚染問題やダイオキシンなどの化学物質の発生、ごみ、廃棄物問題、アメニティーの破壊など、深刻な環境破壊に直面しています。
 二十世紀が経済の世紀であるとするならば、二十一世紀は、環境の世紀にいやが応でも突入せざるを得ないといえると思うのであります。その中でも、近年国際的に極めて憂慮されているのが、地球温暖化によってもたらされている気候変動の問題であります。いうまでもなく、地球温暖化とは、化石燃料の大量消費によって二酸化炭素を初めとする温暖化ガスが大量に排出され、地球の気温が急速に上昇するという問題であります。こうした温暖化のために、世界じゅうで洪水や干ばつなどの異常気象が頻発し、砂漠化が進行しているわけであります。いってみれば、この地球がだんだん人の住めない惑星になってきているわけであります。
 この地球温暖化問題に対する国際的な取り組みのため、一九九七年に京都議定書が策定され、本年の十月から十一月にかけてモロッコのマラケシュで行われたCOP7では、議定書の批准、発効に向けて大きく前進をいたしました。
 しかし、議定書発効をめぐるこの間の日本政府・小泉政権の対応は、国民や世界の人々に対して大きな失望を与えるものであったといわざるを得ません。アメリカは最大の二酸化炭素排出国であり、温暖化に一番の責任を有しているのにもかかわらず、ブッシュ政権は京都議定書から突然離脱を表明したわけですが、小泉政権は、こうしたアメリカの暴挙に対して全くの弱腰であり、日本はやっぱりアメリカのいいなりなのかと、ヨーロッパ諸国や世界のNGOから強い非難を浴びました。
 日本の掲げる温暖化防止対策も、その内容を見てみると、大量消費社会を克服するのだという決意が全く感じられないものであります。マラケシュでは、目標が未達成の場合の罰則規定を置くことに最後まで反対し、本当に京都議定書を守るつもりがあるのかという疑念を世界の人々に与えてしまいました。
 つまり、この温暖化問題一つをとってみてもわかるように、もはや、私たちは国に環境問題を任せるわけにはいかないのではないか。むしろ、私たち東京都がイニシアチブをとって、国に先駆けて、積極的にこの環境危機に取り組むべきではないか。
 日本における公害や環境問題の歴史を振り返ってみても、自治体が先駆的な取り組みを行ってきたのに対して、国の対策は常に後手、後手に回ってきたのであります。例えば、高度成長のさなか、大気汚染などの公害問題が深刻であったときに、東京都は、いわゆる上乗せ、横出し規制という、国の環境基準よりも厳しい規制を行い、また、公害防止協定のようなすぐれた制度を開発してきました。こうした東京都の公害問題に対する積極的な姿勢が国を突き動かし、その結果、日本の公害対策は大きく前進したわけであります。
 環境の世紀と呼ばれる二十一世紀初頭にあって、東京都が、今また積極的な役割を担うべきときが来ているのではないでしょうか。もちろん、温暖化問題の解決や大量消費社会の克服といった観点から見て、東京都の現状が決して満足すべきものであるとは考えておりません。むしろ、問題は山積しているといわざるを得ないでしょう。だからこそ、こうした大量消費社会の申し子のような東京であるからこそ、もし大胆な試みが行われるならば、それには大きな意味があり、世界に対して東京モデルを発信できる位置にあるし、また、その責務があるのだと私は考えるのであります。
 それでは、東京都は何から始めるべきか。私は、この間、知事が推進してきたディーゼル車の排ガス規制を高く評価いたします。また、屋上緑化の提案なども非常に重要な試みであると考えています。しかし、私がここで強調したいのは、環境教育の重要性であります。
 先日、南紀を旅行してきた私の友人がひどく怒っておりました。南紀は、皆様もご承知のように、リアス式海岸が広がり、海岸沿いにさまざまな奇岩があるので有名であります。実はそこがリゾート開発をされて、集まった若者たちが岩一面に名前を彫っている。カップルなどが相合い傘を彫っている。何百万年もかけてできた自然の作品が台なしになったと怒っているのであります。
 それを聞いて、私も今の若者たちのモラルのなさを嘆きましたが、しかし、よく考えてみると、若者がそんなことをするのも仕方がない面があるのではないか。というのは、私たち大人が、自然をつぶして宅地開発やリゾート開発を行い、むだな公共事業を進めて、自然を金もうけの種にしてきたわけであります。そんな私たち大人の振る舞いを見て育った若い世代に、自然を守れなんてお説教すること自体がお門違いなのかもしれません。友人の話を聞いて、私はそう思ったのであります。
 つまり、私が申し上げたいのはこういうことであります。私たちのような、自然を破壊して金もうけをすることをよしとする世代には、もう多くを望めないのではないか。むしろ、これからの日本を、東京を担う子どもたちに、自然の大切さをわかってもらい、自然環境と調和した社会の形成を託すべきではないか。緑地や農地をつぶすことに進歩や豊かさを感じるのではなく、自然がなくなっていくことに心の痛みを覚え、また、自然との共生にこそ豊さを感じるような、そうした子どもたちをどれだけ育てていけるかが、これからの東京の、日本のかぎを握っているのではないでしょうか。だからこそ私は、環境学習が重要であると考えるのであります。今求められているのは、環境保護のソフトづくりです。
 これまで、私たち大人は、子どもたちから自然を取り上げ続けてきたわけですが、それでもまだ東京には、特に私の住む多摩地域には、高尾山を初めとして豊かな自然や緑地、農地が残されています。これ以上子どもを自然から引き離すのをやめて、いかにして子どもたちに自然体験や環境学習の場を提供していけるか、それは環境問題の観点からも、また教育の観点からも、最も重要なポイントであるというのが私の持論であります。
 このことを強く申し上げた上で、環境教育の重要性について教育長の認識を伺い、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 相川博議員の一般質問にお答えいたします。
 先般、東京の森林を本気で考え直そうという合議をいたしました。そのときに参考資料として、本来あるべき東京の森の姿を合成写真でつくったパネルを見ましたが、おっしゃるとおり、山の斜面の上の方には、紅葉したモミジとかカエデとかいう木がありまして、下の方には幹の太い針葉樹があるというのが、理想の、東京のあるべき森林の姿として合成されておりました。
 ゆえにも、森林はこれまで産業としての林業の面のみでとらえられておりましたが、そろそろここら辺でベクトル、視点を変えて、これからは環境の保全、整備という、公益的な視点から森林をとらえ直す必要があると認識しております。
 森林の持つ水源の涵養や、土砂の流出防止といった国土保全のための効用、あるいは二酸化炭素の固定による地球温暖化防止などの能力は、とても人知の及ぶところではございません。
 多摩地域に広がる森林の荒廃が指摘されて久しゅうございますが、都民、国民の共通の財産である森林の再生に、環境保全の視点から総力を挙げて取り組み、東京から国の森林政策を変えていきたいなと思っております。
 ゆえにも、環境に関する教育についても今質問されましたが、その一助として、ヨーロッパの幾つかの国でやっておりますような、ボランティアを募っての下刈りなどをする森林青年隊のようなものも広範囲に組織して、そういう協力作業を通じての環境に対する認識というものを、一つの教育として敷衍していきたいなと思ってもおります。
 その他の質問については、教育長から答弁いたします。
   〔教育長横山洋吉君登壇〕

○教育長(横山洋吉君) 環境学習の重要性についてでございますが、ご指摘のように、環境学習は、日本の将来を担う子どもたちに、自然や環境問題に関心を持たせ、環境に対する人間の責任、役割を理解させ、進んで自然保護や環境保全に参加する態度を育てる意味からも重要でございます。
 都教育委員会は、環境学習に関する指導資料を作成しますとともに、子どもたちの環境問題についての関心を高め、実践的態度を育成する観点から、副読本を作成したり、実践活動の発表会を開催したりするなど、環境学習の取り組みを推進しているところでございます。
 今後とも、自然環境と調和した社会の形成を目指し、子どもたちが森林や水など自然の大切さを体験し、その感動を広げるような学習を教育課程に位置づけることなどにつきまして、各学校を指導助言してまいります。

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