平成十三年東京都議会会議録第十一号

平成十三年九月十九日(水曜日)
 出席議員(百二十六名)
一番谷村 孝彦君
二番東村 邦浩君
三番中屋 文孝君
四番矢島 千秋君
五番高橋かずみ君
六番山加 朱美君
七番柿沢 未途君
八番後藤 雄一君
九番福士 敬子君
十番伊沢けい子君
十一番大西由紀子君
十二番青木 英二君
十三番初鹿 明博君
十四番山下 太郎君
十五番河野百合恵君
十六番長橋 桂一君
十七番小磯 善彦君
十八番野上じゅん子君
十九番ともとし春久君
二十番萩生田光一君
二十一番串田 克巳君
二十二番小美濃安弘君
二十三番吉原  修君
二十四番山田 忠昭君
二十五番林田  武君
二十六番野島 善司君
二十七番真鍋よしゆき君
二十八番中西 一善君
二十九番山口 文江君
三十番真木  茂君
三十一番花輪ともふみ君
三十二番酒井 大史君
三十三番清水ひで子君
三十四番かち佳代子君
三十五番小松 恭子君
三十六番織田 拓郎君
三十七番藤井  一君
三十八番東野 秀平君
三十九番中嶋 義雄君
四十番松原 忠義君
四十一番田代ひろし君
四十二番三宅 茂樹君
四十三番川井しげお君
四十四番いなば真一君
四十五番近藤やよい君
四十六番高島なおき君
四十七番鈴木 一光君
四十八番吉野 利明君
四十九番小磯  明君
五十番新井美沙子君
五十一番相川  博君
五十二番樋口ゆうこ君
五十三番富田 俊正君
五十四番福島 寿一君
五十五番大塚 隆朗君
五十六番古館 和憲君
五十七番松村 友昭君
五十八番丸茂 勇夫君
五十九番鈴木貫太郎君
六十番森田 安孝君
六十一番曽雌 久義君
六十二番石川 芳昭君
六十三番土持 正豊君
六十四番倉林 辰雄君
六十五番遠藤  衛君
六十六番秋田 一郎君
六十七番服部ゆくお君
六十八番臼井  孝君
六十九番北城 貞治君
七十番野田 和男君
七十一番三原 將嗣君
七十二番大西 英男君
七十三番宮崎  章君
七十四番執印真智子君
七十五番馬場 裕子君
七十七番土屋たかゆき君
七十八番河西のぶみ君
七十九番中村 明彦君
八十番大山とも子君
八十一番吉田 信夫君
八十二番曽根はじめ君
八十三番橋本辰二郎君
八十四番大木田 守君
八十五番前島信次郎君
八十六番桜井良之助君
八十七番新藤 義彦君
八十八番星野 篤功君
八十九番田島 和明君
九十番樺山 卓司君
九十一番古賀 俊昭君
九十二番山崎 孝明君
九十三番山本賢太郎君
九十四番花川与惣太君
九十五番立石 晴康君
九十六番清原錬太郎君
九十七番小山 敏雄君
九十八番大河原雅子君
九十九番名取 憲彦君
百番藤川 隆則君
百一番小林 正則君
百二番林  知二君
百三番東ひろたか君
百四番池田 梅夫君
百五番渡辺 康信君
百六番木内 良明君
百七番石井 義修君
百八番中山 秀雄君
百九番藤井 富雄君
百十番大山  均君
百十一番野村 有信君
百十二番比留間敏夫君
百十三番松本 文明君
百十四番桜井  武君
百十五番佐藤 裕彦君
百十六番川島 忠一君
百十七番矢部  一君
百十八番内田  茂君
百十九番三田 敏哉君
百二十番田中 晃三君
百二十一番藤田 愛子君
百二十二番尾崎 正一君
百二十三番田中  良君
百二十四番和田 宗春君
百二十五番坂口こうじ君
百二十六番木村 陽治君
百二十七番秋田かくお君

 欠席議員(一名)
七十六番  西条 庄治君

 出席説明員
知事石原慎太郎君
副知事福永 正通君
副知事青山やすし君
副知事浜渦 武生君
出納長大塚 俊郎君
教育長横山 洋吉君
知事本部長田原 和道君
総務局長大関東支夫君
財務局長安樂  進君
警視総監野田  健君
主税局長安間 謙臣君
生活文化局長高橋 信行君
都市計画局長木内 征司君
環境局長赤星 經昭君
福祉局長前川 燿男君
衛生局長今村 皓一君
産業労働局長浪越 勝海君
住宅局長橋本  勲君
建設局長山下 保博君
消防総監杉村 哲也君
港湾局長川崎 裕康君
交通局長寺内 広壽君
水道局長飯嶋 宣雄君
下水道局長鈴木  宏君
大学管理本部長鎌形 満征君
多摩都市整備本部長石河 信一君
中央卸売市場長碇山 幸夫君
選挙管理委員会事務局長南  靖武君
人事委員会事務局長高橋  功君
地方労働委員会事務局長大久保 隆君
監査事務局長中山 弘子君
収用委員会事務局長有手  勉君

九月十九日議事日程第一号
第一 第百四十八号議案
  特別区における東京都の事務処理の特例に関する条例の一部を改正する条例
第二 第百四十九号議案
  公立学校の学校医、学校歯科医及び学校薬剤師の公務災害補償に関する条例の一部を改正する条例
第三 第百五十号議案
  東京都人権プラザ条例
第四 第百五十一号議案
  東京都都税条例の一部を改正する条例
第五 第百五十二号議案
  東京都立学校設置条例の一部を改正する条例
第六 第百五十三号議案
  東京都衛生局関係手数料条例等の一部を改正する条例
第七 第百五十四号議案
  東京都中央卸売市場条例の一部を改正する条例
第八 第百五十五号議案
  東京都営住宅条例の一部を改正する条例
第九 第百五十六号議案
  東京都高齢者円滑入居賃貸住宅登録手数料条例
第十 第百五十七号議案
  都立戸山高等学校(十三)改築工事請負契約
第十一 第百五十八号議案
  警視庁武蔵野警察署庁舎改築工事請負契約
第十二 第百五十九号議案
  東京消防庁神田消防署庁舎及び消防技術試験講習場改築工事請負契約
第十三 第百六十号議案
  新島第一トンネル(仮称)整備工事請負契約
第十四 第百六十一号議案
  新島第二トンネル(仮称)整備工事(その一)請負契約
第十五 第百六十二号議案
  新島第二トンネル(仮称)整備工事(その二)請負契約
第十六 第百六十三号議案
  平成十三年度新海面処分場Gブロック西側護岸地盤改良工事(その一)請負契約
第十七 第百六十四号議案
  平成十三年度新海面処分場Gブロック西側護岸地盤改良工事(その二)請負契約
第十八 第百六十五号議案
  日暮里・舎人線荒川横断橋りょう鋼けた製作・架設工事(その一)請負契約
第十九 第百六十六号議案
  練馬中央陸橋鋼けた製作・架設工事(十三・四・五)(環八南田中)請負契約
第二十 第百六十七号議案
  八王子市と多摩市との境界変更について
第二十一 第百六十八号議案
  再生手続開始申立事件において東京都が有する債権の取扱い及び株式の消却について
議事日程第一号追加の一
第一 東京都名誉都民の選定の同意について(一三財主議第三五〇号)
第二 東京都名誉都民の選定の同意について(一三財主議第三五一号)
第三 東京都名誉都民の選定の同意について(一三財主議第三五二号)
第四 議員提出議案第二十六号
  アメリカ合衆国における同時多発テロ事件に関する決議

   午後一時一分開会・開議

○議長(三田敏哉君) ただいまから平成十三年第三回東京都議会定例会を開会いたします。

○議長(三田敏哉君) この際、開議に先立ちまして、去る九月十一日に発生したアメリカ合衆国における同時多発テロ事件により亡くなられた方々のご冥福を祈るため、黙とうをささげたいと存じます。

○議会局長(細渕清君) 全員ご起立願います。
   〔全員起立〕

○議会局長(細渕清君) 黙とうをお願いいたします。黙とう。
   〔黙とう〕

○議会局長(細渕清君) 黙とうを終わります。ご着席願います。

○議長(三田敏哉君) これより本日の会議を開きます。

○議長(三田敏哉君) まず、会議録署名議員の指名を行います。
 会議録署名議員は、会議規則第百二十四条の規定により、議長において
   二番   東村 邦浩君 及び
   六十五番 遠藤  衛君
を指名いたします。

○議長(三田敏哉君) この際、報告いたします。
 九月十一日、アメリカ合衆国において同時多発テロ事件が発生し、多数の死傷者を出すなど、想像を絶する被害がありました。衷心よりお見舞いを申し上げます。
 本議会として、姉妹都市であるニューヨーク市の市議会議長及び市長あて、お見舞いのメッセージを添えて、見舞金を贈呈いたしました。

○議長(三田敏哉君) 次に、議事部長をして諸般の報告をいたさせます。

○議事部長(川島英男君) 平成十三年九月十二日付東京都告示第千百二十八号をもって、知事より、本定例会を招集したとの通知がありました。
 また、同日付で、本定例会に提出するため、議案二十一件の送付がありました。
 次に、知事より、平成十三年第一回臨時会の会議において同意を得た東京都監査委員の任命について、発令したとの通知がありました。
 次に、地方自治法第百八十条第一項の規定による議会の指定議決に基づき専決処分した訴えの提起、損害賠償額の決定及び和解に関する報告がありました。
 次に、監査委員より、例月出納検査の結果について報告がありました。
 また、監査結果に基づき知事等が講じた措置に関する報告がありました。
(別冊参照)

○議長(三田敏哉君) このたびの三宅島島民の一時帰宅に先立ち、東京都議会として、島の安全性及び被害状況を把握し、復旧・復興対策の対応強化に資するため、緊急調査団を派遣いたしました。
 緊急調査団を代表して、橋本辰二郎君より、報告のため発言を求められておりますので、これを許します。
 八十三番橋本辰二郎君。
   〔八十三番橋本辰二郎君登壇〕

○八十三番(橋本辰二郎君) 昨年の三宅島火山活動による災害発生及び全島民の島外避難から、早くも一年が過ぎました。
 まず初めに、今なお島外各地で避難生活を余儀なくされている島民の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 また、村当局初め防災関係者の連日にわたるご尽力に、心から感謝を申し上げます。
 一昨日より三宅島島民の一時帰宅が開始されておりますが、これに先立ち、島の安全性とともに被災状況を把握し、今後の復旧・復興対策の強化に資するため、このたび東京都議会は、三田議長を団長とした緊急調査団を三宅島に派遣いたしました。
 その調査結果を取りまとめました報告書はお手元配布のとおりでありますが、その概要につきまして、調査団の副団長を務めました私からご報告を申し上げます。
 九月七日午前、調査団は、警視庁のヘリコプターで三宅島に向かい、三宅島空港到着後、直ちに三宅村役場を起点とし、島の東部地域から反時計回りに島内を一周する形で現地調査を開始いたしました。
 全島民が村を後にした島内は、随所に民家や車両が土砂に埋もれ、歩道や電柱、ブロック塀などは火山ガスにより茶褐色に変色をしておりました。
 現在、雄山の火山活動は安定していますが、火山ガスは、今なお一日当たり一万トンから二万トン放出されています。風向き等の天候や地形にもよりますが、地区によって環境基準を大幅に上回る濃度を観測するときもあり、引き続き警戒が必要な状況にあります。こうしたことから、今回の一時帰宅に当たっては火山ガス濃度の観測体制を強化いたしました。
 伊ケ谷地区に加えて、以前村営牧場があった山腹部付近では、刺激性を帯びた火山ガスの臭気が立ち込めており、山頂を仰ぐと、噴煙にまじり薄紫色に変色した火山ガスが立ち上る様子が見えました。また、山腹部付近での樹木は大半が立ち枯れているのを確認いたしました。
 島の北部に位置する神着地区は、低温の火砕流が発生したところですが、神社や民家が泥流に埋まっており、泥流被害のすさまじさを実感させるものでありました。泥流が発生したところは、土砂にまじり大きな倒木や岩石が散乱し、山の斜面が深くえぐり取られ、自然災害の大きさを見せつけるものでありました。
 島全体では、今回の噴火の際にかなりの火山灰が降り積もっており、これが降雨のたびに泥流となって随所に流れ出し、今後も災害を引き起こすおそれがあります。島内を周回する都道は、この泥流により十六カ所が崩壊したため、現在、仮橋を架設し、通行を確保しております。こうした泥流への対策として、三七沢を含め二十七カ所で本格的な防砂ダム建設事業に着手したところです。ライフラインの状況ですが、都道が開通したほか、電気、水道、電話はほぼ復旧しています。
 現在、火山ガスの室内への侵入を防ぐクリーンハウスを備えた宿泊場所を確保し、百三十人前後が夜間常駐する体制をとりながら、復旧作業が着実に進められております。
 しかしながら、今回の火山災害は、三宅村の産業基盤にも大きな打撃を与えました。火山灰で花き栽培のレザーファンなど特産物が被害を受けたほか、泥流が流入などした漁場の再生が必要です。漁港施設や村営牧場も被害を受けたほか、何より観光産業が大きな打撃を受けました。今後、三宅島での生活復興を考えるとき、この産業をどうするかは重大な問題であります。
 以上が現地調査結果の概要であります。
 現在の三宅島が抱える問題は、大きく申し上げますと、降雨のたびに発生するであろう泥流と火山ガスの放出であります。
 このため、三宅島をめぐる状況は大変厳しいものがございます。また、復興に際しては、時間と多大な費用を要するため、三宅島火山活動災害に対する特別措置として、総合的な観点からさまざまな実効性のある対策を講じる必要があります。
 まず、村民の多くは、島外避難生活の長期化で、収入の道が断たれるなど経済的な逼迫に直面しております。こうした人々の生活基盤を確立するため、例えば被災者生活再建支援法の法改正をするなど、特例措置を講じる必要があります。
 同時に、三宅島における被害拡大防止や災害復旧対策に万全を期するため、火山ガスの観測体制を引き続き強化するとともに、災害復旧事業費国庫負担法の対象施設の拡大や、特別交付金による十分な財政支援を行う必要があります。
 さらに、現在、三宅村では復興計画を作成中でありますが、島民の皆さんの自主的な意見を十分に反映し、その復興に向けては、住宅補修費への財政支援を初めとする生活再建、観光産業など産業基盤の再建支援策を検討する必要があります。
 したがいまして、東京都全体を挙げてこうした施策の実現に取り組むことを強く要望するとともに、来るべき三宅村の力強い復興に向けて、都議会としてとり得る限りの方策に取り組むことを改めて決意する次第であります。
 このたびの三宅島火山活動災害は、すべての島民が島外に避難するという三宅村の歴史にとってかつてない事態になりました。また、災害発生から一年が経過して、なお終息の兆しが見えない状況であります。なれない土地で長期間の避難生活を続ける村民の皆様の切実なお気持ちは、察するに余りあるものがあります。村民の皆様におかれましては、くれぐれも健康に留意され、復興の方向性が見える日が一日も早く来ることを祈りつつ、都議会といたしましても、村当局と協力し、復旧・復興に全力で取り組むことをお誓い申し上げまして、本調査団の報告を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)

○議長(三田敏哉君) 以上をもって橋本辰二郎君の発言は終わりました。

〔参考〕
   東京都議会三宅島緊急調査団報告書
  平成十三年九月十九日

   東京都議会三宅島緊急調査団報告書
1 調査団派遣の目的
  三宅島島民の一時帰宅に先立ち、緊急に現地調査を行うことにより、島の安全性とともに、被災状況等を把握し、今後の復旧・復興対策の対応強化に資するため、緊急調査を実施する。
2 調査概要
 (1) 調査日時 平成十三年九月七日(金)午前十時から午後四時
 (2) 団員構成
      団長  都議会議長  三田 敏哉(自民党)
      副団長 都議会副議長 橋本辰二郎(公明党)
      団員  都議会議員  松本 文明(自民党)
      団員  都議会議員  比留間敏夫(自民党)
      団員  都議会議員  川島 忠一(自民党)
      団員  都議会議員  和田 宗春(民主党)
      団員  都議会議員  坂口こうじ(民主党)
      団員  都議会議員  石井 義修(公明党)
      団員  都議会議員  古館 和憲(日本共産党)
      団員  都議会議員  藤田 愛子(ネット)
 (3) 調査行程
      東京ヘリポート→三宅島空港→三宅村役場→三宅島空港→東京ヘリポート
     主な調査箇所
      三七沢(砂防ダム建設現場)、神着地区(泥流被害家屋)空栗橋、立根橋、芦穴橋、レストハウス付近(山腹部)、坪田漁港
 (4) 調査概要
     当調査団は、住民が一時帰宅を開始するのに先立ち、緊急に現地調査を行った。
  〔1〕 概況説明
   昨年来の火山活動とこれまでの災害対応の経緯に関する説明に続き、現在の三宅島が抱える問題として、大きく分けて火山ガスと泥流への対応について説明があった。
  火山活動自体は落ち着いているものの、火山ガスは一日一万トンから二万トンの放出が見られ、SO2二酸化硫黄)については三宅島空港を観測地点にとれば一時間値で、一五ppmを観測する日もある。ちなみに環境基準は一時間値で〇・一ppm、労働安全衛生基準で二ppmであること、また特に悪天の日や夜間では山のふもと一帯での濃度が高くなる傾向にあり、十分な注意が必要である。このため一時帰宅に備え火山ガス濃度の観測体制を強化したところである。
  泥流については、この度の火山噴火活動で一万一千立方メートルもの降灰があり、今後は降雨のたびにこれが泥流となってふもとに流出する危険がある。このため泥流発生の危険性の高い二十七カ所の沢について、十メートル程の高さを持つ、砂防ダムの建設工事に着手したところである。
  次に復旧状況の説明があった。まず、島内を周回する都道二一二号線については泥流により崩落し半年以上、不通の原因となっていた立根橋を始め、芦穴、仏沢に仮橋を架けたことで、周回道路を開通させることができた。現在、三七沢、空栗橋などで仮橋架設の施工中である。
  その他ライフラインの状況は、全島内で通電したほか、水道は仮配管を含めて復旧し、電話、携帯電話も復旧している。
  またいくつかの公共施設等には、SO2室内への侵入を防ぐ脱硫装置を設けたクリーンハウスを整備し、ここに工事関係者などが夜間滞在することで復旧工事の迅速化が図られるようになった。この設備は三宅村役場のほか、三宅支庁舎、勤労福祉会館、警察署、発電所、阿古ふるさと館等に整備されているところである。
  〔2〕 質疑
   火山ガスの今後の発生動向、復帰の見通し、都としての復興へのアウトラインの有無などが質された。これに対し、火山ガスには今後も注意が必要であり、放出量の推移に関する見通しは明らかではない。島の復興に当たっては、現在、村に復興準備室を設け、復興計画を作成中であるが、なかでも生業をどうしていくかについて、今回実施される一時帰宅を契機に、自発的な議論がなされることに期待したいとの見解が都から示された。
  三宅島は、過去の歴史のなかで約二十年に一度、噴火災害を繰り返してきたが、全島民が島外に避難したのは、今回が始めてであり、従来の災害に比べ今回の災害は深刻である。
  産業に関しては漁業では、漁船の一部が下田や式根島に停泊地を移し、そこから三宅近海に出かけて操業を続けていること、農業では畑は火山灰の除去など土壌改良に多くの年月を要すること、観光産業の被害などについて質疑が交わされた。
  公共施設については、空港は大規模改修は不要であること、空港を含めて三カ所のヘリポートを確保したこと、学校施設など泥流で大きな被害を受けた公共施設はないことなどが、明らかにされた。
  ただし、港湾や漁港については、三池港が約十から二十センチメートル、坪田漁港が約八十センチメートル、それぞれ沈下したため、補修が必要であるほか、伊ヶ谷漁港は泥流で堆積した土砂のしゅんせつが必要である。
  なお、家屋被害の状況としては、島内約二千戸のうち、三十九戸が泥流などの被害を受けており、これについては、現地での再建の可否、砂防ダム建設事業に当たっての用地買収との関係など、個別の検討を要するとの説明があった。
  〔3〕 島内視察
   概況説明及び質疑の後、三宅村役場を出発点とし島の東部地域から反時計回りに島を一周する形で現地調査を開始した。
   火山ガスについては、伊ヶ谷地区とレストハウス付近、村営牧場があった山腹部一帯に近づくにつれ、臭気が立ち込めた感じを受け、山頂からは噴煙が上がると同時に火山ガスの発生部分が変色しているのが見えた。山腹部に至る途中、一帯の空気は薄紫色に変色しているように見られた。また下草がわずかに生えているほかは、山腹部の樹木の大半は立ち枯れ、平地での樹木もその一部が枯れているのが大半を占めていた。道路わきのブロック塀や歩道などは火山ガスにより赤茶色に変色していた。火山ガスの山麓への流出状況は、天候や地形に左右されるため、各地区の観測濃度も日によって様々である。
  また、これまでの降雨の際に発生した、大規模な泥流跡が随所に見られた。これは従来の「沢」に限らず、火山灰とスコーリアなどが一緒になった土砂が至る所にその流路をつくり、木々をなぎ倒し大きな岩石を巻き込んで山の斜面を大きくえぐりながら流出した結果である。神着地区の椎取神社は、社殿の屋根と鳥居の上部のみが姿を現していた以外は大半が土砂に埋まっていた。泥流被害にあった家屋も屋根と柱の上部が見えた以外は、そのほとんどが土砂に埋まっていた。家の裏山側から道に面する表玄関側に泥流が突き抜けたらしく、外に飛び出したテレビは泥流の勢いの強さを示していた。
  こうした泥流を防止する復旧対策として、三七沢など二十七カ所で砂防ダムが建設され始めている。三七沢の砂防ダムは約二億円の工費で本年十一月末に完成予定である。
  島内周回道路である都道二一二号線は十六か所が泥流により崩落し、遮断したため、車中から視察した空栗橋、立根橋、芦穴をはじめ仮橋が架設されているところである。今後も至る所で泥流が発生する可能性があるが、その場合でも仮橋の下を泥流が流れるようになっている。
  都道の路面の下を泥流が流れたため、路盤が削り取られ路面が波打っている箇所が三カ所あった。降雨のたびに流れ出した土砂を除去した結果、都道全体が通行可能となっていた。その道路の両脇には、流れ出す土砂が民家へ流入することを防ぐため、除去した火山灰をつめた土のうが積まれていた。
  火山灰は花き栽培のレザーファンなど島の特産品に打撃を与えたが、火山灰に強いアシタバは生息していた。また農業用水ダムが泥流の際、砂防ダムとして機能した結果、土砂で埋まり使用できない状況となったが、現在土砂は排出している。
  坪田漁港は約八十センチメートル沈下したため、仮設桟橋を船着き場に設置して使用している。
 (5) 復興に向けて
    島全体に膨大な火山灰が堆積しており、これが今後、降雨のたびに泥流となって至る所に流れ出すと考えられる。また火山ガスの放出がいつまで続くか現段階では予測が困難である。この間は、全島での復帰の見通しはつきがたく、一刻も早い復帰が望まれるのは当然であるが、三宅島をめぐる状況には厳しいものがある。また、復興に際しては時間と多大な費用を要するため、三宅島火山活動災害に対する特別措置として、総合的な観点から様々な実効性ある対策を検討する必要がある。
  三宅村民が直面する、当面の最大の課題は、島外避難生活の長期化による経済的な逼迫と生活基盤の確立である。本年三月に村が行った、村民の生活実態調査では、収入がまったく無くなった世帯数が全世帯数の二二%、自営業者に限定すると全世帯の五〇%となっている。こうした人々の生活基盤確立に資するため、被災者生活再建支援法での支援金の支給基準の引き上げや、家賃相当額の財政支援、借入金返済の繰り延べなど特例措置を実施すべきである。
  三宅島における被害拡大防止や応急復旧対策としては、火山ガス観測体制を充実・強化するとともに、砂防ダム建設事業への国費かさ上げなど、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法の対象施設の拡大、三宅島に対する特別交付金による適切かつ十分な財政支援などにより災害復旧に万全を期す必要がある。
  さらに村民が帰島できる時期が来たときは、復興支援策として、住宅補修費への財政支援など住宅再建支援制度の確立や、災害援護資金貸付金の融資条件の緩和などを検討すべきである。
  具体的な復興に当たってはその計画を現在、村が作成中であるが、今後の生業の在り方に関する検討が欠かせない。このため、観光産業の再生支援、海への投石による漁場再生、漁港の整備、畑の土壌改良への助成などを検討する必要がある。
3 おわりに
  この度の三宅島火山活動災害では、全村民が島外に避難するという、かつてない事態となった。昨年の災害発生から一年を経過し、今なお終息の兆しが見えない状況にある。村民は、平成十二年九月二日の全島民避難から、島外の慣れない土地での長期間に及ぶ避難生活を余儀なくされている。そして生計の困難、コミュニティの分散など厳しい事態に直面している。当調査団一同は村民の皆様方に心よりお見舞い申し上げる次第である。また三宅村をはじめとした、多くの防災関係者の連日にわたる不眠不休のご尽力に対し、心から敬意を表するものである。今後の復興への道のりは、容易なものでないと推察されるが、関係者におかれては健康に十分留意され、更なるご努力をお願いするものである。
  東京都議会としても、避難生活をおくる村民の方々にできる限りの支援策を講じることを重ねて要望するとともに、来るべき三宅村の力強い復興に向けて、取りうる限りの様々な方策に、都議会を挙げて取り組むことを決意し、都議会緊急調査団の報告とする。

○議長(三田敏哉君) この際、日程の追加について申し上げます。
 議員より、議員提出議案第二十六号、アメリカ合衆国における同時多発テロ事件に関する決議、知事より、東京都名誉都民の選定の同意について三件が、それぞれ提出されました。
 これらを本日の日程に追加いたします。

○議長(三田敏哉君) 会期についてお諮りいたします。
 今回の定例会の会期は、本日から十月五日までの十七日間といたしたいと思います。これにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(三田敏哉君) ご異議なしと認めます。よって、会期は十七日間と決定いたしました。

○議長(三田敏哉君) この際、知事より発言の申し出がありますので、これを許します。
 知事石原慎太郎君。
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 都議会議員選挙後最初の定例会となる平成十三年第三回都議会定例議会の開会に当たり、都政運営に対する所信を申し述べ、都議会並びに都民の皆様のご理解とご協力を得たいと思います。
 今月十一日、アメリカの心臓部であるニューヨークとワシントンを襲った同時多発テロは、平和な社会で起きた最悪の惨事となり、今なお数千人に上る一般市民の行方が不明のままであります。一週間以上が経過しながら、いまだに被害の全貌を把握することができず、全世界にはかり知れない衝撃と戦慄を与えております。人々は深い悲しみの中に沈み、凶悪な犯行に対する強い怒りは、政治的立場や思想、信条、国境を越えた共通の思いとなっております。
 私は、たまたまワシントンDCで事件に遭遇し、厳戒態勢の中、三日間にわたり足どめを強いられました。強いアメリカの象徴であった国防総省ペンタゴンは、前日に訪問したときとは一変して、半ば廃墟と見まがうほど無残な姿をさらけ出し、二日に及んで多量の煙が空を覆っておりました。多くの人命が失われ、政治、経済が一瞬にして機能を麻痺する惨状を身をもって体験し、首都の知事として強い衝撃を受け、多くの教訓を得ました。
 我々は、テロを断固許すことなく、その根絶に力を合わせる必要があります。アメリカ及び姉妹都市ニューヨークには、都議会の皆様とともに、できるだけの支援を行いたいと思っております。
 お亡くなりになった方々に対し深く哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
 一方、東京では、今月一日未明、新宿歌舞伎町のビルで火災が発生し、四十四名の方々が命を失う悲痛な結末となりました。お亡くなりになりました方々に深く哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
 現在、消防を中心に、区市町村などと連携して、四千棟のビルを対象とした緊急特別査察を進めております。だれもが安心して暮らせる町とするため、防火対策を徹底いたします。
 七月二十日には、中学生原優介君が、多摩川でおぼれている友人を救おうとして力尽き、十三歳の若い命を落とされました。みずからの危険を顧みず友人の救助に向かった勇気あふれる行為が、無念の結果をもたらしたことはまことに痛ましい限りであり、都民を代表して顕彰させていただきました。
 ここに深く哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
 百数十年前、我が国は、欧米の列強がしのぎを削る世界の荒波の中へ船出をいたしました。自来、世界でも比類のない国民の勤勉性を支えとして、たび重なる逆境を克服しながら、奇跡と呼ばれるほどの発展を遂げてまいりました。
 しかし、戦後半世紀にわたる平和と繁栄の中で、人々は豊かでぜいたくな暮らしになれる余り、地道な活動を軽んじ、株や不動産を一獲千金の対象とするような安易な風潮が蔓延いたしました。その上さらに、バブルが崩壊した後の対応の失敗が、今なお我が国経済に深い傷を残しております。
 時代の変遷とともに、国民の気質も変化し、社会の規律を形成していた我が国固有の価値の基軸が消えようとしております。かつての日本人は、職人かたぎという言葉に表象されるように、責任感や克己心、仕事へのこだわりといった矜持を当然の気風として備えておりました。
 それがいつしか、難しいことには目を向けようとせず、今が楽しければそれで満足する非常に享楽的で刹那的な、かつ、場当たりな行動ばかりが目立つようになりました。他人に対する無関心や自己中心的な考えは無分別な行動を容認し、少年非行や凶悪犯罪の温床となっております。こうした状況が複合的、重層的に重なり、我が国は、今や戦後最悪の危機に直面しております。
 世界に目を転じると、文明のあしき副産物である環境問題は、地球全体に広がり、生命の維持に不可欠な循環のサイクルが次々に破壊されております。先進国は人口の減少に悩む一方で、発展途上国は爆発的な人口増加を続けるなど、解決の糸口すら見えない問題が、世界の矛盾を拡大しております。
 異なる文明の衝突は、先般のテロのように大きなゆがみとなって惨事を引き起こしており、現代文明は明らかに転換期の中にあります。世界は今、法の存在しない暗黒の地に転げ落ちてしまうか、それとも理性が通用する社会に踏みとどまることができるのか、瀬戸際にまで追い詰められております。
 我々はこのような事態を率直に受けとめ、その上で進むべき選択をする必要があります。
 これまでの社会は、経済成長を価値判断の最大の基準に置き、どのようにすれば豊富な物質に囲まれた便利な生活が実現するかに大きな関心を払ってまいりました。しかし、地球環境の悪化が端的に示すとおり、二十世紀を支配した発想は行き詰まり、豊かさを追求する生活スタイルは、その代償として我々の存在自体を脅かすまでになろうとしております。
 成長は未来永劫に続くものではなく、地球は無理な負荷には耐えられない繊細な生命体であることを認識する必要があります。だれもがこの状況を正しく理解すれば、我慢することの必要性や耐えることの大切さが共通の認識として浸透し、節度をわきまえた社会が実現できると思います。それこそが危機の根を断ち切る力となります。
 こうした価値観の転換は容易に実現するものではありませんが、そこにこそ有力な社会的方法としての政治の存在の意味があると考えます。これは国家の土台を守り、人類の存亡に直結する取り組みであります。国民のリーダーたる政治家にその自覚と困難を乗り越えてでもやり抜く覚悟があれば、国民の理解は必ず得られるはずであります。
 私は失われた価値の基軸を回復し、社会の安定を取り戻すため、東京を預かる政治家として、率先して行動したいと思います。都議会の皆様とともに、東京を変えることで日本を変え、世界にも問題提起をしたいと思います。
 以上のような時代認識のもと、この先は、危機意識の徹底など、これまでの基本姿勢にさらに次の二点を加えて、都政運営を進めてまいります。
 第一は、日本の再生につながる東京の再生を実現することであります。
 文明の揺籃期、人々は効率的な活動の基盤や刺激あるいは夢を求めて集まり、都市を形成いたしました。国家が成長する過程で、都市には相乗的に人材、資本、技術、情報が集中し、都市は国家よりも早く発展を遂げました。都市への集中、集積は、文明の進展に伴う歴史の公理であり、社会活力の源泉でもあります。
 それが今、文明の転換期を迎えて、国家の成長を支えた都市が大きく病んでおります。とりわけ東京は、大気汚染や交通渋滞など、他の地域とは比較にならない深刻な問題を抱えております。
 我が国はこれまで、国土の均衡ある発展を基本とし、地方の振興策はあっても、大都市を重要視する政策は全くといっていいほどありませんでした。しかし、都市特有の問題が発生し、それが国家の命運を左右しかねない危機的状況の中で、全国を一律に束ねようとするような政策が破綻することは、だれの目にも明らかであります。
 東京は、我が国最大の都市として大きな影響力を持っております。東京の活性化こそが全国を活性化させるのであり、東京において環境対策や防災対策、交通政策が成功すれば、全国共通のフォーマットとなり得ます。今必要なことは、東京を核とする首都圏に焦点を当てた再生策を打ち出し、それを我が国の危機克服の起爆剤とすることであります。
 国はようやく都市の再生を重点分野に位置づけましたが、極めてまだ動きの鈍い国に任せているだけでは、非常に心もとない状況にあります。東京は、国に先んじて行動することで、国も動かざるを得ないような場面を次々とつくり出し、都市再生の範を示したいと思います。一日も早く東京を再生し、それを首都圏の再生、日本の再生につなげていきたいと考えております。
 第二は、都庁の本質を変えることであります。
 これまで長い間、官公庁では、前例の踏襲、安定性、継続性の重視など、社会一般とは別の価値観が組織を支配しておりました。例えば都民から預かっている公金に関して、金利の観念が全く欠落しておりました。さらに、それを運用して行う事業にどの程度のリスクがあるかを考えることもなく、民間ではとても通用しない極めて甘い見通しのもとで事業を進めております。すなわち、保障あるいは保険といった観念も、金利と同様、欠落しているのであります。
 その結果、時代の変化を敏感に察知することができず、社会の動きから一歩も二歩も取り残された存在となっておりました。
 都庁も決してその例外ではなく、巨大な組織を生かし切れないまま、多くのむだが発生しておりました。行政改革は喫緊の課題であり、この二年間は、職員の意識改革を通じて組織を再生することを主眼に置き、都庁の改革を着実に進めてまいりました。
 これまでの取り組みによって、職員に危機意識が浸透するなど、かなりの改善も見受けられます。しかし、一方では、まだまだ観念が先行し、具体的な行動がなかなか伴わないなど、不十分な点も多く残っております。
 今後、職員には政策の成果を目に見える形で都民に還元することを厳しく求めてまいりたいと思います。都民に信頼される都政を築くには、職員一人一人が経営者の視点を持ち、スピード感覚、コスト意識、チャレンジ精神を発揮しながら、果敢に実行する必要があります。
 職員の意識を改革するのは、実際に現場を体験させることが一番確実な道であります。
 昨年来取り組んできている不正軽油の摘発は、これまでの都庁の職域を超え、社会の悪と直接対決することが求められる非常に困難な、かつまた危険な職務でもあります。現在進めているカラス対策も、庁内からプロジェクトチームの人員を公募し、興味と意欲のある職員に斬新なアイデアを求める試みであります。こうした新しい取り組みを積み重ねることで、都庁の本質を変えていきたいと思っております。
 このたびの同時多発テロでは、高度な文明も、理不尽な原始的暴力の前には非常にもろい存在であることが明らかになりました。危機管理については日本の数段上を行くはずのアメリカでさえ、テロの攻撃を防げなかった中、我が国の危機管理は、残念ながら、寒心にたえないといわざるを得ません。
 危機管理は、被害を受けてから慌ててももはや手おくれでしかなく、日ごろの万全の備えがあって初めて実を結ぶことになります。平和や安全は当たり前に存在するのではなく、我々が命がけで守り抜く対象であることを認識し直す必要があります。
 都民の生命と安全を守るためには、今回の事件から多くを学び、東京の危機管理能力を向上させることが不可欠であります。国に対し、危機管理の充実を強く求めるとともに、七都県市による首都機能のバックアップ体制の確立、警備体制の強化など、独自の取り組みを進めてまいります。
 良好な治安は、我が国が誇る大きな長所でありましたが、最近の国の世論調査では、治安に対する国民の不安が顕著に高まっております。世界じゅうが称賛した日本の安全神話は、もはや過去の伝説となりつつあります。
 東京では、特に治安の悪化が深刻であり、パソコンや携帯電話を悪用したハイテク犯罪、不良外国人のグループと暴力団が結託した組織犯罪、路上での凶暴な少年犯罪などが、近年、目に余る事態となっております。
 犯罪の増加に伴い、留置人員は、この十年間で、外国人に限っても八倍以上、全体でも三倍近くにまで増加しており、留置場の不足は極めて深刻な問題であります。現在、多額の経費を費やすことなく、でき得ればPFI方式で留置場を増設するよう、検討を進めております。
 凶悪な事件ばかりでなく、消費生活のトラブルによる、都民から寄せられる相談件数も大きく増加しております。
 悪質商法による被害が後を絶たない中、七月には、被害の拡大を予防するため、消費生活条例に基づき、極めて悪質な事業者二社を全国で初めて公表、告発いたしました。今後も、市場のルールを逸脱した行為には断固たる措置を講じることで、善良な都民の生活を守ってまいります。
 東京の犯罪は、量的な増加だけでなく、質的にも明らかな変化を示しております。豊かな社会ゆえに発生する新しいたぐいの都市型犯罪から都民を守るため、警察と連携しながら、都民の安心、安全を取り戻したいと思っております。
 昨年発生した伊豆諸島の地震、噴火は、我々に自然の脅威をまざまざと見せつけました。とりわけ三宅島では、今なお多量の有毒ガスが発生しており、全島民が一年以上の長期にわたり島外への退避を余儀なくされております。
 東京都は、島民の方々から強い要望のある一時帰宅の実現に向け準備を進めておりましたが、爆発の危険性が低下し、ガスなどに対する安全が確保できたことから、一昨日、一時帰宅を開始いたしました。無事に一時帰宅が終了するよう、関係機関と協力し、万全の体制で取り組んでまいります。
 火山活動が鎮静化した段階で、一日も早く島民が帰島できるよう、あさって現地対策本部を神津島から三宅島に戻し、復旧作業を本格的に進めたいと思っております。
 伊豆諸島ばかりでなく、東京は、いつ直下型の大地震に襲われても不思議でない危険な状況の中にあります。災害への対応力を高め、住民の防災意識を喚起することは、行政の重要な役割であります。万一の際、十全の行動がとれるかどうかは日ごろの備えにかかっており、東京都は防災訓練の充実に一貫して取り組んでおります。
 昨年の九月には、自衛隊の本格的な参加を得た極めて実践的な防災訓練を行い、ことし七月には、災害時の指令基地となる各機関の本部運営訓練を、かつてない規模で実施いたしました。こうした訓練は大きな成果を上げておりますが、ITを活用した情報の共有化、区市町村との連携などの点で、今後取り組むべき課題も明らかになっております。
 今月一日、多摩地域を中心にし実施した総合防災訓練、ビッグレスキュー東京二〇〇一では、こうした点を補強するため、新たな視点として、地元自治体との連携や地域住民の訓練活動を充実いたしました。
 また、今回は米軍の協力を得て、横田飛行場と赤坂プレスセンターの二カ所の米軍基地を、全国で初めて防災訓練に活用することができました。横田飛行場は、羽田空港と並ぶ広域輸送拠点として非常に重要な役割を果たすことが、訓練を通じて実証されたと思います。
 災害時の被害を最小限に抑えるためには、横田飛行場を初めとする広大な米軍基地を活用することが、我が国にとってぜひとも必要であります。国に対しては、国策として米軍基地を災害時の防災活動拠点に組み込むことを強く建言いたします。
 ことしの訓練は、これまでの取り組みの一つの集大成となり、東京の防災能力を大きく高めることができました。この二年間で学んだ成果は、都市災害に対するフォーマットとして、国や他の地方自治体に積極的に提供していきたいと思います。
 東京は、首都圏の再生を最優先で取り組む国家プロジェクトとするよう、国に対して繰り返し訴えてまいりました。強力な推進体制をしくため、国と首都圏を構成する七都県市が共同して常設の組織を設置することも、あわせて提案しております。間もなく実現すると思います。
 東京の意欲的な行動は、国の都市再生本部の設置と、その後のプロジェクトの選定となって実を結び、先日の国土交通大臣との会談でも、一致協力することで強い合意が形成できました。焦眉の急となっている首都圏の再生は、ようやく動き始めていると思います。
 先月決定された国の第二次プロジェクトに、羽田空港の再拡張と首都圏三環状道路の整備が盛り込まれたことは、この先、非常に大きな国益をもたらすことになると考えております。
 ただし、国は、再拡張が終了した後に羽田空港の国際化を進める考えであり、それでは逼迫した国際線の需要には到底こたえることはできません。国に対しては、朝と夜に残る未利用枠を活用し、国際化を速やかに進めることを強く要求してまいります。
 首都圏の空のアクセスは、新宿から三十キロの距離にあり、交通網も既に整備されている横田飛行場を利用できれば格段に向上いたします。横田飛行場は、当面の措置として、軍民共用化することを建言します。さきの訪米では、国防総省、国務省の要人の多くと面談して、今後の日米関係を基軸に意見交換し、横田飛行場についての考えも説明いたしました。
 環状道路については、平成十九年度までに暫定的な環状機能を確保するとの方向が示されました。東京都は、外環道の東京区間と首都高速の中央環状品川線が一日も早く工事に着手できるよう、地元との対話を精力的に進めております。国には、不退転の決意で取り組み、計画どおり整備を進めることを強く要望してまいります。
 東京都は、このほかにも交通渋滞の解消に向け、本年四月、JR中央線の連続立体交差の工事に着手したほか、今年度中には京浜急行線でも工事に着手する予定であり、積極的に都市基盤を整備しております。
 こうした事業は、いずれも急を要するものであり、同時に、多額の経費を必要とするものであります。財源を確保する新しい手法としては、国に対して、かねてより、都市基盤整備のための無利子貸付制度の導入を求めております。国と地方が一体となって事業に取り組む基盤を築くためにも、早急に実施すべきものであると思います。
 道路特定財源もまた、首都圏の交通問題を解決する上で有用な財源となり得るものであります。道路特定財源は、本来、受益者負担の原則により、道路の利用者が税を通じて整備費用を負担する制度であります。しかし、首都圏では、負担額のおよそ半分しか整備費が配分されず、非常に不合理で不公平な実態となっております。
 道路特定財源の見直しが来年度予算の概算要求基準に明記されたのも、東京都が指摘したとおり、この問題がもはや抜き差しならぬ段階に立ち至っていることを、国もようやく認めたからにほかなりません。
 見直しに当たっては、一般財源化するのではなく、負担額に応じた配分額とするようにルールを定め、首都圏への配分割合を拡大することを強く求めてまいります。加えて、より一層利用しやすい制度とするために、財源の充当できる事業を拡大することも要求いたします。
 国の都市再生の第二次プロジェクトは、このほか、南青山一丁目の都営住宅の建てかえを選定いたしました。この事業は、都営住宅や民間住宅、公共施設等を民間事業者が一体的に整備するもので、全国でも初めての取り組みであります。都心の公共用地を有効に活用して、民間から貸付料を受け取り、同時に快適な生活環境を提供する、都心居住のモデル事業になると思います。
 東京都は、六月の段階で先行して決定された第一次プロジェクトでも、中心的な役割を担っております。
 ごみゼロ型都市の再構築に向けた動きの中では、民間の力を活用して、PCB処理施設、ガス化溶融発電施設などを臨海部に整備したいと考えております。広域防災拠点については、臨海副都心の中に基幹施設が整備されるよう働きかけてまいります。
 都市再生プロジェクトを成功させるには、従来の発想を超える取り組みが必要であります。国に対しては、法律の改正、財源配分の見直しなど、新しい制度を導入し、国費を重点的、集中的に投入することを強く要求いたします。
 首都圏の再生に必要な国の取り組みのうち、最もおくれているのが情報戦略であります。超高速インターネット網の普及は、シンガポールや韓国に大きくおくれをとっており、情報基盤の整備は、我が国がアジアの情報拠点となる上で、欠かすことのできない要件であります。三月に国に提言した五カ年間で十兆円のプロジェクトの中でも、投資効果の高い首都圏に集中的にIT予算を投入することを訴えましたが、国からは、いまだに明確な方策が何一つ示されてはおりません。
 東京都は、独自に首都圏の電子都市化を促進するため、近く有識者による懇談会を設置し、世界最高レベルの光ファイバー網の構築、秋葉原のIT拠点化などを具体化していきたいと考えております。
 首都圏は、日本の最先端を走る地として、世界が注目する多種多様の技術、産業が集積し、三千三百万の人が一体となった巨大な生活圏を形成しております。その一方、相互の連携が不十分であるため、大気汚染や交通渋滞が行政区域を超えて広がり、先送りできない問題を数多く抱えております。
 首都圏の自治体には、立地条件、文化的背景など多くの共通基盤があり、連携を深めることで高い利益が生まれます。
 例えばディーゼル車に対する規制は、首都圏七都県市で統一基準を設けることにより、効果的な規制や事業者の負担の緩和が期待できます。道路特定財源の配分割合の見直しは、同一歩調をとることで、国に強い圧力をかけることができます。また、水は、管轄を超えた相互融通がこれまでほとんどなく、近隣の自治体との間で送水管が整備できれば、災害などの非常時において、水への安心を格段に高めることができます。
 近く、首都圏の新しい広域的自治体のあり方について、共同で取り組むべき事業を幾つか盛り込んだ提案を行いたいと思っております。
 多くの危機にさらされている我が国には、国家の存亡をかけた課題が山積しており、首都移転に膨大な時間、経費、労力を費やす余裕など全く存在しないはずであります。
 しかるに国会は、東京や移転候補地を視察するなど、いまだに移転作業を愚かしくも続けております。バブルの時期に思いついた開発の数々が、不良債権の山となって国民に重くのしかかり、今日の低迷を招いているにもかかわらず、国は何の反省もなく、巨大プロジェクトをいまだに進めようとしております。このままでは、さらに膨大な負債を国民に押しつけかねない状況であります。
 国家を再生するには、政治、経済の中枢機能が一体となって集積している首都圏を最大限に生かすことが不可欠であります。これは東京のみならず、首都圏七都県市の一致した意見であります。しかし、国には首都圏の重要性についての認識がいまだに欠落しており、国家経綸の哲学が全くないとしかいいようがありません。
 首都移転がいかに愚かな行為であるかを国民に正しく伝えることは東京の責務であり、移転を阻止することは、国民の負担を大きく軽減することにつながります。移転がもたらす悪影響を客観的、総合的に実証し、来月にはその調査結果を広く公表したいと考えております。
 皆さん、首都移転の白紙撤回に向け、ともに闘おうではありませんか。都議会の協力を強く期待しております。
 首都東京が再生するには、その基盤として、強固な財政体質を構築することが不可欠であります。東京都は、巨額の赤字を抱え、崩壊寸前にあった財政を立て直すために、現在、全庁を挙げての財政構造の改革に取り組んでおります。
 これまで、財政再建団体転落という最悪の事態は何とか回避はしてきたものの、昨年度は三年連続となる赤字決算になりました。経常収支比率などの指標も健全な水準からはまだほど遠く、財政再建はまだまだ道半ばであることが改めて浮き彫りになりました。
 しかも、都債残高は七兆四千億を超え、平成十五年度には償還費だけで八千億の財源を確保する必要があります。二年前、財政再建推進プランを策定した時点では明らかになっていなかった市街地再開発の事業の欠損金など、いわゆる隠れ借金も一兆円に迫っており、将来の圧迫要因が重く存在しております。
 その上、我が国経済には、五%を超えた失業率、歯どめのかからない株価の下落など、二年前とは比較にならない悪条件が重なっております。平成十三年度第一・四半期のGDPは、年率換算で三・二%となるマイナスを記録し、このままでは、今年度は政府見通しである一・七%の成長はおろか、プラスを維持することすら非常に困難であると思われます。アメリカ経済が失速し、救世主のいない世界経済は、今回のテロの後遺症もあり、このまま同時大不況に陥る懸念が高まっております。
 なかなか進展しない構造改革も、将来に対する不安材料となっております。ITバブル崩壊の影響を受けて、電機産業を初め企業の業績は軒並み急激に悪化しており、来年度以降の都税収入は、再び減少に転じることは覚悟しなければなりません。
 かつて経験したことのない極めて厳しい環境の中、財政再建推進プランの内容以上にシビアに取り組まなければ、都財政は破綻を免れ得ない状態にあることを、だれもが強く認識する必要があります。東京の再生を実現するため、より一層の財政構造の改革に取り組んでまいります。
 構造改革には、改めて申し上げるまでもなく、歳入歳出両面からさらに徹底して見直すことが不可欠であります。何よりも、都庁みずからが都民とともに痛みを分かち合うことが必要であり、今後とも全庁挙げて厳しい内部努力に努めてまいります。また、使用料、手数料は、受益者負担を適正化するため、改善すべきものは速やかに見直したいと考えております。
 これからが正念場であり、あらゆる措置を講じて、財政再建を実現したいと思います。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
 臨海副都心の開発を支える臨海地域開発事業会計の見直しも、避けて通ることのできない課題であります。
 臨海副都心は、職・住・学・遊の機能が複合した魅力のあふれる未来型のまちとして、大きく成長する可能性を持っております。そのためには、都庁一丸となって大胆に事業を見直し、収支を長期的に安定させる必要があります。今後さらに財政基盤を強化するため、土地の売却と効率的運用を積極的に推進し、経費についても大幅な削減に取り組んでいきたいと考えております。
 国に対しても大きな影響を与えた東京都税制調査会は、一昨日から今年度の活動を開始いたしました。今回は、大都市財源のあり方と東京に必要な政策税制について具体的な検討を行う予定であります。税制調査会を大いに活用しながら、時期を逸することなく行動し、地方主権の時代にふさわしい税財政制度の実現を国に迫っていきたいと思います。
 閉塞感漂う不透明な時代にあって、知事として果たすべき責任は、都政がこの先、何に重点を置き、どの方向に進もうとしているか、明確なビジョンを示すことにあると思います。
 来年度の都政の重点課題を明らかにするため、新しく取り組みを開始した重要施策の立案は、現在、首都圏の再生や都民生活の不安の解消といった視点から、庁内で検討が続いております。スクラップ・アンド・ビルドを徹底することで、行政の肥大化を防ぎ、新規事業にも積極的に光を当てていきたいと思います。また、民間企業との積極的な連携、首都圏の自治体との共同事業化など、手法の点においても、先進的な取り組みにチャレンジしたいと思っております。
 予算査定に先立ち、全体を集約する予定であります。重要施策として選定した事業には、予算、人員を優先的に配置し、万全の体制で実行することで、都民の希求にこたえていきたいと思います。
 文明が成熟し、人々の欲求が高まるにつれ、異なる文化圏との交流、遠方への移動が活発化するのは必然的な推移であり、観光は、今世紀、大きな成長が確実な産業であります。今後、都市や国家が人を引きつける魅力を持つ上で、観光産業の発展は欠かすことのできない条件であります。しかし、我が国は、この点の現状認識が非常に希薄であり、そのために、外国に向けて効果的な観光政策を打ち出すことも全くありませんでした。
 日本を訪れる外国人旅行者は、海外に出かける日本人の四分の一にとどまり、国家レベルでの観光客誘致は一向に進みませんが、東京は、先頭に立って観光産業を育成し、観光客の増加を目指してまいりたいと思います。
 そのためには、既成概念にとらわれない活性化策を実施する必要があります。例えばカジノは、知的な駆け引きを楽しみながら、非日常的な時間、空間を演出するすぐれて都会的な娯楽であります。雇用対策としても大きな効果があり、産業、雇用の分野における構造改革の呼び水となり得るものであります。実現には法制度の整備が必要であり、国に対し、強く働きかけてまいります。
 一方では、東京は、奥多摩と島しょに豊かな自然を抱えております。特に東洋のガラパゴスと呼ばれている小笠原は、自然保護と観光をうまく両立することができれば、他にない魅力を発揮することができます。
 小笠原への観光の振興と島民の生活の安定を図るため、新しい足として、高速船テクノスーパーライナーの就航を実現させたいと考えております。航空路の開設については、費用、環境面から検討し、関係機関と協議を進めております。
 このたび策定した観光産業振興プランの素案は、これからの観光振興の議論のたたき台として取りまとめたものであります。広く各方面からの意見をいただき、年内にはプランを確定し、国にも働きかけながら、積極的に観光振興に取り組んでまいります。
 観光の振興は大きな経済効果をもたらしますが、最悪の失業率となった雇用情勢や景気の落ち込みを考えた場合、即効性の高い対策が必要であり、先般、緊急の雇用、経済対策を国に先駆けて開始いたしました。
 新しい雇用対策としては、来月、産業界、教育機関と共同で、新規卒業予定者やいわゆるフリーターを対象とした若年者向け合同就職説明会を初めて開催いたします。中高年の離職者向けには、IT訓練やホームヘルパーの養成研修などを追加して実施いたします。
 中小企業に対しては、制度融資を拡充し、三千億円の融資を増加するほか、連鎖倒産の防止や資金調達の多様化を目指した法改正を国に働きかけてまいります。
 庁内に雇用と経営の緊急相談窓口を設置するなど、相談業務を含め、さまざまな雇用対策、経済対策を講じながら、都民の就労や中小企業の業績の回復を支援したいと思います。
 自動車は、現代の生活になくてはならない存在でありますが、その一方では、大都市を中心に深刻な大気汚染をもたらしております。わけてもディーゼル車の排気ガスは、都内の窒素酸化物の五割、浮遊粒子状物質の四割を占め、都市環境に大きな負荷を与えております。
 東京都はこれまでディーゼル車NO作戦を展開し、都民や事業者、国に対し、ディーゼル車の使用を規制し、利用のあり方を改めるよう働きかけてまいりました。
 昨年十二月には、全国で最も厳しい内容となる環境確保条例を制定し、今月十日、条例に基づき、粒子状物質減少装置の第一回目の指定を行いました。指定した減少装置を購入する事業者に対しては、来年度までの二カ年にわたり補助を行い、装置の普及に努めます。また、低公害車の普及を促すため、天然ガスを使用するトラックにも補助を行うことを本日決定いたしました。排気ガスを削減するには、低硫黄軽油の普及も欠かすことのできない要件であり、現在、独自の助成制度を設け、供給を促進しております。
 こうした東京都の先進的な取り組みは、国内外でも世論を形成し、全国にディーゼル車規制を広げる大きな原動力となってまいりました。国は、ようやく東京都の提案を受け入れ、低硫黄軽油の導入を決定したのを初め、この六月には自動車NOxを改正し、粒子状物質を規制の対象に初めて加えるなど、幾つもの規制を大幅に強化するようになりました。今後も、規制を加えるだけでなく、不正軽油の摘発、道路整備による渋滞解消といった施策を有機的に結合し、自動車のもたらす大気汚染をできるだけ軽減してまいります。
 次いで、大学は、学校教育の最終の到着点であるにもかかわらず、多くの学生は、学問の場ではなしに、社交場として履き違えているように思えてなりません。その責任は、学生ばかりでなく、魅力のある学問を提供できなかった大学側にもあります。東京の教育を立て直す大きな柱の一つとして、現在、都立の大学の改革を進めております。
 大学が有用な人材に門戸を開くには、要領よく知識を暗記する学生ばかりが入学するのではなくて、個性や独創性のある学生を評価する選抜方法に改める必要があります。一方、教育に対する学生の需要は大きく変化しており、例えば夜間課程は見直すべき時期を迎えております。大学院においては、ビジネススクールのように、高度な専門性を備えた人材の養成に期待が高まっております。
 こうした変化を敏感に受けとめ、社会をリードする人材を育てる大学とするため、有識者の方々に、諮問会議の委員として検討をお願いいたしました。かんかんがくがくの議論が続けられており、貴重なご意見が聞こえてまいります。委員の熱意に接し、改革の決意を改めて強く持ち直しました。委員のご意見に耳を傾けながら、早期に大学改革大綱を取りまとめ、東京にふさわしい大学のあり方を具体的に示したいと思います。
 都立高校の学区制は、生徒の選択の幅を狭め、学校間の競争意欲を低下させるなど、弊害が目立っております。これまで見直しが進められてきましたが、平成十五年度の入学者選抜からは、完全に学区制が撤廃されることになりました。それぞれの高校は、他の学校にない個性を磨き、魅力を高めてほしいと思います。都立高校を志望する生徒には、よく考え、自分に合った学校を選択することを期待しております。
 鋭い感性と豊かな情念を備えた子供を育成するには、教育機関に加えて、家庭と社会がそれぞれの役割と責務を全うすることが求められます。
 社会運動家として有名な賀川豊彦は、子どもにはしかられる権利があると述べております。しかし、最近の家庭は、しつけを含めた子どもの人格形成までをすべて学校に依存し、地域は他人の子どもに全く関心を示そうとしません。子どもの教育の最終的責任者はあくまで親であり、周りの大人にも未熟な子どもをしかる責任があることをだれもが自覚する必要があります。
 東京都は、消えかけている社会の規範を大人が思い起こし、子どもたちに正義感や倫理観を伝えていくため、心の東京革命に取り組んでおります。
 来月からは、地域でのリーダーや相談役となる地域アドバイザーの育成を開始いたします。また、街頭キャンペーンや体験学習を通して運動の趣旨を広め、多くの都民に活動への参加を呼びかけてまいります。引き続き多方面から教育改革を進め、次の世代を担う子どもの教育と健全な育成に力を注ぎたいと考えております。
 都立病院はこれまで、一般の医療機関では対応が困難な、いわゆる行政的医療ばかりでなく、幅広い分野でサービスを供給してまいりました。かつて医療機関が不足していた時代から提供していた地域医療についても、今日に至るまで継続しております。
 しかし、現在では、数多くの民間診療所や病院が整備され、大学病院のような高度先進医療機関も集積するなど、都内の医療環境は大きく発展しております。
 限られた医療資源のもとで、都立病院が急速に変化する医療需要に的確にこたえていくためには、各病院が持つべき守備範囲を定め直す必要があります。行政は、一般の医療機関では対応できない分野に限定することを基本とし、大学や民間病院、地域の診療所と有機的に連携することで、都民に対する医療サービス総体の向上を目指してまいります。
 都立病院改革会議からは、この七月、今後の都立病院のあり方について、極めて有益な提言を受けました。そこでは、都立病院の医療機能の集約や再編整備についての具体的な方策が示されております。この提言を踏まえ、年内には都立病院改革マスタープランを策定するつもりであります。
 こうした取り組みを通じて、都立病院を抜本的に改革し、公立病院の新しい形を全国に示していきたいと思っております。
 医療と同様、福祉の分野でも改革の試みを着実に進めております。
 先月、第一号となる施設が開設した認証保育所は、既に六カ所で運営が始まっております。利用者からは予想以上の好評を博しており、都民の声に敏感にこたえるため、現在の計画を大幅に前倒しして整備を促進したいと考えております。国や他の大都市に対しても、これからの都市型保育の新しい選択肢として、先進的な事例が発信できたと信じております。
 一方、ホームレスは、大都市固有の構造的な社会問題となっており、公共施設の占拠、本人の健康悪化など、さまざまな問題が発生しております。長引く不況の影響もあり、区部におけるホームレスの数は、この五年間で二倍近くにまでふえております。
 東京都は、特別区と共同して、緊急保護から社会復帰まで一貫した自立支援を進めており、昨年度は自立支援センターを二カ所整備いたしました。この十一月には最初の緊急一時保護センターを開設する予定であります。
 しかし、ホームレス対策は、国が第一義的に責任を負うべき課題であります。抜本的解決に向け、国の対応を厳しく迫ってまいります。
 最近の福祉の問題は、複雑な背景の中から出現しているものが多く、従来にない対応が求められます。都民の要望の本質を見出し、福祉改革推進プランで掲げた理念を矢継ぎ早に具体化していくことで、利用者本位の福祉サービスを展開したいと考えております。
 都営住宅は、都民共通の財産であり、何よりも公平な利用が徹底されなければなりません。しかし、所得基準を大幅に上回る高額所得者が転出を拒んだり、二世代、五十年以上にわたって住み続ける世帯があるなど、到底都民の理解を得られないような実態があります。
 都営住宅の利用機会を拡大し、公平性を確保するには、定期借家権を活用した期限つき入居制度に高い効果が期待できます。
 期限つき入居制度を公営住宅で本格的に導入するには法律の改正が必要であり、国には要求を続けておりますが、全く動きが見られません。国が怠慢なために、いまだ例はありませんが、一部の都営住宅だけでも期限つき入居制度を導入すべきと考え、本定例会に条例改正を提案いたしました。年内には入居者を募集したいと思っております。
 先般実施した都政モニターアンケートでは、立地条件のよい都営住宅に入居期限を設けることに七割以上の賛意を得ました。国に対しては、実績を示しながら、引き続き法改正を強く求めてまいります。
 社会的に立場の弱い高齢者世帯は、アパートの建てかえの際に立ち退きを求められ、住みかえ先が見つけにくいなど、住宅の確保に困難を強いられることが多々あります。
 国は、高齢者向けに、十月から住宅登録制度や家賃保証など新しい制度を導入しますが、そこには不十分な点がまだ多く見られます。東京都は、高齢者が安心して居住できる仕組みとするため、国の制度に入院費の保証などを加えた上で、独自の居住支援を行いたいと考えております。
 アジアが、今世紀世界の三極の一つとして力を発揮するには、域内の大都市が有形無形の強い共通項でつながり、全体の牽引役となる必要があります。都市の間では、文化や文明の相違を超え、平和な社会の実現に向け協力することも可能であります。東京都は、新しい連帯の枠組みとしてアジア大都市ネットワーク21の構築を主唱し、率先して行動してまいりました。
 来月、東京で開催される第一回本会議で、いよいよネットワークが正式に発足し、共同して取り組む具体的事業が決定されることになります。
 会議では、東京からは、増加するアジアの航空需要に対応するため、独自の性能を備えた航空機の開発を提案する予定であります。そのほかにも、ITを活用した都市間での相互遠隔教育、エイズ診療の共同研修、女性の能力開発などについて、参加都市の間で活発な議論が展開されることと思います。
 アジア大都市ネットワーク21を通じて、実質的な都市外交を展開し、二十一世紀がアジアの世紀であることを、世界に向けて発信いたします。
 スイスにある著名な研究教育機関、IMD国際経営開発研究所が発表した国際競争力のランキングによれば、我が国はことしもまた順位を下げ、主要四十九カ国の中で二十六位になりました。
 危機の中にありながら、何の哲学もないまま、その場その場を取り繕うだけの状況主義に終始したここ十年間のツケが、国際競争力の長期低落となって如実にあらわれております。国際社会での敗北は、国民の気力を奪い、それがさらにデフレスパイラルのような悪循環を引き起こしております。
 今何よりも必要なことは、理論の構築や議論の繰り返しではなく、目に見える成果や成功を既成事実として積み重ね、国家の自信を取り戻すことであります。我が国は、技術力、教育水準、あるいは貯金、そうした面で高い能力を持ち合わせております。強固な意思を持ちながら、冷静に相対感覚と緻密な戦略が発揮できれば、必ずや日はまた上るはずであります。
 東京は、実際に行動して先例をつくることで、あるいは具体的な政策を建言することで、国が何をなすべきか示していきたいと考えております。それは東京が生き残るための道でもあります。
 混迷の社会に終止符を打ち、新しい歴史の中で日本が再び輝きを取り戻すために、そしてまた東京が魅力にあふれた千客万来の世界都市となるために、総力を挙げて取り組む覚悟であります。もちろん、その前提には、公平、公正なルールを共通の基盤とする国際社会の存在が不可欠であります。持てる力をできる限り発揮し、健全な社会の持続、発展に貢献していきたいと考えております。
 都議会の皆さん、都民の皆さん、一層のご理解とご協力を心からお願いいたします。
 最後に、名誉都民の選考について申し上げます。
 このたび、名誉都民の候補者として、金田一春彦さん、小宮康孝さん、島田正吾さんの三名の方々を選考いたしました。
 金田一春彦さんは、日本語のアクセントや方言の研究を通じて言語学の発展に大きな功績を上げ、多彩な活動は、多くの都民に親しまれております。小宮康孝さんは、東京の伝統工芸である江戸小紋の職人として、以前の明快な小紋染の再現に成功するなど、技術の保存と継承に大きな力を尽くされました。島田正吾さんは、九十五歳の今なお、現役最年長の舞台俳優として第一線で活躍され、芝居一筋に情熱を傾ける姿は、人々に大きな深い感銘を与え続けております。
 三氏はそれぞれの分野において多大な功績をお持ちであり、多くの都民が敬愛し、誇りとするにふさわしい方々であると信じます。都議会の皆様のご同意をいただき、来月一日、都民の日に名誉都民として顕彰したいと考えております。よろしくお願いいたします。
 なお、本定例会には、これまで申し上げたものを含め、条例案九件、契約案十件など、合わせて二十一件の議案を提出しております。よろしくご審議をお願いいたします。
 以上をもちまして、私の所信表明を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)

○議長(三田敏哉君) 以上をもって知事の発言は終わりました。

○六十七番(服部ゆくお君) この際、議事進行の動議を提出いたします。
 本日は、質問に先立ち議事に入り、日程の順序を変更し、追加日程第一から第四までを先議されることを望みます。

○議長(三田敏哉君) お諮りいたします。
 ただいまの動議のとおり決定することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(三田敏哉君) ご異議なしと認めます。よって、質問に先立ち議事に入り、日程の順序を変更し、追加日程第一から第四までを先議することに決定いたしました。
 追加日程第一から第三までを一括して議題といたします。
   〔川島議事部長朗読〕
一、東京都名誉都民の選定の同意について三件

一三財主議第三五〇号
平成十三年九月十九日
         東京都知事 石原慎太郎
 東京都議会議長 三田 敏哉殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     金田一春彦

      略歴
          現住所 東京都杉並区
               金田一春彦
           大正二年四月三日生
大正二年   東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。
昭和十二年  東京帝国大学(現東京大学)国文科卒業
昭和十五年  東京府立第十中学校教諭(現都立西高校)
昭和十七年  日華学院教諭
昭和二十一年 文部省国語課嘱託
昭和二十四年 国立国語研究所研究員
昭和二十八年 名古屋大学教育学部・文学部助教授
昭和三十四年 東京外国語大学助教授
昭和三十五年 東京外国語大学教授
昭和三十七年 文学博士号を取得
昭和四十六年 京都産業大学外国語学部教授
昭和四十九年 上智大学外国語学部教授
昭和五十二年 日本放送協会放送文化賞を受賞
同年     紫綬褒章を受章
昭和五十八年 芸術選奨文部大臣賞(評論部門)(「十五夜お月さん」に対して)、毎日出版文化賞を受賞
昭和五十九年 上智大学外国語学部教授を退任、武蔵野女子大学客員教授
昭和六十一年 勲三等旭日中綬章を受章
平成元年   津田塾日本語センター首席講師
平成四年   玉川大学客員教授
平成九年   文化功労者

      事績
              金田一春彦氏
 大正二年四月三日、東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。
 昭和十二年、東京帝国大学(現東京大学)国文科を卒業する。
 昭和二十一年から、文部省国語課嘱託を務め、昭和二十四年からは、国立国語研究所の研究員として日本語の調査・研究に取り組む。
 昭和二十八年、名古屋大学の教育学部・文学部助教授となる。
 昭和三十四年、東京外国語大学助教授に、翌三十五年には、教授となる。
 昭和三十七年、鎌倉時代の国語のアクセントを明らかにし、論文「邦楽古曲の旋律による国語アクセント史の研究」により、文学博士号を取得する。
 昭和四十六年、京都産業大学外国語学部教授となる。
 昭和四十九年、上智大学外国語学部教授となる。
 昭和五十二年、日本放送協会放送文化賞及び紫綬褒章を受ける。
 昭和五十七年から昭和六十年まで、国語学会代表理事を務める。
 昭和五十八年、芸術選奨文部大臣賞及び毎日出版文化賞を受賞する。
 昭和五十九年、武蔵野女子大学客員教授となる。
 平成元年、津田塾日本語センター首席講師となる。
 平成九年、文化功労者として顕彰される。
 平家物語及び平曲の研究の第一人者でもあり、自ら平家琵琶を演奏することでも知られる氏は、平成九年、平家琵琶の譜の読み方、奏法、解説、歴史などを書いた「平曲考」を刊行する。
 また、NHKテレビの「日本語再発見」を始めとするテレビ番組に出演するなど、茶の間でも多くの人々に親しまれてきた。
 氏は、全国各地で調査・研究を行い、日本語の方言、アクセント、音韻などの歴史的、体系的な変化を実証するなど、多大な業績を残すとともに、多くの人材を育成し、日本の言語学の発展に大きく貢献した。また、「明解国語辞典」の編集に携わるなど、都民を始め多くの人々に親しまれている。
 以上のような功績は、広く都民が敬愛し、誇りとするところである。

一三財主議第三五一号
平成十三年九月十九日
         東京都知事 石原慎太郎
 東京都議会議長 三田 敏哉殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     小宮 康孝

      略歴
          現住所 東京都葛飾区
               小宮 康孝
        大正十四年十一月十二日生
大正十四年  東京市浅草区(現東京都台東区)に生まれる。
昭和十三年  葛飾区上平井尋常小学校卒業。父のもとで小紋の型付けの修業を始める。
昭和十七年  関東工科の電機科夜間学校に入学
昭和二十二年 戦災で一時中断した板場を再建
昭和二十五年 使用中の化学染料を見直して、質のよい染料に切り替え、今日の江戸小紋の基礎を作る。
昭和三十五年 「江戸小紋・蔦」が第七回日本伝統工芸展で初入選
昭和三十九年 江戸小紋着物「十絣」が第十一回日本伝統工芸展奨励賞を受賞
昭和四十二年 型地紙の改良に着手、成功する。
昭和五十二年 「小紋・百柄」展を東京で開催
昭和五十三年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
昭和六十年  東京都文化賞を受賞
昭和六十三年 紫綬褒章を受章
平成三年   葛飾区伝統産業職人会の発足に参加
平成九年   親子三代の作品展(百八十作品)を開催
平成十年   勲四等旭日小綬章を受章

      事績
              小宮 康孝氏
 大正十四年十一月十二日、東京市浅草区(現東京都台東区)に生まれる。
 昭和十三年、小学校を卒業し、この年から父の故康助氏(人間国宝)より厳しい指導を受け、小紋の型付けの修業を始める。
 昭和十七年から二年間、関東工科の電機科夜間学校に通う。
 昭和二十二年、戦災で一時中断した板場を再建する。
 昭和二十五年頃から、それまで使用してきた化学染料を見直し、質のよい染料に切り替える。
 昭和三十五年、第七回日本伝統工芸展に「江戸小紋・蔦」を出品し、初入選となる。
 昭和三十八年、日本工芸会正会員となる。
 昭和三十九年、第十一回日本伝統工芸展に出品した江戸小紋着物「十絣」が奨励賞を受賞。
 昭和四十二年頃から、型地紙の改良に着手し、埼玉県製紙工業試験場の小路位三郎氏の協力を得て成功する。
 昭和五十二年、東京で、型紙の種類と染料の色数の集大成ともいうべき、「小紋・百柄」展を開く。
 昭和五十三年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
 昭和六十年、東京都文化賞を受賞。
 平成九年、葛飾区にて、父康助氏、子康正氏の作品とともに江戸小紋の三代展を開く。
 江戸小紋は、元来、江戸時代に武士の裃などに多く用いられ、やがて町人も羽織や着物に広く愛用するようになったものであるが、小宮康孝氏は、幼少時から、この細かく精緻な文様の小紋染めに情熱を注いできた。
 氏は、小紋染めに必要な型紙技術についても、父の遺志を継ぎ、型地紙の改良、型彫師への支援、文献の収集などを通して、技術の向上に力を尽くした。
 こうしたことにより、時代とともに彫り崩れた型地紙の文様を旧様の正しい形に復元し、明快な小紋染めに再現することに成功している。
 東京の伝統工芸である江戸小紋の保存と継承に尽力した氏の功績は、多くの都民が敬愛し、誇りとするところである。

十三財主議第三五二号
平成十三年九月十九日
         東京都知事 石原慎太郎
 東京都議会議長 三田 敏哉殿
   東京都名誉都民の選定の同意について
 このことについて、左記の者を東京都名誉都民に選定いたしたいので、東京都名誉都民条例第三条の規定により、東京都議会の同意についてよろしくお取り計らい願います。
       記
     島田 正吾

      略歴
          現住所 東京都目黒区
               島田 正吾
         (本名・服部喜久太郎)
明治三十八年十二月十三日生
明治三十八年 神奈川県横浜市に生まれる。
大正十二年  新国劇に入り、「井伊大老の死」で初舞台を踏む。
昭和四年   「白野弁十郎」、「沓掛時次郎」を初演。以後、「一本刀土俵入り」、「関の弥太っぺ」などの股また旅たび物ものや「霧の音」、「ビルマの竪琴」などの文芸作品を手がける。
昭和二十六年 ラジオドラマ「鞍馬天狗」に出演、番組が五年間続く。
昭和二十七年 「宮本武蔵」の上演で連日超満員を記録
昭和四十四年 紫綬褒章を受章
昭和四十九年 芸術選奨文部大臣賞を受賞
昭和五十一年 勲四等旭日小綬章を受章
昭和五十七年 長谷川伸賞を受賞
平成二年   ひとり芝居「白野弁十郎」(「シラノ・ド・べルジュラック」の翻案)を上演、以後、毎年一作のペースでひとり芝居を続ける。
平成四年   ひとり芝居「白野弁十郎」パリ公演、フランス芸術文化勲章シュバリエ章を受章
同年     第四十回菊池寛賞を受賞
平成六年   テレビドラマ「十時半睡事件帳」で主演、日本放送協会放送文化賞を受賞
平成七年   「建礼門院」で歌舞伎に初出演
平成十年   東京都文化賞を受賞
平成十三年  浅草芸能大賞を受賞
同年     ひとり芝居「司法権」を上演

      事績
              島田 正吾氏
         (本名・服部喜久太郎)
 明治三十八年十二月十三日、神奈川県横浜市に生まれる。
 大正十二年、十八歳で新国劇に入団する。
 主宰者、沢田正二郎没後、新国劇が幕を閉じる昭和六十二年まで、辰巳柳太郎とともに看板俳優として活躍する。「一本刀土俵入り」、「関の弥太っぺ」などの股旅物や「霧の音」、「ビルマの竪琴」など文芸作品を手がけ、昭和二十六年からは数多くの映画にも出演する。
 平成元年、新たな舞台づくりに挑戦。ひとり芝居の代表作「白野弁十郎」(「シラノ・ド・ベルジュラック」の翻案)を初演する。
 平成四年には、同作品の原作の故郷であるパリで「白野弁十郎」を公演し大成功をおさめ、フランス政府から芸術文化勲章シュバリエ章を受章するなど、高い評価を得る。
 同年、第四十回菊池寛賞を受賞。
 平成七年、「建礼門院」で歌舞伎に初出演、絶賛を得る。
 平成十年、東京都文化賞を受賞。
 平成十三年五月、九十五歳を迎えた氏は、ひとり芝居「司法権」を熱演する。五人の陪審員を大審院長が説得する様を一人で演じ分ける迫真の演技は圧巻であり、多くの人々の心に深い感銘を与えた。
 芝居一筋、ひたむきに情熱を傾け、九十五歳の今なお、現役最年長の舞台俳優として、舞台に夢を追い求める姿は、都民を始め多くの人々に感銘を与え続けており、広く都民が敬愛し、誇りとするところである。

○議長(三田敏哉君) お諮りいたします。
 本件は、いずれも知事の選定に同意することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(三田敏哉君) ご異議なしと認めます。よって、本件は、いずれも知事の選定に同意することに決定いたしました。

○議長(三田敏哉君) 追加日程第四、議員提出議案第二十六号、アメリカ合衆国における同時多発テロ事件に関する決議を議題といたします。
 案文は、お手元に配布いたしてあります。
 朗読は省略いたします。

議員提出議案第二十六号
   アメリカ合衆国における同時多発テロ事件に関する決議
 右の議案を別紙のとおり東京都議会会議規則第十二条の規定により提出します。
  平成十三年九月十九日

(提出者)
谷村 孝彦 東村 邦浩 中屋 文孝
矢島 千秋 高橋かずみ 山加 朱美
柿沢 未途 後藤 雄一 福士 敬子
大西由紀子 青木 英二 初鹿 明博
山下 太郎 河野百合恵 長橋 桂一
小磯 善彦 野上じゅん子 ともとし春久
萩生田光一 串田 克巳 小美濃安弘
吉原  修 山田 忠昭 林田  武
野島 善司 真鍋よしゆき 中西 一善
山口 文江 真木  茂 花輪ともふみ
酒井 大史 清水ひで子 かち佳代子
小松 恭子 織田 拓郎 藤井  一
東野 秀平 中嶋 義雄 松原 忠義
田代ひろし 三宅 茂樹 川井しげお
いなば真一 近藤やよい 高島なおき
鈴木 一光 吉野 利明 小礒  明
新井美沙子 相川  博 樋口ゆうこ
富田 俊正 福島 寿一 大塚 隆朗
古館 和憲 松村 友昭 丸茂 勇夫
鈴木貫太郎 森田 安孝 曽雌 久義
石川 芳昭 土持 正豊 倉林 辰雄
遠藤  衛 秋田 一郎 服部ゆくお
臼井  孝 北城 貞治 野田 和男
三原 將嗣 大西 英男 宮崎  章
執印真智子 馬場 裕子 西条 庄治
土屋たかゆき 河西のぶみ 中村 明彦
大山とも子 吉田 信夫 曽根はじめ
橋本辰二郎 大木田 守 前島信次郎
桜井良之助 新藤 義彦 星野 篤功
田島 和明 樺山 卓司 古賀 俊昭
山崎 孝明 山本賢太郎 花川与惣太
立石 晴康 清原錬太郎 小山 敏雄
大河原雅子 名取 憲彦 藤川 隆則
小林 正則 林  知二 東ひろたか
池田 梅夫 渡辺 康信 木内 良明
石井 義修 中山 秀雄 藤井 富雄
大山  均 野村 有信 比留間敏夫
松本 文明 桜井  武 佐藤 裕彦
川島 忠一 矢部  一 内田  茂
三田 敏哉 田中 晃三 藤田 愛子
尾崎 正一 田中  良 和田 宗春
坂口こうじ 木村 陽治 秋田かくお
東京都議会議長 三田 敏哉殿

   アメリカ合衆国における同時多発テロ事件に関する決議
 去る九月十一日、アメリカ合衆国の心臓部であるニューヨーク市の世界貿易センタービル及び首都ワシントンの国防総省に、相次いで、ハイジャックされた民間航空機が突入するなど、想像を絶する大惨事が起きた。これまでに、行方不明者は五千人を上回り、死傷者は数百人に及んでいる。
 これらの大規模な同時多発テロは、世界に対する許しがたい暴挙であり、アメリカ合衆国民ばかりでなく、全世界の人々を強く震撼させた。いかなる理由があろうとも、無差別テロによっては何も解決されるはずがないのは、自明の理である。
 無念にも蛮行の犠牲となられた方々に、深く哀悼の意を表するとともに、世紀の大惨事に遭遇された多くの方々に、心からお見舞いを申し上げるものである。また、東京都としても、今回のテロ事件による被害の復旧及び復興支援に全力で取り組む決意である。
 東京都の姉妹都市であるニューヨーク市に建つ世界貿易センタービルには約千二百の企業が入居し、五万人の人々が働いていた。その中には約三十の日本企業も含まれており、我々日本国民にとって、また、国際都市東京としても、大きな危機感を感じざるを得ない。今こそテロ行為は絶対に許さないという立場を全世界が共有する時である。
 よって、東京都議会は、人類全体の安全の確保のため、本事件にかかわる全容の早期解明及び新たなテロ事件の再発防止に向けて、全世界が全力を挙げて努力することを強く訴えるものである。
 以上、決議する。
  平成十三年九月十九日
東京都議会

○議長(三田敏哉君) これより採決に入ります。
 本案は、起立により採決いたします。
 本案は、原案のとおり決定することに賛成の諸君の起立を求めます。
   〔賛成者起立〕

○議長(三田敏哉君) 起立多数と認めます。よって、本案は、原案のとおり可決されました。

○六十七番(服部ゆくお君) この際、議事進行の動議を提出いたします。
 本日の会議はこれをもって散会し、明二十日から二十五日まで六日間、議案調査のため休会されることを望みます。

○議長(三田敏哉君) お諮りいたします。
 ただいまの動議のとおり決定することにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(三田敏哉君) ご異議なしと認めます。よって、本日の会議はこれをもって散会し、明二十日から二十五日までの六日間、議案調査のため休会することに決定いたしました。
 なお、次回の会議は、九月二十六日午後一時に開きます。
 本日はこれをもって散会いたします。
   午後二時六分散会

ページ先頭に戻る