平成十三年東京都議会会議録第四号

○議長(渋谷守生君) 二十六番藤田十四三君。
   〔二十六番藤田十四三君登壇〕

○二十六番(藤田十四三君) まず冒頭に、私の質問時間に関連して、都議会自民党、自治市民、都民の会からはなむけのご配慮をいただきましたことに御礼を申し上げます。
 次に、私ごとにわたって恐縮ですが、はなむけという表現でお察しのとおり、私は、本年七月の任期満了を待って、政治の世界から静かに去っていく気持ちですので、この発言が議員生活三十四年最後の本会議質問になります。
 さて、私は、今定例会開会日に、東京、日本、地球は重大な危機に直面しているとした上で、日本や世界の危機意識を共有した施策の必要性を強調された知事の所信表明に瞠目いたしました。その上で、任期を折り返した石原知事に、都政運営の基本に関連して、二点質問をいたします。
 質問の第一点は、財政構造改革の一環をなす福祉施策の見直しを引き合いに、知事が果たすべき責務についてであります。
 私は、都議引退の区切りにまとめたささやかな本の中で、石原都政のスタートを、一九九九年四月、石原慎太郎氏第六代東京都知事に就任、この経過と光景は動的で荒々しいと書きました。動的で荒々しいと書いたのは、都知事選立候補から当選に至る知事の立ち居振る舞い、言動に対する私の実感でありましたが、何よりも、石原都政誕生時の我が国の現状に対する私の認識、すなわち我が国の現状を見るに、戦後の日本を驚異的な経済成長へと導いた日本型経営システムの破綻が、今やだれの目にも明らかである。中央政府の主導による規制と保護とが絶妙に組み合わされて、国家総体としての画一的な方向性を規定する。
 いいかえれば、護送船団方式とも呼ばれたこの極端なまでに集権的なシステムが、国民意識の大きな変化とともに終えんのときを迎えようとしている。まさにそのとき石原都政が始まった。それは動的で荒々しいスタートになるという思いからであります。
 ちなみに、国民意識の変化とは何か。私見を述べれば、それは価値観の相対化であり、生き方の個性化であり、集団への帰属意識の希薄化であります。
 この状況下で、地方自治体で集権から分権への流れが加速し、かくして地方主権への要求とその全国的な高まりの中で、果たせるかな、石原都政は、日本の首都東京で率先してその受け皿となるべき、いわば地方政府ともいうべき存在感を示すことがそのスタートとなった。これが私の認識であります。
 こうして誕生ほやほやの石原都政に期待されたのは、住民による柔軟な施策の選択のもとで、住民の意思を反映したきめ細やかなサービスを実現するために、その責任をきちんと果たせるだけの実力を涵養することでありました。
 それも、平成十二年度予算編成時の財源不足が、再建団体指定となる二千七百二十九億円の赤字を超える三千二百四十二億円に達していたという都財政危機と抱き合わせであったことを思えば、知事が直面した事態の重大さが察せられるのであります。私は、知事が打ち出した財政構造改革は、こうした背景があってのことだと受けとめております。
 もとより、財政構造改革を考えるとき、すべての施策の再構築を検証せねばならないことは承知をいたしておりますが、質問時間の関係もあり、私の、ささやかですが、三十年に及ぶ地域医療生協の経験も見据え、福祉医療施策に踏み込んで私の論議を進めることをご了解いただきたいと存じます。
 周知のとおり、知事は、みずからの手で初めて編成した平成十二年度予算で、財政構造改革の一環として福祉施策の見直しに着手、その折、福祉を含め、都の施策は時代とともに、方法、価値観は変わらねばならないと明言、かつ施策の再構築、すなわち、スクラップ・アンド・ビルドに言及されたのであります。
 スクラップ・アンド・ビルドというとき、とかく非難の矢面に立たされるのはスクラップであります。しかし、所管局は白米だけ食わないでアワとまではいわないが麦飯も食べてもらわねばなどと、故池田元首相まで引き合いに出してラジカルにぶっ放す知事発言は、元気のよさとわかりやすさの反面、食い物の恨みは一生という庶民の怒りを買い、職員の努力も一緒くたに敵視されるのではないかという危惧にはらはらしながら、知事の意を体し懸命の努力をしたと思います。
 その努力の一環として、私は、知事が所信表明で触れられた、福祉局の駅前保育所や障害者諸施策、さらに衛生局の東京ERの整備や小児救急医療体制の支援策などを評価するにやぶさかではありませんが、この際特に私が紹介したいのは、都内五十八カ所の養護施設を対象にサービス評価基準を策定し、自己評価の試行を始めた職員の努力であります。
 養護施設に生活する子どもたちは二千八百人、その九割は、入所の段階で両親またはひとり親がおり、いわゆる孤児は一割に満たない。入所理由の半分は、親の家出か離婚。最近は、虐待や育児放棄で入所するケースが急増していると聞きます。
 さま変わりした世相に揺さぶられながら、成長過程にあり、かつ一人一人に特性があり、年齢にも幅がある子どもたちを対象に、何をもって評価基準にするか。恐らくゼロからのスタートであったに相違ありません。
 私が紹介したのはほんの一例であります。決してスクラップしっ放しではない。派手ではないが、職員が滝のような汗を流し、地をはう努力で取り組み、所管局の総力を挙げ、英知を結集したたくさんのビルドがあることを、知事は丁寧に拾い上げ、財政構造改革の課題と真正面から向き合った折り目正しい政策論争で、こうした取り組みを、都民と都議会に繰り返し繰り返しフィードバックする努力を通して、福祉施策見直しの評価を確かなものにすることが知事の責務であると考えます。
 知事就任以来、任期を折り返したこの時期、あえて財政構造改革の一環としての福祉施策見直しについて、知事の二年間にわたる総括の弁を承りたい。
 質問の第二点は、私の直言に対して知事の本音をお聞かせいただきたいということであります。
 私はこれまで、二回にわたる本会議一般質問と、産経新聞紙上への三回の寄稿を通して、知事に対する私の率直なメッセージを送らせていただきました。知事にはさぞかし大変迷惑なことであったと存じます。この機会に、ご寛容いただきたいと思います。
 同時に私は、一人会派という、都議会におけるみずからのポジションを十分わきまえておりますから、石原都政のご意見番などという思い上がった考えをみじんも持ったことはないことを、この際明らかにいたしておきます。
 また、いわゆる数々の石原発言には、石原知事の芥川賞受賞作品「太陽の季節」に寄せられた、ポーズと誇張に満ちているが真摯さはあるという、文芸評論家故中村光夫さんの選評と重ねて、その真意を思いあぐねることしばしばですが、私が最近刊行した本の中で、そのことに少し触れていますので、改めてあれこれ申し上げる重ねての非礼は差し控えます。
 私が申し上げたいことは一つであります。知事発言は重い。その重い知事の一連の発言を都政の場に置きかえて心配しているということであります。
 この際、率直に申し上げさせていただきます。
 今定例会で提案された組織改正の目玉となる知事本部の下敷きとなったであろう大統領府などの発想にうかがわれる、知事の強大な権力志向と、例えば石原新税にかかわって私がおこがましく指摘したような行政手法が合体し、常態化する。身近でだれも知事をいさめない。加えて、昨年第四回定例会終了時のコメントで私が言及した、容貌を動かしてここに暴慢に遠ざかる、この作風が知事の周辺でなくなる。さらに、執行機関と議会相互間のチェック・アンド・バランスの気概が不十分なまま、都知事のトップダウンが突出し、まかり通る。まさにこのヒエラルキーができたときの都政はどうなるのか。その危惧と、都議選、参議院選後、混迷必至の政局下、都民の知事への支持も、知事と都議会の関係も定かでないと見る私の認識を重ね合わせ、私は、これからの都政の行く末に思いをはせます。
 最初は、都政の流れを変えるというダイナミックな言動で都民の注目を集め、多少の傷は物ともせず突進してきたかの感があるが、今後は、都庁という巨大な組織を率いる長として、時には都政の隅々に行き渡る気配りをした指揮の完成度を高める努力が必ず求められる。あらゆる権力に、対抗勢力は必要なのであります。あえて自分に対する批判を含め、あらゆる議論によく耳を傾ける真摯さを忘れないでほしい。
 この二つが、栄光と挫折双方の修羅場をくぐり、鈴木、青島、石原三代にわたる都政の激動とめぐり合わせてきた私の、知事への直言であります。知事の率直なお考えをお聞かせいただきたいと存じます。
 ことし、東京は幾たびかの雪に見舞われました。ひとしきり、またひとしきり、静かに降る雪を見ながら、私は、万葉の歌人大伴家持の歌を一首思い浮かべていました。「新あらたしき年のはじめの初春の けふ降る雪のいや重しけ吉ょ事ごと」の一首であります。
 この一首は、万葉集四千五百首の捍尾を飾る名歌でありますが、家持は、万葉集編さんという大事業を終えるに当たって、その過去を振り返るのではなく、連綿と降り積もる清冽な雪を瑞兆と見て、うつし世にかくのごとく吉事の重ならんことを願う一首を詠じたのであります。その志いさおしは、もって多とすべきでありましょう。
 私が、二十年の長きにわたって都議会議員の職責を全うできたのは、ひとえに石原知事を初め理事者各位、渋谷議長並びに都議会議員各位のご鞭撻と、都民皆さんのご支援のたまものであります。
 私は、このことを改めて深く心に刻みつつ、最後の質問が、輝かしいあすの東京を切り開く一助となるべく、心からの提言をさせていただきました。
 願わくは、どうぞ私の意のあるところをお酌み取りいただき、繁栄と創造の雄々しきたいまつが東京の次の世代に確実に引き継がれんことを切に祈って、私の質問を終わります。
 ご清聴並びに長年のご友情に改めて感謝申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
   〔知事石原慎太郎君登壇〕

○知事(石原慎太郎君) 藤田十四三議員の一般質問にお答えいたします。
 大変本質的なありがたい建言、また、身にしみますご忠告に、心から感謝をいたします。
 あなたのような方が、これっきりこの都議会を去られるということ、まことに私にとっても都民にとっても残念なことと思います。
 しかし、唯一都議会にあった社民党の議席がついに消えるということも、国政における社民党の今日の、将来を象徴しているのではないか、何かそんな気もふといたします。
 スクラップ・アンド・ビルドということで、壊すものは壊さなくちゃいけませんが、しかしやはり、つくるべきものは果敢につくっていかなくちゃいけないと思います。
 新しい価値観と新しい方法が求められている時代でありますから、やはり司令塔も、それから、末端というと失礼でありますが、現場で働いている職員も、それぞれ皮膚感覚で都政というものをとらえて、やはりきめの細かい、しかし新しい発想で都政というものを構築していかなくてはならないと思います。
 あくまでも都政というのはチームプレーでありまして、一人や二人のチームリーダーなりそういった者が全体を引っ張り切れるものではございません。私も、かつてはサッカーやっておりましたし、長くヨットをやっておりまして、セーリングなどというものは、試合で死ぬとか生きるとかという、そういう際どい瞬間もございましたが、やはり、そこで一人の人間が手を抜くことで、当人だけが損なわれるのじゃなしに、船全体が沈みかねない。そういう連帯感というもので初めて、優勝もしたり嵐を切り抜けることができるわけでありまして、そういう経験を踏まえて、私は、リーダーとしてというか、指揮者としての責任は果たしますが、しかし同時に、かじを引く人間だけではなしに、部署部署で、シートを引き、帆をトリムし、あるいは、おろしたり上げたりする、そういう体を張った作業にいそしんでいるチームメートというものがいなければ、船も進まないし、都政も進んでいかないと思います。これは、私一人が、世間的に今少しは受けているかもしれませんが、一人で獅子奮迅してもどうなるものでは全くないと思います。
 おっしゃるとおり、我々が発想し実現しようとしていることを、議会を通じて都民にフィードバックする、それは当然でありまして、そこでさらにより多くの衆知が獲得されるわけでありますから、議会の皆さんにも、今後もひとつ積極的なご協力をいただきたいし、激しい討論を私はしていただきたいと思います。
 ただ反対のための反対ではなしに、やはり、反対するならきちっとした代案を出すというところで初めて真摯な討論が行えると思います。それを強く望むわけでありますが……。
 私は、これで二回ですか、現場で頑張っている諸君のアイデアに対する表彰式を、いつも非常にうれしい思いで出ております。やはり世の中というのはアイデアが変えていくわけでありまして、なるほどなというような、思わずひざたたくような発見とか発明というんでしょうか、思いつきというものを、やはり現場の諸君こそが考えつくということ。
 この都庁で座っている人たちは主にデスクワークでしょうけれども、それとてやはり、ルーチンという仕事におぼれずに、自分で考え、考え直すということで、デスクワークでも新しい発想というのは出てくると思います。
 例えば、主税局が先頭切ってやっている不正軽油の撲滅運動なども、これは、主税の徴税ということだけではなくて、その主眼というものは環境問題に対する対処でありますし、やはりこういう複合的な協力が必要でしょうし、また、福祉局がいい出した、国のルールをほとんど無視しても構わないからやろうということで、都の独特の認可制度の中で新しい保育所をつくっていくということも、やはり机の上から出てきた新しい案だと思います。
 先般も、アジアの大都市ネットワークの基本的な打ち合わせでマレーシアに参りましたときにも、長い知己でありますマハティールさんとも話しました。そこで、余り恵まれない大田区の中小企業、零細企業を、思い切って大田区ごと移すぐらいのつもりでひとつ協力し合おうじゃないかという話をした。個々に、どういうすばらしい、世界的にも優秀な企業が、非常に恵まれない形であるかという話をしました。
 そのときも、マハティールさんが、やっぱり、すべて世の中を変えるのはアイデアだ、政治もまたそうだ、アイデアがないところにいい政治なんかありっこないということをいっておりましたが、私は、その言葉をまことに強い共感で受けとめましたし、そういう点で、立場を超えて、とにかく自分の発想というものを持ち出し合って、そしてそこから、それを収れんすることで一番いい案というものを考え出し、そしてまたそれを果敢に実現していこうじゃないかということを申し合わせております。
 それから、二つ目といいましょうか、後段の、このままいくと独裁的なヒエラルキーができるんじゃないかというご懸念でございますが、これは、膨大な数を抱えたチームプレーである限り、そんなことはできるわけありません。
 ただ――ただですね、国の政府でもそうでありますけれども、政府の中に政府があるという傾向がややありますな、都庁には。これはやっぱり、みんなが合わせた発想というものを、とにかく各分局分局というものが要するに負担して行っていくことで初めて都政が成り立つわけでありまして、どの局が突出して重い存在感を持つということは間違いであると思います。
 それを過去の都政が助長してきたかどうか、私は言をはばかりますが、いずれにしろ、私が二年費やして感じたことは、私の前任者の青島さんの時代に、数人の副知事をトップにしたヒエラルキーができました。都知事はどうも不在だったようでありますけれども、これは非常に不健康なヒエラルキーでありまして、私はやはり、これを、都民から選ばれた限り、要するに都民の負託を受けて、そして受けた者の責任として、取りかえる、場合によったら壊すということで努力してきました。
 あと二年たって、もっと健全なそういう構造改革をしようと思いますが、今やっているようなことは、構造改革というか、そんなものにはほど遠いです。部分的な補修でありまして、まあ時間も要ることでありましょうが、しかし、そう時間もかけるわけにいかない。私の責任において、私の後だれが来ようが、つまり都民に選ばれた指導者たる知事が、都民の負託を受けた発想というものを十全に効率よく実現していく、そういう都政を、藤田十四三去りた後も、心がけて頑張りますので、どうぞひとつ、銘じて、ご安心くださいませ。
 今後の藤田議員のご活躍を祈念いたします。ありがとうございます。

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