委員長 | 樺山 卓司君 |
副委員長 | 藤井 一君 |
副委員長 | 丸茂 勇夫君 |
理事 | 松原 忠義君 |
理事 | 林 知二君 |
理事 | 大山 均君 |
服部ゆくお君 | |
馬場 裕子君 | |
山本 信君 | |
木内 良明君 | |
小松 恭子君 | |
五十嵐 正君 | |
山崎 孝明君 | |
山本賢太郎君 |
欠席委員 なし
出席説明員港湾局 | 局長 | 浪越 勝海君 |
技監 | 高見 憲一君 | |
総務部長 | 阿部 功君 | |
港営部長 | 高橋 和志君 | |
港湾振興担当部長 | 高橋 敏夫君 | |
開発部長 | 渡辺日佐夫君 | |
臨海部開発推進担当部長 | 平田 信幸君 | |
参事 | 高野 一男君 | |
港湾整備部長 | 増田 忠亮君 | |
計画調整担当部長 | 宮地 陽輔君 | |
離島港湾部長 | 小池 正臣君 | |
参事 | 押元 雅治君 |
本日の会議に付した事件
港湾局関係
予算の調査(質疑)
・第一号議案 平成十二年度東京都一般会計予算中、歳出、繰越明許費、債務負担行為 港湾局所管分
・第二十二号議案 平成十二年度東京都埋立事業会計予算
・第二十三号議案 平成十二年度東京都臨海副都心開発事業会計予算
・第二十四号議案 平成十二年度東京都羽田沖埋立事業会計予算
・第二十五号議案 平成十二年度東京都港湾事業会計予算
付託議案の審査(質疑)
・第百五十一号議案 東京都港湾設備条例の一部を改正する条例
・第百五十二号議案 東京都港湾区域及び港湾隣接地域占用料等徴収条例
・第百五十三号議案 東京都海岸占用料等徴収条例
・第百五十四号議案 東京都漁港管理条例の一部を改正する条例
報告事項(質疑)
・東京都海上公園条例施行規則の一部改正について
○樺山委員長 ただいまから経済・港湾委員会を開会いたします。
本日は、お手元配布の会議日程に従いまして、港湾局関係の予算の調査及び付託議案の審査並びに過日聴取いたしました報告事項に対する質疑を行っていただきます。
これより港湾局関係に入ります。
予算の調査及び付託議案の審査並びに報告事項に対する質疑を行います。
第一号議案、平成十二年度東京都一般会計予算中、歳出、繰越明許費、債務負担行為、港湾局所管分、第二十二号議案から第二十五議案まで及び第百五十一号議案から第百五十四号議案まで並びに報告事項を一括して議題といたします。
本案及び報告事項につきましては、既に説明を聴取しております。
その際、要求いたしました資料は、お手元に配布してあります。
資料について、理事者の説明を求めます。
○阿部総務部長 二月十八日開催の当委員会におきまして、ご要求のありました資料につきましてご説明申し上げます。
お手元の資料1、経済・港湾委員会要求資料をごらん願います。ご要求のありました資料は、表紙の次のページにありますように、全部で三項目、三ページでございます。
一ページをお開き願います。1、国内主要港における取扱貨物量の推移についてでございます。東京港を初めとする国内主要港五港について外貿と内貿に分けて、平成六年から平成十年までの五年間の貨物量の推移を一表に取りまとめたものでございます。詳細につきましては、ごらんいただきたいと存じます。
次に、二ページをお開き願います。2、国内主要港における外貿コンテナふ頭の整備状況と計画についてでございます。東京港を初めとする国内主要港五港について、平成十二年一月末現在における岸壁水深十三メートル以上のコンテナ専用の既設バース数と、各港の港湾計画による計画バース数を一表にとりまとめたものでございます。詳細につきましては、ごらんいただきたいと存じます。
次に、三ページをお開き願います。3、臨海関係第三セクタービルの入居状況についてでございます。平成十二年二月二十九日現在で調査いたしました臨海関係第三セクター三社につきまして、ビル別に入居件数、面積並びに入居率を一表に取りまとめたものでございます。詳細につきましては、ごらんいただきたいと存じます。
以上、大変簡単でございますが、ご要求のございました資料の説明を終わらせていただきます。よろしくご審議のほどお願い申し上げます。
○樺山委員長 説明は終わりました。
ただいまの資料とあわせて、これより本案及び報告事項に対する質疑を行います。
発言を願います。
○松原委員 私の方は、放置艇の現状と対策についてお伺いをいたしたいと思います。
最近の余暇時間の増大、あるいは週休二日制ということもあると思いますが、あるいは経済至上主義からいわゆる不況になりまして、時間がとれるということもあるかもしれませんが、いずれにしても、自分の人生をゆとりと豊かさを持って生きていく、そういう志向が非常に強くなってきていると思います。その中で、アウトドア、あるいは自然への回帰現象というんでしょうか、そういったもので、人間というのはどうしてもそういう潤いのあるところへ求めていくというふうなことでございます。特に、こちらは港湾局さんでございますから、そういう問題についていろいろとご苦労なさっていることはよく承知しております。
私自身も、よく河川とか湾岸を歩きます。大田区ですから、私の方は呑川というところがありまして、九キロにわたりますが、半分ずつ、四キロ半ずつ、ほとんど一日置きぐらいに四年半ぐらい歩いていたこともありました。最初は走っていたんですけれども、心臓に不整脈が出てしまったものですから、これは年のせいだなと思いますが、歩くようにしましたけれども、そういうふうな形であります。それと、もう少し時間がありますと、羽田空港がすぐ先にありますから、よくあそこの城南島なんかへ行きまして歩きます。野鳥公園なんかがありまして、大変すばらしいところだと思っています。
そういう中で、いろんなことをやっていただいていますが、きょうは船の問題について特に質問をさせていただきたいと思います。
多くの人々が潤いのある水辺を望んでいるんですけれども、逆にプレジャーボートなどが無秩序に係留されて、周辺環境や水質の悪化、これには放置艇、船そのものを置いていったり、エンジンを外して置いていっちゃったり、ごみの不法投棄なんていうのもあるということでございますが、そういうふうな水質の悪化などの原因も見受けられます。河川も港湾も、水面というものは、ひとしく都民の共有の財産、これは本当にそうだと思うんです。私たちが、やはり自然のものというのは、恵みとしてみんなが共有して大事に守っていくんだという、そういう基本理念があると思うんです。その利用について一定の条件を設けて、その条件のもとに適正な利用がなされるべきと私は考えています。
港湾における水域の占有許可は、船舶の航行安全の確保、あるいは港湾機能を秩序あるものに保っていくために必要なルールの一つであると考えています。そこで、水域占有許可を得ていない船舶の現状と対策について、何点かお伺いしていきたいと思っています。
まず第一に、東京港の港湾区域内で許可を得ずに係留しているプレジャーボートや屋形船などの船舶はどの程度あるのか、お伺いいたします。
○高橋港営部長 平成十一年十二月に調査した結果でございますが、今、先生ご指摘のいわゆる放置艇と呼ばれる係留許可を得ていないプレジャーボート、これが六十一隻ございました。さらに、遊漁船、屋形船、これをくくりまして三隻ございます。なお、プレジャーボートにつきましては、東京港の管理運営上、支障があるため、マリーナ以外での係留、保管につきましては認めておりません。
○松原委員 それで、私の方は、港湾のことと河川の方と両方、実は資料をいただきました。そうしましたら、要するに、所定の手続を経ていないというものが、河川の方ではプレジャーボートが七百八十一、遊漁船で屋形船が二百九十一、業務用船舶が百七十二、合わせて千二百四十四そう。それから、港湾の方は、今、いわれたとおり六十一と三隻で、業務用が二百九十七ですか、三百六十一そう。合計しますと、プレジャーボートの方が八百四十二そう、遊漁船と屋形船が二百九十四そう、それから、業務用船舶が四百六十九そう、合わせて千六百五そうなんです。
それで、許可を受けているのが二千二百三十一そうと聞いていますので、逆に二千二百三十一そうから千六百五そうを引きますと、許可を受けているのは六百二十六そうしかないということで、何と許可を受けているのは三割しかなくて、残り七割は許可を得ていないと、こういう現実なんです。これが逆さまなら、不法係留とかそういうのはよくわかるんですけれども、これは本当にどういうことなのかと、都民の一人として単純に思っています。これは後ほど触れていきますけれども、自動車のことを考えてみると、こういう現状をいつまでも認めていてもいいのかなというふうに強く思っているところでございます。
そこで、今、このような形の中で、数字的には河川と比べて東京湾のプレジャーボートの不法係留は比較的少ないと思いますが、これはやはり夢の島のマリーナを整備して収容しているためであると思いますけれども、その利用率がどうなっているか、お尋ねいたしたいと思います。
○高橋港営部長 夢の島マリーナの平成十二年二月末現在の利用状況でございますが、マリーナには六百五十七隻の収容能力がございます。これに対しまして、現在、五百五十七隻の利用をいただいております。利用率は約八五%、受け入れ可能隻数は百隻となっております。
○松原委員 それでは、現在、不法係留しているプレジャーボート六十一隻は、今のお話ですと、十分入れるということになると思いますが、港湾管理者として、許可を得ずに係留しているプレジャーボートの所有者にどのような対応をしているのか、お尋ねいたしたいと思います。
○高橋港営部長 許可を得ずに係留している人たちに対しましては、監視艇によりまして、毎日巡回を行いまして、撤去の警告書を船舶などに張るなどして指導に努めておりますが、ただいま先生ご指摘のマリーナへの収容につきましては、現行の法令では強制力がございません。なかなか効果が上がっていないというのが実情でございます。
○松原委員 ことしの一月でしょうか、運輸省港湾局の方で港湾法の一部を改正する法律案の概要が発表されました。その中に、第五番目として、港湾の適正な管理のための放置艇対策の充実という中で、いわゆる放置艇の対策として、港湾区域のうち港湾管理者が指定した一定区域内における船舶の放置等を禁止するとともに、港湾管理者が撤去、保管した所有者不明の放置艇等について、その売却、廃棄等の処分を行うことができるとするということで、ことしの二月八日、閣議決定をしたというふうにあります。
それと同時に、呼応しまして、東京都の方では、建設局と港湾局、これが一緒になりまして、東京都船舶の係留保管の適正化に関する懇談会を設置なされておりますが、そういうことで、それを設置して検討を始めたと聞いていますが、これはどのようなことを検討するのか、また、いつごろ結論を出していこうとしているのか、お尋ねいたしたいと思います。
○高橋港営部長 ただいま先生のお話の懇談会でございますが、これは河川、港湾などの公共水域の秩序ある適正利用の基本的な考え方や、五トン未満の船舶の届け出など条例による規制を前提とした対策につきまして、外部専門家、国等の行政機関、あるいはマスコミ、利用者、一般公募の都民の方々に幅広い見地からご検討いただきまして、ことしの十二月には提言を取りまとめていただく予定になっております。
○松原委員 この懇談会では、制度面の見直しなど、不法係留に対する抜本的な対策というのは打ち出せないものなのかどうか、お尋ねしたいと思います。
○高橋港営部長 放置艇対策には、適切な保管場所への誘導とあわせまして、港湾管理の強化を進めなければなりませんが、放置艇を抜本的に解消していくには次のような対策が考えられると思います。
まず一つは、五トン未満の船舶の登録及び船舶の保管場所確保の義務化でございます。五トン未満の船舶につきましては、現在、船舶検査制度がございますが、登録の義務づけがないため迅速に所有者を特定することが困難となっております。そのため、放置されている船舶に対しまして、適切な指導が難しい状況にございます。また、船舶の保管場所については、自動車における保管場所確保と同様の制度の創設が考えられます。
二つ目でございますが、即時強制による排除の制度化でございます。緊急に放置艇を排除しなければならない場合には、自動車の違法駐車のように即時に排除が可能となる制度が考えられます。なお、これらにつきましては、現行法制度では実施できませんが、懇談会の場を含めまして関係機関や有識者等と十分協議をいたしまして、その実現可能性について精力的に検討してまいります。
また、国におきましては、先ほど先生、いろいろお話しございましたように、現在、港湾の適正管理のための放置艇対策といたしまして、港湾区域の一定区域内における船舶の放置など、こういうものを禁止する港湾法の一部改正を進めておりますが、私どもも引き続き法制度の充実を要望してまいりたいというふうに考えております。
○松原委員 今、いわれましたけれども、自動車は陸にあるということで、大変厳しい車庫証明をとったり、違反の罰則が非常に強いんですけれども、やはり海だから、海は広いな大きいなというわけじゃありませんけれども、行政が非常にアバウトなんです。ですから、やはり自然を守っていく、共有のものだという、本当にそのことは大事なことだと思いますし、もう少しこの辺について、私は、特にプレジャーボートとか、そういった問題については義務化を強くしていくべきだというふうに思います。ただ、義務ばかりやっても、場所を確保できなきゃどうしようもないわけです。ですから、あわせて場所の確保ーーただ、場所の確保というと、大山先生やうちのクラブの方にも話していたんですけれども、どうもいいものを、立派な停留地というんですか、考えちゃう。だから、そうじゃなくて、もっと気楽に泊まれるような簡易なものでいいですから、そういったものをたくさんつくっていくということが大事じゃないかと思うんです。
それで、この中に、特に係留施設の整備なんですが、船そのものは、結局、河川であろうと、湾であろうと、出ていっちゃえば同じなわけなんですが、やはり圧倒的に河川の方が多いわけです。その河川の方では、暫定の係留施設が平成九年から十八年度の十年間でしょうか、この間で計画を立てていますが、今のところはまだ実施状況が二七%しかない。マリーナに至っては、検討中ということで進んでいないという状況なんです。ですから、場所の確保、これを早急にやるべきだというふうに私は思っています。
そういうこととあわせて、もう少し徹底した、船を持っている方に対しての監督というのをきちっとしなきゃいけないと思うんです。特にプレジャーボートの場合には、大変失礼ですけど、ある程度、趣味的な問題で持っている人が圧倒的に多いと思うんです。それだけあれば、当然、義務負担じゃありませんが駐車料を払う、車だったら払うわけですから、当然そういうものも、それに関連して取ってもいいと思います。ただ、遊漁船とか屋形船、これは多少、やはり生計というものがありますから、そういう中で考えていくべきだと思いますが、その辺をきちっと精査しながら、今後の行政運営に当たってほしいというふうに思います。
私が危惧していますのは、千葉県の方もあるわけですけれども、東京湾にプレジャーボートとかモーターボートとか、そういう遊漁船というものがいっぱいあふれちゃって、港湾機能ーー東京都としては、実際、大きな豪華客船が来たり、あるいは都内の台所を預かる、そういうふうなものとして機能しているわけです。ですから、東京湾全体として、この物流のもの、あるいは客船のもの、そしてレジャー的なもの、そういったものをどういうふうに認識して湾の、船の行政というものを考えていくのか、ある程度、基本的な考え方があればちょっと教えていただきたいというふうに思うんです。
○浪越港湾局長 ご指摘の不法係留の問題につきましては、港湾管理者として、船舶の航行の安全性の問題とか、あるいは先ほどお話のありましたように、負担の公平性の問題等からして、放置しておけないと考えてございます。お話にありましたように、私どもそういう考え方のもとに、本年一月に建設局と共同で、外部の専門家、あるいは国の行政機関の方、あるいは利用者の方、一般都民の方々をメンバーといたしまして、東京都船舶の係留保管の適正化に関する懇談会というのを設置いたしまして、現在、先ほどお答えしたように、検討を進めているところでございます。
一方、東京港を見てみますと、年間約三万五千隻の船舶が入港してございます。この船舶の航行の安全確保は、私どもにとりまして最も重要な課題というふうに認識してございます。基本的に、船舶の安全航行につきましては、港則法によりまして国の海上保安庁が所管しておりますけれども、私ども港湾管理者としても、大型コンテナ船などの大型の船と、お話のありましたようにプレジャーボート等が錯綜しないよう、港湾施設の整備に当たっては十分配慮しているところでございます。
今後、議会でのご意見や、ただいま検討しております懇談会での議論を踏まえて、都として何ができるのか、何をやらなければいけないのか、法改正が必要ならば国に対して強く法改正を要望するなど、強く働きかけてまいりたいと考えてございます。そうして抜本的な対策を講じて、一日も早く多くの都民の方々が安全で快適な航行ができるよう、官民一体で安全確保に取り組んでまいりたいと考えてございます。
○松原委員 ありがとうございました。一応、そういうことで、東京湾全体が調和をとれて、夢のある、また、生きがいのある、発展する東京湾であってほしいなというふうに思います。
最後に、このたび水域占用料の改定が提案されていますけれども、これは受益者負担の適正化といった観点や、前回の改定から七年たっているというふうなことから考えますと、今回の改定は、私どもとしてはやむを得ないものというふうに認識をしております。しかしながら、今日の長引く不況、低迷などを考えますと、事業者への負担増は決して少ないものではありません。こうした改定を行うからには、料金徴収に当たっても、払う人と払わない人がいるようなことでは、不公平な実態が生じるわけでございますし、これは早急に解消されていかなければならないと思います。したがいまして、不法係留の解消に当たっては、先ほども答弁があったような抜本的な対策を一日も早く実現するよう強く要望して、私の質問を終わります。
○丸茂委員 私は、我が党の代表、あるいは予特質問でも取り上げました有明北の旧貯木場埋立問題について伺います。
二十一日には、江戸前の海十六万坪を守る会の皆さんが運輸省に対し、都の埋立事業の認可申請を認めないよう要請されています。そのとき運輸省では、三月十日に受理している、慎重に審査したいと、こういわれたそうです。しかし問題は、東京湾湾奥の貴重な水面、浅場を、都は何が何でも埋め立てを推進すると重ねて答弁しており、私どもは、埋め立てが自然を破壊し、埋め立ての土地利用が大企業に利益をもたらすものとして厳しく指摘をしてきたところです。この委員会にも、旧有明貯木場計画の再検討を求める決議案も提出してきたところです。
局長はこれまで、平成七年からの懇談会やその小委員会、都議会特別委員会等で議論を重ね、それらの議論を踏まえて平成九年に見直しを行って、地権者や区の合意を得て計画を進めてきたと答弁されています。しかし、現在、環境と公共事業のあり方、これに対する国民の批判、認識の変化、あるいは財政状況などによって、見直すべきものは勇気を持って立ちどまって見直すということが私は大切だと思います。
そこで、この埋め立ての根拠となった環境影響評価がどうであったのか。正確で客観的な調査結果と、かつ、その状況を的確に評価し、それをもって結論を導き出す、このことが大変大事だと考えております。そういう評価の結果に基づいて、東京都や関係自治体などが判断材料としてきたのでありますから。そこで、先日の予算特別委員会で、我が党の渡辺委員の答弁で改めて確かめたいことがありますので、伺いたいと思います。
その前に、ハゼの生息孔調査結果、(図を示す)これは九七年十二月ですけれども、有明貯木場、ここですけれども、生息孔イコール産卵孔といってもいいんですが、一・三〇、その周辺はゼロ、多少〇・八がありますけれども、羽田沖のこの浅場で三・〇という数字から見ても、有明貯木場が非常にハゼが生息している。わけても、浅場ですから、十二月に非常に生息しているということがうかがえるわけです。
それで、マハゼの産卵期に関してお伺いしたいと思うんですが、局長は、有明北地区では巣穴の数が十二月がピークとなりましたが、マハゼの生殖腺が未成熟であったことや、巣穴の延長も短く、産卵のための部屋もできていなかったことから判断して、十二月については産卵期ではないと判断しております、と答弁されました。答弁では、巣穴の数が十二月がピークだということは認めました。しかし、マハゼの生殖腺が未成熟だったから、十二月期は産卵期ではないという認識を示されたわけです。生殖腺の成熟度を判断するものに、生殖腺成熟度係数というのがあります。有明北のマハゼの生殖腺が未発達ということは、生殖腺成熟度係数が幾らで、何をもって未成熟と判断したのか、まずお伺いいたします。
○高野参事 生殖腺の熟度係数といいますのは、魚類の産卵期を推定する一般的な係数で、生殖腺の重量と魚の体長との関係から定まるものでございます。生殖腺の熟度は、係数がおおむね二〇を超えると産卵期になっているというふうに判断されておりますけれども、有明北地区の調査では、十二月には〇・四二から一〇・二九、二月には一四・一八から二〇・二〇、三月期には一・四七から七・二八となっていることがわかりました。この結果と生息孔の形状、これは特殊な樹脂を生息孔に流し込んで型をとって調べるものでございますけれども、それとか、その型をとったものに卵がついているかどうかというようなことの結果などから、専門家も入った委員会で検討の上、総合的に判断したものでございます。
○丸茂委員 確かに二〇以上というのがあるんですが、これは二十年前の兵庫県水産試験場の赤穂の研究結果で、そういった数字が示されております。
一方で、東京都水産試験場の東京港のマハゼの成熟度係数に関して、研究、調査をやっておりますけれども、その点はいかがでしょうか。
○高野参事 ご質問の東京水産試験場の調査でございますけれども、水産試験場では、五十五年から五十八年にわたっての調査を、昭和六十年三月に東京都内湾生息環境調査報告書の中で取りまとめておりまして、そこで生殖腺の係数について報告をしております。
調査では、多摩川河口付近において、十二月から六月の間に七回採取した百九十七匹について測定を行っておりますけれども、調査結果は、マハゼの生殖腺の熟度係数が二月下旬から三月上旬にピークになっておりまして、産卵のピークは熟度係数が下降する三月中旬以降というふうにしてございます。
○丸茂委員 今、多摩川河口の説明があったんですけれども、それ以外に、成熟度係数が一五・七から一七・五で完熟個体と述べていることも指摘されております。この報告は極めて慎重で、産卵後の卵巣のしぼみもあり、卵の径の調査を含め、組織学的な調査の必要性を強調しているのが特徴です。したがって、有明北の十二月の成熟度係数は、先ほども一〇・二九といわれましたけれども、そのほかの調査でも一二・五二という数字もあります。この数値について専門家にも聞きましたら、専門家の判断では、この程度の数字があれば直後に産卵する可能性はあると、こういうご説明をいただきました。ですから、局長も最初に述べられたように、十二月が巣穴がピークだったということは、逆に産卵孔として大変多いということを証明したんではないでしょうか。というのは、ハゼというのは、卵を産むために穴を掘って、それが生息孔になるんですが、一年物ですから、そこの穴に卵を産みつけて、それが成長して浅場から深場へと、それで一年間回って戻ってくる、そういう仕組みになっております。
そこで、次に、巣穴の延長も短く、産卵のための部屋もできていなかった、このことも十二月期が産卵期ではないという理由になっております。それでは、マハゼの巣穴はどういう構造になっているのか、まずお伺いいたします。
○高野参事 マハゼの巣穴の形状がどうなっているかということでございますけれども、水産試験場の調査結果等から、あるいは先ほど申しました型どりをした結果から申しますと、入り口は大体五センチ程度の穴が何カ所か、三カ所から五カ所ぐらいありまして、その下の方に斜孔といいますか、斜めに地中に向かって十センチ程度の穴がずっと掘られていると。その先端の方に部屋らしきものがつくられて、そこの屋根の部分といいますか、壁の部分といいますか、そこに卵を産みつけるというような構造になっておりまして、大体大きさは、大きいもので深さで二メートルぐらいにも及ぶものがあるというふうに認識しております。
○丸茂委員 今、説明されたのは、環境影響評価にも(図を示す)ちょっと小さいんですが、こういう巣穴が一番下に、水面から下がった底に、なおかつ巣穴を掘って、その天井に卵を産みつけると、こういうことになっているんですが、有明北が巣穴の延長も短いとかいろいろいわれているんですが、平成八年度の環境影響評価書の二の二六三ページでは、有明北の主な底質についてこう述べています。「有明貯木場では貝片の堆積や木板、丸太、貝片、ワイヤー等の埋没や放置が広範囲で観測されている。これら埋没物等は、マハゼが地中に生息孔を造成する際の阻害要因として働いている可能性が考えられる。そのことは、マハゼ生息孔の構造調査結果より、マハゼの生息孔としては三十五センチ程度と浅いことからも伺える。」と指摘をしております。
小さいんですが、先ほど部長も答弁されたように、普通の巣穴というのはこう、きれいになるんですが、有明北は、それこそ巣穴がへり出したような、これは鹿の角のようなものですけれども、ここにも産卵が着床しているということも明らかになっております。
そこで、今述べてきたような有明北の特別な条件のもとで、巣穴の延長が短いとか、産卵の部屋ができていないからということで、十二月期が産卵期でないといえるのかどうか、改めてお伺いいたします。
○高野参事 平成八年度の調査結果は、東京港のマハゼの産卵場所ですとか産卵時期についての定説、これは基本的には水深が七メーターから九メーターのところに多く見られ、産卵の最盛期は二月から四月というようなことが実は定説になっておりまして、八年度の調査結果は、それから比べると大きく異なるということがわかりました。
そこで、平成九年度に、大学の先生ですとか東京都の水産試験場の専門家等も入った委員会を設置いたしまして、詳細な調査を実施することに実はしたわけでございます。その結果、有明北地区の巣穴の数は、確かに十二月にピークになりましたが、先ほど申しましたように、マハゼの生殖腺の未成熟であったことや、巣穴がきちっと形成されていなく、産卵のための部屋もできていなかった。それからまた、私どもの調査で型どりをした限りでは、卵の痕跡は認められなかったというようなことで、十二月については主な産卵期ではないというふうに判断したものでございます。
生殖腺の状態ですとか生息孔の発達ぐあいから判断して、二月から三月であると判断したものでございます。マハゼの生殖腺の状態は、二月期に最も熟してきており、産卵期が近づいていることが確認できておりまして、また、生息孔の発達ぐあいも、孔の型どりを行い、形状や寸法を確認した上で判断しております。
以上から判断して、産卵は二月期から三月期に行われているということで、この三月の調査結果をもって比較の対象とすることとしたものでございます。
○丸茂委員 いろいろいわれましたけれども、とにかく、産卵の状態、これを調べるのも、石こうみたいなものを流して、それで型を取り出して、そこに着床しているかどうか調べるというので、大変な作業なんですよね。ですから、いろいろな調査でも、実際、確認する場合は、いろいろやっても九・一%とか八・三%、そういう数字なんです。その貴重な数字が、この有明北でも着床が見られたということは、私は、ここがハゼの産卵の非常に大事な場所であると。時期の問題は、多少、私と見解が違いますけれども、特に浅場が、水面から浅いというところで早く産卵をする。そのために生息孔数も、東京湾全体の調査でも十二月が一番多いんです。そういうことからも、私はいえるんではないかというふうに考えております。
次に、埋立予定の土地問題について伺っておきます。
有明北の埋め立ては、臨海開発の当初の基本計画では、この埋立地を一千億円で臨海会計が引き取ることになっていたはずであります。ということは、埋立会計に一千億が収入として入るわけで、埋立造成、あるいはそのお金を都民の暮らしや福祉に回すこともできるわけです。また、今回の埋立計画においても、埋め立ての三分の一を処分することで、埋立造成費や移転補償費、基盤整備費や建設利息など七百五十九億円を捻出する仕組みになっております。そこで、残りの三分の二の土地を処分すれば、少なくとも埋立会計に約千二百四十億円残るんじゃないかと計算上示して、なぜ埋立会計に一円も残らないのかという質問をしてきたところです。
それに対して答弁では、埋め立てについては、埋立造成費や護岸整備費などを埋立地の処分収入で賄うこととしてございます、埋め立て後、広域幹線道路の整備のために一定の開発者負担をするが、その他埋立地からの処分収入は埋立会計に収入され、埋立造成費などに充てられる、という答弁をされております。それでは、この有明の埋め立てで幾らぐらい収入と見込まれるのか、それはいかがでしょうか。
○高野参事 有明の埋め立てによって一千億の収入を得るということについては、私どもとしては、そういう計画でこの事業を行っていることではないというふうに思います。
埋め立てにつきましては、埋立造成費や護岸整備費などを埋め立ての処分収入で賄うこととしております。埋め立て後、広域幹線道路の整備などのために開発者負担を行うことについては今後決定されるため、埋立会計の収入額については現在のところ未定でございます。いずれにいたしましても、何百億も余剰金が残るというような計画ではないというふうに、私ども認識しております。
○丸茂委員 一千億という数字は、まず臨海副都心開発の一端として計画を進められ、今、そこから外されて別の土地区画整理事業、大街区方式で取り組んでいることは承知しております。一千億というのは、臨海副都心開発当時、見込まれていたということを指摘したわけです。
具体的な数字はわからない、そんなに大したことはないというお話です。私ども、予特でもうやりましたので、これ以上いいませんけれども、区画整理事業でこの事業を進めるのであれば、本来、地権者が道路など減歩をし開発整備をしていく、そういう仕組みになるわけです。その場合、減歩率が普通でも二割から三割減歩になる、このことも指摘をいたしました。しかし、この有明の埋め立ての計画は平均で一八%、私どもの計算では、それがさらに五%から六%の減歩と、ほかに例のない優遇措置がとられていることも指摘をしてきたところです。その地権者の中には、大手ゼネコンやデベロッパーなどもあることも指摘してきたところです。そうした、開発のために埋め立て、それをさらに地権者に優遇措置として提供するということが明らかになっているんだろうと思います。
それで、有明北地区の埋め立てのもう一つの目的が、知事答弁にもあったとおり、都心部と臨海副都心を結ぶ広域幹線道路計画の延伸、こういう目的があります。そのため、有明北の埋め立てだけでなくて、豊洲も埋立計画があります。そこで、豊洲の埋立計画、これはこれまで質問してきたものではないので改めてお伺いいたしますけれども、どのような計画となっているのか。
○高野参事 豊洲地区では、水域に囲まれた地域特性を生かしまして、住宅、業務、商業、文化、レクリエーションなどの諸機能が効果的に複合された活力ある市街地を形成することを目指しまして、現在、事業が進められているところでございます。お尋ねの防潮護岸整備も、そうしたまちづくりの一環として、昨年八月より工事に着手したところでございます。
その概要ですけれども、地域が高潮に対して安全であるとともに、人々に開かれた親水空間を提供することを目的に、地区を取り巻く形で幅約三十メートルから五十メートルの沖出しの埋め立てを行いまして、緩傾斜型の護岸を整備するものでございます。埋立面積は約十四・五ヘクタール、護岸延長は、約四・三キロメートルの計画となっております。
○丸茂委員 それでは、豊洲の埋め立ては財政的にはどういう負担になるのか、一般財源の投入もどうなるのか、財政面でもお伺いしておきます。
○高野参事 この埋め立ては、親水性にすぐれた緑地を確保することにあわせまして、防潮機能を確保するという公共的な目的がございます。しかし一方、この整備によりまして、豊洲地区の土地利用転換が図られ、土地の利用価値が大きく増進することが見込まれますことから、地権者が二分の一を開発者負担としてーーこれは総事業費約六百億円を見込んでおりますけれども、地権者が二分の一を開発者負担として、残り二分の一を東京都が負担することとしておりまして、残り二分の一の二分の一に一般財源を予定しております。
○丸茂委員 二分の一、二分の一の、そのうちの都の二分の一が一般財源、百五十億になるんですか、そういう税金投入になると。そういたしますと、この豊洲の護岸整備というのは、通常、高潮護岸、こういうもので整備をしてきたと思うんです。今回、防潮護岸の整備という先ほどご説明があったんですが、じゃあなぜ沖出ししたのか、そういう整備の仕方をしたのか。利用目的なり、その理由です。いかがでしょうか。
○高野参事 豊洲地区につきましては、大部分が民有地でございまして、都民に開かれた親水性豊かな水辺空間と背後の緑地を整備するためには、どうしても一定の埋め立てが必要であるというふうに考えております。
一方、前面の水域は船舶の航行に利用されております。また、河川の洪水対策などからも、埋め立ての範囲はおのずと制約を受けるものでございまして、関係機関との調整を経て現在の埋立幅が決められたものでございます。
○丸茂委員 それでは、この沖出しした土地を含めて、土地区画整理事業でこれを進めるということですから、それの事業に含まれるのか。それとも、今、航行の問題だとか云々といわれましたけれども、まず含まれるのか含まれないのか、そこを確認しておきたいと思います。
○高野参事 防潮護岸の設置に伴います埋立部分については、区画整理事業の中に組み入れる予定で、現在、事務的な手続に入っております。
○丸茂委員 組み入れるんですよね。結局、護岸と緑地をずっと周辺につくるということになると思います。そうすると、こうした緑地だとか広域幹線道路を通す、いろいろ区画整理をやっていく上で対応が求められます。先ほども答弁にありましたとおり、豊洲の地権者が東京ガスや東京電力なんですね。こうした民間企業の土地が圧倒的に多いということから、その協力も求めなければならないと。
そうなりますと、こうした広大な土地ができれば、減歩をするに当たっても、その分は公共用地、緑地として確保されるわけですから、地権者には減歩を余り負担させなくて済むと、こういうことにもなるわけです。そういう点で、緑地が必要だったら護岸の内側に、一般的であれば、公共緑地をつくるんなら減歩の中から緑地をつくればいいわけで、航行の安全だとかいうんだったら、わざわざ沖へ出すことはないわけです。そういう、やはり開発を進めるために、わざわざ通常の護岸整備から沖合に三十から五十メートルの幅で埋め立てをすると。ここも埋め立てをするという点では、私は非常に問題があるというふうに思っております。
港湾局長は、公営企業会計の責任者でもありますから、公営企業会計というのは損失を与えてはならないと、こういう法律上の責務を持っております。その点で指摘をしながら、最後に、この問題について私ども、有明の埋め立てについて二月二十二日に局長にも申し入れを行ってきました。そのとき、環境庁の東京湾水域環境懇談会が中間報告をしている中に、開発を目的とした埋め立ての抑止という項で、東京湾が限られた貴重なオープンスペースであり、かけがえのない自然環境であることにかんがみ、今後、臨海部における新たな空間需要に対しては、この未利用地、東京湾岸の既存埋立地に未利用の土地や工場の跡地など、こういうものを指摘しているんですが、そういったものの有効利用により対応して、開発空間確保のための埋め立ては抑止することを基本とすべきであると指摘をしております。この点について、局長の所見を伺いたいと思います。
○高野参事 環境庁の懇談会の中間報告につきまして、これは平成二年の十月に出されたものでございますけれども、東京湾の望ましい水域環境の実現のための方策について提言を行ったもので、今後の水域環境保全再生方策として、東京湾への関心を呼ぶための方策、水質保全策、なぎさ環境の保全再生方策、水域環境保全再生推進のための体制や仕組みの整備というようなことについて述べております。
今、お話しの埋め立ての抑止については、三番目のなぎさ環境の保全再生方策のところに出てくるものでございまして、個別の地域を対象にしたものではないというふうに私ども、聞いております。この中間報告の後、最終報告ですとか、あるいはそれに基づく通達ですとか、法改正ですとかいうことが具体的に行われたという動きは特段ございません。
なお、この中間報告で述べられている事項の多くにつきましては、東京港港湾審議会の水域環境部会で昭和四十年代後半に議論されまして、それが昭和五十年の、東京港湾局でいいますと、海上公園条例の制定につながり、それを経て、葛西沖の人工なぎさの整備などの東京港の水域環境改善対策につながっております。
○浪越港湾局長 ただいまお話にありました、環境庁の水質保全局で編さんいたしました中間報告でございますけれども、これは環境庁の水質保全局長の委嘱によりまして、昭和六十三年十一月に設置された懇談会でございまして、今ご答弁しましたように、平成二年の十月に中間報告として出されたものでございます。当然、私どもはこの有明の貯木場も含めました水域だけを対象とするものではないというふうに理解しておりますし、平成二年に中間報告を出され、今の有明北の計画ができておりますまちづくり推進計画を検討する中で種々議論され、この趣旨が生かされているんじゃなかろうかというふうに私は考えております。
そういうことで、有明北地区の護岸についても、大きく四つほどの機能を持たせた護岸にするなど、今までと違うような護岸になっているのは、まさにこの精神を引き継いだものだろうと、私はそのように考えてございます。
○丸茂委員 精神を引き継いでいるということですけれども、これは開発のために埋め立ては抑止しなさいと、何か埋め立てた後から人工なぎさとか浅場をつくればいいといってるんじゃないですよね。わけても、東京都だってそうでしょう、港湾局がどうしても廃棄物の最終処分場として、これはやむなく埋め立てによって新海面処分場という、かなり大規模な埋め立てをやらざるを得ない、そういうことが進んでいるわけです。
したがって、貴重な水面、それをわざわざ開発のために埋めることは、特に、この有明北湾奥のこういうところは貴重な水面だということから、私は、それぞれ東京湾全体、特に指定はしていないというんですが、環境庁もそういう視点で見ていると。それだけじゃないんですよね、ここは環境委員会じゃないからこれ以上やりませんけれども、東京都環境科学研究所、東京都自身も、東京湾内湾に残る浅瀬が水環境の保全に果たす役割についてというんで、浅場がいかに環境に大事なのかということを調査、研究しているんです。
したがって、私どもは年々水面が減少していく中で、湾奥の有北の水面、浅場はますます大事になっていると。この有明北埋め立てに関して、千三百億円もの事業費となります開発優先のこの埋立計画を根本から見直して再検討するよう求めて、質問を終わります。
○藤井委員 私は、臨海部の埋め立てについて何点かお伺いしたいと思います。
まず、東京港の臨海部埋立地におきましては、環境整備のため多くの海上公園を整備し、緑豊かな東京港臨海部の実現を東京都は目指しているというふうに伺っております。この海上公園の今まで整備したところが何カ所あるのか、その面積は幾らぐらいあるのか、そして、さらに埋立地に占める公園の面積の割合、これについてお伺いいたします。
○渡辺開発部長 東京港におきましては、埋立地に緑豊かで良好な環境を回復し、都民が海に親しめる場所を提供するために海上公園計画を定め、昭和四十七年度から着実に環境の整備を推進してきております。今までに整備した公園は四十二カ所でございまして、整備面積は陸上の区域でございますが、約三百六ヘクタールでございます。
埋立地に占める公園の割合についてでございますが、現行の埋立地開発要綱の対象区域二千七百三十九ヘクタールに対しまして、都市公園を含めまして、現在開園している公園の面積は約三百七十八ヘクタールで、約一四%となっております。
また、海上公園のみということにいたしますと約二百九十九ヘクタールで、占める割合は約一一%でございます。なお、ちなみに二十三区内の都市公園等の占める割合は五・八%でございます。
○藤井委員 今ご答弁にありましたように、海上公園が非常に大きく整備されており、そういう意味では、二十三区内ではなかなか緑、公園の面積というのは限界があるわけですが、二十三区内の公園等の占める割合に対してこの海上公園は約二倍の割合で、多くの都民の方の憩いの場となっているということだと思います。
そういう意味で、この海上公園事業は埋立地の環境整備に大変重要な役割を果たしているわけですが、この海上公園、東京のウォーターフロントにありまして、水辺に位置するという立地特性を生かして、特徴のある公園を数多く整備されているというふうに聞いておりますが、特に自然環境の回復に配慮して整備した代表的な公園にどんなものがあるか、また、どういう特色があるのか、お伺いいたします。
○渡辺開発部長 海上公園におきましては、水域に人工砂浜等を整備いたしまして、都民が水と触れ合う場を提供するとともに、あわせて埋立地の自然環境の回復保全を目指した公園整備を推進してきております。
自然環境の回復保全に配慮した代表的な公園といたしましては、葛西の海浜公園がまずございます。葛西の海浜公園につきましては、その対象区域が水域になっておりますが、面積は四百十一万平方メートル。当該公園は、都内唯一の自然干潟でございます三枚洲を含み、それを保全するとともに、東西の人工のなぎさを二カ所整備いたしまして、水生生物や野鳥の生息環境の回復を図ってきております。
また、皆様の名所となっておりますお台場海浜公園でございますが、こちらも水域を含めまして五十一万平方メートルでございます。公園の西半分に保全のための水域を設定いたしまして、いそ浜や干潟を整備するとともに、みおを設け、ハゼが生息できる環境も整備しているところでございます。
また、大井ふ頭中央海浜公園は四十五万平方メートルでございますが、この中には地元の住民と協力、連携いたしまして、トンボが生息、成長できるようなトンボの池を整備しているほか、人工なぎさも設けております。
また、東京港野鳥公園の面積でございますが、二十五万平方メートルございまして、ここにおきましては、全国に先駆けて人工的に野鳥の生息環境を整備しております。現在は豊かな自然環境が回復し、多くの野鳥が生息するところとなっているところでございます。
○藤井委員 今の答弁で、この海上公園では水生生物、あるいは野鳥、そして昆虫に至るまで、自然環境回復への取り組みを行っているということだと思いますが、先般の予算特別委員会で我が党の曽雌議員から、東京港野鳥公園におけます野鳥保護活動について質疑がありましたが、この東京港野鳥公園において、ちょっと長い名称ですが、東アジア・オーストラリア地域シギ・千鳥類重要生息地ネットワークに参加申し込みを行うということについて議論がありました。このネットワークというのはどういうものなのか。また、このネットワークに参加することによって、東京都は今後どのように取り組みを行うのか伺います。
○渡辺開発部長 シギ、千鳥についてでございますけれども、これらの鳥は、北はシベリアから南はニュージーランド、オーストラリアまで、最長の場合は一万二千キロにもわたる驚異的な渡りを行っておりまして、そのために必要となる栄養分の補給を途中の中継基地に依存してございます。この渡りのルートを保全するために、多国間にわたる協調的な体制、取り組みが必要であるということでございます。
東アジア・オーストラリア地域シギ・千鳥類重要生息地ネットワークは、一九九六年に国際NGOでございます国際湿地保全連合の主導のもとに構築されまして、同じ時期に開催されましたラムサール条約第六回締約国会議におきまして支持をされましたものでございます。
東京港野鳥公園におきましては、埋立地につくられた公園ではございますが、自然環境が回復されまして、多くの野鳥が飛来するところとなっております。このネットワークに参加いたしますことによりまして、野鳥保護の国際的活動に貢献していくとともに、鳥類の環境調査を国際的な形で情報交換を行うことができ、また、日本を代表する野鳥保護の拠点といたしまして、積極的にその保全活動に取り組んでいきたいということでございます。
○藤井委員 私の地元、大田区にありますこの野鳥公園ですが、大変地元の方、あるいは近隣の方も多くの野鳥が集まる場所として見学にも訪れているところでございまして、そういう意味では、渡り鳥の大事なえさ場、そして、また休憩の場所として大変重要であると思います。東京都にあっても、地球環境問題として、国際的に貢献していくことは大変重要だと思います。
ところで、葛西海浜公園では、全国に先駆けて、先ほどもありましたように大規模な人工なぎさを整備しております。野鳥公園と同じように、多くの野鳥が生息できるようにしたため、東のなぎさというところにはいつもたくさんの野鳥が見受けられるわけですけども、この野鳥公園と同様にシギ、千鳥の国際ネットワークに参加するとか、そういう今後の新たな取り組みがあればお伺いしたいと思います。
○渡辺開発部長 葛西の海浜公園には人工なぎさが二つほどございまして、東なぎさと西なぎさがございます。西なぎさにつきましては、橋におりまして、都民の方々が水で遊ぶこと、親しむことができるようになっておりますが、東のなぎさにつきましては、自然保護ということで、野鳥でございますとか、水生生物のために保全をしている地域でございます。この東なぎさにつきましては、正確な野鳥の種類数や個体数は、残念ながら私ども、把握はしておりませんが、水鳥を中心に多くの野鳥が飛来していることが見てとれるところでございます。
こうしたことから国際的に渡り鳥の重要な中継地となっている可能性もございますので、今後、野鳥を含めまして自然環境の把握に努めるとともに、東アジア・オーストラリア地域シギ・千鳥類重要生息地ネットワークへの参加などについて、その可能性を積極的に検討してまいりたいと思います。
○藤井委員 正確な環境調査を早急に実施いたしまして、積極的な保全活動への取り組みを行っていただくよう要望したいと思います。
野生生物の生息環境と同じように、海上公園の特色を代表するものに人工の海浜というんですか、海辺、浜辺があります。海辺や浜辺というのは、昔から人々の行楽の場でもありますし、また、特に若者や家族連れの大変人気のスポットともなっているわけでございます。そういう意味で、都民にとっては身近で、そして憩い、楽しめる、こういう浜辺を今後とも着実に推進をすべきだというふうに考えます。
ところで、大田区にあります城南島海浜公園、ここでは現在、砂浜を整備しているようでございますが、この整備内容、そしてまた完成時期はいつなのか、さらに、平成十三年度以降の整備計画はどうなっているのか、お伺いいたします。
○渡辺開発部長 城南島の海浜公園におきましては、前年度に引き続きまして人工海浜の整備工事を現在進めているところでございます。砂浜は今年度末で計画の約七割ができ上がりまして、平成十三年度末に完成する見込みでございます。今後、多くの都民が浜辺で遊び、憩うことができるよう、安全管理のための施設の整備を行いまして、平成十四年春の開園を目指していきたいと存じます。
平成十三年度以降の整備計画についてでございますが、現在のところ未定でございますけれども、今後の公園利用や財政状況などを踏まえながら、都民ニーズを十分に考えて対応してまいりたいと存じます。
○藤井委員 城南島の海浜公園につきましては、第一航路側の整備が十分ではありません。財政的には厳しい面があると思いますけれども、地元の住民の大きな期待がかかっている公園でもございますし、投資効果も高いと思いますので、今後積極的に整備をされるよう、強く要望しておきたいと思います。
続きまして、先ほども議論がありました有明北地区の埋め立てによります環境について、あるいはまた、今後の取り組みについて何点かお伺いしたいと思います。
この有明北地区の埋め立てにつきましては、これまでも本会議や予算特別委員会で取り上げられましたけれども、これらの質疑を通じまして、職住近接を実現し、「ゆりかもめ」や広域幹線道路を整備し、水辺を都民に開放するという、この埋立事業の意義が明らかになったというふうに考えます。しかし、残念なことに、一部の新聞、あるいは雑誌などではいろいろ事実と異なる報道がなされ、都民に不要な誤解を与えているというふうに思います。
そこで伺います。まず、先ほども議論がありましたが、東京都が環境影響評価において実施しましたハゼの調査、十二月なのか、二月なのか、三月なのかという議論、細かいことは省きますけれども、私は港湾局の調査の客観性、妥当性ということについて、先ほど議論がありました、何で三月の生息孔密度で比較するのが適切であるのかということについて、わかりやすく説明をしていただきたいと思います。
○高野参事 環境影響評価に先立っての調査については、平成八年度、九年度と実施しておりますけれども、平成八年度の調査結果につきましては、これまでの東京港でのマハゼに関する産卵場ですとか、産卵期に対する定説とは違った結果が出てきたと。大きく異なっていたということがございまして、これが事実かどうかということが問題になりまして、平成九年度に東京水産大学及び東京都水産試験場の専門家等も入った委員会を設置して、詳細な調査を実施いたしました。
調査は十二月、二月、三月に実施をしまして、これは調査時期ですとか、調査方法についてはこの委員会で検討した上で決めておりますけれども、単に生息孔の数の調査だけではなくて、マハゼを採取し、生殖腺の状態を調べ、生息孔の発達度合い、生息孔内の卵の有無などにより、産卵時期の確認を行いました。
その結果、平成八年と同様に、有明北地区では巣穴の数は十二月にピークになりましたけれども、この時期には産卵期にあることを見きわめるポイントとなります生殖腺がまだ未成熟であり、巣穴の延長も短く、産卵のための部屋もできていませんでした。一方、二月から三月にかけての時期には生殖腺が最も成熟し、巣穴がさらに掘り進められている事実が確認できました。
これらのことから、有明北のマハゼの産卵期は十二月ではなく、二月から三月であり、産卵直後と思われます三月の調査結果を比較の対象として使用することとしたものであります。
○藤井委員 要は、平成八年度の調査をもとにして、さらに平成九年度、詳細な調査をしたということだと思うんです。そういう意味で、有明北においてはマハゼの産卵期が二月から三月であるという結論を出したと。そういう意味では、平成八年度だけの調査を引用して、それだけで十二月だということでやったんじゃなくて、より詳細な平成九年度の調査をやったという港湾局の立場だということがよくわかりました。
次に、ある雑誌では、干潟機能を持つ有明北地区は、埋め立て見直しが決まった三番瀬同様存在価値が大きいというふうにある雑誌が掲げておりましたけれども、この有明北地区は海の生物の宝庫といえるような状況なんでしょうか。また、有明の水質や底質という面ではどうなんでしょうか。
○高野参事 有明北地区の水域は水深が二メートルから四メートルございまして、いわゆる三枚洲のような干潟の機能は有しておりません。魚類調査では、マハゼ、サッパ、カタクチイワシ、チチュウカイミドリガニなどの魚介類七種類を確認しておりますけれども、これらの魚はいずれも東京港内に広く分布し、生息が確認されている魚でございます。
水域の状況ですが、水域の中央部における水質は、夏場に海底の付近で酸素が欠乏した状態になり、また底質につきましては、夏冬通じて富栄養の状態になっておりまして、これも比較的汚濁が進んだ水域ということがいえまして、東京港内の奥部の一般的な状況と同じでございます。
○藤井委員 私もあのそばを通ったことがありますれけども、貯木場になっており、割と汚れてるみたいな印象があります。特にあそこでは屋形船、あるいは釣り船が利用されておりますけれども、あそこのハゼは、私も屋形船でハゼのてんぷらを食べたことも何回かありますが、じゃあ、必ずしも有明湾で釣ったり、とったハゼをそのままてんぷらにしているのかということをある業者の方に聞いたら、いや、そうじゃありませんと。このハゼは、浜名湖や木更津の方でとったハゼを市場に持っていくわけだから、その市場から買ってきて、屋形船のおやじさんがはらわたを取って、そしてそのハゼを屋形船に乗せて、その屋形船でてんぷらを揚げて食べさせる、こういうことなんだそうですね。
釣り船の方はどうかわかりませんけれども、必ずしもそこでとったハゼをその場で料理することが一般的かというと、私はそうじゃないというふうに思うんですね。そういう意味では、ここしかハゼが住むところがないなんていうのは余りにもちょっと、私は見識を疑いたいわけでございますが……。
次に、有明の北の埋め立てに当たりましては、ハゼのえさとなるカニなどがすめる護岸、これを通称カニ護岸というらしいですが、こういうカニ護岸をつくるというふうに聞いております。これは日本で初めての試みではないかと思いますけれども、このカニ護岸の発想はどこから生まれたのか、また、この護岸を含めて、埋め立てに当たって環境対策としてどのようなことをやっていこうとするのか、お伺いしたいと思います。
○高野参事 ご質問のカニ護岸の発想ですけれども、既存のコンクリート護岸にひび割れができたところで、背後の土までそのひび割れ、すき間ができているところにカニが生息しているというのが東京港でよく確認されますことから、この発想が生まれました。カニ護岸はこのひび割れを人工的に再現して、カニのすみかをつくろうとするものでございまして、現在、護岸の実施設計のための実験を東京港内で行っているところでございます。
有明北地区の埋め立てに当たっては、このほかに全水域の三分の一以上の水域を残しますとともに、前面の旧防波堤周辺でございますが、ここは昔の石垣でできておりまして、生物が住む場所になっておりますけれども、その部分はそのまま保全をしまして、また、このカニ護岸のほかにも、環境対策としては干潟機能を持った緩傾斜護岸や潮入りなどを設置するなど、事業実施に当たって自然環境の保全と回復に努めているところでございます。
○藤井委員 なかなかいい試みだと思います。ついでにハゼ護岸でもつくったらどうでしょう。
次に、住宅についてお伺いしたいと思います。
この有明北地区の住宅について、ある政党なり、また一部、周辺に住宅開発が進んでいるので住宅は不要である、こんなような意見や主張がいわれておりますけど、これに対して港湾局はどう考えますか。
○高野参事 住宅についてのお尋ねですが、都民、また都で働く昼間都民にとって、職住近接はまさに悲願といえると思います。都市基盤整備公団の調査によりますと、子育て世代では六割近くの人が、また高齢者の七割に上る人たちが都心居住に賛成をしております。
平成七年における都心三区への通勤通学時間は平均で七十一分、四人に一人が九十分以上の通勤通学時間という中で、都心に近いこの地への住宅需要はまだまだ大きいと考えております。
また、都心四区とほぼ同面積のマンハッタンでは、はるかに都心居住が進んでおりまして、就業人口に占める居住人口の割合は約六割、百五十万人もの人が住んでいるのに対しまして、東京では平成七年に都心四区の昼間人口約三百三十万人に対しまして、夜間人口は一六%の約五十二万人となっております。
こうしたことから、都心から六キロ圏にあり、ウォーターフロントの魅力を持つ有明北地区に住宅を整備し、都心居住を促進することは極めて意義の大きいことであると考えます。
○藤井委員 次に、ある意見として、臨海副都心内には空き地があるのに、なぜ埋め立てて住宅をつくるのかとか、あるいはまた、住宅用地の青海ST街区をパレットタウンとして活用しているのに、これを遊休化した土地であるとして批判しているところがありますが、これに対して局としてどういう見解を持っていますか。
○高野参事 臨海副都心開発では、町並みの一体性や生活圏としてのまとまりに配慮して、その地区ごとに個性を考えて計画的に土地利用を定めております。また、まちづくり推進計画では、土地の処分を三段階に分けまして、平成七年度までと、平成八年から十七年度まで、平成十八年度以降と段階的に開発を進めることとしております。
現在、パレットタウンとなっている青海ST街区はまちづくり推進計画で平成十八年度以降の処分となっており、それまでの間、町のにぎわい創出などを目的として暫定利用を行っております。今後とも臨海副都心を魅力ある町とするために、計画的、段階的なまちづくりを進めてまいります。
○藤井委員 バランスのとれたまちづくりをするために、先ほど答弁にありましたように計画的、また段階的に開発を進めていくことが大変重要であると思います。
また、さきの我が党の本会議での質問に対します答弁によれば、このパレットタウン開業に伴って、建設投資による効果を除いても、毎年消費活動に伴う生産誘発効果が約九百億円になる、また、雇用誘発効果が約五千七百人というふうに試算をされております。そういう意味では、実に大きな経済波及効果であり、遊休化という批判は、ためにする議論じゃないかというふうに思います。
次に、ある新聞では次のようにありました。有明北地区の区画整理をめぐり新疑惑というテーマで、東京都がゼネコン優遇をしていると報じまして、あたかも有明北の地権者が大手ゼネコン主体であるかのような報道をしております。地権者の中にゼネコンは何者いるんでしょう。また、有明北の土地の面積に占めるゼネコン所有地の割合、これはどうなっているでしょうか。
○高野参事 平成十二年一月現在、有明一丁目の地権者は、都を入れて四十四者でございます。このうち建設業を営む者は四者で、四者が所有する土地の面積は全体の約五・〇%でございます。
○藤井委員 たった四者で、そのうちの面積の割合は全体の五%。こういうふうに地権者の中にわずかでも建設業が入っていると、もうゼネコン優遇と書き立てるような報道の姿勢は、私は事実を曲解していると思います。
地権者は現在、その土地でそれぞれの事業を営んでいるわけですけれども、事業の将来を考えながら有明北地区の新しいまちづくりの意義を評価して、よりよいまちづくりに向けた話し合いを行っているというふうに伺っております。有明北地区は民有地を含む地区でありまして、これら地権者と十分協議をして、今後とも開発を進めていってほしいと思います。
最後に、この有明北地区の埋立事業の大きな意義の一つに、これまで都民が立ち入ることのできなかった水辺が、先ほどのご答弁にありましたように、都民に開かれるといったことが拡大をされております。葛西海浜公園の人工なぎさ、あるいは城南島で整備を進めております人工海浜、また、今後整備される有明北の緩傾斜型護岸や潮入りなどの親水公園は、まさに都民にとって大変貴重な憩いの場でありますし、また水と緑に親しめる、触れ合えるエリアの整備を臨海部全体で今後とも進めていくことが必要だと考えますが、これを進める局長の決意をお伺いしたいと思います。
○浪越港湾局長 大きく分けて二点のご議論がございました。
まず、公園関係について申しますと、先ほどご議論のありましたように、葛西沖から羽田沖にわたる海上公園は、豊かな水と緑の中で都民だれもが憩い、遊び、安らぐことのできる貴重な空間でございまして、都会の喧噪の疲れをいやし、都市生活を豊かにする上で潤いのあるものとするという大きな意義を持ってございます。多くの都民の方々が訪れ、この海上公園を都民のニーズに合わせて整備することは、我が港湾局の大切な使命であるというふうに考えてございます。
昭和五十年に条例化いたしました海上公園の整備の意義を二十一世紀に向けさらに発展させていくために、今後、これまで蓄積されました経験とノウハウを生かしまして、水生生物や野鳥などが生息できる自然環境の回復への取り組みを進めるとともに、人工海浜や緩傾斜型の護岸など、都民が水と緑に親しめるエリアとしての整備を積極的に進めていきたいと考えてございます。
これとあわせまして、有明北地区の現在の事業計画について、概略、ご説明をさせていただきたいと思います。
私は、この事業計画は、いろいろな見方、考え方、あろうかと思いますが、一つは、水面をできる限り残しながら、二つとして、一般都民が憩える親水空間を確保し、三つ目として、この地区のまちづくりに必要な事業費を都民に負担をできるだけかけないようにして生み出していくなど、さまざまな要請に最大限こたえていくことを念頭に置いたものだろうと思っております。
そういうことで、懇談会や都議会で設置されました特別委員会で議論に議論を重ね、英知に英知を結集した結果が、今回の現在進めている案だろうと私は考えてございます。いわばいろいろ非常に難しい、数学でいえば高次元の連立方程式を解く、いってみれば多くの要請の最大公約数としてでき上がったのが、今回の現在進めている案であろうというふうに考えてございます。
そのため、いろいろ議論のあります自然環境の問題につきましても、埋め立てを三分の二にとどめまして、三分の一の水域を残す一方で、埋め立てた土地の処分収益で、埋め立ての事業費はもとより、道路や公園などの事業費まで捻出することができるようになりまして、都民にとってみれば最もメリットのある、いってみれば均衡点と考えられるんじゃなかろうかと考えております。
今までにもいろいろな方が、いろんな意見、いろんな考え方、いろいろな価値観のある中で、お互いに百点満点を主張し合っていても、それは解決できない問題であろうというふうに私は考えてございまして、いろんな人たちのいろんな英知の結果が、いわゆる七十点なり、八十点ならば最良としなければならないんじゃなかろうかと、私はそのように考えてございます。
そういうことで、お互いがお互いに立つ、先般の議会でお話のありました、まさに里山とか里海という考え方に立って、やはり整備をしていく必要があろうかと思います。そういうことで、私は、知事が答弁いたしましたように、現在の有明北地区を含む臨海部の開発についていえば、将来の都政のためにぜひとも必要なものでありますので、着実に推進していきたいと、そのように考えてございます。
○馬場委員 私からは、まず海岸占用料と徴収条例に関して、一点お尋ねをさせていただきます。
この話が出ているということで、地元の方に説明をしましたところ、実はその方等にとっても安い料金で今まで貸していただいているので、値上げについてはいいでしょうと。しかし、今までも一括払いなんだけれど、払い方、納付の仕方について分割払いとかならないでしょうかというふうなお話になったものですから、そのことも含めて、この条例改正、見せていただいたんですが、確かに条例の中にも、許可を受けた日から起算して一カ月を超えない範囲内に全額を納付しなければならないというふうに規定してあるんですが、徴収方法等について、この辺の理由等をお聞かせいただければと思います。
○高橋港営部長 今回条例提案しました占用料の内容でございますけれども、この占用料につきましては他の行政財産の使用料、あるいはほかにもいろいろ占用料を取っている条例がございます、こういった内容のものと同様に、全額前納を原則としている、こういうルールが庁内にございまして、分割払いについては、行うことは基本的には考えておりません。
○馬場委員 今のお答えからしても、全額前納というのは、一年間この水面をお借りするという意味で、一年間を借りるんですからというような権利金的な要素があるのかなと思うんですが、例えばそこをお借りするのであれば、まだ使っていないのに一年間先に払うというようなことも含めて、都民の借りる方の立場も考えて、私は、一度でなくていいのではないかと思ったんです。
都がこれから自治事務として水面の管理、それから、こうした事務等もしていくということで、先ほどの松原理事さんの方からも出た不法係留とか水面、海面の使い方について、これから東京都としてもいろいろ考えていく、そういう中で占用料とかのいろいろな面をもう一度考え直すというか、全体に考えていく、今回はそういう状況にあるのかなと思うんですが、条例で決めたから全額をとにかく払って、逆にいえば、全額払い込めばその水面については自由に使えるということでいいのかどうかということも含めて、ぜひ全体の東京港の運用の面からも、これから検討をいただきたいと思います。
次に、埋立事業のことについてお尋ねをいたします。
埋立事業は、東京港の港湾機能の充実、それから産業廃棄物、産廃等の処理、それから、都市施設用地の造成、都市開発のための用地確保、それから今も出ました海上公園の整備等、さまざまな事業を行っていらっしゃいます。本日は、有明北地区の埋立事業も含めて何点か、少し原則的なことに戻るかもしれませんが、もう一度確認の意味も含めて質問をさせていただきます。
私も品川出身なんですが、海岸のそれぞれの区は、埋め立てができることによって区の地域もふえていくということで、今まである意味では、今の局長さんのお話にもありましたように、財産がふえていくというふうな意識を私自身も実はずっと持ってきました。そういう中で、こういう地図を見させていただいても、もう東京港、ほとんど埋め立てられるところは埋め立ててしまったのかなという、結果としてそんな印象を受けているんですが、その辺も含めて、もう一度お尋ねをいたします。
これまで埋立地の開発をやっていらっしゃっていますが、この造成全体の面積はどのくらいになっているのか、また今後、開発を予定している面積はどのくらいあるのか、伺います。
○渡辺開発部長 埋立地の造成面積についてでございますけれども、東京港における埋立地の開発に関する要綱に基づく開発計画面積は二千七百三十九ヘクタールでございまして、平成十年度末までに二千二百三十七ヘクタールを処分しております。したがいまして、今後の開発予定面積は五百二ヘクタールでございます。
なお、処分面積の内訳でございますが、港湾物流施設用地として六百二十ヘクタール、道路等の用地として五百六十ヘクタール、再開発移転等用地や都市施設用地として四百九十二ヘクタール、公園やまちづくり用地として五百四十五ヘクタールを処分してきております。
○馬場委員 今後の開発予定面積五百二ヘクタールという、これは後で触れさせていただきますが、今、処分というお答えをいただきました。この埋立地の処分というのは、それではどんな方法があるのか、もう一度。
○渡辺開発部長 埋立地の処分の態様でございますけれども、埋立地の処分は、東京都埋立地開発規則及び東京港港湾施設用地の長期貸付に関する規則に基づいて、売却、長期貸付、所管がえ等を行っております。なお、既処分地二千二百三十七ヘクタールのうち有償で処分いたしましたものの中で、売却が一千百七十三ヘクタール、長期貸付が百ヘクタールでございます。
○馬場委員 今、方法とその面積を伺いました。それでは、売却と長期貸付の処分方法の基準というのはどんなふうになっているんですか。
○渡辺開発部長 売却と長期貸付の処分方法を振り分ける基準でございますけれども、埋立地の開発者といたしまして、その土地の利用目的を長期にわたって積極的に担保する必要がある場所、及び将来における土地利用の転換に開発者として関与する必要があると思われる場所につきましては長期貸付とし、それ以外の場所については売却を原則としております。
したがいまして、公共ふ頭背後の港湾関連施設用地、水域と一体として使用する民間の専用ふ頭の用地、また異業種の混入を排除する必要がある流通業務施設用地ーー倉庫等の用地でございますが、これらにつきましては長期貸付を原則としてございます。
○馬場委員 大変、売却の部分が多いのではないかというふうに感じますが、私は貴重な埋立地を、今いってもいたし方ないことかもしれませんが、結果的に売却をしてしまっているということは、これからふ頭の全体の使用等を考えたりしたときに、不都合が起きるのではないかと思っています。
先日、品川の、たまたま区内にあるところでマンションにしたいという地権者のご希望があって、それを都としては困っているというようなお話も伺ったのを記憶をしているんですが、そういう、いろいろな売却をしてしまえば、その地権者の、ある意味では意向に沿わざるを得ない部分が出てくる。そうしたことも含めて、だからといって、都が全部持っていて、この広い大きな埋め立てを都が全部していいかということもあるとは思うんですが、その辺でぜひ、貴重な埋立地を売却ということについてはもう一度全体の計画の中で検討をいただきたいと思います。
先ほどの、今後の開発予定面積というところで五百二ヘクタールというお答えをいただきましたが、それでは、その土地の利用計画は、どんなようになっているでしょうか。
○渡辺開発部長 今後の土地利用計画についてでございますけれども、港湾物流施設用地として百ヘクタール、道路等の用地して三十八ヘクタール、再開発移転等用地や都市施設用地として八十七ヘクタール、公園やまちづくり用地として二百七十七ヘクタールと計画しております。
○馬場委員 この五百二ヘクタールの中に有明北の埋立予定地は入っているんでしょうか。含まれていますか。
○渡辺開発部長 有明北の埋立地についても、この予定地に入ってございます。
○馬場委員 通告していないで申しわけありませんが、地図を、便覧を見ていて今思っていたんですが、この斜線の入っている部分が開発予定地というふうに考えてよろしいでしょうか。例えば、今の有明の埋め立ての部分は、埋め立てていなくても埋立地として、それの住宅建設用地の開発地域、ここはそういうふうに考えてよろしいんでしょうか。
○渡辺開発部長 現在、埋立地になっていない部分につきましても、開発要綱上の対象地として編入をしてございます。
○馬場委員 それでは、この地図についてはまた後でいたしますが、今、お話しいただきました今後の開発予定面積のうち有償で処分を予定している面積はどのくらいあるのでしょうか、また、その資産評価として、処分予定総額は幾らになるでしょうか。
○渡辺開発部長 平成十一年四月一日現在での有償処分予定面積は約百二十四へクタールでございまして、処分の方法としては売却と長期貸付を予定してございます。このうち売却を予定しておりますのは約八十四ヘクタールでございまして、土地の評価額でございますが、粗々の試算ではございますが、約二千五百億円でございます。
○馬場委員 今のお話ですと、埋立事業会計の手元に残っている未処分地はわずか百二十四ヘクタールとのことですね。しかも、その土地利用の多くが再開発移転等用地ということで限定されているというふうにお聞きしておりますが、今後の埋立事業会計の収入には限界があると考えられます。かつて埋立会計は、経済成長に伴う地価上昇の中で土地処分による資金が豊富にあり、バブルの絶頂期には三千二百億円の余剰金があったと聞いています。
それでは、埋立事業会計の現在の財政状況はどのようになっていますか。また、来年度の資金状況をお聞かせください。
○渡辺開発部長 埋立事業会計の現在の財政状況についてでございますけれども、支出が収入を上回っているような状況ではございます。しかしながら資産としては、先ほどご答弁申し上げましたように、土地が約二千五百億円ほどございまして、一方、起債の発行残高は約三百億円でございます。こういうことから、私どもとしては、埋立事業会計の財政基盤は十分強固なものであるというぐあいに考えております。
なお、平成十二年度末の余剰金は約二百億円と見込んでございます。
○馬場委員 この約十年ほどの間に三千億円近くも資金状況が悪化しているということになります。埋立事業会計も都財政と同様に相当厳しい状況に置かれているのではないでしょうか。そういう中で、今も触れました埋立造成だけで四百億円もかかる有明北埋立事業は、埋立事業会計にとっても負担にならないのかというふうにずっと思ってきたんですが、その財源の捻出方法について伺います。
○渡辺開発部長 埋立事業会計の財源でございますが、これにつきましては起債を充当する計画でございます。起債の償還財源といたしましては、土地の処分代金を予定してございます。この場所につきましては、先ほどからご答弁申し上げておりますが、住宅地としてのニーズは引き続き高いというぐあいに考えられておりますし、土地処分はそういったことから十分可能でございます。したがいまして、埋立事業会計の経営には負担にはならない、健全な経営ができるものというぐあいに考えてございます。
○馬場委員 今の話の中で、土地処分は十分可能でありというふうにお答えいただきました。じゃあ、この処分方法は、どういうふうに処分なさるおつもりなのか、伺います。
さっき今後の開発予定地ということでお尋ねしたところで、この有明北が今後の開発計画の中に含まれているというお答えでしたですよね。そうすると、その後の質問した百二十四ヘクタールの二千五百億円という試算の中に、この有明北の土地処分は含まれているのでしょうか。含まれているというふうに私は思うんですが、含まれているかどうか、もう一度確認したいことと、この土地の処分の方法についてどのように計画していらっしゃるのか、伺います。
○渡辺開発部長 土地処分の方法についてでございますけれども、売却及び長期貸付を土地利用計画の態様に応じて適切に組み合わせていきたいというぐあいに考えております。
それから、処分対象面積につきましては含まれておりますが、試算の中の数字につきましては、二千五百億円を百二十四ヘクタールで割っていただきますと、おわかりになると思いますように、一平方メートル当たり二十万円程度でございますので、現在の価値として、将来の価値を含まない形で、土地価格については先ほどご答弁申し上げました。
○馬場委員 それでは、将来、住宅用地として確実に処分できる保証がないと私は思うんですが、それを先ほどのご答弁で、財源は起債を充当するというふうにおっしゃいました。つまり借金でやりくりするということになると思うんですが、この辺の財政運営について大丈夫なのだろうかという思いがあるんですが、この辺はいかがでしょうか。
○渡辺開発部長 有明埋立事業につきましては、起債をもちまして整備費を賄うということでございます。この工事費、事業費につきましては土地の処分代金ということになるわけでございますけれども、先ほどからるるご説明してございますように、この地域につきましては、都心から五、六キロメートルということで、非常に高い、都民の間から職住近接についての要望がございます。また、景観や親水、緑地等、これから整備してまいりますので、非常に環境のすぐれた住宅地としての開発が望めること、また「ゆりかもめ」、臨海高速鉄道等の交通基盤が整備されますと利便性が高まってまいりますので、通勤通学、あるいは生活に至便な場所となることが期待されるものでございます。
さらに、この地域につきましては、東京都の埋立地でございますので一団の土地として、個別の虫食い状の開発ではなくて、一体的な優良な開発が可能となってくるものと考えております。そのようなことから、この地域についてのポテンシャルが高いのみならず、臨海副都心に近接しておりまして、既に各種の機能が集積しているということから、双方の相乗効果も図れるというように考えております。現実に、この場所についての土地のポテンシャルを認めまして、都市基盤整備公団につきましては、民間の地権者から土地を取得して、当該地に賃貸住宅を建設する計画を持っているところでございます。
以上のことから、この地域につきまして、起債で事業を実施いたしましても十分償還ができるというぐあいに考えてございます。
○馬場委員 埋め立てて、すぐ住宅がもしできるとして、大変すばらしい住宅ができるだろうということは想像はできます。そこに住めればもっといいという方もたくさんいるとは思いますが、というところで申しわけありませんが、今のもう一度確認させていただきたいんですが、四百億円といわれている埋め立ての事業費の内訳をもう一度お尋ねいたします。
○高野参事 埋め立ての工事に要する費用四百億円の内訳でございますが、護岸工、これは約二千百七十メートルの護岸を整備するものでございます、約二百四十五億円。埋立工、これは約二百五十万立方メートルの土を埋めるものでございますけれども、約百四十億円。それに仕切りさくの撤去等が約十五億円となっております。
○馬場委員 四百億の中で護岸工事ーー防潮護岸と先ほどお話がありました。カニ護岸というお話もあったんですが、この護岸工事が二百四十五億円というのは、私たち庶民感覚からすると物すごい金額だなと思うんですが、それは埋めるにしても埋めないにしても、防潮護岸として設置しなければならないというふうに伺っています。そのことの問題も一つあると思うんですが、それはどちらにしてもかかる金額ということになると、埋め立ての費用が百四十億円、その他ということなんですが、ある意味では、ここは浅場ということもあって、埋め立ての工事からすると割と安い、割安で埋立工事ができるのではないかと思うんです。
例えば、予算委員会等のご答弁の中で、ここが赤字にならないというか、どんな資産価値があるのかというふうな質疑の中で、近隣の基準地価が一平米三十八万五千円でしょうか、これが、これから造成して住めるころには五十万円ぐらいになって、先ほどのお話の土地処分が可能な範囲は十八ヘクタールというふうに伺っていますが、五十万に十八ヘクタールを掛けて九百億円、これを全部売却すれば九百億円の、簡単にいえば売り上げなんでしょうか、それからこのうちの貸し付け等が、先ほどの長期貸付等発生すれば、そこから減額をして、試算では七百五十億円ぐらいというふうに伺っています。
営業でいえば、こうした売上高、それにこの四百億円を引いても、そこのところで事業者がさまざまな道路や橋をつくってもとんとんであって、それで開発ができて、住宅もできて、つまり、すばらしい、どこもちゃんと帳尻が合うというふうに、どうもご説明は聞こえるんです。でも、先ほどの売買のお話でも出たように、この広いところを埋め立てて住宅にして住む方は大変いいと思うんですが、二万八千戸でしょうか、七万人というふうにもいわれていますが、個人的な住宅に都が、それこそ最後の埋立地だろうと思うんですが、ここの部分を使って、それも、私からすると大変安く埋め立てられたところを、こういうふうに使っていいのかなというのは、私は個人的には思っています。
埋め立てをするのであっても、もう少し都民が利用できるような、つまり、もう東京都としてあいている土地はほかにもない、ここは海の上ですが、ほかにもそんなに安く手に入る土地はないということを考えると、ここの利用は、もっともっと売れるから埋め立てて売って、それでその埋立事業を採算をとっていくというような方向と、これからはまた違う方向を考えなければいけないんではないかというふうに思っています。
通告していなくて申しわけないんですが、もう一点だけ。区画整理事業というふうに伺いましたが、この事業は、この埋め立てた分を、都が事業者として参加をしていくんでしょうか。今、埋め立ての、ほかの住宅地がありますね、事業者の方がいらっしゃる。その方と、それから最終的には埋め立てて区画整理を、橋をかけ、道路をつくって、区画整理をしていく、住宅をつくってと考えるんですが、そのときに都はどんな立場で、つまり、この埋め立てた部分の事業者として他の地権者と一緒に区画整理事業に当たるんでしょうか、その辺、もう一度ご説明いただけたらありがたいんですが。
○高野参事 埋立地を区画整理事業に編入する場合はどうかということでございますが、編入につきましては、今後、地権者と協議していくものでございまして、現在のところ、未定でございます。
○馬場委員 道路とか公共の部分をつくっていくということは今でも計画があるというふうに伺っているんですが、そうすると、それはこの区画整理事業ということではなくて、あくまでも臨海の埋立事業の中での計画というふうに理解をしないといけないということでしょうか。
○高野参事 平成十一年の三月に、埋立地を除く、一般の地権者もいるところで区画整理事業が始まっておりますけれども、現在、埋立予定の区域については、区画整理事業の区域には編入されておりません。
幹線道路を整備するやり方としては、埋立事業で整備した土地を、埋立事業から道路へ拠出するといいますか、現在の埋立整備をやっている埋立地がそうでございますけれども、例えば湾岸道路については国道敷は無償で提供するとか、そういうことをやっておりますけれども、そういうやり方と、それから埋め立てができ上がりましたら、その地権者となって区画整理事業に参加して、減歩でそういう土地を出していくというやり方があると思いますけれども、先ほど申しましたように、現在のところ、区画整理に入れるかどうかについては未定でございます。
○馬場委員 未定というのは、今は確定としてお返事はいただけないということで、多分そういう方法でないとできないということで了解をしてよろしいでしょうか。
続けて今度は、今の計画で埋め立ての後につくられる親水公園といわれるーー埋立地の護岸整備ですよね、ここのところが、結果的には親水公園というふうに伺っておりますが、そこのことについて、さらに伺います。
石垣のある旧の防潮堤のところから埋立地、今の護岸との距離は幅が五十メートルというふうに伺っているんですが、私の経験というか、身近なところから比較をすると、運河のところに住んでいるものですから、その運河と比較すると、この五十メートルというのは、水が流れる幅としては決して広いとはいえない、狭いのではないかと思うんです。ここを、親水式の護岸をつくるということだけで海浜公園というふうな形で、都民にここが憩いの場所になるというには少し納得がいかないんですが、先ほどの委員の方のご答弁にもありましたけれど、ここの五十メートルの幅と両わきの水の、区画の広いところとを含めて、この全体の水の流れと含めて、この辺の五十メートル残したというところの考え方を聞かせてください。
○高野参事 埋め立ての位置、形状につきましては、海浜公園の水際線に変化を持たせ、単調にならないように配慮しておりまして、東側にやや大きな入り江を、西側に小さ目の入り江を配置しております。また、その間の水路につきましては、幅を広げることにより、流れが生じ、水質や底質が良好な状態になることが期待できますことから、水路幅を、当初計画の十五メートルから五十メートルに広げております。この水路幅につきましては、一般に人が視線を自然に落としていく角度、護岸の上に立って自然な姿勢で運河を眺めたときの角度が約十度近辺、下に十度ぐらいですけれども、といわれておりまして、五十メートルの水路幅がありますと、干潮時でも水面に視線が落ちるということから、水面の広がり感を十分得られる幅であるというふうに考えております。
こうした点から、有明親水公園は多くの都民にとって、魅力のある憩いの場として親しんでいただけるものというふうに考えております。
○馬場委員 今、お答えいただいたんですが、単調にならないようにとか、それから最初の計画、水路幅を十五メーターから五十メーターに広げたというお答えをいただいたんですが、今、二百五十メーターぐらいあるでしょうか、ちょうど真ん中、旧防潮護岸まで。で、反対側にーーあ、もっとあるんですよね。それで、先ほどのご質問にもあったように汚濁が進んでいるとかいうお話がありましたけれど、それであっても、今のままでもそういう状況にあるのに、ここを五十メーターにしていくということについては、どうしても私としては大丈夫であるというふうに思えないんです。
今、目線のお話も出ましたけれど、親水といっても、今、皆さんがというか、港湾局さんが考えていらっしゃることは、全部、陸から海を見るという、そういう親水でしかないというふうに、私は思うんです。ここの有明北の問題を、私もどこなんだろうと思って、今回初めてここに伺ったとき、海の上、船からここを見せていただきました。そのときに、海の中から海を見る、そのことがやっぱり一番大事なんじゃないのかなと。今までどうしても埋め立てると、親水というと陸から海を、水の表しか見えないです。水の表を見るというふうな、そういう発想しか今の考え方にはないのかなという思いで、大変残念なんです。この有明北の地域は、見ていただいてもわかるように、東京港の真ん中に、埋め立てもしていますが、その埋め立てした中でもさらにちょうど中心にあって、そういう意味では、埋立側から見たのではない、海の方から見た一番大事なところにあるなということを、この間見て、つくづく感じました。
この水域をやはりきちんと、水というのも、海も都民の財産だということを考えたときに、先ほどの葛西の海浜公園の話、それからまた大田の方の野鳥の森の公園とかありますが、水に親しめるということでは、ちょうど埋め立ての真ん中のところで、水の方から中に入って、海として親しめる場所が、もうどんどんなくなってきている。そういう意味では、ここをやはり見るだけのところではない公園、海の上の、本当の意味の海上公園に、私はしていくべきだというふうに考えます。その点について、可能かどうかも含めてお考えを伺いたいと思います。(「夢だよ。既定方針どおり」と呼ぶ者あり)
○高野参事 この埋め立ては、活力あるまちづくりを進めるために、また、広域幹線道路の延伸のためにも欠かせないものでありまして、水際線には、高潮に対し安全で、都民が水と緑に親しめる水辺空間として防潮護岸を整備するものでございます。さらに全体の水域のうち三分の一強を残すなど、水域環境の保全にも十分配慮した内容となっております。
仮に、埋め立てをしないで公園として整備した場合、橋梁方式の道路の整備、防潮護岸の整備、補償や調査費等を都民の税金で負担せざるを得なくなります。これらの経費を試算しますと、橋梁二本の整備費は単純な試算で約二百億円以上、護岸整備に約二百五十億円、これに百億円を超える補償、調査費など、合計六百億円近くを税金で賄うことが必要となります。このため、この事業は極めて価値の高い、重要な事業であり、全額埋立事業で実施し、一般財源は使わず、独立採算で賄うものであることから、着実に事業を推進していくべきものと考えております。
○馬場委員 ありがとうございました。
とにかくここ、埋め立ててしまえばもう埋立地として二度と復元することはできない、そういう意味で、この有明北の水域は江戸前の浅瀬を楽しめる唯一のところであるということで、これは都民の、特に子供、親、家族そろって安心して楽しめる海面であるというふうに思いますので、その点も含めてぜひ検討していただきたい。その費用がかかるということですが、巨額な防潮護岸の設備費、これも全体の、今後、また私も検討していきたいと思っていますが、埋め立てることによって長くなった防潮護岸というもののあり方についても、この費用のかかり方からも含めて、とにかく二百四十五億ですよね、新しくつくる護岸にこれだけのお金をかけなければならないのかどうかということも含めて、さらにやっぱり検討せざるを得ないのかなというふうに思っています。
先ほど木内委員の方から声がかかりましたが、私としては、夢のある提案として、都民の憩いの場としての本当の意味の海上公園として、ぜひそのことを残すということから、もう一度見直し作業をお願いをして、質問を終わります。
○樺山委員長 この際、議事の都合により、おおむね五分間休憩をいたします。
午後三時十三分休憩
午後三時二十六分開議
○樺山委員長 それでは休憩前に引き続き委員会を開きます。
質疑を続行します。
発言を願います。
○服部委員 私は、東京港のさらなる発展を願って、港東京に絞って質問をいたします。
東京港は平成十一年、貿易総額八兆五千三百七十五億円と、横浜港を抜いて、ついに日本一を達成したと。また外貿コンテナ貨物の取扱量も年間三千三百三十八万トンで、これも国内トップになる見込みであります。十年前の平成元年は、外貿コンテナ貨物の取扱量は神戸港、横浜港に次いで第三位。第一位であった神戸港の二分の一にも満たなかったわけですから、この十年間の躍進は実に目覚ましいものがあります。東京港は、今や名実ともに日本を代表する国際貿易港の座を占めている、そのようにいえると思います。こうした東京港の躍進のその理由について、まずお伺いをいたします。
○高橋港営部長 東京港が国内諸港の中で現在の地位を占めるに至りましたのは、一大消費地東京に最短距離にあるという東京港の物流拠点としての地理的優勢を船会社や荷主が高く評価していることが最大の要因であると考えております。また、利用者のニーズに適切に対応した港湾施設の整備や継続的なポートセールスの実施など、官民一体となったさまざまな努力が成果として実を結んできたと考えております。
○服部委員 官民一体となっての努力ということで、これは大変すばらしいことだと思いますが、しかし、これはやはり担当部局のたゆまざる努力の結果である、そのように私は評価をいたしておりますから、どうぞ答弁も胸を張ってお答えを願いたい、そのように思います。
それで、躍進の大きな理由は、東京港の物流の拠点としての地理的優位性を船会社とか荷主が高く評価していることであると、そのように今お答えもありましたが、具体的にはどのようなことなのか、その点についてお伺いいたします。
○高橋港営部長 一般的に企業は、物流コストの低減と物流のスピードアップを追求しておりまして、この企業のニーズにこたえられる港がより多く利用されると考えております。
一つ例を挙げさせていただきますが、海外から首都圏にコンテナ貨物を輸送する場合、東京湾内のどの港を利用いたしましても、海上輸送運賃に差はございません。トラック運賃や港にございます倉庫の利用料、こういうものが物流のトータルコストを決定いたします。そこで、港と目的地を結ぶ輸送距離が短いほどトラック運賃は安価、安いわけでございまして、また、道路網が整備されているほど短時間での輸送を行えることになるわけでございます。倉庫も輸送時間が短いほど回転率が高まりまして利用料が軽減できる、このような状況になると思います。
東京港は、大消費地東京に最短距離にございまして、首都圏各地と結ぶ主要道路の結節点にあることから、企業にとりましては、東京港の利用は物流のトータルコストの低減とスピードアップの実現につながることになっていると考えております。
○服部委員 東京港の躍進には、そうした合理的な理由、物流コストの低減、あるいは物流のスピードアップ、そういったことがよくわかりました。
しかし、東京湾内には横浜港とか千葉港という、国内でも指折りの国際貿易港があります。そこで、それぞれの貨物の内容ですね、あるいは役割など、どうなっているのか、この点についてお伺いいたします。
○高橋港営部長 現在、東京、横浜、千葉の各港は、扱う貨物内容につきまして、それぞれ明確な特色を持っております。東京港は、食料品、衣類、紙類など、生活に密着した貨物の取り扱いが約六割を占める商業港でございます。ちなみに、例えば食卓に上りますエビ、あるいはサケ、マス、こういったものとか、新聞、出版などに使用されます紙類、こういうものは全国の輸入量の五割以上が東京港から入っております。これに対しまして千葉港は、鉄鉱石、原油など工業原材料やエネルギーなどの取り扱いが約八割を占める工業港でございます。横浜港は生活関連物資も扱うわけでございますが、石油類の取り扱いも四割に上るなど、ちょうど東京港と千葉港の中間的な性格を持っていると、このようにいえると思います。
以上のようなことから、東京、横浜、千葉の三港は、それぞれの特色を生かしながら、また補完し合いながら発展をしてきておりまして、三港がともに首都圏四千万人の人々の生活と産業を支えていると、このように考えております。
また近年、東京港におきましては、生活関連物資の取り扱いの割合が急増しております。二十年前の昭和五十二年には、生活関連物資の取り扱いが四割強でございましたが、平成九年には六割弱に上っております。商業港としての性格がより強まったといえると思います。これに対しまして、この間の他港の状況でございますが、基本的性格に大きな変化はございません。
○服部委員 今の説明を聞くと、東京港から運ばれた食品が必ず私たちの毎日の食卓に上っている、その意味では、東京港は今や都民生活の生命線ともいえる存在になっています。
ところで、東京港の国際貿易港としての振興も大切なんですが、国際空港とともに、世界に広がる国際都市東京の海の玄関であるわけで、そういった点で、都民に夢を与える港としての発展も大変重要であると考えています。ちょうど一週間前に「日本丸」、これが晴海ふ頭から、大勢の見送りを受けて百日間の世界一周クルーズに向けて出港いたしました。私もちょうど遭遇をしたんですけれども、雨に煙るレインボーブリッジに向かって船出していく姿、これは本当に一幅の絵を見るような、そんな思いでもありました。
そこで、大型外航客船の誘致に、これから力を注いでいくべきである、そのように考えますが、最近の寄港の状況、その点についてお伺いいたします。
○高橋港営部長 外航客船の寄港は都民に親しまれる港づくりに貢献し、東京港のイメージアップに効果的であるだけではなくて、外国人観光客の増加策としても必要であると認識をしております。
東京港におきましては、近代的な晴海客船ターミナルを整備するなど客船誘致に努めておりまして、平成十年、寄港いたしました海外クルーズ客船は三十五隻でございます。横浜港の二十三隻、神戸港の十五隻などをしのいでおります。先生、今「日本丸」のお話がございましたが、来週、三月二十八日にはオランダの最新鋭の大型豪華客船「ロッテルダム六世号」六万二千トンが約千人の乗客とともに、世界一周クルーズの途中、東京港に初入港の予定でございます。
○服部委員 東京港は、今、日本の経済が非常に低迷している、そういった中にあって、外航客船の寄港数、今、ご説明がありましたが、大変健闘しております。あしたの東京港の発展のためには、より多くの外航客船が寄港する、そういう魅力あふれる港づくり、これを行っていく必要があると思います。
この東京臨海地域をアジア、ひいては世界に誇る国際的な一大物流の拠点として、また今のお話のように、国際的なクルーズ拠点としてこれからも発展させるために、まず先頭に立っておられる浪越港湾局長の決意をお伺いしたいと思います。
○浪越港湾局長 夢のある、絵が浮かぶようなお話でございましたけれども、東京の臨海地域は、いわゆる陸、海、空のいってみれば結節点というすぐれた特性を有しておりまして、国内はもちろん、国際物流の中心的役割を担っております。
そこで、社会経済のニーズに即応した物流の効率化の推進を図るため、グローバルな視点に立って、新たな物流情報産業の育成や、トータルコストの低減、国際水準を満たす施設の整備とサービスの充実などが必要であるというふうに考えております。今後、将来展望も含めまして、多面的に東京港の物流動向調査を行うなど、時代のニーズに的確にこたえ得る戦略的な事業展開を行いまして、東京と首都圏の経済と生活を支える新たな物流機能の充実に努めてまいりたいと考えております。
また、ただいまご提言のように、東京港を、世界の船旅を愛する人々から、一度は東京港に寄港してみたいといわれるような魅力ある国際的なクルーズの拠点に育てていくことも必要であろうというふうに考えてございます。そのため、臨海副都心の整備などによりまして、東京港の景観をより美しいものにしていくとともに、江戸情緒を今に伝える伝統的な文化や建造物など、機能的で躍動的な国際都市東京の町並みなど、東京の新しい、また古い、両方の魅力を世界にアピールしていくことが重要であるというふうに考えております。
こうしたことから新たな効果的な手法として、東京のシティーセールスと連携いたしましたポートセールスなどに取り組んでまいりたいと考えてございます。東京の経済と生活を支えるとともに、都民、さらには世界の人々に親しみやすい港づくりのために、今後とも港湾局が一丸となって邁進していく所存でございます。
○服部委員 今、ご答弁をいただきましたように、東京港の力強い発展、これは東京や首都圏経済にとって非常に明るい希望のわく話であると、そのように強く感じました。
また、東京港の都民生活を支える役割が近年さらに高まっていることも、改めて認識をさせていただきました。
しかし、アジアのこういった港湾間の国際競争というものはますます激しくなっている、そのように聞いております。世界に視野を広げた港湾経営、これが重要だと思います。浪越港湾局長は東京港の船長さんです。そういった意味で、かじ取りをしっかりしていただいて、時代の流れを的確にとらえて、また危機感とスピードを大切にして、今後とも東京港の国際貿易港としての着実な発展を実現していただきたい、そのように思います。
そして、さらに海洋国日本、その名前をまず東京から世界に発信して、物流はもちろんですけれども、世界の三大美港といわれるシドニーとかナポリ、あるいはリオデジャネイロ、そういった港のように、優美な大型客船が四季を問わず多数寄港して、全世界の人々から愛される、夢のある、そうした港づくりにひとつ全力を注いでいただきたい、そのように希望いたしまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
○山本(信)委員 私の方からは、臨海開発の問題にかかわって何点か伺いたいと思います。
第一次の公募で契約をしながら、なかなかここに建物が建たなかったというものがありましたけれども、C街区、ここにバッテリータウン21というところが進出契約を行いましたが、それはいつだったんでしょうか。
○渡辺開発部長 平成五年の三月に契約を締結いたしました。
○山本(信)委員 契約後、建物を建て始めたのはいつですか。
○渡辺開発部長 着工時期は平成十年の六月でございます。
○山本(信)委員 これは、更地のままになっていた時期に、東京臨海副都心建設株式会社が、この土地を共同溝の建設資材置き場として借り上げていたことがあるようなんですが、これは事実でしょうか。
○渡辺開発部長 バッテリータウン21株式会社が進出いたしました台場のC街区の土地を資材置き場にしたということにつきましては、平成五年度から平成七年度にかけまして、東京臨海副都心建設株式会社から基盤整備工事等のために使用したいというような要請がございまして、バッテリータウン21はこれを受けまして、東京都から土地を借りていたんですけれども、さらに東京都に対して転貸をしたいというような承認願いが出されまして、都として転貸を承認したものでございます。
内容といたしましては、平成五年度中及び六年九月から十二月末まではC街区全体の約二万五千平方メートル、平成七年一月から六月末までは約二万三千平方メートル、平成七年七月から九月末までは千四百四十平方メートル、十二月末までは三千三百平方メートル、平成八年二月末までは七百六十平方メートルを、それぞれ東京都といたしましては転貸を承諾しております。
これは当時、臨海副都心は開発の始動期にございまして、平成七年度末までに土地の埋め立て、区域内道路の整備、共同溝の整備、さらには進出事業者のビル建設などを同時進行で進める必要がございまして、工事が大変ふくそうしておりました。さらに、域内で発生いたします建設残土を再利用するために、最大で約四十万平方メートルの残土の仮置きヤードを青海地区及び有明地区に、平成四年度から平成七年度にかけて設置する必要がございました。また、世界都市博覧会のために、青海地区及び有明地区の大半を確保する必要がございました。
このようなことから、資材置き場が極度に不足いたしまして、東京都といたしましては、基盤整備を担当する東京臨海副都心建設株式会社に転貸を承諾したものでございます。その際でございますが、借り上げ料と地代につきましては、地代については、平成五年度から七年度における台場C街区の賃料は平方メートル当たり年額三万四千百六十三円でございましたけれども、東京臨海副都心建設株式会社がバッテリータウン21株式会社から借り上げた賃料については、東京都へ支払った地代と同額であったというぐあいに承知をしております。
○山本(信)委員 詳しく答弁をいただいたんですけれども、この地代とほぼ同額の賃料というのは、これはどういう根拠でそうしたんでしょうか。
○渡辺開発部長 これは、基本的には臨海副都心建設株式会社と土地を転貸いたしましたバッテリータウン21の契約になるわけでございますけれども、東京都がお貸しした賃料と、それを上回った場合にはバッテリータウン21が得をする、それからそれを下回った場合にはバッテリータウン21の方が差が出てしまうということで同額にしたというぐあいに承知しております。
○山本(信)委員 それは、当然上回れば得をして、下回れば損をするというのはわかるんですが、問題は、こういう未利用になっている土地を暫定的に借りる場合に、そういう金額で借りなきゃいけないのかというのが非常に疑問なんです。
その時期に、いろいろ土地が足らないんだということをいわれるんだけれども、一次公募以外のところというのは、まだみんな利用が決まっていない土地だったわけです。そうしたら、ほかにも東京都の港湾局が所管している土地に一時的な資材置き場、残土置き場にする場所は十分にあったんじゃないんですか。
○渡辺開発部長 手元にたまたま資料を持っておりますので、資料を示してご説明したいと思います。
(冊子を示す)これは「世界都市博覧会│東京フロンティア│構想から中止まで」ということで、平成八年三月にフロンティア協会が出版したものでございます。この中にございます土地の用地につきましては、ピンク色が博覧会の会場ということでございます。ごらんいただきますように、青海地区、有明地区と、全域にわたりまして博覧会の会場になるということになってございました。民間の方で利用できる場所は台場の地域、これが第一次公募で契約をしたところでございます。さらに、ちょっと小さくて恐縮でございますが(写真を示す)これが当時の工事の状況でございます。後ほど、必要があればコピーをとりたいと思いますけれども、平成五年の十月二十四日に航空写真で撮影したものでございますけれども、これらの地域につきましては、それぞれの共同溝の工事等で非常に錯綜した状態が写真として残っているところでございます。したがいまして、委員ご質問のような形の用地については見出すことができなかったというところが実態でございます。
○山本(信)委員 今、場所がないということをさんざんいわれたんですけれども、それにしても、実際に土地を借りる場合に、暫定的な利用をするのに、東京都に納めている地代と同額にしなければいけないという理由はどこにもないと思うんです。今、例えばパレットタウンなんかについて見ても、これは暫定的な利用だということを理由にして、地代について見ると、一般のものよりもはるかに安い金額で貸しているわけです。このときの土地を借りた主体というのは臨海副都心建設株式会社ということになるわけですけれども、この行き詰まっている会社が、こういう形にして地代をどんどん払っていくということ自身、これはもう進出企業に対しての大盤振る舞いと同じじゃないかというふうに私、思うんです。これと同じ時期に、同じようにまだ更地のままになっていた一次進出の企業が契約をしていた土地で、同じように建設資材置き場として借り上げていたものがほかにありますか。
○渡辺開発部長 建設資材置き場として借り上げた土地が台場地区を中心にしてございます。申し上げますと、住友商事の台場のBの区画、それから東京ヒューマニアエンタープライズの台場のDの区画でございますが、これはごく一部を借りたということでございます。それから台場のEの街区、並びに台場Fの街区、台場のG1、G2、G3。それから有明地区におきまして、労働経済局の有明のDの区画、それから東京ファッションタウンが借りました有明Fの区画等について、それぞれ、大小はございますけれども、幾ばくかの面積を借りてございます。
○山本(信)委員 契約をしました、しかし、まだ何も建てませんというところに対して、東京都が臨海副都心開発株式会社と契約という形をとって、これを要するに救済するというか、補てんするということをしていたんだということは、私は明らかだと思うんです。このことをまずはっきりと指摘をしていきたいと思います。
考えてみますと、一次公募で当選して協定は結んだけれども契約には至らなかった、それから契約をしたものの、建物の建設にいまだ着手をしていない、未進出の区画とか、いろいろありますけれども、こういうものは今、どれだけになりますか。
○渡辺開発部長 第一次公募企業につきましての状況でございますけれども、先ほどのご質問のバッテリータウン21につきましては、既に着工して、本年四月一日にオープンする予定になっております。
それから台場区画にございます日商岩井につきましては、来年三月の竣工ということで、現在、工事中でございます。イトーキ及びサントリーが残ってございますけれども、両者とも平成十二年十二月の臨海高速鉄道の大崎延伸に合わせて、契約上、平成十三年三月が竣工期限でございます。しかしながら、残念なことに臨海高速鉄道の大崎までの全面開業が二年ほど延期されまして、平成十四年十二月に変更されたところでございます。両者につきましては協議をしているところでございますが、現在、事務的にはイトーキにつきましては平成十五年三月を目途に、またサントリーにつきましては平成十五年十一月を目途に竣工期限の延長を図ろうということを考えているところでございます。
また、三井不動産につきましては現在協議中でございまして、契約に至ってはございません。
○山本(信)委員 要するに、一応契約はしたと。でも、ずるずると延びているというものとか、それからあとは協定は結んでいるんだけれども、まだ契約に至らないと、そういうふうに決断できないというものがあるわけです。
二次公募の問題なんですが、対象面積のうち、進出が決まったものというのはどのぐらいの割合になりますか。
○渡辺開発部長 第二次公募でございますけれども、登録を対象とした区画は十八万五千三百四十八平方メートルでございます。ただし、この中には青海地区にございます都民提案街区がございますが、これにつきましては、このまちづくりの方向について方針を定めた上で整備をするということになっております。この部分が約十万平方メートルございます。
それで、第二次公募において決定をしたところの区画でございますけれども、有明のLM1、2、3という区画でございまして、およそ面積が三万平方メートル程度だというぐあいに記憶しております。
○山本(信)委員 要するに、二次公募、どんどん進むというふうに皆さんいってきたわけだけれども、現実には八万のうち、決まったのは三万という事態だと思うんです。結局、進出企業については全く計画通りにいっていないということじゃないかと思うんです。
それで、地価の問題についてお伺いをしたいんですけれども、この見直しの方針を決めて、それは一九九六年から二〇〇〇年までというのを一つの区切りにしていたと思うんですけれども、この地価の動向について、一九九六年から今日までの上昇率は、どういうふうに予定をしていましたか。
○渡辺開発部長 地価上昇についての想定でございますけれども、平成十一年度までは地価は上昇しないと。それから、十七年度までは二%ずつ上昇すると。その後、三%ずつ上昇するというのが長期収支試算の考え方でございます。
しかしながら、これはトレンドとしての考え方を示すものでございまして、各年、このとおり実際に地価が上がるかどうかというのは、長期収支試算というものが、長期的に見てこの事業の収支上の予測をするという性格でございますので、必ずしも実際の地価とぴったり同じになってくるということは、当初から想定していなかったというぐあいに心得ております。
○山本(信)委員 今、いろいろ変動があるからということをいわれたんですけれども、政策報道室が一九九九年の五月に、「東京の土地 一九九八」というのを発表しています。これに基づいて調べてみると、トレンドというか、東京全体の流れで、その時期、どんなふうな地価の傾向があるのかということを見ると、仮に一九九六年を一〇〇とした場合で、翌年の段階では全用途で見て八八・三〇%というふうになるんです。その次の年、九八年ということで見ると八四・二〇、今年度九九年、これで見ると七八・九九と。これは住宅地、商業地、準工業、工業と少しずつ違いますけれども、要するにどういう傾向かといったら、もう右肩下がりなんです。今、トレンドでというふうにいわれて、大体の傾向みたいなことをいわれるんですけど、これはもう現実に地代が変わらないというような状況じゃなかったというふうに思うんです。これ、下がっているという事実は認められますよね。
○渡辺開発部長 地価動向についてでございますけれども、地価動向につきましては、その地域地域において、それぞれ異なった動きを示していることはご案内のとおりでございます。平成十年から十一年度につきまして、都内商業地の基準地価を見てみますと、千代田区では平均五・六%、新宿区で平均五・七%の減少でございます。
しかしながら、臨海副都心と同様に新たなまちづくりが進んでおります晴海や港南地区では平成九年と同水準で推移しておりまして、また、都心部の大手町や副都心の西新宿でも、同様に横ばいの数字となってございます。なお、地価の動向につきましては、その地域的な要因でございます町の熟成、あるいは各種企業の立地状況、並びに外的な要因でございます交通基盤の整備等に極めて密接な関係があると考えてございます。
手元に区部の基準地の価格を持ってございますけれども、その中では港区は平成十一年の七月一日で平均の商業地価格が二百四十六万円、新宿区におきましては二百七十八万円、渋谷区におきましては二百十四万円となってございます。臨海副都心におきましては、これらの地域と、臨海高速鉄道が開業した暁には埼京線との相互直通運転等が予定されてございますので、こうした地域の地価とも非常に密接な関係を持ってくると思われますので、私どもといたしましては、過去の土地の値段から幾ら上がるかということも一つの重要なファクターではあろうかと思いますけれども、一方で市街地として成熟していく中で、他の同様な機能を持つような副都心との地価との比較というようなことも大変大きな指標になるのではないかというぐあいに考えてございます。
したがいまして、一般的に大きな、東京全体が下がっているから臨海副都心の地価も下がるということはないのではないかなというように考えてございます。
○山本(信)委員 今の話を伺いながら、そもそも、皆さん方のところで、この四十年間で収支均衡がとれるという、その出発点の最初の五年間、東京全体の地価動向から見て、地価は下がらないんですよ、横ばいになるんですよということを前提にして、これをつくったわけじゃないですか。それで、実際にいよいよ二〇〇〇年と。この五年目という中で、このスパンで考えてみると、現実に地価の動向というのは下がっているというのが事実じゃないですか。何でそれ、認めないんですか。
実際に、あなたはそのときも、港湾局はその時期にもどういうことをいっているか。これは九七年の三月の当委員会で我が党の木村議員が、今の地価はどこまで行ったら下げどまりになるか、そういうことを踏み込んで試算をしたのかというふうにただしたわけです。そのときの開発部長さんの答弁というのは、よそは下がっても臨海は違うんだと、町が成熟していくから上がっていくんだというものだったんです。しかし、これまでの期間経過をしてみても、実際に臨海の土地だって、これは路線価で調べたものがありますけれども、その時期に、これは八年のときです、平米当たり四十五万六千円というものが、十一年のところで見ると三十八万五千円と、着実に下がっていることは間違いないんですよ。そういうことを考えると、そもそも試算の前提が間違っていたんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
○渡辺開発部長 臨海副都心地域につきましては、平成九年のまちづくり推進計画を一回ほど、地代の改定を行っておりますが、これは横ばいでございまして、下がったとか、そういうことはございません。
また、ご指摘の場所の路線価でございますが、多分、有明北地区ではないのかなと思いますけれども、この地域につきましてはまだ基盤が整備されていず、これから整備をしていこうという地域でございますので、全く地域要因が違うということで比較の対象とすることは難しいのかなと考えております。
○山本(信)委員 全体の傾向も含めて私、申し上げたわけですけど。結局、これから鉄道系の整備だとか、そういうものをやれば地価は上がるんだ、上がるんだということをずっといわれるわけですよね。じゃあ、念のために伺うんですが、二〇〇〇年以降、二%の上昇というのを保証できるというふうに考えているんでしょうか。
○渡辺開発部長 地価につきましては大変難しい要素がございまして、なかなか予測が困難でございますけれども、先ほど申し上げましたように、基盤の整備及び町の成熟に伴いまして、その土地の効用というものは着実に上がっていくと。それが、相対的な価格であるのか、絶対的な価格であるのかわかりませんけれども、上昇については確信を持っているところでございます。
ちなみに、駅の開業によりまして地価が一〇%から三〇%上昇したという実例も、私ども把握してございます。ただ、臨海高速鉄道がどういう形で地価に反映するかについては、これからの評価を待たなければならないということを考えております。
なお、平成十年十二月の臨海高速鉄道の大崎延伸に伴いまして地価の上昇、あるいは土地処分の大幅な促進ができるものというぐあいに期待しているところでございます。
○山本(信)委員 今、保証できるかどうかわからないといわれたんですが、皆さん方が立てられたその計画というのは、結局、四十年間で収支均衡がとれるんだという最大の頼みの綱は地価が上がるということになっていたんじゃないかというふうに思うんです。一九九六年から九九年の現時点までで、土地運用収益は一体合計で幾らになったのか、示してください。
○渡辺開発部長 平成九年二月の長期収支試算におきましては、本格的に土地処分を開始した平成三年度から、収支均衡年次でございます平成四十八年度までの四十六年間の期間で土地運用収入等を試算してございます。このうち平成八年度から平成十二年度までの期間の内訳を、私どもの方は以前、二千二百八十億円というぐあいに見込んでおりますが、この試算におきましては平成十二年十二月に臨海高速鉄道の大崎延伸が予定されておりまして、平成十二年度に土地処分が大幅に進展するということで見込んだものというぐあいに承知しております。しかしながら、臨海高速鉄道の大崎延伸がおくれたことに伴いまして、土地処分のスケジュールにも現在、影響が出ていることは否定できないところでございます。
お尋ねの平成八年度から平成十一年度、これは決算見込みも含むものでございますけれども、その土地の運用収入等は約五百六十六億円と見込んでございます。まちづくりにつきましては、長期にわたる事業でございまして、運用収入については基盤整備の進捗状況や、計画的な、段階的な開発等を踏まえまして、これまでの処分実績等を十分分析した上で検討することが適切だと考えてございます。
○山本(信)委員 いろいろいわれたんだけれども、結局八年から十一年まで、この土地運用収益というのは五百六十六億と。二千二百八十億から見たら、四分の一というものです。それで、十二年になったら何とかなるんだというふうにいうつもりだったけれども、実際には臨海高速鉄道がおくれているからそれも難しいと、こういう話になりますと、結局四十年間、三年からさかのぼってですから四十六年間かけて収支均衡のバランスをとるんだという話自身が既に失敗しているというように私は思うんです。
ですから、そういう意味で、この計画はもう挫折しているわけですから、この五年目の見直しとか、そんなことをいっていないで、今、立ちどまって本当に見直すべきなんじゃないかということを申し上げて、私の質問を終わります。
○林委員 済みません、私も一般質問で有明北の埋立事業を質問させてもらったんですが、時間の関係もありまして十分でなかったものですから、少しそれに触れさせていただきたいと思います。
そのときに南極の話をしたんです。皆さんもテレビで、南極の氷がどさっと崩れる映像を見ただろうと思います、何回も何回もやっていますから。あれが、高さが数十メートルで幅が百キロ以上、奥行きが三十キロから四十キロぐらいあるという、それだけ大きなものなんですよね、棚氷というらしいんですが、それが崩落するわけです。そういう現象が続いているということだとか、たまたま二、三日前にホタルイカを食べたんですけれども、ホタルイカの旬は五月だということらしいんですね。富山湾の方で、その漁の風景がありましたが、それも二カ月も早いんですけれども、今、もうみそがいっぱい入って、一回あぶって、湯がいて食べると、すごいおいしいんですよ。けれども、それも海の温度が上がっているからなんですって、二カ月早いのは。五月のころに、このぐらいのホタルイカがいつもとれるんですよというような話を板さんから聞いたりしました。
それと、沖縄から黒潮に乗って熱帯魚が駿河湾に入るんです。帰りは行くところがないですから、そこにいるんですが、大抵の魚は死んじゃうんですけれども、一年、二年、越冬してそこにすみつく魚もふえてきているというようなのもNHKで放映していましたけれども、間違いなく、地球の温暖化というのはこれだけ進んでいるということをまず認識していただきたいというふうに思います。
それで、よく川に堤防をつくりますでしょう。堤防の内側というのはどっち側だか知っていますか。僕は、堤防の内側というのは川側だと思うんです。間違いないと思うんですけど。ですから、今さっき馬場さんが質問した最後の部分で、陸から見るんじゃなくて、水面から、それから海底、要するに水底から見るような、開発する場合、そういう目線を持っていただきたいなというふうに思っているんです。
そして局長、きょうはすごく僕と波長が合うような感じなんですけれども、先ほど藤井さんのときに、いろんな意見があるけれども一〇〇%ぶつけ合ってはだめだと。意見の違いは当たり前として受けとめなければいけないというような発言をなさったから、きょうはいいなと思っていたんですけれども、この前の予算委員会で局長は、ハゼにとっては釣り上げられ、てんぷらにされ食べられるのですから、釣り人にとっては楽園であっても、ハゼの最後の楽園といえるような場所ではなく、ましてハゼの唯一の生息地という実態にはございませんといっていたんです。ーー魚を食べるでしょう、牛肉も食べますよね、僕らと同じような生活をしていると思うんです。そういう意味で、意見の違いだとか、考え方の違いは私も当然あるだろうと思うんです。
ですから、今、反対している人たちが、例えば自然環境を守ろうという気持ちで反対している人もいるし、ハゼをあそこで、こよなく釣りを続けていきたいという人もいるし、だけど事業者としては、それを一つ一つつぶしていくというのは変ですけれども、要するに納得してもらうような説明をするのが当たり前だと思うんです。少なくとも僕からすると、この答弁はおちゃらかしたというか、そういう受けとめ方をしたんです。きょうはそうじゃないということをいってありますからね。それで、この答弁、これだけ考えが違っちゃって、全く門前払いという心境でいるんでしたら僕はここで質問をやめますけれども、きっとそうじゃないという、その局長の真意のほどをひとつ……。
○浪越港湾局長 先日、私が申し上げたかったのは、有明北がハゼの、東京港における唯一の楽園ではないということを申し上げたかったわけでございます。
今、先ほど私の答弁に対してちょっと誤解があったらいけないので、改めて申し上げたいと思いますのは、私は、現在できております推進計画は最善の、一〇〇%のものだと考えています。というのは、先ほど七〇、八〇、申し上げたのは、議論に次ぐ議論、いろんな考え方、あるいは意見の方、思想の方、あろうかと思います。そういうことで議論に議論をし、懇談会でA案、B案、両方まとまらないで出たわけでございます。A案の人にとってみれば、現在の案は必ずしも一〇〇%満足しないかもわかりませんし、B案の方にとってみても満足しないかもしれない。そういう意味で、現在でき上がったのは、私は最善の案だと、そのように申し上げたかったわけでございまして、そういうことで、自分の一つの見方だけじゃなくて、臨海開発というのは非常に大きな、いろんなところにかかわる問題でございまして、住宅の問題、交通の問題、自然環境の問題、労働の問題、いろいろな問題がありまして、いろんな切り口、考え方があり、そういう中でお互いに一つだけのベストを求めるんじゃなく、総体としてのベストを求めたのが、私、今回のできているまちづくり推進計画が最善のものであり、ベストで一〇〇%だと思っております。
そういう中で、平成九年の三月にできた案を、なぜ今、逆にわずかの期間で抜本的に見直さなければいけないというふうな社会的、あるいは経済的な状況にないというのが、私の認識でございます。したがいまして、着実に現在の計画に沿って実施していくのが私の仕事だろうと、そういうふうに理解しておりますので、念のために申し上げます。
○林委員 それはよく承知していますし、そういう答弁を何回もいただいていますからあれですけど、私は平成九年の七月から都議会議員でありますので、少なくともそれからの僕の勉強したり、いろいろな情報をとった中でぶつけているわけですから、そういうものに対して一つ一つ、事業者としては対処するのが事業者としての姿勢ではないですかと伺っているだけなんです。
それで、先ほど高野さんなんかも湾奥という言葉をよく使っておりました。少なくとも東京湾の一番奥なんですよね、あそこが。そういう意識を持って事業をなさっているかどうかというのをすごく危惧しているわけですけれども、昔は、江戸湾と呼ばれていたときは、そういう遠浅のなぎさがずっと続いていたわけです。葛西のところに人工なぎさを幾つつくったとか、さっきの野鳥公園にしてもそうです、すべて直立護岸をつくっちゃったんで、それをまた少しでも自然に戻そうとする努力で、ああいうのができてきたわけです。
ですから、本来でしたら、何もやっていなきゃ、何もお金はかからないんです。今かけているお金も、自然を戻すための費用だということも、ぜひ認識をしてほしい。今、ヨーロッパだとか南北アメリカなんかはそういう意味でのお金をすごい使っているわけです。そこにも考え方をーー皆さん、恐らく大丈夫だと思いますけれども、ちょっと心配になるところがありますので。もともとは、なぎさがあれば、水質の浄化作用がありますし、水生生物だとか甲殻類だとか、いろんなのが自然にわいてくるわけです。それをつぶしちゃったのが人間だということを、当然ふ頭だとか、船が接岸するような岸壁は必要ですけれども、余りにいじり過ぎたんじゃないかということをいいたいんです。
それで、ちょっとああいう水域がどういう形、どういう考え方をしていいのかわからないんで伺いたいんですが、僕なんか練馬ですから、余り東京湾に行く機会がないです。だけれども、有明北でハゼが釣れるといって、ことしは無理だけれども来年の秋には行ってみたいなと思って、釣り船屋さんに船を借りて、ぶらっと行って、日がな一日釣りをするのは、これは東京都民、あるいは日本国民、だれでもできるんでしょうかね。
○渡辺開発部長 東京湾の中の水域で、船舶の航行の障害にならないような水域、幾つかございますけれども、そういうところでハゼ釣りが行われているというところでございます。
○林委員 そうすると、ある意味では道路みたいーー道路だとか、陸で考えれば、そういうものじゃないかなと思うんです。陸上ですと、廃道するにしろ、道路の拡幅、あるいは狭くするということは余りないですけれども、そういうときは、かなりやっぱり反対運動だとか、後の使い勝手をどうするんだとかというのは問題になるわけですよね。ですから、そういう意味で、今の反対している人たちにしろ、それぞれの思いは、都の財政を考えたりとか、さっきいったハゼを考えたりとか、いろんな人がいますけれども、ぜひ真剣に対処していただきたいということを申し上げたいと思います。
それで、あの隣にあります東雲の都営住宅だとか公社の住宅の人たちも反対といいますか、アセスのときに説明会に大勢来て、反対の意見が多かったというふうに聞いておりますけれども、有明の埋め立てに関して地元説明会といいますか、道路なんかだとそういう形になるんですが、そういう対応はどの程度やって、その中身はどんな感じだったんでしょうか。
○高野参事 有明北地区の埋立事業につきましては、都の環境影響評価条例に基づき、環境影響評価書案の公示、縦覧を行った上で説明会を実施いたしました。説明会は、地元住民が参加しやすいように豊洲小学校、東雲小学校、有明スポーツセンターの三カ所で開催し、全体で百十八名の参加がございました。
この説明会の後、関係区からの意見も含め三百六十三件の意見書の提出がございました。さらに公聴会を実施し、五名の方から意見陳述がございました。この寄せられた意見書に対して見解書を取りまとめた上で再度、公示、縦覧、説明会を行いました。説明会は、環境影響評価書案のときと同じ三カ所で開催し、百一名の参加がございました。見解書については十六件の意見の提出がございました。
○林委員 それが多いか少ないかはちょっと判断が難しいのかなとは思いますけれども、ある意味では、あんまり日常的には利用されていない水域の事業に対して、それだけの人が参加し、いろいろな意見を述べたということは、関心もあるんだろうと思いますし、私も練馬にいて反対の署名を随分集めましたけれども、練馬の方でも、事業の中身はそれほど伝わらないにしても、今の時代はもう海を埋め立てる時代じゃないよという、総括的には、そういうふうにいう人が、恐らく百人中百人はそうだったなというふうに思っているんです。ですから、そういう意識も踏まえながら、今後も地元の住民の方々に対する対応は誠意を持って対応していただきたいということを申し述べさせていただきます。
それと、ハゼは、先ほど丸茂副委員長の方からもいろいろいいましたけれども、やっぱり年間を通してハゼの生活サイクルというか、これは(コピーを示す)この前の東京新聞に出ていたやつですが、やっぱり調べるべきじゃないかなと思いますし、局長が巣穴のことで、有明はそんなに大したことないんだよというようなことを随分いろんなところでおっしゃっていましたけれども、やっぱり僕は、現実的に、あれだけの釣り船が集まって、それで一日、さおを垂れれば百五十匹、二百匹釣れるよという、実際に釣った人から話を聞いたり、それからたまたま、この平成十年に水生生物の水域環境調査ですか、これを見ると、個体としてやっぱり有明北はすごい多いです。これは皆さん、知っているだろうと思うんです。ですから、僕は学者じゃないですからわかりませんけれども、ある意味じゃ、そういう原始的な調査の方がはるかに正確だなというふうに思います。ハゼに対して、それじゃあ局長のコメントと、それから生活サイクル、七、八メートルのところで巣穴をつくって、それで生まれて、それが潮に乗って浅場へ行って成長して、また戻っていくという、そういうのが何となく間違いじゃないなというふうに、いろんな書物を読んで思ったんですけれども、それも含めて今後、長いスパンでの調査をするかどうかも含めて……。
○浪越港湾局長 私は余り科学的なことはわかりづらいんですが、実は、この「つり人」という(冊子を示す)一月号から三月号ぐらいにかけて、ハゼの楽園だとか、いろんなことをいわれている雑誌でございます。そういう中で、いろいろいわれているんですが、実は去年の九月号を見てみますと、そこに特集がございまして、同じ雑誌でわずか四、五カ月前の雑誌の中で、ハゼ釣りのことについて、陸から釣ることだろうと思うんですが、そこに特集を組みまして、京葉地区、江戸前地区、京浜地区というふうなことで、いろんなところにたくさんハゼが釣れます、ここが釣れますよということをずっと特集をしているわけです。そういう中で、ここで見てみますと、皆さん、いろいろいわれる有北についていえば、陸から釣れないから釣り場として載っていないのは当然なんですけれども、この中には釣り場としては載ってございません。そのほか、例えば江戸前地区というふうなところで、東雲の水辺公園とか辰巳水門とか、いろんなところにたくさんありますよと、ポイントがいっぱい載っています。そういうことからすると、私はハゼは東京湾全体にいるものであって、有明北だけが聖域でもなし、ましてや唯一の楽園でもないというのが、私の考え方でございます。
そういうことで、この雑誌の中にもそうなんですが、一般的にいわれていますように、先生が先ほどおっしゃったように、ハゼは三月、あるいは四月ごろ、六メーターから九メーターの深いところで生まれ、浅いところからだんだん季節とともに、回遊といったらおかしいですけれども、だんだん深いところを回って、一年で一生を終えるというふうに、私はそういうふうに理解しております。
○高野参事 調査の件がありましたので、お答え申し上げます。
十年度に調査を実施しまして、確かに、先ほどもちょっと申しましたけれども、旧防波堤の石積みの周辺、それは緩傾斜になっておりまして、そこが水生生物にとって比較的環境のいいところになっているということもありまして、ハゼの観測がかなりされております。
この調査は、有明の埋め立てをやるときに、環境アセスメントで水面を三十五ヘクタール埋め立てるわけですから、その代替として、いろんな環境対策をやりますということを環境影響評価書の中に書き込んでございますけれども、それをいかにしたら有効に、うまく評価書どおりにやっていけるかということで、追跡で調査をしているものでございまして、今後、埋め立てを実施していく過程の中で、そういう調査をしながら、影響評価で約束した保全対策を十分にやっていきたいというふうに考えております。
○林委員 ハゼは、とにかくあそこにいるということは確かで、それであそこにこよなく愛着を持っている人たちが大勢いるということも確かだというふうに思うんです。それで、ほかで釣れるということは、それにこしたことはないわけですから、一時は本当にハゼ釣りというのは壊滅状況にあったのが、先ほどいった、昔の自然に戻そうとする皆さんの努力で戻ってきたわけです。そこまでは一緒なんです。だけど、それがあるからこっちをつぶしていいでしょうということにはならないと僕は思うんです。
それで、ハゼはハゼでいいですけれども、住宅なんですが、きょうの朝日か読売にも、郊外の住宅の時代は終わって、団地か何か、エルカクエイとかいうのがつぶれちゃって、千葉の方の記事だったんですが、都心居住の指向がすごい強くなっていると。ここまではいいんでしょうけれども、そうじゃなくて、そういうのはやっぱり民間に任せておけばいいんですよ。あそこは東雲四丁目ですか、三菱何とかのところの住宅を今、計画していますよね。(「六千」と呼ぶ者あり)そう、六千世帯。それの推移を見るのも一つの手だと思いますけれども、それと同じことに行政が関与すべきかどうか。今、都営住宅なんかは多摩ニュータウン、それから町田、八王子、あっちの方はもう常時受け付けで、その資格さえあればいつでも入れるんです。それと、年寄りが一人で住んでいる世帯がめちゃくちゃ多いわけ。ぜひ、横の連絡もとってほしいんですけれども、それ、みんな行政が誘導してきた住宅政策なわけです。港湾局だから、そっちに目をつぶっていいというものじゃないと思うんです。ですから、行政としてかかわるのは、まず今の時点だったら、多摩都市モノレールも引いたわけですし、そっちの方にも目を配っていただきたいと思います。
あともう一つは、埋め立てて、都営住宅は今、新築はやらないわけですよね。供給公社もやりません。それからさっきの基盤整備公団も、一応分譲住宅はやらないと宣言しているわけです。そうすると、やはり民間のデベロッパーか何かに払い下げてやらせるのか、それでしたら、そんなに先の将来じゃないわけですから、今、一緒になってやるような計画をすべきじゃないのかなというふうに思いますし。それと、もう時間の関係もありますから一遍にいっちゃいますけど、大気汚染もあそこの地域、今でもよくないというふうに聞いているんです。それで、晴海ふ頭の方に今、この前、労働経済局の方で質問しましたけれども、築地が移ってくるわけです。(「移ってくる」と呼ぶ者あり)という話があるわけです。移るのが好ましいというか。それで、環状二号線と高速道路と三四号線ですか、に同じ車が乗るわけです。そういうところは視野に入れているのかどうか。そういうのも含めた大気汚染をどういうふうに考えているのか。先ほどの話じゃないですけれど、九千戸の住宅建設、本当に行政がかかわる仕事かどうか。
今、この前の住宅白書に書いてありましたけれども、住戸数の方が一三%も世帯数より多いんです。そういうのもトータル的に踏まえて、僕はちょっと今はやっぱり立ちどまった方がいいだろうなというふうに心底思っているものでしつこくやっているんですけれども、いかがですか。
○高野参事 住宅建設に関してのご質問でございますけれども、有明北地区の住宅開発は、臨海副都心まちづくり推進計画に基づきまして、住機能のみならず、業務機能や商業機能と適切に配置することにより、職と住のバランスのとれた都市づくりを実現するものでございます。公的に関与するのはいかがかということですが、公的に関与して魅力のある、水辺を生かしたまちづくりを進める、その中で住宅を供給していくことということではないかと思います。
それから公的な住宅のことでいいますと、先ほどもちょっとありましたけれども、有明北地区において都市基盤整備公団が土地を買収といいますか、確保してきておりまして、地権者の皆さんと一緒に新しいまちづくりをしようという動きも出てきております。良好な環境の住宅をつくれば、先ほども申しましたように、都心から約五キロ、水辺もウォーターフロントの良好な環境にあるところですから、都心居住の根強い動向に十分こたえていけるんではないかというふうに考えております。
それから広域幹線道路につきましては、臨海部幹線道路建設事業及び臨海部開発土地区画整理事業に関する環境影響評価、これは平成五年二月に実施したものでございますけれども、先ほどの環状二号線ですとか晴海通りの延伸ですとか、そういう道路を含む広域幹線道路の環境影響評価において、大気にかかわる予測結果、あるいは騒音なども予測しておりますけれども、評価の指標とした環境基準をおおむね下回っているということで、これら広域幹線道路整備による環境への影響は少ないというふうに、その影響評価ではしております。
今後、広域幹線道路の整備により、道路ネットワークが形成されまして、交通分散や渋滞の解消が図られていくということ、さらには排出ガス規制等の環境対策の進展により、大気の状況は、現在よりも改善されていくものというふうに考えております。
○林委員 なかなかかみ合わないもので、質問のときも随分苦労したんですけれども、有明北のあの地域は、今でも大気汚染に関しては環境基準を上回っているというのを、どこかで見た記憶があります、間違いないと思いますけれども。それに、築地の市場が来れば、少なくともあそこの二本の橋を渡ってくるわけですから、自動車コースからすれば、かなりの影響が出るはずなんです。ですから、平成五年にやったので十分だというふうにはとても考えられませんし、その辺も視野に入れた形で埋立事業を再検討してほしいなというふうに思います。
先ほども何回もいいましたけれども、今、先進国では自然を戻すためのお金をすごい使っているわけです。そうした視点にもぜひ立っていただきたいことを申し上げて、終わります。
○山本(賢)委員 大変貴重なご意見をいただきながら、私なりにまた、私は東京港の防災対策というのが私の分担でありますので、それをご質問申し上げたいのですが、その前に、実はこの間、先週の十六日、小雨降る日に私ども自民党の何人かの人たちが、有明の今はやりの、北の埋立地のところを海の方から見させていただきました。新聞社にいわなかったものですから、何も報道はなかったんですけれども、見て歩きまして、これは釣り糸を垂れるようなところではないなというのが直感的にした。というのは、あそこはみんな私有地なんです。私有地であって、みんな囲んでいきまして、その先に昔、ゴルフの練習場、私もあそこら辺はよく知っているものですから、そういうんですが、そういう際立った、二メーター五十ぐらいある岸壁でありまして、それで勝手に私有地に行って釣り糸を垂れさせるわけにはいかない。来れば、船で来るかなと。ただ、こっち側の方の防波堤といいますか、土手のある、あそこはやっぱり釣れるかもしれないなと思ったんですが、ところで私は下町ですから、釣りの会が幾つもあります。三つの会に、顧問みたいな形で所属しているんです。そして、毎月、朝早くから釣りに出かけます。朝四時、あるいは三時に出発するわけです。
ハゼ釣り大会というのもたまにはあるんです。ところが、私どものやっている人たちはもう二十年、三十年、釣り人として、横綱だとかーー横綱になりますと、いろんな額がありまして、自分の釣った魚の魚拓を出しておいたり、そういうような会でありますから、本式の釣り人なんです。
この人たちが、ではハゼ釣りの場にどこへ行くかというと、近くでは今いった京浜運河です。あんまりそれ以外には行かないですね。というのは、彼らは直感的に、今おっしゃっているような、話題になっているようなところは釣れるところとは認識していないんです。それ以外にいっぱい釣れるところがあるという、そういうことでありますことをちょっと申し上げて、本論に入ってまいります。
さて、きのうも地震が奄美大島で震度三ということがありましたけれども、私どものこの日本列島は地震の、いわばそういうところの上に乗っかった列島でありまして、環太平洋火山帯にも入っているし、何とかトラフと、両方から押されているようなのもありまして、いつ地震が来てもおかしくない、そういう中でありますので、我々、東京都としてもしっかりと地震対策というものを考えてこなければならない。特に港湾局においては、港湾局の立場から防災対策を私はきちんとしておかなければならないだろうと思うんです。
たしか去年の六月だと思いますが、建設局と港湾局も入って、防災時の、内部河川の船着き場をつくるという計画があったと思うんです。今まで三十二カ所つくっているそうですが、例えば荒川だとか隅田川だとかで、緊急時の物資、あるいは人を輸送するというときの船着き場をつくったはずでありますが、東京港においても、詳しくは後で申し上げますが、当然、東京港を利用して千葉や神奈川に人員、物資を輸送しなければならない、あるいは向こうから来なければならないというようなことが想定されるだろうと思うんです。
そこで、そのときにーーこれまた私的なことですが、最近、去年の八月から臨海部に週に二回ほど通っております。というのは、歯を治すために行っているんですが、通っていて思うことは、臨海部はご批判がありますけれども、日に日に活気に満ちているということ、日に日に変貌があるというような感じを、腹の底から受けます。それほど、去年の八月から見ると、またきょうも行ってきましたけれども、変わりつつある。それが実感として感じてきます。この臨海部なんていうのは、そういう意味では防災のための一大拠点になり得るだろうというようなことを私は思うんです。
そういう意味で、東京の臨海部は海上や陸上のアクセスがよいことに加えて、広大な、先ほどお話がありました面積を有する。それから、ふ頭や海上公園などがあります。逃げ場になります。こういった視点から見ると、救援物資の調達や避難場所の確保など、発災時の早急な対策と復興の拠点となる高いポテンシャルを持っていると思うんです。
そこで、まずお伺いいたしますが、五年前の阪神・淡路大震災において、神戸港の被害の状況を、私は実際見なかったんですが、テレビで見たんです。ほかのところは見ましたけれども、波止場の方、港の方は行かなかったんですが、あれを見ますと、岸壁に亀裂が入ってクレーンが倒れたり、いろんなことがあって壊滅的な打撃を受けたということが報じられております。それを考えるときに、じゃあ我が東京においては関東大震災以来の地震に対する災害対策というのは、相当研究はしてきておりますが、そういうふうな大規模な震災にどんな備えをしているか、心配になりましたので、ぜひひとつお聞かせいただきたい。
○増田港湾整備部長 港湾施設の整備に当たりましては、運輸省の定めました港湾施設の技術上の基準に基づきまして設計をしてございます。そういった中で、震災に対します耐震も十分配慮してやってございます。この基準につきましては、新潟地震や淡路大震災の教訓を踏まえまして、その時点、その時点での最新の知見を盛り込みながら、基準を改めてございます。東京港の耐震強化岸壁につきましては、その整備時点で最新の基準に基づきまして、耐震性を持たせた設計を行ってございます。また、神戸での地震でも見られましたように、荷役機械等が倒壊してございましたけれども、例えば大井コンテナふ頭におきましては、岸壁の耐震強化にあわせましてガントリークレーンにつきましても、地震の震動を弱める免震技術の導入等を図りながら、こういったものに対して万全を期しているところでございます。
○山本(賢)委員 発災時において、地震が起きたときに、すぐさま必要となるのが緊急物資の輸送であろうと思います。東京港においては、ふ頭の耐震強化対策を今いいましたが、その計画はどのようになっておりますか。
○増田港湾整備部長 ふ頭の耐震強化の目的でございますけれども、二つございます。
その第一は、物資の緊急輸送の確保でございまして、このため、芝浦ふ頭など、十四バースの耐震強化対策を計画してございます。
また第二に、都民生活、あるいは経済活動を支えるための国際海上輸送の機能を維持するということが非常に大切でございます。このため、大井コンテナふ頭などで四バースの耐震強化対策を計画しているところでございます。合計十八バースの耐震強化を計画してございます。
○山本(賢)委員 計画はお聞きいたしました。さあ、それでは計画について、ふ頭の耐震強化の整備状況はどうなっておりますか。
○増田港湾整備部長 計画に対します整備状況でございますが、先ほどご答弁申し上げましたように、まず第一番目の目的でございます物資の緊急輸送のためのふ頭整備については、計画十四バースのうち十バースにつきまして耐震強化整備を終了してございます。また、外貿コンテナバースにつきましては、計画四バースのうち、現在、大井ふ頭につきまして、大規模、あるいは高規格のコンテナターミナルに再編成をしてございますけれども、この工事にあわせまして三バースの耐震強化を鋭意進めてございまして、平成十四年度完成に向けて実施しているところでございます。
○山本(賢)委員 強化対策はわかりました。こうした耐震強化の対策を整備するとともに、やっぱり今度は被災者が出た場合に、これをどういうふうにするかということも、また大事な問題だろうと思います。
東京都の防災計画書が発行されておりますが、地震発生時の帰宅困難者を、都内では約三百七十一万人に上ると推計されております。この帰宅困難者は、徒歩によって帰るというのが原則でありますけれども、遠いところはそういうわけにいきません。海上輸送による対応も必要だと思います。これら震災時の、荷物じゃなくて人の海上輸送対策については、どのように考えておられますか。
○増田港湾整備部長 先ほどお答えいたしました耐震強化岸壁につきまして、これらの岸壁を住民避難に役立てますとともに、海上バスの発着場所を利用し、さらには今後、運河の高潮護岸整備にあわせまして小型船舶の簡易な発着施設を設けるなどいたしまして、運河や河川筋を利用した、人の搬送を確保する必要があると考えてございます。今後の高潮護岸の整備、あるいは海上の発着基地の整備に当たりましては、災害時の輸送手段の確保など、防災の視点を含めまして整備をしてまいりたい、このように存じております。
○山本(賢)委員 先ほどどなたか、護岸の話がありましたけれども、高潮護岸というのは大変なんです。これはちゃんとやってもらわないと困ります。我々はゼロメートルの下に、墨田区、江東区もそうですが、江戸川も一部あるんですから、この高潮の護岸をぴしっとやってもらわないと、いつも建設局にはいっていますけれども、これをおろそかにされたんでは困りますが、さて、阪神大震災において、高速道路の倒壊はテレビでご承知のとおり、鉄道の不通など、陸上交通がストップして、その代替手段として神戸港と、たしか大阪港や関西空港を結ぶ海上輸送が大きな役割を果たしたと思います。東京港においては、先ほど申し上げましたように、横浜や千葉など、東京湾内の各港との協力体制が大事なんですが、それらについてはどんなことを対応として考えていますか。
○増田港湾整備部長 ご指摘のとおり、東京湾岸域には多くの人々が働きまして、また生活しております。万が一の災害時には、都、県、市の連携によります海上輸送が、帰宅困難者などの対応に大きな役割を果たすと考えてございます。このため、国及び湾内の港湾管理者等で組織いたします東京湾港湾連携推進協議会に、本年二月でございますが、東京都の方から帰宅困難者の対策につきまして提案をいたしまして、賛同を得たところでございます。
今後、耐震強化岸壁などの利用や受け入れ体制の仕組みなどにつきまして十分な情報交換、協議を行いまして、東京湾内の港間を結ぶ、いわば臨時、緊急時海上輸送ネットワーク等を実現してまいりたいと考えております。
○山本(賢)委員 どうぞひとつよろしくお願いいたします。
これもきのうの朝の八時ぐらいかな、NHKのニュースでやったんですが、ミニフロートというのがあるんだそうで、それに試乗された女性のアナウンサーがいったんでありますが、国においても、ああいうふうな移動可能な防災施設、いわゆるミニフロートの横浜港や大阪港への配備を進められていると聞いておりますが、これらの活用を視野に置くべきだと思います。ミニフロートの実施状況と東京港での名前がなかったんですが、これらの対応についてお伺いします。これができると、ヘリコプターもおりられるだろうし、大きな船もぴたっと横につけられるだろうし、あるいはいろんなことで貯蔵もできるだろうし、大変便利だと思うんですが、どうぞお願いいたします。
○増田港湾整備部長 ミニフロートにつきましては、今、お話がありましたように、発災時におきまして移動式の係留施設として使えるということから、平成十年でございますけれども、国の第三次補正予算におきまして、三大湾で直轄事業として実施されてございます。平成十一年度に三大湾のうち、横浜港、名古屋港、大阪港につきまして、製作、設置の予定でございます。東京湾では、今申し上げましたように横浜港で設置されるわけでございますけれども、震災時の対応、あるいは管理の方法等につきまして、平成十二年度までに運輸省において運用マニュアル等を検討いたしまして、それぞれの関係港湾管理者と調整を図ることとなってございます。
都といたしましても、このミニフロートの湾内での活用につきまして、その有効性等を十分認識してございますので、運用等につきまして、国と協議、調整をしてまいりたいと存じております。
○山本(賢)委員 先ほど冒頭に申し上げましたように、港湾局は、震災時においても緊急物資の輸送のみならず、帰宅困難者などの人の輸送というようなことに大きな役割を果たす重要な機能を東京湾は持っている、これに対して管理者である港湾局は十分心して、その防災対策を立ててこなければならない。
さらに、先ほどちょっとお話があったかどうかわかりませんが、臨海副都心は、防災モデル都市としての開発が今、進められている。都市のライフラインは耐震性を備えているというのは、我々共同溝の中へ入ってみて、皆さん、ご見学をされてわかっているとおりでありますが、ライフラインがみんな大きな共同溝の中へ入っている。そして、建築物は液状化対策も十分されているという、安全で災害に強い基盤整備がされているということを、私どもは認識しております。こうした防災機能を備え、震災対策上重要な位置を占めている東京港や臨海副都心が防災時に有効に機能するためには、臨海部周辺道路などのアクセスの確保が最も重要であると思うんですが、この点について、お伺いいたします。
○増田港湾整備部長 アクセスの確保についてでございますけれども、陸上交通につきましては、幹線道路といたしましてレインボーブリッジや湾岸道路、そして環状七号線等の道路が整備されてございます。臨海部が、より高い防災性を確保するためには、現在整備中の東京港臨海道路を初め豊洲、有明北を経由する晴海通り延伸、環状二号線の整備を着実に進めていかなければならないと考えてございます。
また、空路につきましては、羽田空港が隣接しているほか、新木場に警視庁、消防庁を初めとする百機のヘリコプターが常駐いたします国内最大規模の東京へリポートがございます。このように、東京臨海部は広大な空間とともに、アクセス面でも多様な手段を持つ災害に強い町として着実に整備を進めていく必要があろうというふうに考えてございます。
○山本(賢)委員 最後に要望としてお願いを申し上げますが、こうした東京臨海部の特性を生かして、広域的な災害対策活動の支援拠点として、有明の丘、あれ大して高くないですよね、有明の丘防災拠点が計画されたことは、的を射た施策であると考えます。ここでは、後方支援拠点となる病院も設置されるということになっておりますが、都として、災害に対し万全を期していく上で、臨海部の重要な役割をさらにさらに認識し、その拠点ともいうべき有明の丘防災拠点を早急に整備するよう心からお願いを申し上げまして、私の要望といたします。
以上です。
○山崎委員 予定より時間が早く進んでおりますが、今まで本会議、あるいは予特、それからこの常任委員会、有明北の埋め立てについては、かなりの議論がなされておりまして、私は江東区で生まれ育った者として、地元の立場として意見を述べつつ、この埋立事業について質疑をしていきたい、このように思っております。
今、反対の中に、議論として冷静に見ると、ハゼを守れという意見と、この間は海上デモがありましたけれども、釣り船業者を守れというのと、それから本当に江戸前のハゼを釣る楽しみのある釣り人、いってみれば名人なんでしょう、私の長年つき合っている人もハゼの名人と自負しておりまして、その人はハゼ以外は全然釣れない、ハゼだけは、おれは日本一だというような人がおりまして、いろんな釣り船業者も江東区におりますし、屋形船もたくさんありますし、そうした方々も知っているので、いろんな話を聞いてまいりました。
テレビ等でも何度か取り上げられているんですが、テレビで取り上げたルポを見ますと、反対のための放映というか、編集がされておりまして、インタビューを受けた人が、自分がいったことが、都合の悪いところは全然映していない、反対のための意見であるところしか映さないと大変憤慨しておりました。この人は、昔から釣り船をやっておりまして、今はもう引退したんですけれども、本当の意味での江戸前のハゼについて、含蓄を持っている人です。その人がインタビューを受けると、ほとんどカットされる。それから、ある人がテレビを見ていて、東京湾でカレイを釣ったと。カレイを釣って、それを釣り落とした。それを見ていて、ああ、三千円損したなと、こういったというんです。それはなぜかというと、築地で生きたカレイを買ってきて、撮影のときに引っかけて釣りをしたというような感想をーーこれは事実かどうかわかりませんよ、私は。やらせだとかなんとかということはいいませんけれども、そういうようなことをいう人も、釣り人の中にはいるんですね。
私は、そうしてみると、本当の江戸前のハゼを釣る楽しみの人からすれば、有北の埋め立ては残念なことであろうと。しかし、私は子供のころ、私の中学校のすぐ前が岸壁で、もうそこから東京湾だった。ですから、いつでも行って、ハゼなんていうのは本当にバケツいっぱいすぐ釣れた、そういう時代があったわけですが、都市化の進行とともに、あるいは水質の汚濁とともに、なかなかハゼというのは釣れなくなりました。しかし、埋め立てが進んだとしても、ハゼは全滅はしていないわけです。あちこちにおります。非常に強靱な魚でして、我々よく、ハゼなんていう言葉ではなくて、僕らはダボハゼ、ダボハゼと、子供のころはそういって、ハゼ釣りも楽しんできまして、私も、ハゼはある程度釣れる自信を持っていました。
ですから、本当の名人たちにすれば、釣り場が失われるということは寂しいことだと思います。それから、釣り船業者の方々からすると、あそこはなぜいいかというと、波がない。ですから、女性のお客さんや子供さんたちを乗っけていくと、あそこで釣っていれば、お客さんは安心なんです。ですから、あそこで釣るということーーそれはあそこで釣っても、正月が明けるともう全然釣れなくなるんです。十二月までなんですね、釣れるのは。夏場から秋まで。一月からはもう釣れない、一匹も釣れないですよ、あそこは。これは専門家の話ですから間違いない。そういう状況で、先ほどいろいろ、産卵がどうこうというようなお話もありましたけれども、その辺も参考に、ひとつ調べるときは調べてもらいたいなと思います。
それで、あの水域はかつて、ご存じのように貯木場だった。貯木場で、丸太がなくなって、都に返還したわけです。そこへ、釣り船が入ってきて釣りをしていてーーあそこは埋め立てでできた一角ですから、その埋め立てでできたところで、それで公有水面ではないわけだから自由に本来は入ってはいけないんだけれども、入って釣っていた。そこを埋め立てるから反対だというのは、ちょっとおかしいんじゃないかなと思うんです。
というのは、一つには、よそ様の庭が芝生できれいで、そこで勝手に遊んでいた。芝生がちょっとあれだから、今度れんがの通路をつくったり、こうしたいよといったら、それはだめだと反対する。あるいはまた都の空き地で子供たちが少年野球をやっていた、ここはこういう計画があるから工事を始めますよといったら反対しているというのと同じような意味があるのではないかと、私は思うんです。
ですから、その釣り船の方々の中にも、私は知り合いがいて、山崎さん、わかっていますよ、これは仕方ないことだよということもいっている。しかし、せめてつくった後にまたハゼが戻ってくるようなつくり方はしてほしいですよというのが、心ある釣り船業者のご意見です。ですから、そうやってみますと、その釣り船業者の方々も、それは一部、いい場所がなくなることは反対でしょうけれども、しっかりと後の対応をすれば、理解を十分得られると私は思います。
ですから今、都が計画している、この有北の埋め立ての干潟機能を持った護岸とか、潮入りとか、こういったものをつくることによって、私はいずれ、いつかはハゼが戻ってくるだろうと。埋め立てが終わって、すぐには戻りませんよ、ハゼは。絶対戻ってこない。埋め立てが終わって、何年かたてば、必ず私は戻ってくるだろうと。それが、一日も早くハゼが戻るようなつくり方というか、環境整備を港湾局は心がけてもらいたいと私は思います。
それから今、マスコミ、その他の論調を見ると、環境破壊という意見もあるわけです。自然保護という。そういう意見と釣り船の方、あるいは本当のハゼ釣りの大好きな方、こういった方々の意見がごちゃ混ぜになってしまっているので、ちょっとわけわからない部分もあるんです。それで、最終的には反対の論調は環境破壊、自然を守れということだと思うんです。自然を守ることは、だれしも賛成なんですが、ハゼが生まれ育つならばいいわけです、環境破壊しても。そのハゼが生まれ育つ環境をしっかりと、今申し上げたように港湾局はつくる責任がある。ですから、私は、東京都のこの案で、ハゼの強靱さ、そうしたもので、いずれこの問題は解決すると思っております。
子供のころから私もハゼ釣りを随分しましたけれども、いまだに東京湾にはハゼはいるわけです。よくてんぷら屋さんに行きまして、これは江戸前のハゼですよと、出すんです。僕はてんぷらが大好きだから、秋はもうキスとかメゴチは一切食わないで、ハゼがあればハゼ以外食わない。で、これ江戸前と聞くと、ええ、そうですよ、だんなと、こういうわけです。見ると、あ、これ江戸前じゃないよ、なぜならしっぽが長いじゃないか、江戸前のハゼはこんなしっぽの長いのはいない、これは仙台の松島あたりのハゼだねというと、お客さん、よくわかりますねと、こういう話なんです。
ですから、本当に江戸前のハゼを食べるという人は、本当の釣りの名人が釣って家に帰る。釣り船の人というのは、先ほど藤井先生もお話がありましたけれども、仕入れてきて、家で割いて船に積んで、釣っているうちにてんぷらを揚げて食べさせる、これが釣り船とか屋形なんです。釣ったハゼはどうするかというと、素人は家に持って帰って、奥さんにこんなに釣れたよとか、きょうはだめだったよということで、それを見せるだけなんです。我々の子供のころは、大体秋に釣ってくると、釣ってきたのを空干ししまして、甘露煮にして正月に食うんです。我々はそういう経験をしているから、釣って、家に帰って、それを割いててんぷらにして食べる釣り人というのは非常に少ないということは、これはいえると思います。
そこで、最後になりましたので、もう一度おさらいではありませんけれども、有北の埋め立ての経緯はどういうものであったか、簡単でいいですから、お答えいただきたい。
○高野参事 有明貯木場周囲の有明一、二丁目地域は、第十号埋立地として昭和十一年十一月十九日に埋立免許を取得しまして、工事が始まりました。当時の土地利用は、北側の防波堤に囲まれた水域はいかだだまりに利用し、埋立地は物揚げ場と宅地として計画されたものでございます。しかし、太平洋戦争が勃発したため、資材、労働力の不足、船舶の徴用等により、埋立工事は進捗せず、埋め立ては戦後十年以上を経過して竣工することとなりました。有明貯木場の周囲は昭和三十二年十一月に竣工しております。
○山崎委員 それでは、続いて有明貯木場の経緯についてご説明いただきたい。
○高野参事 昭和三十年代に入りまして、江東地区の都市防災上の問題、及び木材の取り扱いが国内材から外材の原木輸入へと変化をしてきたことから、木場の海側への移転問題が生じてまいりました。こうした状況を受けて、この水域を都営の貯木場としては最古参となる有明貯木場として整備し、昭和三十一年八月に供用が開始されました。
東京港の原木の輸入は、昭和四十四年には全国港湾の中で第一位を占めるまでに至りましたけれども、その後、輸出国における木材加工業の育成や地球環境問題としての森林保護の要請によりまして、昭和五十年代半ばから激減してまいりました。こうした海面利用の減少に伴いまして、貯木場の集約化が行われまして、現在利用されております貯木場は十二号地と十四号地第二の二カ所でございます。有明貯木場は、こうしたことから平成五年ごろから空水面化、空きの水面になって、現在に至っております。
○山崎委員 では、当初のこの有明北の開発計画が途中から変更になった、その経緯についてご説明いただきたい。
○高野参事 有明北の埋め立てを含む臨海副都心開発の見直しにつきましては、平成七年三月の都議会の「始動期後の開発については、総合的な見直しを行うこと。」との付帯決議を受けまして、同年九月に臨海副都心開発懇談会が設置され、開始されました。
また、同時に臨海副都心開発特別委員会が都議会に設置され、懇談会と並行して議論が行われてまいりました。懇談会は、平成七年十一月に中間報告を、平成八年四月に最終報告を知事に提出し、これを受けて、東京都として平成八年七月に臨海副都心基本方針をまとめ、有明北地区の埋立計画につきましては、自然環境を再生、保全し、潤い豊かな水辺空間を創出する観点から、埋立規模を縮小することといたしました。
一方、都議会に設置された特別委員会においては、平成九年五月までの約二年間に、二十三回に及ぶ委員会で、慎重かつ精力的な審議が行われました。
都は、こうした都議会の議論や懇談会の報告、並びに都民から寄せられた意見を総合的に勘案し、平成九年に臨海副都心まちづくり推進計画を策定いたしまして、平成十年四月に東京港第六次改訂港湾計画に、現在の埋立計画を位置づけたものでございます。埋立規模を約四十一ヘクタールから三十五ヘクタールに縮小し、西側一カ所の入り江を東西二カ所に配置し、水路幅を十五メーターから約五十メーターに拡幅したものでございます。
○山崎委員 今ご説明のとおりなんですが、私も臨海副都心開発特別委員会、ずっとあの委員会に所属しておりまして、この議論にもずっと参加してまいりました。その中で、やはり少しでも自然を大切にしたいという思いもありまして、議会の意見、それから懇談会の意見、かなりあのときには時間をかけて、いろんな議論をいたしました。その結果が、このように規模を縮小し、入り江を一カ所を二カ所にしたり、水路を十五メーターを五十メーターにしたり、そして水生植物がするようにとか、カニが生まれるようにとかというような、いろんな知恵を絞ってここまで来たんですから、その点は、反論される反対のご意見の方々も、その努力はよく理解していただかなければいけないというふうに思います。
ここは、周りは民有地ですから、中にみんなが入って釣りができるわけじゃなくて船で行くしかない。そういう民有地ですから、その民有地の、民間の方々の意向や長年のご苦労を踏まえた上での開発にならなければならないわけで、そうしたときに、民間の方々とのまちづくりについての調整、これは長い間、大変な苦労をしたわけです。何人かの担当者を私も知っていますけれども、何日あの町へ、それこそあのころは「ゆりかもめ」もないころから、一生懸命通って、民間の方々の意見を聞きながら、減歩がどうだ、開発がどうだ、移転先はどうだ、大変な苦労をして、民間の方々の意見をくみ上げて、やっとここまで来た。それについて、有北全体のまちづくりとして、民間地権者、あるいは地元区との調整についてはどうであったか、経過を教えていただきたいと思います。
○高野参事 有明北地区では、昭和三十年代から民間の地権者が事業を営んでおり、当地区の開発を推進していくためには、埋立地を含めた有明北地区全体での共同開発を誘導する必要がございました。このため、昭和六十三年に東京都が開発基本計画を発表して以来、地権者と有明北地区の将来について話し合ってまいりましたが、平成五年に有明北地区開発協議会を発足させまして、地区全体のまちづくり及び埋め立てや開発の進展に伴って、現業を継続できなくなる地権者への代替地の提供などについて、協議をしてまいりました。
有明北地区全体のまちづくりについては、地元協議会などの協議と並行して地元区とも協議を進め、了承を得てきております。平成十一年三月には区画整理事業が開始されまして、「ゆりかもめ」の延伸工事も始まっております。また、地元では既に一部で移転が進んでおりまして、移転先で既に事業を開始している地権者の方もおります。このように、新しいまちづくりに向けた協議と動きが着々と現在、進んでいるところでございます。
○山崎委員 今、新しいまちづくりに向けた動きが着々と進んでいる中、しかも我々地元区にとってみれば、「ゆりかもめ」の豊洲延伸というのは熱望してきた、切望してきたことです。そういうことを、ここで急遽見直して、埋め立ては凍結しろとかやめろなんていうことになると、今までの地権者の苦労は一体どうなるのか、あるいは、「ゆりかもめ」の豊洲延伸を待ち望んでいる区民はどうなるのか、そうしたこともやはり考えていただかないと、自然破壊だ、ハゼがかわいそうだとか、単なるそういった議論だけでこれを論じてはいけないというふうに私は思います。
そこで、江東区についておわかりいただけない方もたくさんいらっしゃるようですから、歴史的に江東区はどういう町であったかということを、少し説明させていただきたい。これは、私にいわせると廃棄物処理、いってみればごみです、江東区はごみと埋め立ての歴史であった。それから災害の歴史であった。公害の歴史であった。このことについて今ご説明をいたしますので、資料をお配りいただけますか。
〔資料配布〕
○山崎委員 今お配りした図面を見ていただきたいんですが、江戸時代はご存じのように横線、一番上の部分ですね、こういう部分だけであったわけです。これは、地名的にいうと、亀戸、それから本所、向島。それから横線の一番上以南、南側は湿地帯か海か、多少の砂地の土地が存在していたという土地でございまして、天正十八年、一五九〇年に徳川家康が入府して、そのころ、大阪から来た深川八郎右衛門という方が、慶長元年に深川の名前をつけたわけです。それでここを開発した。これは現在の地名でいうと森下、常盤町、新大橋、猿江、住吉町、そういったところなんです。
それで、この埋め立てがずっと続くから、やっていると二時間あっても足りませんので、少し略していきます。天正年間、一五七三年に深川八郎右衛門が開発を始め、それから小名木村、現在の大島というところです。先生の住んでいるところです。(木内委員「そう、私の住まい」と呼ぶ)それから慶長元年、海辺新田、慶長年間一五九六年からは枚方村、大阪枚方の人が来たのでそういう地名がついたんですが、今はありません。今はやはり大島という地名になっています。それから寛永六年、深川猟師町ができました。八右衛門新田、それから亀高村、荻新田、又兵衛新田、こうずっと一六五〇年代も埋め立てが、開発が進んでいくんです。
万治二年、一六五九年に砂村新田というのが、相模の人で砂村新左衛門という人が砂村というところを開発した。ここに私が住んでいるんです。今、砂町というんですがね。そのほかずっと、寛文年間から元禄、元禄十一年とずっと続いてきまして(「その資料ちょうだい」と呼ぶ者あり、笑声)え、もっと聞きたい。じゃ後ほどこれコピーして上げますが、ずっと続いていきます。
それで、寛永十八年、一六四一年に江戸の大火があった。この大火のときに、府内の材木置き場がその大火の一因となったため、幕府は材木問屋が府内では危険だから、隅田川の東側、いわゆる深川村へ移りなさいということで移ったのが木場ですよ。旧の木場ね、新木場じゃない、本来の木場、そこに移ったということになるわけです。
この地図を見ていただくと、カラー刷り以前、江戸前期、後期、明治、大正と、こうやって江東区は埋め立てをずっとしてきたわけです。この埋め立ては何によって埋め立てられたかというと、いわゆるごみなんです。廃棄物なんです。江戸の市中のごみを、みんなこっちに隅田川の東側へ持ってきたんです。ですから、我々は今は千八百トンの清掃工場を持っている。あるいは、有明の清掃工場を持っている。千八百トンといったら三つ分でしょう。だから四個分の清掃工場を持っている。それもやはり、江戸時代からのこうした歴史があるわけです。延々とした歴史があって、今日の江東区ができ上がってきたわけです。
そして、明治以降になりますと、東京市の枝川改修工事、それから隅田川改修工事等を中心として、また江東区は埋め立てが行われてきたのです。現在の東陽町あたり、これが明治十九年から埋め立てを開始しております。東京港改築工事ゼロ号地、これは明治三十二年から埋め立てが始まって、現在の木場一丁目、六丁目、それから枝川改修工事埋立第一号、現在の塩浜。続いて明治四十四年からごみによる、廃棄物による埋め立てを開始されたというのが、今の塩浜二丁目です。枝川改修工事第二号というのは、明治四十三年から埋め立てられて、現在の塩浜一丁目というふうに埋め立てられてきております。大正年間に入りますと、この工事もなお続いていきます。昭和に入ると、現在地でいうと、枝川町、越中島、豊洲、東雲、このあたりがずっと埋め立てられていくわけです。
ちなみに開発部長は越中島かどこかにお住まいのようで、開発部長のお住まいのあの地は何によって埋め立てられたかご存じですか。どうぞ。(笑声)
○渡辺開発部長 たまたま昔の小説を読んでおりましたら、当地におきまして、やはり清掃についての相当な争いがあったという小説がございますが、越中島地区につきましては、江戸時代の茶わんのかけらだとか、あるいは火事の後の木の燃えかすだとか、そういうので埋め立てられたというぐあいに承知しております。
○山崎委員 埋立事業、まだ続きますよ。昭和二十年以降、旧豊洲六丁目、現在の豊洲ふ頭、二十三年から二十五年にかけて埋め立てられました。総面積八十七万九千平方メートル。その後、十号地、地図を見ながらあれしてください、これは有明、東雲の一部。十号地は昭和五年に埋め立てられて、二十九年に竣工されているんです。ずっとこの間、二十五年ぐらい、埋め立てが続くわけです。七号地、辰巳の一部。これは昭和五年ごろ着工して、区に編入されたのが四十一、四十二年。八号地、現在の潮見。これも昭和二年にやはり廃棄物によって埋め立てられている。十一号地、東雲、現在の二丁目の一部ですが、これが四十年に完成しています。十四号地、昭和十四年に飛行場建設のため埋め立てを開始したが、これは夢の島のことなんです。十六年ごろ資材不足で工事を中止し、戦後になり、一時海水浴場としてにぎわった。
私の家はノリの養殖業をやっていまして、機械船といって、そんな大きな船じゃない、四、五人しか乗れないんですが、それでノリをとりにいく。そのときに、べか船という、「青べか物語」にある、あのべか船というのを引っ張っていって、そのべか船に乗って、網についているノリを手でとる。そういうことをやっていたものですから、よく夢の島というのは、現在の永代通りから南に向かって約四キロ、現在の夢の島公園、清掃工場のあるところですが、あれが一つの小さな島だったんです。ヨシが生えていましてね。皆さん、アシというんですが、我々、ヨシという言葉なんですが、そこへ、夏になると船で行って、泳いでいた。潮干狩りをやったという思い出が、いまだに私の脳裏に焼きついていまして、海水浴場としてにぎわったといっても、そうにぎわってはいないんですがね。昭和三十二年、ごみ埋立処理場として埋め立てを開始し、四十二年三月に埋め立てを終了した。その後、土地としての整備を進め、四十四年から区に編入された。そして、十二号地の埋め立て、十五号地、これは現在の若洲、ゴルフ場ができていますが、これもごみによって埋め立てられた。十三号地、現在の青海です。ここが埋め立てられてきたわけであります。
このように、この地図で見るように、江東区は江戸以来、全部ではありませんけれども、廃棄物による埋め立てで、この土地ができてきたわけです。今度ごみの歴史をちょっといいますと、寛永十八年、一六四一年に先ほどいった江戸の大火があり、明暦元年、一六五五年、江戸のごみを永代裏に捨てることのふれが幕府から出ます。ごみは永代裏というのは、隅田川の東側に全部捨てろと。それから寛文十二年、一六七二年には、江戸市中のごみ捨て場を永代島付近に定め、そこ以外に捨てないように幕府がふれを出した。天和元年、一六八一年には、ごみ捨て場を永代島新田と砂村新田に定めるとーー私の住んでいるところですーー砂村新田に捨てるように、幕府は定めました。その後、猿江材木蔵跡、今、猿江公園という公園になっています。そこのところは公園になる前は貯木場だったんです。その貯木場が、その前はごみの捨て場だったんです。そのように、ごみの歴史であったわけです。
こうしてみると、ごみと埋め立ての流れの中で江東区ができ上がってきたわけです。昭和三十二年、先ほどありましたが、後ほどこれいいますが、夢の島のごみの埋め立てを開始して、そしてご存じのように、ゴミ戦争の勃発。これは、杉並清掃工場建設のときに反対住民がかなり運動しまして、そしてみんなが現在捨てている江東区を見にいこうといって、バスで見にきた。そのときに、江東区に入ってきて、それを見たときに、あ、こんなところならごみ捨てるのは当たり前だよと、ある奥さんがいったというんです。それで、区議会も区民もみんな怒って、それでは杉並のごみは江東区には受け入れないというんでストップをした。全部チェックをして、杉並から来たごみトラックは全部帰したんです。それが、ゴミ戦争の勃発なわけです。
今、述べたように、木材業の移転やごみの捨て場として利用してきた私たちの江東区というのは、そのため埋め立てが行われてきたわけですが、歴史的に残土やごみの埋め立てによってできた町と同時に、災害防止のための埋め立てであるといえるんです。それは、先ほど山本先生がお話のように、ゼロメーター地帯。このゼロメーター地帯が、かつて、今日までどれほど苦労してきたかを、ちょっと歴史的にまた、やります。
災害の歴史を申し上げますと、江戸時代は大火の歴史であったといわれております。江戸は本当に火事が多かった。明治に入って明治三十二年、一八九九年、暴風雨により、深川の浸水家屋五千五百戸。明治三十二年に五千五百戸というのは、あらかたの住宅だと思います。明治三十六年、一九〇三年、やはり暴風雨によって、床上浸水六百十七戸、床下浸水六千五百六戸。明治四十三年、一九一〇年、大雨による大洪水で深川の浸水家屋三千戸、城東の浸水家屋、これは全域。江東区というのは、真ん中で深川と城東と分かれておりまして、東側を城東というんですが、明治年間にそのような被害を受けております。
大正六年、一九一七年には高潮により、江東区全域が浸水しました。これは大正の大津波と私どもいって、うちのすぐそばには、このおかげで波よけ地蔵さんというのをつくったんです、水ばかり出るので。そういうお地蔵さんもあります。大正十二年にはご存じのように関東大震災で、深川区焼失家屋四万九千戸、城東区三千百戸。昭和十三年、一九三八年、高潮で城東区内浸水家屋二万八千八百五戸。昭和二十年、一九四五年、ご存じの東京大空襲によって、焼失家屋六万三千二百三十八戸、死傷者数が、死者が三万一千六百八十一人という記録が残っております。昭和二十四年、一九四九年、キティ台風により被災者十五万四千百三十四人、床上浸水二万三千四百九十三戸、床下浸水七千百九十戸、死者十三人。
この昭和二十四年、私は小学校一年で、その入学した秋です。私のうちは、先ほど申したようにノリ屋をやっていましたから、仕事場があって、その上は中二階ーー中二階といっても張りしかないんです。そこへいろんな資材を置くようになっていまして、私はその夜、水が出たという声を聞いて、ランドセルを背負って、はしごを登って屋根裏に逃げた。洪水のときの水の速さというのは驚くほどの速さでわあっと上がってまいりまして、私のうちの玄関の上の窓ガラス一枚残したところまで水が来ました。それ以上来たら、今度、屋根に逃げなきゃならんというので、それはとまったんで助かったんですが、そういう恐ろしさは、いまだに心にしみついておりまして、台風の怖さ、水の怖さというのは、恐ろしいものです。
昔から、そうやって水害に遭っていますから、古い家というのは道路よりも一尺でも二尺でも土盛りして家を建てた。うちもそうなんです。道路からほんの少しだけでも階段というか、段を上がって家を建てているから、それがそこまで来たということは、平らなところに建てている家というのは、みんな屋根まで浸水したんです。台風が去って朝起きてみると、道路の向こうにあった家がこっちまで来ていたと、そんなこともありました。子どものことですから、翌日畳が流れていたり、布団が流れていたりして、それをいかだだといって遊んだ覚えも、それは楽しい思い出として残っています。そういうような深い思い出があります。
それから昭和二十九年、一九五四年、十号地埋立地の、このときに有明の編入が始まったわけです。昭和三十三年、一九五八年、台風十一号。亀戸中川新橋際の中川堤防の決壊により床上浸水九千六百戸、床下浸水千二百五十二戸、これは亀戸地区がほとんどやられました。同年、狩野川台風により床上浸水一万二百九十四戸、床下浸水三万四千二百二十九戸。昭和三十六年、一九六一年、台風二十四号、これにより床上が二千七百三十四戸、床下一万五千五百戸。翌昭和三十七年、一九六二年、辰巳水門に材木が挟まって損壊して、床上浸水が五百三十九戸、床下九百二十二戸。次の年の昭和三十八年、一九六三年、台風十一号、床上浸水千二百七十四戸、床下浸水六千四百二十四戸。昭和四十年、一九六五年、夢の島のハエ騒動が勃発いたしました。この年、夏に雷雨があって、床上浸水千百二十二戸、床下浸水五千戸。同じ秋に台風十七号、床上浸水百三十戸、床下浸水三千四十八戸。同年、台風二十四号により床上浸水三十八戸、床下浸水三千百三十七戸で、この年ごろに十五号地の埋め立てが開始された年であります。
そして昭和四十一年、一九六六年、外郭堤防の完成を見たわけです。外郭堤防と我々はいっているんですが、いわゆる防潮堤です。江東区は今申したように、このように、いわゆる大水、高潮によってたくさんの被害をこうむってきた。当時、私は子ども心に覚えているんですが、建設大臣だったのが河野一郎さんです。河野一郎さんが荒川放水路の上に視察に来て、この江東区の浸水の現状を見て、何とかせにゃならんというので、外郭堤防を一日も早くつくれという号令を出してくれたのを覚えております。そのように、外郭堤防とか防潮堤というのは江東区の災害の歴史を守るためのものであって、それと同時に埋立事業というのも、そういった江東区の土地柄、状況、そういったものによって埋め立てもしなければならなかったという運命に江東区はあったわけです。
今、申し述べた幾つかの災害が、台風、大雨、高潮による災害があるわけですが、これはほんの一例でありまして、私が小学校のころ、ちょっと雨が降れば水がたまっていた。江東区は、ですから、ごみとハエと水の町だったわけです。学校へ行くのでも、雨が降れば長靴は絶対持っていかなければならん、そういうように育ってまいりました。
江東区は、それと同時に公害の歴史でもあったわけです。公害というのは、これは官営工場によって始まった日本の資本主義が明治十年代に産業革命期を迎えた。一般に産業革命はまず軽工業が発達して、次いで重化学工業、そして江東区においても明治時代に紡績、食品など、軽工業の工場が建ち、明治末期から大正にかけて重化学工業の発達が見られた。この工業発展の条件というのは、産業革命期において、江東区において多くの工場が建設されましたが、その条件としては、水運がいい。水運というのは海だけではなくて、埋め立て埋め立てで来ていますから、運河があるわけです。江戸時代には、行徳から塩を運ぶために小名木川というのが開発されまして、小名木川という運河ができております。それから竪川、仙台堀川、これが東西に走っており、南北には横十間川とか大横川とか、ずっと走っていて、江東区には、そんなに大きな面積ではありませんけれども、橋の数が百四十個ある。その橋がほとんど太鼓橋、つまり堤防のかさ上げ、かさ上げによって、そのように橋の形状が太鼓橋にならざるを得なかったという歴史もあるわけです。
それで、水運の便がよかった。それから原材料、製品の輸送に便利だということです。消費地かつ労働力供給地であり、しかも政治、経済、交通の中心である大都市東京のすぐ隣に位置していた。それから農地があり、武家屋敷の跡などがあり、土地が存在していた。繊維工業、これは明治時代に東京紡績所の工場、明治三十六年には富士瓦斯紡績、三十八年に松井モスリン、四十年に東洋モスリン、日清紡績、こうした、いずれも工場の職工さんの数が千人以上という工場がどんどんできていきました。製糖工場も、初めて精製糖ができたのも江東区でありますし、それから製紙工場も、後の王子製紙亀戸工場というのも明治時代に江東区にできておりますし、製粉工場、日本製粉とか東亜製粉が明治時代に大島にできました。
そして重工業の発達を見ますと、化学肥料工場、これが浅野総一郎、安田善次郎、大倉喜八郎、渋沢栄一、これらが東京に人造肥料会社を設立したことによって化学肥料工場が、大きな工場がどんどんでき上がってきた。それで、化学工場は日本化学や日東化学が生まれる。これも明治時代です。それから鉄鋼工業がどんどん育っていくわけであります。それで、六価クロムというような被害もこうむっているわけです。その後の工業の発達として、第二次世界大戦へ向かう中で軍需産業が発達していき、汽車製造だとか石川島重工業とか第二精工舎、東京芝浦電気、そうした工場が江東区内にはたくさんできたわけです。
このように工場地帯として発達した江東区は、ある意味では、それによる公害の町だったわけです。皆さん、覚えているでしょうか、吉永小百合の映画で「キューポラのある街」。あの映画を見ますと、ああいう雰囲気よりももっと江東区はひどかった。私はそう感じているんです。私は、吉永小百合とジャン荘で学生時代、マージャンをやったことがあるから彼女のファンではあるんですが、あの忘れもしない「キューポラのある街」よりも、江東区の方が、私はイメージとして暗い町だった。ちょっと質問は待ってね、やりますよ。
そこで、それをあらわす材料として校歌。校歌というのは、例えば早稲田なら「都の西北 早稲田の杜に」。明治大学ですと「白雲なびく駿河台」というふうになる。私は江東区内の学校の校歌を全部、歴史的に調べてみた。大変おもしろいものがあります。委員長のお許しを得て、ちょっと私は校歌を聞いていただきたい。「クレーンの林の中 ごうごうと工場がなる ぼくたちの わたしたちの学校のこれが誇り」(歌唱する)これは私の中学校の歌です。これは、できたのが昭和三十二年です。クレーンの林の中、ごうごうと工場が鳴る。僕たちの、私たちの学校のこれが誇り。これを、校歌の発表会で歌えといわれたときに、恥ずかしくて下を向いて歌えなかった。本当に恥ずかしいですよ。今になりますと、この歌を歌うと胸が締めつけられるぐらいに懐かしさがわいてきているんですが、このように、江東区は先ほどいった災害、公害、埋め立て、ごみ、この歴史であったわけです。それをあらわすために幾つか紹介してみますが、浅間小学校という学校、昭和三十一年にできた校歌。「鉄をきたえる工場の せわしく働くまちのように」校歌ですよ、これが。大島第一小学校は「鉄をきたえる機械の音が 世界の空にこだまする 働く町の学校だ」。大島第三小学校、「都の東 名も高き 工場地帯大島に 空を黒むる煙にも 町の栄ぞ知られける」こういう校歌です。信じられますか、校歌として。第二砂町小学校「サイレンひびく夜明けの町に 工場の煙もむくむくおどる」。私の出た小学校「鉄のひびきは新しい 文化をつくる意気の歌」、そして三番が「水をおそれず火にまけず きたえた町の この気風」というんです。そうなんです。僕らのころは校歌ができるほど、ちょっと雨が降れば水が出た。だから、水や戦争の被害が、空襲の被害があった。これが私の学校の校歌なんですね。深川五中、「ならぶクレーン 轟くエンジン 空は工場の けむりがなびく」、こういう校歌がずっと続くんです。そして(「わかったよ」と呼ぶ者あり)黙って聞いていろよ。こっちは我慢して、たまにやっているんだから。
そこで、もっと全部紹介したら切りがないからやめますが、埋め立て、そしてごみ、災害、そうしたような歴史を持つ江東区は、堤防の造成とか埋立事業により、水の災害が今はもう皆無になった。これだけ私たちはすばらしいまちづくりを、法の力、区の力、みんなの力で築き上げてきたんです。それを、埋め立てはいけない、自然破壊だ、それだけ論じられては、我々区民としては許しがたいものがあると私は思っています。
それでは伺いますが、この江東区の防潮堤の整備状況について、お答えをいただきたい。
○増田港湾整備部長 東京港におきましては、今お話がありましたように、水害の被害が頻発したということを拝見いたしまして、従来より江東デルタ地帯を対象といたしまして、高潮対策事業を進めてまいりました。しかし、やはりお話にありましたように、昭和三十四年、伊勢湾台風の襲来によりまして名古屋地方が甚大な被害を受けたことを契機といたしまして、既定計画を見直しました。そして昭和三十五年に東京港特別高潮対策事業計画を策定いたしまして、高潮防護区域も江東デルタ地帯から東京港全域に広げまして、昭和三十六年から本格的な高潮対策事業を進めてきたところでございます。
江東地区の第一線の外郭堤防につきましては、延長が八・四キロございまして、昭和四十年度に完成してございます。
○山崎委員 それでは、江東区は先ほど地図でも見せたように、これだけずっと埋め立てを続けてやってまいりました。区の保有面積は約二倍から三倍になっているんです。それによって都営住宅の戸数もふえました。都営住宅の戸数は現在幾つありますか。
○渡辺開発部長 平成十一年三月三十一日現在では、都営住宅は二万四百五十一戸というぐあいに聞いております。
○山崎委員 これに公団公社を含めますと、合計三万九千です。これだけの公共住宅がその埋め立てのおかげで、東雲も辰巳もみんなそうですが、そういったことによって東京の住宅不足の解消に、この埋め立てられた土地が提供されてきていることも事実であるということを、よく理解をいただきたいと思います。
それでは区民税は一体それによってどうなったか。これはもう時間があれですから私が答えちゃいますが、昭和五十年に江東区の特別区民税は五十六億円だった。ところが平成十年度の江東区の特別区民税は二百四十九億円になっています。約四・三八倍に膨れ上がった。それから財調の算定も昭和五十年には百十八億であったのが、平成十一年には三百八十一億円に、約三倍にも上がっている。これは財調ですから、いろんな計算要素があるわけですけれども、このように規模が大きく変わってきているのも、いってみれば埋め立てで面積がふえたおかげだというふうに私は思います。
埋立地にできた、いわゆる新しい土地に都はどんな施設をつくってきたか、全部いわなくてもいいですから、幾つか例を挙げていっていただきたい。
○渡辺開発部長 十五号地に若洲のゴルフ場、あるいは夢の島に夢の島の都立の公園等を整備してきております。
○山崎委員 いろいろご配慮があるようですから、私、いいますが、ゴルフ場の先にはサイクリングロードができて、少年キャンプ場ができて、いそ釣り場ができて、あそこではタイまで釣れるような、そういう環境整備もできています。それから国際水泳場、有明コロシアム、有明テニスの森公園には四十八面のテニス場もできた。これも全部埋立地です。そういった埋立地にそれだけのものができているということは、区民にとっても都民にとっても大変なプラスであることは事実であります。それによって、本当に江東区はかつての煙の町から全くよみがえったといっても、私は過言ではないというふうに思います。
埋め立てでいろいろな意見が出ておりますが、例えば今回の有北の埋め立てにかかる経費、将来その土地がどうなるか、価値がどうなるかというような議論がなされておりましたが、既にできた土地として新木場。新木場の工事費、幾ら投入して、現在、あの新木場は土地の評価としては、価値としてはどのぐらいになっているか、お答えいただけますか。
○渡辺開発部長 新木場の土地につきまして、造成原価でございますが、昭和五十五年時点で一平方メートル当たり五万四千四百一円でございました。また、現在の土地価格は平成十一年四月一日時点の路線価によりますと、ある特定の新木場の土地でございますが、一平方メートル当たり三十六万六千円となっております。
○山崎委員 ご説明のように、埋め立てで資金を投入して、土地ができ上がって、それを利用して町ができ上がり、事業活動を成し遂げ、それによってまた土地の評価が上がってきた一つの例が、私は新木場であろうというふうに思います。
新木場に木場の材木屋さんが移転していただいたおかげで、今、木場公園という、ああいう広大な公園が江東区内のど真ん中にできました。それによって、その公園の地下には都営十二号線の車庫までつくった。これは一江東区民が喜ぶだけでなく、十二号線沿線の皆さんが、そこに車庫ができることによって地下鉄ができるわけですから、そういった意味でも、私は大きな、埋立事業による貢献があるというふうに思います。
また、江東区は先ほど申し上げましたように、内部河川が非常に多いところでありまして、護岸工事が延々と続きましたし、そしてその護岸が最近では緑道に変わっている。護岸の内側一メートルに緑道ができている。昔、私は子供のころ、それこそセミの声というのを聞いたことがなかった。田舎に行かなきゃ聞けなかった。それが、十年か十五年前、家でセミの声が聞こえた。それは、そうした緑道公園ができたおかげで、山から持ってきた土の中にセミの卵が入っていたんでしょう。セミの声を聞いたとき、私は本当に、ああ、江東区は変わったなと思いました。緑道公園には今、ボラだとかセイゴだとかハゼだとか、もううようよ泳いでいるんです。私の家から、それこそ歩いて二、三分のところに行って、釣り糸を垂れれば魚がすぐ釣れる。ハゼも釣れます。ですから、新しくマンションに越されてきた方は、大変環境がいいということで、昔の江東区のイメージと全く違うんだということを皆さん感じておられます。マンションのベランダから釣りしている人がいるんですよ、江東区には。これはすばらしいことです。むろん、そこも埋立地です。埋め立てでできた土地、そこに釣り糸を垂れられるということは、ほかの区ではなかなか味わえないいい区であるということを、まず宣伝をしておきます。
ところで、先ほどいったようにいろんな歴史のある中で、埋立事業によって江東区の一人当たりの公園面積はどのように変わったか、お答えいただきたい。
○渡辺開発部長 一人当たりの江東区の公園面積でございますけれども、昭和四十四年は〇・七五平方メートルでございました。平成十年では、いずれも四月一日現在の数字でございますけれども、一人当たりの面積は九・九九平方メートルでございます。公園の全体面積についてでございますが、昭和四十四年は約二十七万平方メートル、平成十年は約三百七十万平方メートルとなっております。
○山崎委員 一人当たりの公園面積、今お答えいただきましたが、かつては、昭和四十四年で二十三区中十四位でした。ところが今、これは一番新しいデータ、平成十一年四月一日現在では、一人当たりの公園面積は一〇・一九です。二十三区中第三位です。そこまで公園がふえて、緑がふえてきたということは、やはり埋立事業のおかげであることは間違いない、このように思います。
そして、先ほどいったように江東区は昔の公害の町から全く生まれ変わった町になった一つの例がありますが、ロケですね。テレビドラマのロケ。キムタク、ご存じでしょうが、「ロングバケーション」の舞台は江東区なんです。「金曜日の恋人たち」、知っていますか、これは藤原紀香。つい先々週、私の家から三分ぐらい歩いたところにきれいな橋がありまして、クローバー橋があったり、きれいな桜、あるいは柳の並木がずっと続いているところで夜、撮影をしている。だれだといったら、藤原紀香だと。うちの子供らはうわあっと行きました。下町ですから、そういうのをみんな歓迎するんです。そのように江東区は、内部河川の整備、埋め立て、そうした事業によって町が大きく変わりました。「3年B組金八先生」も撮りにきました。それから、私は見たことないからわかりませんが、ざっと数えただけでも、江東区で撮影しているのは三十ぐらいのドラマで出ているんです。それほど私どもの住んでいる江東区は、埋立事業によって、このように変貌したということを、皆さんに私はお伝えをしたかったわけでございます。
そこで、最後になりますが、ちょっと資料をもう一枚。
〔資料配布〕
○山崎委員 二つの写真を、行って撮ってきたんですが、こちら側がご存じのように現在の有北です。これはもう直立護岸で民有地ですから人は入れません。このような状況が、埋め立てによって、このように変わるであろうと推測される例を私が撮ってきましたが、一つは大井ふ頭です。上の写真、緩傾斜堤防になって、石積みになっています。それから下の方は、私の地元の砂町水門のところです。これは垂直護岸なんですが、有北のこうした状況から私は、恐らくこのように変わるであろうという対比を、皆さんに見ていただきたかったのであります。
有北の埋め立てはハゼの問題や釣り船の問題はあったとしても、地元の発展には必ず将来、私はプラスになると確信しております。「ゆりかもめ」の平成十七年の豊洲延伸も、何としても計画どおりに成し遂げていただきたいのが江東区民の願いでもあるわけです。埋め立てが完了し、防波堤が見え、新しい水面に船を浮かべて、そこで釣りをし、岸からは親子が釣り糸を垂れる、そのような有明北の将来の完成を心から私は願って、埋立事業に関するさまざまな反対意見に対して、地元江東区民としての主張を申し上げまして、ちょうど一時間でございますので、質問を終わらせていただきたいと思います。
そこで最後に、局長に、先ほど来お答えされておりましたが、私の質問を聞いた感想と、それから今後の、東京都港湾局の決意をお聞かせいただきたいと思います。
○浪越港湾局長 子供のころから住んでいないとわからないような貴重な体験のお話やら、あるいは江戸時代から今日に至る江東区の歴史、さらには臨海開発のこれまでの審議等、タッチしていないとわからない貴重なお話をお伺いし、大変勉強になりました。
私ども、今回の有明を含む臨海開発の基本的な認識といたしまして、私は、時代認識といたしましては、時はまさに千年に一度の区切りの年を迎えようとしておりまして、今後、地球規模で都市間の競争が激化し、少子高齢化の問題やら、社会の成熟化が進む中で、人々が真に豊かさを、誇りを実現できる社会を築いていく必要があろうかというように、基本的に考えてございます。目を我が方に振り向けてみますと、今や雇用の問題とか健康の問題、あるいは老後に対する不安が高まるなど、二十一世紀を目前にして、いってみれば深い閉塞感に覆われているのが今日じゃなかろうかと思っております。
そういう目で、今度目を転じて、臨海部の開発状況に目を向けてみますと、この十年間、不景気で、日本じゅうどこも大きな経済的な動き、あるいは開発もない中で、臨海部のみがこの十年間にわたって着実に新しいまちづくりを進めているということは、私は東京だけの活力じゃなくて、日本全体の活力になっているのが、今の臨海開発じゃなかろうかと、そのように考えてございます。
そういう中で、有明北も含めて私ども、先ほどいろいろ議論がありましたけれども、現在の計画は議論に議論を重ね、知恵を絞り、みんなの、本当に汗と涙の結晶の産物でございまして、それをやはり着実に実施していくことが、私ども港湾局に求められているんじゃなかろうかというふうに考えてございます。お話をお聞きしまして、さらに現在の計画を着実に実施していくことが区民のため、あるいは都民のため、ひいては日本のためになるんじゃなかろうかというように考えてございます。
○樺山委員長 ほかに発言がなければ、お諮りいたします。
本案及び報告事項に対する質疑はこれをもって終了いたしたいと思いますが、これにご異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○樺山委員長 異議なしと認め、本案及び報告事項に対する質疑を終了いたしました。
以上で港湾局関係を終わります。
これをもちまして本日の委員会を閉会いたします。
午後六時一分散会
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