予算特別委員会速記録第四号

○谷村副委員長 きたしろ勝彦委員の発言を許します。
   〔谷村副委員長退席、村上副委員長着席〕

○きたしろ委員 東日本大震災から二年、三月十一日前後には、新聞やテレビでさまざまな特集があり、それぞれにあの日を思い返されたことと思います。政府主催の東日本大震災二周年追悼式が開催され、国民への愛情ある天皇陛下のお言葉がありました。
 被災地は、いまだに復興への長い道のりの途中にあります。歳月が流れても、被災地の皆さんのご苦労をいつも思い返し、その気持ちに寄り添って、真の復興に至るまで、しっかりとした支援を継続することが重要だと、改めて強く思いました。
 地震への備えも全く同じです。あの大震災を受け、我が党は、東日本大震災復旧・復興推進対策本部を設立、そのもとに防災対策のワーキンググループを設置し、多くの議論を積み上げて、二度にわたり、執行機関に対して具体的な見直しを提言いたしました。こうしてでき上がった地域防災計画を実行していく段階に入ってまいりました。
 大切なことは、東日本大震災のとうとい犠牲の上に我々が学んだ教訓を決して忘れないこと、風化させないことです。都民の命を守る、この原点を何よりも大切にして、発災時の仕組みをつくり、具体的な備えを進めていくべきだと思います。
 議論の中で私が真っ先に提起したのは、災害対策本部の体制です。本部長は知事、副本部長は副知事と警視総監となっていました。消防、防災の実動で極めて重要な役割を担う消防総監は、本部員という扱いでした。これを副本部長に位置づけるべきであると主張し、昨年十一月に見直された地域防災計画で実現していただきました。危機管理の基本的な体制を見直したことは非常に重要で、高く評価したいと思います。
 次に取り上げたのが、都民の命と安全を守る取り組みです。発災直後の強い揺れや火災から守った命をつなぐためには、避難者の安全を守る取り組みが重要です。
 震災時に都民が避難する避難所は、設置主体である区市町村によって、その多くに小中学校が指定されています。こうした小中学校において、校舎の耐震性の向上や電源の確保などの避難所としての機能を強化することは、命を守るために積極的に推進するべき重要な取り組みであると考えます。
 私は、こうした観点から、昨年の第一回定例会で、小中学校の電源確保に向けた取り組みについて質問し、都は、地域防災計画の修正過程において検討を進めていくと答弁をいたしました。
 そこで、改めて、現在の取り組みの進捗状況についてお伺いをいたします。

○笠井総務局長 多くの住民の方々が避難されます小中学校などの避難所は、発災時に重要な役割を担っておりまして、避難者の安全を確保するためには、委員ご指摘の電源の確保や耐震性の向上など、その機能強化を進める必要がございます。
 このため、都は、昨年修正いたしました東京都地域防災計画におきまして、東日本大震災の教訓を踏まえ、避難所における非常用電源や通信機器など、避難所の機能強化に必要な施設設備の整備などについて定めたところでありまして、避難所の設置主体であります区市町村においても、移動用発電機の増設といった避難所の機能強化に向けた取り組みが進められております。
 都といたしましては、引き続き区市町村と連携して、避難所の機能強化に向けた取り組みを進めてまいります。

○きたしろ委員 避難所の電源確保というのは、昨年聞いたときには、東京都は既に用意されていると。区市町立学校はまだだというお話がございました。
 そういう中で、今、区市町村の役割となっておりますけれども、それぞれの財政事情もありましょう。しかし、都が地域防災計画の中に明確に位置づけたことで、区市町村の具体的な取り組みが進むものと考えます。期待をしたいと思います。
 とりわけ、小中学校の改築などの機会に、避難所としての機能を充実させていくことが重要となります。こうした中、地元の港区立赤羽小学校は、老朽化が進んでおります。地元では改築の期待が高まっており、区にも陳情が出ております。接道条件が東京都建築安全条例に適合しないため、改築が困難となっているわけです。隣接する都立三田高校の敷地の一部を提供してもらえれば、改築に大きく前進すると聞いております。
 そこで、都教育委員会の赤羽小学校への協力について、子どもたちの安全・安心のために、ぜひ協力をいただきたいと思いますけれども、見解をお伺いいたします。

○比留間教育長 港区立赤羽小学校は、昭和四十九年に建築され、老朽化が進む一方、児童数の増加に対応するため、港区としては改築をする方針でございます。
 しかし、お話のように、学校敷地が東京都建築安全条例に基づく十メートルの接道条件を満たしておらず、現状のままでは改築ができないため、隣接する都立三田高校の敷地の一部を小学校用地として提供するよう、港区から要請をされております。
 都教育委員会は、都立三田高校の施設管理や教育活動への支障がない範囲で、敷地の一部を区に売却することにつきまして、港区との協議を進めてまいります。

○きたしろ委員 ありがとうございます。赤羽小学校の関係者にとっては、その一言が本当に大事なことだと思うんです。やはり命の、自分の子どもたちの、孫たちの命の問題ですから、それを守っていくためには、ぜひご協力をお願いしたいと思います。
 次に、東京港の防災対策について伺います。
 昨年第二回定例会の代表質問で、我が党は、災害時において緊急支援物資の受け入れや都民生活や経済の復旧、復興を進める上で欠くことのできない重要な物流拠点である東京港におけるBCPの策定の必要性について質問をいたしました。先日公表された東京港における港湾BCPは、東京港の防災力の向上に大きく寄与するものと期待しています。
 そこで、今回の港湾BCPのねらいとその特色について所見をお伺いいたします。

○多羅尾港湾局長 東京港が災害時に物流拠点としての機能を最大限に発揮するためには、耐震強化岸壁の整備などハード面だけでなく、港湾物流ネットワークを支える多様な民間事業者や関係機関が相互に連携するなど、ソフト面での対応が重要でございます。
 今回の港湾BCPは、各関係者間で共有すべき目標や行動、連携体制について明確化することを目的に取りまとめたものでございます。具体的には、緊急物資輸送を七十二時間以内に開始し、また、国際コンテナ物流をおおむね七日以内に復旧させることを共通の目標に、各関係者の行動と連携体制を時系列に整理し、共通認識を図ったものでございます。
 今後は、訓練の実施などにより実効性を検証し、必要に応じ見直しを行ってまいります。

○きたしろ委員 災害時における港湾の活動は、多様な関係者の活動が横ぐしされ、連携体制をとることによって、初めて円滑に機能することが可能となります。こうした港湾の特性を踏まえ、東京港の防災力を向上させるものとして、今回の港湾BCPの策定は大いに評価できるものです。
 いうまでもなく、BCPというのは、一度つくって終わりというものではありません。随時見直しを行い、より機能的なBCPへと改善していくよう要望をしておきたいと思います。
 次に、地域の防災力の向上という観点から、震災時における高層マンションへの燃料供給についてお伺いをいたします。
 私の地元の港区を初め、特に臨海部では超高層マンションが次々に建設されています。臨港五区には、高さ百メートル以上の超高層マンションが約百二十棟建っているそうで、住んでいるのは恐らく数万人という数になります。
 東日本大震災の直後、身にしみてわかったのは、電力などのライフラインが災害に対して脆弱だという事実でした。特に高層マンションは、エレベーターや水道などを電気に頼っており、停電が起きた場合にはそれらがとまってしまうわけです。もちろん、超高層マンションには、エレベーターや非常用照明のための非常用発電機が備えつけられております。しかし、多くの場合、軽油などの燃料の備蓄は千リットルに満たず、エレベーターを動かすと三、四時間で尽きてしまいます。さらに動かすためには、燃料を追加する必要があります。
 特に港区では、三日間、七十二時間、そのマンションに滞在をしてくださいという要請がされております。大方の超高層マンションは、多分そういうことになっていると思います。そういった意味で、さらに動かすためには燃料を追加する必要があります。
 では、追加する燃料をどこから運んでくるのか。臨海部については、運河に囲まれた島のような場所も多く、陸上から輸送するといっても、万が一、道路や橋が破損した場合には陸の孤島になってしまいます。しかし、運河や海に面していますから、船を活用すれば燃料を輸送することができます。もちろん、燃料をどのように輸送し、陸揚げするのか、危険物ですから安全上の規制もあるでしょうし、実現のためには考えなければならないことがたくさんあると思います。
 そこで、船舶を活用した燃料供給を実現するためにはどのような課題があり、それにどのように取り組んでいくのか、所見をお伺いいたします。

○多羅尾港湾局長 船舶を活用した燃料供給については、小型タンカーやドラム缶などを積載した船舶で軽油などを輸送し、桟橋から荷揚げして非常用発電機に供給することになります。
 港湾区域には、都が水域占用許可をしている民間の桟橋がおよそ百カ所あります。さきの震災の際には、緊急使用などに柔軟に対応したものの、現行ルール上は許可した利用目的以外の係留を認めていないため、災害時の有効活用を事前に計画しにくい状況でございました。
 そこで、本年四月から、現行の許可基準を改正し、災害時に燃料供給や物資輸送などにも活用できるよう、緊急使用ルールを明確化いたします。これにより、民間桟橋を災害復旧活動のさまざまな場面で有効活用することが可能となり、臨海部の安全・安心の向上に資することとなるものでございます。

○きたしろ委員 ただいま本当にありがたいご答弁をいただきました。この四月から規定を変えて、燃料供給を初めとするさまざまな災害復旧活動に民間桟橋も活用できるようにするということでございます。これによって、海から現場に燃料を届ける道が開けます。また、消防法で定める仮貯蔵、仮取り扱いの規定が活用できると伺っておりますので、これとあわせて非常用発電機を動かすことができるようになります。
 こういう地道な積み重ねが、都民の命を守ることにつながります。高く評価したいと思います。都民の命と安全を守るために、特に臨海部の超高層マンションに対しての燃料補給はよろしくお願いをしたいと思います。
 次に、エネルギー問題について伺います。
 昨年の三月二十六日に柏崎刈羽原子力発電所が停止して、東京電力管内の原発によるすべての電源が失われて一年が過ぎようとしております。先日、安倍総理が国会施政方針演説で、安全が確認された原発は再稼働しますと発言しておりますが、新安全基準の策定、確実な電力会社の安全対策の確立などを考慮すると、今後、いつ原発が稼働するのか、不透明です。
 震災前に東京電力管内の電力供給の約三割程度を占めていた原発が停止しても、これまで夏や冬のピーク時を乗り切ってまいりました。しかし、東京電力管内には、運転開始から三十五年以上経過した火力発電所が全体の四割を占めております。これらはしばしば故障や事故により運転停止するなど、中長期的に見ると、電力需給は予断を許さない状況といえます。また、このまま火力発電への依存が高まれば、二酸化炭素の増加を通じて、地球温暖化も懸念されるところであります。さらに、固定価格買い取り制度の導入により、太陽光発電などの再生可能エネルギーも増加傾向ですけれども、直ちにこれですべての電力を賄うことはできません。
 長期にわたりこのような状況が続くと、企業や家庭の不安はますます増幅し、ひいては日本経済の活力に影響を及ぼす懸念があります。日本経済が長引くデフレから脱却するためにも、エネルギー問題の解決は避けて通れません。
 こうした中、都は昨年度取りまとめた「二〇二〇年の東京」において、東京産電力三百万キロワット創出プロジェクトを掲げ、都内の発電能力を倍増する取り組みを着実に進めています。東京は、使用電力の実に約八割を他地域に依存していることから、極めて有効なプロジェクトであると評価できます。
 一方で、東京産電力の創出といった供給面の取り組みだけでなく、節電やスマートエネルギー都市を目指すなど、需要面の取り組みも着実に進めていくことも極めて重要であります。
 このような視点を踏まえながら、都として、今後エネルギー政策をどのように進めていくのか、環境局長にお伺いをいたします。

○大野環境局長 これまでの電力制度は、需要の増加に応じて供給力を確保することに専ら力点を置いてまいりました。今後はこれを改めまして、需要の変動を効果的に制御する仕組みを構築していく必要がございます。
 そのための具体的な方法として、まず電力使用状況の見える化を図り、需給の効率的な制御によりまして、省エネやピークカットを促す仕組みを導入していくことが有効でございます。こうして系統電源への負荷を平準化するによりまして、ピーク需要への対応のために必要な電力会社の設備投資の削減や、老朽火力の稼働抑制によるCO2排出削減などに貢献することができます。あわせて、供給面の取り組みとして、自立分散型電源の整備など東京産電力の確保に努めるとともに、東京電力の老朽火力発電所のリプレースを推進してまいります。
 今後とも、東京の現実に即した具体的な取り組みを、電力の需要、供給の両面から進めてまいります。

○きたしろ委員 本会議などこれまでの議論で、都のエネルギー施策の具体的な取り組み内容が一定の理解を得られたものと思います。都は、低炭素化にも配慮しながら、安定的な電力の創出、確保に努め、着実に首都東京の電力安全保障を高めていただきたいと思います。
 次に、食の安全・安心の確保についてお伺いをいたします。
 私の地元である港区を初め、東京の都心部には数多くの大規模なオフィス街があり、さまざまな企業が集中しております。こうした企業で働く方々にとって、ランチタイムは、休息とともに、午後の仕事に向け活力を得る貴重な時間でもあります。
 近年、オフィス街のランチタイムに、多くの業者が路上で弁当を販売している状況が見受けられます。こうした業者の中には、ワゴンと売り子を多数配置し、車で輸送して大量の弁当を取り扱う者もおります。
 このような路上で販売される弁当で食中毒が発生した場合、多くの企業の活動に支障を来すことになると思います。食の安全を確保することは、都民の豊かで健康的な生活の基盤を支えるとともに、安定的な企業活動をも支える重要な要素でもあります。
 そこでまず、こうした路上で販売される弁当に関する規制と指導についてお伺いをしたいと思います。
 コンビニやスーパーなどで弁当を販売するには、都条例の許可が必要だと認識しておりますが、路上で販売されているお弁当についてはどのような規制があるのか、また、安全確保へ向けてどのように指導しているのか、お伺いをいたします。

○川澄福祉保健局長 都は、食品製造業等取締条例において、施設を設けず、人力により移動しながら弁当や豆腐などを販売する営業形態を、行商として規制の対象とし、主な営業地の保健所に届け出を行うこと、保健所から交付された鑑札を携帯し、記章を掲示することなどを義務づけております。行商により屋外で弁当を販売する場合は、適切な温度管理、虫やほこりの混入防止などの衛生的な取り扱いを行うよう、保健所への届け出時に指導し、さらに販売現場でも重ねて指導しているところでございます。

○きたしろ委員 路上で弁当を販売する営業形態というのは、条例で行商として規制の対象としており、届け出時や行商を行っている現場で指導を行っていることはわかりました。では、そもそも行商による弁当販売の規制はどのような経緯で始まったのか、お伺いをいたします。

○川澄福祉保健局長 都は昭和二十八年、食品製造業等取締条例で行商の届け出を義務づけ、対象品目を豆腐や魚介類等といたしました。その後、弁当による食中毒が多発したため、昭和三十七年、まず店舗での弁当販売を許可制とし、また、野球場や競馬場などで弁当を売り歩く実態があったことから、行商の対象品目にも弁当を追加いたしました。

○きたしろ委員 弁当の行商については、食中毒が多発したことを受けて、昭和三十七年に行商の対象品目に弁当を追加したとのことでありますけれども、それから大分、時間が経過しております。今では行商の形態も随分変化して、制定当時の野球場や競馬場などの興行場の中よりも、路上が主となっているのではないのでしょうか。
 路上での販売は、弁当が直射日光に長時間さらされるなど、店内での販売と比べ衛生面が心配であります。弁当を店舗で売る場合には許可制となっており、手洗い設備等の設置や食品衛生責任者を置き、食品を衛生的に取り扱うとともに、設備を清潔に保つよう努めることが義務づけられております。
 一方、行商は、事前や現場での指導があるとはいえ、現状のように多数の業者が路上で販売している状況では、指導の目も届きにくくなっているのではないでしょうか。また、届け出さえすれば営業でき、弁当を同様に販売しているにもかかわらず、許可と届け出という規制のあり方に違いがあり過ぎるように思います。
 このように、弁当の路上販売についてはいろいろな課題があり、保健所を設置して実際に指導を行っている特別区からも、検討会の設置について要望が出ていると聞いております。
 都は現状をどのように認識しているのか、また、今後どのように対応していくのか、お伺いをいたします。

○川澄福祉保健局長 弁当の行商人の中には、営業場所が届け出を行った保健所の管内に限らず広範囲に及ぶ者もおり、届け出を受理していない保健所では指導がしにくい場合がございます。また、路上に大量の弁当を陳列して販売する者が見受けられ、食中毒を懸念する声もあるなど、行商の現状は従来想定していたものとは大きく異なってきております。
 このため、都は来月、区市の関係者と検討会を設置し、その中で、営業場所や取扱量などの実態を改めて把握することといたしました。
 今後、その結果も踏まえて、監視指導を一層強化し、人力による移動販売の徹底や、営業地を所管する保健所への届け出の指導など、条例の遵守を徹底させてまいります。さらに、弁当の販売に対する規制のあり方自体についても、見直しを視野に検討してまいります。

○きたしろ委員 今、答弁の中で、規制のあり方についても見直しも視野に入れて検討するとの答弁がありました。お店を構えている人と行商の人と、やはりそれなりの差はあってしかるべきだと私は思っております。ぜひとも、路上での弁当販売の現状を十分に調査をした上で、都における食の安全が確実に確保されるよう、有効な対策を進めていってもらいたいと思います。
 次に、下水道事業における光ファイバーの活用についてお伺いをいたします。
 光ファイバーは、高速で安定的に情報を伝達できる通信技術として幅広く利用されております。下水道局では、さまざまなインフラを収容する共同溝のように、下水道管内のスペースを有効に活用し、低コストで早期に整備できる光ファイバー通信網を構築するという先駆的な取り組みを進めており、維持管理などに活用していると聞いております。
 まずは、下水道管内に敷設した光ファイバーの活用状況についてお伺いをいたします。

○小川下水道局長 通信事業者に依存しない独自の通信網として、下水道管内に敷設した約八百キロメートルに及ぶ光ファイバー通信網を構築し、水再生センターやポンプ所などの遠方監視制御による維持管理の効率化や、事業所間電話など、さまざまな情報ネットワークシステムなどに活用しております。
 下水道管内に敷設した光ファイバー通信網は、東日本大震災においても障害はなく、大量の情報を高速かつ双方向に送ることができ、施設の運転管理や被災情報の伝達に大きな効果を発揮するなど、災害時の高い信頼性が実証されました。また、光ファイバーの一部につきましては、民間の通信事業者への貸し出しも行っているところでございます。

○きたしろ委員 光ファイバーを維持管理の効率化などに活用するとともに、東日本大震災では、その機能に支障はなく、大いに活用が図られたとのことであります。
 一方、東京においても、首都直下地震などの大規模地震の発生が危惧されております。災害時に必要なことは、いち早く情報を収集、伝達し、被害を最小限に抑えることでもあります。このため、下水道管内に敷設されているため地震に強い光ファイバー通信網を、地震などの災害時に活用するとともに、庁内の関係部署や民間事業者との連携を図りながら、安全・安心な東京の都市づくりに貢献してもらいたいと思います。
 そこで、光ファイバーを今後震災対策にどのように活用していくのか、お伺いをいたします。

○小川下水道局長 災害時の光ファイバーの活用として、浸水被害が多く発生した地域の八つの下水道幹線内の水位情報を関係区へ提供し、地域の水防活動に活用されております。
 今後は、東日本大震災の状況を踏まえ、耐震性にすぐれた下水道の光ファイバーを震災対策の強化に活用してまいります。具体的には、津波発生時に下水道管内への逆流を防止する高潮防潮扉の操作について、下水道管内の光ファイバーを活用した遠方制御による自動化を図り、閉鎖の迅速性、安全性を確保してまいります。また、水防にかかわる関係局間での防災情報の共有化などに、下水道の光ファイバー通信網の活用を図ってまいります。
 今後とも、関係局や民間事業者と連携し、危機管理対応の強化に努めてまいります。

○きたしろ委員 災害時、発災時というのは--やはり通信というのは非常に重要な要素を持っております。それは、空中でもあり、無線でもあり、あるいは既存の電話、あるいは、それこそ知事の好きなツイッターとか、そういういろんなものがあるんですけれども、この光ファイバーは災害に強い、地震に強いということですので、大いに活用してもらいたいと思うんですよ。これを、下水道の光ファイバーを通信事業者などへ貸し出すほか、既存の通信網について関係局と連携をして活用していくとのことで、答弁はありましたけれども、これらの利用を一層拡大するなど、さらなる活用が図られることを期待しております。
 しかしながら、下水道管内に敷設されている光ファイバーは目に触れにくく、その存在は余り知られていないように感じます。そのため、PR活動の充実を図りつつ、着実に取り組んでもらいたいと要望をして、この件については終わります。
 次に、羽田空港についてお伺いをいたします。
 去る一月十四日、成人の日に予想外の大雪となりました。首都圏の交通に大きな乱れが生じました。羽田空港では欠航が相次ぎ、多くの利用客に影響が出たと聞いております。私の友人のパイロットの話ではありますが、羽田空港は雪に脆弱ではないのか、そんな声も届いております。
 羽田空港は、着々と機能強化とさらなる国際化が進められ、来年度中に国際線発着枠が年間九万回に拡大されるとのことです。日本の玄関口である羽田が、一時的ではあっても多くの欠航を出すことは、今後の日本の経済に与える影響も見逃せません。天候が悪いときでもその影響を最小限に抑え、定期便の定時性を確保するよう、都としても国に働きかけるべきと考えますけれども、見解をお伺いいたします。

○飯尾都市整備局長 羽田空港には十六台の除雪車両が配備されておりまして、一月十四日は、積雪の少なかったD滑走路を除きます三本の滑走路の除雪が行われました。この作業に伴います滑走路の一時的な閉鎖に加えまして、航空会社による機体の除雪作業なども重なりまして、結果的に五百便以上が欠航したと聞いております。
 首都東京の活力を高めるインフラとして羽田空港を十分機能させていくためには、航空機の離発着の定時性の確保が重要でございます。都は、必要な措置を講ずるよう国に対し要請をしてまいります。

○きたしろ委員 羽田というのは海に近いものですから、やはり雪というのに対しては余り緊張感がないというのかな、でも、国際線で九万回の発着ということになりますと、雪国だとか、あるいは海外でも雪の多いところもあると思うんです。やはりそれに伍して戦えるような定時性を確保するということは、非常に大切な、日本の評価にとっても大切なことだと思いますので、その辺のところは十分に心得て、国に働きかけていっていただきたいと思います。
 次に、知事にお伺いをいたします。
 知事は、さきの本会議で憲法問題に触れられました。戦争を想定外にしたら、かえって戦争を防ぐ手だてを見つけることができなくなる。当たり前の感覚で憲法をとらえ、激しい時代の変化に対応できるような必要な改正を含めて議論していくことが大事であると答弁をされました。また、日米安保についても、日米安保体制は、我が国の安全とともに地域の平和と安定にとって不可欠なものであると述べられました。
 いわゆる全共闘時代に私は警察官でありました。反応がきつくなっているかもわかりませんけれども、ただ、その答弁の中には認識を一にするものであり、知事の発言を高く評価したいと思っております。
 そこで、私がここでお伺いしたいのは、知事の教育に対する基本的な考え方であります。
 かつての日本には、国の歴史や伝統を重んじ、互いに尊敬し、感謝し合う人々の姿がありました。これは長い歴史の中で培われた日本人の美徳であったはずです。
 しかし、日教組による戦後教育によって、こうした戦前の価値観はすべて否定されました。その結果、行動の基準を善悪ではなく損得に置く、自分さえよければよいといった利己的でせつな的な風潮が蔓延することになってしまいました。
 私はこうした現状を真から憂え、昨年の第一回本会議でも、石原前知事に対し、あるべき日本人の姿を取り戻すための教育改革の必要性を訴えました。石原前知事は、時代を経るにつれて、立場を超え、世代を超えて、世界を律する価値の基軸が毀損され、履き違えた自由と権利が日本全体を損なってきたとの問題意識を述べた上で、この国の伝統文化、先人の足跡といった継承されるべき教養の基盤をしっかりと身につけさせ、日本人のあるべき姿を絶やすことがないよう、教育改革に取り組んでいくと答弁をされました。
 猪瀬知事は、石原前知事が掲げた、東京から日本を変えるという基本的スタンスに立って、今後の都政に当たられるものと思います。私は、教育においても、前知事が進めてきた、日本の伝統文化に基づいた規範意識や倫理観、正義感や思いやりといった、日本人の心ともいうべき美徳をしっかりと子どもたちに引き継いでいく教育の実現に取り組まれることを、切に期待しているところであります。
 そこで、知事は、今後の教育をどのように進めていこうとされているのか、基本的な考え方をお伺いいたします。

○猪瀬知事 かつて日本は、地域社会が互いに助け合うということが当たり前に行われていました。しかし、戦後、社会が大きく変容する中で、地域のつながりが薄れ、人々は社会に対する責任や義務を軽視するようになってきた。
 これは戦後社会というくくりで考えるとわかりやすいんですが、あたかも昭和二十年以後しか存在しないという、そういう戦後社会という独特な空間、これは戦争を想定外にし、原発事故も想定外にする。すべてリスクを想定外にしたディズニーランドのような世界。ディズニーランドも、門番は本当は銃を持って立っているはずなんだが、それも見て見ないふりをしたディズニーランドの内側に我々がいる。これが戦後社会。
 そして、しかしこの戦後社会は東日本大震災で、二万人を超える死者、行方不明者等、つまりあの戦争以来、最もたくさんの数の人間が大量に死なざるを得なかった。これは新しい歴史区分として、戦後社会を終わって、次は、二年前から災後社会に入った。震災後の後という意味で、災後社会ですね。
 災後社会では、もう想定外というものはないんだと。国民一人一人がリスクを分担してともに助け合っていく、新しいつながりをもう一度つくらなければいけない。
 確かに、高度経済成長以前、あるいは戦前の地域というものは、市場の中でライフスタイルも変わって、もとに戻ることはできないが、新しいきずなはつくることができる。そういう中で、強い者が弱い者を助け、余裕のある者が余裕のない者を助け、そして多様な生き方を認め合う。こういうことを教育の基本とすべきだと。
 さらにその上で、戦後の空間しかないと今申し上げたが、今の若い人と話していると、戦前は日本は北朝鮮みたいだったと思っているんですよ。戦前はそうじゃない。戦前は市場社会で、普通にモダンガール、モダンボーイが、銀座を最新のファッションで濶歩していて、そして、最後はアメリカは敵になりますが、でもアメリカナイゼーションというのがあって、みんなおしゃれをしたりしていたんです。ジャズも聞いていた。昭和十五年まではダンスホールを開いていた。ですから、戦後、GHQが来るとすぐ我々がジャズをやるようになるのは、もとから、たまたま四年間ぽんと抜くとつながっているわけです。
 ですから、戦前が悪、戦後は平和というふうな切り方をしちゃったので、戦前という世界をすべて否定しちゃったと。だから、実は戦前も市場社会であり、なおかつ地域社会ももちろん、農村が結構大きかったですから、比重が。地域社会があり、そしてそういう中で、伝統的な規範もありということだったわけですね。
 だから、正しくこの戦前と戦後の連続性を見詰めていくことが大事なんだが、戦後社会というふうに切っちゃった。戦後生まれとか。きたしろさんはぎりぎり、戦前と戦後の境目あたりだけれどもね。僕、ちょうど戦後なんですが、その戦後から--石原さんは戦前を記憶しているんですよ。記憶しているから、自分の目で十三歳、十四歳まで戦前を見ていますからね。そんなに変わっているわけじゃないんだが、それがだんだんだんだん、その伝統的規範は消えていきつつあった。
 ただ、それをとにかく自虐史観で否定しちゃった。実はイギリスだって自虐史観だったんですよ。なぜか、戦争に勝っても、植民地主義がどうのこうのって物すごい自虐史観を教えていた。それが、サッチャーさんになったときに、やめようじゃないかと、もう自虐史観は。ということで、もう一度みんなつながりを取り戻そうと、誇りを持とうということで、オリンピックを考えたんです。
 最初、マンチェスターで考えたけど、やっぱりマンチェスターじゃ世界に響かないねということで失敗して、ロンドンになった。ロンドン・オリンピックをやることで、もう一回国民の誇りを取り戻したんですよ。新しいきずなをつくった。だから、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックも同じなんです、考え方は。
 そういうことで、新しい災後社会で、リスクもきちんと考えながら、なおかつ新しい我々のつながりを、きずなをつくっていくと。そういうことで、ロンドン・オリンピックが先進国で成功したオリンピックであって、そのオリンピックであれだけのメダルを日本人がとった。だから今回の評価委員会に対して、我々はもっともっといいことできますよということをプレゼンテーションしたわけです。
 そういうことで、こういう観点に立って、次の世代に、我々が大人として、義務として、このきずなをつなげていくと。オリンピック・パラリンピックをやることですね。ということであります。

○村上副委員長 きたしろ勝彦委員の発言は終わりました。(拍手)
 この際、議事の都合により、おおむね十五分間休憩いたします。
   午後三時五分休憩

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