予算特別委員会速記録第三号

○谷村副委員長 神野吉弘委員の発言を許します。
   〔谷村副委員長退席、門脇副委員長着席〕

○神野委員 都は、これからの時代に自立し、リーダーとして活躍していくためには、広い視野や高い英語力、チャレンジ精神や使命感など、新しい時代が求めている能力や経験が不可欠として、都立高校生に海外留学を経験させる次世代リーダー育成道場という画期的な事業を始めました。六百四十二人の応募者から選ばれた百五十人が、語学や日本文化の研修を受けた後、一年間の留学を体験することになり、ことし一月には、第一陣五十人が、オーストラリアに向けて出発をしています。
 そこで、まず、この事業の概要について教えていただきたいと思います。

○比留間教育長 次世代リーダー育成道場は、英語圏の国への一年間の留学と、留学に出発するまでの約半年間にわたる事前研修、帰国後の事後研修から構成をしております。
 事前研修では、実践的な語学研修、ビジネスや科学、文化など、各界のリーダーによる講義を受講するほか、我が国の歴史や伝統文化等を体験的に学びます。留学中は、ホームステイをしながら、現地の高校に、一校に一人で在籍し、現地の生徒と同じ基準で学習評価を受け、帰国後は、この評価に基づき、都立高校で単位が認定されます。
 また、大学研究機関等で集中講義を受講するほか、現地企業でのインターンシップ等も体験をいたします。
 事後研修では、成果報告会で体験等を発表するとともに、語学力の伸長を測定するため、留学前に受験した聞き取りや読解の能力に関する英語検定を再度受験することとしております。

○神野委員 今回選ばれた百五十人の高校生には、約四億円の公費が投入をされているといわれています。都としても、非常に力を入れている事業であることがわかりました。
 この質問をするに当たりまして、多くの留学生を送り出している専門学校の方にヒアリングを行ったんですが、しっかりした目的意識なく留学を経験した子どもは、物見遊山気分で外国生活を満喫し、帰国後に、単なる外国かぶれになる場合が多いということでありました。
 各都立高校から選抜された優秀な高校生による今回の事業でございますから、よもや目的意識の欠如はないでしょうが、事後の成果検証はしっかり行っていただきたい。
 また、帰国後に行う、先ほどの英語力検定では、合格基準なりを設けて、それに達しなかった生徒の出身校は、翌年度、応募を禁止するとか、そういった厳しい措置も、ぜひともご検討いただければ、より緊張感のある事業になると考えます。
 また、一方、これだけの公金を投入しての事業でありますから、そこからの人材は、将来の都の財産とも考えます。この事業の経験者によるネットワークを構築していただいて、将来にわたって、都との交流を維持していただきたいと思います。
 今回の事業の大きな目的は、世界を舞台に活躍する国際感覚豊かなタフな若者の輩出でありますが、真の国際感覚とは、外国におもねり、日本人の意識を捨て去ることではなく、日本の国益や文化をしっかりと世界に向けて発信できる人物像だと考えます。
 都も今回の留学に当たっては、六カ月にわたる事前研修を施し、留学生に日本の歴史や文化の理解を深めさせて、そして送り出すという取り組みを行っていらっしゃるということでございますが、事前研修における我が国の歴史や伝統、そして文化の理解に関する学習の成果を伺いたいと思います。

○比留間教育長 次世代リーダー育成道場の事前研修では、生徒が日本人としての自覚と誇りを持って留学に臨めるよう、二十八回の研修のうち八回を、我が国の歴史、伝統文化に関する内容としております。
 具体的には、我が国や東京の近現代史、伝統文化とその価値を理解するため、「江戸から東京へ」を使用し、江戸時代の生活様式等についての学習や、都内の史跡をめぐる歴史学習に取り組んでおります。また、国立能楽堂での能楽の体験や、国立劇場での歌舞伎の鑑賞等を行いました。
 さらに、生徒は、これらの学習の中から、より詳しく探究したいテーマをみずから設定し、文献等で調査してまとめた研究成果を、英語で発表する課題に取り組んでおります。こうした学習を通して、我が国の歴史や伝統文化についての理解を深め、留学中に積極的に発信する力を身につけたと考えております。

○神野委員 この留学事業の事前研修に限らずですが、日ごろの学習活動の中で、日本人としての誇りと自覚を高める取り組みを強化し、この留学生に限らず、すべての都立高校生が真の国際人としての素養を身につける取り組みが必要なのは論をまちません。その視点に立って、都の歴史教育、そして道徳教育について質問をさせていただきます。
 私は、平成二十三年の予算特別委員会で、都が独自に作成をした「江戸から東京へ」を取り上げ、都の歴史教育に対する姿勢について質問をさせていただきました。当時の大原教育長からは、日本人としての自覚と誇りを高めさせるため、相異なる価値観や対立する立場の一方に偏らないよう、客観性の高い資料に基づいて、事実の正確な理解に導くよう留意をし、史実の認識や評価に対する記載には慎重を期したとのご答弁をいただいた。あれから二年であります。改めて、この「江戸から東京へ」を拝見して、あの戦争は日本にとっての自衛戦争だったとする、昭和二十六年の米上院議会でのマッカーサー証言が記載をされていることは、大変大きな驚きを持って見詰めるとともに、まさに事実を正確に教えようとする都のご努力に敬意を表したいと思います。
 あの大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせ、軍部の暴走による侵略戦争だったとする歴史観を我々に植えつけたのは当のマッカーサーであります。江藤淳さんの大作「閉された言語空間」に詳しいのですが、厚木にやってきた占領軍の見た日本人は、決して侵略戦争を行ったとは思っていなかったそうです。大東亜戦争の意味を正確に理解し、敗れたからといって民族の誇りは決して失っていなかった。その様子を見たマッカーサーが、将来の報復を恐れ、戦犯裁判や公職追放、さらには厳しい検閲を駆使して侵略戦争という贖罪意識を我々に植えつけ、日本人に二度と立ち上がる気力を持たせないようにするための教育政策を行った。我が国の総理大臣はいまだに、毎年の戦没者慰霊式での式辞で、過去に起こした侵略戦争によってアジアの方々に多大なご迷惑をかけた、こう謝罪をさせられているわけです。
 この行為は、国を守るために亡くなっていった死者への冒涜です。侵略戦争を行った悪い国だと教え込まれている我が国の青年たちに、日本人としての誇りなど生まれるはずがありません。
 あの戦争は、我が国にとっての自衛戦争だったんです。決して侵略の意図を持って行われた戦争ではありませんでした。侵略戦争と刷り込んだ当のマッカーサーが自衛戦争だといっているわけでありますから、これほど確かなことはありません。
 そこで、「江戸から東京へ」の歴史教育の中で、マッカーサー証言まで取り上げたなら、あの大東亜戦争の意味を、日本の立場に立って今後しっかりと教えるべきと考えますが、都の見解を伺います。

○比留間教育長 東京都独自の日本史教科書「江戸から東京へ」には、さきの戦争に至った我が国の歴史的背景を、生徒が客観的事実から探求できるよう、特集ページの中にマッカーサーの証言を掲載しております。
 近現代史の学習では、単なる知識の習得だけではなく、生徒が歴史的事象の因果関係を考察し、歴史認識を身につけることが重要であり、「江戸から東京へ」の積極的な活用を推進し、日本人としての自覚と誇りを高めてまいります。

○神野委員 事実を教えようという都のご努力は高く評価をいたします。どうか、これからも続けていただきたいと思います。
 ただ、もう一点、この「江戸から東京へ」の記述の中で指摘をしたいことがあるんです。それは、一九一〇年には韓国併合を行い、朝鮮を植民地として統治したのくだりであります。
 平成二十三年の同じく予算特別委員会で、私は日本の朝鮮統治について、るる申し上げ、事実をしっかり教えるべきとの意見を申し述べさせていただきました。しかし、この朝鮮を植民地にしたとの記述は、改められておりません。欧米諸国がアジアに対して行った植民地経営は、現地人に教育など与えず、インフラも環境衛生も整えず、民度を低いままに保って徹底的な搾取のみを行いました。なぜなら、民度を上げれば、必ず反乱が起きるからです。これが植民地経営なんです。
 翻って、日本の朝鮮経営はどうだったか。それまで貴族階級の学校しかなかった朝鮮半島に、すべての民が通える学校を整備して、道路、鉄道はもとより、保健所制度、水道制度などのすべてのインフラを整え、朝鮮人の平均寿命は、併合当時二十四歳だったものが四十八歳にまで延びたといわれています。
 そして、そのため、我が国の国家予算から巨額の費用を半島に持ち出しまでしているわけで、搾取して富を得たというならば、納得をするわけでありますが、持ち出しまで行った朝鮮の経営は、あくまで条約に基づいた併合であって、私は決して植民地ではないと考えています。都の教科書では、朝鮮を植民地にしたとは書いてあるけれども、こうした日本が半島において行った事実すら教えておりません。
 朝鮮を植民地にした、日本は過去に悪いことをしたとの、この贖罪意識が、どれだけ日本をむしばんできたか。何より、日本の青年たちが、健全な愛国心をはぐくむことの障害になってきたか。
 今こそ、朝鮮半島をめぐる歴史の事実を高校生にしっかりと教えて、日本人としての誇りを回復させるためにも、朝鮮を植民地として統治したとするこの教科書の記述を改めるべきと考えますが、都の見解を伺います。

○比留間教育長 「江戸から東京へ」の個々の歴史的事象につきましては、国の見解や学習指導要領及び同解説等を踏まえて記述をしております。
 当該箇所につきましては、文部科学省の学習指導要領解説に、我が国が韓国併合や満州への勢力の拡張などを通じて植民地支配を進めたと記述してありまして、これを踏まえているものでございます。

○神野委員 学習指導要領にあるからということでありますので、それ以上は申し上げませんが、都として、今後、「江戸から東京へ」の授業の中で事実をしっかりと教え、過去の日本の名誉回復を行っていくことをお願いしたいと思います。
 きょうは、都の行う留学支援事業をきっかけとして、日本の高校生に、日本人としての誇りを持たせるための教育のあり方について質問をしているわけでありますけれども、次は道徳教育についてであります。
 一昨年の東日本大震災では、避難所での不自由な生活を強いられながらも、水や食料の配給に当たって、整然と秩序を保つ被災地の方々の振る舞いが、食料配給に当たっては、しばしば取り合いや暴動が生じるほかの外国との違いを浮き彫りにさせ、我が国の高い精神性に世界が驚嘆をいたしました。
 また、約二百名からの現地の消防団の方々が、海岸の水門閉鎖や住民の避難誘導に当たる中で命を落とされた。津波のテレビの映像の中で、山に向かって逃げる住民の方々と入れかわるように、危険な海に向かって走る消防団の方々の姿が、今でも私、目に焼きついております。消防団の奮闘によって、どれだけたくさんの地域の住民が助けられたか。
 亡くなった消防団の方々は、決して命令をされて嫌々危険に飛び込んだわけではありません。仲間の危機を見て見ぬふりをすることを許さない正義感、さらには、消防団員としての使命感が、彼らに勇気のある行動をとらせたわけであります。
 人間だれしも命が惜しい、命あっての物種と考えるのは当然です。他人のために尽くす人間がいれば、そこには計算があるはずと疑う。美談があれば、裏に必ず何かあり、金や利権のために動いたといわれれば、それは本当らしいと説得力を持つ現代にあって、過去から脈々と受け継がれてきたこの利他の精神、そして献身といった、まさに世界に誇るべき日本精神を、私は高校生に教えて、そして、日本人としてのアイデンティティーを持たせる必要があると考えるわけであります。
 埼玉県では、津波に流される寸前まで防災無線で避難を呼びかけた、南三陸町の防災課の女性職員のお話が、道徳教科書に取り上げられたと聞いております。
 そこで、都は、道徳教材に東日本大震災の被災地での実話を取り上げるなど、この献身、そして利他の精神を子どもたちに教えるべきだと考えますが、見解を伺います。

○比留間教育長 都教育委員会は、平成二十四年二月に策定をした都立高校改革推進計画第一次実施計画におきまして、教科「奉仕」での体験活動との関連を図りながら、高等学校における道徳教育を充実することとしております。
 また、新たに策定する東京都教育ビジョン(第三次)において、都独自の道徳教材の活用などによる都立高校での道徳教育の推進を示しております。
 この都独自の道徳教材では、東日本大震災で活動した人々の実話や、これまで都から被災地に派遣された教員などが得た情報なども参考にして、生徒が、自他の生命の尊重や他者を尊重する精神などについて学べる内容となるよう検討してまいります。

○神野委員 東日本大震災は大変な出来事でありましたが、歴史の上で我が日本人は、こういった本当の危機になると、日本人が代々持ってきた心の強さというものを発揮する、これは戦前も戦後も一貫をしているわけであります。まさに、我々が持っているこの利他の精神、そして献身といった、これまで日本人が身につけているこの美徳というものを、ぜひとも高校生に教えて、そして、日本人としての心をしっかりと持った若者に育っていってほしいと思います。
 それでは、次に視点を変えまして、いわゆる体罰問題についてお伺いをしたいと思います。
 大阪の桜宮高校での体罰問題をきっかけに、体罰に関する議論が盛んになっています。学校教育法の第十一条では、教員は、教育上必要と認めるときは、生徒に懲戒を加えることができる、ただし、体罰はいけないと規定され、体罰は禁止をされているわけです。しかし、何が体罰なのかの定義が定められていません。
 つまり、体罰はいけないけれども、児童生徒に対する有形力、つまり、目に見える物理的な力の行使の一切が、体罰として許されないということではないんです。それは、例えば有形力の行使が学校教育法上の懲戒行為として一切許容されないとすることは、同法の予想するところではないとした、昭和五十六年の東京高裁判決や、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容されるとした、昭和六十年の浦和地裁判決を見ても明らかであります。
 先日の一般質問に答えて教育長は、体罰の定義について、殴る、けるの暴力、長時間立たせることで生徒に与える肉体的苦痛と答弁をされていらっしゃいました。しかし、何分間立たせたら体罰に当たるのか。十分なのか三十分なのか、これを機械的に判定をすることはできませんし、その児童の年齢、健康、そして場所的、時間的環境によっても違ってきます。さらには、その前後の事情も判断をした上で、体罰か否かは決めなければならないんです。
 最近の世論は、体罰反対の声が大きい。しかも、教師によるすべての有形力の行使も体罰として反対をする世論が大勢を占めているように思います。しかし、今まで見てきたように、教員による有形力の行使のすべてが体罰に当たるわけではありません。すべてを一緒くたにして体罰反対の声に押され、子どもたちが安心して静かに学習できる環境を整えるための、さらには、いじめなどの明らかな不法行為を抑止するための、教師による力の行使をすべて否定してしまったのでは、学校の秩序が維持できませんし、教師が萎縮をして、学校内での不正行為に見て見ぬふりを決め込む、そういった事態が横行してしまう。そうなることを私は危惧しています。
 力の行使はすべて悪なんでしょうか。社会の秩序を守るための警察力、そして、国を守るための防衛力、すべて必要なものであります。力の善悪を議論するのではなく、その運用の善悪を慎重に議論をすべきだと思います。
 そこで伺いますが、問題が発生したとき、それが体罰に当たるかどうかの判定はどのように決定をされるのか伺います。

○比留間教育長 体罰は、児童生徒に対して、殴る、ける等の身体に対する侵害や、正座、直立等特定の姿勢を長時間保持させるなど、肉体的苦痛を与える行為であり、絶対に許されないものであります。
 こうした行為が発覚した場合には、事故者や校長のほか、被害を受けた児童生徒、目撃者など、さまざまな関係者から詳しく事情を聴取して、事実関係を明らかにした上で厳正に対処しております。

○神野委員 前後の事情をしっかりと調査して、実態を把握する体制を整えていただきたいと思います。そしてその中で、その教師が行った行為が教育上やむを得ないと判断されたり、教師の子どもをよくしようという熱意を感じることができるならば、子どもや保護者におもねらず教師を全力で守っていただきたい。そのことをお願いして、次の質問に移ります。
 本年二月の十二日、北朝鮮は核実験を強行しました。これに対し猪瀬知事は、日本を含む北東アジアの安定を損なうばかりか、平和と安全を希求する国際社会に対する重大な挑戦行為であり、この暴挙に厳重に抗議するとの知事コメントを発出され、強く非難した。その英断を評価をいたします。
 核実験のみならず北朝鮮は、政府認定十七名、さらに特定失踪者を加えれば数百名に上るとされる日本人拉致を行った国家であります。我が国にとっては明らかな敵対国家であるにもかかわらず、都は、私立外国人学校運営費補助制度を創設し、都内の朝鮮学校に対して、これまで合計で五億円近い公金を補助金名目で支出してきました。
 平成二十三年十二月八日の定例会で、石原前知事は、国民の税金を使って補助する必要は毛頭ない、来年度予算には計上しないことも含めて、しかるべき時期に国民全員が納得するような判断をしたいと思っていると答弁し、それ以来、都の予算には、この朝鮮学校に対する補助金は計上されておらず、本特別委員会で審議をしている予算にも計上されていないわけであります。
 そこで伺いますが、この朝鮮学校への補助金、現在どのようになっているのか、教えていただきたいと思います。

○小林生活文化局長 朝鮮学校については、教育内容や学校運営に対するさまざまな疑義が呈されたことから、その実態を確認するため調査を実施しております。
 これまで、朝鮮学校で使用する教科書や財務書類等を提出させるとともに、実際に現地に赴いて授業や学校施設を確認するなど、学校運営全般について幅広く調査を進めてきております。調査途中であることから、内容については明らかにできませんが、今後とも引き続き必要な調査を行ってまいります。

○神野委員 朝鮮学校で行われている授業内容、教材等を中心に、調査をされているとのことであります。しかしこれまでも、神奈川県が県下の朝鮮学校に教科書提出を求めた際、実際使われている教科書ではなく、偽装したダミー版を提出したケースなどが報道されており、その対応は悪質。よほどきめ細かな調査を行わなければ、その実態を把握することは不可能であります。
 私は、平成二十二年第四回定例会における当時の池田警視総監の答弁、朝鮮学校は、朝鮮総連と密接な関係があり、教育内容、人事及び財政について、朝鮮総連から影響を受けていることを警視庁として認識しているという、この答弁を重視すべきだと思うんです。つまり、朝鮮学校は、朝鮮総連の影響下にあるという事実を踏まえて、この補助金問題をぜひ判断していただきたい。
 昭和四十九年、朝鮮総連の工作活動の結果、在日韓国人の文世光が、当時の朴大統領夫人陸英修を射殺しました。この文世光事件をきっかけとして、日本を、対南工作の拠点とする朝鮮総連の活動が活発になり、その後の日本人拉致問題、大韓航空機爆破事件等につながっていきます。
 拉致問題などは、日本国内の協力者がいなければ実行できるはずがない。それだけ、朝鮮総連の工作によって我が国の治安が大きく乱されてきたわけであります。工作機関と密接な関係を持つ朝鮮学校に、公金から補助金を出し、その金が北朝鮮に流れ、ミサイルがつくられて日本がねらわれる。これ、笑い話じゃないんですから、もう少し真剣に考えていきたいと思います。
 朝鮮学校の子どもたちがかわいそうなんていう人、いるわけでありますが、そんなにかわいそうと本当に思うなら、工作員の養成学校に通うかわりに、日本の学校に行きなさいと勧めてあげるべきであります。いずれ調査の結論が出るんでしょうが、私は、この補助金は認めるべきではないと思います。そんなお金があるなら、ぜひとも困っている日本人の若者を支援していただきたい。そのことをお願い申し上げたいと思う。
 さて、次に、東京の安全を守ることについて、これ知事に伺いたいと思います。
 昨年の人工衛星打ち上げ成功に続いて、本年の地下核実験。北朝鮮の行った一連の行動は、軍事的に考えると、北朝鮮が核弾頭を積んだ弾道ミサイルを、アメリカ本土まで打ち込める可能性が高まったことを示しています。戦後、アメリカの核の傘のもとで安全を確信をしてきた我が国でありますが、北朝鮮がアメリカ本土に届く核ミサイルを開発した瞬間に、我が国への北朝鮮のミサイル攻撃に対するこのアメリカの核の傘は、一瞬にして消えてなくなるということを、我々は認識をしなければいけません。
 平成二十三年第三回定例会で石原知事に、核攻撃に対する東京都としての対策を伺ったところ、東京は無防備じゃない、自衛隊の基地に地対空ミサイルを配備させて、ミサイル攻撃に対処することになっているとのご答弁をいただいております。
 しかし、もともと空から落ちてくるミサイルを打ち落とすのは至難のわざといわれているし、今回の核実験を受けて北朝鮮が核弾頭の小型化に成功すれば、多弾頭の核ミサイルが落ちてくることになり、地対空ミサイルでは防ぎ切れません。事態が変わっているんです。
 知事は、先日の定例会で、憲法九条によって戦争を想定外としてきたことは問題だとの認識を示されました。私も同感です。ただ、戦後の日本で、もう一つ想定外にしてきたことがあります。それは、我が国に対するに核攻撃への対処なんです。
 戦後の日本は、世界で唯一の被爆国であることは強調するんですが、核の脅威については思考停止をしてきました。本当なら、唯一の被爆国だからこそ、もう二度と国民を核で殺させない方法を議論すべきだったと私は考えます。
 東京は、核に対して全くの丸腰なんです。もし核を打ち込まれたなら、善良な都民の多くが一瞬にして殺されてしまいます。その事態を防ぐことは、まさに究極の危機管理。国防は国の専管事項ですが、私は、都としてできることがあると思っています。それは、核シェルターの研究であります。
 核シェルターは、世界では常識ですが、なぜか日本ではなじみが薄い。スイスやスウェーデンでは、国民すべてが逃げ込めるシェルターが完備しているといわれているし、お隣の韓国でも、地下街が核シェルターになるような設備がなされているといわれている。しかし、日本では考慮すらされたことがありません。東京には、地下鉄、地下街、地下の高速道路など、地下施設が膨大に存在しています。そこを空気清浄機能を備えた地下シェルターに転用することができないか、まずは研究、検討から始めるべきだと思います。
 北朝鮮は、悲願である半島統一に乗り出す前には必ず、アメリカの補給基地である日本の混乱を引き起こし、無能力化させるだろうといわれています。そして、その一番の標的は東京であります。東京への核攻撃は、決して確率ゼロとは考えていません。
 そこで、都民の命を守るため、核シェルターの研究をまず始めるべきと考えますが、知事の見解を伺います。

○猪瀬知事 神野委員の力強いご発言はそれとしまして、先ほどの、神野委員のずっとご発言を聞いていましたら、やっぱり歴史的な事実関係についてはきちんとしていかなきゃいけないので、ちょっと申し上げさせていただきますが、自虐史観を否定するのは正しいのですよ。これは進歩的文化人、戦後ずっとそうやって自虐史観で日本人に誇りを失わせてきた。それは確かなんだが、じゃあそのためには、あの戦争を大東亜戦争といわなきゃいけないかというとそうじゃないんです。あれは太平洋戦争で正しいんです。
 僕の「黒船の世紀」という本がありますから、今度お読みいただいたらいいんですが、基本的に太平洋戦争という言葉はずっと前からあるんです。それで、問題は、国益のためには東南アジアから資源を供給しなければいけない。そういう問題がありまして、それは、だからそういう意味では自衛なんですが、ではヨーロッパの帝国主義に対して、どういった近代の概念を持つかというところで、哲学論争が行われたわけです。
 ヨーロッパの近代に対して、じゃあ日本はそういう近代を超克するんだと。近代の超克というテーマになってくるんです。
 しかし、それが煮詰まっていかない。煮詰まっていくまでに至らずに、一部の官僚である軍部が独走していくんです。そこでちぐはぐな形で展開していって、日米開戦になっていくんです。
 したがって、大東亜戦争という命名は、太平洋戦争始まって四日後につけられるんです。ですから、自虐史観を、だから、じゃあ逆にすると大東亜戦争といわなきゃいけないというふうな考え方をする必要はなくて、自虐史観はいけないんだが、大東亜戦争という呼称も事実あったことは確かなんだが、余り大東亜戦争という言葉自体、いわないといけないんじゃないかと思い込む必要はないということなんです。
 それで、ご質問の核シェルターの問題でありますが、北朝鮮の核実験強行というのは、日本を含む北東アジアの安定を損なうばかりか、世界の平和と安全を脅かし、許しがたい行為だ、これは間違いないんですが、直ちにこれを強く非難するメッセージを発して、都内の大気や水、空気中のちりに関する放射能測定を強化して、公表して、都民の不安解消に努めています。
 万が一、外国からの武力攻撃があった場合、東京都は、都民の命を守るために、国民保護法により国の指示に基づいて住民の避難や救援などの役割を果たすことになりますが、仮に北朝鮮がミサイルを発射すれば、当然自衛隊がイージス艦やPAC3から成る弾道ミサイル防衛システムによって迎撃する。それから、日米安保条約がありますから、米軍基地からも、当然PAC3、あの迎撃ミサイル行きます。自衛隊がまずやります。
 それはただし、避難を呼びかけるといっても、発射してから十分で来ちゃうんですよ。わずか十分。この短い時間に、急いでとにかく地下にどこかに入ることは確か。でも、それだけですから、発射した瞬間にもうそれですぐとらえられますから、発射した瞬間は。それですぐ迎撃する、それしか方法はないです。
 千三百万人の人が暮らしている、昼間人口を入れれば、昼間の人口を入れれば千五百万人ですから、実際に防ぐ手だてというのは、とりあえずはただ、あの第二次大戦でイギリスの人たち、ロンドンの市民がナチス・ドイツの空爆に対して地下鉄に逃げ込んだんです。日本は、東京大空襲で十万人、アメリカのB29の低空飛行で、焼夷弾でやられましたが、東京は地下鉄銀座線しかなかった、それはね。だから今は地下鉄たくさんありますから、中央環状線もありますから、そういうところに逃げるしかないんだが、それをいってもしようがない。
 だから、外国からの核攻撃に対して核シェルターを研究するというのは、それは正しいですよ。それだけれども、ただ、現実を直視すれば、東京という日本の心臓ですから、これを守るためには、国防上の備えはもちろん、やっぱり国際社会と連携したさまざまな外交努力をきちんとやっていくことが先決だと思います。
 戦前も、外交努力をちゃんとやらなかったんですよ。もっとやり方はあったはず。外交努力はある程度やる必要があります。
 この間、アメリカと韓国で演習やりましたよね。北朝鮮はちょっと慌てていました。それから、国連で北朝鮮非難決議、今度は中国まで参加しましたよね。そういうことを含めて、さまざまな抑止力を持って北朝鮮に対処していくということだと思います。以上です。

○神野委員 私も別に呼称にこだわっているわけではありません。大東亜戦争というのは後づけだというのも、私はそれは知っております。確かに日本がすべて善だったということではなくて、あのときに軍部と、軍部でも陸軍、海軍、そして連合艦隊、すべてがばらばらだった。全く統一が、統率ができない中での戦争だったということで、日本においても大きな理由があることは確かですが、ただ、日本としてのその戦争に至る経緯について、アメリカからの押しつけられた史観をそのまま適用する必要はないということをいいたかったわけです。
 それから、シェルターについてであります。都民を守るために、ありとあらゆる可能性を私は考えるべきだと思います。アメリカというのはすごい国で、あの九・一一、ウサマ・ビンラディンを十年かけて追い詰めて殺した。そこまでやって、アメリカ国民が、外国、特にテロから殺されることに関して、必ず報復をするという大きな抑止力を持った国であります。
 東京においても、都民の生命を守るために、政治はやはりありとあらゆる可能性を考えるべきだと思います。そのことを申し上げたいと思います。
 もう一つ、子育てに対して私質問しようと思っていたんですが、最後に、先ほどもたしか公明党の松葉さんからお話ありましたが、今の東京都のいわゆる子育て政策、どうしても保育所の整備というものが非常に中心をなしています。
 もちろん待機児童がなかなか減らない中、この保育所の整備というのが必要なのも認めますが、私は、いわゆる在宅での子育て、家庭での子育て、こういうものにも、もっともっと力を入れていただきたいということを申し上げております。
 それでは、最後に一問だけ聞きますけれども、東京都は、今、市区町村に対して子育てを包括的に支援をされているとおっしゃっていますが、この在宅での子育てが、私はまだまだ市区町村でばらつきがあるんじゃないかと思っているんですが、その辺、市区町村の取り組みを、今後都として促していく必要があるんじゃないか、そのことをお伺いしたいと思います。

○川澄福祉保健局長 都は、包括補助事業におきまして、選択事業として子育て支援策をメニュー化するなど、区市町村独自の取り組みを支援しております。
 先駆的な取り組みにつきましては、事例集を作成するほか、事例発表会を行い、広く区市町村に紹介しております。
 今後とも、在宅の子育て家庭も含め、すべての家庭が地域において安心して子育てできるよう、区市町村の主体的な取り組みを支援してまいります。

○門脇副委員長 神野吉弘委員の発言は終わりました。(拍手)

ページ先頭に戻る