予算特別委員会速記録第三号

○大塚委員長 ただいまから予算特別委員会を開会いたします。
 これより付託議案の審査を行います。
 第一号議案から第二十七号議案までを一括して議題といたします。
 昨日に引き続き総括質疑を行います。
 伊藤ゆう委員の発言を許します。

○伊藤(ゆ)委員 それでは、私の方から、東京湾の防災対策について、まずお伺いをしたいというふうに思います。
 あの東日本大震災から一年余りが経過をいたしました。ちょうど本会議が終わった後に控室にいるときに、震度五の揺れに襲われたことを今も思い出します。私自身も帰宅困難者となりまして、控室でテレビなどから情報を収集していたということでありましたけれども、夜になりまして、地元が目黒区でありまして、その友好都市である気仙沼が火の海で覆い尽くされているという光景を見ましたときに戦慄いたしました。
 実際には、海に広がりました重油等に引火して、その火がまち全体を覆っていたように見えたわけでありまして、海の上でも炎上するということを私自身も初めて知りました。そうした私自身が見た光景というものを踏まえて、東京湾の震災対策についてもお伺いをしたいというふうに思っております。
 気仙沼のまちが一面炎で包まれている状況を見まして、東京湾では果たしてこうした炎上というものが起きずに済むんだろうかという疑問を持ちました。そこで、こうした事情に詳しい早稲田大学の濱田政則教授のもとを訪ねたところでございます。
 濱田教授は、現在東京都が液状化予想マップ見直しのために設置している専門委員会の委員長を務めていらっしゃる方でありますので、都にとっても信頼の置ける専門家であるといえるんではないかと思います。
 濱田教授はかつて、国土交通省の関東地方整備局に依頼をされまして、東京湾の被害想定をまとめました。これがその報告書ということになります。平成二十一年の三月でありますので、あの震災よりも以前に出されたものということになります。
 この中に、東京湾の石油タンクの配置と数が記されてございます。
 実は今、お手元にお配りをさせていただいておりますが、一番として、こちらをごらんいただければと思います。
 東京湾がこのようにある中で、特に京浜臨海地区ということで、この地域がいわゆる川崎港の周辺になります。全体で五千六百六十基という多くの石油タンクがひしめく東京湾の中において、二千百四十一基が川崎周辺に存在をしていることがわかります。
 いうまでもなく、東京湾には一日当たり五百隻の航行があり、常に約二百隻程度の船が停留または待機をしているといわれておりますので、その多くの船が物資を積み込み、東京にとってはなくてはならない、当然、航路がここに横たわっているわけであります。
 その報告書によれば、直下型地震が発生をしたときに、東京湾沿岸部の石油タンクの一部が破損をし、石油が漏れ出すということでありました。では、なぜ流出するのかということでありますけれども、それは石油タンクを支える地盤の液状化による崩壊であるというふうに書かれてございます。
 現在、石油タンクは、特に東京湾に存在をするものは、小さいものですと大体五〇%程度が耐震化をされています。それから、大きなものですと大体一〇〇%が耐震化をされて、多くは事業者の負担でこれらが耐震化として費用を賄われているわけでありますけれども、問題なのは、実はその石油タンクの耐震化ではありません。実はその石油タンクを支える地盤の方に大きな問題がございます。
 図2をごらんいただきたいと思いますけれども、これは兵庫県の南部地震、一九九五年のころですけれども、神戸市の深江浜で起きた地盤の水平移動を示しています。起きたときに、あの地震の際にこの地域の地盤面がどれほど移動したのか。数字が入っておりますがこれはセンチメートルでございます。ですので、一番大きな水平移動を見せたのは三百六十五センチなど、二メートルから三メートル、場合によっては四メートル近く、水平方向に地盤面が移動をしたわけでございます。これに伴いまして、LNGの貯蔵の配管バルブが変形をいたしまして、当然断裂をし、そこからガス等が漏れ出したというような事故も起きてございます。
 ちなみに、よくお台場の周辺などは液状化対策がなされているというふうにいわれております。確かに、お台場の周辺は比較的最近の埋立地でありますので、いわゆる締め固めというそうですけれども、砂などを入れて締め固めて液状化しにくい状況をつくっていると、この、いってみれば液状化対策が効果として発揮されたのは、私は東京ディズニーランドだったと思います。駐車場はそうした対策がなされていなかったために、しばらくの間閉鎖をされましたけれども、本体は何事もなかったということでありました。
 そして、図3をごらんいただきたいと思います。
 実は、日本でこの液状化という現象が認知をされましたのは、新潟の地震以来だということでございまして、これは一九六五年のことでございます。すなわちディズニーランドも、あるいはお台場も、一九六〇年以降の埋立地はこうした液状化対策が十分になされているといわれておりますけれども、それ以前の地盤面に関しては、十分な液状化対策がなされていません。
 先ほどもごらんいただきました川崎港の周辺といいますのは、まさに一九六五年以前の埋立地が四〇%を占めてございます。こうした地盤面における液状化の危惧というものが、まさに指摘をされているわけでございまして、濱田教授の指摘によれば、川崎の埋立地盤が最大で七メートル水平移動する可能性があるというふうに、この報告書の中でも指摘をされております。
 すなわち、石油タンクそのものは耐震化されていますけれども、地盤面が動いてしまうことによって、いわゆるバルブだとか、あるいはタンクとタンクをつなぐような、そうした配管類が断裂をするということが当然考えられますし、また、地盤そのものが崩壊をすれば、それに伴って上に乗っている石油タンクが海に放出をされるというようなことも、当然考えられます。
 この報告書によりますと、川崎直下地震による被災タンクの数は百十六基というふうに見積もりをされております。実はこの百十六基というのは、タンク数が五千六百六十基であることは先ほど申しましたので、それを分母にいたしますと、わずかに二%という極めて控えめな想定だと私は思います。さらにその被災タンクの中に、必ずしも内容物が満杯で入っているわけではありませんので、五〇%程度入っているというふうに想定をいたしますと、大体流出量は二万九千キロリットルということになってございます。そのうち、さらに大きな事故を引き起こしやすい重油ということになりますと、その半分の一万二千キロリットルとなる計算でございます。
 そこでお伺いをしたいと思います。
 もし、この一万二千キロリットルの重油が東京湾に流出した場合、東京湾内にはどのような措置がとられるのか、お伺いしたいと思います。

○笠井総務局長 東京都地域防災計画では、災害発生に伴う流出油への対応といたしまして、海上保安庁、警視庁、東京消防庁のほか、都、沿岸区などが連携して対応することを定めております。
 具体的な対策といたしましては、流出した油の拡散を防止するためのオイルフェンスの設置、火災発生時における消防艇などによる初期消火及び延焼防止措置、船舶の交通規制、沿岸住民への情報伝達、避難誘導などの措置をとることとしております。

○伊藤(ゆ)委員 図4になりますけれども、こちらをごらんいただければと思います。
 これは、油が流出した後、七日後の予想ということでございます。仮にも川崎直下地震を想定をいたしておりますけれども、川崎直下の地震が起きたとき、この辺が川崎港ということになりますけれども、この川崎港から、先ほど一万二千キロリットルの重油が漏れ出す可能性があると申し上げました。その重油が漏れ出した場合、一週間後に大体千葉港の周辺、あるいは袖ケ浦の周辺まで拡散をするというふうに予想されています。つまり、東京湾を横断する形で満遍なく拡散をし、川崎から千葉に至るまで油が広がるということでございます。冬であれば、これが横須賀港まで拡散するということでありまして、こうなりますと、東京湾一帯が汚染されるということになります。
 ちなみに私も、伺って初めて知りましたけれども、東京湾内に配置をされているいわゆる集油船、油を集める船というのは一隻のみであるというふうに伺っています。恐らくこれはタンカー等が座礁したときのことを想定をしているんだと思いますが、漏れ出した油が引火するおそれは十分にありまして、とても短期間に油の除去ができるとは私には思えません。
 先般、経済・港湾委員会の質疑の中でも私、このことを問題視させていただいて、答弁をいただいたところ、そのときの答弁としては、川崎で大量に油が流出した場合に、東京港への出入港というのは不可能になるという答弁をいただきました。さらには東京港の担っている物流機能が停止するという答弁も、そのときにはいただいたわけでございます。
 翻って考えてみますと、こうした油の回収に二カ月もかかり、その間東京港が封鎖されるというようなことにもなりますと、今は特に原発がとまっている中で火力に頼る電力事情というものを考えますと、まさに燃料が東京湾から届かないという状況になれば、東京の物流機能だけではなくて、経済機能が完全に麻痺するというふうに私は思います。
 そこで、二つのことを私から問題提起をさせていただきたいと思います。
 一つは、仮にも流出した油を回収し、その回収した油を置いておく場所のことでございます。
 都は既に回収油の一時保管所を定めていますけれども、既存の施設をこれは利用することになっておりますので、必ずしも臨機応変に、すぐに回収油の一時置き場として活用できるとはいえないものだそうであります。さらに専門家からは、作業効率を考えたときに、今の保管場所でいいのかというような指摘も上がっています。
 そのため、私は東京湾内に、常時使用可能で効率的に排出できる集積地というものを、あらかじめ定めておくべきなのではないかと思います。そのためには、周辺住民への事前の説明あるいは合意というものも必要になってまいります。
 もう一つは、液状化対策が十分なされていない川崎市などの護岸の強化でございます。
 先ほど申し上げたように、地盤の締め固めについては、既存の構造物がその地盤面にある場合にはなかなかできない仕組みになっていますので、これは締め固めというよりも、護岸の整備をしっかり行うことによって、構造物の転倒流出を防ぐというのが最善の策ではないかと思います。
 しかしながら、この護岸を、石油タンクのある場所に限ったとしても整備するならば、恐らく相当な費用がかかるというふうにいわれていますので、鉄板で護岸を完全に固めていくというよりも、専門家の試算によれば、例えばそれを鉄のくいにしていくことで、随分コスト的には軽減できるのではないかというような提案もなされています。例えば、川崎の石油タンク密集地の護岸整備に約二百億円程度を投ずれば、相当な対策が進むんではないかというお話も伺いました。
 私は現在、石油タンクの震災対策が事業者任せになっている事情に強い危機感を抱いております。行政がこれに取り組まない限り、抜本的な対策は講じられないと思います。しかし、川崎市や千葉市など、自治体独自では財源的な限界が必ずあり、油が流出すれば東京湾に県境はありません。
 ここは、都が国や千葉県、あるいは神奈川県や基礎自治体に対して働きかけを行い、抜本的な対策を打ち出すべきではないかと思います。都は、地震災害による石油タンク流出事故を未然に防ぐ議論をスタートさせて、特に都のリーダーシップによって国に強く働きかけていくべきだと思いますけれども、所見を伺いたいと思います。

○笠井総務局長 石油コンビナートなどの危険物施設などの安全対策は、本来、石油コンビナート等災害防止法という法律に基づきまして、国と事業者に適切に対応すべき責務がございます。
 このため、九都県市では、これまでも石油タンクなどに被害を及ぼす長周期地震動対策などの一層の推進について、国に要望を行ってまいりました。
 今回の震災による石油タンク等の火災被害を受けまして、国は昨年十二月、危険物施設等における地震、津波対策のあり方を検討し、事業者による配管や建築物などの耐震性能の再確認等を内容とする報告を取りまとめたところでございます。
 今後、九都県市の防災・危機管理対策委員会におきまして、この報告内容を検証し、安全確保に向け、国、地方自治体、事業者が担うべき役割分担を踏まえた実効ある対策の推進を国に求めてまいります。

○伊藤(ゆ)委員 ある事業者に私、伺いましたけれども、この石油タンクを扱う事業者の業界というのは、大変横並びの強い業界であって、一社が先行して耐震化を進めれば、当然横並び、ほかの会社も影響を受けるということもありまして、なかなかこうしようということをいい出しにくい業界文化があるというようなことも、お話をされていました。
 同じことが、実は国においても川崎市においても、あるいは当該の自治体においてもいえるのではないかと思います。どうしても、自分たちからいい出せば、あるいはこの報告書に基づく対策を行おうとするならば、その財源をいい出しっぺが求められるという一種の警戒心から、この議論が進んでいかないものというふうに思います。
 ぜひ、知事におかれましても、こうした東京湾の問題を東京都の問題として、国や、あるいはほかの自治体に働きかけをお願いをしたいというふうに思います。
 次に、震災時の買い占め対策についてお伺いをしたいと思います。
 三・一一の震災直後から、都内では被害が小さかったものの、原発の事故の影響などもあり、食品店においてはなかなか水や食料が手に入らないという状況がありました。
 実は、うちも去年の二月に子どもが生まれたところでありまして、震災は一カ月後ということでありますので、乳児がおりましたので、この水が手に入らないというのは本当に死活問題でございました。ただ、そのことを気にしてくれた商店街の近くのおじさんが、お宅も子どもが生まれたんで、水を取り置いた、取りに来なさいということで、いわゆる売り控えをしてくれたということがございまして、本当に感謝をしたわけであります。
 しかし、その商店街のおやじさんに聞いたところ、あの殺気立っている状況の中で、多くの人が物資を買い求めている中で、ある物を売らないということはなかなか難しい選択でありまして、段ボールが積まれていればそれを売れというような方も大変多くいらっしゃったということであります。
 しかし、男手があったり車があれば、大量の物資を買い込むこともできますが、例えば、子どもを育てているお母さん、あるいは母子家庭などでいえば、本当に人手もなくて水が手に入らないというお困りだった経験は、都内いろんなところにあったはずだと思います。
 都に聞いてみたところ、東京都は三月十六日の時点で、食料品等の買いだめ鎮静化に向けた協力という要請書を、日本チェーンストア協会や日本スーパーマーケット協会などに送付されております。それに応じたスーパーなどでは、店舗によって一人一本規制が行われました。私の家のそばのダイエーでも、一人一本規制のようなものが行われていました。
 しかしながら、こうした対策がとられたのは震災の五日後ということもありまして、小売店ではいち早く駆けつけた消費者によって多くの物品が買い占められてしまったわけであります。その商店街のおやじさんも、もしあらかじめ明確なルールというものが示されていたならば、もっとお客さんに物をいいやすかったということでありました。
 これは商売にかかわることですので、私は条例のようなものはなじまないと思うんですけれども、一定規模の震災が発生をした場合は、水、食料の買い占めを抑制する協力要請が自動的に発効するような仕組みというものがあってもいいのではないかというふうに思います。
 こうした事前の協定があれば、小売店も一人一本規制というものを自主的に開始することができるというふうに思いますけれども、都の所見をお伺いしたいと思います。

○笠井総務局長 東日本大震災では、道路や港湾などの被害や燃料不足などによって物流ネットワークに影響が及んだほか、消費者需要の著しい増大に伴いまして、店頭の商品不足が引き起こされました。
 国の消費者庁によれば、例えば飲料水は通常の二・五倍から四倍以上供給されておりましたが、消費者の需要は三十倍以上に増大していたとされております。
 首都直下地震等の発生時にはさらなる混乱が生じることも懸念され、こうした事態の回避に向け、消費者に冷静な行動を求める必要があることから、今後、地域防災計画の修正に当たりましては、消費者に適切な行動を促し、必要な物資を行き渡らせるための対策について検討を進めてまいります。

○伊藤(ゆ)委員 ぜひこの検討は具体的に行っていただきたいというふうに思います。
 次いで、都立高校の夜間警備についてもお伺いしたいと思います。
 私、ある都立高校のグラウンドの目の前に去年の九月まで住んでおりまして、ちょっとした珍事件というのがございました。それはもう二、三年ぐらい前のことになりますけれども、夜の十時ころだったでしょうか、グラウンドの方からキーンというような金属音というか、ハウリング音が聞こえてまいりまして、何だろうと思ったら、後でわかったところですけれども、部室の中から電源が入りっ放しになっていたスピーカーがハウってしまって音がしていたということでございました。
 そのことは別にさしたる問題ではないのでいいのですけれども、しかし、夜の十時ということもあって、周辺の住民の方々は学校の周辺に集まってまいりました。しかし、これは入れないんですね。今、都立高校は夜間警備、機械警備になっていますので中に入れない。また、どこの会社が警備しているかの表示も、当時全くありませんでしたので、連絡のしようもないということがございまして、夜ということもあってなかなか都庁サイドとも連絡がとれずに、結局数時間立ち往生するということが経験としてございました。
 その経験をもとに考えますと、本当に震災になったときに都立高校に逃げ込もうと思ったときに、中に入れるんだろうかと。例えばグラウンドぐらいでしたら、フェンスをよじ登れば何とか入れないこともありませんけれども、しかし、体育館は恐らくかぎが閉まっていて中に入れないということがあると思います。これは地方であれば、恐らく教員の方々がその地域に住んでいるということもあると思いますが、都立高の場合はとりわけて目黒に必ずしも住んでいらっしゃる先生ばかりでありませんので、こういう不測の事態というものが十分に考えられると思います。
 そこでお伺いしたいんですけれども、都立高校で避難所に指定されている学校は何校あり、そのうち夜間無人警備になっている学校は何校になるのか、お伺いしたいと思います。

○大原教育長 都教育委員会は、区市町村から都立高校を避難所に指定したいとの要請を受けた場合には、東京都地域防災計画に基づきまして、その指定に協力をしております。
 平成二十四年二月末現在、都立高校百八十九校のうち百五十三校が、区市町村から避難所の指定を受けております。この百五十三校のうち、首都大学東京との合築の一校及び島しょ地区の六校を除く百四十六校が、現在、機械警備を導入しております。

○伊藤(ゆ)委員 今答弁にもありましたとおり、多くの学校、百五十三校が避難所の指定を受けております。そのうちの大半がこうした機械警備を導入しているということでございました。無人警備である以上は、不測の事態に備えて、これはかぎを周辺住民の方にお預けをするなど、その対策を講じておくべきであるというふうに思います。
 その当時の私の経験をもとに、そのことは震災があった直後に教育庁に指摘をさせていただき、対策を講じていただいたところでございますが、その後、こうしたかぎの預け渡しというもの、どれぐらいあったのか調査をしてもらいました。その調査の結果と、どのようにその後対策を講じたのか、お伺いしたいと思います。

○大原教育長 都立高校では、夜間、休日の災害に備えまして、学校近隣の教職員の中から学校危機管理担当者を指定して、発災時などの初動対応をさせることとしております。
 これをさらに支援していただくために、地域の自治会等に依頼いたしまして、地域緊急連絡員を選出して、都立高校の初期危機管理活動への支援を得ることとしております。その支援の一環として、今お話がありました、夜間、休日等で学校危機管理担当者が登校する前に住民避難が円滑に行えるよう、門のかぎを預かっていただくこととしております。
 昨年のご指摘を受けまして、十月に都立高校の実態調査をいたしました。この実態調査によりますと、まず学校危機管理担当者、これは学校から五キロメートル以内、もしくは近辺に居住する職員の中から指定をするわけでございますけれども、七四%が自宅から三十分以内に登校する、四十五分まで延ばしますと八六%が登校します。六十分まで延ばしますと九六%の職員が登校できるということがわかりました。
 それから一方、かぎについてですけれども、地域緊急連絡員になることを断られた例、それから、連絡員にはなっていただきましても、かぎを預かることは断るということで、預かっていただけなかった例などがありまして、現在、大半の高校ではかぎを預けることができておりません。
 ただ、かぎを預けていない学校でありましても、通用門等を常時開錠しておくなどの方法によりまして、いざというときに住民が学校敷地内に避難できるよう、対策は講じているところでございますが、防犯上の理由もありますので、このことを広く一般にお知らせするということは、やっていないというのが実情であります。
 こういう実態を踏まえまして、昨年の十二月、校庭避難が可能な施錠していない門扉の位置を近隣住民に周知することなどの対策を講ずることといたしまして、各学校あてに通知をするとともに、本年一月、校長連絡会で周知徹底したところでございます。さらに、ご指摘もございましたように、災害発生時等に、住民がどの門扉に到達しても緊急対応が円滑に行えるよう、全都立高校のすべての門扉に緊急時連絡先を表示することといたします。
 今後、これらの対策の実施状況を定期的に確認をして、遺漏がないように万全を期してまいります。

○伊藤(ゆ)委員 今、断られた例もあるということでしたけれども、知事が再三いわれておりますように、近所の力をまさにここでも発揮するために、今、学校では地域の住民の方と協議会をつくったり、熱心に地域交流を図られていることだと思います。そうした交流の場所の中で防災教育ということもあろうと思いますので、こうしたことをぜひ徹底していただきたいと思います。
 ちなみに、開錠をされている部分も今あって、中には入れるということですが、これは体育館はやっぱりかぎ締まったままなんです。(「金づちでぶっ壊したら」と呼ぶ者あり)これ金づちで壊せる程度ならいいんですけどね、結構最近のものは頑丈にできている例もございますので、そういう意味では、確かに中の非耐震化の構造物が落ちてきているんじゃないかとか、そういう懸念はあると思いますけど、それよりも、やっぱり地域の人たちにかぎを持ってもらって、自分たちで判断して中に入ってもらうということがあっても、私はいいんじゃないかというふうに思います。
 それから、都立高校と同様に各区市町村の教育委員会にも、夜間機械警備の学校があるというふうに認識をしております。地元住民にかぎを預けるなど、これらの--これは市区町村が設置者なので、基本的には市区町村の判断だと思いますけれども、対策を講ずるように、都の体験を生かす形で働きかけていただいたらどうかと思いますが、所見をお伺いしたいと思います。

○大原教育長 都教育委員会はこれまで、学校危機管理マニュアルの策定や改訂にあわせまして、このマニュアルを参考に個別の課題を点検、分析し、児童生徒の安心・安全の確保に取り組むよう、区市町村教育委員会に働きかけてまいりました。
 今後、区市町村教育委員会に対して、夜間機械警備の学校での住民の避難対応等について、ご指摘の方法も含めまして、地域の実情に応じて適切な対応がとられるよう働きかけてまいります。

○伊藤(ゆ)委員 ぜひ、そうした積極的な働きかけをお願いしたいと思います。
 次に、オリンピック・パラリンピック招致についてお伺いをしたいと思います。
 二回目の招致挑戦に挑んでいる東京都でありますけれども、前回は残念ながら落選いたしました。私は前回の失敗の経験を思い出しながらいろいろ思いをめぐらせていますけれども、東京の計画が高く評価された中で、残念ながら招致のネックに、国内的にはなったのは、国内の支持率の低さだったというふうに思います。私は、必ずしも五〇%程度の支持率というものが落選の決定打になったとは思いませんけれども、しかし、多くの方々が情熱と歓喜で迎えるオリンピックにするような努力をするのが、我々の使命だというふうにも思います。
 そこで、私の同年代の仲間とよく話すんですけれども、やっぱり何で東京でオリンピックやらなくちゃいけないのかなという素朴な疑問を持っている仲間が大変多いわけです。夢と感動、スポーツの力で国を一つにすると申し上げましても、一九六四年のオリンピックを知らない世代にとりましては、なかなか伝わらない部分があります。
 しかし、東京という都市が、ほかのアジア諸都市の猛追を受けて、かつて誇っていた日本の市場価値というのが年々低下していることに対する若い世代の危機感というのは、私は少なくともこの数年高まってきているというふうに確信しています。
 私も最近、上海やあるいはホーチミンなど、活気にあふれたまちにできるだけ足を運ぶようにいたしていますけれども、ホーチミンにおいては、市民の平均年齢が二十八歳だそうです。東京は四十五歳とか六歳とかいうことでございまして、それはもう空港におり立ったそのときから、まちのにぎわい、活気というものを感じます。こういう若い市民が放つまちの活力というのは、さまざまなビジネスチャンスというものをおのずから感じさせられますし、今の東京にはないにぎわいというものもそこにはありました。
 こうした都市の鼻息を感じるごとに、東京の地位低下を感じずにはいられませんが、実はそうした都市間競争の激化に特に気づかされたのは、四年前の森稔会長との出会いからでございました。
 森さん、森会長は、大変残念ながら一昨日他界をされまして、そのことは痛恨のきわみでありますけれども、そのとき森会長がいわれていたのは、オリンピックに反対をするという余裕は今の東京にはないということでございまして、東京という都市を強くしていかない限り、日本の景気回復もないし、また圧倒的に東京という都市がおくれをとるということも、危機感を持ってお話しになられていたのが印象的でございます。
 何度かお会いした森氏の言葉の中に、私は、都市の磁力というキーワードがあって、とても感銘を受けました。都市の磁力、磁力のある都市とはどういうものなのかというふうにお伺いしたところ、帰りの飛行機の中で、もう一回行きたいと思うような都市がまさに磁力のある都市であると。その魅力というのは、必ずしもビジネスチャンスだけではなくて、芸術とか、文化とか、あるいはさまざまな人が集うそこの情報であるというものに魅力というものを感じさせられるし、それらが磁力としてオーラを放つんだということをいわれていました。
 翻って東京には、他の都市にない、あるいはそれ以上の、江戸から続く文化と伝統と、その両者が織りなす食文化や、あるいは江戸の風情というものが要所要所にございます。しかし、その魅力というのが国内外に十分に伝わっているとは、私はいえないんじゃないかなと思います。
 私自身もそうですが、ミシュランで三つ星をとる東京のレストランの多さに、実はだれよりも驚いているのは日本人でありまして、日本人自身が驚いている始末ですから、もっと東京の魅力に私たち自身が気づき、これを磨いていくべきではないかと思っています。
 そういう意味で、私たちは、オリンピック招致の提言書の中に大江戸ルネッサンスというキーワードを盛り込みまして、これを招致の横ぐしとさせていただきました。江戸の風情を思い描きながら、今高度に成熟した東京のよさと、一方で悪さを整理して、いま一度沈みかねた東京の磁力を高める試みを、このオリンピック招致で行っていくべきではないかと思います。
 例えば、東京のまち並みはロンドンと違って、やはり急激な開発によって形成されてきたために、多くの点で景観を損なってまいりました。以前、ベニスに行ったことがありますけれども、ベニスはまさに川に向かって玄関があり、また建物が建っていますが、残念ながら、東京の日本橋周辺の川べりを見ますと、背中を向けて建物が建っていて、エアコンのダクトなどがむき出しになっている姿というのは、本当に残念な日本の水辺だというふうに思います。
 さきの一九六四年のオリンピックのときに、これは時間がなかったということもあって、急激に開発が進み、その象徴として首都高が日本橋の美貌を奪いました。また、埋め立てられた小川などが今は歩道となって水辺がなくなりました。
 私は、文化的で調和のとれたまち並み形成こそ、急速に発展したアジア都市が目指す次なる目標であり、川のせせらぎを楽しむ都市開発には、都民も賛同するものというふうに思っています。江戸時代にあったあの毛利庭園というものを、六本木ヒルズは復活をさせたというのも、またこうした試みの一つではなかったかというふうに思います。
 そこで、東京は二〇二〇年のオリンピック・パラリンピック招致を目指しているわけですけれども、まさに我々の同年代の仲間にも、こういうふうに都市が変わるので一緒に盛り上げていこうよといえるような、まちのイメージ図、青写真というものをぜひ知事から示していただきたいと思いますが、知事の所見をお伺いしたいと思います。

○石原知事 これからの東京のまちづくりについて、非常にサジェスティブなお話を伺いましたが、しかし、これだけ集中、集積がこういう形で進み過ぎますと、オリンピックを主催する競技場の周辺の整備ぐらいできますが、東京全体を変えるというのはこれは至難なことですよ。
 議会棟にやってくる通路の横に二枚の写真があります。一つは、一八九五年ですか、イギリスの写真家が愛宕山の上から撮った日本の、当時の江戸の風景です。これは本当に見事なモノクロームの、屋敷も白い塀で、全部かわらで、それに比べて、この都庁の上から三百六十度撮った写真を見ますと、美しいまちとはとてもいえない。局所局所はいいところがありますけどね。
 ですから、私は知事になって、都市計画局なんてしゃれた名前はやめろと、先進国だから都市整備局に変えろと変えさせましたがね。整備のし尽くしようもないようなところもたくさんあります。
 例えば、震災に一番弱い木密地域もありますけれども、いずれにしろ、このかつて近世で世界一の大都市であった東京というのは、これは上水道まで備えた、人口も世界最大の大都市でありまして、成熟した文化というのが花咲いたわけですが、私たちはそれをにわかに取り戻すすべもありませんけれども、しかしやっぱり、これからもいろいろまちの改良が行われるでしょうけれども、そのときに、ただ物をつくるということだけじゃなしに、周辺との兼ね合いというものを考えた、そういうその感性というものを踏まえた都市の再開発が絶対に必要だと思いますね。
 この間も木密地域の問題がさんざん問題になりましたが、私も最近、また改めて何度かいいましたけれども、なかなかいいんです、あのまちね。あれ、モロッコのカスバと同じですよ。ただ、向こうは石づくり、こっちは木づくりだからすぐ燃えちゃってぶっ壊れるんだけどね。人情もいいんですが、しかし、これで済むものでもない。
 そういう点で、何の答えにもならないかもしれませんけれども、やっぱりその一部一部で、東京駅の前の行幸通りとか改良してもとの姿に戻していますし、ノスタルジーだけではまちは発展しませんが、やはりその地域地域に残っている伝統的な特性というものを生かしながら、場所によったら非常に機能化する必要もありますけれども、そういう多角的な視点でのこれからのまちづくりを、ぜひやってもらいたい。
 お役人が考えたのっぺりした、あの隅田川をめちゃくちゃにしてしまった川づくりなんていうのは、私はやっぱり一番その悪い例だと思いますので、ああいったものを反省の素材にして、東京をつくり直していってもらいたいと思っております。

○伊藤(ゆ)委員 ありがとうございます。
 私は今知事のお話を聞いて、本当にこれだけ成熟した都市が、何か一つのキーワードだけで解決する問題じゃないとは思います。ただ、オリンピックのすごさというのは、だれもがオリンピックにはやはり関心を最終的には持ちますし、どういうまち並みになるかという、一つの心をつくるというふうに思います。私は日本橋の船着き場を再生させるに当たって、あそこは三井だったと思いますけれども、事業者の方々が数十年の規模で再開発を進めてまいりましたが、映像をつくられました。これは見事な映像で、まち並み、あの周辺一帯をCGの形でどういうふうに変わっていくのかという映像をつくられて、特にあそこはもちろん高層階にはなっていますけれども、一階から三階分は全部軒先を合わせるというようなこともされていますし、まさに江戸情緒ということも、あそこの周辺の七福神などという歴史的な背景も生かして盛り込んでいたというのが印象的でした。
 やっぱりこれだけ都民が成熟した中で、一つのイメージを与えていくということは難しいとは思いますけれども、オリンピックにまさるCMの機会はないと思います。残念なのは、例えばお台場でいえば、細切りに、ここの街区を、じゃ買ってくださる方はどこでしょうかといって公募をかけますけれども、本当に何というか、横ぐしが刺さっていない、グランドデザインのないものになりやすいと思います。
 そういう意味では、このオリンピックを通じて、なかなか都庁の各部局ではできないことを、知事のサイドで横ぐしを刺すような、東京がこれから特に海外のお客さんを呼び込むためには、こういう少なくとも一階から三階ぐらいの目に見えるところは、まち並みというものにしていかなきゃいけないんだという理念とか、イメージ図というものを与えていただきますと、これからの多くの事業者にとっても非常に参考になると思います。
 私、意外と好きなのは、やっぱりこの間できた羽田空港の国際線ターミナルの、あの江戸情緒のあふれる軒先というのはやっぱり好きですし、これから商店街等も活性化していく中で、そういう軒先をイメージしたつくり込みというのも当然出てきてもいいんじゃないかと思います。このオリンピックを通じて、私が江戸情緒ということをすごくいいなと思って提案させていただいているのは、まさにそこにありますので、知事からもこうした提言というものをぜひ行っていただければと、こういうふうに思っております。
 あと二分という中途半端な時間になりましたが、もう一点は、これはちょっといいっ放しになるかもしれませんが、行革のことでございます。
 私は去年、東京都の全体のホームページの金額というのをちょっと調べさせていただきました。これは五年間で実に十六億円がホームページ代に使われていました。この十六億円というのが高いのか安いのかということですけれども、五年でですから大体毎年三億円ということですけれども、大体ほかの自治体と比べますと、やはり圧倒的に高いことがわかります。
 どれぐらい高いかと申しますと、五年で十六億円が東京都ですが、神奈川県でも、大体五年間で一億六千六百万円、愛知県では五年間で一億五千九百万円。今話題の大阪市では、何と東京よりも圧倒的に高くて五年間で二十五億二千六百万円と。これは余り参考になりません。で、あるいは大阪府は、回答もしてきませんでした。そういう一つ、体質をあらわしているのかどうかわかりませんけれども、ばか高いところはともかくとしても、東京都は情報量が多いとはいえ、これはやっぱりなぜこういうことになっているのか、私なりに分析しましたけれども、各局がそれぞればらばらに契約をしていまして、仕方ない面もありますけれども、やはりITの専門家みたいな方が一つ一つの契約に目を通しているかというと、必ずしもそうでない事例がたくさんありました。
 これはもう要望にしますけれども、総務局にぜひ頑張ってもらって、それぞれの局に対して働きかけをしてもらいたいと思っております。
 以上です。(拍手)

○大塚委員長 伊藤ゆう委員の発言は終わりました。

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