東京都議会予算特別委員会速記録第四号

○前島副委員長 白井威副委員長の発言を許します。
   〔前島副委員長退席、委員長着席〕

○白井(威)委員 昭和十二年の春でございます。当時の村民に、三文判を持って村役場へ来なさいと、関係地権者に通達が出されまして、村民は認めを持って村役場へ行った。そして印鑑を押した。それが、あの多摩サービス補助施設のスタートでございます。その判こを押しただけで、土地は国へ提供したということでございまして、その秋には、既に陸軍の火薬工場がそこで稼働を始めたわけでございます。当時の陸軍が使う総火薬量の七〇%をあそこでつくっていたわけでございます。
 そしてその後終戦になりまして、あそこが直ちに米軍に接収されました。そして、米軍はそこを弾薬庫として使用し、今拡幅をしていただいております川崎街道を走れば、その道路の縁に全部爆弾が野積みにされていたという状況を、ほとんどの戦後の市民は見ております。そして、それが今日の、さらになくなりまして、サービス補助施設ということになったのでございます。
 そういう関係から、私どもの市民は、この基地問題についてはひときわ深い関心を持っておるわけでございます。
 こうした中で、きょうは総括質疑の三日目でございます。その都度ご答弁にお立ちの知事さん、大変お疲れであろうと思いますが、こうした市民の声をかわって私申し上げさせていただきますので、ぜひご答弁にお立ちいただきたいとお願いさせていただきまして、本題に入ります。
 初めに、この基地問題についてお伺いしますが、石原知事は、知事にご就任されて以来、横田基地の返還、多摩サービス補助施設の返還を強く求められるなど、日本の基地について繰り返し述べておられます。十三年度の国に対する予算要望の中でも、特別三項目の中にこの基地返還要請を取り上げておりますことに大きな感銘を受けるとともに、大変心強く思っておるところでございますが、ここで改めて、戦後五十数年、いまだ全国に多くの米軍基地が散在していることに、知事はどのようなご所見をお持ちになっておられるのか、まずお伺いいたします。

○石原知事 私は、基本的に、さきの大戦に対する反省も込めて、攻撃的な戦力というものを持たない、紛争の解決に基本的には戦争というものを採用しないという、そういうけなげな国家の基本姿勢にのっとって、それで足りない部分を補強すべくという名分もございますけれども、実質的には、これは実は、アメリカの戦略展開のために日本の国土を基地として貸すという形で日米安保が結ばれました。その日本にとっての効用を私はすべて否定はいたしませんが、しかし、私たち、そろそろ、安保条約というものの実態といいましょうか、虚構といいましょうか、そういうものにもう少し目を凝らす必要があると思います。
 私が「『NO』と言える日本」のようなものを書きましたときにも、日本の著名な経済人が非常に心配しまして、いろいろ忠告をしてくれました。その人たちのひとしきいい分は、日本は何しろアメリカに守ってもらっているんだからということでありましたが、安保条約、あなた読んだことがあるんですかと聞きますと、実はない。どこに、アメリカが一たん緩急のときに日本を完全に守るという約束がありますか。ただ書かれているのは、その際、アメリカは適切な措置をとるという表現だけでありまして、この解釈は非常に幅広いと思います。
 ある意味で、米ソの対立の冷戦構造のとき以上に、中国はああいう軍事を背景にした拡張主義を唱え、沖縄もかつては中国の領土だったなどという要人まで出てくる今日、私は、非常に中国と日本との関係、米国の関係は、かつて以上に危険なものをはらんでいると思いますけれども、それでもなお、そういう状況の中で、私たち、余りにも数の多い、量の多い、日本における基地の問題というのを、ちょっとやっぱり見過ごしにしてきたんじゃないかという感じはいたします。
 特に横田は、まさに首都の中にある基地でありまして、しかも、そのユーティリティーは非常に低い。しかも、ただの兵たん基地でありまして、中継基地でありますから、あれが一番効用を発揮して使われたのはベトナム戦争のときで、あそこで中継されて運び込まれ、運び出されたものは、米軍の兵隊の死体でありました。
 そういう歴史もかんがみまして、沖縄の基地とはおのずと意味合いも違います。私とて沖縄の基地を是認するものではありませんが、ましてあの横にある、今委員がご指摘のいわゆる多摩ヒルなどというものは、これだけレクリエーションの時代、しかも、緑地が要するに枯渇している日本の東京の中で、あの膨大な緑地というものが全く日本人が立ち入ることができずに、ほとんど使われずに、あれに所有されている。
 先般、フランクフルトの飛行場が全面返還されました。附帯したスペースもドイツに完全に返りましたが、その経過を調べに、参与をしてもらっている京都産業大学の高瀬教授に、この方は、沖縄の返還交渉で佐藤さんの密使として働いた人ですけれども、彼にかわりに行ってもらいました。そのときに、ドイツの担当者が話を聞いて、何、日本には、首都東京の中にまだアメリカの基地があるのかといってびっくりしたそうでありますけれども、相対的にそういう認識というものを私たちは心得て、日本人自身のものとして持つべきときに来ているのではないかという気が強くいたします。

○白井(威)委員 かつて沖縄基地では、米兵による婦女暴行事件が発生いたしまして、大きな話題を呼び、日米地位協定の見直しにまで発展しましたが、依然として駐留軍と県民のトラブルは後を絶たず、つい先日も米兵による放火事件があり、地元の町議会あるいは沖縄の県議会は抗議決議をしたりしておりますが、肝心の国の方では、ほとんど論議らしい論議も行われず、日本に外国の基地があり、軍隊が駐留しているのは当たり前だとでも考えているように思えます。
 このように、国においては基地問題はもう風化してしまっているかのような現状を、知事はどのようにお受けとめになっておられるか伺います。

○石原知事 これは極めて遺憾な状況でありまして、私が議員時代に、横田の問題にかねて注目しておりましたが、とうとう党の中に党議としてこれを採択するよう持ち込みました。そのときに最初にいわれたのは、いわゆる防衛族から返ってきた言葉でありますが、石原は社会党より左じゃないかというばかげた非難であります。しかし、日本側にもワーキンググループができ、それにこたえてアメリカの方にもワーキンググループができまして、あるところまで物は進みました。
 しかし、依然としてこの首都横田にああいうスペースがあり、それがどういう目的にしか使われていず、そういう現況を知っている国会議員はほとんどおりませんで、与党にも野党にもおりませんでした。これは、ほとんど今変わっていないと思いますが、いずれにしろ、そういうものに対する正確な認識があれば、外務省も動き、政府も動いて、せめてある部分だけでも都民のために国民のために活用しようという動きが起こってしかるべきだと思いますけれども、残念ながら全く今日まで動きはございません。
 でありますから、私も東京都の当事者になりまして、都民のために使えるスペースは有効に使おう、国のために、あのあいている滑走路をもっと有効に使おうという動議を出しまして、国が余り動きませんから、私自身は、まだ報告の段階でございませんけれども、間接、直接、非常に親しい人たちが、今度幹部としてアメリカの国務省に入りました。これからもそういう根回しというものを続けていき、ある時点に来ましたら、議会にも諮って、正式に国に取り次ぎたいと思っております。

○白井(威)委員 世界には、現在二百数十の国が存在しているといわれておりますが、この世界の国々の中で、その国の首都に他国の軍隊が駐留をしているというようなところがほかにもおありでしょうか。もしわかったら、教えていただければ幸いと思います。

○安樂政策報道室長 一国の首都に他国の軍隊が駐留しているという、そういう例としては、韓国のソウルに米軍が駐留しているという例がありますが、横田飛行場ほどの広大な基地があるのは、世界に例がありません。
 ちなみに、ソウルにあるヨンサン基地でありますが、二百六十ヘクタール、一方、横田基地は七百十四ヘクタールであります。

○白井(威)委員 先ほどのご答弁をいただいた中で知事も触れておられましたが、私たちのこの東京は、世界都市、平和都市あるいはまた国際都市など、いろいろな呼び名で呼ばれておりますが、実は外国基地都市東京とも呼べるのであります。
 東京の周辺を見てみますと、神奈川県の厚木海軍基地、座間基地、横須賀基地、そして横田基地があるといった次第で、さらに多くの関連施設があります。しかも、沖縄のそれに匹敵する、あるいはそれ以上の外国駐留軍がいると思われます。まさに東京は、たくさんの基地に囲まれた外国基地東京なのであります。
 知事はこの実態をどのように受けとめておいでか、ご見解をお伺いします。

○石原知事 これは決して屈辱的とは申しませんが、しかし、余りにも過剰だと思います。
 先般も、あの例の多摩ヒルズ、ゴルフ場を含めて、地元の市長さんと自民党の都議会議員三人と視察いたしました。担当の指揮官が非常に心配そうについてきまして、最後に、あの一番頂上にありますクラブハウスの前の、非常にパースペクティブな、展望のすばらしい広場に立ちまして、改めてゴルフ場並びにその横にある、さらに膨大なすばらしい山林を眺めて、僕は思わず、大層なものじゃないかと吐き出すようにいいましたら、その語気に気づいたのか、司令官が、くっついてきました日本人の女性の通訳に、今何といった、何といったと聞いておりました。その女性が、ヒー・セッド・ファンタスティック。私はそんなことをいった覚えはない。これは強いて訳せばツーマッチということでありまして、まさに私はツーマッチだと思っております。

○白井(威)委員 今定例会の代表質問で、我が党の佐藤幹事長が、昨年発表されました航空政策基本方針について質問をいたしましたところ、知事は、米軍の管理下にある横田空域が首都圏の空域の大部分を占めていることを示し、この膨大な空域は、当然日本の管制官が管制すべきこと、横田基地空域は日本に全面返還すべきこと等を熱く強調されておりました。
 私も、かつて基地内を視察しましたが、その折、管制塔の最上段にある管制室に入り、直接見学する機会を持ったことがありました。たくさんの機器の前に、多数の米軍関係者が真剣なまなざしで、そこに映し出される成田、羽田の空を上下する航空機をにらんでおりました。日本の空の、そして東京の空の制空権はまだ完全に米軍に握られていることを初めて知り、一日も早い基地返還とともに、日本の空は日本が管理しなくてはならないとの思いを強く深めたところでありました。
 知事は、この横田基地の返還並びに横田空域の返還を今後どのように取り組まれようとしておいでなのか、そのことについてもお伺いをさせていただきたいと思います。

○石原知事 私が就任して、この横田の問題に付言しましたときに、外務省はすぐ反発いたしました。基地の返還あるいは共同使用に関するような政治案件はあくまで国家の問題であって、外交案件であって、都知事が関与すべきものでないというばかな発言をいたしました。
 しかし、直接被害をこうむり、また痛痒を感じているのは都民であり国民でありますから、もし外務省が国民の利益というものを背負って外国との交渉に当たるべき存在と自認しているなら、これはとっくにこの問題について取り組むべきだと思います。
 一つ、逆に皆さんに提案させていただきますけれども、現在の河野外務大臣は、私、非常に不満を持っておりますが、どうも北京とワシントンには腰が引けているとしか見ようがない。恐らく多摩ヒルズについても、これは無理だという発言は、現地を見たこともないくせにいった発言だと思います。
 どうか一回改めて、とにかく議会から、河野外務大臣に現場を見てもらいたいと、飛行場とあの多摩ヒルズに入って、自分の目で見届けてもらいたい。いつまでやっているか知りませんが、現職の外務大臣として、そういう問題意識をきちっと持ち直してもらいたいという、そういう要求をぜひしていただきたい。

○白井(威)委員 続きまして、懸案の多摩サービス補助施設についてお伺いをさせていただきます。
 二十年来の市民の要望の強かった都道川崎街道の拡幅工事が急ピッチで進み、十三年度中には、市立稲城病院と多摩市の桜ケ丘ゴルフ場間が完成し、供用が開始される見通しになりました。これで稲城、多摩市内の川崎街道の全線拡幅工事が終わります。関係各位の方々の一方ならぬご努力に心から感謝を申し上げる次第であります。
 この川崎街道の拡幅問題は、私が都議会登壇に際して、私に課された地域最大の課題でありました。米軍管理のこの多摩サービス補助施設のすそを少し削って道を広げてほしい、この渋滞解消に協力してほしい、施設の機能には何の支障も生じないのだからと、何回同じ質問を繰り返したかわかりません。答えはいつも同じで、国の動向を見きわめてとの回答でございました。
 しかし、平成九年度の予算特別委員会で、周りの方々が少しはらはらするぐらい重点的に質問をさせていただき、都も積極的に国へ要望を続けるとの回答をいただきました。その一年後に拡幅用用地の返還に関する合意がありました。
 このことで、私は、東京都の取り組みいかんがいかに大事かということを痛切に感じました。多摩サービス補助施設の返還を、国への重点要望として、特に強く本年要望していただいたことに大変感謝を申し上げ、意を強くしているところでありますが、国からはどのような回答があったのでしょうか、お尋ねをいたします。

○安樂政策報道室長 先ほど知事からもご答弁申し上げましたが、この多摩サービス補助施設は、米軍関係者のレクリエーション施設という性格のものであります。直ちに返還されるべきものと考えております。国に対する東京都の提案要求におきましても、最重点事項として要望してまいりましたが、国からいまだ確たる回答がございません。

○白井(威)委員 いみじくも、さきのご答弁の中で、知事が、河野外相の見解、お話をいただきましたが、昨年の五月十三日付の読売新聞朝刊に、米軍保養施設共同使用問題米側に提案可能、河野外相返還には否定的見解、こんな見出しの記事が出ておりました。この内容を読ませていただければいいのでございますが、このことについては、時間が大変切迫してしまいますので、省略をさせていただきたいと思いますが、ここで、知事がおっしゃった河野外相の考え方がはっきりと打ち出されておるということでございます。
 さて、続きまして、稲城市は、本年に入り、多摩サービス補助施設内に仮称稲城市健康プラザ建設用地及び駐車場用地の借用について(要望)という書面を関係方面に送らせていただいております。
 その文面を読ませていただきますと--前文の方を略します。
 本市は、従来より、南多摩地区の首長、議長により構成される南多摩ニュータウン協議会や東京都市長会の支援をいただき、また東京都とも同一歩調のもとに、多摩サービス補助施設の速やかな返還と、それに至る当面の対策としての共同利用の促進について要望運動を続けてまいりました。
 本市の二十一世紀とともにスタートする第三次長期総合計画におきましては、当該地周辺を文化と健康の森構想のもとに整備し、中央図書館と市民の健康拠点としての仮称健康プラザを建設することとしております。特に、健康プラザについては、近接の多摩川衛生組合清掃工場、クリーンセンター多摩川の余熱を利用し、温水プールを含む福祉・健康機能を備えた施設として予定しており、長期総合計画の最優先事業として、その整備を促進しております。また、エネルギーである余熱を送る管工事につきましては、清掃工場から市立病院までの一・二キロメートル間を国土交通省のリーディングプロジェクトとして認定をいただき、今秋には完成する予定となっております。
 健康プラザの立地につきましては、施設の性格上、市立病院に隣接し、病院機能と有機的な連携が可能な地が望ましいと考えております。つきましては、近隣に適当な用地を確保することが困難なことから、多摩サービス補助施設内の市立病院に近い一角に建設用地及び駐車場用地を借用いたしたく、お願いする次第であります。
 どうか、従来からの返還運動の経緯や、米軍横田基地関係者と本市行政及び市民との交流の歴史、本市のまちづくりにおける健康プラザ計画の重要性等を総合的にしんしゃくの上、用地の借用について特段のお力添えをいただきますよう要望いたします。
 このような要望を出させていただいております。このことは、常々知事が各方面にお示ししていただいております全面返還とは内容を異にするものでございますが、市が置かれている立場は極めて緊急性を要し、待てない状況にあります。
 このあたりの事情を何とぞご賢察賜り、知事のご助力を強く望んでおるところでございます。知事のご所見を賜りたいと思います。

○石原知事 いずれにしろ、あそこに、軍事目的とはおよそかかわりのない娯楽施設が、ほとんどアメリカに占有されているわけでありまして、米軍の空軍用のゴルフ場はさておくにいたしましても、こちら側のあの深山幽谷ともいえる広大な緑地というものは、もっともっと、市民のために多目的で開放されるべきものだと私も思います。
 これを一部使用ということではなしに、米軍もあそこを何らかの形で家族が使っていたと思いますから、一たん全面開放された後、その使用については、アメリカ人も一緒に使ったらよろしいと私は思います。これは、とにかく一部使わせてくれ、貸してくれというものではありませんで、もともと日本人の土地、日本の土地であったものを、ああいういきさつで占領されて、日米安保とおよそ直接かかわりのない形で、副次的にアメリカが占有しているわけでありますから、これは論外。この東京にほかにああいうスペースがたくさんあるなら別でありますけれども、とにかく貴重な、本当に希有なる存在でありますので、これは全面返還を望む。
 そして基地は、終局の目的は全面返還でありますけれども、過程として共同使用ということになるかもしれませんが、いずれにしろ、先般も立体的な模型でお示しいたしましたが、あの膨大な、広大な専管空域というものは、日本人が管制するということが絶対に必要だと思います。それに付随して、あの多摩ヒルズは、もともと公用性の少ないものでありまして、ほとんど使われておりませんから、当然速やかに返還されるべきものだ。
 私は就任してすぐ動こうと思っておりましたけれども、アメリカの選挙もありまして、予断を許さずにおりましたが、幸い知己の多い共和党政権になりました。この議会が終わってから早速始動したいと思っております。
 その間、事前に、直接、間接、いろいろ話し合いをしておりますが、その内容については、ちょっとこの場では差し控えさせていただきます。

○白井(威)委員 基地問題に対しましては、大変知事のすばらしいご高見を承らせていただきまして、心から力強く感じておるところでございます。特に、私どもの、所在する多摩補助サービス施設の問題については、さらなるご尽力を心からお願いさせていただきまして、この項を終わらせていただきます。
 さて、続きまして、多摩ニュータウンの事業についてお伺いをいたします。
 昨年七月に、多摩ニュータウン事業の再構築が都から発表されました。これについてはいろいろな見方がありますが、私自身といたしましては、再構築の背景にある時代の推移あるいは状況の推移に対する認識から、多摩ニュータウン事業は開発から地域経営の時代を迎えているということについては、一定の理解を示します。
 多摩ニュータウンは、事業開始以来、三十有余年を経て、初期入居地区にあっては、居住者の高齢化や施設の老朽化、それに伴う地区全体の活力低下が大きな課題となっておりますが、その一方で、別の地区には広大な未利用地が広がっております。また、稲城地域内の若葉台などでは建設真っ盛りで、どんどん新たな入居者が入ってきております。
 このように、多摩ニュータウン事業はさまざまな側面を見せ始め、抱える課題の解決も一筋縄ではいかなくなっております。このような状況を見れば、多摩ニュータウン事業建設の基本法であります新住宅市街地開発法中心のまちづくりに限界が来ていることは、明らかであります。
 しかしながら、これまで、多摩ニュータウン事業を土地収用法も適用可能な事業として進めてきたにもかかわらず、また、これからやらなければならない仕事がまだまだ残されているというのに、都が財政上の理由でこの事業から撤退するということが万一にでもあれば、無責任のそしりは免れません。
 多くの先人が三十有余年にわたってこれまで営々と築き上げてきた多摩ニュータウンは、もはや単なるベッドタウンではありません。緑あふれる環境や整った都市基盤を有し、二十万人の居住者を既に擁する東京圏西部の中心に位置する立地のよさなどを愛して、さまざまな分野の人が住み、活動しています。
 たくさんの大学があり、若者が集まり、NPO活動等も極めて盛んであります。多摩ニュータウンの問題解決には、こうしたすぐれた面を正しく評価し、地元市や住民との連携により、東京圏西部の拠点としてのまちづくりを戦略的に進めていく必要があります。
 こうした問題意識から、多摩ニュータウンのまちづくりについて何点かお伺いします。
 まず初めに、多摩ニュータウン開発の現状について、都はどう認識しておられるのかを伺っておきます。

○田原多摩都市整備本部長 多摩ニュータウン事業は、主として都と都市基盤整備公団が連携をとりながら進めてまいりました。現在では、鉄道、道路、公園、下水道など、水準の高い都市基盤が整備をされるとともに、緑豊かな都市空間が形成されてきたと考えております。
 昨年七月に発表いたしました多摩ニュータウン事業の再構築におきまして、建設を中心とするまちづくりから、地元市が主体となった地域経営によるまちづくりへという今後の基本的な方向をお示ししたところでございます。

○白井(威)委員 多摩ニュータウンで残っているのは、公団施行の造成事業だけではなく、例えば、基幹施設では尾根幹線やニュータウン二号街路の一部が未整備であり、ニュータウン周辺地域では、坂浜平尾地区や川北下地区の事業がいまだ未整備のまま残っています。
 そこで、未整備である事業のうち、まず坂浜平尾土地区画整理事業についてお伺いします。
 坂浜平尾土地区画整理事業は、平成九年八月に都市計画決定してから既に三年を過ぎましたが、いまだ事業が始まっていない状況であります。この事業遅延の理由は何なのでしょうか、お伺いいたします。

○田原多摩都市整備本部長 坂浜平尾土地区画整理事業につきましては、今お話をいただきましたように、平成九年八月に都市計画決定いたしました。その後、事業目的の一つでありました公的住宅建設の見込みがなくなったこと、また、地価の下落傾向が続きまして事業採算性が懸念されることなど、事業を取り巻く環境が極めて厳しいことから、着手を見合わせているところでございます。

○白井(威)委員 この坂浜平尾地区では、事業が進まないことにより、さまざまな問題が生じています。
 例えば、市街化調整区域から市街化区域への編入により、地権者の税負担が増加したり、建築行為等によるスプロール化の進行、特に、この地域内に京王多摩線の新駅予定地がありますが、そこに一般住宅が建ってしまったなどの問題が生じており、中でも、市街化区域への編入に伴う宅地化農地の税負担の増加が大きな問題となっております。
 既に宅地化農地は、平成十年から平成十三年までの猶予税額を減免する措置がとられることとなり、一定の対応はできたと考えますが、平成十四年以降はどうなるのか、見通しは全く不明なままであります。事業の見通しが不明の状態を続けることは、当地区の住民にとっては、蛇の生殺し状態ではないでしょうか。
 市の意向を踏まえつつ、坂浜平尾土地区画整理事業の見直しを精力的に進め、早期に事業化すべきと考えますが、見解を伺います。

○田原多摩都市整備本部長 社会経済情勢や都財政の厳しい状況を踏まえますと、この事業を、従来の計画のままで進めることは困難であると考えております。このため、当地区の整備のあり方や事業の内容につきまして、都と地元稲城市との間で協議の場を設けまして、計画の見直しを進めているところでございます。
 引き続き、地権者の方々とも意見交換を行いながら、平成十三年度中に見直しの方向を出す予定でございます。

○白井(威)委員 坂浜平尾土地区画整理事業につきましては、平成十三年度中には見直しの案を出すとはっきりと申していただきまして、大変このことについては心強く思っております。
 次に、多摩ニュータウンの、これは稲城だけではございません、多摩から町田、八王子へと続く、このすべてのニュータウンの入り口でもあり、南多摩尾根幹線の整備に当たっても枢要な地区である川北下地区について伺います。
 この地区につきましては、白抜き地区ということで整備をすることになっておりましたが、事業手法を、土地区画整理事業から、尾根幹線とそれに合わせた下水道など個別整備事業に転換し、整備を進めることにしたということでございまして、このことについては地元も一応の了解をしたところでございますが、それにもかかわらず、いまだいつ事業が着手されるか全く明確にされていないのは、極めて残念であります。このままでは、地元住民の生活設計が立たない深刻な状況でございます。
 川北下地区の整備について、なぜ事業着手がおくれているのか、これからどう進めていくのかをお伺いしたいと思いますが、特にこの川北下地区について、いま少し詳しく申し上げさせていただきます。
 この川北下地区というのは、まさにニュータウンの第一住区、稲城の向陽台の入り口でございます。そして、ここの整備については、ニュータウン事業が始まる時点から、どのようにこの入り口をつくっていくかということで、大変、三十年来も論議が行われ、十数年前から、最終的には区画整理事業によってここを整備し、そして、そこからこの道路の用地を生み出すということに決定をしていたのでございますが、一向にその区画整理が前へ出ていかないということでいたのでございます。
 ごく最近になって、今度はこの区画整理事業を全部なくしてしまって、この入り口の道路--尾根幹線の入り口でございますが、これを今度は都の単独買収事業によって行うということに決まったのでございますが、今もってその道路の事業決定もされていないという状況でございまして、本当に東京都は、これは多摩整備本部ではなく東京都全体が、ニュータウンの入り口をつくるのか、つくる気持ちがあられるのかということになるわけでございまして、この道路線の事業決定がなぜできないのか、そして今後どうしていくのか、あわせてお聞かせをいただきたいと思います。

○田原多摩都市整備本部長 川北下地区につきましては、今先生から詳しい経緯をご紹介いただきましたが、土地区画整理事業にかえまして、南多摩尾根幹線の整備と、これに必要な関連事業に転換するということにいたしまして、昨年十月、地元の方々の了解をいただいたところでありますが、ご指摘のとおり、事業の着手には現在至っておりませんで、当地区の尾根幹線につきましては、これまで測量、それから地質調査等々行ってまいりましたが、これらの結果を今後もとにいたしまして、事業実施に向けた取り組みを進め、都財政の状況を見きわめながら、できるだけ早く事業認可を得たいと考えております。
 また、この地区において下水道の整備を行っておりますが、これは平成十三年度に実施をする予定にしております。

○白井(威)委員 事業決定がされない理由についてお答えをいただけませんので、私がかわって答えさせていただきますと(笑声)このことについては、答弁折衝させていただいている中で、東京都にお金がないからできないんだということでございます。お金がないということは、財務さんの方で出そうとされないのではないか、そのようなことをはっきり申していただければすぐ納得できるんですが、どうもそのようなことのようでございます。一日も早いこの地域の事業決定、そして事業を進展させていただきたいと思います。
 さらに、多摩ニュータウン事業を仕上げるためには、まだ未整備である多摩ニュータウンの基幹施設や、ニュータウン周辺地域の事業遂行に全力を尽くすべきことはいうまでもありませんが、同時に、都は、再構築の趣旨にもあるように、地元市中心のまちづくりについても、その仕組みづくりを積極的に進める必要があります。
 これらの点も踏まえ、今後、都は多摩ニュータウン全体のまちづくりをどのように進めていくのかを伺います。

○田原多摩都市整備本部長 これからの多摩ニュータウンでは、東京圏におきます核都市の一つとして、大学や先端産業等との連携を強化するとともに、恵まれた環境がございます、これを生かして、にぎわいのある地域づくりを進めていくことが重要であります。
 このため、都としては、ハイテク産業や情報産業等を積極的に誘致してまいりたいと思っております。また、昨年十二月に、地元の四市、それから都市基盤整備公団とともに、多摩ニュータウンまちづくり検討会というのを立ち上げました。これを将来発展させていくつもりでございますけれども、こういう場を活用しながら、魅力のあるまちづくりを促進するとともに、地元市や住民が主体となる地域活動などの取り組みを支援いたしまして、人、物、情報が交流する複合拠点として整備をしてまいります。

○白井(威)委員 この問題の最後にお伺いします。
 今までこのように見てきますと、多摩ニュータウン事業については、まだまだたくさんの仕事が残されております。しかも、かなり難しい仕事であります。組織は、仕事があって初めてつくられるものです。ということは、仕事があるのに組織をなくしてはいけないということになります。一級廨相当の仕事があるのに多摩都市整備本部を解体するというのは、どうにも理解に苦しむものでございます。どうして多摩都市整備本部を解体しなければならないのか、大変物わかりがうまくいかない私でございますが、私にもわかるようにぜひ説明をしていただきたいと思います。

○大関総務局長 ぜひご理解賜りたいと思いますが、ご案内のように、多摩ニュータウンは、鉄道や幹線道路などの高水準の都市基盤が整備され、約二十万人の居住人口を有する都市として発展してきておるわけでございます。
 一方、都施行の新住宅市街地開発事業や相原・小山土地区画整理事業など都が進める建設事業は、おおむね収束段階を迎えているわけでございます。
 今後は、これまでの都を初めとする開発者が主体となった建設の時代から、地方分権の進展の中で、地元市を軸に地域経営を進めていく時代へと変わりつつあるわけでございます。
 このような状況を踏まえ、全庁的な組織の見直しを進める中で、多摩都市整備本部を平成十四年度に廃止することといたしました。なお、廃止後も、残された課題につきまして広域的自治体としての役割を適切に果たしていけるよう、必要な体制を整備してまいります。

○白井(威)委員 それでは、次に入らせていただきます。
 市町村合併に関しまして、何点かお伺いをいたします。
 明治維新以来、第三の改革ともいうべき地方分権改革が、現在大きく進展しようとしております。この地方分権改革は、住民に身近な行政は地方自治体が自主的、主体的にみずからの判断と責任で行うこととする、新たな行政システムヘの転換を目指したものでございます。平成十二年四月の地方分権一括法の成立によって、その第一歩を記しました。
 こうした中で、分権の主たる担い手としての基礎的自治体である市町村のあり方、市町村合併が大きな課題となっています。私は、平成の大合併をぜひとも推進する必要があると考えておる一人でございます。
 と申し上げますことは、私どものような財政の非常に貧困な町、人口の小さな町、到底単独では、これからの事業、行政を進めていくのは難しい。であることから、ぜひともこの合併をお願いしたいというような立場から、このようなことを申すわけでございますが、まず、今日、市町村合併をめぐる論議が大きく高まってきた背景はどのようなものがあるのか、見解を伺います。

○大関総務局長 地方分権が進展する中、少子高齢化の進展、住民の行動圏の拡大、住民ニーズの変化など、市町村を取り巻く社会経済状況は大きく変化しております。
 このような状況の中で、市町村においては、新たな行政需要や広域的な行政需要に的確に対応するために、行財政運営の効率化を図りながら、みずからの行財政基盤を強化することが強く求められてきております。
 市町村合併は、これらの課題に対応するための方策として大きな効果を持つところから、合併の必要性についての議論が高まってきたものと認識しております。

○白井(威)委員 国は、昨年十二月に行政改革大綱を閣議決定しましたが、その中では、現在三千二百余ある市町村について、市町村合併後の自治体数を千を目標とするという与党協議の方針を踏まえ、市町村合併をより一層強力に推進するとしています。
 また、東京都は、市町村が自主的、主体的に合併について考え取り組む指針として、一月に市町村合併に関する検討指針を出したところであります。
 そこで伺いますが、都内の多摩の市町村数と人口の推移について、昭和の大合併以降の昭和四十年ごろと現在を比較しながらお示しをいただきたいと思います。
 そして、最後に、この検討指針をつくっておしまいであっては困るわけでございまして、そのためには、広域的自治体として、これからの都の取り組みは何より大切であります。
 そこで、今後、都は合併検討指針をどのように活用していくのか、また、市町村合併に対してどのように取り組んでいかれるのかを、知事にお伺いさせていただきたいと思います。

○大関総務局長 最初の質問について答えさせていただきます。
 多摩地域の市町村数は、昭和の大合併後の昭和四十年には、十四市十六町二村の計三十二市町村であり、人口は約百八十万人でございました。一方、現在では、二十六市三町一村の計三十市町村であり、人口は約三百九十万人となってございます。
 この間、多摩地域の人口は二倍以上に増加いたしましたが、町が市に変わったのが大半でございまして、市町村の数はほとんど変わっていない状況となってございます。

○石原知事 合併の検討指針なるものをつくりましたが、これであとはせいぜい一生懸命やってくださいということでは済みませんので、やっぱり専門家などに依頼しまして、地域地域の合併に関する試案のようなものをつくりませんと、なかなか積極的な論議が起こってこないと思いますので、そういう試みなどもこれから考えていきたいと思っております。

○白井(威)委員 ありがとうございました。(拍手)

○田村委員長 白井威副委員長の発言は終わりました。
 この際、議事の都合によりおおむね十五分間休憩いたします。
   午後三時十一分休憩

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