東京都議会予算特別委員会速記録第三号

○田村委員長 奥山則男委員の発言を許します。
〔委員長退席、白井(威)副委員長着席〕

○奥山委員 私は、都議会議員として八期三十一年近くにわたり、都政の発展のため、美濃部知事、鈴木知事、青島知事、そして現在の石原知事と、幅広いおつき合いをしてまいりました。四知事とのつき合いの中身については、後ほど触れる場面があるかもしれませんが、都政を運営する上におきまして一番大事な財政問題について、こんなひどい状態になった都財政を立て直してくれるのは石原知事以外にはない、私はそう思っているんです。そういう意味におきまして、一番最初に、都政の最重要課題として、財政問題について伺いたいと存じます。
 この四半世紀には、激しい財政の浮き沈みがありました。知事は、その現在までの浮沈の原因をどう認識しておられるのかからまず伺ってまいりたいと思います。

○石原知事 私は、今までの日本の国家社会の体質は、明治以来、実質的には官僚による一種の統制国家、ある意味で一番成功した社会主義国家じゃないかと思います。それが歴史的に終えんを来して、特にバブルという、ああいう未曾有の体験をして、国全体が浮かれたといいましょうか、そういうある意味で非常に危険な繁栄というものを本質的に理解することができずに、突然破綻を来した。そしてまた、それに対する対処として、総量規制という非常に乱暴な措置しかとることができなかった。
 そういったものが一挙に都にも及んで、都も国も財政破綻を来したわけでありますけれども、その後のかじ取りも、余り積極的であったとは申せませんし、いずれにしろ、東京もあの時期に、長期の展望というのを欠いたといえば欠いたかもしれませんが、しかし、これはやっぱり、国の動向というものにつられて過剰な設備投資をした、それが全く採算が合わなくなったということで、これは決して都ひとりの責任ではなしに、国全体、国民全体が自覚しなくちゃいけない、直接、間接の責任の所在だと思います。

○奥山委員 財政問題の中で忘れてならないのは、石油ショックという事件がありました。石油ショック後の危機は、鈴木知事のもとで見事再建されたといわれておりますが、しかし、その当時の税収が伸びていたということも事実でありまして、これは忘れてはなりません。
 鈴木知事の一期目の昭和五十四年から五十七年までの四年間で見ますと、約七千億円も都税収入が伸びていたのであります。しかし、直近の四年間で見た場合、逆に一千億円余りも減収となっています。
 石原知事は、十二、十三年度の都税の増収を一時的といわれました。アメリカ経済も減速し、国内の株価も下がりっ放しでありまして、個人消費も伸び悩んでおります。
 私は、日本経済の構造が変わっていることから、これからは税の大きな伸びは期待できない、期待してはならない、こう思っているわけであります。とすれば、財政の中身をむだのないものとし、かつ弾力性を持つものにしなければなりません。
 財政の弾力性をあらわす指標として経常収支比率がありますが、十一年度決算では一〇四であるといわれています。都財政の経常収支比率が一〇〇を超えるということはどういうことなのか、教えてください。

○木内財務局長 お話のように、十一年度決算で一〇四でございまして、五十三年度のときに一〇六・一でございましたので、それに比肩するような数値になってございます。
 経常収支比率は、財政の弾力性を示す指標でございまして、一〇〇%を超えるということは、都税収入などの経常的な収入では、人件費あるいは公債費といった経常的な経費を賄えない状態をあらわしているわけでございます。
 このことを家計で置きかえますれば、月々の収入だけでは毎月の生活費が賄えず、預金を取り崩している状況にあるといえるかと思います。
 こうした状況下では、財政は極めて硬直化し、新たな都民ニーズへの対応は困難であるというふうに思います。

○奥山委員 そうなると、経常収支比率を改善するには、どのように取り組んでいくかということをお聞かせいただきたい。

○木内財務局長 この比率の改善のためには、当然のことながら、分母でございます経常的な収入をふやすこと、そしてさらに、分子であるところの経常的な支出を抑えていくこと、その二つながらが必要であるというふうに思います。
 分母につきましては、税財政制度の改善を図り、税源の移譲などを図っていくことが不可欠でございます。
 また、分子につきましては、経常的経費について、今後も引き続き、財政再建推進プランに基づきまして、内部努力を初めとし、施策の徹底した見直し、再構築を行い、分母、分子がそれぞれ相まって比率の改善をし、新たな施策を展開し得る強固で弾力的な財政体質を確保していかなければならないというふうに考えております。

○奥山委員 その具体的なことについて、財務局長からさらにお答え願います。

○木内財務局長 現在、全庁を挙げまして、プランに基づきまして、経常経費、投資的経費を問わず、すべての施策について、事業効果の評価に留意しつつ、時代変化への適合性であるとか、あるいは民間や国、区市町村との役割分担の明確化などの視点から、事業の存廃も含めた抜本的な見直しを行うことについて取り組んでいるところでございます。
 こうした施策の見直しによりまして、この十二、十三の二カ年間で千五百九十九億円の財源を確保することができました。

○奥山委員 同じような意味で、定数、組織等について、行政評価を担当している総務局長のお考えをお願いします。

○大関総務局長 組織や定数につきましては、これまでも、簡素で効率的な執行体制の整備に努めてまいりましたけれども、このたびの長引く厳しい財政状況のもと、さらに徹底した見直しを進めているところでございます。
 まず、組織につきましては、さきに発表した都庁改革アクションプランで、平成十五年度までの計画を示し、これに基づき、着実に見直しを進めております。
 また、定数につきましては、財政再建推進プランで示しました、四年間で五千人程度の削減目標の達成に向けまして、平成十三年度までの二年間で三千四百十七人の削減を行うこととしております。
 また、来年度から行政評価制度を本格実施することによりまして、施策や事業を達成度、必要性などの観点から分析、検証し、その結果を施策、事業、執行体制に反映するなどいたしまして、不断の見直しに努めてまいります。

○奥山委員 財政が不安定であるということは、財務当局だけの問題ではありません。どうぞ、その意味において、都庁を挙げて、あらゆる部局で財政の安定に取り組まなければならないと思っております。
 私の仮設的ないい方をすれば、リーダーシップの弱い知事のときには、財政再建はなかなかできない。財政再建をやってくれるのは、リーダーシップの強い知事のもとだというような歴史のめぐり合わせも感じているわけであります。美濃部さんといい、青島さんといい、ともに最後の言葉は、このような惨たんたる姿で幕を引こうとは思わなかったという言葉が、私の記憶に残っております。
 鈴木知事は、私は、減量経営ということを中心として、彼の行政能力をフルに活用しながら、まあまあ切り抜けてきたと思うんですが、これは結局、結論からいえば、行政のスリム化を目指した量の改革であったと思います。しょせん、高度成長のツケを解消しただけというものでございましたが、他面、安定成長による税収増の恩恵があったことも、鈴木さんの場合には否めません。
 これに対して、未曾有の危機的な現下の財政状況におきましては、すべての施策を聖域なく見直し、施策の再構築を図るとおっしゃっておられますが、財政の構造改革を進める中で、財政再建を達成するという、単なるスリム化を超えた質の改革というものを目指すべきではないかと思っております。どうぞひとつ、全国自治体の指標となるような、都が質の改革を先鞭をつけて頑張っていくというふうにしてもらいたいし、またそれが求められていると思います。
 石原知事、あなたには、その歴史的な責務として、必ずや真の財政再建をなし遂げ、この新しい世紀に安定した都政を都民へ提供してほしいと、私は心から願っているものであります。
 二十世紀から二十一世紀へと四半世紀余りにわたって都政に携わってきた者として、限りなき今後の都政の発展を願うとともに、石原知事の誕生を心から願った者の一人として、知事の大胆な挑戦を期待しております。財政立て直しの決意をひとつ述べていただきたいなと、こう思います。

○石原知事 おっしゃるとおり、財政再建の目指すものは、単に歳出削減によって行政を量的にもスリム化するということだけではなくて、いざというときにはソフトランディングができて、周囲に余り迷惑をかけないで済むという、そういう財政の構造を改革してつくるということだと思います。それで初めて、都民のニーズにも的確に対応できる、強固で弾力的な財政体質が確立できると思っております。
 特に、そのために必要なのは、私、就任してしみじみ悟りましたが、やっぱり、都政を運営する官僚諸君に決定的に欠けているものがあります。それはまず、金利に対する感覚がほとんどない。それから、保障、保険というものに対する認識というのが非常に希薄でありまして、つまり、扱っている金が、企業が扱っている金と違って、労せずして--それは、主税局は大変苦労して徴税しておりますけれども、ほかの局が扱っているお金が、つまり、市井の、民間人が扱っている金銭とかなり違った感覚で使われているということは、私は都民にとって非常に不幸だと思います。そういったものの意識の改革というものが伴わなければ、健全な財政再建というのはできないと思っております。
 こうした構造改革を着実に進める中で、首都東京の再生に向けた施策も展開できると思いますし、それで初めて、東京の、そしてまた首都としての、日本の未来を切り開いていく責任も負えると思っております。
 依然として都の財政は厳しい状況にございますが、今後も、決して手を休めることなく、財政構造の改革に都庁全員、全力を挙げて取り組んでいきたいと思っております。

○奥山委員 大変厳しい、また決意を伺いました。東京から世界へ発信するという知事の基本的な理想というものが、都の役人諸君の心まで変えていきながら再構築をするんだというお気持ちを強く受けとめたところでございます。
 そういう意味で、この東京は首都であるという原則に立ちまして、東京を世界に発信するためには、首都東京の顔づくりということが問題になるのではないかと思っております。
 時あたかも、けさの日経でございましょうか、石原さんと同じぐらいにずけずけ何でもいう扇千景という大臣さんが、東京都心における首都高速道路のあり方検討委員会というのをこの四月からつくるんだ、そういう中で、首都高速道路も全部地下にしようというような思惑を持って東京を変えていくといっているわけでありますが、この問題は、昨年、総理官邸で開催された都市再生推進懇談会の場で石原知事が提案されたことによって問題になっているというような感じがするわけでありますが、最近の東京の都市再生に対する国の動きをどのように知事としては受けとめておられるのか、お伺いしたいと思います。

○石原知事 扇大臣があの発言をされる直前に電話がかかってきまして、こういうことでいきたいというから、それは大変結構ですなあと答えをいたしました。
 扇さんを含めて、現在の政府も、ようやく、日本という国家社会の中での、特に首都圏東京の意味合いというのが、社会工学的にも文明論的にも少しずつ認識されてきたのかなという気がいたしますが、東京の再生というのは、ひとり東京のものだけではなくて、国家全体の命運を左右する問題でございます。他の先進国の首都に比べて、かなり東京は基盤整備というものがおくれておりまして、特に自動車による渋滞というのは致命的なことにもなりかねませんが、遅まきながら、そういう認識を政府が持ってくれるならば、そういう認識を東京都もこれからさらに助長しまして、国家のためにも、この東京の再生を果たしていきたいと思っております。
 先般の、東京から、ラフですけれども、具体案を示しました五カ年で十兆円の計画も、どういう形でその基金をつくるのか、つまびらかにまだいたしておりませんが、基本的には、関係省庁も了承したということでありますから、刮目して期待しておりますが、いずれにしろ、首都移転などというばかなことを国会はまだ宙ぶらりんに掲げておりますが、こういうものは、相対的に東京を再生することで消滅させていかなくてはならないとも思っております。

○奥山委員 ぜひ石原知事の国政との提携によるところの理想が実現するように望んでいるわけであります。
 先ほど清原委員からも、汐留を中心とした東京の再生というような問題がありました。東京駅を中心とした行幸道路というようなものがありますけれども、今、いわゆる高層ビルに建てかえられようとしていることも、東京のよきところを残しながら直していくというようなことが大事だと思いますし、東京周辺の都市公園といいましょうか、大名屋敷みたいな跡の公園なども、文化財として残していく。同時にまた、都民の皆さんに十分活用していただくというようなシステムを、都としてはどこでどういうふうに考えているのか、こんなことを聞きたいと思います。

○山下都市計画局長 ただいま、東京駅の周辺につきましてのご質問でございましたが、その周辺には、歴史的建造物の保存を図るために、公共と民間の共通の方針といたしまして、大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドラインというものを策定いたしております。これに基づきまして、その保存に取り組んでおります。
 例えば、重要文化財の明治生命館や、登録文化財の日本工業倶楽部会館の保存に際しましては、特定街区制度などを活用いたしまして、これらの歴史的建造物の保全を行うことを条件に、一体的に建築する建物の容積率を緩和するといった手法、こういうようなことを用いまして、都市計画的な支援などを行っているところでございます。

○奥山委員 江戸東京の昔から、東京はやはり日本の首都でありました。東京を知ることによって日本を知ってもらうということもいえると思います。国際都市東京を、ぜひひとつ都庁全力を挙げて守り育てていく、そして、都民に親しまれる東京にしていっていただきたいなということを要望しておきます。
 次いで、知事は、心の東京革命というようなことをいわれまして、まことに精神的にリーダーシップをとっておられるわけでありますが、教育改革についても、重大テーマとして位置づけておられます。
 ことしも、ちょうど卒業式のシーズンを迎え、子どもたちが将来への希望を胸に新たな旅立ちをする、そういうことが頻繁に今行われております。
 昨年は、入学式、卒業式での国旗・国歌をめぐって混乱をするなど、まことに嘆かわしい学校がありましたが、ある都立高校、といっても私の近所の有名高校でありますが、卒業式が終わった後、女の子が花束を持って校長先生のところへ来て、校長先生、男子生徒が先生を胴上げしたいといっているんですが、いいですかと。えっ、胴上げ、モーニングを着て逆さまにおっことされたら困るな、そんなことが率直、胸のうちをよぎったそうでありますが、サッカー部とか野球部とか柔道部とか、なかなかの猛者の連中がぜひやらせてくれというので、そうかといって、胴上げをしてもらったそうであります。
 当日は、教育庁からもある部長が来賓として出席をしておられまして、子どもたちが、本当に真剣に楽しく校長さんの胴上げをやった、涙が出てとまらなかったよ、こういっておりましたが、教師と生徒の気持ちが一つになって、卒業の喜びと感謝の気持ちを伝え合う感動的な場面が現出されました。
 今、マスコミは、十七歳の危機とかなんとかいわれて、悪いことは、子どもの悪いことは書くんですが、そういういいことはちっとも書いてくれない。その辺をもう少し考えてもらいたいなと思いながら、私は、その事実を知り、本当に救われた思いをしたものであります。
 それだけに、先日の本会議でも取り上げられました、日教組の教育研究集会というんでしょうか、そこへ、全国教育長会の会長としての横山さんが、来賓としてですよ、呼ばれて、魔物だとかヒットラーだとか独裁者など、とんでもないやじ雑言の中で壇上に立って、どんなあいさつをしたか私はわからぬけれども、まるでどこかの成人式以下の姿だったと思うんですよね。
 こうした教師の問題が起こるということは、教員は、よっぽどのことがない限り定年まで勤められると。私も実は教員の資格を持っておりまして、昔の師範学校の卒業生ですから、小学校の先生はできるんです。そういう中で、やはり五年がいいか七年がいいか十年がいいかわからぬけれども、時代に即した教員研修というものをもっとしっかりやるべきと思うのでありますが、まず、教育長に、この問題について、現場の空気もあわせながらいってちょうだいよ。

○横山教育長 都教委では、現在、人事考課制度というのを全国に先駆けて実施しておりますが、そうした人事考課を通しまして、個々の教員の能力開発であるとか、あるいは課題の把握に努めているところでございまして、この人事考課の一環として、授業観察、こういうものを行っておりまして、これに基づいて、指導力等が不足していることが明らかとなった教員につきましては、校長から、指導力不足等教員として申請が上がってまいります。都教委としましては、これの認定を行うこととしておりまして、指導力不足教員として認定した教員に対しましては、新たに指導力ステップアップ研修を受講させるなど、指導力の回復に努めております。
 ただ、これまでも、教壇への復帰が困難である、研修をしても困難である、こういったような判断をされた場合には、本人の自覚を促しまして、みずから退職する道を選択させるなどの対応を行ってきたところでございます。
 ただ、今、国会の方に、こうした不適格教員あるいは指導力不足教員に関する法案が出されておりまして、東京都としては、その法案の審議状況を見守りながら、今後とも適切に対処してまいります。

○奥山委員 本当に、当日、あなたはどんな思いで壇上に立たれたのか、私は本当に断腸の思いだと思うのでありますが、何も学校の先生は卒業式のときにいい洋服を着ろとか、黒いスーツを着ろとかはいわないけれども、ネクタイもしない、ノーネクタイのズボンで、よれよれの服を着ていることがまるで格好がいいような考え方を持っている人がいるんだよね。嘆かわしい限りだと思います。どうかひとつそういう指導力不足、人格欠落の先生については、厳しくやってもらいたいなと思います。
 国づくりは人づくりともいわれ、教育は国家百年の大計であります。子どもたちに対する教育をきちんとすることは、決して学校教育だけではなくて、我々大人も、そして家庭が大事だと私は思うのであります。子どもたちの教育の原点は家庭にあると思っております。
 そこで、知事には四人の坊やたちがいるそうでありまして、良純君というのは何番目の坊やか知りませんが、最近、「石原家の人びと」という本を出して大変話題になっております。私も興味深く読ませていただきました。スパルタ教育で名をはせた知事のことでありますから、父である知事をどのように見てきたか。いつも厳しくどなっていて、子どものころ、父親とサッカーをしているときも、父親のご機嫌が悪くならないようにと気を使うぐらいの大変怖いおやじであったとなっておりますが、一方では、常に子どものことを心配して、子どもと一緒にするスポーツには特に熱心で、ヨットの体験では海の厳しさを教え、陸上では味わえない関係を深めたりしたということであります。
 こういう席で何でありますが、どなたかからも、うちのやよいちゃんからかな、そういう話が出て、知事は、さらっと、答弁しないで逃げちゃいましたけれども、父親としてどう子どもに対処しているのか、父親石原慎太郎氏のご意見を聞かせてもらえればありがたいな、こう思っています。

○石原知事 私も一人の親でありまして、一人の父親でございますが、前の質問で、今日の多くの教員の資格について申されましたけれども、私は、やはり教育の混乱の原因というのは、先生よりもむしろ親が、つまり、親としての自覚というか資格を欠いているところに多くあると思います。
 アメリカでも、小学校で初めて子どもたちが入学すると、どんな先生でも必ずいうことがあるそうです。その一つは、まず、みんなで決めたことは、自分が多少嫌でも一緒にやろうと。第二は、町でお巡りさんが困っていたら、子どもでも手をかそうと。これは、かつての開拓者時代のコミュニティに対する強い自覚だと思いますが、第三が大事でありまして、先生がいったこととお父さんお母さんがいったことが違ったら、お父さんお母さんがいったとおりになさいと必ず教えるそうであります。
 これは、つまり、教育の主体者が何といっても親であるということを、先生も、決して自分の責任を回避するのではなしに、子どもに改めて教えるということだと思いますが、この間、おととしでありましたか、上野の文化会館で、東京都の保育所、幼稚園から高校まで、公立の学校の校長先生、責任者の会合がありまして、私、そこであいさつしたときに、先生たちに、あなた方それぞれの立場で、教育機関の最高責任者としていらっしゃるでしょうが、しかし、子どもの最高責任者、教育、しつけの最高責任者はあなた方じゃ決してない、親だということを、あなた方の責任において口酸く親にいっていただきたいということをいったら、そのスピーチだけが非常に好評だったそうでありますけれども、そういう自覚をそれぞれの親が持ち直すべきときに来たんじゃないかという気がいたします。
 私も、ささやかに、私なりのそういう自覚で子どもを育ててきましたし、子どもにも、自分たちの子どもを育てろといっております。
 失礼いたしました。

○奥山委員 どこかの本に書いてありましたけれども、長男に対しては、お年玉を千円、次男、三男、四男は三百円とか、差別があるそうでございますけれども--そんなことない……。それはそれなりに知事の姿勢だなと、長男を大事にするもののふの姿勢かなと、こう思っております。
 何しろ往復で四十分で、いっぱい書いたんですけれども、しゃべることが、もう時間がなくなっちゃいました。私も、最後の質問なので、ぜひ地元に対しては恩返しをしなきゃいけないということの中で、環八の完成、中央卸売市場の谷原分場の一般市場化というような問題で、ようやくめどがついてきたそうでありますので、これをぜひ完成していただきますように、中央卸売市場長、建設局長にお願いをいたしておきます。
 最後の締めくくりということで、私は心配が一つありますので、申し上げておきます。
 都庁の庁内誌のインタビューで、知事がこういうことをいっているんですね。いろいろありますけれども、花押のない書類はパスさせない、その前の書類チェックは、浜渦、おまえがやれ、おまえのところで収れんさせたものだけを持ってこいといっているんです。本気ですかといわれるインタビューもあったんですが、私は、こういうふうに特別職が何人もいたり、局長が何人もいたり、十八万の職員がいたりする中で、知事のところへだれも物をいっていけぬ、浜渦さんだけが窓口だという感覚はいかがかなというふうに思っておりまして、年寄りの冷や水ではありませんが、そういうふうにとられれば仕方がありませんが……。
 私は、けさのニュースを聞いていて、ハワイ沖の原潜「グリーンビル」ワドル前艦長の話が出ていました。結局、調べた結果、ワドル前艦長というのはすばらしい能力の方で、技術的にもすばらしい方、そして部下には畏怖をされていたと。日本語は難しいよ、畏怖。畏敬という言葉がありますよね。畏敬じゃなくて畏怖されていたので--きょうのニュースでは、私は確かに音を聞いて、船が近づいているなというのがわかったけれども、そのことが艦長まで伝わったかどうかはわかりません、艦長がそのことについての認識をしなかったか、あるいは、いわれるようなコミュニケーションが成っていなかったか。したがって事故になっちゃったといえばそれまでですけれども、もしも我が大東京都の知事室におきましても、石原慎太郎さんが裸の王様になってしまっては困るなと、私はこう思っているわけであります。
 私は、石原さんとは、昭和四十三年、全国区参議院の選挙で、日本の新しい世代の会というのを慎太郎さんがつくりました、そのときの東京における練馬支部長というのをやって以来のご縁でありますから、彼自身の選挙戦績をちょっとメモしてみたんですが、全国区参議院、一九六八年、昭和四十三年、三百万余り、その後、美濃部さんと戦って破れた選挙でも二百二十万余り、この間勝った知事選挙が百六十六万、そして、衆議院議員として八回当選した石原さんは、平均十万としたって百万近い票をとっていまして、八百万票も石原慎太郎と書いてくれた政治家が日本じゅうにいるかいないか私はわかりませんが、まさに希有の人材だと思うんですよ。
 よくぞまあ東京都知事になってくれたと思っているんですけれども、そこのまた補佐役であった浜渦さんも、学生時代に私のところへ来て石原の最初の選挙を手伝った一人です。それが今、浜渦、おまえしっかりやれと。今日、彼は、東京都庁の副知事として頑張っているわけですから、このような言葉の中で、賢明な浜渦さんでありますから、知事に物事を伝えないというような、あるいは知事に物事が伝わらないというような心配はないと思うんですけれども、ぜひひとつその辺……。
 これだけおるところで、大っぴらに私はいわせてもらって申しわけないと思いながら、これだけ立派な石原さんなんですから、どうか日本をリードする意味で、そのためにも東京都の--ちょうど四月十一日が、知事の一期目の折り返し地点だ。そういう折だけに一言物を申しまして、私のいったことが老婆心で、杞憂に終わっていただければありがたいなと思っているんですが、ご所感がありましたら聞かせてください。

○石原知事 年来の友人であり、また大長老の奥山さんから、大変親身なありがたい忠告をいただきまして、本当に心から感謝いたしております。
 ただ、ご指摘のその部分でありますけれども、それを読むだけで、私もちょっと心外というか、やはりどうもメディアも余り当てにならぬなという気がするんですが、前段が欠落しております。
 書類に判を押さなくちゃいけないケースはたくさんあるようでありまして、そういうことで、判を預からせてくれというから、私は判を預けてありますが、極めて重大な案件については、ちゃんと私に説明し、書類も回してくれといってありましたけれども、その取捨選択がどういう基準で行われているかわかりませんが、両三度、自分が知らないうちに、非常に大事な決裁が私の判で済まされていることに気づきまして、ですから、重要な案件については、私は自分で花押を押すと。私は非常に字が汚いし、ぎっちょでありますから、ぎっちょの独特の花押でありまして、これは、私以外にだれも代筆できません。
 ですから、もともとは、どういう順番で物が回っているかわかりませんけれども、本来なら、三人の副知事の捺印が行われた書類が、最後に私のところへ回ってくるべきであります。そういう機能というものがちょっと支障を来している節がないでもないので、そういうことを、腹心のスタッフでもあります浜渦に申しましたが、本来なら、その選択をだれがするかということも問題でありますけれども、いずれにしろ、最終的に、その決裁の責任というのは全部私にかかってくるわけでありますから、必要な説明なり情報なるものがその案件についてもたらされて初めて、私が判こを押し、あるいは花押を押すことで、私の責任で事が決まったということになり得ると思います。
 だんだんよくなってきているようでありますけれども、とにかく就任したときの年には、九月に着いた外国からの手紙が十一月にしか届かないような、そういう機能で、いろいろなところで問題がありました。
 それから、先般も、あえて所信表明のときの応答にも申したと思いますけれども、橋本内閣のときに、私、もう議員をやめた後、用事があって官房長官に会いにいきましたら、橋本総理も出てきました。そのとき、例の不良債権の額が、大蔵省の報告のたびに変わるということで、世間も非常に不信感を持っていましたが、女房役の官房長官も橋本総理自身も、本当のことが教えてもらえないんだということを、今は議席から去った私に、親しさもあってでしょうか、愚痴といいましょうか、吐露しておりましたが、これは非常に危険なことでありましてね、世帯も国に比べはるかに小さな、十分の一の東京都でありますが、ここを限られた時間預かるとするならば、私の責任は責任としてあるわけでありまして、そういういい方はこのごろ禁忌だそうでありますけれども、いわばめくら判を押されるのは私はかなわぬと思いましたので、きちっとした手順を踏んで、重要な案件については私は自分の花押を押すから、その前の順番がどうなって回っているか知りませんけれども、それ以外の重要案件の決裁は、とにかくただの捺印で済むにしても、大事な決裁は私自身の目で見通して行うということの体制というものを確認し合ったので、そういうことを申しました。
 おっしゃることは非常によくわかりますが、決して独善的な知事室をつくるつもりもございませんし、現に、いろいろなところから幹部の報告と違った報告も来たりしまして、いろいろな意見もあるようで、できればそれを束ねた形で、都庁で働いている人間全体が納得のできる案を取りまとめて行っていきたいと思いますので、そういう形でそういう発言をいたしました。
 ご心配の節は重々わかりますので、結果として奥山先輩の心配を無視したことにならないように心がけますので、ひとつご安心ください。

○白井(威)副委員長 時間でございますが、自由にしてください。

○奥山委員 知事の決意のほどを伺いまして、安心をいたしておりますが、どうぞ、浜渦さんも利口な人ですから、三副知事協力して、十八万職員の気持ちを代表して、知事の仕事の過たざるように心から願います。
 決して小さくないんだ、東京都は。私は、知事もいっているように、東京がよくなれば日本がよくなる、自民党がよくなれば日本もよくなると、こういっているんですから。都政は悠久だと思いますので、どうぞひとつ、この歴史のある都政をさらに立派な都政にする意味で、総仕上げするのが知事の石原さんの役目だというような責任でもって頑張ってもらいたい。十八万都の職員の皆さんのご健闘を祈念しまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)

○白井(威)副委員長 奥山則男委員の発言は終わりました。

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