委員長 | 立石 晴康君 |
副委員長 | 大木田 守君 |
副委員長 | 鈴木 一光君 |
副委員長 | 和田 宗春君 |
理事 | 富田 俊正君 |
理事 | 鈴木貫太郎君 |
理事 | 吉田 信夫君 |
理事 | こいそ 明君 |
理事 | 内田 茂君 |
小磯 善彦君 | |
近藤やよい君 | |
遠藤 衛君 | |
大西 英男君 | |
大河原雅子君 | |
河西のぶみ君 | |
相川 博君 | |
星野 篤功君 | |
渡辺 康信君 | |
石井 義修君 | |
山崎 孝明君 | |
木村 陽治君 |
欠席委員 二名
出席説明員知事本部 | 知事本部長企画調整部長事務取扱 | 前川 燿男君 |
次長 | 只腰 憲久君 | |
企画調整担当部長 | 中田 清己君 | |
特命担当部長 | 高島 茂樹君 | |
参事 | 岩井 壯三君 | |
国政広域連携担当部長 | 熊野 順祥君 | |
自治制度改革推進担当部長 | 幡本 裕君 | |
総務局 | 局長総務部長人事部長行政部長事務取扱 | 赤星 經昭君 |
行政改革推進室長 | 島田 健一君 | |
IT推進室情報企画担当部長 | 木谷 正道君 | |
IT推進室電子都庁推進担当部長 | 遠藤 秀和君 | |
勤労部長 | 大塚 孝一君 | |
財務局 | 局長経理部長主計部長事務取扱 | 櫻井 巖君 |
法政大学経済学部教授 | 黒川 和美君 |
東京大学大学院経済学研究科教授 | 神野 直彦君 |
本日の会議に付した事件
行財政改革の基本的事項についての調査・検討
参考人からの意見聴取
○立石委員長 ただいまから行財政改革基本問題特別委員会を開会いたします。
初めに、委員の辞任及び選任について申し上げます。
議長から、去る五月二日付をもって、長橋桂一委員の辞任を許可し、新たに新井美沙子委員を選任した旨の通知がありましたので、ご報告いたします。
なお、議席については、ただいまご着席のとおりといたしますので、ご了承願います。
次に、先般の人事異動に伴い、本委員会の担当書記が交代いたしましたので、ご紹介いたします。
議事課の井坂誠君、阿部望君です。議案調査課の小川政美君です。よろしくお願いいたします。
〔書記あいさつ〕
○立石委員長 次に、先般の人事異動に伴い、所管局長及び幹部職員に交代がありましたので、紹介いたします。
まず、財務局長に就任いたしました櫻井巖君を紹介いたします。
○櫻井財務局長 去る六月一日付をもちまして財務局長を拝命いたしました櫻井巖でございます。
総体としての都民サービスの確保を図るため、財政再建に向け全力を尽くし、その職責を全うしていきたいと考えております。
立石委員長を初め委員の皆様方のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
○立石委員長 次に、知事本部長から、交代のありました幹部職員の紹介があります。
○前川知事本部長 先般の人事異動で異動がありました当本部の幹部職員を紹介させていただきます。
次長の只腰憲久でございます。参事で調整担当の岩井壯三でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
〔理事者あいさつ〕
○立石委員長 紹介は終わりました。
○立石委員長 これより、東京の将来像を展望し、社会・経済情勢の変化に柔軟に対応する都政を実現するため、行財政改革の基本的事項について調査・検討を行います。
本日は、行財政改革の基本問題について、お手元配布の実施要領のとおり、法政大学の黒川和美先生及び東京大学の神野直彦先生のお二人から、順次専門的な見地からのご意見をお聞かせいただきたいと思います。
これより参考人意見の聴取を行います。
それでは、黒川先生、発言席にお移りください。
ただいまご着席いただきました先生をご紹介いたします。法政大学経済学部教授の黒川和美先生でございます。
本日は、ご多忙のところご出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表してお礼を申し上げます。
行財政改革の基本問題につきまして、ご専門のお立場から、おおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
なお、黒川先生には、ご着席のままご発言していただきたいと思います。
それではよろしくお願いいたします。
○黒川参考人 ご紹介いただきました法政大学の黒川です。よろしくお願いいたします。
都議会でこういう発言の機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。
きょう私にいただきました基本的な論点というのを最初に確認させていただきたいと思います。私にはこういう宿題が参りました。
人口の都心回帰が引き起こす新たな行政需要と都財政との関係についてどう考えるかということ、それから、大都市自治体税収を都市再生などの社会基盤整備に有効に活用するための都財政制度はどうあるべきなのかということ、それから、都市自治体の税収確保と国からの税源移譲についてということ、三つのテーマになっています。
私自身は、考えなければいけないのは、現状の制度の中で今まず何をしなければいけないかということがあるかと思います。
それから、東京にも当然そういう風は吹いていると思うのですけれども、全国の自治体、とりわけ広域自治体といわれている都道府県には大きな風が吹いていまして、制度の変革がさまざまな形で議論されていることを承知しています。
とりわけ私は、大阪府の地方自治研究会というのにも長年かかわっていまして、大阪府自体は、大阪府としてのあり方を、つまり、市との合併ということも含めて、今検討をされています。全国でこのようなというか、大きな広域自治体のありようについて、基本的な議論がされているというふうに認識しています。
その中で東京が何を考えなければいけないかということが、本日の私に与えられた宿題だと思っています。
私も、けさメモをつくりました。昨日までさまざまなことでちょっと余裕がなくて、朝早くに考えたことをメモにしたもので、皆さんにお配りしたのは、どちらかというと私が話すことを忘れないようにするためのメモであって、皆様にこれを見ていただいて理解していただけるかどうかは、少し自信がありませんけれども……。
私は、東京のことについて、きょうの宿題でいえば、生活関連の行財政サービスについてのことについては、少しきょうは、いいたいことはたくさんありますけれども、いうことに関してちょっと控えて、どちらかというと東京の都市再生とか、東京が全国の自治体を牽引していく大きな強い経済力を持つためには、どういう財政制度が必要かということを考えようと思っています。
その基本的なというか、生活者の視点に立った場合の財政制度のあり方というのは、基本的な議論がまたあると思いますし、それはぜひ神野先生に譲りたいとも思っています。私にとってみると、都市再生とか都市基盤整備とかというところについてどう考えるかということがあえて宿題に出ていますので、その点について話したいと思っています。ですから、きょう話さないことは軽視しているわけでは決してありませんということです。そのことをまず話しておきたいと思うんです。
東京にとってというのを、都市基盤、それから生活者の視点とかかわりながらと考えると、とりわけ安全とか防災とか、それから環境の問題について配慮しておかなければいけないというふうに思っていますし、その問題というのは、東京都あるいは二十三区とか、都下の市町村とかという対応でできるものだとは思っておりません。もっと広域で、もっと全国レベルで考えなければいけないことがたくさんあると思っています。
ここに書き上げましたのは、基本的視点として、東京都は、我が国の経済を牽引する先端的で競争力のある都経済を確立することが必要だというふうに考えております。そのことでいうと、都が牽引してきていた大きな産業の一つが、金融であったと思います。この金融のシステムは、大きく銀行に依存したものから、それ以外のものに移ろうとしていっています。
我が国はずっと間接金融経済方式をとってきていて、その拠点が大手町や日本橋だったことは私も認識していますけれども、私は、どちらかというと今の銀行というのは、その経営が悪かったという問題よりは、もっと構造的な問題で、どちらかというと銀行機能というものが大きく変わりつつあって、それは、都の経済にかかわるものと、それから日本人全体の貯蓄構造とか投資行動とかというものにかかわるものとあって、必ずしもこの場所で話すべきことだとは思っていませんので、議論をしませんけれども、東京都が都に固有の金融機関をつくろうという考え方を初めとして、新しい動きをしていることに関しては、敬意を払っています。
もう一つの問題は、魅力的な生活スタイルが日本経済を牽引するんだというふうに思っています。二十三区の五〇%がもう単身世帯になっています。この単身世帯は、高齢者で単身という形も片方でありますけれども、他方では、若い人たちで単身という人たちもたくさんいます。
この方たちの行動様式が次にどういうふうに変化するかということは、多くの人が見ることができない、つまり、予想ができない状態のまま今推移しています。しかも、その単身者の高齢者が、年金を含めてまだ貯蓄に走っているということも明らかになっていまして、この行動様式が、私たちというか、東京の経済に大きな影響を与えているということもわかっています。
私自身は、もう一つの問題として、行政のあり方というのが、ここに書きましたように、これは東京都もそのことを述べていますし、二十三区や都下の市町村もほとんど総合計画にそういうことを書いていますけれども、行政の役割というのは、パブリック、プライベート、パートナーシップというロジックになっていくと思っています。このパブリック、プライベート、パートナーシップというものの本当の意味というのは、基本的には、一番シンプルな言葉でいうと民営化論だというふうに思っています。
このパブリック、プライベート、パートナーシップの形態というのは、イギリスでもアメリカでもというか、EUの諸国でも、どこの国でも、新しい形態として導入し始めていて、その一つというのは、コントラクトアウトというのですか、外注というのが一つですけれども、公共投資の事業のあり方その他については、PFIというタイプの外注方式が今議論されていますし、しかも、従来の形のように、いろんな公共事業を、予定価格を積算基準で求めてある一定の水準のものをつくることを前提にした上で入札するというものから、どちらかというと、デザインも設計も技術水準も向こう任せでコンペをするというコンペ方式というのが世界の主流になっていて、日本に独特の、二重に技術者を抱えるというこのスタイルは、もうどちらかというと不要になっていると思います。
明治以来、長く、どうしても官の側が技術基準を指定しないと、一定の水準の公共事業ができなかった時代の産物であって、もう東京都からこれは要らないと思い切って決めると、技官の方たちにしかられるかもしれませんけれども、どちらかというと、本当の技術を持っていらっしゃる方は、デザインや設計も含めて、民間でコンペに参加する側に入っていただきたいというふうに思っています。そのことでいうと、全く違う行政体制になってくるんだと思っています。
来年度から、全国の大学にロースクールというのが生まれてきます。今、我が国では一年間に四百名程度の弁護士さんが生まれてくるにすぎませんけれども、あと三年たつと、年間四千人を超える新たな、つまりロイヤーが生まれてくることになると思います。この方たちがどういう仕事をするかというと、つまり、民間との契約で、正確に相手に要求する要求水準が契約どおり履行されているかどうかということを確認できる、そういう行政の職員を必要としていて、そういう人材が不足することに、今回の省庁再編とロースクール構想というのが大きく貢献するというふうに思っています。
つまり、長い間、我が国もそういう行政体制にならなければいけないと思っていたんですけれども、人材が不足してなかなかそちらの方向に動けなかったのが、ようやくあと四、五年もすると、そういうことが動き始めてくるということで、我が国の契約関係が大きく変わってくる。新たに新契約国家というタイプの国家体制ができてきて行政システムが動く、その基礎にあるのがパブリック、プライベート、パートナーシップだというふうに考えています。これは、多くの専門家はそういうふうに認識していると私は考えています。
もう一つの問題が、ここでは都市の魅力ということで、モノセントリシティーかポリセントリシティーかという議論の、英語で書いてあって訳がございません。モノセントリシティーというのは、東京とかパリとかロンドンのような、中心に集中していて、放射状にラディアス型の交通網で外側から内側に人々が集まってくるという構造のことです。東京でも、それからパリでも、ロンドンでも、同じことが今起こっています。起こっていることの意味というのは、どちらかというと、ラディアス型の交通網は、交通の需要は大幅に減って、そして、セコンドベルトといわれている外側を走っている交通網の需要が猛烈にふえているということです。東京近辺でいうと、南武線とか武蔵野線とか横浜線とかという沿線の需要は猛烈にふえているのに、中央線や高崎線や京浜東北線のお客さんは減っています。
それからもう一つ、これもどの程度正確かわかりませんけれども、調べている問題では、都心の地下鉄の駅がこんなにもふえているにもかかわらず、残念なことに利用者はふえている傾向にはございません。都心の中での交通需要はそれほどふえているわけでもなく、幹線で郊外から都心に入ってくる車の量も、どちらかというと減少しています。そのかわり、郊外同士を結びつける交通は猛烈に増加していて、この都市基盤整備は全くおくれているというふうに認識しています。
そのことでいうとというか、世界で今新しく魅力的なまちづくりをしているところを幾つか挙げなさいといわれると、オランダのランドシュタットといわれているエリア、ドイツのルール・ゲビートといわれているエリア、それからイタリーのノーザンイタリーズといわれているエリアというのは、みんな、どちらかというと国境も無視をして、大きく都市間の連携を図りながら、高速交通やコミュニティトランジットというのをうまく利用しながら、地域を、例えば、今ドイツのルール・ゲビートの話をしましたけれども、ドイツのルール・ゲビートというのは、日本でいうと八幡とか黒崎とか若松とかというああいう環境のところで、完全な重化学工業地帯で、石炭産業を中心にしていたエネルギー拠点だったエリアですけれども、今大きく変わろうとしていまして、一番中心になっている人口の多いのはドルトムントやエッセンですけれども、五、六十万の人口。しかし、このエリアの十三の都市が全部一緒になると五百四十万の都市になっていて、今、ヨーロッパ、EUの中では、最も大きなポテンシャルを持った都市圏だというふうにいわれています。
もう一つがオランダのランドシュタットというところで、このランドシュタットというのは、ロッテルダムとかアムステルダムとかユトレヒトとかライデンとか、それからデンハーグとか、ドルドレヒトとか、デルフトとか、いっぱいありますけれども、山手線のような形で都市群をつなげているエリアがありまして、その真ん中にスキポール空港があって、どの都市にも二、三十分で交通がつながるようになっていた、世界第四位のアムステルダム港湾と、世界第一位のロッテルダム港湾を持ちながら、タリス新幹線というのでアムステルダムからパリまで二時間半で行けるという関係になっている都市群です。このエリアも、人口を全部合わせると六百万人口圏になっていまして、そのことでいうと、ヨーロッパでも一番、二番を争う大規模な都市圏になっています。
こういう都市がというか、パリやロンドンや--パリとロンドンが五、六百万人口圏で最大なんですけれども、これに対抗する新しい都市群として、国境を超えてヨーロッパの中で存在しようとしています。
この都市群の魅力というのは何かということが盛んに議論されているんですが、一つ一つの都市がみんな違った機能を持っていて、それを公共交通で結びつけているということだと思います。これは、東京も、そのことについて業務核都市分散ということをこれまでしてまいりまして、都心にどちらかというと集中している機能、大学や教育については八王子・立川に、それから業務機能については横浜に、あるいは川崎・横浜に、それから行政の機能については大宮・浦和にとか、国際空港拠点については成田にとか、いろんな形で外側に移してくるということをしています。これは、国土庁として業務核都市分散という議論をしながら、ここの言葉遣いでいうと、日本流の言葉遣いでいうと業務核都市分散ですけれども、英語でいうとポリセントリシティーという言葉が適切だと思っています。
東京の中で、つまり、都市間、地域拠点のどこをどのように連携していくのかということに関して、少しずつ多くの人たちはイメージができるようになってまいりました。横浜・川崎は、つまり東京の都心は少しずつ南下しているといわれています。東京の都心が、今までは丸の内とか大・丸・有というエリアだったというふうにいわれてきましたけれども、大・丸・有というエリアが猛烈に今不安を感じています。不安を感じている最大の理由は何かというと、そこに居住者がいないということです。機能としては単機能で、オフィス機能だけがあって居住者がいない状態で、土曜と日曜はがらあきになるような、夜七時を過ぎてしまうと暗くなるようなまちづくりというのが東京の都心になっています。
これに対して全く違った港区型あるいは品川区型のまちづくりが起こっていて、ここは居住者と業務機能が重なるという形で動いていて、あっという間に東京の都心機能が、どちらかというと東京駅から南へ南へ南下するという構造が起こっています。
この問題について多くの人はもう認識をし始めていて、そして、新しい都市再開発というのは、居住者もいる形で業務機能を複合的にしていくことで、安全で二十四時間人が機能している高度な土地空間利用をする都市ということが考えられています。
私は、ここで議論しようと思ってきているのは、あえてそのことを中心に、都心部の都市再生と、そこで行わなければいけないことというのは一体どういうことなのかということについて、皆さんに認識をしていただきたいと思っているからです。
東京は、港湾機能が大幅に変わって、従来の構造から、港湾機能も複合機能になってまいりました。業務機能を持っていますし、商業機能を持っていますし、観光機能も持っていますし、居住機能も持ってきています。港湾地域も新しく再構成されてきていますけれども、どちらかというと大都市のリノベーションといわれてきた品川、羽田沖合、川崎、扇島、東扇島、横浜に至るウオーターフロントのエリアというのは、重厚長大型の産業の都市地域で、その土地を次の時代に合わせて高度利用することに関して、なかなか方策を見つけられないまま動いています。
どちらかというと、静脈産業といわれているタイプの新しい産業の拠点にしようということが多くの人に思われていたり、あるいは中央ふ頭のところがそういう形でもう動き始めていることは皆さんのご存じのとおりだと思いますけれども、ウオーターフロントも、どういう形で再生されながら複合機能になっていくべきかということについて、確かなプランがあるわけではなく、それから、その土地については本当に価値のある土地かどうかということに関しては、丁寧に洗い直してみないとそれが評価できないという状態になっていて、そういう資産について、どうやって新たに契約をし取引していくかということについては、多くの問題が起こっています。
例えば大阪で、堺市の新日鉄の敷地を、新日鉄は、もう私たちは活用できないので、堺市に差し上げますと。ただで差し上げますというのに、堺市は要りませんといっています。堺市は、もらってしまうと固定資産税収入がなくなります。もしもらってしまうと、ひょっとすると、そこは土壌汚染を洗浄するだけですごくコストのかかるところであるかもわかりません。今、さまざまな土地の取引について、かつてどういう用途で使われていたかということに関する履歴を洗い直すということが重要な仕事になってきていますけれども、東京の中でもそういう局面の場所がたくさんあって、再生させることに関して難しいというところが多くなっています。
今、私が申し上げているのは、たくさんいろんな、東京の周辺には、都心から郊外まで、さまざまな機能のエリアがそれなりに個性を持って特化しているんだけれども、幾つかのところについては何に使っていいかもわからないし、その役割を与えられない状態になっている場所もあるということについてお話をしたかったということです。
とはいえ、幾つかの資源というか、土地資源がはっきり見えてきて高度利用されるということが、結果として東京都にとって最も中心的な税収入になる。都市計画税や固定資産税収入源になるわけですし、それから、そのものがというか、そこで行われる活動が外形課税の課税対象になってくるわけで、事業収入として東京都を支えることになると考えています。現在のところ、こういうものについて、どちらかというと低下傾向にあります。
固定資産税収入でも、多分去年とことしの間で、五、六百億円東京都は税収減になるのではないかと思いますが、これは地価が下がっているということもありますけれども、どちらかというと、今は土地が次にどのような形で使われるべきかということがわからないまま更地になっている状態で、建物が建たないので税収が減っているということが大きいかと思います。
そのことでいうと、二〇〇三年問題と心配されていますけれども、二〇〇三年、四年になって、秋葉原の開発が進み、豊洲の開発が進み、六本木ヒルズは立ち上がり、それから今話題になっている汐留ができ上がって、品川に全部ビルが建ってきて、こういう形の再開発が次々出ていって、土地の法定容積いっぱいの高度利用がされていくと、基本的には税収が上がってくるということになると思っています。今は、クリアランスした状態で、立ち上がらない状態のところの税収を計算しているために減ってきているというふうに考えていいと思います。
高度に利用されることがだんだん約束されてくることになると、周辺の地価について、まだまだ地価は、とりわけ業務地域についての東京の地価については、もう下げどまったところもありますけれども、下がるところは一方的に下がっているという状態なんです。
私が少しここで申し上げなければいけないと思っていることの一つは、東京の税収というのは、特定の地域はもう既に上昇転換してV字に動いているにもかかわらず、先ほどいった今後どう使っていいかわからないような産業ベースだったエリアの敷地については、急速に地価は下がっていっている状態になります。
こういうアンバランスの状態で何らかの形で地域間の税収配分を考えてしまいますと、公平さを欠くことが起こってくるのではないかと思われる節があります。城北のエリアで税収減が続いて、城南のエリアで税収増が続くということは起こっていきます。そういうふうになってしまうと、私のイメージとしているというか、将来、皆さんにしかられるかもしれませんけれども、東京都の機能というのは大幅に下がって、どちらかというと基礎的自治体としての機能がもっと必要になってきて、東京都全域で、広域で考えなければいけない配分の話が大分でき上がってくる--最後の東京都の仕事だと私は認識していますけれども、そのエリアの問題が、上手に広域の連携のシステムができ上がってくると、次に必要になるのは、基礎的自治体がやらなければいけない仕事になってくると思います。
この基礎的自治体の能力が、五月雨的というか、メッシュのようになってしまうと困ってしまう。できたらクラスター別にというか、エリア別に、沿線別にというか、等しき能力を持つような形でうまく分散できるようなことができれば、そのことは進みやすいのではないかと勝手に思っています。
ということで、都市のことを主としてきょうは議論させていただいておりますけれども、都市は、モノセントリシティーで、都心でどこかの町が強ければいいということで東京は強くなれないということをいいたいこと、幾つかの地域の拠点都市になっていて、それがネットワークで結びついている状態で、それぞれの地域拠点がそれぞれの固有の機能を持ってくれることになれば、今東京都の二十三区で行われているような、東京都のというか、財政調整制度のようなものは不要になってきて、本来あるべき姿になるのではないかというふうに思っています。
私自身は、今の特別区の財政調整制度というのに関しては、今はもう既にマイナスの要素が大きくなってきているというふうに思っています。その一番の問題というのが、後で述べますけれども、基礎的自治体の方々が、まちづくりに関するテクニックを余りにも持っていないことということになると思います。
ということで、最初の基本的視点の、東京の大きな空間的なあり方論について、私がイメージしているものがうまく伝わったかどうかわかりませんけれども、お話ししたかったことです。
それから、東京は、そのことでいうと、もう少し日本全体を牽引していくという役割を果たさなければいけません。そのことでいうと、東京に必要な社会基盤、さっきアムステルダム、ロッテルダムのランドシュタットを申し上げたときは、ランドシュタットの中心には、スキポール空港という国際空港があります。ブリュッセルの中には、ベルギーダイヤモンドといわれている幾つかの都市、アントワーペンとかゲントとか、あるいはブリュージュとか、オーステンデとかコルトライクとか、幾つかの都市が横にずっと並んでいて、これが先端都市になっていますけれども、このアムステルダムについても、ブリュッセル国際空港という空港があって、全体の、つまり世界に開かれる拠点のハブ空港になっています。海外とつながることというか、機能的に海外と結びついていることというのが、国際都市というか大都市にとっては決定的に重要だというふうに私は思っています。
それから、いろんなものが、需要が右肩上がりだったのが崩れて、需要が、あるところから人口減にいって落ちてきているにもかかわらず、空港、航空需要というか、飛行機に乗るという需要に関しては、米の需要がだっと一直線で下がっているのに対して、飛行機の利用というのは、もう全くとどまることを知らず一直線で伸びてきています。私は、どこまで伸びるかわかりませんが、東京はこの活用に関して余りうまくなく、国内は新幹線で代替されていますけれども、空港サービスに関して、もっと決定的に東京が海外と上手に結びつくネットワークを持っていない限り、東京は世界の先端の都市の競争力から落ちていくというふうに認識しています。
ここでは、必要な国際空港機能と、都市基盤としての情報発信機能と、その都市が持っている先端性ということをどうやってつくるかだと思います。私自身法政大学におりますけれども、法政大学は、多分十年以内に、全部の授業、学部のうちの多分かなりの部分が、英語で授業することをスタンダードにすることになると思います。そうしないと、法政大学自身がもう成り立っていかないと思っていますし、そこにやってくる学生は、台湾であったり韓国であったり中国であったりすると思いますけれども、授業は英語でやること。
それで、多くの学会、私が属している公共政策学会では、昨年、法政大学で全発表が英語になりましたし、経済政策学会も、わざわざ国際大会というのを毎年開くことになって、先生方が全部英語で発表するということを国内でも義務づけるようにしています。このことは何を意味しているかというと、自分たちが書くペーパーも論文も全部英語であって、それがスタンダードになるようにしようという意識です。
大学の関係者は、かなりそういう意識を強く持ってくるようになりましたので、多分、法政大学とか、おくれている方の大学だと思いますので、認識していますので、それ以外の学校はもっともっと進んでいるというふうに考えますと、東京にある、つまり、情報発信機能を持つさまざまな事業体、多分六本木ヒルズというのが、そこに外国人向けの保育所をつくったりすることをしました。あそこで生活する人の多くを外国人だと想定している。今までだれも、そのことを大事だと思いつつも、整備することをしてこなかった。当然港区の小学校や何かが、外国人の子どもたちと日本人の子どもたちを全く同じに扱えて教育できるような体制になっていなければいけないと私は思っていますけれども、そういうことがなかなかできなくて、どちらかというと、教育特区でそういうことを考えようとしたのは、意外に東京の都心区ではなかったりしたというふうに記憶しています。
そういうことでいうと、東京は、EUの中でアムステルダムなのか、パリなのか、ロンドンなのか、どこが拠点都市になるかわかりませんけれども、激しく競争しているように、東京がアジアの中で、特に東アジアの中で、ソウルや北京や上海や香港や台北などと国際都市として競争しながら、その存在をきちんと世界に示すことができる情報発信拠点になっていなければいけないと思っています。それからすると、余りにもリングィスティックバリアというのが強過ぎるというふうに思っています。言葉の障害というのは非常に深刻で、この問題については、東京都は教育の面からもう根本的に見直していって、もちろん日本語を大事にすることを一方でやりながら、だけれども、国際人として、大都市に住む子どもたちがそういう素質を持つことは当たり前だという認識を持てるようにしてほしいと思っています。
必要となってくる財サービス、行政サービスというのは一体どんなものなんですかという質問を受けたときに、従来考えられるような行政サービスというのは、基本的に東京都は全国の自治体の中では先端的であると私はもう認識しています。一般的な教育、高等教育についても、東京都はもう先端的な水準にいっていると思いますし、環境問題についても、廃棄物処理、一般廃棄物処理も産廃についても、その処理の仕方についても計画の立て方にしても、先端的な水準になっていると私自身は認識しています。今、日本全体のレベルが低いということは別にしてです。これは、ドイツやヨーロッパの都市と比べると、環境問題への対処の仕方は全くおくれていると私は認識していますけれども、日本の中では先端的である。
そのことでいうと、その分野について、常にリーディングセクターで全国の自治体を引っ張っていく、ある種のスタンダードをつくっていくということをしなければいけません。それはどうやってやるべきかというと、世界の先端的な都市とつながっていることが基本的な条件です。当たり前なんだということを東京で認識できなければ、日本のスタンダードにならないというふうに思います。
ということで、これまでお話をしましたのは、全体として基本的な視点ということです。
これからお話をしなければいけないのは、突然卑近な財政問題に戻らなければいけません。
人口の都心回帰が引き起こす新しい行政需要と都財政の関係についてどう考えるかということですが、郊外側で起こる問題と都心側で起こる問題と、全く違う性質の問題を持っていると私自身は思っています。
郊外側で起こってくる問題というのは、魅力的な地域拠点整備ということだと思っています。魅力的な地域拠点整備というのは自動車から脱することだというのは、世界の教訓だと考えています。自動車利用をするというまちづくりから、どちらかというと公共交通に依存するというまちづくりで、郊外でありながら遅い時間まで--同じ交通問題で都心で何が起こるかというと、都心で起こる問題も公共交通の水準を上げることだと思っていまして、二十四時間地下鉄が走るのは当たり前だと思いますし、コミュニティバスがいろんな形で、つまり、子どもを塾に送っていったり、お年寄りを病院に送っていくお母さんの運転する車なんていうのはできるだけなくなって、お年寄り自身が、子ども自身が、近いバス停から拠点のエリアまで、何の不安もなく簡単に行って帰れるような公共交通のシステムができることというのがとても重要なことで、特に単身で生活しなければいけない人がたくさんふえてくる都心の生活体系を考えると、それは若い女性も含めてですけれども、この方たちが安心して移動できるような、遅い時間まで移動できるような環境ということで、明らかに公共交通の質を高めることが重要だというふうに思っています。
それは、だから都心側で起こる交通問題と郊外側で起こる交通問題とは少し違っていて、バス停があればいいとか、バス便があればいいという問題から、もっと決定的に重要な安心感のある公共交通システムにお金が投資されるべきであると思います。
それは、従来のように国が補助金を出してくれて、県間を越えるような形で大型に移動する公共交通のことを意味しているのではなくて、同じエリア内で、八王子市内の中で、あるいは立川の中でとか、エリアの中で、人々が歩いて数百メートルのところに全部駅があるような、つまり、公共交通の駅までどの人も確実に十五分以内で行けるというような、そういうスタンダードをつくって、東京都民の、つまり、日常生活のスタンダードを上げるべきだというふうに思っています。
これが郊外側で起こる問題と、都心側で起こる問題と、それが一人一人車を利用してしまうことになってしまうと、多くの人たちが一堂に会するという場を失っていってしまうということが起こってしまいます。どちらかというと、コミュニケーションというのが、そういうさまざまなノッドというか、交通ノッドのところで起こってくるというふうに考えています。
ここでは、私はどんなところが拠点かと、勝手にイメージしながら、八王子・立川、町田・相模原、相模原を勝手に東京側に入れていますけれども、多分、相模原・町田というのは、もし八王子・町田・相模原が同じ自治体であったら、この中で生活している人たちはどんなに便利かと思いますよ。相模原は今六十二万人の人口で、町田市は人口が四十万人弱だと思います。八王子市は五十万人を超えようとしているところです。この三つだけ合わせても巨大なエリアになるというふうに考えています。全くばらばらで、しかも、その中に共通に走っているのは横浜線という交通機関一本で、その周辺に大学だけで二十二あって、一体どういう、人々に何を想定しろと考えているのか、ここ全体を統一させるような計画を持っている人はかけらもいません。
今、多摩の産業拠点ということで、どちらかというと事業者の拠点つくりというのは、さまざまな方がやられていますけれども、そこで生活する人たちの情報拠点というのは何もないという状態で、圧倒的に今は個々の基礎的自治体が、自分たちのエリアの範囲で考えている。そうすると、市際間というんですか、ちょうどすき間に当たるエリアのところ、一番いい場所ばかりなんですが、そういう場所が、みんなその情報からするとおくれるという状態になっていて、住む人よりは商店中心のまちづくりになっているというふうに私は思います。
ここでは、恐らく調布・府中も、青梅・あきる野も、東村山西部エリアというふうに書きましたけれども、このエリアもというか、一つの、一体としてだれかが判断して物を考えるようなある種のコミュニティベースのビジネスが起こってきていいような環境を考えるべきだというふうに思っています。
都心側では全く違う問題が起こっているんですが、残念なことに自主的な地域計画機能の欠如というのは、何ともいいようがありません。私は目黒区に住んでいますけれども、目黒区の行革の区民会議の会長というのもやらせていただいていますし、行政改革懇談会の会長もやって、計画もつくりました。これは目黒区の職員の方にいうとしかられてしまいますけれども、初めて五カ年計画を見せていただいたときに、目黒区の一九九七年にあった五カ年計画というのがあるんですが、ここの中に一千三十億円分の公共投資というのがありました。
この一千三十億円の中で目黒区が負担するのは幾らですかと聞いたら、幾らだったと思いますか。千三十億円中、目黒区が使うのは十二億円なんですよ。あとは全部国と都からの補助を想定している公共投資計画で、つまり、目黒区にとってみると--一番おもしろい例は、代官山と中目黒の間に国鉄の跡地、国鉄宿舎跡地というのがありました。一番簡単にできる方法というのは都営住宅をつくることだったそうです。ここに都営住宅をつくるだろうかと。中目黒も今猛烈に伸びているエリアで、代官山も猛烈に伸びているエリアで、その間の距離は二百五十メートルもないんですよ。
このエリアのところに、普通だったら、もし目黒区が税収を期待することができているとしたら、つまり、都区財調のような制度がなくて、固定資産税は、自分たちが開発した地域の税収は自分たちに入ってくるという原則がもしあったとしたら、彼らはそこに最も魅力的ないろいろな施設をつくっていて、まちづくりをする。そのかわり余裕のあるスペースのところで、経済的弱者といわれている人たちを救うためのシステムをつくることを考えたと思いますけれども、何もその税収インセンティブがなければ、一番高級で、多分、隣のキングホームスというマンションは家賃二百五十万円ですから、隣に三万円弱の都営住宅をつくることをいけないとは僕は思いませんけれども、まちづくりとしてはおかしいし、しかも、一体として低所得者を集めるというのはおかしくて、ソーシャルミックスが当たり前だと思いますよね。でも、東京都の今の都区財調の制度を持っていると、こうなっちゃうんだということなんですよ。
できるだけ一つ一つの自治体がインセンティブを持って、自分たちの町をよくすると自分たちの税収につながって、そうしたら、余っているお金は減税できるという権限までそのシステムの中に入れてあげるべきなのではないかと思います。それがない限り、これは東京都の、今は厳しいことかもしれませんけれども、今は、東京都にとっては広域化していく物すごく重要な仕事がたくさん、まだ最後のところで残っているけれども、次のステップになった途端に、基礎的自治体がとても役割をたくさん果たさなければいけなくなってくるのに、そのときの体制がなかなか整わないという状態になっています。
国と都の関係というのが一方でありますけれども、都と二十三区の関係、都と都下の市町村との関係というのは、いつも同じように議論されてきました。私たちは、その両方を視野に入れながら、国にも権限の移譲をいわなければいけませんけれども、特別区に対しても、実質的に自立して、さまざまな計画が立てられるような環境の中に入っていってほしいと思っています。
都心側での問題というのは、自主的な地域計画機能の欠如と財源不足だということです。これは、東京都の中でも、それぞれの地域から実際に上がった都市計画税や固定資産税が幾らになるかというデータを持っていらして、実際に支払われる金額と、そこに発生している税収の試算との関係を見せていただくことができますけれども、このことがいかに東京の幾つかのところを、何というか、地域から魅力的に計画を立てていって、自分たちが自立していこうという意欲を損なわせているかということを証明することができると思っています。
そのことでいうと、特別区の解消と合併というのは、近々起こってこなければいけない問題だと思っていますし、不動産課税の区市町村への移譲というのは、当然のこととして起こるべきだと思います。不動産課税については、固定資産税というものについては、世界の基礎的自治体にとって共通の財源になっていて、これをベースにしながらまちづくりをするということ、例えば、アメリカやヨーロッパで行われているTIFという概念があります。
タックス・インクレメント・ファイナンシングということで、これを一番上手に使ったのは、シカゴ・ノースループというエリアとか、イリノイ州とか、あるいはミネソタというエリアの、ミネソタ州のセントポールや何かで使われている、アメリカでは五十州のうち四十八の州で、第二次世界大戦以降ずっとこの制度は使われてきていますけれども、タックス・インクレメント・ファイナンスというのは何かというと、自治体が何か事業を起こそうとするときに、財源がない。財源がないときに、これを銀行からお金を借りる。お金を借りるのを、どういうふうにしてお金を借りるかというと、当該エリアで今空洞化していて使い道がない敷地について、そこを容積四〇〇%で開発すると、将来上がってくる税収はどれぐらいかとわかるでしょう。ただ、教育や何かにいっぱい新しい需要が生まれるから、その中のうちの四〇%を二十年間にわたって借金の返済に充てるとすると、一体どれぐらいの金額を借りられるかということを想定して、全く税に頼らないで、そこから上がってくる、つまり、今の税に頼るわけではなくて、将来上がってくる税収を想定して銀行からお金を借りる。
うまくいかなかったときは、自治体のせいになるわけではなくて、銀行がリスクを負ってくれるということです。ですから、その案に関して、銀行が、これはビジネスとして成り立つと思うからお金を貸してくれているわけで、そういうアカウンタビリティーの中でつまり事業が行われていくということでいえば、税に頼らないで、公的資金に頼らない形で、将来入ってくる税収を頼りにしながら、それを担保にしてお金を借りていく事業のやり方というのが、世界の共通なのではないかというふうに思っています。
こういうのをTIFといういい方をしていますけれども、どうやって日本で活用しようかと。さまざまな工夫があるんですけれども、残念ながら債務負担行為というのをこの分野に当てはめることができないために、我が国ではこれを制度化することができないまま、議論され始めてもう五、六年になるんですが、前に進みません。どちらかというと、そうなっていくことを中央官庁は嫌がっているという気配もあるという気がします。
それから、そういうことで成り立つのは、東京のようなエリアに限られるという問題もあると思います。別のいい方をすると、東京だったらできるのにという問題が、もう一つの議論になるかと思います。
もう一つの問題、ここでは、私はパブリック、プライベート、パートナーシップという議論をしましたけれども、例えば、今、上下水道あるいは工業用水の分野でいうと、多分、東京都にもテムズウオーターとか、フランスのパリの水管理会社とか、さまざまな国の会社が、東京の水管理について私たちにも入札の機会を与えろと多分いってきていると思います。全国の自治体に、世界じゅうの企業が声をかけてきています。EUができたおかげで、フランスのCDCが、あるいはEUじゅうのいろんな国に、公共投資、日本の政策投資銀行みたいなところが、自国を超えてよその国に投資するのは当たり前になってしまいました。そういうことから始まって、各国の自国の中の水管理会社が、どんどんよその国にも入っていって競争するというのが、ヨーロッパやアメリカの常識になっています。
水管理については、日本とアメリカだけが、どちらかというと行政でやってくるというやり方をしてきてしまいました。これは今、世界から集中攻撃を受けていまして、我が国でもきっとこの、私たちは当たり前だと思っていた東京都の上水道とか下水道とか、あるいは工業用水道、中水道が、民間に委託して運営をしてもらう。
しかも、この水の再利用に関する技術というのは、私たちの国も進んでいますけれども、世界の国々はもっともっと汚い水を再利用してきましたから、非常に進んでいます。そういうところと競争しなければいけない環境になっていて、日本の国の中だけで枠組みをつくって、町の管理ができるような技術体系というのはなくなってきています。
コントラクトアウトというふうに私はいいましたけれども、外注するというのは、単純に日本国内の企業が競争的に外注するだけでなくて、世界の企業がみんな虎視たんたんと待っています。
そのことでいうと、道路管理から、あるいは水の管理から、ひょっとすると教育についてまで、さまざまな分野で、外国も日本の中に事業機会を求めて入ってこようとしています。
そのことでいうと、今、水や消防や警察や教育というのは、新たな都の独立機関が何らかの形でというか、今もその形を持っていますけれども、もっともっと民間に近い形で運営されていくことがあるかもしれないというふうに思っています。基礎的自治体の中では、猛烈にたくさんこういうサービスが起こってきて、行政職員が一体何をするのかと思うほど職員の仕事は減ってきて、そして職員は、どちらかというと、契約に立ち会って、その契約がうまく履行しているかどうかというコントラクトマネジャーという仕事をするようになっていく。そういうことの専門家というのが、新しいロイヤーという形で生まれてくる、ロースクールから生まれてくる人たちでバックアップしようという国の体制も徐々にでき上がってきているというふうに考えてください。
そういうことで、当面市町村は、市町村の基礎的自治体としての機能の充実というのを、今私たちはやらなければいけないことだと思っていますし、広域自治体としては、郊外の都市、都市のエリアが、セコンドベルトとして公共交通が充実されながら、郊外地域がどういうふうに魅力的に都市連携するかということを計画を立てなければいけないというふうに思っています。それが今やらなければいけないこと、しかし、もう五年、十年先を考えると、新しい行政のシステムが迫ってきているというふうに私は思っています。
コミュニティバスなんかの議論というのは、東京のエリアで成功しないところなんて、どこでやっても全くないと思います。つまり、人件費の問題だと思いますけれども、よくいわれていますように、渋谷から代官山を通る東急がつくっているコミュニティバスの会社があります。百円とか百五十円とかという運賃で、物すごい収益率ですね。これは、運転手さんのお給料を年間契約で三百万円と区切っているからです。通常、東急バスの運転手さんのお給料は、平均するともう一千万になろうとしていて、私たちはほとんどそのお給料を払うために乗っていて、なおかつ足りないで援助しなければいけない状態になっているわけですけれども、もしこれを本当に年間契約で運転する、三百万円、四百万円で、若いお嬢さんたちのお仕事というので提供することができれば、コミュニティバスなんて成り立たない場所は一カ所もないと私は思いますね。人件費の問題だというふうに思っています。
一つ目の問題というのは、人口の都心回帰が引き起こす新たな行政需要と都財政の関係というのを、ちょっと抽象的だったかもしれませんけれども、大きい枠組みの中でお話をしました。
二つ目が、大都市自治体税収を都市再生などの社会基盤整備に有効に活用するためと。これは、よくいわれるのは、TIFとかPFIとか、プロジェクトファイナンスのシステムをどういうふうに使うかということだと思います。
東京都が新しく考えられている銀行論というのは、ちょっと僕にはまだ見えてきませんけれども、恐らくこれは東京都の中にある中小企業や何かで、信金や何かがその資金量を確保できていないので、信金や何かとバックアップしながら、タイアップしながら、多分SPCのようなものをつくって、東京都の方は劣後に置いて、信金や何かが主たる出資者になりながら、上手にバックアップしていって融資をしていこうという考え方だと思うんですね。これは、ある種の産業論として、資金をある地域に流入させるシステムとしておもしろい方法ではないかと思っていますけれども、これも成功するかどうかというのは、何人でできるかということにかかわることなのかもしれません。
今私が申し上げましたのは、どちらかというとそういうことではなくて、制度としてやっぱりSPCを使ってPFIのような事業をつくったり、あるいはTIFのようなシステムをつくっていって、民間の資金を上手に使いながら、公的な事業をやっていく。その中には、補助金つきでPFIということも十分起こってくると思いますし、国の制度がどこまでも補助制度を残してくれるのだったら、補助金を入れて、最も少ない補助でできる入札というのも出てくるかもしれません。
都財政制度、広域行政体として都財政は何を考えるべきなのかというと、広域の行政体として考えなければいけないのは、港湾地域とか、広域連携交通とか、広域廃棄物処理とか、国際空港とか、広域都市基盤整備とか、エネルギーとか、水とか、廃棄物とか、環境とか、先端性とか、文化とか、先端技術とか、こういうものになっていくんだと思います。こういうものにどんな資金を投入することができるかというと、基本的には、さっき違った説明をしましたけれども、民間の資金と上手にタイアップしながら都がそれをバックアップするというシステム、つまり、背後から、最後のとりでは応援するけれども、基本的には主力は民間の資金とノウハウで動いていくような体制をつくることで、それを上手に、つまり、リスクをきちんと民間にもとってもらいながら、三セク方式ではないような形の新しい資金調達の方法があると思っています。
この広域については、税の問題というふうに余り思ってはおりません。どちらかというと、民間の資金はたくさんある状態で、その資金の金利も極めて低い状態にあるわけですから、現在、税財政制度で何かしなければいけないというふうには思っておりません。
都市自治体の税収確保と国からの税源移譲ということで、私自身は、課税権というのを、どの部分を都がとるべきなのか、あるいは基礎的自治体がとるべきなのかという議論ですが、この上側に書いてある所得税、法人税、揮発油税、酒税、相続税、たばこ税、印紙税、その他、これは国税といわれているものです。国税の中からどれを自治体の側に持ってくるべきか。その下に書いてあるのが、どちらかというと基礎的自治体ではなくて広域自治体が持っている財源で、外形標準課税とか法定外目的税とか普通税とかいわれるもの、地方消費税のうちの半分。固定資産税、都市計画税は、東京都だけが固有に今持っているもので、それ以外に住民税というのがあります。
本来、この固定資産税、都市計画税がそのまま都区財調の財源になるのではなくて、これは、私は基礎的自治体に移していくべきものであるというふうに思っています。ただし、今のまま税源配分すると極めて不公平なので、ある種のクラスターに分けて、グループでというか、郊外型から都心までのワンセットでエリア化するような何らかの形の市町村合併が必要なのではないかとか、市町村合併がないとしても、都市連合のような形で、それを一体としてみなすような工夫が必要になるのではないかと思っています。
では、何が必要なのかというと、私は、東京都が今やっているいろいろな意味での法定外--今、銀行税というのは、地方税の体系の中でやったのでもめているんだと思いますけれども、あえて法定外というやり方で、条例で対応するということもあったかと思いますけれども、ただ、銀行税についても、もう皆さんの方がはるかにお詳しいわけですが、東京に固有の問題なわけですよね。あんなことが静岡で起こるわけじゃなく、どこにでも起こるわけでもなくて、地域の問題については、地域が最もわかりやすい。つまり、税源を何とするのがいいかということについて、つまり、普通税でない場合、目的がはっきりしている場合は、地域が一番わかりやすい立場にあるので、そのときそのとき考えるべき問題だというふうに思っています。
一般的に財源をどう確保するかということでいうと、東京都は猛烈に税源が不足しているというふうに私は思っているわけではありません。どちらかというと、かかっている費用の方が多過ぎるというふうに思っておりまして、しかも、その事業については、どちらかというとコントラクトアウトする。しかも、民間の事業としてやっていて、多くのものについては料金を取ることが可能になるものだというふうに思ったりもしています。
東京都の都下の幾つかの市町村では、一般廃棄物処理についても有料化しています。これは、多分町田市も今考えようとされていると思いますけれども、多くの自治体で、つまり、二十三区も含めて有料化するというようなことができていくと、一人の区民におおむね二万円から二万五千円の廃棄物処理料がかかっているとすると、八百万人の人口だとすると、一人二万五千円だと幾らという計算ができたりすると思います。これは増税ですね。料金といいながら、今まで税金でやっていたものを料金を取るわけですから、その浮いた分は増税ということになってしまいますけれども、本来料金で取れるものについてきちんと取っていく、そういうことというのが、地方の行政サービスを受益する人の基本的な考え方。もっとも、経済的弱者といわれる人たちを配慮するのは当たり前ということを前提にした上で、そういうことを議論すべきだと思います。
ということで、私が申し上げたかったのは、大きな構造として、固定資産税のような財産税に関して、もっと地域の計画者のインセンティブが働くような工夫をしてほしいということと、民間的な手法が導入しやすいような体制にするためには、東京都がTIFにかかわるのではなくて、基礎的自治体がTIFにかかわれるような、つまり、将来税収を想定しながらいろいろなプランをつくれるような関係をつくれるような形にしていただくことが、都市問題とか東京の空間全体を考えたときの問題としてとても重要になると思っています。
しかも、郊外の交通とか、幾つか議論しましたけれども、ほとんどのものは、今までのように、例えば立川のモノレールのように、あんなにお金がかかるなんて--海外の人に説明すると、みんなひっくり返ってしまいますよ。これは今、海外のさまざまな企業が日本に入ってきて、公共交通を整備してもいいぞというふうに提案をしてきていると思います。フランスの企業もいってきていますし、ドイツの企業もいってきていると思います。こういうところも、海外も含めて競争入札をすれば、多分LRTの整備や何かは、今日本でやられているかなり高い水準の整備水準をやったとしても、ワンユニットで、対象が五、六十万人のエリアで、走行距離が十五キロ、二十キロのレベルで、四百億円ぐらいのレベルでできてくると思います。モノレール二キロ分でできると思っていますので、今までのやり方を何らかの形で変えていくことが重要なのではないかと思っています。
いいたいことを全部、歯に衣を着せずストレートに全部申し上げましたので、前にいらっしゃる方は余り気にならなかったけれども、後ろの方にはかなり失礼なことを申し上げたような気もしますけれども、思っていることを話させていただく機会をいただきまして、本当にありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
○立石委員長 ありがとうございました。
黒川先生には、貴重なご意見をお伺いすることができまして、お礼を申し上げます。
これをもちまして黒川先生の参考人意見の聴取は終わらせていただきます。
○立石委員長 それでは、神野先生、発言席にお移りください。
ただいまご着席いただきました先生をご紹介いたします。東京大学大学院経済学研究科教授の神野直彦先生でございます。
本日は、ご多忙のところご出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表してお礼を申し上げます。
行財政改革の基本問題につきまして、ご専門のお立場から、おおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
なお、神野先生には、ご着席のままご発言していただきたいと思います。
それではよろしくお願いいたします。
○神野参考人 ご紹介にあずかりました東京大学の神野でございます。よろしくお願いいたします。
本日は、お招きにあずかりまして、本当にありがとうございます。
着席をしたままでお話をさせていただきますが、きょう、行財政改革で税源移譲の問題などに触れるようにというお話をいただいていたのですが、昨日お電話をいただきまして、今もめている分権改革推進会議の説明をも含めてくれというお話でございますので、それを含めてご説明しようというふうに考えておりますが、実はまだ、今闘いながらやっておりまして、一任したことには--一任しないといっているわけですけれども、議長の方が取りまとめた最終案がきのうの夜に送られてまいりまして、これにきょうの十二時までに意見を述べろということでした。
私ども四人でやっておりますので、四人の調整をとらなければならないので、今ずっとやっていたのですけれども、なかなかまとまらずに、今もう都議会に行かなくちゃいけないので勘弁してくれと、今やりながら、こうやっておるところであります。私の方が、例えば、このような事態は深い悲しみを覚えざるを得ませんというふうに書くと、知事の方が、強い怒りと書けとか、そういうふうになってきて、もめるものですので、ちょっとまとまらずに、そういう状態でお話をさせていただきます。
ちょっと生々しい話からで申しわけございませんが、いわゆる水口試案というふうにいわれております分権改革推進会議の方に提出されました最初の案、これはほとんど変わっておりませんので、二〇ページからが本当のたたき台、五月八日に突然委員会の方に提出された案がございます。二十枚目があるかと思いますが、ちょっとごらんいただければと思います。
問題なのは、特に東京都にとって問題なのは、二一ページですけれども、(4)の地方税ということになっているわけですよね。これは、「税源移譲を含む税源配分のあり方の見直しは、課税権の配分の見直しであることを明確化。受益と負担の関係を明確化する観点から、税目としては個人住民税を重視するとともに、課税自主権について税率決定権の拡充等抜本的見直し。」、どうもここら辺からのイメージからいうと、地方で少し増税をやりなさいねというニュアンスが聞こえるわけですね。
しかも問題なのは、その次の小さな丸でございます。「国・地方の財政状況を踏まえれば、歳出の徹底的な見直しを行っても、なお国税・地方税とも増税を伴う税制改革が必要であり、税源配分の見直しもその中で実施。」と書いてあるわけですから、当然増税のときに実施するというふうに読まざるを得ないということですね。
私、後で反論を書いておりますけれども、増税のときに税制改革を行って税源配分の見直しをするというのは、三位一体ではない。なぜなら、増税のときに税源配分を見直すのではなくて、補助金と交付税の改革を行ったときに税源配分の見直し、つまり、税源の移譲を見直すのだから三位一体というのであって、増税のときに税源配分を見直す、つまり税源移譲をやるというのであれば、これは一位ばらばらというか、少なくとも三位一体ではないということですよね。ということで、これは先送りだと。大体いつ増税やるんですかと。
戦後の日本の歴史の中でもって、増税を一方でやりながら、片一方で減税で税収中立とかしておりますので、私の記憶している限りでは、少なくとも第二次世界大戦後、日本は純粋な増税をやったことはありませんから、こんなことをやられたら、幾らでもいい逃れをして地方に持っていかざるを得ない。これをやられると、いつも困っちゃうのは東京都ですね。この間の義務教育費国庫負担金のときにも、交付税で裏打ちされてしまえば、東京都は不交付団体ですから、一切入らないということになるわけです。補助金は、前に書いてありますように、数兆円規模で切るといっているわけですから、数兆円規模で切られた暁に、増税時まで税源移譲を待たされたら、とてももちませんということが一つの論点であります。
もう一つの論点は、地方交付税の改革という、上の(3)のところです。これはちょっとおわかりにくいかと思いますが、後で詳しく概念説明を申し上げますけれども、「地方交付税の法定率分と、地方財政対策による追加分の性格の違いを明確化。」つまり、国税の一定割合が、今、例えば所得税であれば三二%というように、一定割合が交付税の財源になっているんですけれども、それじゃちょっと足りないものですので、地方交付税の特別会計が借金をして財源を調達しているわけですね。その部分を明確に分けましょうというふうにいっていて、この「法定率分は『地方固有の財源』であるとの指摘を踏まえ、」--これは僕が指摘したからだと思いますが、固有の指摘を踏まえて、地方共同税という名前にして再構成して、「客観的指標により歳入面」、つまり、歳出面は見ませんよと。財政需要は見ないで収入面だけしか見ないということをやるのだというふうにいってきているわけですね。
この内容がよくわかりませんでしたので、歳入の面の格差というのは一体何ですかと、税収の格差のことですかというと、いや、一般財源の格差ですと。一般財源というのは地方税プラス交付税ですから、地方税と交付税を合わせたものをまた交付税でやるというのはどういうことでしょうかとか、全然よくわからない理屈をいっているわけですね。
これが非常に東京都にとって深刻なのは、このことの意味は何かというと、後で正確になってきますように、水平的財政調整、簡単に平たくいってしまえば、逆交付税をやろうということですね。つまり、今の交付税に入っている税源を地方税にして、そして全部、東京都であれば、地方交付税に入っている所得税部分については、住民税とは別に条例をつくって、東京都の税金として取る。そして、これを地方団体共同のプールに入れて再配分し直すということですので、東京都の税金を取ってきて--東京都の税金だけではありません、つまり、みんなが、地方団体が条例をそれぞれつくって、配り直しますと。しかし、歳入の格差しか見ませんということになりますので、最終的には一人頭の税収というふうにいっておりますから、東京都は一人頭の税収でいけばトップですから、これは、とてもじゃありませんがもらえません。
そうすると、どういうことになるかというと、都議会は、共同税の条例をつくるために延々議論をするわけですよね。その議論をして東京都が共同税の税率をつくると、東京都には一銭も入ってこない。一銭も入ってこない税金を、東京都の都議会議員がかんかんがくがく、税率幾らにしてどうやって法定するのかと議論して、その分だけ時間とお金が費やされるだけということになるわけですね。
もっと深刻なのは、東京都よりも深刻なのは、今、財政破綻が寸前の例えば大阪府などは、一人頭の税収でいうと、やせても枯れても全国第四位ですから、ここはもらえないことになります。しかし、財政需要は、東京都と同じように、近隣から人々が入ってきて、住民は少なくともさまざまな財政需要がありますので、当然財政需要と収入との格差があって、結局、交付税をもらっているわけですよね。ところが、そこはもらえなくなってしまう。もらえなくなってしまうどころか、取った税金は取られっ放し。これは余りにもひどいし、おかしいのではないかと。ただ、これは先送りといいますか、将来の課題として、これはまだ一つの選択肢ということで残っている。
これが大きくいいますと二つのポイントです。この二つに明け暮れて議論したというのが地方分権改革推進会議の現状でございまして、最初にちょっと生々しい話ばかりをして申しわけありませんが、一応そういう議論が行われているということを前提にした上で、少し行財政、特に財政問題について、現在の動きを参考にしながらお話し申し上げたいと思いますが、お手元に二枚のレジュメが行っているかと思います。
この二枚のレジュメを見ていただきますと、2のところに過去及びヨーロッパからの教訓ということがございまして、これは三つの選挙ポスターの標語です。「地方に財源を与ふれば 完全な発達は自然に来る」「地方分権丈夫なものよ ひとりあるきで発てんす」「中央集権は不自由なものよ 足をやせさし杖もらふ」。つまり、地方に財源を与えさえすれば、地方自治体の完全な発達というのは自然にやってくるんだ。地方分権というのは丈夫なものであって、地方はひとり歩きで発展することができる。それから、中央集権は不自由なものであって、地方の足をやせさせてしまって、つえをもらわないと生きていけなくなってしまう、こううたっております。
これは、一九二八年の第十六回総選挙で、時の最大の政党、政友会が使った選挙ポスターです。この一九二八年の第十六回の総選挙というのは、日本の民主主義にとって決定的な意味を持っておりました。それは、第一回目の普通選挙なんですね。では、なぜこんな普通選挙に政友会はこういうポスターを出したのかといいますと、その当時、大正デモクラシーという運動が起きて、その大正デモクラシーの成果として普通選挙権が認められるようになるわけですよね。その大正デモクラシーの運動というのは何で起きたのかといいますと、両税移譲です。二つの税金を国税から地方税に移譲しろ。つまり、その当時、地租、現在の固定資産税ですが、地租と営業税、現在の事業税、二つの税金を国税から地方税に移譲しろという、そういう運動が大正デモクラシーという運動だったんですね。
その成果として普通選挙が実現いたしましたので、時の政友会、最大の政党である政友会は、選挙ポスターとして税源の移譲を明確にうたった。つまり、両税移譲をうたったということですね。国税から地方税への移譲というのは、これは日本の民主主義の悲願なんですね。
こうした大正デモクラシーの運動を踏まえて、シャウプ勧告は、税源の移譲は第二次世界大戦前には行われませんでしたけれども、第二次世界大戦後にやってきたシャウプ使節団は、この大正デモクラシーの運動を踏まえながら、シャウプ勧告において、当時、地租と家屋税を抱き合わせて固定資産税として、市町村税の独立税として国税から地方税に移譲しなさい。それから、もう一つ、営業税を事業税として、道府県の独立税として移譲しなさい、そういう勧告を出したわけですね。この税源移譲というのは、基本的に日本の民主主義と結びつき、そして、これは、地方自治体が運動によってかち取ったものであるというふうに理解すべき問題ではないかというふうに考えております。
三番目に、水平的な財政調整と垂直的な財政調整というふうに申し上げておりますが、これは、交付税の解説と、先ほどいいました地方共同税みたいな、何かわけのわからない議論が出てまいりましたので、少し概念を整理するために、垂直的な財政調整と水平的な財政調整というのはどういう意味を持っているのかということをお話ししてまいりたいというふうに思っております。
交付税という制度ができたのはいつかといいますと、これは、一九二〇年にドイツのワイマール共和国のもとで、エルツベルガーの改革といわれている改革によって実現をした制度であります。この交付税の制度というのは、財政調整制度というふうに呼ばれますが、どういう意図でつくられたのかといいますと、ドイツなどは、バイエルンはバイエルン、ヘッセンはヘッセンというふうにみんな独立しておりましたので、これを国民国家として統一していくためには財政調整制度が必要だというのが当時の発想方法であります。したがって、ドイツが財政調整制度を入れたときの合言葉は、ドイツは一つだということですね。
そうしたドイツの議論を踏まえて、ドイツ財政学の方では垂直的な財政調整と水平的財政調整をどう定義しているのかというと、垂直的な財政調整というのは、国と地方の財政関係を調整すること、水平的財政調整というのは、地方自治体間、つまり、同じレベルの政府間の財政関係を調整すること、こういう二つの意味がございます。
垂直的な財政調整、つまり、国と地方の財政関係をどうやって調整するのかということですが、これは二つのことをやらなければなりません。国にどういう行政任務を配分するのか、地方自治体にどういう行政任務を配分するのかということをやらなければならない。それが行政任務の配分というふうに書いたところですね。
それから、もう一つのことをやらなければなりません。国に与えられた行政任務を遂行できるような課税権、税金を取る権限を与えること、それから、地方自治体が地方自治体に与えられた行政任務をきちっと遂行できるように、それを保障する課税権を与えること、この二つのことをやるというのが垂直的な財政調整でございます。
地方自治体に行政任務を配分しますと、当然ですけれども、そこに財政需要が生じてきます。それから、地方自治体に課税権、税金を取る権限を与えますと、その地域社会から税収を取ることのできる、課税力というふうにいっておりますが、課税力が生じます。ところが、財政需要と課税力を合わせて私たちは財政力といっております。課税力は非常に東京のように高くても、財政需要がうんと多ければ、これは財政力としては弱い。課税力、税収を取る力は弱くても、財政需要がほとんどないところであれば、財政力は強いと見ますので、財政力というのは、財政需要と課税力、二つのことを考えなければなりません。
地方自治体に行政任務と課税権を割り当てると、地方自治体の方に財政需要と課税力が生じてきますので、この財政需要と課税力を合わせた財政力をどうやって調整するのかというのが、水平的財政調整ということになるわけです。
国と地方の財政関係を分権的にするということをするためには何をすればいいかといえば、行政任務を身近な政府である地方自治体に、つまり、住民にとって身近な政府である地方自治体に多く割り当てれば、分権的になります。ところが、日本は非常に地方自治体に多くの任務が割り当てられているのですけれども、割り当てられていたとしても分権的にならない場合が二つあるというふうにいわれています。
一つは、行政任務を地方自治体に割り当てるのだけれども、その行政任務に対する決定権を国が握ったままでいる。そして、地方自治体はただ執行するだけという、行政任務における決定と執行、あるいは行政任務における決定と支出といってもいいかもしれませんが、それが非対応になっていると、集権的であって分権的ではない。日本の地方自治体というのはみんなそうなっているわけですね。これまで、廃止されるまでは、機関委任事務という国の事務を、仕事をやらされていて、決定権は全部国が持っているということになっていたということになるわけですから、これがまず一つの問題になる。
もう一つは、行政任務を地方自治体に多く割り当ててはいるんだけれども、それに対して課税権をわずかしか割り当てない。そうすると非対応になってしまいますから、何に頼るかというと、補助金に頼るか、財政調整、一般的な財源に頼るのかわかりませんが、課税権は非対応になっている。
この二つの非対応が生じてくると、地方自治体の方に多く行政任務が割り当てられていたとしても、分権的にはならないというふうに考えられているわけです。もう少しいいかえれば、日本の現実に引き戻していえば、機関委任事務の廃止と税源の移譲、この二つが車の両輪にならなければ、地方分権というのは進まないんだということですね。
地方分権をなぜ進めるのかということですけれども、これは、一九九五年に制定されました地方分権推進法の第一条にうたわれておりますが、「ゆとりと豊かさを実感できる社会を実現することの緊要性にかんがみ」地方分権を推進するというふうにうたっておりますので、私たち国民は、少なくともゆとりと豊かさの実感できる社会、これを実現する緊要性にかんがみて地方分権を推進する。なぜかというと、遠い政府でもって、住民より遠い政府である中央政府でもって公共サービスを決定してしまうと、地域で行われている多様な国民の生活に合わないサービスが出てきてしまうということですね。
いいかえれば、日本でいうと、型紙が全部地方自治体に配られて、この型紙に合わせて全部同じ洋服を組まなければならない。やせている人と太っている人がいるように、体型は全然違う地方が、個性豊かな地方があるにもかかわらず、同じ型紙が配られて、これに生活の方を合わせろというふうにいわれているから、ゆとりも豊かさも実感できないんだと。
ゆとりと豊かさが実感できるようにするためには、公共サービスを、多様な生活、地域で行われている多様な生活に合わせて型紙が幾つでもできるようにしましょうねというのが、つまり、身近なところで公共サービスの受益と負担を決定できる、それによって自分の体型に合った洋服、公共サービスを提供できるようにするというのが地方分権の目的であります。そのことによってゆとりと豊かさが実感できるんだということが地方分権の目的になっているわけですね。
地方分権推進法に基づいて設立された地方分権推進委員会、これは私も入れられていたのですけれども、一昨年の七月に解散するに当たって最後の報告を出しました。税源移譲が次のステップなんだという報告を出して、これは地方分権のベースキャンプなんだといったわけですね。これは、諸井委員長が本当に苦労されて、血へどを吐くような思いでつくられたベースキャンプです。私ひとり分権改革推進会議に残されました。
私は、分権推進委員会が、何で地方分権改革推進会議というふうに改革という文字が入ったのかということに早く気がつけばよかったんですね。地方分権改革推進会議というのは、地方分権を推進するのではなくて、地方分権を改革してやめてしまうということを推進するという会議だった。(笑声)それに早く気がつけばもうちょっとやり方もあったんですが、途中まで気がつかなかったものですので、このベースキャンプをとにかく崩されない、私の任務は、一歩でも二歩でも進めるということが任務なのにもかかわらず、崩されないで守るということに努力するしかないだろうということです。
お手元のこちらの資料の方の、また右の方の手書きの数字でごらんいただければと思いますが、三ページ目からです。第3章、第二次分権改革の始動に向けて、これが、地方分権推進委員会が解散するに当たって、次の課題なんだといい残した、いわば諸井委員長の遺言--遺言というと死んじゃいますので、まだご存命というか、かくしゃくとしてご活躍ですので、分権委員会の方の遺言として残したものでございます。これはベースキャンプにしなければならないものですね。
これは、地方税財源の充実確保というのをまずうたっていて、1の(1)のところを見ていただきますと、「地方税源については、地方分権を更に推進するため、既に第二次勧告等で述べたように、地方の歳出規模と地方税収との乖離の縮小、住民の受益と負担の対応関係の明確化などの観点から、その充実確保を図っていくべきである。」、こういうふうにうたっているわけです。
そして、お手元の七ページ目を見ていただきますと、地方税源の充実策というふうに書いてありますが、その(2)を見ていただきたいと思いますが、「この場合」というのは、地方の税源を移譲する場合なんですね。地方税源を移譲する場合、「地方公共団体の自己決定、自己責任の拡充及びその発揮を税財政面において適切に担保していくためには、地方税の中でも特に基幹税目の更なる充実が不可欠である。」これは、明確に基幹税目を入れるのに一カ月かかっているんですから、交渉して。これは抜けません。つまり、基幹税目というのは、たばこ税とか--この間も何か、先生、税源移譲が実現しましたと。何やったんだといったら、自動車重量税ですと。それじゃまずいんですね。明確に基幹税目。
基幹税目というのは、課税ベースの広い、具体的には個人住民税とか消費税とか、そうした重要な基幹税目を移譲してもらわないとだめだということを明確にうたっているんです。これは一歩たりとも後退することはできない。これをうたってもらわないと、これは最後までの、きょうの修文の条件になっていますので、税源移譲は、明確に基幹税目を入れない以上認められないと。
しかも、この税源移譲については、私の理解では、あの分権推進会議においてすら多数意見だったというふうに思っています。寺島委員も、基幹税目というのは、ちゃんと神野さんのペーパーに書いてあるように入れるべきだとおっしゃっておりましたし、吉永委員もおっしゃっておりましたので、これは六対五で、どう考えても多数意見だというふうに思っていますので、基幹税目というのを入れてもらわないと。それが入っていなければ、税源の先送りだというようなことにならざるを得ないというのがお二人の意見でしたから、そういうふうに見られてしまってもしようがないという意見ですので、基幹税目をぴしっと入れるということをしなければならないということですね。
ちょっと時間がございませんので、そういうふうに明確に基幹税目が重要だということをうたっているということだけで、ここはとにかく妥協できないということです。
それに対して、地方分権という限りは、国から地方に税源をもらうというような甘えたことをするのではなくて、課税自主権を使って、つまり、税率を引き上げたり何かして、地方が額に汗をかいて税収を確保するというのが筋だという議論がありますが、それは間違いです。私たちがいっているのは、行政任務と課税権が既に非対応になっている、これを是正してくれといっているわけですから、それを是正した暁に、それぞれの地方自治体が、みずからの自主的な課税権を行使して独自の財政需要に対応していくというのは、それは構いません。しかし、この非対応を解消してもらわない限りは、課税自主権ということに依存して地方税収を確保するというような意見を認めるわけにはいかないというふうに考えております。
第一、これは実験済みなんです。第二次世界大戦後、基幹的な税目、つまり、当時は固定資産税も事業税もなかった、そういう状態のもとで課税自主権を大幅に認めたことがあります。そのときに、その現実を見て、シャウプ勧告は、次のように勧告をしているわけです。
お手元の一〇ページからがシャウプ勧告になっておりますが、やはり右の手書きの方で見ていただければと思いますが、一〇ページ、一一ページというところを見ていただきますと、一一ページの左側、上から七行目から見ていただきますと、「地方当局が賦課する」、課税する「租税の数は減少されねばならない。」数が多過ぎる。「現在約三十種の法定独立税が賦課されており、」つまり、基幹的な税目が地方税に与えられていなかったんです、地租とか事業税とか。したがって、法定税だけで三十種類あった。物すごい量あったわけですね。「加うるに、多くの地方は多数の法定外独立税」、独自課税をやっていると。ホテル税というのはいい税金ですのでちょっと申し上げておきます。ホテル税というのは、ヨーロッパでも全部どこでもやっている税金ですので。それはどうでもいい話--どうでもよくありませんが、いずれにしても、法定外独立税を課していると。
その括弧の後から見ていただきますと、「たとえば、北海道町村会の報告によれば、七十七種の法定外独立税が北海道各地の市町村によって課せられている。」七十七種類の独自課税をやっていたんですね。どんな税金があったのかということを見てみますと、次の一二ページをごらんいただきたいと思いますが、一二ページの左側の下から九行目あたりから見ていただきましょうか。
「多くの地方当局は、一般に不満があるにもかかわらず緊急手段として細かな法定外独立税」、つまり独自課税に頼っている。「たとえば、庭園税、ミシン税、扇風機税、製紙機税、タンク税、橇そり税、養蜂施設税」、ミツバチの箱か何かにかけたんでしょうかね。「冷蔵庫税、筏いかだ税、炭焼窯税、麻雀牌税および材木積載機……」というのは何でしょうか、わかりませんが、「……税の如きがこれである。」こういうふうにいって、さまざまな税金がかかっております。
日本は、あらゆるものに税金をかけてきました、地方に基幹税が与えられなかったために。戦前で申しますと、芸子税、芸者さんにかけました。芸者さんだけかけると男女不平等だというので太鼓持ち税、それから電柱税、電話税。それから広告税、これはつい最近まで京都で残っておりましたし、それから犬税。犬税は、皆さん、私の年でさえ知っておりますので、最後に長野県、何村だかわかりませんが、昭和五十三年か八年に長野県がやめるまで、犬税というのは残った。犬税は結構いい税金で、ドイツの地方税としては、基幹的な税目として犬税は成立しております。それから馬税、ウサギ税、牛税、ほとんど家畜には税金をかけましたが、猫だけはかけておりません。私の調べたところによりますと、猫に税金をかけた国は一カ国もありません。所有権が確定できないとか、わけのわからない理屈をいっておりますが、(笑声)いずれにしても、あらゆるものに税金をかけたということですね。そういうことをやると非常に不健全なものになってしまうと、基幹的な税目を与えなさいと。
お手元の一一ページの右側の上から二行目から読んでいただきたいと思いますが、「地方当局が細かい法定外独立税を過度に、」つまり独自課税を過度に、「しかしておそらくは不健全に使用する現在の傾向の下にある原因は、地方当局が甚だしい歳入不足に陥っているということである。もし地方当局が実質的で依存できる税源に接するならば、法定外独立税の問題は大いに減少し、異常の場合以外には地方の決定に安んじて委せておくことができるであろう。」と、こういうふうにシャウプ勧告は勧告しているんです。
もしも基幹的な税目、つまり、地方が、実質的に依存できる税源を与えなければ、結局は不健全で不公平な税金をつくらざるを得なくなってしまうんだということを勧告しているわけですね。この勧告の精神からいっても、まず基幹的な税目を移すというのが筋だろうというふうに考えております。
こういうことは世界の常識からいって常識外れなのかというと、そうではありません。世界の地方分権の流れをつくったのは、一九八五年に制定されたヨーロッパ地方自治憲章です。このヨーロッパ地方自治憲章は、現在、ヨーロッパ諸国の三十数カ国がとにかく批准いたしております。
右側の手書きで書きました数字の一五ページから見ていただきたいと思いますが、第四条、地方自治の範囲、これは重要なものですけれども、第四条の三を見ていただきたいと思いますが、「公共部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする。」これが補完性の原理です。補完性の原理というのは、個人ができないことを家族が、家族ができないことをコミュニティが、コミュニティができないことを市町村が、市町村ができないことを都道府県が、都道府県ができないことを国が、国ができないことをEUがというふうに補完していくというのが原則ですから、この補完性の原理を明確にうたっているということですね。
下の第九条からが地方財政に対する規定になっておりまして、地方自治体の財源というところですね。一項から見ていただきますと、「地方自治体は、国家の経済政策の範囲内において、かつ自らその権限の範囲内において、自由に使用することのできる適切かつ固有の財源を付与されなければならない。」
次の一六ページをおめくりいただきまして、「地方自治体の財源は、憲法及び法律によって付与された責務に相応するものでなければならない。」仕事に応じて、行政任務に応じて、ちゃんと対応して配分しなさいといっているわけですよね。
それから三番目、「地方自治体の財源の少なくとも一部は、法律の範囲内において、当該地方自治体が自らその水準を決定することができる地方税及び料金から構成されるものとする。」
それから四番目、「地方自治体に付与される財源の構造は、その責務の遂行に相応して伸長していくことができるよう、十分に多様でかつ弾力的なものでなければならない。」、こういうふうに規定しているわけです。
そして、五番目も重要な点ですけれども、「財政力の弱い地方自治体を保護するため、財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした財政調整制度又はこれに準ずる仕組みを設けるものとする。」と書いてあるわけですね。これは、さっき見ていただいたように、財政収入だけを調整するなんていっていません。財政収入及び財政需要とちゃんと明確にうたっているんです。そして、「ただし、これは、地方自治体が自己の権限の範囲において行使する自主性を損なうようなものであってはならない。」しかし、とはいえ、お金を配ってもいいけれども、自主性を損なうようなものであってはいけませんよと。
そして六番目を見ていただきたいと思いますが、「地方自治体は、財源の地方自治体への再配分に当たっては、」つまり、財政調整で再配分しなければいけないけれども、「地方自治体の再配分に当たっては、その再配分の手法につき、適切な方法によりその意見を申し出る機会を与えられなければならない。」つまり、地方自治体間で再配分してあげるということは必要なんだけれども、その再配分のやり方については、地方自治体がちゃんと意見をいえるようにしなさいということを規定しているわけですね。
それから七番目を見ていただきますと、「地方自治体に対する補助金又は交付金は、可能な限り、特定目的に限定されないものでなければならない。」何か限定して、日本でやっている国庫支出金ですよね、つまり、負担金や何かについて、目的を特定したものを可能な限り限定、少なくしなければならない。「補助金又は交付金の交付は、地方自治体がその権限の範囲内において政策的な裁量権を行使する基本的自由を奪うようなものであってはならない。」しかし、仮に配ったとしても、日本のように補助要綱をくっつけて、こういうふうにしなくちゃいけないといろんな厳しい制限を設けちゃいけませんよと。
これはもう廃止されていますが、例えば都市公園の補助金なんていうのは、おすべり台とブランコと砂場、三種の神器で、この三つがないとだめよといっているわけですから、全国どこへ行っても砂場とブランコとおすべり台ができる公園ができ上がっちゃう、こういうことになるわけですよね。こういう縛りを入れちゃいけませんということをここでうたっているわけですね。
八番目、地方債というのは、どこの国でも投資的な経費にしかできませんので、出資金とか公共事業にしか使えません。「投資的経費の財源を借入金によって賄うため、地方自治体は、法律による制限の範囲内において国内の資本市場に参入することができる。」、こういうふうに書いているわけですね。これがヨーロッパ地方自治憲章です。
このヨーロッパ地方自治憲章を受けて、一昨年、国連が世界地方自治憲章をつくろうという動きを示しました。それが一七ページ、今めくっていただきました次のページをおめくりいただきたいと思いますが、世界地方自治憲章ですね。これは、ほとんどヨーロッパ地方自治憲章と内容は同じです。
四条の三を見ていただきますと、「行政の責務は一般的に市民に一番近い行政主体によって行われるべきである、ということを意味する補完及び近接の原理に基づき、」と、こう明確にうたっているわけですね。
それから、ちょっと時間がありませんので第九条を見ていただきますと、第九条、地方自治体の財源、一項、二項、ヨーロッパ地方自治憲章と大体同じことをいっております。
おめくりいただきまして次のページですけれども、五項を見ていただきますと、ここでも、「脆弱な地方自治体のため、財政の持続性を、垂直的(国と地方自治体間)、水平的(地方自治体間)又はその両方であるとを問わず、特に財政調整制度により保護しなければならない。」、こういうふうにうたっているわけです。
この世界地方自治憲章は、一昨年、国連が批准しようと思ったんですが、二カ国、大国が反対したためにだめでした。一カ国はアメリカですね。アメリカは、我が国は連邦国家であって、州と市町村との間の関係について連邦が口を出すわけにいかないから、これは批准できないということを申しました。もう一カ国、中国が拒否いたしました。いずれにしても、中国、アメリカが反対をしたということですね。
以上のように考えていただければ、私が、地方分権推進委員会、つまり、諸井委員会のときにベースキャンプだといって、我々が、次の改革目標というのは税源移譲なんだというふうに明確にしたことというのは、決して世界の常識から外れているものではないというふうに確信を持っております。
それを、補助金と交付税を切って、少なくとも全部でなくても、原則としては全部ということになりますが、税の移譲としてもらわない限り、地方自治体は仕事ができなくなります。というよりも、基本的な仕事、義務教育とか生活保護とか、基本的な仕事そのものも不可能になってしまうということに陥ることは、もう目に見えています。これを先送りするというのは一体どういうことなのかということを、私には理解できません。
詳しい資料を持ってまいりませんでしたけれども、この分権改革推進会議の最終答申の中ではというか、送られてきているもの、今反論しようとしているものの中には、補助金をカットして、税源の移譲の時期がずれたときには財源の措置をすると書いてあるんですね、攻撃されたものは。財源の措置をするって、どうやってやるんでしょうかと。だって、交付税は切るといっているわけですから。
今までは、補助金を切って税源の移譲はやらないよといったときには、大体交付税で、義務教育費国庫負担金のときも交付税で処理してきたわけですから、これは交付税で処理するということでしょうかと。しかし、交付税は少なくすると前の方でいっているじゃないですか、こういうふうにいいましたところ、いや、義務教育費国庫負担金のときも、交付税は半分で、あとは別な交付税でもって面倒見たんだから、やり方はいろいろだとかというようなあいまいな反論しか返ってこない、説明しか返ってこないんですね。そういうことでは、とてもじゃありませんけれども、私の場合には別に地方自治体というわけではないんですが、学者の良心として、論理的にいってもそれは認めがたいということですね。
財政調整の概念ですが、世界地方自治憲章の次のページ、一九ページを見ていただきますと、これはドイツの教科書をそのまま翻訳したものです。財政調整という概念は、先ほど申しましたように、垂直的な財政調整と水平的な財政調整、こういうふうに分かれますが、垂直的な財政調整というのは、事務および支出配分と書いてありますけれども、これが、先ほどいいました行政任務を配分するということですね。それから、収入配分、つまり租税の配分というのは、立法権、収入権--課税権というのは三つから成り立っておりまして、立法権、税金をつくることのできる権利、収入権というのは税金をもらうことのできる権利、管理権というのは徴税権です、税金を徴収する権利、この三つから成り立って課税権といいますので、課税権を配分すること、こういうふうにいっているわけですね。先ほどご説明したとおりです。
それから、水平的な調整のやり方には二つありますよと書いてありまして、これは狭義の水平的調整と水平的効果を持った垂直的財政調整、これが今の日本の交付税です。狭義の水平的財政調整というのが、あの今度出てくる--今度出てくるって、あした総理に渡される、分権改革推進会議が使っている水平的財政調整というのは、この狭義の水平的財政調整。つまり、地方自治体間が相互に地方税を直接やり合う。つまり、東京都は東京都の税金を、先ほどいいましたように直接やり合うということですね。
この直接やり合うやり方というのは、やっている国というのはドイツなんですが、ドイツがそれができるのは何かというと、州間でやっているわけですけれども、まず、州が課税公権を持っているんです。すべての税金は州が集めるんです。州が国に税金を、国税部分は州が取ったものを国に押し出すということになっていますが、州が税金を持っちゃっているんですね。だから水平的調整ができる。
それから、州の数が二十ありません。数が少ないんです。三千三百なんかで直接できるわけはないです。そうすると、結局共同のプール機関というのをつくらなくちゃなりません。同じように水平的な財政調整をやっているというスウェーデンでは、一回、国のプール機関に入れ込んで戻しますから、直接なんか、とてもじゃありませんけどできません。しかも、ドイツでもスウェーデンでもちゃんと財政需要面を見ていますので、収入面だけの調整をするなんていうのは無理難題の話だということですね。
いつも私の講演は、最後にはスウェーデンの中学校の教科書で終わらせていただいておりますので、たびたび都議会などでお呼びいただいておりますので、またかといわれるかもしれませんが、スウェーデンの「あなた自身の社会」という教科書からとりましたものをちょっと見ていただきたいと思いますが、最後から二ページ目です。私たちが分権をするのはなぜかという意味ですけれども、最後から二枚目のページを見てください。
第4章、コミューンというのは、市町村と両方含んでいるんです。コミューン、ランスティング・コミューンとありますので、地方自治体というふうに理解していただければ構いません。地方自治体の予算についていろいろな見解がある、こういうふうにいっているわけですね。
意見1、われわれは、コミューン税、地方税を減税したい。ちょっと二行飛ばさせていただきまして、「税金の軽減は、人々の選択の自由を拡大する。」
意見2、「それは絶対にだめだ。それはサービスの低下をもたらすだけだ。私たちが減税に反対するのは、より多くの保育園、より良い学校給食、障害者にも利用しやすい中央地区」--まちづくりを意味している。
意見3、「私たちは、税金を引き下げる代わりに料金の引き上げをします。その方が公正だからです。そうすれば、電気や水を浪費している者よりも節約している者の方が、少なく支払うことになるからです。」
意見4を見ていただきたいと思いますが、「われわれは、いたずらな料金値上げはしない。それは、高額所得者を利するだけだ。」料金を引き上げるんだったら、増税をしよう。「それが大多数の者、子どものいる家族、年金者にとってベストだ。」
こういうふうにいって、課題の四番目を見てください。「税か料金か--あなたは上に述べられた四つの意見のどれに賛成しますか。」と子どもたちに聞いているわけですね。
私たちはこれを、地方自治体が、住民が身近なところで目に見える形で決定できるということをするために分権をやっているんですね。国の財政再建や国の行政改革のために分権をやるのじゃありません。分権って、身近なところで、やめて、このサービスは要りません、みんな個人個人でやりましょうというふうにやるのか、公共サービスとしてやりますよ、やった場合に、税でやるとこういうメリットがあります、こういうデメリットがある、料金でやるとこういうメリットがあります、デメリットがありますと説明して、どうしましょうかということで決めるというのが分権をやる目的なわけですよね。
最初から地方自治体をスリムにするために分権をやるんだなんて、そんなのは論理の転換です。スリムにするかどうかというのを住民たちが決めればいいわけです。税金を安くしてください、そのかわりサービスは要りませんというのか、サービスを多くして、いや、もうちょっと税でやろうか、料金でやろうかというのを決めることができるために分権をするということですね。
私たちは、いつも、こうした意味で競争ということを教えられておりますが、地方自治体は競争する場ではありません。自治体というのは、自治体の外では競争して、市場では競争してもらって構いませんけれども、公共サービスにおいては、人々が助け合って協働してやっていく、協力するための重要性でやっているわけです。スウェーデンでは、子どもたちに協力する重要性を教えるために、徹底的に家族の重要性を教えております。
次の最後の四〇ページを見ていただきたいと思いますが、これも、またかといわれる方が多いかと思いますけれども、「子どもと家族」、子どもたちに家族の重要性を教えていて、そのことによって人間が協力して生きていく。日本は今、競争して他者をけ落として生きていく重要性だけ教えていますけれども、協力して生きていく重要性のことを子どもたちに教えています。「子どもと家族 私たちは、学校、職場、余暇活動などで、さまざまなグループに属しています。しかし、私たちにとって最も大事なグループは、それがどんなタイプであるかにかかわりなく、家族です。」
二行飛ばさせていただきます。「家族の中にあって、私たちは親近感、思いやり、連帯感、相互理解を感じます。」また二行飛ばさせていただきますが、「家族にあっては、私たちはありのままでいながら、受け入れられ好かれていると感じることができます。たとえ馬鹿なことを言ったりしたりしてもです。そういうことは、その他のグループでは決してありません。」といって、ドロシー・ロー・ホルトの「子ども」という詩を右側に載せております。
右側の詩を見ていただきたいと思いますが、
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
よくヨーロッパで、子どもがいたずらをすると、人前でお母さんが子どものおしりをパーンとたたいて、次の瞬間に口づけをするという、わけもわからない光景を見かけることがありますが、スウェーデンではそういう光景を見かけることはありません。子どものおしりをたたいた瞬間に、その母親は逮捕されるからです。法律で禁じられています。なぜか。殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることを覚えちゃうんですね。私の考えでは、ブッシュ大統領というのは、殴られて大きくなったのではないかと思います。
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
これでも、スウェーデンでは、子どもたちに何が正しいかというのを絶対に教えません。考えさせることを教えますので、左側下の課題の4のところを見ていただきますと、「あなたは、詩『子ども』のどこに共感しますか。激励や賞賛が良くないのはどんなときですか。この詩は、大人にたいして無理な要求をしていませんか。両親が要求にたいして応え切れないのはどんなときか、例を挙げましょう。」、こういうふうに考えさせているわけですね。
日本の教育はどこか間違っているのではないかとは思いますが、失礼を申し上げたことを重々おわび申し上げまして、私のつたないお話にかえさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)
○立石委員長 ありがとうございました。
神野先生には、貴重なご意見をお伺いすることができまして、お礼を申し上げます。
これをもちまして神野先生の参考人意見の聴取は終わらせていただきます。
以上で参考人意見の聴取を終了いたします。
これをもちまして本日の委員会を閉会いたします。
午後三時一分散会
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