行財政改革基本問題特別委員会速記録第十七号

平成十四年十二月十九日(木曜日)
 第四委員会室
 午後一時三分開議
 出席委員 二十三名
委員長立石 晴康君
副委員長大木田 守君
副委員長鈴木 一光君
副委員長和田 宗春君
理事富田 俊正君
理事鈴木貫太郎君
理事吉田 信夫君
理事こいそ 明君
理事内田  茂君
山下 太郎君
長橋 桂一君
近藤やよい君
遠藤  衛君
相川  博君
大西 英男君
大河原雅子君
河西のぶみ君
星野 篤功君
渡辺 康信君
石井 義修君
山崎 孝明君
松本 文明君
木村 陽治君

 欠席委員 なし

 出席説明員
知事本部本部長前川 燿男君
次長森澤 正範君
企画調整部長渡辺日佐夫君
特命担当部長高島 茂樹君
企画調整担当部長中田 清己君
国政広域連携担当部長熊野 順祥君
自治制度改革担当部長幡本  裕君
総務局局長赤星 經昭君
総務部長高橋 和志君
行政改革推進室長島田 健一君
IT推進室情報企画担当部長木谷 正道君
IT推進室電子都庁推進担当部長遠藤 秀和君
人事部長山内 隆夫君
勤労部長大塚 孝一君
財務局局長田原 和道君
経理部長佐藤 兼信君
主計部長松澤 敏夫君
 委員外の出席者
  参考人
横浜国立大学名誉教授・日本エネルギー法研究所理事長成田 頼明君
筑波大学社会工学系教授古川 俊一君

本日の会議に付した事件
 行財政改革の基本的事項についての調査・検討
  参考人からの意見聴取

○立石委員長 ただいまから行財政改革基本問題特別委員会を開会いたします。
 初めに、理事者の欠席について申し上げます。
 総務局行政部長は、公務出張のため、本日の委員会に出席できない旨の申し出がありました。ご了承願います。
 これより、東京の将来像を展望し、社会・経済情勢の変化に柔軟に対応する都政を実現するため、行財政改革の基本的事項について調査・検討を行います。
 本日は、行財政改革の基本問題について、お手元配布の実施要領のとおり、横浜国立大学名誉教授で日本エネルギー法研究所理事長の成田頼明先生及び筑波大学社会工学系教授の古川俊一先生のお二人から、順次専門的な見地からのご意見をお聞かせいただきたいと思います。
 これより参考人意見の聴取を行います。
 それでは、成田先生、発言席にお移りください。
 ただいまご着席いただきました先生をご紹介いたします。
 横浜国立大学名誉教授で日本エネルギー法研究所理事長の成田頼明先生でございます。
 本日は、ご多忙のところご出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して御礼を申し上げます。
 行財政改革の基本問題につきまして、ご専門のお立場からおおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
 なお、成田先生には、ご着席のままご発言していただきたいと思います。
 それではよろしくお願い申し上げます。

○成田参考人 ただいまご紹介を賜りました成田でございます。
 本日は、当特別委員会の参考人として皆様にお目にかかってお話しできることを、大変光栄に存じている次第でございます。ありがとうございました。
 きょうは約一時間ということでございますので、これは本気にしゃべると三時間ぐらいかかりますけれども、要約いたしまして、お手元にいろんな資料を差し上げておりますので、細かい説明を省略してごらんいただくということにいたしまして、少しスピードを上げてお話ししたいと存じます。
 きょうは、東京都、首都圏の問題が主要な課題でございますけれども、東京については私もまだよく勉強していないわけでありまして、これからもう少し皆様のご意見あるいは諸方面のご意見を伺いながら考えてみたいと思っておりますので、きょうは初めの方は全国的な問題についてお話をして、最後のところで、東京のあり方というものについて、今考えている限りでお話を申し上げたいというふうに思っているところでございます。
 最初にお話し申し上げますのは、都道府県制度再編への動きということでございますけれども、これは、地方分権一括法が施行されましてから、これは平成十二年の四月でございますけれども、既に二カ年以上が経過したわけでございます。
 今、地方自治の世界では、政府及び都道府県、府県の非常に強力な音頭取りのもとで市町村合併が進められておりまして、平成十七年三月末というものを一応目標期限にしております。政府は、行政改革推進本部で市町村数を千にする、こういう目標のもとに進められているところでございます。分権委員会でもこの問題は前から論じられましたけれども、目標数を示すというようなことは分権委員会ではとらないということで一応答申をしたわけでございますけれども、政府の推進本部では千という目標を示して強力にやっていく、こういうことになったわけでございます。
 現段階では、市町村レベルで法定協議会、任意協議会、さらに研究会、こういった形で合併問題を何らかの形で検討している市町村は、既に二千近くに上っているということでございます。正式の協議会に至ったものは、現在六百にちょっと達しないという数になっているようであります。
 私は、前から、市町村合併を進めるにしても、それは自己決定、自己責任で進めるべきであって、いやしくも強制にわたるとか、合併に追い込むような措置をとるということには反対していたわけでございます。このままでは、政府目標の達成は、私はかなり難しいのではないかというふうに個人的に思っております。
 これを裏書きするかのように、先般、平成十七年の四月一日以降強制合併あるいは新しい二級町村、こういったものを目指すいわゆる西尾私案なるものが地方制度調査会でも出ております。これについて私は大いに異論がございますけれども、これはたたき台でございますし、恐らくこのとおりにいかぬだろうと思っておりますので、きょうはこれに対する論評を差し控えます。
 しかし、合併がそういう形で進行する中で、現在でもかなり明らかになっておりますのは、新たな政令指定都市、中核市、特例市というものが続々と誕生しつつあるということでございまして、政令指定都市の中には、一段上の特別市になりたい、こういう構想を描いているところもあるわけでございます。
 こういった大規模都市に権限が移譲されて、大規模都市が自己完結的にいろんな問題を、特に住民サービスを中心にした行政を展開するということになりますと、都道府県行政というものは空洞化するのではないか、こういった危機感が関係道府県庁では非常に高まってきております。
 こういった中で、市町村再編の次に来るのは間違いなく府県の再編だろう、こういうことで、各方面でいろいろ論議が高まろうとしているわけでございますけれども、皆様ご承知のように、新しい一括法による新自治法では、都道府県の機能というものは、広域、連絡調整、補完という三つに限定されました。かつてありました統一性の確保というのは削られてしまったわけであります。もっとも東京都につきましては、これは二十三区に対する関係で大都市の統一性というものを確保する役割が与えられておりまして、ですから、その面では、都はちょっとほかの道府県とは違うということを留意しておきたいと思います。
 これに伴いまして、都道府県の事務の例示もなくなりましたし、都道府県の統制条例制度、これもなくなったわけでございます。これは皆様ご承知のことでございますので、ここで詳しく申し上げることは控えたいと思います。
 そういうことで、一応都道府県と市町村の関係は対等協力の関係にはなったわけでございますけれども、ただ、法律に定めのある自治事務につきましては、あるいは法定受託事務等につきましては、法律、政令によって都道府県や都道府県知事に事務権能をゆだねているものが非常に多いというのが実情であります。関係省庁は、まだ市町村に対しては非常に根強い不信感を持っておりまして、個別法が市町村にすぐに権限をおろすということについては、かなりこれは分権推進委員会の当時から強い抵抗があったところでございます。
 ところで、府県の役割というのは、実情ではそういうふうに画一的に書かれてありますけれども、現在の府県の機能というのは決して画一ではございません。区域ごとにかなりさまざまになっているのではないかと思われます。都制度という特別の制度のもとに置かれています東京、区域から見て道州制に相当する区域を持っている北海道、こういったところでは、一般の府県とはいろんな面で違いがあります。これからの府県のあり方をめぐって特に深刻な問題を現在抱えておりますのは、神奈川県、大阪府等でございます。また、政令指定都市を二つ以上持っている福岡県なども、やっぱり類似の問題というものを抱えておりますし、京都府などでもやはり同じような悩みの一部を持っているということでございます。
 そういう中で、全国知事会では、都道府県の役割を再検討しようということで、これはお手元に差し上げております資料の一ページをごらんいただきますと、こういうものを昨年七月に報告書としてまとめて公表いたしました。これは、ごらんいただくとわかりますけれども、新しい自治法に定める三種類の都道府県の役割を踏まえて、すべての都道府県が処理すべき事務について、一応六つのメルクマールというものを設定しているわけであります。産業とか、法人とか、行政対象の広域的一体性とか、行政の需要、対象の広域的散在性とか、あるいは高度の専門性、市町村を包括する立場という六つのメルクマールというものを定めまして、環境、産業、基盤整備など八行政分野にわたりまして、これは第四章のところで一節から八節までに分かれている、こういった行政分野であります。
 その上で、地方分権時代の都道府県の将来像としましては、最後のところに〔1〕、〔2〕、〔3〕、〔4〕と書いてありますけれども、広域的課題への対応とか、市町村に対する支援、補完、これに加えまして、地域の総合的なプロデューサー、コーディネーターの役割を果たすべきものというふうに総括をしているところであります。
 この報告書は、都道府県という広域団体をどうするかという制度論には全く手をつけない。現行の都道府県というものを一応想定しながら、新しい自治法に沿って府県機能のあり方を探ったものであるということであります。
 しかも、これは全国共通の一つのスタンダードになるわけでありまして、大都市圏域などを抱えているところ、あるいは深刻な問題を抱えているところでは、ここに指摘されていない特殊な課題もございますし、全国版ですから、そういうところについてはもう少し突っ込んだ表現が欲しかった、こういう意見もあるところでございます。
 そこで、次の問題でありますけれども、今、全国の各地方で、都道府県制度の改革再編等に向けて非常に活発な研究提言が行われています。ちょうどこれは昭和三十年代から四十五年にかけての経済の高度成長期におきましても、主としてこれは経済界が中心になって、都道府県のあり方をめぐって道州制等の提案がなされたわけでありますけれども、そのとき以来のブームの再来というふうな現象を呈しております。ただ、今回は経済界だけではなくて、学者、都道府県それ自体もこれに加わっているというのが特色でございます。ここ数年は、どうも多彩な議論がこれからなされるのではないかというふうに思われます。
 今こういった問題につきまして都道府県で検討しておりますのは、これは差し上げている資料12に「他県の動き」とありますが、これは大阪府で研究会をやっておりまして、大阪府から見た他県、こういうふうにご理解をいただきたいと思いますけれども、時間がないので細かいことは省略いたしますけれども、神奈川県、福岡県、三ページに参りまして岡山県、北海道、岩手県、次が新聞の記事の日経の要約版がありまして、その次のところに九州沖縄道州制への検討というので九州でも検討されている、こういう動きがございます。
 さらに、民間サイドでは、Kansai Council、関西広域連携協議会というのがあり、これは既に設立されているわけでありますけれども、さらに七ページをごらんになりますと、グランドデザイン、二十一世紀の関西を考える会というところで、関西連合、KUという、これは一種の道州制に近い構想ですが、連合の構想を打ち出しているという形になっております。
 細かいことは、時間がございませんので省略いたしますけれども、こういった提言や研究を今の段階で簡単に総括いたしますと、一つは、いろんな提言がございますけれども、まだ具体的な制度設計の提示にまでは至っておりません。かなり抽象的であり、グランドコンセプトといいますか、基本的な方向を示すということにとどまっております。
 第二は、やっぱり現在みたいに全国画一の制度ではなくて、各地域の実情に合った全国多様な制度化というものを各地域で目指しているのではないか。特に北海道、大阪、九州などはそうでございます。
 第三番目は、かつてのような半官半自治の道州制というものは現在は影を潜めておりまして、大体大規模な府県合併型の自治型道州制という立場をとるものがどうも多いように見受けられます。これは、分権の時代であるために、半官半自治というのはなかなか提言しにくいというような雰囲気があるのだと思うのです。
 ただし、いろんな構想を見ておりますと、国のリージョナルレベルの出先機関、これについてもそこの中に取り込むとか、そこの権限になっているものを新しいリージョナルな広域団体に移す、こういった考え方をとっているものはあるわけであります。
 第四としまして、連合方式につきましては余り提言がございません。どっちかといいますと、市町村合併の動きに今つられてか、より大きな統合に進むという観点で、やっぱり究極の姿を目指しているものが多いんじゃないかというふうに思います。連合方式についても言及がありますけれども、これは最終的な姿に至るまでのステップという形でとらえているんじゃないかというふうに思われます。
 次は、政府レベルの動きでございますけれども、これは、地方分権改革推進会議というのが、補助金・負担金、地方交付税、国からの税源移譲、これはもうご承知の三位一体で推進するということになっておりまして、本年十月に、最初の補助金・負担金の整理を中心とする国・地方の役割分担に関する報告書というものを提出されたわけであります。これは補助金・負担金の削減の額や地方への自主財源への振りかえというものが明示されていないということがありまして、地方六団体では大きな不満と異議が唱えられておりますし、東京都でもたしかこれには賛成できないという立場をとられているのではないかと思います。
 今後は、引き続き地方交付税、税源移譲に取り組むとされていますけれども、なかなかこれは三位一体で分権強化のための行財政改革ということにはなりそうもありません。財務省の力が相対的に強くなるというふうに思われます。現在では、景気対策や国の財政再建が最優先課題であるというふうに思われます。特にそれにつきましては、財務省が非常に強力に後押しをしている。と同時に、それは経済界とも一緒になっているということだと思うのです。
 それから、経済界や総務省以外の省庁では、自治体不信感が非常に強くて、とにかく自治体の行政にはむだが多過ぎる、だから、交付税というのは巨大な補助金だからそれを削れというふうな主張を表面に出しております。
 もう一つは、分権推進委員会当時のような非常に熱い分権推進の応援団が、最近ではなくなってきております。後押しする人がいなくなってきている。むしろアンチ分権のような勢力がやっぱりあの分権推進会議を牛耳っているのではないかと、私は今入っていませんので、そういう推測をしているわけでございます。
 分権推進会議は、当初は、道州制その他都道府県のあり方も検討するという課題を与えられておりましたけれども、今の状況ではとてもそこにいかないということでして、この問題につきましては、専ら今の段階では地制調に任されているということになっているようであります。
 地制調では、地方制度の抜本的な改正、再編成というものをにらんで、現在第二十七次調査会でありますけれども、基礎的自治体のあり方、大都市のあり方、都道府県のあり方、地方税財政のあり方、こういう四つの課題を取り上げております。これは後から追加してお配りいたしました、ちょっと私の汚いメモが入っていて非常に失礼かと存じますけれども、第二十七次地方制度調査会審議事項に係る論点整理というペーパーがございます。そこに大体これからどういうことを審議するのか、あるものについては基本的な方向を示すという形のペーパーが出ております。これは恐らく二十七次調査会の検討課題なのだろうというふうに思われます。
 地制調は先日、さっきも触れましたけれども、主として小規模町村のあり方について、平成十七年の四月以降の小規模町村の再編成というものをどうするかということで、たたき台を出しているわけです。これは町村会の猛烈な反発を招いておりますけれども、恐らくこれから対案が出てきて、それを中心にして角を取っていくというふうなことになるのだろうと思われますけれども、小規模町村については、やっぱり仕事を減らし組織を簡素化しよう、足りない部分は都道府県が補完しようというのは、前からの地方制度調査会の基本的な流れでありますので、それをどういう形で納得のいくような形でおさめるかというのが、これからの問題ではないかというふうに思われます。
 次の課題は、恐らく大都市問題だろうと思われます。そこに、第2、大都市のあり方というふうになっておりまして、これが恐らく次の課題になるだろうと思われます。
 これにつきましても、政令指定都市の一部については、特別市化、特別市になりたいという動きがあるわけで、現在指定されている政令指定都市全部ではございません。いわゆる旧五大市の中の幾つかが、自分らは別格なのだから県から独立をした特別市になりたいと。そういった意味では二層制から一層制になりたい、こういう議論が出てきております。
 と同時に、大都市を抱える府県のあり方、これはまさに大阪府、神奈川県などでは、この問題がまさに鮮明化してきております。その場合の大都市とそれを抱える広域自治体との税財源の配分、それから議会制度、現在でも政令指定都市を抱えているところでは、知事も府県会議員も、そこから大量の票をとらなければ当選しないわけですね。ところが、その地域についてやってあげることが何もない。これは知事選に出た知事さんなんかも盛んに非常に大きな矛盾なんだということをいっていらっしゃるわけで、当然これは議会制度に非常に大きな影響が及ぶ問題でもあります。
 ですから、そう簡単に大都市問題というのは結論は出ないだろうと思われます。特に大都市を抱えている市長会と知事会との対立、これは下手をすると、特別市問題も出てまいりますと、政治問題にまで発展する可能性がないとはいえないと思われます。
 それから、都道府県のあり方、これも第三として検討されることになり、当然大都市のあり方を検討すれば、大都市を抱える都制度の問題になるでしょうし、府県制度も当然問題になりますけれども、それとは別に、都道府県全般のあり方というのは当然ここに出てくるわけで、これが最終の課題ということになるだろうと思われます。
 これにつきましては、地方制度調査会の問題点の整理のところに出てきておりますけれども、市町村合併後における機能の変化に対応したいろんなあり方、道州制の検討、国の出先機関の機能の移管、都道府県の合併、全国一律か多様な制度の併存か、こういった論点整理が行われております。
 これについては、小規模市町村の場合と違って今まで余り論じたことがないので、恐らく多様な意見が出るのではないか。ここでは基本的な方向性や制度コンセプトは全く示されておりません。これは、現在の地方制度調査会では、聞くところによりますと、まだ本格的な議論には全く入っていないということであります。恐らく第二十七次の調査会では、大都市問題、都道府県問題というものは結論が得られないのではないか。恐らく速報につきましては、ここまで議論をしたというふうな報告で終わるのではないか。小規模市町村につきましては、これは何らかの答申が出るのではないかというふうなことを想像しております。
 この府県のあり方をどうするかという問題につきましては、国民各層の間でまだまだやはり議論が十分ではございません。これからより多くの提言がなされ、国民レベルでいろんな議論がもっと広がっていく必要があるのではないか。そういった意味では、いろんなところからいろんな提言が華々しく出てくるということは、好ましいことなのではないかというふうに思います。
 次に、都道府県の広域行政のための制度パターンというところに移りますけれども、これにつきまして、当特別委員会に提出されています知事部局からの広域行政に関する資料がございますが、自治制度改革の論点整理というのが知事本部から出されているので拝見いたしました。これに非常にきれいに整理されておりますので、皆様既にご承知だろうと思いますので、余り詳しくはお話をしないということで、形だけ触れるというふうにしたいと思います。
 一つは連邦制でございます。これはかつて島根の恒松知事が主唱されました。一昨日、ちょっと恒松さんにお会いしたんですけれども、大分年をとられましたけれども、今でもやはり連邦制というものを推進したいと思っているというふうなご意向のようでした。岡山県でも、知事の特別のご指名で、一時連邦制の研究が行われていたことがございます。
 この連邦制というのは、現実的には現実性が非常に乏しいということもありまして、現段階では、府県のあり方の検討の一つの選択肢には正式には上ってきておりません。連邦制というのは、私前から申し上げているんですが、これは地方分権ではないと思います。これは国権--立法、司法、行政の三権そのものの分割であります。これは、もちろんそうなりますと憲法改正が必要になりますし、国の二院制、特に参議院のあり方なども抜本的に変わってこなきゃならないということでございますので、連邦制というのは、日本国そのものの抜本的な再編成になるわけであります。これは分権の課題というものとはちょっと次元が違うものであるというふうに思っております。
 連邦制はいろんな国でとられておりますけれども、これは人種問題とか民族問題とか少数言語問題とか、そういう非常に深刻な問題を抱えているところにふさわしいものでありまして、日本に本当に適合したものであるかどうかということはかなり問題がございます。
 従来、地方分権、地方分権といっても、少しも権限が地方におりない、だから、むしろ権限をおろすためにいっそ連邦制をとったらどうかというふうなことを、前に岡山県知事の長野さんあたりがおっしゃっていましたけれども、これは事務をおろすための連邦制ということで、ちょっとこれは本来の連邦制の趣旨からは外れているんじゃないかというふうに思います。
 私は連邦制の研究者ではなくて、連邦制はむしろ古川先生がご専門で、後にお話があると思うんですけれども、私もドイツでいろいろ勉強したりしておりますと、連邦制というものは非常に複雑であります。州自体が憲法を持ち、州自体が三権を持っているわけですね。ドイツでは、ベルリン、ブレーメン、ハンブルクというのは、都市でありながら同時に州なんですけれども、ブレーメン、ハンブルク、ベルリンというのは憲法を持っております。裁判所もあるのです。会計検査院とかも同時に持っている。あらゆる国家機構が二重になっておりまして、非常に組織が複雑であり、連邦と州の権限がきれいにアメリカみたいには割り切れていないのですね。あれは集権的連邦制といわれておりまして、連邦の力が非常に強い、そういう連邦制であります。全体としてやっぱり役人の数も当然ふえますし、行政能率という点からいうと、必ずしも能率はよくないというふうに思われるわけで、連邦制というのは、ちょっとこの際除外して考えた方がいいんじゃないかと思います。
 次は道州制でございますけれども、これは、昭和三十四年の第四次地方制度調査会で、全国を七から九グループのブロックに分けて、道州制というものが答申されました。これはもっとも道州とはいわないで、「地方」といったわけです。恐らく関東地方とか、あるいは関西地方とかいう意味だと思うのですけれども、「地方」というようなものにとらえていました。
 ただ、この地方制には非常に問題があるということで、憲法違反であるというふうに考えられるというふうな意見も伝えられまして、数府県合併、数府県を合併する、完全な自治体のままで統合させるという、そういう少数意見を付されました。これは、私の恩師でありました田中二郎先生が当時それを盛んに主張されまして、際どいところで少数意見としてそれが付されることになったということであります。
 このときの道州制は、道州議会は選挙制にするわけでございますけれども、道州の地方庁、これは州議会の同意を得て総理大臣が任命する。ちょうど地方総監に近いような性格を持っていたわけであります。身分は国家公務員である。職員も、現在の警察のように、国家公務員と地方公務員との混合体である。「地方」は、地方公共団体であると同時に、国家的性格を併有するものである、こういうぬえ的な存在になっていたわけです。ですから、半官半自治のものであったということです。
 これにつきましては、当時は自治体関係者や野党の方から猛烈な反発を受けまして、ついにこの答申自体は実現しないままに流れてしまいました。その後、各方面から提唱されておりますこの道州制なるものは、このとき失敗した経験に照らして、広域、リージョナル単位の自治体とするものが非常に多い。いいかえますと、ブロック単位の府県合併というものが、現在の方々で提案されている道州制のもとになっているのではないかというふうに思われます。
 次は、数府県合併による広域化でありますけれども、これは、高度成長期に地域開発とか、公害対策とか、水の利用、水資源の利用、こういったものを効率化しようということで、いわゆる広域行政論というものが非常に高まってまいりました。昭和の大合併後の、当時昭和の大合併というのが二十八年から三十一年ごろにかけて行われたわけですけれども、その合併後の府県の広域化は府県合併によって行うべきだという意見が、さっき申しました地制調でも少数意見として付されたわけですね。
 そこで、第十次の地方制度調査会では、昭和四十年に、自主的な府県合併が好ましいということで、府県合併に関する答申というものを出しました。ここでは、合併を適当とする規模、条件、これは一体性のある区域であることとか、土地利用、水資源、施設利用などの広域処理の一体性、効率性、一体的行政管理の必要性、格差是正に寄与すること、府県区域は分割しないこと、こういった原則を立てて合併させていくということで、合併手続、これは現在では都道府県の廃置分合は法律によっていますけれども、議会の議決、国会の議決を経て総理大臣が決める。さらに、合併を阻害する要因に対する特例措置、これは市町村合併の場合の特例と同じような特例を適用すること、あるいは対等合併を原則とすること、単行法を制定して地方自治法には入れないということ、こういうことについて決めるべきものだという答申をしたわけです。
 これを受けまして、国会に府県合併特例法というものが提出されたわけですけれども、当時は、社会党、共産党の方が非常にこれは強く反対されたということもあり、国会は通らず廃案になってしまいました。現在の総務省、当時の自治省では、パイロットプラントとして、東海三県、愛知、岐阜、三重、それから阪奈和三県、大阪、奈良、和歌山、この東海三県と阪奈和三県の合併というものをいろいろ調査研究したわけですけれども、いずれもこれは関係県の合意がとれなくて、実現に至りませんでした。
 次は、国の出先機関の統合ですけれども、これは大分県知事の九州府構想というのがこれでありまして、管轄区域がばらばらな国の出先機関を統合いたしまして、一体化を図る。そこに国務大臣級の長官、長を配置して、現地で国の事務権限を処理する、こういうことでありました。行く行くはこれを関係県の統合とあわせて道州制化するという構想につなげているわけであります。この国の出先機関の統合は、北海道開発庁とか当時の沖縄開発庁、そういうもののモデルを拡大したものであるというふうに理解されるのではないかと思います。
 次は、連合制でありますけれども、これは十三次地方制度調査会では、昭和四十四年に広域市町村圏及び地方公共団体の連合に関する答申というのを出しております。これは関係市町村が共同して設置する特別地方公共団体としての広域連合を設けるということで、これには協議会型のもの、役場事務組合的なもの、組織も、長と議会とを置く二元組織型と、カウンシルといって議決機関と執行機関が一体化した一元組織型、理事会型、審議会附置型、こういったいろんな形で弾力的な組織にすべきであるということが答申されたわけです。これも法案が国会に出されましたけれども、廃案になりました。このときの連合は、都道府県については余り触れていないわけです。
 しばらく連合の動きはなかったのですが、二十三次地方制度調査会では、広域連合及び中核市に関する答申というのを平成五年に出しております。このときの広域連合は、主として都道府県の区域を超える行政を対象にして考えたらどうかということで、市町村ももちろん利用できるとしたんですけれども、ふたをあけてみますと、市町村の利用というのが圧倒的に多いわけで、府県の区域を超える広域連合というのは現在ございません。大体事務委託とか協議会ということになっております。
 このときに私は、ちょうど西尾メモ、西尾私案のように、成田私案なるものを出しました。これは大分古いので埋もれておりますけれども、参考資料として皆さんのお手元にお配りしておりまして、このコンセプトをもとにして広域連合というのをもう一遍考え直したらどうだ、こういう意図を私はひそかに持っているわけでございます。
 このときの私の私案は、当時のEUモデル、当時はECといっておりまして、マーストリヒト条約前でありますのでECといっていたわけですけれども、欧州連合あるいは欧州経済連合体のモデルというものを参考にしながら、広域行政需要に対応するための行政機能を、固有の機能を持つ特別地方公共団体にするということを考えておりました。このときは組織運営もできるだけ選択的、弾力的なものにして、国、都道府県からも事務をそこに移譲してもらう。国の機関も意思決定に参画していく。EUと同じように条約型のEU憲章のような憲章で基本的なことを決める。調査研究、企画、計画、基準、指針、こういうものを策定する。情報、資料の提供、勧告、助言の権能を持つ。さらに、構成団体がそこで共同で決定されたことについて、あるいは共通政策については、条約を批准すると同じように議会で批准をする。その要件として法的な拘束力を与える。あるいは課税権を付与するとか、包括交付金を受け入れるとか、構成団体からの負担金、地方債の発行権を持つとか、永久公債の発行権を持つとか、こういったものを考えたわけであります。
 具体的には、都道府県大都市連合とか、特定地域開発整備連合、地方都市周辺連合、特定課題連合、こういったものを想定して、いろいろと活用の余地があるんじゃないでしょうかということをたたき台として出しましたけれども、答申過程で課税権は削除されましたし、立法過程では、内閣法制局の非常に強い意見によりまして、連合といっても事務組合とどう違うのかという問題が提起されて、それを論破できなかったと思うのです。結局、事務組合の一種として格落ちされてしまったということであります。弾力性を持った組織を設けるというのも、結局は非常にかたい組織になってしまった。さらに都道府県が加入する場合には、総務大臣との協議をやれという形になってしまったということで、非常に使いにくいものになったのではないかと思うのです。
 広域連合は、現在市町村レベルで使われておりますけれども、使われ方は、介護保険、ふるさと市町村圏、廃棄物処理、こういった単発事務に活用されておりまして、複数事務に及ぶものは余りないのですね。一部事務組合と複合事務組合というのは依然として残っておりまして、連合には切りかえない。
 割合広域連合をたくさん使っているのが長野県、岐阜県、愛知県等であります。府県と市町村が共同で設置しているものは、例えば埼玉県の人事交流を対象にした連合であるとか、あるいは介護保険について県と市町村が一緒になっているものというのはありますけれども、府県を超えるものというのはございません。
 この制度ができましたとき、当時の鈴木俊一元東京都知事は、この制度は、制度構想は非常におもしろいけれども、これは下手をすると二・五層制になるのではないかというようなご批判がございましたし、さらに財政基盤が非常に貧弱で脆弱である、さらに広域連合それ自体のイニシアチブの発揮が非常に難しいんじゃないか、こういったようなご指摘がございました。
 この連合というのは、対等協力で横に手を組んで行政をやっていく仕組みなんですけれども、どうも日本型の縦社会にはやはりなじみくいというふうな問題点があるのじゃないかと思うんですね。それから、他省庁にも独自のそれぞれの行政分野にかかわる圏域制度がありまして、それらが独自に動いておりますので、なかなか広域連合というもの、総務省、自治省の組織を使おうとはしないということもあるのじゃないかというふうに思われます。
 そこで、時間が迫ってきましたので、これにつきましては、この私案を少しまたお読みいただければと思います。これはもちろんこのままでは法制度にはなり得ないので、もう一工夫をする必要はもちろんあります。
 そこで、東京及び首都圏における広域行政のあり方につきまして、残る時間お話ししたいと思いますけれども、一つは、リージョナルな広域行政のあり方というのが一つ問題になっているのだろうと思うのです。広域行政ということは、通常、市町村の区域を超えるものについて使われるわけでして、新しい自治法でいっている都道府県の広域的機能というのも、市町村の区域を超える広域行政というふうに使っております。
 ただ、日本に限らず諸外国でも、やはり大都市地域等につきましては、大都市の区域をさらに超える問題、あるいははるかに超える問題というのがありまして、それが非常にリージョナルワイドな問題になっているわけですね。私、昨年、一昨年ベルリンに行きましたが、ベルリンの場合には、やはり一つの都市州になっているんですけれども、ベルリンの中で機能がおさまり切れないわけですね。そこで、周辺地域との格差も非常に高まってきている。そこで、あの近くのブランデンブルグ州とベルリンが一緒になったらどうか、こういったような意見がないとはいえないらしいです。ただ、政治的に非常に難しい問題だということでありますけれども、そういった問題がベルリンについてもございます。
 イギリスでは、ご承知のように、一たん廃止したグレーター・ロンドン・カウンシルというものを復活させて、今度東京都と同じような首長議会制、直接制の公選の議会制をとるグレーター・ロンドン・オーソリティーというものを復活させたわけです。この種のものは、例えばストックホルムでは、大ストックホルム都市圏連合というのがありますし、ドイツでもシュツットガルト都市圏連合、あるいは韓国の広域市等々、いろんな例がございます。
 日本でも、市町村の合併は、明治、昭和の大合併が行われて、今また平成の大合併というのが進んでいく中で、都道府県の区域が明治のままなのはおかしいじゃないか、こういう非常に素朴な意見が多いわけですね。まして府県域を超える広域行政の問題は、いわゆる住民の生活圏域の拡大、社会経済構造の高度化、行政の質の高度化、あるいは行政の効率化、行政資源の有効活用、こういった観点から、日本全域で対応策が考えられるという問題になってきておりますけれども、特に社会経済的な機能が一点に集中しているために都県の区間内では解決できない多くの問題が、東京圏あるいは大阪圏等では発生しております。したがって、東京都の区域、大阪府の区域を超えるそういったリージョナルワイドの問題の必要性というのは、特にこういった大都市地域では高いというふうにいわれております。
 新しい府県機能の中には、広域的行政機能というのがございますけれども、都道府県が果たすべき広域機能というものは、一都道府県だけでは果たすことができないわけですね。他の都道府県と共同してでなければ効果を上げられないということになるわけでして、神奈川県の例をとりましても、海岸の一元的な管理をやろうというような場合には、やはり伊豆半島までを含めなきゃならない。県が広域の行政主体として海岸の管理をかなり行おうとしても、やっぱり静岡、あるいは場合によっては東京までも含まれるような問題になってくるという意味で、府県の広域機能も府県単独では処理できなくなってきているという問題があるのではないかと思うんですね。東京の場合には、特に一極集中の姿というもので、東京都のいろんな機能というのは、スピルオーバーで、かなり広いところまで拡散しております。
 日本ではそういうリージョナルワイドの問題、行政需要というのは非常にたくさんあるんですけれども、リージョナルワイドのレベルには、現在、国の政府もありませんし、自治政府もないわけですね。独自のガバメントというのはありません。そのために、リージョナルワイドのマターはすべてこれは国が所管をする、国の行政であるということになっているわけですね。首都圏計画というのもありますが、それも含めて、旧国土庁、現在の国土交通省、あるいはそれぞれの管区、あるいは出先機関の管轄区域の仕事になっておりまして、そこでは自治的な処理がなされておりません。
 地方分権というのは、私は、リージョナルワイドな圏域の行政についても必要であるというふうに思っているわけなので、こういった圏域を対象とした広域自治体、あるいは関係地方公共団体が共同連携しての自治的な処理というものが可能になるような仕組みが、私はぜひ必要であるというふうに思っております。
 しかし、今一気呵成にリージョナルワイドな圏域の関係都道府県、例えば関八州を全部一挙に道州制に持っていくというふうなことはできないだろう。それは非常に拙速である。非常に莫大なエネルギーを使って、急に成果は上がらないということになるだろうと思われます。そこで、関係大都市あるいは都県の自治的処理が可能になるような共同、協力、連携、要するに対等協力の関係で進めていくというふうな段階的積み上げがまず必要なのじゃないかというふうに考えております。
 私は、よくEUを先例にとって恐縮ですけれども、EUがやっぱり一つの手本になるんじゃないかと思うんですね。EUというのは、もともとユーロアトムとか、あるいは鉄鋼連盟とか、あるいはルール石炭連盟とか、そういうものから出発をして経済共同体になり、さらに共通政策を策定し、最近では外交とか軍事まで一緒になるようなEUにも発展してきている。将来展望は恐らく欧州連邦ということだと思うんですけれども、やはり半世紀をかけながら積み上げてきているわけですね。
 それでもなおEUの中にはやっぱりいろいろ問題があって、最近補完性の原則というふうにいわれていますけれども、あれは誤解されているので、今ヨーロッパで補完性の原則といわれているのは、EUは余り強くならないように、EUは各国ができないことを補完するだけにとどめるべきだという意味で使われているわけですね。日本ではちょっと違った意味に使われているんですけれども、それが今の補完性の原則だと。それぐらい各国には抵抗があるということではないかというふうに思うんです。
 そこで、時間が迫ってきておりますが、対象区域をどうするかということですが、東京を中心とするリージョンは、法的には首都圏、首都圏整備法による首都圏というのと同じだというふうにとらえられがちであります。しかし、その範囲は、地理学的な関東地方、要するに関八州の区域なんですね。具体的に一都六県の区域が首都圏になっております。物流とか、水資源とか、廃棄物、エネルギーと、エネルギーは民間会社が供給するということでちょっと違うかもしれませんけれども、これから自前の自然エネルギーなんかになりますと、やっぱり関係が出てくると思うんですけれども、こういった問題については、確かにこの区域内に対象が広がっているということはいえそうであります。
 しかし、一般的な広域行政対象事項というものは、いわゆる東京圏が中心ではないか。これは特に自治的対応が必要な問題はいわゆる東京圏でありまして、いわゆる東京、神奈川、埼玉、千葉、この一都三県、約五十キロ圏内外なのではないかというふうに思われます。したがって、遠い将来は別といたしまして、当面は一都三県、約五十キロ圏を対象とすれば足りるのではないかというふうに思われます。
 関東地方の他県につきましては、これは個別の課題ごとに連携共同してやっていくということで当面足りるのではないか。首都圏という構想それ自体は、やっぱり高度成長期、戦災復興を経て高度成長に至った過程での問題なので、現在、大体縮みの傾向がある時代ですから、そういうでっかい構想というのはもうふさわしくない時代だろうと思います。
 そこで、広域自治政府の組織と事務権能でありますけれども、既にお話ししましたように、一挙に広域自治政府をつくり上げていくということは、私は早計だろうというふうに思います。政治的、行政的に非常に大きな抵抗があるし、それをやろうとすれば非常に莫大なエネルギーを費やすことになり、そんなエネルギーは別の方に振り向けた方がいいのではないかと思うんですね。
 そこで私は、当面は広域連合的な連携共同を目指すべきであるというふうに思っております。ただ、現在制度化されております広域連合は、制度としての欠陥も見られまして、非常に使いにくい存在になり、都道府県レベルでは敬遠されているわけですね。その欠陥につきましては、さっきお話ししたとおりであります。
 そこで、私はこの制度を再度見直して、組合なんという制度をやめてしまって、広域的な連合なり協力のためにいろんな仕組みを選択的に制度として採用して、地域の実情に沿って多様な連合組織、弾力的な連合組織というものをつくるべきではないかというふうに思います。
 組織につきましては、協議会型の性格のものであってもよろしいのではないかというふうに思いますし、大都市区域内において一緒に事業をやっていこうというふうな、ちょうど現在地方開発事業団というのがありますけれども、そのような型のものでもいいのではないか。組織も、議会、執行機関の二元型でもいいし、あるいは一元型のカウンシル型でもいいのじゃないか。さらに委員会型、少数の委員会で取り仕切っていくという型もあるでしょうし、理事会を置いて、そこに審議会ないし評議会をくっつけるというふうなやり方もあるのではないかと思うんですね。
 これは、いずれにしましても特別地方公共団体ですから、必ずしも憲法九十三条にとらわれる必要はないわけで、長と議会を必ず置けということにはならないし、その必要性はないと思います。ただし、課税権とか条例制定権というものを与えるとすれば、当然議会というものが必要になってまいります。そういう課税権を行使する場合には議会を置き、長を置くというふうな形になるだろうと思うのです。
 組織は、こういう時代ですから、できるだけ簡素で効率的なものにするということも必要で、グレーターロンドンは、GLC当時には二万一千人の職員がいたらしいんですが、現在ではたった四百九十人、驚異的に少ない数で、仕事の量にもよりますけれども、処理をしているということで、こういうモデルをもう少し研究してみるべきではないかと思うのです。
 事務権限につきましては、交通、特に陸海空、これは現在は全部国が握っているわけですけれども、これについては権限を移譲させて、その範囲内では自治的にやっていくということがいい、自治的な処理ができる方がいいと思うのです。
 物流、情報通信、産業--情報通信については、国からの権限移譲を分権委員会でも考えたんですけれども、当面、機関委任事務の整理で大部分の精力をとられて、国からそういう情報通信関係の権限の一部を知事におろさせるということはできなかったんですね。
 環境問題、これはもちろん大気とか水質とか、ヒートアイランド対策とか、廃棄物、自然保護、それから安全、これはエネルギー、防災、治安、それから土地利用計画、海岸、港湾、沿岸域の保全、こういったものをその広域連合に与えるべきではないかというふうに思います。主として五十キロ圏でおさまるもの、これは知事本部から出されている資料にそういうふうに出ておりますけれども、それが中心になるべきだろうと思います。
 当面は、こういった問題についての政策、共通政策とか、あるいは共通の指針、共通の基準、そういったものをできれば共同で決定をいたしまして、各自治体がその合意内容を個別に持って帰って内容を実現させるということで、東京ではたまたま石原都知事が、ディーゼル車の規制について、東京都だけでも限界があるので、それぞれ合意をしながら各県で同じ条例をつくりましょうということをなさっていますけれども、そういう方式が一番いいんじゃないかということを前から私も考えておりました。これはかつて空き缶の回収問題で関東知事会でやろうとしたんですけれども、一部の県の知事の反対があって実現していなかったということがございます。
 そこには、国の機関も同じテーブルに着いてやっぱり決定をしていく。国と地方が対等であるということをそこでも貫くべきだというふうに私は考えております。行く行くは一都三県を対象にしたGLAのような組織に発展させていく。それは大がかりな組織ではなくて、やはり今の時代にふさわしい簡素なものにすべきであるというふうに思います。
 財源等につきましては、前に私が成田私案を出しましたような形で、分担金とか基金とか公債発行とか、将来は課税権まで与えていくというのがいいんじゃないかと思います。
 次は、では広域自治制度をどういう形で形成していくかということですけれども、これは、現在、東京の五十キロ圏につきましては、七都県市首脳会議というのがございます。これはかなり古い歴史を持つわけで、私も二、三回ちょっとそこに出かけてまいりましてお話をしたり何かしたということがございます。全国的にこういう組織はありますけれども、これだけ頻繁に組織的に開催され、事例を積み重ねた例というものはほかにはないんじゃないかと思うんですね。それでは何か実現したかというと、まだそこはちょっと成果はやや乏しい。防災問題では一つの成果が上がっているんじゃないかと思うんです。
 これは性格は任意の協議会でして、自治法に基づく法定協議会ではございません。当面は、これは私法定協議会にまで持っていった方がいいんじゃないかというふうな気もしております。これにつきましては、かつて市政調査会でも、東京都の方を交えてこのあり方の検討をしたことがございますけれども、現在では独立した事務局はないんですね。関係の都県と市が回り持ちで、一回一回事務局をかえてやっているわけです。これは少数人数でいいんですが、やはり独立の事務局が必要なのではないか。そういうところで常時いろんな調査研究を行ったり、いろんな情報を集めたりするということがやっぱり必要だろうと思います。
 少なくとも傘下自治体の基本的なデータ、あるいは傘下自治体の計画あるいは新しい施策、そういうもののデータをそこで共有しておくということがやっぱり必要ではないかというふうに思われます。
 これは、法定委員会では会長委員というのを設けることになっていますけれども、ある人が固定して会長になると、やっぱりほかのところが反発するわけで、特に東京都が音頭を取るとほかのところがそっぽを向く、そういう状況がありますので、会長委員というのはある程度かわった方が私はいいと思います。
 決定的に頼りになるのは現在の首長の組織なんですけれども、私はやっぱり議会の代表の方も入るべきじゃないかというふうに思っております。首脳会議ですから首長なんですけれども、やっぱり議会というのは当然課税権を持ち、非常に重要な権能を持つわけですから、入るべきだと思うんですけれども、その際に、非常にたくさん入ったのではなかなか会議体として成立しませんので、傘下の市長会とか町村会とか、そういうところの代表の方が入るということもあると思います。
 もう一つは、これは都県の知事と政令指定都市の市長だけなのでありますけれども、やっぱり五十キロ圏内の関係市町村もできれば中に入れる方がいいんじゃないか。さらに、国の地方出先機関の方もやっぱりオブザーバーとしてそこに加えるということをすべきでありまして、そこでは対等を原則として共通政策、共同決定というものをしながら、やっぱり合意を取りつけて、持って帰って、それを実施していくというふうな形にした方がいいんじゃないかと思うんですね。その実績をもとにして次第にこの組織を強化して、いずれ広域連合型の首都圏自治政府というものに発展させていくべきだろうと思っております。
 現在、国の方でも、実は独立行政法人化に伴って、公務員の災害共済基金、それから下水道事業団をどうするかというので、地方共同法人というものをつくったらどうかというので、これは国の事務ではない、しかし地方自治体全体の事務である、こういったものについて、地方が設立する形の地方共同法人というのをつくったらどうかという検討が今始まっております。
 私、そういう従来特殊法人であったものの受け皿をつくるだけじゃつまらないので、これからいろんな形で共同、協力していく場合に、共同でいろいろな事業をするために、複数の地方公共団体が共同でそれぞれの事務を実施するような、そういう地方共同法人というのがあってもいいんじゃないかというので、現在、全地方公共団体共通の問題についての法人と、任意にリージョナルレベルでつくるような地方の共同法人、これは第一種、第二種という形で検討してみたらどうかというので、今検討しております。ただ、これは制度化するときにどうなるかわかりませんけれども、もしそういうものができれば、これはかなりおもしろい使いでのあるものになるのではないかというふうに思われます。
 きょうは、時間があればもう少しお話をするはずだったんですが、大体時間が参りました。こういう検討の中でこれからの都制度をどうするかという一番大事な問題があるわけです。
 都制度につきましては、基礎的自治体にするということで、先般地方自治法の改正が終わったばかりでありますけれども、あれははるか前の話なので、むしろ昭和四十九年の区長公選のときの解決すべき課題を解決したにすぎない。恐らくこれから二十三区というものを含めて、今のような都制度というのがどうなるべきなのかというのが当然問題になるわけで、これでもって区が完全自治体化してまいりますと、東京都ではなくて、東京府のような形になってしまうのではないかというふうな問題も出てくると思うんですね。二十三区それ自体も幾つかの政令指定都市に再編成するというような話もあるかもしれませんし、次のそういうような都制のあり方というものを広域自治体と並行して考えていくというふうなことが必要なのではないかと思います。
 ちょっと時間が超過いたしまして、大変ご迷惑をおかけしたと思いますけれども、これで私の話を終わらせていただきます。
 どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)

○立石委員長 ありがとうございました。成田先生には貴重なご意見をお伺いすることができまして、お礼を申し上げます。
 これをもちまして成田先生の参考人意見の聴取は終わらせていただきます。

○立石委員長 それでは、古川先生、発言席にお移りください。
 ただいまご着席いただきました先生をご紹介いたします。筑波大学社会工学系教授の古川俊一先生でございます。
 本日は、ご多忙のところご出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしましてお礼を申し上げます。
 行財政改革の基本問題につきまして、ご専門のお立場から、おおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
 なお、古川先生にはご着席のままご発言いただきたいと思います。
 それではどうぞよろしくお願いいたします。

○古川参考人 ご紹介いただきました古川でございます。
 今、成田先生の大変長年の経験にわたります、きちんと整理をされた議論からいたしますと、私などは成田先生の弟子のようなものでございまして、やや雑駁な内容になるかもしれませんが、お許し願いたいと思っております。
 私は、実はもう十数年来、この地方自治制度のあり方、国家制度のあり方について関心を持ってまいりまして、そういう本も書いたこともございますけれども、最近はどちらかというと、制度論だけではなくて、運用論、運営論も大事だと思って両方勉強いたしております。そういう観点から、きょうは両面からお話を申し上げたいと思うのでございます。
 お手元にお配りしております大変簡単なメモのようなことで恐縮でございますけれども、大体その流れに沿いましてお話ししたいと思うのでございます。
 第一番目に私が申し上げたいのは、地方分権、地方分権とずっといわれてきておりますけれども、まだまだ不十分だと思います。先ほど地方分権推進会議のもともとの役割が、制度論もやることになっておったけれども、補助金、負担金などについての財源の問題についての報告をまとめるにとどまっている、なかなか制度論まではいかないだろうというような成田先生のお話がございましたけれども、あの人選を見ましても、これはご承知の方も多いと思いますが--これはオフレコじゃないんですね、問題になるとあれですけれども、あの人選をしたのは財務省グループでございます。そして、総理大臣といいますか、官房長官にも話して人選の了承をとった。
 私もよく存じ上げている方が多いですけれども、国家財政至上主義、市場、マーケット至上主義者が半分ぐらいおりますから、これはとてもまとまらない。もう人選を見ても明らかだ。これは出来レースなんですね。ですから、その人選からしてそういうことでございますから、そんななかなかいくはずがない。
 私は、そういう学者の方がどうだとか、財界人がどうだとかいうことではなくて、牢固として抜きがたい日本人の近代化における意識の呪縛があるんじゃないか。これは、国家が第一である、大きなものがいいのだという近代化の呪縛、そして、そこの中では徹底して画一的なものがいいのだ、こういう、いうならば産業主義的な、あるいは産業革命の全盛期におけるような価値観というのが非常にあると思うんですね、私は。
 これは話していてわかります。私がいろいろな学会、研究会、審議会等で一緒になる方々の多くは、口では地方分権がいいといいますけれども、実際は国家主義者的な人は多いのでございます。なかなか地方分権、地方自治の応援団はいない、こういう問題が残念ながらあると思うんです。
 ところが、私、最近、比較制度あるいは比較行政といったものを勉強しております。また大学でも講じておりますけれども、ずっと見ておりますと、一九八〇年代から九〇年代にかけて、明らかに世の中は変わってきたなという感を禁じ得ません。それは、一言でいえば、現代福祉国家が破綻しそうになって、その破綻から何とか逃れながら公共部門がその役割を果たしていこうとする、そういう志向が見えるのでございます。そしてやりくりをしていく。破綻をしないようにしながら注意深くやりくりをしていく。その中で制度論も考えていく、こういうものだったと思いますけれども、どうも日本の政治や行政、これは経済もそうかもしれませんけれども、残念ながらそういう乗りおくれたといううらみがあるのではないかと思うのでございます。
 福祉国家に対する批判というのは大変強うございます。ある意味では、イギリスのサッチャー首相を初めとする英国保守党の最大の攻撃目標は、大きな福祉国家だったかもしれません。しかし、よくよく中身を見てみると、福祉国家のサービスを全く捨ててしまうということは実はしていないのでありまして、教育ももちろん続けてやっておりますし、さまざまな福祉サービス、保健医療もやっていることはやっております。ただ、その提供の仕方が変わってきた。あるいは、そこに一種の分権と競争を入れながらサービス供給をするというような仕方に変わってきたというのが現代福祉国家のあり方ではなかろうか。
 もちろんその中で安心や安全やリスクをなるべく抑えていくという志向はあるわけでございますけれども、金がかかるというのはなるべく避けないと、財政がもたない。これは、先ほどのEUの統合に当たりまして、三%条項というのがあって、財政赤字を三%以下に抑える、それがないとEUに加盟できない、こういう条件が条約上つきましたので、各国、必死にそれを達成すべく行ったわけでございますが、他方で、そういう金勘定とともに、国民が、あるいは市民が行政なり政治にもっと参加していく、こういう志向も満足させると、なかなか難しいバランスをとりながらやっていた。
 その意味で、私は、モデルにするのがあるのかどうかわかりませんけれども、英国を中心にした旧英連邦の国家群、これはオーストラリア、ニュージーランド、カナダもそうでございますし、あるいはアジアではマレーシアなども入るわけでございますが、そういったところがお互いに連絡をとりながら、協力をしながらさまざまな実験をするといいますか、試みをする。そういう中で、福祉国家の宿命である財政赤字を何とかかんとかだましながらといいますか、やっていったというものがございます。
 私、ちょうど二週間前にニュージーランドに十四年ぶりに行ってまいりまして、元総理大臣、あるいは現自治大臣、環境大臣などと一緒に出席してまいりましたけれども、そこで私端的に、これは会議の外で聞いたんです。ニュージーランドの実験、もう大変有名になっているけれども、あなた方は当事者としてどういうふうに考えているんだといいましたら、なかなか答えにくいようでございましたけれども、分野によっては大きな成果を見せた。しかし、所期の効果が上がらなかった分野もあるので、それは今手直しをしているんだというようなことでございますが、それをやらなければニュージーランドはもう国家破産寸前だったんだというようなことを強調しておりました。
 あるいは北欧も一種のモデルのようになるかもしれませんけれども、特にスウェーデンあるいはフィンランドが、一方で政府の効率化を進めながら、国全体の地方自治制度としては広域化を進めて、そこである程度自治的な仕事をさせる、こういう組み合わせをする。ただ、その効率化を担保していくために、国の方がある程度音頭を取って、効率化の指標、目標を、地方の方と相談しながら基準を立てまして、その上で実行を市民とともに、国民とともに監視をしていく、こういう組み合わせというのが、現在福祉国家の実情ではないだろうかと思うのでございます。
 ところで、第二番目に広域行政についてでございますけれども、いろいろな意見がかつてあって、私はそれを整理したことがございます。それは二つの論理と四つのモデルになるんだ。二つの論理と四つのモデルがあるんだというふうに整理をしてよく解説をしておりました。
 これは大変簡単なものなんでございますけれども、経済的な論理というのは、およそ行政のあり方というのは、経済的な視点に立ってその効率化を図ることなんだ。いうならば規模の利益を図り、規模の利益を得、あるいは効率性を達成し、効果のあるような行政を行い、また執行の能力を高めていく、あるいは企画立案の能力を高めていくというようなことで、全体として経済的な便益といいますか効果を上げていくんだ、こういう論理でございます。
 二番目の政治的な論理というのは、経済的なことはさておき、むしろ民主的な統制、あるいは住民の意向が的確に反映をされること、そういうことを通じてサービスが向上するということが大事だ、こういう観点、論理でございます。
 そうすると、この二つの論理を組み合わせますと、いうならば四つのモデルができるとなるわけでございますけれども、第一番目の合併モデルというのは、政府の数は少なければ少ないほどいい。そしてまた機能、権能、事務の重複はなるべく避けるというふうなモデルになるのでございます。
 他方、二番目に、この政治的な論理をもう少し強調いたしますと、分権・近隣政府モデルとでも呼ぶようなものができます。これは、小さな政府は住民の帰属意識を満たすのでよろしい。あるいは住民の影響力を行使していくという観点からは、特に都市地域では望ましいんだ。権限を与えて、まあ小規模でもいいんだというような立場でございます。
 三番目の二層制大都市政府モデルというのは、いうならばこの一と二の折衷案でありまして、上の方は広域的に合併モデルでいくわけですけれども、下の方は相当近隣政府的であるということでございまして、トロントがこれに近いといわれているのでございます。あるいは東京都もこれに近いのかもしれません。
 四番目に、これは実際には余りないかもしれませんが、市場機構モデルと私は名づけているのですが、政治的な市場機構を形成する。すなわち、ありとあらゆる商品が市場に出回っているように、ありとあらゆる多様な形態を持った自治体が存在しておって、そして、それを住民が足による投票で選ぶんだ、こういう考え方で、これは経済学者が非常に好むものでございます。
 実際にはなかなかないかと思われますけれども、よくよく調べてみると、アメリカの大都市の一部にはこの市場機構モデルに非常に近いものが実はございます。人口三百万人程度の大都市圏で数百という数の地方自治体がございました。少ないのは人口一万人前後、大きくても、中心のところが五、六十万人、もう衛星都市のような形でずっとつながっている。全体として人口が三百万人ぐらい、こういう都市が実は幾つもありまして、どうもこれがアメリカの経済学者などがいう足による投票モデルの基礎になっているものではないかと思うのでございます。
 私は、東京都は、分類をあえてするとすれば、2の(3)に近いんでしょうけれども、それにしてもちょっと大き過ぎる感が否めないのでございます。私、実は先ほどの成田先生のお話を聞いておりまして、相当私の考えにも近い印象を受けたのでございますが、私自身の意見というのは、広域合併をしたとしても、広域政府になったとしても、純化をして小さな政府としていくというのが妥当なんだと私自身は思っているのでございます。
 その理由は後で申し上げますが、ちょっと時間の関係で先取りをしていいますと、二つございます。それは、第一番目は、いうならば公的な意思決定を迅速、合理的に行うということ、二番目には、政府が大きいと、民間がやるようなこともやってしまうという実は傾向がございます。そういう意味で、民間の活動を助長するという意味からも、小さな政府の方がいいと私自身は思っているのでございます。
 そこで、第三番目の連邦制、道州制については、もう先ほどるるお話がございました。ある意味では、私が今から申し上げることは、かつて十数年前、地方制度調査会の仕事を少しお手伝いをしておった時期に成田先生初め諸先生方から教えていただいたことでございます。
 地方自治の原理が憲法に盛り込まれているというのは、世界各国普遍の現象ではございません。日本にはありますし、また、多くのヨーロッパの国などにもございますけれども、例えば先ほど申しましたニュージーランドの憲法には、地方自治の保障条項というのはないんです。ですから、ニュージーランド自身は小さな国で、三百七十万か八十万の小さな国でございますけれども、いうならば中央政府がこうだと決めれば、もうそういうふうに地方制度はなっちゃう。保障されていないから、いかようにでも切り分けられる、こういうことで、今、それを憲法条項の中に含めるべきではないか、憲法改正すべきではないかと、非常に有力な議論が出ているというのが二週間前の会議で議論されておりました。
 日本の場合には、地方自治の原理は憲法に書いてございますし、どういうふうに地方制度あるいは地方自治体の仕組みをつくっていくかというのは憲法問題でございますから、そういう意味で、二ページに参りますけれども、連邦制を導入するということは憲法改正問題であって、そして、歴史的、民族的あるいは言語的といいますか、そういう理由が、必然性が少ないというふうな日本にあっては、どうも余り強い理由がないんじゃないだろうかという気がしております。
 そもそも連邦制というものが最初に誕生したのは、成文憲法、これもまた最初に国家レベルでつくりましたアメリカ合衆国でございますけれども、これももともとは十三州がどうやって統合していくか。これは、統合しないと、当時なお強い軍事的な脅威でございましたイギリスなどに対抗して独立国の実質を保つことはできない、こういう大変切迫した状況のもとに、緩やかな結合といいますか、緩やかな協力形態ではあるけれども、軍事あるいは通貨といったようなものを共通にする連邦政府というのをつくる、こういうことだったのでございます。
 ドイツの場合にはもともと歴史的な背景もございましたし、また、旧ユーゴスラビアのごときは、あの複雑な人種的、宗教的違いを統合していくために、戦後、あの非常に有能な指導者であったチトー大統領のもとに連邦制を選択した、そういう極めて歴史的な、民族的な背景が強いということでございますので、そういう意味で、名前として連邦制というのをいうならばレトリックとして使うのは構わないんですけれども、それにしてはなかなか難しい。
 三番目に、道州制は集権的色彩を持つような意味だ、対応する外国語はないんじゃないかと書いてしまったんですが、後でよく考えたら、訳せないことはないんでございます。いうならば国と自治体との間をつなぐ広域的な政府、リージョナルガバメントといいましょうか、フランスのレジオンとか、イタリアのレジオネというのがございますが、そういうものが一種の道州制に当たると思いますけれども、私は、どうも道州制という言葉は、昔の地方統監府とか、ちょっと集権的な色彩を感じてならないものですから、実は余り使わないことにしておりまして、むしろ四番目、自治権を強化した実質連邦制というのを、これはもう古いことでございますが、一九八七、八年ごろに提唱して論文を書き、また、その後本にしたこともございました。
 しかし、残念ながらちょっと早過ぎたのか、余りその本も売れませんで現在に至っておりますけれども、当時、私の問題関心というのは、連邦制という一つの言葉を使って自治権をどうやって広域的に保障していくかということでございました。
 東京一極集中はいかぬということで、四全総の中で多極分散型国土構想というのが出されました。私は、多極分散型というのは、ちょっとそれは余り実現できないようなことじゃないかと思って、あえて多極集中型国土構想で三百万人都市圏の構想というのを出して、三百万人ぐらいが一つの核になって、いうならば東京一極集中じゃなくて、それぞれのブロックなり地域で三百万人程度の大きな都市圏ができていて、そこは府県が中心になるかもしれないんだけれども、そこに権限をある程度集めて広域的な事務を処理する、国の地方出先機関は順次廃止していく、こういうことでございました。当時、成田先生からのご意見も伺ったり勉強させていただいたことを今思い出したのでございます。
 具体的にはどういうことをいったか、当時の、ちょっと読み上げますと、私はこんなことを書いたんでございます。全部で六点書いたんでございますが、ちょっと簡単にポイントだけ申し上げますと、一番目が、市町村は基礎的な自治体として行財政能力を高めることとし、国の機関委任事務は原則として行わない。地域的に行財政能力を高めることが困難な市町村は、広域行政機構の形をとって対処する。場合によっては合併する。今の市町村合併のことを何か予言しているようになっているんです。
 二番目に、政令指定都市を除いては全国一律の市町村制度となっているのを改め、形態の多様性を認める。諸外国に見られる議決機関と執行機関を兼ねる制度、カウンシル、さらには、このカウンシルの委任を受け行政事務を管理執行するいわゆる支配人制度、マネジャー制度なども考えられよう。
 三番目は、都道府県については、差し当たって現在の区域はそのままにして、機関委任事務を初め国の地方事務を都道府県に集中させ、府県単位の出先機関の事務は都道府県が吸収し、ブロック単位の出先機関は原則として廃止する。
 四番目、この結果、都道府県の権限がふえることとなるが、政府任命の首長は置かない。公選の知事と議会が都道府県をコントロールする。それから、国政にあっては、都道府県の代表、例えば知事などの特別職、行政部局の長官及び都道府県議会議員の中から選出をして、国会の一院に議席を持つことにより、国と地方との間の基本的な利害調整を行う。これはちょっとドイツ的な仕組みを考えたんです。
 それから五番目、以上の過程で広域的な事務処理のために都道府県が合併すること、あるいは何らかの広域行政機構をつくることが必要となろう。これは先ほどの成田先生の首都圏における広域機構のようなものでございます。
 最後に六番目に、財政面では自主財源比率を高める。一般財源ベースで少なくとも五割以上を確保する。都道府県または州は、現在の所得税、法人税のほか消費税を税源として持つ。市町村は固定資産税を中心にした安定的な財源構成を持つということで、これはちょっと詳しく注をつけて案をつくったんでございますけれども、よく考えてみると、もう十四、五年前なんでございますが、大体こういう方向にある意味では進んできている。
 そうしましたら、実はついせんだって、静岡県の石川知事が、自分は政令県構想というのを最近提案しているんだというお話を聞きました。これは、静岡県内で静岡市と清水市が近々合併をする。あるいは浜松市を中心にして環浜名湖の合併構想がある。そうしますと、県都である静岡市が政令都市に行く行くはなるだろう。あるいは西の方の浜松を中心にした区域も政令都市になるだろう。そうすると、静岡県自体の役割が変わるだろう。
 そうしたら、静岡県はより広域的なのをもちろんするわけだけれども、その場合に、国の行っている事務で静岡県内で完結し得るものを、いうならば政令県というような形で引き受ける、そういう構想だそうでございまして、ある意味では、どうも私が唱えた実質的連邦制とよく似ているなというお話をいただきましたけれども、だんだん日本の場合、知らない間に、ある意味では先ほど申しました英国あるいはスウェーデンなどのような、市町村レベルではある程度の体力強化、能力強化、広域化というものを進めながら、他方では国全体の仕事を再分配いたしまして分権の方向で進める、こういうことになってきたんだなという、それが現代福祉国家の進むべき姿ではないだろうかということをだんだん感じているこのごろでございます。
 五番目のところに書いているのは、やや大学の講義のようなことで大変恐縮でございますけれども、ちょっと簡単に述べておきますと、国家体制で地方自治の意味が違うというのは、先ほど申し上げたようなことでございます。憲法で地方自治の位置づけが違うからでございます。
 ただ、国全体の制度は、連邦、単一国家、あるいは連合というこの三つにおおむね分けることができるのでございます。
 多くの国は、中央政府が最終的な権限を持つ、すなわち、主権は一つだけである単一国家でございますけれども、州が中心となる連邦制はアメリカが最初につくりまして、その場合には、連邦政府もそうでございますが、州が憲法制定権力を持ちますし、法律制定権力も持ちますし、その州のもとにあります地方政府、ローカルガバメントは、ディロンズルールという、これは裁判の判決から来たものでございますが、地方政府は州の創造物である。いうならば州が創造主でありますから、どういうふうな地方制度にするかということは州が決めていいんだ、こういうのが実は連邦制度なのでございます。
 「法の精神」で有名なフランスのモンテスキューの本を読んでみますと、連合がいいんだ。特に理想とするようなものは、例えば十七世紀のオランダの都市連合国家であるというようなことをいっておりますが、都市連合国家は残念ながら軍事力の面で弱かったものですから、最近までずっとなくなっておったということでございます。
 私は、国民国家至上主義者では全然ないんですけれども、国民国家の理念というのは、地方自治は無制限ではないし、固有のものでもないというものが潜在的に実はございます。つまり、国民国家に統合していく過程で、いうならば地方自治をある意味では犠牲にしたということがあると思うのでございますけれども、先ほどの欧州の統合に見られるような国家のあり方の変化が出てきておりますし、ある意味では、私は権力の分有、パワーシェアリングといっておるのでございますが、これが非常に強く見られるようになってきた。日本もその一翼を担っていると常々実は思っているのでございます。
 ブレア労働党政権になりましてから、スコットランドあるいはウェールズにより多くの自治権を供与する。スコットランドの議会はパーラメントとしての地位を与えると、非常に分権的な制度に変えた。これは労働党の公約でもあったということでございますけれども、そういう分権化というのは、実は広い意味では国家の利益にもなるんだと恐らくブレア労働党政権は思ったのでございましょう。
 スコットランドというのは大変おもしろいところといいますか、この前聞きましたら、人口五百万人なんだ。人口五百万でEUのメンバーになっているのはほかにもいるじゃないか。例えばデンマークである。今度メンバーになるスロベニアは二百万しかいないじゃないか。それでも今度メンバーになる。スコットランドだって本当は一国としての地位を認められてもいいんだと、実はスコットランドの首脳は公言しているのでございます。
 そして、これもおもしろいんですけれども、スコットランドはブラッセルのEUの本部の近くに事務所を置きまして、それを一種の在外公館的に機能させておりまして、EUが交付いたします農業補助金、その他地域開発の補助金たくさんございます。これを獲得するための作戦本部といいますか、実施部隊としてブラッセルの事務所を大いに活用しているのでございますが、そういうふうに、ほうっておくと、どんどん独立を志向していくので、これを国内にとどめておかなきゃいかぬという要請も恐らくイギリスではあったんじゃないかと思いますが、いうならば、一方で離れていこうとするものをとどめておく。そのためには分権をさせる、分権をしていく、こういう動きが世界的な動きで、そういう国の理念といいますか、国のあり方あるいは地方のあり方が変わってきたんじゃないか、そういう気がいたします。
 そういう意味で、私は六番目に、一国多制度はあって当然と書いたんでございますけれども、どうも日本のような集権的発想というのが、改革なり、よりいい方向での改善というのを阻んでいるんじゃないか。
 その意味で、第四に、地方自治制度のモデルはむしろ身近にあるんじゃないかということを私は申し上げたいのでございます。
 いうならば歴史的な背景に基づいていった方がいいと思いますが、今申し上げましたように、国民国家の体系が変わってきている。そして、地方自治は国民国家自身の体系とは別個に実はあるんだというのが一つの考えであり、そして、EUという国家を超えた存在ができたようなヨーロッパのような姿が将来のあるべき体制であるとすれば、そこに補完性原理といいますか、余りそういう超国家的な機構が暴走しないように、しかしまた、国家自体が画一的に何でもかんでも国で処理しようとするようなものにも対抗するような意味で、この補完性原理というのは意味のあることだろうと思います。
 そこで、私は、補完性原理といいますか、私自身が実は離島の出身でございまして、もう過疎の町でございますが、二十年ほど前にようやく橋がかかって、離島振興法から離脱したような田舎者でございますが、そこでそういう田舎の行政、あるいは都市の行政を見ておりまして、やっぱり地方自治の精神を生かしていくということからすると、広域と狭域を組み合わせたような行政がますます必要になってくるんではないかということを感じます。
 小さければいいという考え方もございますけれども、日本のような非常に高密度な社会で、そして、環境問題、交通問題等、利害関係が複雑に絡み合っているようなところでは、牧歌的な意味での地方自治というのは余りとり得ないことではないかと思っているのでございます。
 実は、昨年サンフランシスコで国際会議がありまして、私、日本の地方分権の動きなどについて報告を申し上げましたんですが、そのときに、カリフォルニアの方が、カリフォルニアで今何が困っているかというと、州政府でも対応できない、かといってカウンティーでもどうも抜け落ちる。カウンティーは市町村と州の間にあるわけですが、市町村ではもちろん小さ過ぎて対応できない。それは何か。例えば広範な土地利用、あるいは交通問題でございます。福祉などはちゃんと州なりあるいはカウンティーが担当してやるんでございましょうが、交通問題、資源問題、都市問題あるいは住宅問題、こういったものがどうもすき間に抜け落ちて、大変住民の不満があるんだ。日本ではどうやっているんだといろいろ聞かれました。
 私は、余りアメリカの実情は参考にならないと思っているのは、アメリカは若い国なものですから、そういう抜け落ちているところがある。抜け落ちているから、ある意味では自由に白地に線を書くがごとく、絵をかくがごとく自由にデザインする、設計する、こういうことがあるんだと思うんですけれども、ある意味では、先ほどのロンドンの例にありますように、広域的な問題をきちんと計画をする、調整をする、そして規制をする、こういった機構をきちんとつくっておかないと、うまく市民生活が回らない。
 他方、狭域的には、いうならば近隣住区ごとぐらいに細分化したところの行政単位を構想して、そこで身近な行政は進めていく、そういう二本立ての仕組みというのをこれからつくるのが大事であって、このことを東京都政なり東京都全体の行政のあり方としても考えるのが妥当ではなかろうかと思っているのでございます。
 そこに、民主的市民関与が正統性を担保する鍵にと書きましたのは、そこにエンゲージメントとちょっと耳なれない言葉を書いているんですけれども、いわゆる市民参加ではなくて参画、あるいは関与というのはどういうことかといいますと、計画の段階もそうでございますし、実施する段階でもかかわる。そして、その実施した結果がどうだったか、どうなっているかということの評価も市民がかかわるというその一連の過程に市民が関与していく、こういう新しい概念でございまして、実際にこれは多くの国で最近急速に高まっております。
 ロンドンのずっと南の方には、もうテムズ川の河口の付近、大変疲弊したような昔からの町がございますけれども、そういうところがこういう市民の関与を取り入れて地域の再生をした。幾つも例が最近挙がっておりますけれども、要するに住民にやる気を起こさせる、そういう仕掛けをしながら、他方では、広域的にきちんと整理、政治を計画、調整をしていく、こういうことが大事なんだろうと思うのでございます。
 七番目の弱小市町村の権限縮小は当然というのは、これは先ほど成田先生が少し言及されました西尾私案を念頭に置いておりますけれども、私自身は、とても仕事ができない市町村は権限縮小して当然だろうと思うんです。私は現場を少なくとも知っておりますから、担当者一人のところに、役所でいえば幾つもの局の業務、関連業務がどさっと来て、しかも、そのうちの仕事の半分ぐらいは、あるいは場合によっては七割ぐらいは調査物だ、こういう実情は何としても避けないと、本当に住民に必要な行政をそういう小さな市町村ではできないんですね。そういう意味で、私は西尾私案の原則論にはある程度理解を示しているものでございます。
 最後に、運用論のお話を少し申し上げたいと思います。これは第一番目にお話ししたことのちょっと繰り返しになるかもしれませんが、整理して申し上げたいと思います。
 第一番目は、限られた資源の重点的、戦略的活用で効率や能率を目指すんだということでございますが、この場合の能率というのは、いわゆる効果も含むのでございます。
 私、東京都が大変努力をされて現在の財政危機に対処しようとしておられることを横から見ておりまして、大変関心を持っておりますけれども、資源はどんどん限られてくる。これは当分ふえない。
 現在、主要国といいますか、これでプラスの経済成長をコンスタントに達成しているのはどこか、ほとんどないんですね。ほとんどありません。一時アメリカが非常に調子よかったんですけれども、失速ぎみでございます。三年ないし四年連続でプラスの成長、それも二、三、四%上がっているのは実はニュージーランドだけなんですね、調べてみましたら。したがって、この前の選挙でも、労働党政権は、連立ではございましたけれども、与党に踏みとどまりました。
 私は、ニュージーランドモデル自身は必ずしも全部うまく当てはまると思いませんし、日本に適用する場合には実は限界があると思っております。しかし、考え方としての、資源は限られているんだから、これを有効に活用しようという態度は万古不易のものであって、むだ遣いをしない、効果の上がるように財源を使う、あるいは現在の資源を使う、こういうのは当然のことだと思うのでございます。
 しかし、同時に、三ページに参りまして、そういう効率的に使う、能率を上げて使うということとこれは軌を一にするんでございますが、アカウンタビリティーが強調されなければいけないと思うのでございます。これは、ある意味では政府への不信の対応ということになるかと思います。ここにいらっしゃる皆様は日々都民の方と接しておられて、いろいろな事件が起きます。マスコミの格好の話題になるような事件も、毎日とはいいませんけれども、毎週、毎月のようにあるわけでございます。透明性を高めろとかいわれますけれども、私は実はこのアカウンタビリティーというものが大変大事になってきたという気がいたします。
 このアカウンタビリティーは、よく説明責任と訳されておりますけれども、あれは誤訳だと思います。じゃ、何と訳すんだ、こういうことになりますけれども、私はこれは端的に責任と訳したらいいと思います。ギリシャのプラトンの著作を読みますと、あそこにギリシャのアテネの都市国家におけるアカウンタビリティーというのが実は出てくるんですね。それは、アテネという都市国家の国庫、金庫といいますか財産ですね、これを適切に所期の目的に従って管理運用するという責任だと書いているんですね。
 イギリス人に聞きますと、それは財政的な責任だ。税を取り、予算を組み、予算を執行し、それを評価していく、その一連の責任の全体をアカウンタビリティーというふうにいうことが多いんだということを聞かされました。ということは、これは要するに政治や行政の責任ということだなということを考えるわけですけれども、一方では効率的に資源を使う、他方では透明な形で政治や行政を行って責任を明らかにしていく、この二つをやっておれば大体間違いないんじゃないかというので、ぜひそういうことを都政の中にうまく組み込んでいくということをするのが、制度、組織、機構を整備することと同様に大事なことではないかという気がいたしております。
 三番目の市場の力と統治能力の変化というのは、ここ十年ほど私非常に感じておることでございます。数年前、三重県で例の阪神・淡路大震災の後、防災計画の改定をいたしました。これに対しまして、あるNPOが、これはだめだ、こんな防災計画じゃだめだといって文句をつけたんですね。何で文句をいわれるんだといって担当者は怒ったんですけれども、よく話を聞いてみると、もっともなことがある。つまり、住民が県の防災計画にどういうふうに反応するか、どういうふうに対応してくれるか、現実にはどこまでできるか、どこができないかということを非常に詳しく説明してくれたというんですね。
 ああそうか、それじゃちょっと変えてみようかということで変えた。変えた方も偉いけれども、助言をした方も偉いんですね。それで、その後大幅に改定をして現在に至っておるわけですが、その後これはどうも県庁だけではだめだ、あるいは県と市町村だけでやってもだめだということで、NPOや住民のボランティアの人たちも交えまして大規模な防災訓練、演習をやってみた。
 それでまた反省が出たので、またいろいろ手直しをしているというのをたしかもう二、三回やっているのだと思いますけれども、そうすると、これはある意味ではそういう非常にまじめなといいますか、公共的な精神の旺盛な人たちを巻き込んで協力関係を結んでいくというのが、ある意味では行政や政治にとってもプラスだということになるのではないかという気がいたします。
 四番目でございますけれども、私は数年来、評価を中軸に据えて改革をしていくとうまくいくんじゃないかということを提唱しております。もともと私は予算や法律、そういう実務をやっておりました人間でございまして、多くの計画をつくり、予算を策定し、あるいはさまざまな政策を実施するという仕事をしてまいりましたが、その中で感じましたのは、予算中心、あるいは人の数、あるいは施設の大きさといったようなものを中心に考えるのじゃなくて、そういうものをもちろん踏まえながら活用してどういうふうな結果を出すか、結果重視の行政に行くのが、途中からはこれの方が楽だといいますか、非常に説得力があるということに実は気づいたのでございます。
 これを私、幾つかの県に赴任をいたしましたときにやってみましたら、大変すっきりした政策体系になった。変な話ですけれども、予算あるいは組織、定員、こういったものの要求が比較的スムーズに通ったということがございまして、それで、まず結果から考えて、ずっと現在の政策体系なり予算を組み直してみてやるといいのだということを、同僚、部下とともに作業したことが何回かございます。
 その中で民間の力もお願いするというふうな形でいくと、やはりある程度小さな政府でいた方が、身動きというか、非常に素早く動けるということにも実は気づきまして、ですから、本体の部分はある程度凝縮した形でやるわけですけれども、その周辺、例えば私、中小企業対策やら地域開発の行政もやったことがございますけれども、その場合にも、経営者の方々、こういう方々のグループをたくさんお願いしたというか、自発的にできたようなところにお願いして提言をしていただいたり、相談を持ちかけたりすることによって、経済関連の政策を非常にスムーズに実行できた、また喜んでいただいたということがございました。
 その場合県庁でございますが、余りそこの組織が多くて、そこの中でああでもないこうでもないとやっていると、いつの間にか役所の論理だけで政策をつくっちゃうものですからうまくいかないというので、味方は外に求めてやるというのは非常にいいということに気づきました。
 そこに、小さな政府の方が、国際競争と生活の質の点から戦略上有利になるというのは、そういった意味合いでございまして、大変いいにくいことですけど、大き過ぎる東京都は競争力を阻害することにつながりかねないんじゃないかという危惧を実は私は持っているのでございます。
 ということは、最後になりますけれども、結局、福祉国家というのはもう逃れられない。近代のといいますか、現代の福祉国家、すなわち、ある定義によりますと、GDPの八%ないし一〇%を福祉関連の支出、これは広い意味での福祉関連の支出に充てているという国家を福祉国家といって、恒常的な赤字に陥っている現在の状況を指しまして、私は結びつけて現代福祉国家、こういっているんですけれども、これは一時的に財源は入るとしても、長期的には低成長、場合によるとマイナス成長の傾向を持っているんですね--持っていると、あるエコノミストにいわせると、そういうようなこともいわれるわけです。
 そうすると、政府の役割は何かということですけれども、これは必要な規制はちゃんとする。必要な規制をするためにはきちんと調査もし、計画も立てながら調整をしていく、こういうことになりますけれども、その前提に現状の評価をして組み合わせてやる、こういう形の自治体がこれからの進むべき方向ではないか。国家自体もそういうふうになるべきではないかというふうに思っているのでございます。
 そういうことをしながら、先ほどの成田先生のご提案のような広域的な役割、ある意味では調整権限を持ったような首都圏の機構というものを構成していくという、そういう組み合わせはどうだろうかということを考えてみたような次第でございます。
 大変まとまりのない話で恐縮でございましたけれども、以上、私の考え方を述べさせていただきました。
 どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)

○立石委員長 古川先生には貴重なご意見をお伺いすることができまして、お礼を申し上げます。
 これをもちまして古川先生の参考人意見の聴取は終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
 以上で参考人意見の聴取を終了いたします。
 これをもちまして本日の委員会を閉会いたします。
   午後三時二分散会