行財政改革基本問題特別委員会速記録第十五号

平成十四年十一月二十日(水曜日)
 第四委員会室
 午後一時五分開議
 出席委員 二十一名
委員長立石 晴康君
副委員長大木田 守君
副委員長和田 宗春君
理事富田 俊正君
理事鈴木貫太郎君
理事吉田 信夫君
理事こいそ 明君
山下 太郎君
長橋 桂一君
近藤やよい君
遠藤  衛君
相川  博君
大西 英男君
大河原雅子君
河西のぶみ君
星野 篤功君
渡辺 康信君
石井 義修君
山崎 孝明君
松本 文明君
木村 陽治君

 欠席委員 二名

 出席説明員
知事本部本部長前川 燿男君
次長森澤 正範君
企画調整部長渡辺日佐夫君
特命担当部長高島 茂樹君
企画調整担当部長中田 清己君
国政広域連携担当部長熊野 順祥君
自治制度改革担当部長幡本  裕君
総務局局長赤星 經昭君
総務部長高橋 和志君
IT推進室情報企画担当部長木谷 正道君
IT推進室電子都庁推進担当部長遠藤 秀和君
人事部長山内 隆夫君
勤労部長大塚 孝一君
財務局局長田原 和道君
経理部長佐藤 兼信君
主計部長松澤 敏夫君
 委員外の出席者
参考人
明治大学政治経済学部教授市川 宏雄君
東京都立大学大学院都市科学研究科教授中林 一樹君

本日の会議に付した事件
 行財政改革の基本的事項についての調査・検討
  参考人からの意見聴取

○立石委員長 ただいまから行財政改革基本問題特別委員会を開会いたします。
 初めに、理事者の欠席について申し上げます。
 総務局行政部長は、公務出張のため、本日の委員会に出席できない旨の申し出がありました。また、総務局行政改革推進室長は、所用のため本日の委員会に出席できない旨の申し出がありました。ご了承願います。
 これより、東京の将来像を展望し、社会・経済情勢の変化に柔軟に対応する都政を実現するため、行財政改革の基本的事項について調査・検討を行います。
 本日は、行財政改革の基本問題について、お手元配布の実施要領のとおり、明治大学政治経済学部教授の市川宏雄さん、及び東京都立大学大学院都市科学研究科教授の中林一樹さんのお二人の参考人から、順次、専門的な見地からのご意見を聴取したいと思います。
 また、今後の参考人からの意見聴取につきましては、取り扱いを理事会にご一任いただきたいと思いますが、これにご異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○立石委員長 異議なしと認め、そのように決定いたしました。
 これより、参考人から意見を聴取いたします。
 それでは、市川参考人、発言席にお移りください。
 ただいまご着席いただきました参考人をご紹介いたします。
 明治大学政治経済学部教授の市川宏雄さんでございます。
 本日は、ご多忙のところご出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表してお礼を申し上げます。
 行財政改革の基本問題につきまして、ご専門の立場から、おおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
 なお、市川参考人には、ご着席のままご発言していただきたいと思います。
 それではよろしくお願いいたします。

○市川参考人 ご紹介にあずかりました市川でございます。
 きょうのテーマは、都市づくりということでお話をしてくれということでございましたので、お時間も限られているということもございまして、なるべく幅広いテーマで、これからの政策を考える上での参考になるようなキーワードをご提案できればと思って、きょうのお話と、あとお手元にございます資料をごらんいただくということを考えております。
 初めに、簡単に資料の構成でございますが、一ページ目がきょうのレジュメでございまして、二ページ目が私の関連の著書のリストでございます。それから三ページ目と四ページ目が、本来はこれはパワーポイントを使って映像でお話しするものでございますが、きょうは紙焼きになっております。それから、この二枚の紙のほかに、きょう追加であと二枚ございますので、このスライド仕様のものが全部で四枚ございます。その後が参考資料の1から始まりまして、資料ということで添付しているものが9までございます。適宜お話をしながら、この中で関連のところについて触れたいと思います。
 ただ、時間が限られておりますので、できればこういう資料をお読みいただく、あるいは関連の著書を見ていただくということで、簡単な説明で済ませる部分もございます。
 まず、タイトルでございますが、なるべく幅広く東京のこれからの都市づくりについてお考えいただくということで、大きい流れをそこに書いておきました。大きい流れは五つございまして、その前にタイトルでございますが、これも比較的オーバーオールなテーマでございますが、東京の都市づくりの課題と展開ということで、現在の課題、それから、いろいろ東京都の政策づくりのお手伝いをさせていただきましたので、そういう流れの中でこれからどういうことを考えるべきかという展開の部分での幾つかのちょっと考えるヒントを考えております。
 テーマでございますが、五つございます。一つが社会経済環境の変化、二つ目が東京の存在の意味、三つ目が東京の活力の維持、四つ目が東京の都市構造と都市政策、五つ目が今日的課題、これからの課題ということでございます。
 まず初めに、ちょうど二十一世紀になりまして、二十世紀という戦後の大きな流れが変わった昨今でございます。そういう中で、社会経済環境の変化というまず第一のテーマから始めたいと思います。
 社会経済環境の変化で、よくいわれることはいろいろありますけれども、何が変わったかということの確認でございます。ちょうど三ページ目のスライド仕様の一つ目をごらんいただきたいと思います。
 単に世紀が変わっただけで、しょせん一年違いなんですけれども、やはり二十一世紀ということで物の考え方が変わってきているということは、我々が日ごろ気づいていることでございます。キーワードは何かということで、ここには六つ挙げてあります。
 一つは経済活力の回復である。これは、戦後いろいろな形で成長して、そしてそのピークでありましたバブル経済が崩壊し、それから十年、現在どうすればいいかという意味での経済の活性化が今課題であるということで、これは二十一世紀初頭の大きなテーマになっております。
 二つ目が、特に環境との共生という話題です。これは、いってみれば、地球というのは、おのおのが考えて、そしてお互いに協力し合わなければ生きていけないということが二十世紀にわかったわけでありまして、二十一世紀はこの環境との共生なくして社会も都市も存在しないという状況にあります。
 三つ目は、もちろん初めの経済活力の回復に関係がありますが、国際競争力の確保ということが大きなテーマになっております。特にグローバリゼーションが進展した八〇年代後半、その後の日本のいわば輝かしい時期と、今少し悩んでいる時期にありますが、やはりこれから国家並びに都市、あるいは我々が生きていくためには国際競争力ということを念頭に入れて、それを確保しなければ生きていけないという状況にあるということは確かであります。
 第四点ですが、実は人口を考えますと、二〇〇六年に日本全体の人口がいわゆるピークを打って減少が始まる。それから東京圏でも、大体二〇一〇年から一五年ぐらいに人口がピークを打って減っていくという中で、いよいよ成熟社会がこれから到来するんだと現在いわれております。
 これは、きょうの議題の後の方で申し上げますが、成熟社会におきます最大のポイントはストックの活用なんですね。今あるものをどう使うか、二十世紀後半に行われましたスクラップ・アンド・ビルドが終わってしまった後どうするか、その答えはストックの活用にあるんだということでありまして、これも二十一世紀の大きなキーワードである。
 五つ目でございますが、特に最近の流れというのは、企業人がこれからはもう組織で動いていけない、個人の考え方が重要だという中で、さまざまな多様な主体と考え方が動き始めている。こういった多様な主体と考え方に対応しなければならないということがキーワードである。
 それから最後に、そういう中で一番大きなテーマは、今までは戦後長い間、常に需要が供給を上回ってきたという中で、常に量的な供給が第一課題でしたが、これからは質的なものに変わっていく。すなわち、質的な充実が最優先順位になるという状況にあります。
 これが、簡単にいうと二十一世紀におけるパラダイムの幾つかである。そういう中でどうなるか、二十一世紀の大都市ですけれども、その下に行きますが、簡単にいうと、幾つか出てきます。
 成熟社会の到来で需要対供給の関係が変わる。個人の多様な動きが都市の姿を変え始める。情報技術の進歩がさまざまな障害を取り除く。自由競争が新たな発展と格差を生み出す。そして、都市でいえば、都心と郊外の新たな関係が生まれる。こういったことが大都市におけるパラダイムになっていくだろうというのが、きょうの社会経済変化の部分の導入部分です。
 これにつきましてはもっとお話ししたいところですが、あくまでもきょうの導入部分でございますので、あと補足資料でご説明申し上げますと、参考資料、資料の1番というのがその二ページ後にございます。
 これは、東京都市圏といわれている大都市圏における社会経済状況の変化がどういう形で自治体に影響を与えるかという模式図でございます。さまざまな選び方がありますが、私が考えておりますのは、左側にございますように、成熟社会への移行、個人の時代、情報技術の進展、こういった三つの流れをとるとわかりやすいかなと思っております。
 そういう中で、そこにいろいろございますけれども、人口が減る中での経済の低成長とか、あるいは高齢化・少子化といった問題、それから価値観が変わっていく。それから、最近情報化が進む中で、情報技術によってさまざまな部分が束縛から解放されているという状況があります。そういう中で新たな現象が発生しているというのが真ん中の列でありまして、それに対する問題にどう対処するか、こういったことに対処できない自治体はこれからは力を失っていくだろうというようなことを考えております。
 こういった考え方につきましては、私の著書というリストが二ページ目にございますが、これについて詳しく書いてあります本は、3番の「首都圏自治体の攻防」でございます。もしお時間があればお読みいただきたいと思います。
 それから、資料1の次の次に資料3というのがございます。資料3でございますが、これはちょうど平成十一年、今から三年前ですけれども、我が国経済社会の長期展望と社会資本整備のあり方について何かしゃべってくれというのがありまして、五十年後を展望するというインタビューでした。三年前ですので、少し流れは変わっているところはありますけれども、本質的には考えていることは余り変わっていませんので、きょうお持ちいたしました。
 そこに書いてありますように、五十年後を展望する際のキーワード、人口構造、伝達手段、国際間競争といったことであるということで、あと集中から分散の動きというのがあるだろう。
 それから、日本経済社会の方向性は、これは経済という見方ではなくて、これから世界の中で日本がどういう位置づけがあるかと考えていくと、例えばイギリスの英語圏文化、フランスのラテン圏文化というものが世界の主要なところに根づいて生きているという状況でございますので、これからは日本は、ハイテク産業を含めた技術系を主体としたアジアにどうやって出ていけばいいかということが課題だろうということを考えております。
 次のページに移りまして、そういう中で分散型のネットワークをどうつくっていくかということが課題になるだろう。特に二十一世紀の分散型社会というのは、質的なものがより量的なものにまさっていく中で、それをどう具体化していくか、これができるのがネットワークであるというふうに考えております。
 あと社会資本整備等の話は、また後で参りますので、もう一回説明いたします。
 そういうことで、五十年後は、今ある考え方はかなり変わるという前提に立って物を考えないといけないだろうというのが、第一のテーマでございます。
 あと著書の1番というのも参考と書いてありますが、著書の1番というのは「情報化で蘇る都市-都市再生への処方箋を求めて」という本でございまして、これは、情報化で何が変わるかという議論はさまざまにあります。私も二年ほど前に経済企画庁でやりました情報化で変わる都市という委員会でお手伝いしたんですけれども、結局、情報化で変わることは、個別にはあるんですね。携帯電話が普及した、インターネットが普及したということで、個別には変わるんですが、それが都市空間にどう影響を与えるかということはかなり難しいテーマになります。この本の中でそれを具体的に、単純にいえば、例えば情報技術が発達すれば、今までのように商店は売り場を持たなくていいんではないかといった仮説とか、それからテレワークが発達したり、インターネットによって職場と住むところの基底をしなくなってくれば、結果的には社会基盤に対する投資が減っていくのではないかといった仮説を幾つか置いて書いた本でございます。あくまでも仮説でありまして、これからの動きの中でどうなるかわかりませんけれども、情報化で何かが変わるということについては、個別個別には今説明がついております。
 ただ、最終的には全体がどう変わるかということがまだわかっていないわけでありまして、それはなぜかといいますと、文明社会において常に技術の革新は起きてきました。かつてはモールス信号、電信に移って、電話になって、そのたびごとに社会や都市は変わるといわれてきましたけれども、それは変わったんですけれども、変わった結果、また新たなさまざまな機能と需要が発生して、また違う社会ができるんですね。ですから、今ある問題を解決するということよりも、新たなまた課題が発生するという中で考えていくと、情報化だけで都市問題が解決するということは必ずしもいえないというような結論を私は考えております。
 それが社会経済環境並びに情報化が進む中でのこれからの社会と都市のあり方の考え方であります。
 それから、二つ目のテーマであります東京の存在の意味でございます。これは、昨今、都市と地方、あるいは東京と地方といったさまざまな考え方が出てきて、それに対していいか悪いかといった議論があります。これにつきましては、余りきょうのテーマではございませんので、簡単に資料だけおつけしましたが、資料ナンバー2というのがございます。
 これは新聞の記事でございますけれども、上、下とありまして、上では、都市活性が何の意味があるのか、要するに、都市の活性が結果的には国家の役に立つ、日本全体の役に立つということの説明が要るわけです。これをしないと、いたずらに都市だけがいい目に遭っているといういい方をされることがあるわけです。それは違うんだということをここに書いてあります。
 それから、その裏側のところは、それに続いて、今度は東京再生はどうすればいいかという、特に社会資本の整備の観点から語った部分でありまして、人口減少という好機をとらえて、これを今までのストックを生かした上でのこれからの大きな発展に結びつけるという好機であるというふうに考えております。これが国と地方の問題でございます。
 これは最後にもう一度申し上げますが、いたずらに東京だけが大変な投資をされていい目に遭っているという議論は全く間違っているということをいわないと、この誤解は永久に解けないと思っております。ですから、私は間違っているということを常にいっております。そういう論理の一環でこの記事をおつけしました。
 それから三番目でございますが、東京の活力の維持ということです。ここに二つ書きましたのは、集積のメリットとデメリットとしての大都市問題、ストックの活用と社会資本の維持更新でございます。
 東京の活力の維持ということはどう意味があるかということは、国全体にも意味がありますけれども、我々東京の人間、住んでいる人間、働いている人間にとっても大きな意味があります。今やはりもう一度問われているのが集積のメリットなんですね。集積のメリットがあるから都市ができて、その都市があるために結果的に肥大していってデメリットが発生する、それがすなわち大都市問題である。これは、構図はわかっているわけですね。
 多くの場合、集積のメリットをいわずに集積のデメリットが強調されるケースが非常に多い。これについては最近大分誤解は解けつつありますけれども、集積のデメリットは、集積のメリットがある限りは、何とか解決しながらそれを補っていけば、結果的にメリットが生かせるんだという論理が展開できるわけですね。ですから、いかにして集積のメリットを伸ばしながら、デメリットを減らしていけるのか、減らしていくのか、そういう議論が要るということになります。
 集積のメリット、これはちょっと簡単な確認でございますが、三ページ目のスライド仕様のところに五つのキーワードがあります。東京一極集中の諸要因ということで、これはメリットのことを書いております。一つは規模の経済、範囲の経済である、二つ目が地域特化の経済である、三つ目が都市化の経済である、四つ目が中央集権的な政治構造である、五つ目が地域間、国際間分業であるという五つのテーマでございます。
 これは、簡単な確認でございますが、要するに、まず一番目の規模の経済、範囲の経済というのはスケールメリットでありまして、単純にいえば、大量生産を行う場合に、生産物が、一単位当たりの固定費用があるわけですが、それが大量の生産をすれば結果的に安くなる、低減する、これがスケールメリットの典型なわけです。
 二つ目の地域特化の経済というのは、こういった単一産業が特定の場所に集中して立地すると、効果を生む。例えば、日本でいえば企業城下町ですね。それからアメリカでいえばシリコンバレーといったケースであるということで、いずれにしろ集約することによって利益が生まれてくるという話です。
 そして、東京が関係があるのはこの三番でありまして、都市化の経済です。都市化の経済というのは、一番、二番のような単一産業ではありませんで、複数の違った産業が同時に立地する場合、これが相互に刺激し合ってそのメリットを生かす場合、これが都市化の経済であります。これが東京という大都市を含めた多くの世界の都市に共通の部分でありまして、都市化の経済があるから都市が成立するということであります。
 問題は、それが行き過ぎた場合に、集中が発生した結果、渋滞が起きる、あるいは交通混雑が起きる、場合によっては環境問題に対する配慮が欠ければ大気汚染が起きるといった問題が起きる。そういった問題があるわけですが、それはあくまでも一極集中によるメリットの後のデメリットなんですね。ですから、デメリットをどう解消するかによって、このメリットが生きるということになります。
 あとの二つは、今のメカニズムと若干違いまして、中央集権的な政治構造が背景には若干あるだろう。それから地域間、国際間分業という五つ目のテーマは、企業の中における国内から海外への分業を指しておりまして、通常はこの1、2、3が集積のメリットといわれるものであります。これを確認しておけば、デメリットが発生しても、これについてはその解決をどうするかということで語ればいいんだということになります。
 都市問題につきましては、さまざまな部局、ご担当の方々がさまざまな視点から行われている状況でございまして、さまざま戦いがありますが、現実にはだんだん解消しております。理由は簡単でありまして、二〇〇六年に人口がピークを打つということは、結果的に総量は下がってくるわけですね。ですから、今ある基盤を生かせば、さらにその基盤を更新していけば、結果的には都市問題は解決する方向に向かうわけです。ですから、いたずらに過去の、ちょうど十年前のあのバブルのときの先が見えない、さまざまな問題をそのときの教訓として生かすことは重要ですが、それを余りにも恐怖心を持って考えてはいけないというふうに考えております。
 今申し上げましたように、今までのストックを生かしながらこれから都市を運営すればいいんだというふうには申し上げましたが、これはストックの活用ということが重要であるという一方で、実はストックの活用が違うまた局面を持つという話が出てきます。どういうことかといいますと、今までは成長経済でありました。ですから、拡大基調の中で常に需要が供給を上回っていた、その供給を埋めるためにさまざまな供給を行う、都市基盤であれば、それをつくっていくということで都市をつくってきたわけです。
 ところが、実はこれから先考えられることは、そういった拡大基調の状況は変わるかもしれない。人口も減るかもしれないし、経済もそれほどの成長はないかもしれない。そういう中で一体このストックをどう生かしていくのか、逆にどう生かせるのかという議題が起きるわけです。これが、今いわれております社会資本の維持と更新の問題であります。これにつきましては、参考資料の4番をおあけください。
 「東京の都市基盤整備のゆくえ」という記事がございます。非常にわかりやすいグラフがついておりますので、これをちょっと説明いたしますと、この参考資料4番と書いてあるところの左の方に、社会資本全体の投資額及び更新費の推移というグラフがございます。これは、かつて東京都の政策報道室、現在の知事本部がやられた調査の一部でございますが、社会資本の推移がどうなるかということでございますけれども、ここでの分類は、その社会資本の内訳を更新費と新規整備費の二つに分けた場合を書いております。
 例えば一九九六年、ちょっと前をとりますと、今からちょうど六年ぐらい前、バブルのちょうど終わった後ぐらいですね。一九九六年の東京都の投資的経費は約一兆五千億ございました。この比率を見ますと、新規投資と更新需要との比率は七三対二七、大体七対三なんですね。ということで、投資的経費の内訳の大体七割ぐらいは新しいものをつくるということに使われたわけです。
 これをずっと追っていきますと、二〇二二年がピークでございますが、二〇二二年には、実はこのまま推移しますと、新規投資は二二%しか割けない、七八%は今ある基盤の整備、維持更新に回されるということが予想される状況があります。すなわち、これからの新たな基盤を行っていく中で新規に物をつくることは難しくなってくるということが予想される。まだ結果はわかりません。なぜかというと、二〇二二年を越した後はまた下がるかもしれないという予測もありますので、中期的には苦しいけれども、中長期的にはいいかもしれないという議論は残っていますが、少なくともそういう時代がやってくる。
 このときにやっぱり考えるべきことは、今までのように常に需要があるから供給するんだということで物をつくっていくということが、実は後で大きな負担を強いるという可能性が高いわけです。負担を強いるときに、維持するためのお金がもうなくなっているわけですね。それは、経済の成長がとまり、拡大基調はとまっているわけですから、拡大基調につくったストックの維持は、実は大変な問題になるということがわかりつつあります。
 じゃ、どうなるか、とても不安になりますが、このグラフはこうですけれども、こうなるかならないかはまだわかりません。それは、例を考えればいいわけで、かつてニューヨークで一九七〇年代に似た問題がありました。七〇年代、ニューヨークの財政は破綻しまして、そのときニューヨークの市が考えたことは、特にこういった社会資本の維持更新のお金を切ったわけです。それから維持更新するスタッフを切ったわけです。その結果起きたことは、当時行かれた方はご存じのように、道路は穴ぼこだらけ、それから、あのときやらなかった下水が後から割れてしまうといった問題、さらには橋が、維持を怠ったために悪化してしまった、さびついてしまったという問題が起きたということで、大変な時期がありました。
 しかし、現在はどうかと考えますと、実はそういったあの苦しかった時代はうそのように忘れられている。それは、結果的に経済がまた上向いたんですね。ですから、この予測というのは、現状ではかなり現実に考えられるテーマではありますが、これからの経済状況の進展によって変わるかもしれないというオプションはついております。
 ですから、そういうことはありながらも、やはり物をつくるということは、後の維持が大変だということをこれからは考えないといけない。つまり、成熟社会における大きな原点になるということが、ここでわかるわけです。
 こういったことは、これからの流れの中でどうするかというテーマですけれども、当面はこれに対して幾つかの考え方はあるわけです。その資料にも書いてありますように、例えば、その次の五二ページにありますように、公共事業への市場メカニズムの導入であるとか、事業の経済性についての評価、検討が必要だ、あるいは施設、基盤整備の意思決定プロセスの改善が必要である、あるいは事業の見直し基準の設定が必要である、それから事業における維持管理主体の問題を考えるべきである、さらには予算措置において維持管理の重要性を前提に考える、こういうことをやれば何とかなるかもしれないという議論はされています。
 ただ、問題は、こういう危機的な状況ということの認識に対する、どれほどこういった対応を現実に行えるかどうか、ここが課題なわけです。既にこういうことがいわれてもう時間がたっております。それから、既に東京都も含めて自治体では、プロジェクト評価あるいは行政評価を行い始めています。しかし、それが、具体的にこういう都市基盤で見た場合の維持更新における負担の軽減になるかどうかという結末はまだ見えていないわけで、これからかなりこの部分に対する重点的な政策が考えられないと、社会資本の維持というのは大変だろうということは予想がつくところであります。
 これが、東京の活力の維持の中で、産業面を除いた都市から見た大都市の問題とストックの活用の維持の問題であります。
 そういう流れを述べた後で、具体的にもうちょっと東京の都市構造とこれからの都市政策を考えてみようというテーマに移りたいと思います。
 これはきょうの四番目のテーマでありますけれども、東京の都市構造につきましては、既に東京構想二〇〇〇、それから都市づくりビジョンが発表されておりまして、私も都計審ではお手伝いした経緯がございます。そういう中で、これからの都市構造をどうつくろうかという議論がされたわけであります。これも既にご存じかとは思いますけれども、若干ここでもう一度確認をしたいと思います。
 三ページ目のスライド仕様の四番目でございますが、東京が目指す都市構造というのがございます。これは最終的には、その右側にございます首都圏メガロポリス構想という中で描かれているわけでありますけれども、二十一世紀の新しいキーワードやパラダイムを前提に考えていった部分がかなりございます。そこにございますように、東京が目指す都市構造として、環境と共生できる都市構造、交通ネットワークの強化、適切な機能配置と拠点連携、情報化に対応したネットワーク構造である。
 これを具体的に地域的に落としたものが多機能集約型の都市構造だということで、センター・コアの再生、ウオーターフロント都市軸の再生、核都市連携都市軸、水と緑の創生リングといったものをこれから重点的に追っていこうということを考えたのが、都市ビジョンでやった作業であります。
 その内訳は、ちょっとお時間もございませんので、そこに書いてありますように、センター・コアについては、例えば国際ビジネスセンターの機能の強化である等々の話、それから都心居住の中での動きですね、特に歴史と文化を生かした都市空間の形成が重要である。これは、結果的に、今いわれております都市観光といわれる新たな都市の産業につながるわけです。既に東京に来ている観光客の数は、現在のロンドン、パリに来る観光客の五分の一である。これは、都市そのものが資産でありながら、生かしていないケースであるといわれているわけです。こういったものを特にセンター・コアを含めた部分で、歴史と文化の蓄積を生かしながら、これからの都市空間をつくっていくという作業に入るべきだという部分であります。
 あと東京湾ウオーターフロント活性化ゾーン、都市環境再生ゾーン、核都市連携ゾーン、自然環境保全・活用ゾーンといったものがあるわけでありますが、これはちょっと小さいんですが、きょうお渡ししました追加の一枚目の二番目に書いてある部分でありまして、これは、こういう都市構造とゾーン別戦略というのを都市づくりビジョンでは最終的に決めたわけでありまして、こういったこれからの方向観はございます。
 ただ、これはすべてが行われることが望ましいんですが、それぞれが違う目的を持った部分がありまして、例えばセンター・コアとウオーターフロント都市軸に関しましては、これからの東京の活性化の中で大きな部分であります。特に国際競争力の確保の中では、この部分の強化が重要である。しかし、東京の長い課題であります木造密集地域の再生につきましては、逆に都市環境再生ゾーンといわれている水と緑の創生リングが課題であります。この課題はもう長い課題ですが、これからも続いていく、解決しなければならない部分であります。
 それから、核都市広域連携ゾーンというのは、その外側にある大体五十キロ圏の部分ですけれども、これが東京の都市圏のこれからのやはり大きな一つのかなめになっているという部分でございます。そういう意味で、この都市構造とゾーン別戦略は、これからの東京の都市圏を考える上での大きな考え方だと思っております。
 そういう都市構造の展開をするといっても、実は簡単にはいかない部分もございます。レジュメに書いてあります東京の都市構造と都市政策の部分で、首都圏の拡大とあくなき基盤整備需要の部分でございます。ちょっと小さい絵で恐縮ですが、きょうお渡ししました追加の一枚目の左上にございますのが、東京圏の市街地の拡大というところであります。
 これは、何をいいたいかというと、ちょっと見にくいんですけれども、今真っ黒い部分が、大体これが戦前です。戦争が終わる前までの東京なんです。東京、川崎、横浜、都市圏だった。外側の真っ白い部分が、ちょっと見えにくいんですが、これは全部現在の東京圏といわれている部分で、三倍から四倍に非常に拡大しております。特に東京の市街地の拡大というのは、戦後劇的にふえております。
 それから、この黒い中に、あと二つ分類があるんですけれども、江戸時代、それから大正時代、明治時代、ほとんど都心三区から五区ぐらいで終わっているんですね。ですから、戦後の三百八十万人まで落ちた時代の東京、川崎、横浜という小さい東京圏と、その後、現在三千三百万人といわれている大きい東京圏では全く違う。要するに三百八十万まで下がったころから考えれば、十倍近い広さになったわけです。これが、いってみれば、戦後五十年強たった結果なんですね。ですから、この急激な広がりの中で、東京圏はさまざまな都市問題を抱えてしまったということになります。
 なぜそうなったかということは若干説明が必要なわけでありまして、きょうはその説明に資料の5番をお持ちしました。これは、東京というよりは首都圏計画の話を書いているんですけれども、この中の二二ページをあけていただきますと、そこに図がございます。その図は、第一次首都圏基本計画と大ロンドン計画の地域の比較という絵でございます。
 これは、東京の首都圏と、それに大ロンドン計画といわれている世界の大都市圏計画のお手本ですね、これの緑地帯といわれているグリーンベルトと、それから想定されていた都市の圏域というのを合成して載せてあります。ちょっと見にくいんですが、真ん中の黒い部分、それから薄いグレーのところ等は、東京の第一次首都圏基本計画の絵です。これに横方向の緑地帯というのを重ねてあります。それから、緑地帯の外側が大体五十キロ圏で、大ロンドン計画というのはその点線のところ、これが大ロンドン計画の圏域です。あと首都圏におきます第一次計画境界というのは、前橋、宇都宮等まで大体百キロ圏といわれる範囲でありましたので、そこに太い線があります。これが首都圏基本計画と大ロンドン計画の比較でございます。
 なぜこれをつくったかでありますが、実は東京を含んだ首都圏計画というのは、大ロンドン計画をお手本にしたわけです。お手本の一番の重要なポイントは、その横の線が入っております緑地帯、このグリーンベルトに非常に重きを置いたわけです。大ロンドン計画では、真ん中の市街地が拡大していくものを、この緑地帯といわれる範囲で開発を禁止しまして、そこを抑え込んで、内側から外側に向かう圧力を外側の衛星都市で受けたわけですね。この方式をとりました。これは別に大ロンドン計画だけではありませんで、ストックホルムで行われました国際会議で議論された大都市圏のこれからの計画という流れの中でつくったものでありますけれども、日本の場合は、それを、大ロンドンで実施したものを参考にしてつくったわけです。
 これは第一次首都圏基本計画ですから、一九五八年の当時の作成されたプランでありますけれども、見ていただくとわかりますように、大ロンドン計画のように、大体、川越とか柏、野田等は入っておりますけれども、既存の既成市街地と近郊地帯といわれているところの部分が、ちょうどこのグリーンベルトと重なるわけですね。グリーンベルトというのが大ロンドン計画でありましたけれども、日本の場合は若干内側に近郊地帯をつくりまして、少し狭い範囲でグリーンベルトを考えました。ですから、大ロンドン計画のグリーンベルトより少し狭い範囲で日本は緑地帯を考えたわけです。日本の場合は緑地帯という言葉を使わないで、近郊地帯という言葉を使いました。そこのちょうど真ん中のグレーですね、ちょっとハーフトーン系のグレーの部分が近郊地帯で、ここで開発を禁止しようとしたわけです。しかし、これは結果的に失敗したんですね。全くこの大ロンドン計画のような緑地帯ではなくなってしまった。ほとんどこのあたりが開発が進んでしまったわけです。
 これはさまざま理由がありますが、日本の都市計画に共通な部分ですけれども、日本では非常に私権の制限をしない。土地を持っている人の意見を優先するという仕組みがございますので、勝手に緑地帯と決めたって、嫌だといえばそれまでであるということがあります。さらには、緑地帯と決めたところの中に実は住宅公団が大規模な住宅団地を計画していた等々がありまして、結果的には、この大ロンドン計画を模範としたのに、日本ではこの模範が実行されなかったというケースであります。
 問題は、緑地帯と決めた部分、ここが結果的には全部市街地化されたわけです。市街地化されたということは、計画では、ここは開発しちゃいけないよというグリーンベルトにしたんですけれども、結果的に開発が進んでしまった、いわゆるスプロールが起きたわけですね。スプロールが起きたということは、何らのコントロールがなく起きてしまったという状況でありまして、これが現在の東京の二十三区周辺に広がります木造密集地域に当たるわけですね。この部分は非常に長いテーマなんですね。ですから、戦後の計画からもう既にその可能性があって、それが現実化してしまったという部分であります。
 これが、これからまだ課題が残っているという部分でありまして、首都圏基本計画がいいか悪いかという議論をする方法もありますけれども、それほど都市の発展が急速かつ大規模であったということを物語っております。
 次の問題は、このグリーンベルトが結果的には破綻してしまったわけですが、その次の手を打てなかったんですね。それも間に合わなかった。常に後手に回ったといわれているのが首都圏計画を含んだ東京の計画でありまして、計画を実施するときには既にその現象が進行していたという部分でありまして、これが現在に禍根を残しているといわれている部分であります。
 これから東京の活性化を実行するときには、センター・コアとかウオーターフロント都市軸という部分で、それなりの基盤整備と投資を期待するわけですけれども、逆にこのかつてのグリーンベルトの跡地、現在の木造密集地域をどうするかということは、課題としてありながら、なかなか現実に解決されないかもしれないという不安を残した部分であります。
 これが首都圏の拡大とあくなき基盤整備需要なんですけれども、基盤整備需要は何なのかということですが、いろんな需要があります。特に広がっていく中で、放射状方向の道路と鉄道は整備が進みました。それなりに大量の労働者を東京都心に送り込む方法は、経済成長に合わせて行ったわけです。特に郊外電車につきましては、補助金的なことをして、とにかくまず経済のキャッチアップに資するように動いたわけです。その結果起きた問題が、あくなき基盤整備需要があった中でおくれたものがあったわけです。それが、きょうお持ちしました追加の一枚目の左側三つ目の絵です。
 これはもう既によく出てくる絵でありますけれども、結果的に東京の環状道路の整備がおくれてしまったという部分であります。大体道路というのは、都市の発展段階の中でつくっていかないとつくりにくくなるというケースでありますが、東京の場合も同じ問題を抱えておりまして、放射状に比べて環状がおくれてしまった。おくれてしまったところに既にもう住宅が密集しちゃったという中でどうつくるかという課題があるわけです。
 それで、この東京の環状道路の整備が今二割若干強ですけれども、世界のケースでいいますと、そこにありますのが東京とロンドンとベルリンとパリですが、ロンドンは九九%、ベルリンは九六%、パリが七四%という状況でありますので、東京の、世界先進国で一番大きい大都市圏における環状道路がいかに未整備かということがわかるわけです。
 そういう意味では、東京の広がっていった大都市圏と、これをサポートする中での特に環状方向が弱まってしまったという部分がいわれております。これは、結果的に東京集中の構図を生んだという話と、そんな余裕がなかったという話がありますけれども、これからやらなければならない部分だということは確かであります。このあたりは既によく出てくるテーマでございますので、話はここまでにいたします。
 きょうの一番のテーマでありますこれからの課題、今日的課題について幾つかお話ししたいと思います。
 今、ちまたで非常に大きなテーマは都市再生です。都市再生というのが、いってみれば、これからの東京の問題を含めた大都市のさまざまな問題を解決していくのじゃないかという期待があります。恐らくそれなりの開発効果があって、その期待は場合によってはなされるかもしれない、期待は生かされるかもしれないということが考えられます。しかし、この都市再生がなぜ起きてきたかという経緯も知る必要があります。それがきょうの参考資料の7番でございます。そこに書いてありますのが「都市再生の論議と意味-なぜ都市再生なのか」ということでございます。
 我々東京にかかわっている者から見れば、都市再生は当たり前であって、早くしてほしいというふうに考えるわけですが、これを国全体で見れば、必ずしもそういう議論にならないのですね。今回の都市再生の議論がなぜ起きたかということを考えますのが、ここに書いてあります論議の出発点とその後の展開でありまして、これは、いってみれば、数年前に都市部で保守政党が選挙で大敗したわけです。そのとき出てきた議論が、これからは都市にも力を入れないと大変じゃないかという危機感があったわけですね。それが発端といわれております。小渕内閣でその話が出てきて、これは大変だと。それから森内閣になった。そしてその後小泉内閣になって、都市再生本部が昨年の四月に設置されるという経緯になったわけでありまして、確かに都市再生、我々から見れば緊急ですが、国から見ればちょっと違うところから起きたテーマだったということはあります。
 次の、初めと終わりに問わねばならないことと書いてありますが、これは何かといいますと、簡単にいうと、国家の運営というのは富を生み出す供給源がある、その供給源を使って国全体に配分していく。これは別に日本に限らず世界共通の構図でありまして、一番いい好循環であります。日本の場合は、戦後の発展の中で、いろんな山はありましたけれども、例えば昭和四十年代の経済成長、それから六十年代初めのバブルといわれている経済成長等があって、それは結果的にはみんなが潤うんだという中で、この中央から地方に富を分配していくということはできたわけです。
 ただ、そこの段階で起きてきた問題は、一つは、そのおかげで都市が問題を抱えたんじゃないか、大気汚染があるんじゃないか、渋滞や混雑が結果的に人々の生活を不快にしているんじゃないか、快適性を失ったんじゃないかという議論が起きたわけです。そのあたりも、好循環があるうちは余り問われないのです。しかし、これが、いよいよ今回のバブルの崩壊で、そのメカニズムが現在崩れつつある。富を生み出す供給源が富を生まなくなると、これは全部の仕組みにいってみれば支障を来すわけです。
 そういう中で今真剣に問われているのが都市の状況である。都市を何とかしようということは、違う視点から考えた部分でありますが、結果的には集約される部分でありまして、都市再生をしなければいけないということに来るわけです。国際的に見れば確かに活力が下がってきている。これは大変だということも起きるという状況があります。
 こういう中で、都市再生の論議で重要なのは、社会経済的な背景からの要請であります。その三番目です。これは、きょう話しましたように、人口のピークアウトの中で、完全に価値観が変わりつつある。それから、過去のさまざまな呪縛が実は今解けつつある。その大きなテーマは、戦後五十年以上続きました国土開発の大きなテーゼでありました均衡ある発展、これがどうもこれからは違うのではないかといういい方になっております。
 既に国土交通省からも、均衡ある発展は終わったという議論も出てきております。均衡ある発展という形が、これからの二十一世紀ではどうも当てはまらないのではないかということがいわれている。私は全く同意見でありまして、均衡ある発展の概念を超えた次の概念がなければならないという時期だと思います。むしろ都市にかかわる者としては、そういう中での都市再生を考えたいと思っております。
 二十一世紀型都市への移行の中でのこの都市再生ですけれども、日本の仕組みにかかわってしまうんですが、現在日本の都市人口は大体四分の三います。四分の三いる人口のことをどう考えるかということはやっぱり大前提となってきておりまして、そういう中でバランスある都市機能、あるいは土地利用や空間をつくっていくということが話題になるわけです。
 ただ、それは結果的にどうするかというと、最後は具体的な事業にかわってきます。さまざまな事業が行われるわけです。そこで問うべきことは幾つかあるんですけれども、簡単にいうと、実は日本社会の流れにこれは乗っかっておりまして、今までは比較的、一億がみんな、全員が中流だった、均一社会だったという前提で仕組みも教育も価値観も来たわけです。しかし、国際競争力というキーワードを入れた瞬間に、これはそのままではいかないことになります。なぜかというと、国際社会は均一ではないのです。そういう中に日本も入っていくのであれば、これは今までのような全員が平等で、そして全員が同じ価値観で動くということはもうないと考えるべきであって、別に考えるのであればそれは構いませんが、国際競争力はなくなるという結果が予想される可能性が高い。
 そういう中でこれから何を考えていくかということで、最後に書いてありますことは、ちょっといい方はきついんですけれども、社会の中で成功者を生むことは、結局社会のためになるんだという議論がされなければならない。日本では古来、出るくいは打たれるという非常に明快な言葉がありまして、突出はいけなかったわけですね。沈黙は金であった。しかし、そういうことが通じるかどうかということは、世界を見てみれば、必ずしもイエスとはいえないわけですね。そういう中で日本もどうするかということになります。もし富を生む仕組みがあるのであれば、みんなしてサポートする、結果的にみんなに返ってくるんだという議論をしないといけない。これが一言でいえば国際スタンダードなんですね。そういう仕組みの中でこの都市再生が考えられるかどうかということが今問われているわけです。
 それに関する資料ですけれども、資料8番というのがございまして、「再開発の最近の動向と特徴」というのがございます。前段は再生本部の動きを書いてあります。後段で東京の話、三ページ、四ページ、五ページというところで、きょうお話ししました都市ビジョンの話と、都心と臨海部の開発状況等を書いてあります。そして、最後のページにありますように、これからの都心四区での再開発計画、それから東京の主要なプロジェクトの絵がかいてあります。
 それで、六ページ右側に若干書いてありますが、都心回帰で進む超高層マンション建設というのがございます。現在、既に都心を含めた部分でかなり多くの超高層マンションが建設されております。そして、その多くは即日完売という状況にあります。これがどういうことなのかということを考えないと、これからの東京の話はできないんじゃないかということになります。
 都市再生の流れは、そもそも都市部の軽視に対する反省だったということがありました。そういう中で、さらにバブル経済の崩壊の中で都市部への投資を活発化して、経済回復の起爆剤にしようということがあった。しかし、それは、そういう見方もありますが、都市側からいえば、これをきっかけにぜひこれからの都市をつくってほしいということを考えているわけです。そこで出てくるのが、実は新しい流れの中での大都市圏なんですね。
 大都市圏で今起きていることをちょっと考えますと、実は都心回帰という現象があります。都心回帰がどこまで進むのか、これが今、恐らく東京の中心部の計画にかかわっている方々のご懸念かと思います。それから、都心回帰が起きたら、都心に対する郊外はどうなるのか、これもやはり大きなご懸念の部分かと思います。
 都心回帰につきまして、きょうお持ちしました資料がございます。追加した一枚目の紙でございますが、東京の都心の人口の推移のグラフがございます。まず、右側のグラフは、平成三年から十三年で都心三区の人口がちょうど十年前に回復した。それから、東京都も全体として大体十年前に戻りつつあるという状況ですね。これで都心回帰がまず進んだわけですが、問題はどこまで進むのかという部分なんですね。
 長いトレンドで見たのが次のグラフでありまして、これは一九七〇年から見た三十年間の動きです。都心三区、かつては四十万人程度いたのが、現在は、回復したけれども、三十万人弱という状況です。ですから、もし都心回帰が進むのであれば、仮に一つの設定として、もちろんさまざまな環境状況は違いますけれども、七〇年のベースから考えれば、あと十万はいくかもしれないという可能性もあるわけです。
 数字で見たのがその次の数字でして、都心の人口、バブル前、バブル後、七五年、九二年、二〇〇〇年という状況で、都心三区合計が、七五年が三十六万人ですね、現在は二十七万人弱という状況であります。
 どのくらいかというのは、ちょっと下に、見にくいんですが、四大都市の都心人口というのがあって、左側から東京、ニューヨーク、ロンドン、パリとあります。これは、東京都の都市白書というのがございまして、これは・ 91という第一回の都市白書で我々がちょっとお手伝いでつくったグラフでありまして、簡単にいうと、昼間と夜の東京の都心と周辺区と二十三区全体の人口比を見ております。東京は、そこで見ますと、昼間は大体ヘクタール五十人ぐらい、夜になると大体ヘクタール三百人ぐらいということで、差が十倍近いのです。ニューヨーク、ロンドン、パリを見れば、そんな違わないよ、パリの場合は二対一ぐらいですね。ロンドンも一対三ぐらいということで、やはりこれから都心の基盤整備の、やがてやりますけれども、人が住むようになっていけばどんどん変わっていくという可能性があるということで、都心側の整備は大きな状況である。
 動きはどうかですけれども、これは追加の二枚目の左側でございますけれども、よくいわれております、年収五倍になると、ローンを組んでかえるという話が出ます。住宅分譲価格と年収五倍線というのがあります。これは二〇〇〇年のデータですけれども、都心三区、千代田、中央、港、特に千代田と港は価格が高いためにはね上がっていますが、大体二十三区の多くが年収五倍線のところまで来ております。これは二〇〇〇年ですから、今は二〇〇二年で二年後ですけれども、現在はもっと下がっておりまして、この年収五倍線は確実に確保できる状況にあります。
 そういうわけで、昭和四十年代、五十年代、多くの住民が一戸建てを郊外に求めるということで出ていったわけですが、現在それが都心回帰並びに都心のみならず、二十三区回帰が進んでいるわけです。その結果、郊外の問題がどうなるかという課題があります。
 大学生が考える親の家の相続というのは、これは私の本の中に出てきている部分でありますけれども、これは先ほど申し上げました「首都圏自治体の攻防」という本の中でございますけれども、要するにこれを見ると、大体、一生懸命親が郊外に出ていって、ローンを組んで住んだ家に住みたいと思っている子どもは、実は余りいないんですね。三割ぐらいしかいない。多くは売ってしまいたいとか、余り興味がないんですね。これは、若者が郊外に住んだ結果を知っているわけです。
 庭つき一戸建てという自然環境を求めて住んでいった住宅はどういう住宅だったか。確かに自然はありますが、それを確保するために長い通勤、通学時間、それから、実は生活してみると、かなり東京都心を含めた地域は生活しやすいということが、利便性が高いということがわかりつつある。という中で、やっぱり子どもは親の考えと違ってきているという状況が見えています。もちろん、これはまた子どもが親になればわかりませんけれども、少なくとも以前のように何でも郊外だという考え方は、これからは余り適用されないだろうという状況がある。
 私が考えますに、これはこれからは二極化するだろう。要するに、都市生活を楽しみたいグループと郊外に住みたいグループ、二つに分かれるだろう。今までは比較的郊外が多かったんですね。ですから、これが二極化していくだろうと今思っております。
 同じシミュレーションの中で、次の人口増減、九五年から二〇二五年とありまして、大体五十キロ圏ぐらいに人はふえていくだろうという状況が見えております。
 これはちょっと見にくいのですが、下の東京郊外の核都市分布とありまして、これは首都圏計画の第五次で出ました拠点都市群なんですけれども、横浜、町田、相模原、八王子、立川、多摩センター、川越、さいたま市、春日部、越谷、柏といったあたりに人口は張りついていくだろうと思われます。その外側の郊外はこれからは人口が減っていくだろうと私は考えております。ですから、郊外についても、郊外で人口が減っていくところ、それから郊外でも生き残っていくところは出てくるということで、郊外の中にもこれからはめり張りがついてくるという可能性は高いと思っております。
 これが大体大都市圏の大きな流れであります。
 あといっておくことは二つありまして、一つは、都市と地方の関係の中で、特に東京が一極集中になったので、東京から首都を移そうという議論がございます。これは、いわゆる首都機能移転、首都移転でございますが、これにつきましては、これだけで話すと私も延々としゃべってしまいますので、これは本がございまして、関連する著書の4番、「『NO』首都移転……」がございます。これを読んでいただければ大体のことは書いてあります。それからあと「成熟都市 東京……」というのが、さっきいった都市基盤の話等でございますので、こういったことは話を割愛いたします。
 そして最後に、こういう中で首都機能移転とんでもないといっておりますけれども、その中で起きてくる議論があります。それは、東京一極集中が悪いという言葉です。いろいろな意味があります。東京一極集中のために都市問題は出ている、東京一極集中のおかげで地方が割りを食っている等々、さまざまないい方があります。
 バブルの後、東京一極集中は、人口面では若干東京の集中は緩和されまして、一極集中という数値は減りました。しかし、現在また都心回帰それから二十三区回帰が始まって、数字的には上がっていきます。ですから、東京一極集中は悪いというだけの人にとっては、非常に都合がいい状況にあります。
 問題はこれからです。どうなるかということでありまして、これが追加の二ページ目の右上の絵でありまして、東京圏の人口の推移です。これからの推移であります。これは、一番上の白いグラフが全国でありまして、下の黒いのが東京圏、そのちょっと上が首都圏です。
 全国の人口は、二〇〇六年にピークを打った後、大体一億二千六百万ぐらいから減ってきて、二〇五〇年には大体一億だろうといわれています。場合によってはもっと減るかもしれない、一億を切るだろうといわれております。大体二割減ぐらいですね。多ければ二割五分ぐらい減るかもしれないと。
 これに対しまして東京圏並びに首都圏はどうかというのは、最後に二〇五〇年がありますが、東京圏、首都圏は、減っても大体一割ですね。一割から一割強ぐらいです。そうしますと、数字の上ではシェアは高まるのです。一極集中という言葉を使われますと、永久に東京は一極集中なんです。これはますます高まるんです。
 問題は、一極集中が悪いとか、東京は人口をいっぱい抱えているということが悪いのだという議論がもはやこれからは当てはまらないということでないといけない。なぜかというと、東京は確かに一極集中はシェアでは高いですけれども、総体では減るわけです。だから、東京と東京圏の人口は減っていくわけです。減っていく中でどうするかという議論をしないといけない。
 ですから、先ほど申しましたように、一極集中は集積のメリットが非常にある、一方でデメリットもある。しかし、それは結果的にメリットを生かす方法があると。国際競争力を生む中で、どこがこれからの日本を引っ張っていくのか。やはり基盤整備がされている東京をちょっとだけいじれば何とかなるのだという流れの中で、東京をまたこれからの日本の富を生む場所にしていけば、全国が結果的によくなるのだということをいわないといけない。
 ですから、このあたりは、ぜひ先生方が政策をつくる中で、いろんなためになる議論がありますけれども、ためにされないで、東京こそが頑張らなきゃ日本がもたないのだということをぜひいっていただきたいということがあります。
 最後に、やはり避けて通れないテーマがあります。追加の二ページに二つスライドがありますけれども、個人はどうなるかということなんです。ちょっとこれを読みますと、そして個人はどうなるのかということでさまざまなキーワードがある。人間については個人主義、自律、自立、多様性。背景はグローバリゼーション、競争である。関係は連携、共生、ノーマライゼーションである。そして、都市構造はエリア・コンセプトであるということがあります。これがこれからの都市づくりのかなめであるということは、きょうのお話でした部分です。
 しかし、問題は、これから行政がいて、都民、市民がいて、間にNPOがある、さまざまな団体の連携でやっていくのだということをいっているわけですね。問題は、そこには幾つかの設定があるのです。
 そして個人はどうなるのかという最後のこのスライドですけれども、前提となる人物像がありまして、今進んでいる流れは個人主義ですね。個人主義を理解した完全な人格を持った人間がいるという前提があります。ですから、どうしてもこれからは、もちろん行政だけにおんぶするのじゃない、政治だけじゃないと、そういう中で頑張るのは市民だといっておりますが、その市民が果たして完全な個人主義を理解した人なのかどうかということが問われるわけです。
 ですから、これを間違えますと--行政とNPOあるいは市民という、協働という流れの中で、すべてのバランスがうまくいった場合に成功するわけです、それがもしかして違えば、バランスは崩れるという問題があります。
 二つ目は、都心回帰の流れの中で、これから都市部に人がふえてくる可能性は高いといいました。今までは、郊外は住むところで都心は働くところだったと無意識に思っていた人間が、これからは、都心に住みながら、働く場と同時に住む場所になるということが起きます。そうしますと、それは個人の中で生活の場と労働の場の違いを意識するわけで、意識しないと、そのまち、コミュニティはよくならないわけです。これがまた課題になるわけです。
 それからさらに、大きいテーマですけれども、都市計画を行う場合の私権の制限ですね。確かに私権は重要ですが、公共の利益との接点がこれからも問われるわけです。その中で、公共の概念の意味を完全に理解した人間が法体系というのを決めますが、どのくらいうまく動いてくれるか、これが課題になります。その結果うまくいけば、民間セクターと公的セクターは相互に融合しますが、うまくいかなければどこかでおかしくなるかもしれないという問題があります。
 結果的に、そういったさまざまな個人のニーズと意識、それが多様性を生み、その多様性に合った都市がこれからの課題である。どういうことかというと、今までの戦後の都市空間は、いってみればレディーメードだった。これからはこれがオーダーメードに変わるんだと、こういう価値観がないと魅力ある都市はつくれないということになります。これは、きょうの参考資料6番「曲がり角を迎えた東京圏」の中に書いてある話であります。そういうことで、最後は個人が問題だということ。
 それから、さらに加えていいますと、これから政治あるいは行政の課題は何かといいますと、競争力という言葉が出た瞬間に出てくるものがあります。それは、富める者と富めない者の格差が顕在化します。顕在化は当然しても、それは流れとしてはあるわけです。問題は、富める者と富めない者をどう扱うかということの答えを出すのが政治であり行政であると考えれば、富める者がいるのであれば、どんどん富んでもらう。これは規制緩和の流れの一環です。富んでもらう。そのかわり、それを還元してくださいと。その一方でどうしても出てくる格差、これは、弱い者に対しては徹底的に政治、行政がそれを助けてあげる。これはノーマライゼーションの前提ですね。このめり張りをつけることが重要であって、めり張りをつければ、どんな批判があっても、それは全部こたえられるわけです。
 恐らく日本社会は、これから一番問題になるのは、このめり張りをつけるときに、必ずさまざまな意見がぶつかり合うだろう。しかし、これをやらない限り、これから考えている都市空間もできないし、場合によっては日本の回復もおくれるかもしれないということをぜひお考えいただいて、きょうの都市の話と絡めてお考えいただきたいと思います。
 ちょうど一時間たちましたので、終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

○立石委員長 ありがとうございました。
 市川参考人には、大変お忙しい中、貴重なご意見をお伺いすることができました。心からお礼申し上げます。
 これをもちまして市川参考人の意見聴取を終わらせていただきます。

○立石委員長 中林参考人、発言席にお移りください。
 ただいまご着席いただきました参考人をご紹介いたします。
 東京都立大学大学院都市科学研究科教授の中林一樹さんでございます。
 本日は、ご多忙のところご出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表してお礼を申し上げます。
 行財政改革の基本問題につきまして、ご専門の立場から、おおむね一時間程度でご意見をお伺いしたいと思います。
 なお、中林参考人にはご着席のままご発言していただきたいと思います。
 それではよろしくお願いいたします。

○中林参考人 ただいまご紹介いただきました中林一樹と申します。都立大学に勤務しております。
 私も、もともとのバックグラウンドは都市計画ということなのですけれども、特に災害と都市という関係から、都市づくり、都市のあり方について考えてきております。こういう場に出させていただいて意見を申し述べるというのは初めてのことで、どういうふうに準備していいのかわからなくて、簡単なレジュメが二枚だけということで、ちょっと失礼だったかもしれませんけれども、レジュメに沿って少し話をさせていただきたいと思います。
 先ほどの市川先生のお話のような、東京を取り囲む都市のトレンドの中で、災害というものを我々がどのように迎え撃つかというのが、災害に強い東京の都市づくりという課題になろうかと思います。
 振り返ってみますと、都市というのは、災害といろいろと格闘してきた存在であったかなというふうに思います。東京で見ましても、災害を契機にして都市が大きく構造を変えてきたというのは事実であります。望ましくは、災害によって都市の構造が変わるのではなくて、災害に打ち勝つ都市の構造を事前につくっておくということが最も望ましいことというふうに、計画屋の立場からいえば考えるわけですけれども、歴史的には、現実には災害によって被害を受け、都市が壊滅して、大きく都市構造を変えながら再生してきたという経緯があるかと思います。
 江戸時代には、火災が何度も東京のまちを、江戸のまちを焼いてきました。明治以降で見ましても、大きくは二回、東京を抜本的に改造した災害があります。一つは、もうご案内のように、八十年前に起きました関東大震災でありまして、関東大震災からの復興都市計画というのは、まさに我が国の近代の都市計画の皮切りとなった大実験場でもあったというふうにいえるかと思います。都心を中心にして三千数ヘクタールの市街地を、今でも多分世界最大の七年間で土地区画整理をするというような都市づくりによって、現在の東京の都心の基本的な構造がつくられてきているということかと思います。
 しかし同時に、先ほどのお話にもありましたように、実はこの関東大震災からの復興の期間に、今日最も大きな課題になっております木造の密集市街地の最初の萌芽があったということも事実であります。
 もう一つ大きな東京の災害というのは、自然災害ではありませんけれども、戦災というのが最大の被害を東京にもたらしたかというふうに思います。戦災からの復興に当たりましても、石川栄耀という、当時の東京府ですか東京市ですかの都市計画課長を中心にしたチームが、さまざまな都市計画的な復興も検討してきたところでありますが、この戦災復興の時期から実は地方対東京という話があったわけでありまして、地方のといいましょうか、東京以外の、名古屋であるとかあるいは広島もそうですけれども、都市の復興ということに対して見ますと、東京の場合には縮小に次ぐ縮小ということで、当初計画しておりました二万ヘクタールの土地区画整理というものも極めて縮小された結果、再び木造の密集した市街地、都市計画を一度も行わないまま形成されてきた市街地が再生されてきたということであります。
 そして、戦後の経済の復興、高度経済成長の中で、先ほどの市川先生の資料にもございますように、飛躍的に郊外に向かって都市が、市街地が拡大をしてきたということであります。
 二十一世紀というのが本日のこの委員会でのキーワードの一つかと思いますけれども、二十一世紀を災害という断面で見たときに、決して楽観できる世紀ではないということがいえるかと思います。特に今危惧されている東京にとっての最も大きな災害というのは、やはり直下の地震ということになるかと思います。
 東京の地震の起こり方というのを過去に振り返ってみますと、かつて東京都の震災対策が始まったときには、六十九年周期説という当時の東大の地震研究所の河角先生が公表された説に基づいて、東京の震災対策がちょうど東京オリンピックの年から始まったというふうにいえるかと思います。しかし、今日では、六十九年説ということではなくて、もう少し地震の種類に対応した考え方で進められているかと思います。
 過去に大きな地震というのを何度も東京は受けているわけですけれども、いわゆるマグニチュード八クラスの海溝型の地震というのは、一七〇三年の元禄大地震と一九二三年の関東大震災。それ以前にも起きていたのだろうと思いますけれども、家康以前あるいは太田道灌以前というのは、この関東の地というのは極めて人口が少なくて、要するに、大きな地震が起きても、人がいないと災害になりませんので、記録が残らないということではないかと思います。
 江戸以来の記録で見ますと、一七〇三年の巨大地震が起きる前の百年、一六〇〇年代に、内陸での直下の地震、マグニチュード七前後の地震が複数回起きている。江戸にも被害が出ている。あるいは関東の所々のまちで被害が出ている。そして一七〇三年の大地震でした。その後八十年あるいは百年近く、ほとんど地震の起きない、小さな地震しか起きない安静、静かな時期でありました。
 そして、一八〇〇年代に入りますと、再び内陸で直下の地震が起きてきます。その中で最も大きな地震は、一八五五年の安政江戸地震といわれるものかと思います。下町を中心にして三千人ともあるいは一万人ともいわれる死者を出したといわれております。ちょうど幕末でございますので、幕府の方にもお金が余りなかったということでしょうか、大きな都市改造が進められたということではないと思いますけれども、そうした一八〇〇年代に、安政江戸地震を初め、明治東京地震というのが明治二十七年に起きております。三十人ぐらい東京で人が亡くなっている地震です。そして、一九二三年のマグニチュード七・九の地震。そして今日八十年たっているわけですけれども、この間、東京では地震による被害はないということであります。
 過去の繰り返し--地球の持っているメカニズムは変わっていないとすれば、二十一世紀というのは、直下の地震が複数回起きて、その先、二十二世紀に入るころに、ひょっとすると海溝型の巨大地震が起きるかもしれない。ちょうどそういう地震の激動期に東京を含む南関東が今向かいつつあるというのが、二十一世紀だと思います。
 日本全体で見ると、さらにその延長上に東海地震あるいは東南海地震、南海地震と、フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界、あるいは東京に影響があるのは、フィリピン海プレートと我々が乗っております北米プレートの境界、そのあたりがどうも騒がしくなるのが二十一世紀らしいということでありまして、二十一世紀にはそうした災害が激発するといいましょうか、かなりの頻度で発生する可能性があるということを、都市づくりの前提として考えなければいけないということだと思います。
 防災というのは、基本的には、都市づくりで見ますと、下味といいましょうか、だしのような存在でして、きらびやかに飾り立てて目でおいしく見せるというものよりは、かみしめるほど味が出てくるようなものが、防災というものを都市づくりに位置づけるときの位置づけではないかなと思います。
 しかし、その味の出し方も、素材によって大分変わってくるのではないかというふうに思っております。その素材というのが、この二十一世紀における日本の状況であり、また東京の状況であります。先ほど市川先生のお話の大半が、二十一世紀の日本の社会経済的状況あるいは人口構造的な状況等のお話であったと思います。まさにそういう方向に社会は進展していくかと思います。高齢化ですとか長寿化あるいは少子化、なかなか歯どめがかかっていないというのも事実かと思います。また、女性が社会に参画していくというようなことも、ますます進むだろうと思います。そして、何よりも人口が減少していくという時代に入っていくかと思います。
 先ほど申しました関東大震災あるいは戦災からの復興というのは、すべて右肩上がりの時代の都市復興でありましたから、かなり大規模なプロジェクトを動かしても、いずれ補てんされていったということが、長いスパンで考えるといえたかと思います。
 しかし、これからの二十一世紀の日本、あるいはその中の東京を考えますと、大きな右肩上がりということはない、むしろ右肩は下がっていく、特に人口で見れば減っていくということを前提に考えなければいけないということになりますと、ますます、事が起きた後にどうしようということではなくて、事が起きる前にどのように都市を強化しておくかということが求められていくのではないかというふうに考えております。
 そういう中で、災害ということから都市の弱点をほじくり出すというような、余り陽気な話ではないのですけれども、でも、災害を考えるわけですから、少しそういうことも見ておかなければいけないというふうに思います。
 高齢化とか長寿化というのは、当然ながら、災害時を考えますと、弱者がふえている社会であるということになります。それから、人口が減少するというのは、逆にいうと高齢化が進んではいるのですけれども、先ほどお話がありましたように、空間とそこにいる人口というふうに考えますと、空間に余裕が出てくる。その余裕をうまく使えば、空間を安全化するということができるのではないか。高齢化は進むのですけれども、人間と空間のとり合いをうまくすれば、ストック活用型で安全化が図れるのではないか、そういう時代が二十一世紀に生じてきているのではないかという気がします。
 もう一つ、災害弱者という言葉が最近よく使われますけれども、その中の一つに外国人という話も出てきます。本当に外国人が災害弱者なのかというと、必ずしもそうでもなくて、阪神の大震災でも外国人が助けに来てくれたわけですから、外国人も、弱者になる人もいれば、極めて災害を乗り越えるための働きになる方もおられるかと思います。
 いずれにしましても、今よりはいろいろな形で国際化が進んでいくだろうということで、そうした国際化ということも少し念頭に置いて、都市の安全性、特に災害時の安全性、日常的な問題、治安の問題といいましょうか、日常的な安全、安心という問題もございますけれども、災害時の問題も考えておく必要はあろうかというふうに思います。
 ただ、私見としては、これから生産年齢人口がどんどん減っていくという時代になりますと、東京のみならず、日本の中で、ある程度労働力としての外国人との混在、混住という問題は、ある意味では避けて通れないのかなというふうに思っておりますので、殊さらそうした多文化共生型の都市の中での安全都市づくりということが大きな課題になるのではないかと思っております。
 さてそこで、先ほどの市川先生のお話にもありましたストックの活用ということが、確かに二十一世紀の大きな課題であり、キーワードになろうかというふうに思います。防災においても、まさにストックをどのように使い回しながら都市の安全を確保していくかということにならざるを得ない状況にあるかと思います。
 レジュメの二番目のところに、東京の都市の構造ということで、三つのパターンを書いておきました。
 一つは、市街地パターンでありまして、これは変えようと思ってもなかなか変わるものではない。さまざまな計画が変遷してきましたけれども、都市の構造は大きく変わったかといわれると、実はなかなか変わらないのが都市の構造だということがいえるかと思います。
 一言でいいますと、都心から郊外に向かって、東京の市街地パターンというのは、都心と副都心、この間にかなり密集した市街地があったのですけれども、これはこの二十世紀の後半の中で、都心と副都心がかなり連檐化してきている。大きく見れば都心エリアというものができ上がってきていると思います。
 そこには何らかの形で都市計画が、薄い厚いはありますけれども、実施され、形成されてきたエリアといえると思いますが、それを取り囲んで木造の密集した市街地がございます。端的には環六、環七というふうにいわれますけれども、最近の状況でいくと、環七を越えて環八まで密集市街地がかなり広がりつつあるかと思います。これは、八十年前の関東大震災の後形成されてきた都心部で都市計画的な市街地復興を進める、それが日当たり側の都市づくりであったとしますと、その周囲に、全く都市計画を行わないまま展開していった市街地がございまして、それが今日まで引き継がれて、戦後もどんどん充てんされていったわけですけれども、密集市街地としての広がりを持っております。
 東京都はこれまで、被害想定あるいは地域危険度というようなリスクアセスメントを進めてきております。現在公表されております被害想定というのは、ご存じのように、阪神大震災の後少し修正をいたしまして、たしか九七年に公表しているものであります。
 直下の地震に対する被害想定ということで、地震が起きる場所によって被害が相当異なるであろうということから、いろいろなパターンを設定したのですけれども、公表されている報告書には、主に四つのパターンを載せております。区部の直下で発生したパターン、多摩地域で発生したパターン、区部の南部、神奈川県寄りで発生したパターン、区部の北部、埼玉県との境界で発生したパターンということです。当然ながら、最も人口密度も高く、また社会資本も高密度に蓄積しております区部の直下で地震が発生した場合が、最も大きな被害が発生するということです。
 阪神大震災はたまたま冬の平日でしたが、朝の五時四十六分、しかも、ほとんど無風の状態で地震が発生しました。しかし、もっと最悪の事態があるということで、何よりも関東大震災での火災の被災体験ということがございますけれども、冬の平日の夕方、風速六メートルの季節風という条件下で被害想定をしてございます。
 それによりますと、この木造密集市街地を中心にして大規模な火災が発生し、消防、消火に努めるわけですけれども、消し切れない火が燃え広がるであろうと。シミュレーションでは三日間燃え続ける場所が出てくるということでありまして、すべての建物被害のほとんどがこの火災によって発生してしまうという事態も考えられるということでありました。焼失の建物数は、三十七万八千棟という数字が区部直下の地震での被害想定であります。焼け残ったエリアで五万棟ほどの建物が全壊するということでありまして、阪神大震災に比べれば、その五倍というような被害が想定されています。
 そのように、この木造密集市街地というのは、東京の地震災害を考える上ではどうしても避けて通れない課題であるということは、もう先刻先生方ご承知のことだと思いますが、改めて被害想定がそのことを示したかと思います。
 そして、その外側に郊外市街地、特に区部周辺から多摩エリアにかけまして郊外市街地がございます。これは、戦後の都市計画の中で、さまざま理想と現実の問題はありますけれども、計画的な開発が行われて進められた市街地が点在しているというのが、東京の郊外市街地の姿ではないかと思います。つまり、点在しているというのはどういう意味かといいますと、一つ一つの開発は計画的なのですが、それを全体つないでいる状況はどうなっているかというと、実は、その市街地全体を貫く骨格インフラというのは決して十分ではない。個々の団地は計画的に開発されていますけれども、それらをつなぐインフラは決して十分ではないまま、半計画的なといったらいいでしょうか、そういうような市街地が展開しているというふうに考えられるかと思います。
 今申しました骨格的なというのが街路パターンということになりますけれども、放射街路と環状街路で東京の場合には大きな骨格が構成されております。そして、昔からの課題ですけれども、環状街路、特に多摩エリアの環状街路というのは、多摩だけ取り出しますと南北道路ということになりますけれども、これの整備というのがおくれているということかと思います。
 これは、災害時を考えますとかなり大きな課題でありまして、木造密集市街地等が被害を出さなければさほど大きな課題にはならないわけですけれども、もしこれからの防災都市づくりがうまくいかなくて、あるいは間に合わなくて地震が発生してしまい、想定されたような被害が発生しますと、その後、非常に膨大な災害対応活動ということが必要になってきます。
 そのときの災害対応活動をする最も基幹となるインフラはこの幹線道路でありまして、それが放射道路と環状道路という対比で見ますと、環状の整備のおくれというのは、東京にとって災害後の活動を展開する上で大きな足かせになってしまう可能性を持っているのではないかというふうに思っています。
 しかも、東京だけが独立して存在しているわけではなくて、都県境を越境して市街地が連檐しているということでありますから、まさに南関東あるいは東京大都市圏全体をつなぐ都市構造の中で、先ほど市川先生のご説明にもありました現在の環状メガロポリス、あるいは第五次の首都圏整備計画の核都市連携、いずれも環状に連携していくという発想なんですけれども、災害時でも横に連携して支援をするためには、この環状というのは非常に重要なネットワークになるわけですが、これのおくれというのは、広域連携の上からも課題になってきているのではないかと思っておるところです。
 さて、そこでもう少し具体的なお話をさせていただこうということで、3番のところに、幾つかの、これからの東京の防災、災害に強い東京ということを考えるためのコンセプトを整理してみました。
 一つは、先ほどお話ししました、やはり地震災害ということであります。
 二十一世紀、それが割と近いのか、もうちょっと先なのか、これは神のみぞ知るでありましてわかりませんけれども、確実に二十一世紀に複数回の直下の地震が発生する、そのうちの一つぐらいは区部の直下で起きるかもしれないということをやはり考えておく必要があるかと思います。
 そして、被害想定によりますと、それは阪神大震災をはるかに上回る事態でありまして、関東大震災というのは、神奈川県、東京、千葉県南部というのが一気に被災したわけですけれども、それに比べますと、マグニチュードが一違うというのは、エネルギーが三十二倍、三十二分の一になりますので、区部の直下で起きれば、神奈川県、埼玉県、千葉県というのはさほど大きな被害が出ないというような地震災害になるかと思います。
 しかしながら、東京だけで考えますと、先ほどのように建物の全壊、全焼だけを見ますと、四十数万棟というような建物の焼失、全壊のおそれがあるということであります。災害の後、それらの被災者に対する対応を含めて、さまざまな展開をしていく必要があるわけですけれども、都市構造とか都市の空間ということから考えますと、やはり一つ心配しているのは、土地を有効にどれだけ使えるかという問題であります。つまり、その土地というのは、基本的には空地であることが望ましいわけです。災害後の土地の利用ということで考えますと、広域避難場所があり、あるいは応援に来る組織の活動拠点があり、あるいは瓦れきの処理のための置き場があり、あるいはライフライン等の緊急復旧を行うための拠点的な場があり、あるいは、最大の課題ですけれども、応急仮設住宅というようなことが求められてきます。
 これらは時系列的に推移していくので、一つの土地を二回、三回使い回すというようなことが求められてくるかと思うのですが、それでもかなり土地の問題というのは深刻になるかと思います。限られた土地をどのように有効利用するかという事前の計画をきちんと位置づけて、それで不足するということであれば、何らかの土地の確保といいましょうか、都市構造的な確保というのが必要になりますし、逆にいうと、被害がどれぐらいであれば現在の空間で賄えるのかということを推計することができると思います。それは、事前に防災という側面から都市づくりをしていくときの一つの目標を示すことにもなるのではないか、つまり、どれぐらい被害を減らすことで現在の都市構造の中で対応ができるかということにつながる視点ではないかというふうに考えております。
 そうした土地の事前計画というのは、現在進められているところではあろうかと思います。阪神大震災の後そういう提案をさせていただいたこともありまして、進められているかとは思いますけれども、それをさらに一歩進めていく必要があるのではないかというのが一点目であります。
 もう一つ、先ほどお話ししました局所的であるということであれば、なおさら地域連携による災害のリカバリーということも可能であり、またそれによって二次的、三次的な被害を大きく減らしていく可能性もあるかと思います。そういう意味で、環状道路の整備というのはぜひとも進めなければいけない課題ではないかと思います。
 多摩地域あるいは外郭環状、圏央道等々、多摩に関連する幾つかの環状道路の整備ということが課題になるかと思いますし、またそれは東京を助けてもらうということだけではなくて、まさに環状メガロポリスの首都圏全体を守っていく上でも非常に重要なインフラになるはずです。道路をつくったからといって被害は減らないということかもしれませんけれども、道路をつくることによって二次的、三次的な被害を減らすことは十分可能であるということであります。
 また、そのためにも、首都高速道路、これも阪神の後、耐震強化は進められているところでありますけれども、施設的な耐震化の問題にあわせて、やはり危惧すべきは渋滞の問題でありまして、首都高は、ご存じのように、二十四時間のうち自然渋滞がない時間帯というのはほんのわずかしかないですね。常にどこかで自然渋滞が発生しているような使われ方であります。つまり、逆にいえば、いつ地震が起きても首都高の上にはたくさん車がいるという状態であります。それが地上におりてくれば地上はますます渋滞をするということでありますから、一番頭の痛いのが、この交通のさばきと災害後の対応ということになろうかと思うんです。
 そういう点からも、環状道路というのを含めて幹線インフラの整備というのは、次の地震までにもう少しネットワークが築けるような形まで持っていく必要があるのではないかと考えております。
 そして、そうした災害対応という事後の話を二つしたわけですけれども、その事後の対応がどうなるかというのは、実は災害によって被害がどれぐらい出るかによって大きく変わってしまいます。木造密集市街地というのは非常に脆弱な市街地ということで、阪神大震災の後、ご案内のように防災都市づくり推進計画というものを策定して、延焼遮断帯の整備と防災生活圏整備を優先順位を与えて進めてくるということをしてまいりました。現在、策定から五年たって、見直し作業を進めているところであります。
 幹線街路に関しまして、延焼遮断帯でいいますと、防災骨格軸というふうに位置づけた延焼遮断帯につきましては、その後の五年間の都市更新の中で、延焼遮断機能がかなり向上しているというふうに、現在、測定といいましょうか、評価ができる状況にありますけれども、それ以外の延焼遮断帯については、まだまだ延焼遮断機能という面では十分なところまで至っていないというのが現状のようです。
 それ以上におくれているというのでしょうか、なかなか進まないのが、木造の密集市街地の整備ということであります。今から三十年前ですと、多分再開発型の大きな都市改造の取り組みというのが、この木造密集市街地でも検討されたということになろうかと思いますけれども、これからの木造密集市街地ということと、それから先ほどの人口の伸びがないというようなことを考えますと、いわゆる修復型で、ストック活用型で地道に整備しレベルアップをしていくということを前提にせざるを得ないのではないかと思います。
 その中で二つポイントがあって、一つは、被災地での最低限の災害対応活動ができる程度に、六メートルあるいは八メートルというふうな幅員の街路を、密集市街地の中に小さなネットワークとして配置していく。それから、その小さなネットワークに隣接する形で小さな広場、そこに水槽その他の防災的な設備を配置していく。密集市街地でありますから、実は八メートルの道路をつくるというのも非常に大変なことです。しかし、そこに集中的に財を投入して社会資本の整備を進めることによって、沿道の建物の更新というのは一挙に進むわけです。そのことが、密集市街地全体のいわゆる不燃領域という燃えない空間をふやしていくことになりますので、八メートル道路を密集市街地の中に整備することができれば、かなり飛躍的に密集市街地の環境は変わっていくということになるかと思います。
 そういう意味で、東京の大きな幹線街路の整備の問題もさることながら、都市計画道路以前の、以下のというのでしょうか、八メートル、六メートルというふうな道路を密集市街地にどう整備していくかというのが、非常に重要な東京の防災都市づくりの課題になるのではないかというふうに思っております。
 制度的には、地区計画というような制度を活用して、地区施設として整備を位置づけながら進めることになろうかと思いますが、密集市街地でそうした細街路の整備と沿道の建物の更新、敷地も狭隘ですので、共同化というような形の土地のいわば再開発というよりも、ミニ再開発といったらいいでしょうか、あるいはストックの有効活用という観点から建物更新を進めるということに対して公的な支援を入れていくということが大事になってくるのではないかと思っております。
 二十世紀型の都市改造の手法ですと、大きくつくって、それを売って事業費を収支合わせるというやり方ですけれども、これは早晩行きつくところに行ってぶつかってしまうだろう。つまり、需要は伸びない、ストックを活用するのだといいながら、新しいストックをどんどんつくって事業を賄おうという発想はやはり矛盾しているわけでありまして、ストックを大きくふやして賄うのではない、まさにストック活用型の仕組みが必要なのではないかと思っております。
 そこにどんどん公的資金を入れてしまうということは、財政的にどういう均衡を持ってくるのかという問題があります。建物を更新しますと資産の価値が上がりますから、固定資産税という形でのペイバックが取れるわけです。そうした税制を活用する形での取り組みというのを前面に出したストック活用型の修復まちづくりということをもう少し研究していく必要があるのかなというふうに思っております。
 そんな形で密集市街地での建物の更新が進むということになりますと、被害が軽減するということになります。被害が軽減しますと、先ほど、渋滞が心配だとか、あるいは幹線道路、南北方向が足りないとかいった心配というのは、実は、三十八万棟燃えてしまうとか、あるいは四十万棟を超える建物が失われるというような大被害を前提にしての話ですけれども、被害が減るということは、事後の対応活動を容易にするということにつながります。
 最も顕著なといいましょうか典型的な事例ということで考えますと、例えば応急仮設住宅、これはご案内のように、阪神大震災で一戸おおよそ二百七十万かかっている。実際にはそれに公園を整地したりインフラを入れたりということで、もう少しかかっていると思うのですけれども、まあ三百万かかるとします。一世帯当たり三百万かけて仮設住宅を建てて、数カ月間そこに住んでもらって、その後、再建するときにまた別の公的支援をしたりするということで恒久住宅に戻っていくわけですけれども、その仮設住宅の三百万というものをもし前倒しで使うことができれば、どれだけ被害が減らせるか。被害が減るということは、仮設住宅が要らなくなるわけですから、そういう意味で、事後の応急対応あるいは復旧復興にかかる費用を事前に使うことによって被害を減らし、そしてそれを税金の仕組みを通してということが一番になろうかと思いますが、それ以外で考えても、事後の費用対効果を前倒ししますと、従前に社会投資としてかなりの公的資金を防災都市づくりに入れ込んで、それによって被害を減らすことができれば、長いトータルで見ると決して損はしないはずなんです。
 小さい被害で済む場合には、被害を待って復興しましょうで済むかもしれませんけれども、これほど大きな東京の中での大規模被害ということを前提にしますと、やはりいかに被害を減らすかということに前倒しでお金を使う、事前に復興計画を考えるという事前復興計画、現在東京都では、都市復興マニュアルと生活復興マニュアルの見直し、合併ということを考えているのですけれども、あれはあくまでも仕組みとして、やはり事後の復興計画を速やかにするために事前にいろいろ手を考えておこうということなんです。
 国にもし働きかけるとすれば、さらに、その復興事業を事前に行うために国からの支援というのを勝ち取れるかどうかということではないかと。国も、起きた後に激甚法、その他救助法も含めて多大な費用を負担することになるわけですが、確実に東京に地震が来るということを前提にしていれば、その分、国はどういうふうに担保してくれているのかと。もし担保しているものがあるのであれば、それを前倒しで入れてもらうことで東京の被害を減らしていくということにつないでいけないか。都市づくりとしての事前復興防災都市づくりというようなことを訴えかけていくということが、今必要になってきているのかなというふうに思います。
 国もお金がないので、簡単にお金は出ないかもしれませんけれども、復興するつもりで事前に都市のストック活用、改善を図っていくということが大事なのではないかと思っています。
 そのためには、やはり都民が正しく東京の危険というものを意識する必要があるかと思います。
 地域危険度が、この十一月の末、間もなく第五回というのが公表されると思います。それも都民に対して東京の地震に対する危険を正しく知ってもらう一つのツールになるかと思いますけれども、防災都市づくり推進計画も現在見直しをしているわけですが、やはり防災まちづくりが必要なエリア、脆弱なエリアというのはこれだけ存在するのだということを都民に公開していく、その中で、それを乗り越えて安全化に向かうというのは、都と区との連携であり、そこに住んでいるあるいは財産を持っている都民の意識にかかわるわけです。ですから、すべてが同時に動くとは思わないのですけれども、むしろ、現実はこうであるということはぜひとも示していかないといけないのではないかと思っています。
 最近は、いろいろな事業が事業評価に遭うということで、だとしたら、少し事業の幅を狭めておく方が、評価のレベルに合わせて事業を出すというようなことにひょっとするとなるかもしれませんけれども、そうではなくて、やる必要があるのはこれだけだということは正しく出していくことが必要なのではないかと私自身は考えております。
 そういう意味で、これも私も委員としてかかわらせていただいておりますので、防災都市づくり推進計画の次のバージョンをどのように展開していくかにもかかわっている課題ですけれども、すべての災害情報を都民に公開するところから、被害を減らす防災まちづくりが始まっていくのだというふうに思っています。
 さて、二十一世紀の東京は地震だけかというと、必ずしもそうでもなくて、やはりもう一つ考えておかなくてはいけない課題として、水害という問題もあろうかと思います。
 東京は久しく水害に遭っていないわけですけれども、少し新しい水害が我々の目の前にちらちらと見えてきているのかなと思います。ここのところ夏になりますと異常降雨がよく起きて、それによって、かつて狩野川台風によって都市型水害というような言葉が生まれたわけですけれども、それとは全く違う、地下水害という形の水害が発生してきております。
 水というのは重たいものですから、上から下へ行くわけですから、下に穴があれば、水の浸入を防ぐことができなければ、入ってきます。しかも、地下空間というのは、我々の都市でのさまざまな活動を支えるライフライン、特にエネルギー系が集中して埋設されております。特に都心地域等々では、電気も含めて地下に格納されております。そこに水が浸入しますと、ただ単に水害が発生する、水没するということだけではなくて、都市の機能を麻痺させる事態も起こりかねないということであります。地下空間というのは、都市計画的には一つのブラックボックスでありまして、都市計画のさまざまな絵柄というのは、地上のことをたくさんかいているのですけれども、地下をどう利用しているか、地下がどのようになっているかというのは、なかなかはかり知れないところがあります。
 東京の二十一世紀の安全都市づくりに向けての第一歩として、この地下空間の水害に対するアセスメントといいましょうか、ハザードマップといういい方をしてもいいのですけれども、一体全体東京にはどれぐらいの地下があって、それはそれぞれどこが所管をしていて、どういうふうにつながっていて、もし水を入れたら、どこからどこへつながっていくのかというようなことがわかっているのかどうかというと、実は私自身わかっておりません。わかっている方はおられるとは思うのですけれども、それは都市空間としては非常にゆゆしき事態です。
 実は昨年の八月、九九年の台湾の地震の都市復興の調査で台北に滞在しておりました。迷走台風が沖縄のあたりに一週間うろうろしていたのが、ちょうど一週間後、台北に上陸してきまして、そのさなかに台北におりましたけれども、停電しました。それは、私の泊まっていたホテルのブロックの電気は、地下に変電所があって、そこに水が入りました。しかも、その隣が工事中のビルなのですけれども、路上に溢れた水がずっとその工事現場の地下に流れ込んでいて、いつまでたっても水がいっぱいにならないんですね。この水はどこへ行っているんだろうかと思いながら、それこそもうホテルから出られませんので、何時間も閉じ込められていたのです。外国人としての災害弱者を台北で経験したのですけれども、結局その水は、実は地下鉄に全部入り込んでいたのです。その後、二月ぐらいまで台北の地下鉄は完全に回復できなかったというふうに聞いておりますので、そのような事態というのが、台北だけの話ではなくて、東京にも起こり得るのだと。
 赤坂の地下鉄がときどき水についた写真、あるいは地下に水が入り込んでくる事態というのは、ちょっと起きているわけですよね。あれがあながちその程度で終わるのかどうかというのは、二十一世紀の地球温暖化というようなことも絡めますと、少し慎重に考えておく必要があるのかなと。
 耐震性あるいは地震に対する構造ということと同時に、新しいこの都市の、特に地下を中心にした耐水構造化ということも、東京の防災都市づくりの一つの課題として検討しておくべき課題ではないか。もし半年間大手町がとまってしまうというようなことがあれば、これはもう完全に日本が沈没してしまうわけですから、非常に大きな事態が予測され得る水害ということであります。
 それに絡めますと、情報という問題が、災害にとっても非常に大きな対象であります。七年前になりますけれども、阪神大震災のときは、実は今のようにだれも携帯を持っていなかったんですね。私も持っておりませんでした。先生方は持っておられたかもしれませんけれども。阪神大震災のときには携帯がかなり有効だったというのは、携帯が非常に少なくてふくそうしなかった。一般電話は使えなかったわけですけれども携帯が使えたということなのですが、現在はもう携帯の数が固定を上回っておると思います。特に東京ではそういう状況ですから、有名ミュージシャンのチケット販売があると、もう途端にふくそうしてしまうような事態でありまして、これは端末が悪いのではなくて、やはり情報インフラが整っていないということだと思うんです。
 ですから、東京の中で、先ほどの集積のメリットという話もありましたけれども、これからの集積のメリットというのは、人が集まるという以上に、情報が集積するということのメリットが非常に大きな課題になり、課題というよりもまさにメリットそのものになると思います。
 それから、さまざまな災害対応も含めて、情報というのは非常に重要になります。国の情報インフラという話は当然ありますけれども、東京の中の情報インフラというのをどのように整備していくか、これは、東京の再生、活性化ということとあわせて、災害時も考えますと、非常に重要な課題としてこの情報インフラの整備というのがあるのではないかというふうに思います。
 それから、ワールド・トレード・センターのああいうようなテロもありますけれども、東京にも先ほどの再開発がどんどん進んでいる。二〇〇三年問題というのは、オフィス供給過剰という問題であると同時に、本当に東京が高層化したという時代であります。この高層空間に対する防災対策ということも、ワールド・トレード・センターの事件等も参考にしながら、改めて考えていく課題になっているかと思います。特に都市づくりということよりも、防災対策として考える課題かというふうに思います。
 最後に、ちょうど時間が来ましたので、首都機能移転と東京の安全化という話があります。
 先ほど市川先生も最後に首都機能移転の話をされましたけれども、首都機能移転というのが出てきたのは、まさに東京一極集中ということがいわれ出した首都改造計画のころに本格化してきた議論だと思います。機能の一極集中ということを分散化するいわば一つの先兵として首都機能の移転ということだったと思うのですが、今日では、防災を前提にして首都機能の移転というふうに、極めて議論がねじ曲げられております。
 外国から見ると、これはどういうふうに見えるかというと、多分、首都が逃げ出すような東京に我が社はブランチを置かないだろうということなんですよね。ですから、首都機能が逃げ出すといいましょうか、首都機能は、東京が危ないから移転させるというのは、それはそういう論理がないわけではないのはわかりますけれども、今はそういう時代では多分ないであろうというふうに思っています。
 本当に東京の再生、あるいは東京から--日本がだんだん都市国家に近づいているということを前提にしますと、東京の活性化というものが日本の活性化につながるのだとすれば、やはり首都機能を置いて、コンパクトな巨大都市という形の新しい都市づくりの中で安全性を担保していく。コンパクトな巨大都市というのは、空間の高層利用になる、地下から高層までの利用ということになります。
 ですから、垂直の安全を確保する防災まちづくりというのを、二十一世紀の新しいコンセプトとして置いて考えていけば、首都機能を移転してどれだけ東京が安全になるかではなくて、首都機能も、東京を安全にすることというのは、東京の再生にとっては不可欠の要素であり、またそれが日本の再生にとっても不可欠なのだというふうに私はぜひ考えていきたいというふうに思っているところです。
 一時間ということで、ちょうど一時間になったかと思いますので、とりあえずきょうの私の意見は、ちょっと資料の準備が不十分で申しわけございませんでしたけれども、以上で終わらせていただきたいと思います。
 ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)

○立石委員長 ありがとうございました。
 中林参考人には、大変お忙しい中、貴重なご意見をお伺いすることができました。心からお礼申し上げます。
 これをもちまして中林参考人の意見聴取は終わらせていただきます。
 以上で参考人の意見聴取を終了いたします。
 これをもちまして本日の委員会を閉会いたします。
   午後三時七分散会