自治市民 福士敬子
このたびの一般質問で外国人の参政権について知事の意見をただした。知事の答弁では、「外国人の人権施策を推進することと、外国人に対し参政権を付与することとは、直接結びつくものではない」と答弁している。外国人にとって人権と参政権は本当に結びつかない問題なのだろうか。私はそう考えてはいない。在日の人たちが差別のない社会を訴えてきたことと、政治に参加する権利を求めることとは、世代が進むごとに一つに重なってくる。参政権を奪うことの愚を強く感じる。
外国人の参政権問題は、人権問題として取り扱われるようになっているのが国際社会の潮流だ。「国民」とは「そこに生きる人」のことであるという人権思想が外国人の参政権を求めているのであり、その実現に尽力することは首長の責務だ。知事が、自治体の参政権について「国政の場において十分な論議が行われることが必要」と論議をためらうことは、財政や都市計画で見せる知事の姿勢と比較して、あまりにも精彩を欠くものである。
一九九五年、東京都議会は国に対して「速やかに立法措置を講ずるよう強く要請する」とした意見書を全会一致で採択した。これを支持すべきだ。知事がよく口にする独特の「民族」意識や「ナショナリズム」が迫りくる大量移民と少子化の時代に対し、克服できずに竦んでしまっているのではないかと危惧している。
知事は開会日のあいさつでまたしても自衛隊を「軍は軍だ」と叫んではばからない。防災協力を要請するのに、自衛隊が軍隊であることを強調する必要がどこにあるのか理解できない。自衛隊が軍隊であってはならないのは、憲法問題よりも、不条理に死んでいった市民の悲しみがあるからだということを忘れたのだろうか。
本当に防災のことを考えているのなら、むしろ自衛隊が、軍隊でない方が良いはずだ。九月には、かつてない規模で自衛隊が展開する防災訓練が計画されている。住民の自発的な活動を尊重する防災施策こそ重要であると考えている。