東京発世界文化

このコーナーでは、東京から世界に向けて新しい文化や創造力を活かし活躍する「ヒト」、「モノ」、「コト」などを紹介してまいります。

今月は、戦後の東京のみならず、日本の電化文化に大きな変化をもたらした、秋葉原をご紹介します。

秋葉原1枚目秋葉原2枚目

家電からマルチメディアまで 人々の“便利”にこたえる街、秋葉原

 新製品から中古品、または稀少価値のものまで、幅広い電化製品をそろえるマルチメディアな街、秋葉原。お目当ての品を購入するために、東京のみならず、海外からも多くの人々が集まり、休日ともなるとその賑わいはかなりのものです。今でこそ、電化製品の街と言われる秋葉原ですが、その一風変わった地名に歴史を見ることができます。

 江戸時代、現在の秋葉原周辺は、多くの武士たちの住居地区でした。当時は頻繁におこる火災に悩まされ、明治2年におきた大火災の後、火災防止のために、周囲一帯を火除け地とし、火除けの願いをこめて「秋葉大権現(あきばだいごんげん)」を祭ったとの説もあります。その後、その周辺を秋葉原と呼ぶようになったと言われています。

 JR秋葉原駅すぐそばに、所狭しと機械部品や電化製品が陳列されている専門店街があります。まさに秋葉原といった雰囲気があるこの界隈は、客層もプロから一般の方までと様々。第二次世界大戦後の秋葉原には露店が立ち並び、街は活気に溢れていましたが、露店撤廃令を受けたため、露店商が代替店舗を要請し、高架下に店舗を開店させました。戦前にも秋葉原周辺には電化製品を扱う店はありましたが、当時大ブームだったラジオ部品を扱う店がそれ以後数多く出来ました。それが現在の「秋葉原=電気街」の発展に大きく貢献したといわれています。

秋葉原専門店街 秋葉原周辺
「ラジオセンター」内1枚目「ラジオセンター」内2枚目「ラジオセンター」内3枚目

「ラジオセンター」内
ミマツ音響株式会社
専務取締役 山本荘司さん

山本荘司さん

 設立1950年の老舗「ラジオセンター」を設立した山本長蔵氏は現在の秋葉原の基盤に大きく関わった人物の一人。

 長蔵氏の孫にあたるミマツ音響の山本さんにお話を伺ったところ、「ここ2、3年で、セキュリティ関連の商品の売り上げは急激に伸びました。店舗用に購入される経営者の方以外にも、一般の方が自宅用にと買われていきますね。海外のお客様は技術の視察やマーケットリサーチの為にいらっしゃいます。各々のお客様に合わせて、親密に相談いただける場所がここ秋葉原です。そういったケアが店舗の発展、そして秋葉原の発展につながると考えています」

 その後は、テレビ、洗濯機といった家電が大ヒット、多くの電機メーカーが家電事業に参入、急速に家庭に広がり始めました。

 以来、秋葉原から多くの製品が流行しました。オーディオ、カラーテレビ、ビデオデッキなどなど。そして、昭和50年代には、コンピューターが登場し、平成に入ると、秋葉原の主役は家電からパソコンへと徐々に移り変わりました。この頃から、海外からの旅行客がお土産として日本の電化製品を買う姿も数多く見られるようになりました。

 今では、携帯電話などの端末機器の普及やインターネット、モバイルといった新しい分野の新商品が次々と店頭に置かれ、日々新しい顔を見せる街になりました。

 これからは、秋葉原駅周辺の再開発にともない、より便利な電気街として変化し、つねに新しい製品や一歩先を行く情報を世間に発信し続けるでしょう。


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