東京発世界文化

 このコーナーでは、東京から世界に向けて新しい文化や創造力を活かし活躍する「ヒト」、「モノ」、「コト」などを紹介してまいります。

すし職人の手際
職人の手際の良さもすしのおいしさのひとつ

 今月は、世界中で食べられている日本が誇るグローバルフード「すし」に注目。すしの歴史や知って得するすし情報を紹介します。

 すしの歴史は古く、紀元前4世紀頃の東南アジアが起源のナレズシ(魚を米飯ととも発酵させて作る)とされていますが、現在の私たちが慣れ親しんでいるすしとは大きく違うもので、発酵させた魚のみを食べる保存食でした。それからすしはだんだんとかたちを変えていき、江戸時代頃には握りずしが登場しました。

 すしが大きく変化したのは諸説ありますが、発酵を待たずにたべられる「ハヤズシ」(米飯に酢を混ぜて作る)が、気が短い江戸っ子の胃袋をすぐに満たしてくれるところに人気の秘密があったようです。その後、江戸で取れる素材を使ったこと、江戸で生まれたことなどから「江戸前ずし」と呼ばれるようになりました。

目にも鮮やかな「江戸前ずし」
目にも鮮やかな「江戸前ずし」に食欲も倍増

 今や子供から大人まで誰もが好きな食べ物の一つである「江戸前ずし」。その手軽で食べやすく、かつ目にも舌にもおいしい食べ物は、日本のみならず、世界でも人気があります。1980年頃のアメリカでは健康食としてすしが注目され、アメリカでのスシブームは、世界に日本のヘルシーフード「SUSHI」を広めるきっかけになりました。それは現在、世界各地にSUSHI-BARができるほどの人気につながりました。

すし屋の新八
協力/すし屋の新八

 世界でいろいろとかたちを変えている江戸前ずし。アボガドを使ったカリフォルニアロールなどはその代表的な例でしょう。外国生れのすし店が東京にやってくる日もそう遠くないかもしれません。

すしの歴史 ナレズシから江戸前ずしまでの移り変わり

紀元前4世紀
東南アジアで生まれた「ナレズシ」という、魚を米飯の中に入れて発酵させた保存食がすしの起源だといわれています。(この頃は米は捨てられ魚だけを食していました)
平安時代
その後、東南アジアから中国へと伝えられ、平安時代頃には中国から日本にもナレズシが広がりました。
室町時代(後期)
この頃に、いままで捨てられていた米飯と魚とを一緒に食する「ナマナレ」へと変化しました。
江戸時代(初期から中期)
江戸時代に従来との作り方に大きな変化が起こり、米飯による自然発酵ではなく、米飯に酢を混ぜた「ハヤズシ」へと変化します。
江戸時代(後期)
江戸時代後期になると、「握りずし」が考案され、東京湾で取れた素材を使用したすし、江戸で生れた握りずしということから「江戸前ずし」と呼ばれるようになりました。
大正
関東大震災で被災した東京のすし職人たちが帰郷先に技術を持ち帰ったことにより、握りずしが日本中にひろがりました。
現在
欧米で起こった健康食ブームで注目をあびた「SUSHI」。特にアメリカでは、ジャンクフードやファーストフードに変わる、手軽でヘルシーな食べ物として受け入れられました。江戸で生まれた「SUSHI」は今や世界各国で食べられるようになりました。
バラン

Q:すしの横に添えられるバランはなぜあのようなかたちをしているの?
A:あれは実はエビの姿をかたどったもの。昔はすし職人が一つ一つ笹に包丁を入れて作っていました。

Q:ワサビをネタ側につけるのはどうして?
A:すしは素早く手際よく握るのが第一ですので、右手にすし飯を持ち、ネタを左手で体温が移らないように軽く持ちます。そしてすし飯をもったまま、右手の人さし指でワサビをとります。この一連の流れにのっとるとワサビはネタ側につけるのがよく、しかもワサビにはつなぎの役目もあるのでネタ側につけた方がはがれにくいという利点があります。

Q:巻きずしが上手に巻けない!
A:「角」を作ると作りやすいでしょう。まず、巻すの上にすし飯を均等にひきつめます。この時、上下にのりしろとして1センチくらいあけておきましょう。ネタを中央に置く前に、すし飯の中央に軽く溝を作っておき、その上にネタをのせます。全体的に力は軽くし、角をつくる時に瞬時に力を入れて巻き込みましょう。(次の写真参考)

巻きずし手順
上下に1センチ程度ののりしろを作る

巻きずし手順
軽く巻き込む

巻きずし手順
軽く力を入れ、瞬時に力をいれ角を作る

巻きずし手順
全体を整えて出来上がり

ページ先頭に戻る