このコーナーでは、東京から世界に向けて新しい文化や創造力を活かし活躍する「ヒト」、「モノ」、「コト」などを紹介してまいります。
今月は、歌手として女優として様々なジャンルで活躍中の島田歌穂さんにインタビューしました。
私がこの世界に入ったのは、父がジャズピアニスト、母が宝ジェンヌだったという影響が大きいですね。私が母のお腹にいる時、まだ母はステージで歌っていましたし、物心がついた時には、歌も踊りも大好きな子供になっていました。友達と遊ぶよりも、バレエのレッスンの方が楽しくてしょうがなかったですね。その当時ある番組で、バレエのできる子役を探していて、たまたま私に声をかけて下さったのがデビューに繋がりました。父に「やりたいと思うならやってみなさい。でも厳しい世界だから中途半端ではなく徹底的にやりなさい」と言われたのを今でも覚えています。
そのドラマ出演を機に、様々な番組に出演させて頂くようになり、アイドル歌手にならないかというお話まで頂きアイドルデビューもしました。でもこれはまったく売れませんでしたね(笑)。同時に、本当の自分とのギャップに違和感を感じ悶々とする日々でもありました。そんななか父がピアノを弾いていたお店で、歌のアルバイトをしながら、ジャズを基礎から学びました。今思い返せば、その頃が一番苦しい時期だったのかもしれません。でも、その時にジャズを基礎から勉強できたことが、今の私にとってとてもプラスになりました。苦労した時期も無駄ではなく、ちゃんと積み重ねられているからこそ、今があるのだと思います。けれど、私なんかよりも、もっと苦労された方は沢山いますからそんなことで「苦労した」なんて言うときっと怒られちゃいますね(笑)。
「子役は大成しない」なんてよく言いますけど、確かにドラマの世界だけでしたら、今の島田歌穂はなかったですね。“アイドル歌手”という悶々とした時間を経たからこそ、ミュージカルの道が開けたのだと思います。1982年のミュージカル「シンデレラ」が本格的な初の主演作となり、舞台に立った時に自分の知らないエネルギーが体の奥から湧きでてくるような感じがしました。「これだ!」と思いアイドルをやめてミュージカルの世界に入ったんです。87年には「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役を演じ、英国王室主催のロイヤル・バラエティ・パフォーマンスにも日本の女優として初めて出演させて頂きました。この「レ・ミゼラブル」のオーディションは、はるばるロンドンから審査のためにスタッフの方が来るというので、力だめしに受けたのが切っ掛けでした。そうそうたるメンバーの中、無名の私がエポニーヌ役で合格と知った時には驚きましたね。舞台初日を迎えるまではとにかく無我夢中でした。結果、その舞台では数々の賞を頂き、私にとっては特に思い出深い作品です。
今まで様々な事に取り組んできましたが、今春から大阪芸術大学で授業を担当させて頂く事になりました。西洋のワークショップのような形で学生達と一緒に楽しみながら多くのことを学ばせてもらいたいと思っています。こんな素晴らしいチャンスを頂けたからには、必ず何か意味のあるものにしたいと今から意気込んでいます。
また、「レ・ミゼラブル」も出演回数1000回を超え、ここまでやらせて頂いたらもう悔いは無いと思い始めていた頃に、素晴らしい題材と出会い、オリジナルミュージカル「Freddie(フレディ)」を創ることができました。初めての10歳の少年役に不安もありましたが、いざ演じてみると、とても楽しくはつらつと演じている自分がいたんです。友人からも「今までの役で一番“地”に近いんじゃない?」と言われる程、巡り会うべくして出会えた作品じゃないかと思っています。私なりに“いのち”の大切さを精一杯伝えていきたいです。
そんな仕事や人との出会い・タイミングが、私を成長させ続けてくれていると思い、とても感謝しています。新たなライフワーク「Freddie」の全国制覇と海外進出を目指し、これからもミュージカル女優、シンガー、そして教師としても自信をもって常に前向きに頑張ろうと思っています。