四こまストーリー

街で見かけるごく日常的なイメージをもとに、東京の新たな物語をみなさんと一緒につくり上げていく企画。それが『東京四こまストーリー』です。

恋も無常もみないりごみの浮世風呂
―銭湯文化はカフェのはじまり!?―

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広大な富士山の絵
番台
神田同朋町の銭湯松の湯
松の湯の建物

い冬には、あつ~い湯につかるに限る。まずは江戸の銭湯をちょいとのぞいてみよう。『天保二年九月のある午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では朝から相変わらず客が多かった。式亭三ば馬(しきていさんば)が何年か前に出版した滑稽本の中で「神祇(しんぎ)、釈教(しゃきょう)、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」といった光景は、今も変わりない。風呂の中で歌祭文(うたざいもん)を唄っている嬶(かかあ)たばね、上がり湯で手拭(てぬぐい)をしぼっている髷本多(まげほんだ)、文身(ほりもの)の背中を流させている丸額の大銀杏、さっきから顔ばかり洗っている由兵衛奴(よしべいやっこ)、水槽の前に腰を据えて、しきりに水をかぶっている坊主頭、竹の手桶と焼物の金魚とで、余念なく遊んでいる虻蜂蜻蛉(あぶはちとんぼ)―狭い流しにはそういう種々雑多な人間がいずれも濡れた体を滑らかに光らせながら、濛々と立上る湯煙と窓からさす朝日の光との中に、模糊として動いている』(芥川龍之介:“戯作三昧”より)「神祇、釈教、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」とは、これまた粋なセリフだねえ。銭湯じゃ、貴賎貧富問わずみんな同じように裸だってことだ。
というわけで、今回の東京四コマ・ストリーは銭湯がテーマ。手ぬぐい片手にちょっくら風呂でも浴びてみるか。ひろ~い浴槽、じゃぶじゃぶ溢れんばかりのお湯、ペンキで描かれたこれまた広大な富士山の絵。粋でいなせな江戸っ子にはたまらない銭湯文化を味わってほしいもんだ。ほらほらみてみろ、松の湯の建物を。まるでお寺さんのようだろ。寺社様式といって、東京によくある定番のスタイルだ。歴史は意外と新しく、何でも大正時代、関東大震災後のデザインだそうだ。このお寺さんのような姿、どこか癒される感じがいいねえ。それじゃ中に入ってみるか。おいおい忘れちゃ困る、のれんだよ。銭湯の顔つうもんだ。こいつをクールにパッとよけて入るのがかっこいいんだ。
さてと、ここが番台。当時は銭湯のことを“ゆうや”(湯屋)といってな、営業者のことを湯屋番頭といったもんだ。中に入りゃ、まさしく“みないりごみの浮世風呂”よ。裸になりゃ同じだ。だからといって慌ててジャボン!と飛び込んだんじゃかなわねえ。まずは体をよく洗うこと。エチケットというもんだ。おいおい、そいつはよくねえ、風呂の中に手ぬぐい入れるとは。うまくたたんでちょいと頭にのせるのがいなせなんだ。
ほらみてみろよ。おなじみの顔がそろって何やら会話が弾んでるだろ。そうよ、銭湯は昔から庶民の社交の場、情報発信基地なんだ。フランス流にいやあ、カフェつうもんだ。えっ!コーヒーがないって。昔から湯上りにはお茶をすすったもんだ。今だってあるぜ。ほいよ!瓶牛乳だ。湯舟につかっていや~なことみ~んな吹っ飛ばしちまったら、湯上りにこいつをぐびぃーと飲み干す。おいおい、飲み方がなってねえ。腰に手をあててガブガブやるんだ。どうだい、うまいだろ!また来たいって。いいねえ、そうこなくっちゃ。


写真:武居 英俊/文:麒 麟