四こまストーリー

街で見かけるごく日常的なイメージをもとに、東京の新たな物語をみなさんと一緒につくり上げていく企画。それが『東京四こまストーリー』です。

 春海橋が語る勝利とロマンスの記憶
―東京都港湾局専用線廃線跡―

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信号機
豊洲運河にかかる白いアーチ型の鉄橋
「東京都港湾局専用線」の廃線跡
途切れた線路

 ューヨークと東京。高層ビルが建ち並ぶコンクリートの摩天楼、ガラスの楽園というイメージ以外にほとんど共通点を見つけ出すのは難しいような二つの大都市。しかし、ニューヨークは新天地として、東京は明治維新、そして終戦と大きな変容を迎えた都市として、現代に至るまでの変遷のスピード、パワーにどこか似たものを感じずにはいられない。そのせいだろうか、小説や映画、写真などを通じてこの二つの都市が語られるたびに、まるで写真のネガ(陰画)のように現実を反転したような過去の記憶がいくつものイメージとなって浮かび上がるのは。アメリカ20年代を代表する作家・フィッツジェラルドは、ニューヨークに対して、幼い日に乗ったフェリーボートと15歳の時に観た芝居の記憶から生き続ける二人の女優を象徴として“勝利”と“ロマンス”というイメージを残している。
 さて、みなさんは東京にどんな記憶とイメージを残すのだろうか。最終回を迎える東京四コマストーリーは、東京の勝利とロマンスといもいうべき記憶の場所を紹介しよう。場所は今から十年余り前に姿を消した「東京都港湾局専用線」の廃線跡。越中島~豊洲~晴海を走っていた貨物専用線だ。なかでも当時の面影を象徴するのが晴海運河に架かる「春海橋」(晴海橋)。赤茶けた錆色のアーチ型のこの橋、かつてはその対岸に石川島播磨重工の造船所(IHI SHIP YARD)があり、凸型の青い機関車で慕われたD11~13が貨物を運んで走っていた。その失われた光景は戦後の経済復興期までに遡る。産業発展の基盤として東京湾の臨海工業地帯の貨物輸送を担っていた深川線の開通が昭和28年(1953年)のこと。その後、越中島貨物駅を起点に豊洲方面と晴海方面に分線がつくられた。豊洲運河にかかる白いアーチ型の鉄橋も当時を偲ぶ記憶のひとつ。是非とも足を運んでみてほしい。
 経済復興を支えた専用線に幕が下りたのは平成元年(1989年)。トラックの活躍や工場の移転・閉鎖など時代の流れとともにその役割を終えた。きっとこのあたりに住むカモメなら、上空から見える途切れた線路や信号機、踏切跡を頼りに路線図を復元できるかもしれない。もちろん、当時の記憶を文字として刻むスポットもある。営団地下鉄豊洲駅の周辺地図にはしっかりと跡地が記されているので必見だ。現在、この周辺はウォーターフロントとして変貌を遂げつつある。高層ビルに高層マンションと、まさしくガラスの楽園の誕生。その陰にネガのように残る廃線跡。いずれこの地にも新たな都市の夢が生まれるに違いない。“勝利”と“ロマンス” ―それこそが都市の生み出す夢なのかも―「こうしてぼくたちは、絶えず絶えず過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく」(フィッツジェラルド「グレートギャッツビー」 新潮文庫)


写真:武居 英俊/文:麒 麟