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第2回定例会終了にあたっての各会派の談話(要旨)

自治市民  福士 敬子

 補欠選挙で議会入りした私にとって、この2年は、形式的ばかりを重視する旧い都議会の運営に驚かされ、悩んだ2年だった。議会での発言機会を機械的に按分計算した持ち時間で制限するのはまだ序の口だ。時間不足でこぼれた質問を文書質問で提出すれば、8項目でも「量が多すぎる」とのクレームが付く。質問をしてはいけない議員が、何のために存在するのか。
 時代錯誤な運営のほとんどが、明文の規定を持たない慣例としてまかり通っている。意思決定機関である議会が無法地帯であることを、都民はもっと深刻に受け止めるべきである。
 また、事実と異なることを平然と口にして省みない幹部職員の無礼を絵に描いたような議会軽視にも驚かされた。こんなことは、区民に身近な区議会では考えられない。「東京都は大きい」「自分たちは専門家」というプライドだけは見えるが、立派なのは肩書きばかりだ。区政を見てきた私の目には、都政が格別に高等なことをしている風には映らないが、そんな「市民の目」もお構いなしの自画自賛が繰り返されている。説明する意思のない職員と、ろくに発言しない職員。そこに都民の切実な請願や陳情が山積みされるだけで、行政側の思惑のままに都民の税金がつぎ込まれている状況は、腹立たしく寒々とした光景としか思えない。
 今議会においても、破綻した臨海副都心開発を一層促進しようとする橋の建設契約が結ばれる外、およそ50年前に計画されたダム建設に関しても、計画当時とは治水、利水をとりまく環境が大きく変わっているにもかかわらず、その是非を問うこともなくダラダラと無意味な工事期限延長が認められている。行政のメンツを立てるために税金が費やされ、都民の代表であるべき議会が、そのチェック機能を失っていること、都民にも関心を持って見て欲しいと思う。
 いま、「地方の時代」と知事たちも言うが、都そのものはどこまでガラス張りになっているのかという問題を、厳しく検証していかなければならない。同時に、各議員がどの様な仕事をしているか、街頭で言っていることを議場に反映しているかどうかも、関心を持っていただきたい。都民として、議員として、私自身もこのことをしっかり肝に銘じていこうと考える。

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