21世紀への都民仲間
身近な「最先端」で活躍する人

マス媒体からミニ媒体へ。これからのTV番組制作は、より身近で個のニーズに応えたものへ。

TV番組プロデューサー 丹治真希美さん

TV番組プロデューサー 丹治真希美さん(大田区在住)

子どもの頃から料理が大好き

 丹治さんは、小学生の頃から料理づくりが大好きだった。

 また、食材にもかなり関心が高く、たとえば卵と粉とバターと砂糖を混ぜ合わせて焼くと、どうしてケーキになったりクッキーになったりするのかが不思議で、それぞれの配分を変えて、どんなものが出来上がるのかチャレンジしたりするのが何よりもおもしろく、料理づくりは子どもの頃の最大の遊びだったという。やがて中学生になる頃は、つくるだけでは満足できなくなり、食材の栄養成分に興味を持って、食品分析表に凝ってみたり、小麦粉からグルテンを採取したりするなど、科学的方向からも料理に関心を持っていた。彼女の場合、単においしいものが好きだから料理好きというのではなかったようだ。

 テレビの料理番組は見られる限り目を通し、番組で覚えたレシピはすぐにも試さないではいられなかった。それも、キッチンにこもって黙々と料理づくりに専念するというのではなく、料理番組そのままに解説&アクション付きのエンターテイメント性をプラス。「家族や友達にウケて喜んでもらうことは最大のねらいでした。お料理大好き少女としては当然、野菜、肉、果物、豆、どこにでもある普通の食材がスゴイ料理に大変身する”注目の料理番組“グラハム・カーの『世界の料理ショー』は、最高にお気に入りの番組でした。料理はエンターテイメント!という考え方をこの番組からしっかり学びました」という。

丹治真希美さん

本当にやりたいことを発見するには時間が必要

料理研究家にならなかったワケ

 これほどの料理好きだから、将来はきっと料理研究家になるだろうというのが周囲の大方の予想だった。本人も当然のように、料理研究家になりたいという希望は持っていた。しかし、彼女は料理研究家を目指すことは断念した。おいしいものに目が無く、お料理大好き少女だった彼女は高校生の頃、何と60を超える!ほどの体重になってしまった。このまま料理のプロとして「食べること」を仕事にしていたら、体重はいったい何kgになるかわからない。年ごろの少女にとってそれは想像するだけでも恐ろしいことだった。

 「様々なダイエットを繰り返しては失敗するという日々でしたが、短大の頃『ご飯はすぐにエネルギーに変わるから食べても大丈夫』というダイエット法に出会って、ご飯禁止ストレスになっていた毎日から解放され、ウソみたいに自然にス~ッと痩せられました。それからはまた料理に対する関心が高まっていきましたが、当時は広告関係に進もうと考えていましたから、そちらの実現のほうに情熱が傾いていました。

 卒業後、広告クリエーター養成学校へ行きながら、広告代理店などでアルバイトをしていましたが、広告業界で働くという当初の希望はなかなか思うようにいかなくて…。その後は、普通のOLを10年以上やりました。何年か営業職も経験して、社内でNO.1の成績ということも度々でした。でも、本当にやりたかったこととは違う!と思っていました。自分が本当に好きな仕事が何なのか、この10数年でだんだんわかってきたようです」。

 そんなとき「料理番組制作の仕事をやってみないか」という話が巡ってきた。

 それが今の仕事との出会いだった。以来3年間、番組制作のために早朝から深夜まで駆け回る日々が始まった。街を歩いているときも、人と会っているときも、気が付くといつでも、番組づくりのためのアイデアとヒントを探している自分に気付いた。そんな毎日は、超多忙でつねに時間に追われてはいるが、楽しくもあり、やりがいを感じた。


つくる過程を一緒に楽しむのも料理番組の醍醐味

自分が動かなければ始まらない

 番組づくりはたいていの場合、極めて低予算であることが多い。

 そのため、プロデューサーである丹治さんは本業以外にも、番組の企画、立案、レシピの開発、スタッフの手配など、ひとりで何役もこなさなくてはならない。かなりたいへんだと思うが、その分、トータルにコーディネートできるので、全体を通して自分のカラーやこだわりも演出できるメリットもあるようだ。

 「たくさんのスタッフに制作側の意図を伝え、細かいところまで理解してもらうのはすごく難しいですし、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りません。少しラジカルですが、私は現場第一主義ということにしています。その場で、うまく全体の呼吸が合うというか、微妙な感じですが、OK、大丈夫と思う瞬間があります。その瞬間の感覚をつかんで番組を進行していくように心がけているんですが、結構うまくいきますよ」。

 番組制作には様々なスタッフが必要だ。しかし、低予算であるために十分なスタッフが確保できないケースも日常茶飯事だ。そんなことが度重なって、丹治さんの出番はさらに増え続けた。今では必要に応じて、メイク、ヘアメイク、ときには、番組テーマソングの作詞作曲やプロ級と評判のイラストも担当する。何役もこなさなければならない丹治さんは、気分転換とイメージメーキングのため「味々川レイコ」の別名も使っている。

丹治真希美さん

スポンサー探しも積極的に

 番組の制作には大勢のスタッフも必要だが、それ以上に多くの資金が必要だ。予想外に多額な資金が必要になってくることも度々ある。丹治さんは、積極的にスポンサー探しも担当している。OL時代に営業職も経験して売り上げ実績NO.1の経歴を持つ丹治さんにとって、結果がわかりやすい営業の仕事はストレスの解消にもなるらしい。

 さらに、これまで知らなかった新しい分野の人たちと出会う機会も多くなる。

 「番組制作の仕事は、人脈が大きな財産になるので、色々な分野の人たちとの出会いは大切にしています。新しい出会いは刺激になるし、思ってもみなかった情報や知識を得られることがあります。おもしろい発想を生むためには、料理番組だからといって、食のことばかり考えていたのではダメだと思います。どんな仕事でも同じだと思いますが、アイデアやヒントは意外なところから意外な時に生まれてくるものです。だから、それぞれの人が持っている異なった分野の情報や知識は、とても勉強になるし役に立ちます。営業の仕事は、たくさんの異業種の方々と交流できる、またとない機会ですから、これからも積極的に自分の足でスポンサー探しをしていきたいですね」。

 丹治さんとは形態は異なるが、ここ数年、営業職の分野にも女性がどんどん進出してきている。かつては、保険外交員や化粧品訪問販売など活躍できる分野は限られていたが、最近では大手企業でも積極的に女性営業職を採用している。各種メーカー、自動車販売店、広告代理店などで、パワフルに営業の仕事をこなす女性は目立ってきた。こうした傾向は、女性ならではのコミュニケーション能力、具体性を持った提案力、物事の本質を見抜く洞察力などが見直されてきた結果ともいわれている。

 「時代がどんなに変わろうと、すべての人間にとって『食』は最大の関心事。また、コミュニケーション手段でもあります。将来的にはコミュニケーション&エンターテイメント的要素をもっと強調した番組づくりを意識しています。視聴者もそうした傾向を期待しているというデータもありますから。そうしたニーズにどんどん応えていきたいですね」。 もっとも身近でいながら追求し始めると相当奥が深い。それが「食」の世界だ。

 丹治さんは、これからも「食」を通して、これまでにない新しい世界を構築していきたいと語る。次に、彼女が何を見せてくれるのか。グルメでなくとも大いに楽しみである。

丹治真希美さん
21世紀への都民仲間
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丹治真希美さん
TV番組プロデューサー
丹治真希美さん(大田区在住)
1961年 東京・大森生まれ(江戸っ子としては2代目半)
フェリス女学院短期大学家政科卒。獅子座のA型。
思春期より「食」に目覚め、社会的には紆余曲折を経ながらも「食べる事」だけは真っ直ぐに継続
東京でいちばん好きな建造物
赤坂・日枝神社の沢山の鳥居、鳥居、鳥居、鳥居、鳥居の階段
東京でいちばん好きなアウトドアスペース
赤坂見附、みすじ通りを背に青山通りに面し、左前方に豊川稲荷をとらえた眺め。夕暮れ時は特にNice!
外国に自慢したい東京の魅力
銀座、六本木、渋谷など、個性ある街が多数集中し、1時間内でこんなに起伏に富んだ街巡りの出来る都市ってそうないと思う。東京は毎日開催で終わらない「街のデモンストレーション会場」。
東京を代表すると思う食べ物を3つ
資生堂パーラーのチーズケーキ、魚久の魚の粕漬け、大黒屋の天丼
東京に暮らして心配に思うこと
都営交通システムの料金が高すぎて、これ以上値上げしたらもう乗れないと不安。
カラスの激増とその被害。カラス対策課を設けたらどうですか?

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