21世紀への都民仲間
身近な「最先端」で活躍する人

コーディネートからコンサルティングへ。
フードビジネスを一歩前進させる女性の生活実感パワー。

フードコンサルタント白田典子さん
フードコンサルタント 白田典子さん(練馬区在住)

「食」へのこだわりもおしゃれのうち

 女性のマーケットが注目されて、もう四半世紀以上になる。

70年代前半あたりから注目された、財布の紐を握る「主婦市場」。さらにキャリアを志向し自由を謳歌する「キャリアウーマン市場」、「シングル女性市場」。80年代以降は「女子大生市場」、続いて「女子高生市場」。いまや中学・小学生さえもターゲットになっている。
「親に、夫に、子に…」従って生きてきた今までの女性は、人生のモノサシを持たないで生きるものとされていた。このため、マーケティングの世界でも、消費スケールを考える場合、家長や配偶者のライフスタイルや所得が基準だった。しかし、60年代半ばから女性の社会進出、高学歴化が進み、多くの女性は「結婚も、仕事も、子育ても、遊びも、おしゃれも」フルコースで楽しむのが当たり前!と考えるようになった。

 こうなると、従来のマーケティングのモノサシはまったく当てはまらなくなってきた。多くの女性たちは自分の自由な尺度を最優先テーマとし、何事においても「ワタシ好み」を譲らない。その傾向は「食」の世界でもはっきりと現れていると白田さんは言う。

「自分の好みやライフスタイル、シチュエーションに合わせ、『いいもの・おいしいものを必要なときに必要なだけ』こだわっておしゃれに食べたい。というのが最近の傾向です。忙しいから食事は出来合いのお弁当やお惣菜で間に合せるという女性が多い反面、食べるものにかなりこだわるという女性はそれ以上に増えてきています。こうしたマーケットを反映して、最近ではコンビニでも食材の産地・生産方法にはかなりこだわるようになっています」。

白田典子さん

生活のなかで感じたこと、
思いつきを実現する行動力が大事。

結婚退職は若気の至りだった

 白田さんは短大卒業後、広告代理店に入社した。「初めての職場で、今になって考えてみたら、かなりおもしろい仕事をさせてもらっていたのに、当時はまだその価値に気付かず、あっさり結婚退職してしまったんです。結婚くらいでやめるなんてもったいない会社だとか、あんなにいい仕事をしていたのに信じられない!とみんなに言われましたが、本当にそうかな?程度にしか感じられなかった。まさに若気の至りでした」。結婚して家庭に入り、夫にも不満があるわけでもなく、それなりに幸福な毎日。それでも、何となく不安で、たいくつで充足感がなく、イキイキと仕事をしていた日々がなつかしく、出来ることなら「あの日に帰りたい」と思うようになった頃、白田さんは妊娠した。いいお母さんになって、子育てに思いっきり打ち込めば、それまでの「日常」から解放される。子どもの成長に生きがいを見出し、快活で楽しい毎日が訪れるに違いない。白田さんはそのとき確信した。子どもが生まれればそれまでの問題はすべて解決する!

 しかし、確信通りにはいかなかった。子どもは可愛いし、子育てそのものはたいへんでも日々成長している実感を感じられる楽しい部分もあった。でも、以前から感じていた”表現しようがないような漠然とした不安感“を拭い去ることはできなかった。

 ある日、青山通りをベビーカーに子どもを乗せて歩いているとき、かつての同僚が前方からやってきた。そのとき彼女はきれいにメイクして、ブランドものをセンスよく身に付けていた。さっそうと歩いてくる姿は、おしゃれな街に溶け込んでまぶしく輝いて見えた。そのとき白田さんは彼女に気付かれないように思わず顔を背けてしまった。そして、心にある漠然とした不安の原因が何であるか直感した。それは、社会から取り残されていく、いわば「自分だけが成長しないまま老け込んでいく」ことに対する恐怖だったのだ。


ビジネスのヒントは毎日の生活から

 なにか自分を生かせる仕事をしなければ!と思いながらも乳飲み子を抱えていては身動き出来ない。その頃、ふと立ち寄ったモデルハウスで素敵なキッチンが目に入った。

「モデルハウスはただ見せるだけでなく、その家に住む魅力や楽しさ、暮らしやすさが伝えられないと販売につながらないはず。それに、こんなに素敵なキッチンでお料理をして食べるといったホームパーティー体験ができたら、ゼッタイに宣伝効果がある」とひらめいた。そんなアイデアをメーカーに伝えるとさっそく実現の運びとなった。

 さらに、モデルハウスで「陶芸教室」を開いて、出来上がった作品でお料理を食べるというアイデアも実現された。白田さんにはお礼として多分なギャラが支払われた。

 こんなことが仕事になるなんてウソみたい。と思いながらも白田さんは、仕事をはじめるならこれまでの主婦としてのキッチン体験が、何らかの形で生かせるかも知れないと思い立った。でも、だからといってフリーで「フードコーディネーター」などの看板を上げれば、どんどん仕事が舞い込んでくるほど、世の中甘くないことは十分わかっていた。

白田典子さん


生産地(者)と小売店、消費者を結ぶパイプ役になりたい。

自分の専門ジャンルをもちたい

 それなら、自分に絶対の自信が持てるジャンルを持とう、それをベースに仕事を開拓していこうと考えた。仕事のアイデア探しをしていたある日、立ち寄ったスーパーで「天然の鮎」が目に付いた。しかし実家が天然鮎の簗場を経営していたこともあり、鮎に関しては相当な目利きだった白田さんは、その鮎が養殖であるということを一目で見抜いた。スーパーの担当者にそのことを伝えると担当者はとても驚き、白田さんの話に耳を傾けた。その後は度重なる交渉を経て、実家の鮎が店頭に並ぶこととなった。

 このことから鮎に関しては、業界で一目置かれるようになった白田さんは、「食」の仕事に本格的に関わっていくようになった。今では、地域振興計画参画を含め、様々なコンサルティング活動で全国を飛び回る毎日だ。

 これからはパーソナル・マーチャンダイジングの時代と言われ、不特定多数の大衆のニーズよりも、「あなただけ」という限定の個人をターゲットにしたビジネスの時代と言われている。「食」に関しても同様だ。多様化・差別化と言われながらも日本の消費者の実態はきわめて類型的・均質的だ。そうした背景の中で、それぞれの商品をどのようなコンセプトで特別化するかは基本的かつ重要な問題になってきている。

白田典子さん


能力・パワー全開の仲間がいっぱい

 「私は地方で生まれ育ったので、地方の人間関係や地域産業が抱える問題についてはかなり把握しているつもりです。また、学生時代から都会で暮らしていますから、都会の人、特に消費の主役である女性たちの趣味・思考・ライフスタイルについても体験的に理解しています。地方と都会、両方の特性を知っていることや、主婦として、また消費者としての立場から『食』の現場で学習してきたことが、これからの『パーソナル・マーチャンダイジング』に大いに生かせると考えています。幸い、周囲には能力があり、パワー全開の女性がたくさんいます。彼女たちと一緒にスピーディーに変化していく時代を察知していくとともに、生産者と消費者を結ぶ良いパイプ役になって、少しでも地域振興や地場産業の役に立てたらと思っています」。

 「信頼できる確かな物を通して、地方と都会の交流をバックアップしていきたい」と語る白田さんのように、生活体験を通して自己実現を計画していく女性は、これからますます増えていくことだろう。消費者にとっては心強い味方である。


21世紀への都民仲間
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白田典子さん
フードコンサルタント
白田典子さん(練馬区在住)

1956年 栃木県生まれ
1978年 青山学院短大英文学科卒業
1978年 株式会社 電通入社
1982年 結婚、その後マーケティングエージェンシーに契約社員として入社
1984年 長女出産
1994年 有限会社 良品工房設立

現在、食品をメインに商品開発、百貨店スーパーなど小売店の売り場企画。
「その商品のことは、それを使っているひとが一番よく知っている」をテーマに新しいスタイルの販売企画を構築、準備中です。

東京でいちばん好きな建造物

うーんそうですねー 日本橋の高島屋

東京でいちばん好きなアウトドアスペース

隅田川の花火が上がった空、桜が7分咲きの四谷の土手、繁華街のパチンコやのネオン、なんちゃて

外国に自慢したい東京の魅力

いろいろな価値観のひとがあつまっているので、こちらで受け入れられなくてもあちらで受け入れられる可能性があり希望がもてる

東京を代表すると思う食べ物を3つ

葛餅、人形焼、雷おこし(好きなものとは別ですよ)

東京に暮らして心配に思うこと

自分の老後

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